おしらせ


MAMIYA-TOMINONのページに写真家・橘ゆうさんからご提供いただいた素晴らしいお写真を掲載しました!
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2013/11/20

Schneider-Kreuznach Retina-Tele-Arton 85mm F4 (DKL)





銘玉の宝庫デッケルマウントのレンズ達
PART2Retina-Tele-Arton 85mm F4
四隅まで高画質な
Xenotarタイプの中望遠レンズ
Schneider(シュナイダー)社もまたデッケルレンズに力を注いでいたメーカーであり、その徹底ぶりは同社が誇る主力ブランドのほぼ全てをラインナップ展開していたほどである。主にレチナ・デッケル機の交換レンズとして広角レンズのCurtagon(クルタゴン)、標準レンズのXenar(クセナー)とXenon(クセノン)、中望遠レンズのTele-Arton(テレ・アートン)、望遠レンズのTele-Xenar(テレ・クセナー)を生産していた。今回取り上げるデッケル特集の2本目は同社がTele-Xenarの上位ブランドとして1957年から1971年まで生産し、中望遠レンズの中核に据えてていたTele-Arton 85mm F4である。このレンズは口径比がF4と控えめで最短撮影距離が1.8mと長いため人気はなく、WEB上にも写真作例は少ない。中古市場では手ごろな価格で取引されているレンズである。ところが使ってみると驚いたことに実にシャープな写りなのである。知れば知るほどこのレンズの正体に興味がわいてきたので構成図を探してみたところ、下の図のようなものが見つかった。何と4群5枚のXenotar (クセノタール)である。Xenotarと言えば高解像で硬階調、切れ味の鋭い描写を特徴とし、中大判カメラ向けに供給された同社が誇るプロフェッショナル用レンズとして知られている。中古市場では現在も500-1200ドル程度と高値で取引される高級ブランドであるが、対するTele-Artonはデッケルレンズ自体が全体的に安値で取引されることもあり、僅か100ドルから150ドルで手に入る。Xenotarのシャープな写りを手軽に楽しむことができる穴場的なレンズと言えるのではないだろうか。
Tele-arton F4/F5.5の光学系(左が前方で右がカメラ側):Australian Photography Nov. 1967に掲載されていた図をトレーススケッチした。レンズの構成は4群5枚の望遠Xenotar型であり、普通のXenotarよりも前後群の間隔が広い。このタイプのレンズ構成は望遠レンズによくある糸巻き状の歪曲を後群の正の空気レンズで効果的に補正できるという優れた長所がある。一方で焦点距離(望遠比)を大きくとると球面収差の短波長成分のみがオーバーコレクション側に大きくなる短所がある(「レンズ設計のすべて」辻定彦著参照)。シュナイダーの望遠レンズ(焦点距離135mmと200mmの2種)がTele-XenarブランドがらTele-Artonブランドに置き換わらなかったのには、こうした性質を憂慮したためではないかと考えられる。なお、Tele-Artonには大判用(6x9や5x4)に供給された口径比F5.5、焦点距離180 /240 /279 /360mmのモデルも存在する。こちらは登場が35mm判よりも少しはやく、180mmF5.5のモデルが1955年から登場している。また、リンホフ用に1968年8月から供給された180mmF4のモデルは例外的に3群6枚構成である
Tele-Artonは旧西ドイツのBraun(ブラウン)社から発売されたレンジファインダーカメラSuper Colorette II (1956-1959製造)の交換レンズとして1957年に登場し、その後、Kodak社のレンジファインダーカメラRetina IIIS (Bessamatic互換)が1958年に採用した新規格のデッケルマウントにも対応している。1962年にはRobot用に90mmF4のモデルが108本、Edixa用(M42マウント)に85mmF4のモデルが100本造られ、更に1967年にはデッケルマウントの90mm F4も登場している。WEB上では各所で90mmのモデルが85mmのモデルの後継品であるとする見解を目にするが、この解釈はどうも間違いのようである。90mmの登場後も85mmのモデルの生産は続き、シュナイダーの製造台帳では1971年に生産された85mmの個体を確認することができるからである。そこで台帳上にて90mmF4のモデルのルーツを追うと、同社が1954年に僅か5本だけ試作したLongar-Xenotar 90mm F4という試作品に辿り着く。この記録は90mmのモデルが85mmのモデルよりも早く開発されていたことを意味しており、Tele-ArtonがXenotarをルーツとするレンズであることを裏付ける証拠にもなっている。設計者はギュンター・クレムト(Günther Klemt )であろう。

入手の経緯
本品は2013年9月にeBayを介し米国の古物商から即決価格166ドル(120ドル+送料30ドル+関税等仲介手数料16ドル)で落札購入した。オークションの解説は「西ドイツ製のTele-Arton。硝子に傷やカビ、汚れ、その他の悪い部分はない。フォーカスはスムーズで絞り羽の開閉はスムーズだ。鏡胴には軽度な傷があるが依然として新品に近いコンディションである。純正ケース、箱、ステッカー、マニュアル(1959年印刷)がつく」とのこと。状態はよさそうである。届いた品には後玉のコーティングに極軽い拭き傷があったものの、実写には影響の無いレベルである。eBayでの相場は100-150ドル程度であろう。
重量(実測)130g, 絞り羽 5枚, 最短撮影距離 6ft(1.8m), フィルター径(専用バヨネット式), 4群5枚Xenotar型, Kodak-Retina(DKL)マウント。EOS5D/6D系では無限遠近くを撮影する際にミラー干渉する。マウント部の溝はレンズファインダー機に対応するための距離計連動カムである。初期のデッケルレンズにはこのカムが多くみられるが、フォクトレンダー製レンジファインダー機の製造計画が進まず消滅している




撮影テスト
前エントリーで取り上げたテッサータイプのColor-Skoparとは発色の傾向が全く異なることが一目瞭然でわかるはずだ。Color-Skoparはテーマを選ばずにどんなシーンでも万人受けする写りであるのに対し、Tele-Artonはシュナイダーらしい青みの強い発色を特徴とする上級者向けのレンズである。使い方次第では美しく幻想的な写真効果が得られるが、使い方を誤ると重々しい病的な雰囲気に呑み込まれてしまうので、このレンズを用いる際にはテーマを慎重に選ぶ必要がある。明らかに普通の写りではないので、ツボに填るとオールドレンズの底力(奥深さ)を体感できるはずだ。例えば明け方や日没間際の低照度な条件でハイキーな写真を撮ると、この世のものとは思えない素晴らしい写真が撮れる。反対にアンダー気味に撮ると重苦しい雰囲気が増すが、こうした性質を廃墟など無機質なものを撮る際に積極的に活用するという手もある。開放から解像力、コントラストなどの基本性能がずば抜けて高く、硬質感の高い鋭くシャープ階調描写はクセノタール型レンズならではの特徴である。ピント部は四隅まで高画質で、控えめな開放F値のためボケは概ね安定している。ボケ味がクリーミーになるという事前情報を得ていたが、どうもよくわからなかった。

撮影条件
フィルム撮影: カラーネガフィルム Fujicolor SuperPremium 400  1本分を使用
デジタル撮影: EOS 6D(遠方撮影時にミラー干渉が起こるのでミラーアップモードで撮影)

今回は事情があり、このレンズと長く付き合うことができなかった。2013年9月22日の午後に京都で開催されたレイノカイのお散歩撮影会で撮った8枚の作例をお見せする。

F5.6, フィルム(Fujicolor S.P.400ネガ): シャドー部がクールトーン気味の発色になるのはシュナイダーレンズの特徴だ



F4(開放), フィルム(Fujicolor S.P.400ネガ): 開放でも画質には安定感があり、四隅まで高解像でボケも素直だ



F4(開放), フィルム(Fujicolor S.P.400ネガ): この距離でグルグルボケが出ないのは口径比が控えめであるおかげだろう



F5.6, EOS 6D(AWB): こんどはデジタル撮影。フィルム撮影の時と同様にクールトン気味な発色傾向が得られている
F5.6, EOS 6D(AWB): 近接撮影でも画質は良好である。 デジタルカメラには不得意な紫の発色だが淡白になならず忠実な色再現である

F4(開放), フィルム(Fujicolor S.P.400ネガ):ハイライト部のまわにのモヤモヤ感は出ていない。開放からキッチリと写るレンズだ
F5.6(開放), フィルム(Fujicolor S.P.400ネガ):緑が黄色に転びやすいのはシュナイダーのレンズによく見られる傾向だ







F5.6, EOS 6D(AWB)::再びデジタル撮影。ご覧と通りに優れた解像力である

2013/11/04

Voigtländer COLOR-SKOPAR X 50mm F2.8(DKL)




銘玉の宝庫Deckelマウントのレンズ達
PART1: COLOR-SKOPAR X
フォクトレンダー・デッケル機のエントリーレンズ
「なぜならレンズがとても良いから」。1756年に創業した世界最古のカメラメーカーVoigtländer(フォクトレンダー)社がカメラの宣伝に用いたキャッチコピーには自社の高性能なカメラについてではなく、レンズの素晴らしい性能を称える文句が使われた。Color-Skopar(カラー・スコパー)は同社が戦後に生産した多くのカメラに標準搭載され、写りが良いことで世間から高い評価を得ていたテッサータイプの標準レンズである。レンズを設計したのはNoktonやUltronなどの銘玉を設計した人物として知られるA.W.Tronnier(トロニエ博士)で1949年と1954年にそれぞれF3.5とF2.8のモデルを世に送り出している(文献2)。トロニエ博士は戦前のSchneider社に在籍していた頃に同じTessar型レンズのXenarを開発した経験があり、Color-SkoparにはXenarの開発で培ったノウハウが生かされている。一般にColor-SkoparはXenarよりも更に硬階調でシャープ、高発色なレンズと評されることが多く、鋭い階調性能と高いコントラストを持ち味とするTessar型レンズの長所が最大限に引き出されていると考えてよい。技巧性に富むVoigtländer社のマニアックなカメラに相応しい尖がった性格のレンズである。
重量(実測) 138g, 最短撮影距離 1m, 絞り羽 5枚, 3群4枚テッサー型, フィルター径 40.5mm, 製造年:1959-1967年(DKLマウント),製造本数 20万本弱(DKLレンズのみカウント), EOS5D/6D系に搭載する場合もミラー干渉は起こらない。このレンズはビハインドシャッター方式のカメラに搭載するレンズであり絞りリングは標準装備されていない。マウント側についている黄色マークは、このレンズがウルトラマチックで使用する際にカメラ本体に開放F値を伝える細工がしてあることを意味している。このマークがついている製品ロットは後期型の比較的新しい個体である






Skoparブランドが初めて世に登場したのは1926年である。最初のモデルはTessar型ではなく前後群をひっくり返した珍しい構成の反転Tessar型(あるいはアンチプラネット型とも言う)で口径比はF4.5であった。この種の構成を持つレンズにはSteinheil社のCulminar 85mmF2.8がある。Tessarタイプのレンズに比べやや軟調で発色もあっさりとしており、シャープネスでは一歩及ばなかった。直ぐに設計が見直され、翌1927年にTessarタイプへと構成が変更されている。その後、1930年代後半に口径比がF3.5まで明るくなり、初代Vito(1939-1949)などの35mm判小型カメラに搭載されるようになっている。1949年にはTronnier博士の再設計によりカラー撮影にも対応したColor-Skopar F3.5に置き換えられ、モデルチェンジを間近に控えたVitoの最終ロットに搭載された。1953年にはF2.8の更に明るいモデルもProminent用として登場し、F3.5のモデルとともに後継カメラのVito Bなどに標準搭載されている。なお、Color-SkoparはVoigtländer社が最も多く製造したブランドであり、デッケルマウント用は1959年から1967年までに20万本弱もの数が生産されていた。現在でも中古市場に数多くの製品個体が流通しており相場は安値で安定している。ちなみに同社で2番目に多く製造されたデッケルレンズはSkoparexで製造本数は6万本強、3番目はSepton(ゼプトン)で製造本数は5万2千本弱である。
Color-Skopar F2.8の構成図(左が前で右がカメラ側)。Vitessa T用として文献1のP112に引用掲載されていたものをトレーススケッチした。構成は3群4枚のTessar型で、第1レンズに厚みがあるのが特徴である
デッケル機は絞りの開閉をカメラの側でコントロールする仕組みになっている。デッケルレンズは絞りリングが省略されており、マウント部の近くに絞り羽根を制御するためのブラケットが突き出ているのみである(上の写真)。このブラケットを矢印の方向にスライドさせることで絞りを開閉させることができる。デッケルレンズ用のマウントアダプターにはブラケットをスライドさせるための制御ピンがついており、アダプターに内蔵された絞りリングとブラケットが制御ピンを介して連動できるようになっている
デッケルレンズ用のマウントアダプター。絞りリング(赤矢印)を回すと制御ピン(青矢印)が連動して動き、レンズのブラケットを引っ掛けながらスライドさせることができる
デッケル-M42マウントアダプターをレンズに装着したところ。装着時はアダプター側の固定ピン(赤矢印)をレンズのマウント部にある窪みにはめロックする。解除するには手前のレバーを青矢印の方向に押せばよい
コードXの謎を追う
レンズの銘板に誇らしげに刻まれたXのアルファベット。このコードは何を意味しているのだろうか。Color-Skopar Xに興味を持つきっかけは、そうした些細なところからであった。ちなみにSkoparというレンズ名はギリシャ語で「見る、観察する」を意味するSkopeoを由来としている。末尾に「X」のつく固有名詞と言えば、トヨタ自動車の「マークX」や「MAC OS X」などがあり、これらは通産10作目の製品ということを意味している。他にも「ミスターX」や「惑星X」「Xデー」「プロジェクトX(NHKのTV番組)」などがあり、これらには未知であるという意味が込められている。おそらく方程式の変数Xあたりが由来なのであろう。しかし、COLOR-SKOPARの場合は、これらのどれにも該当しない。レンズの場合にはこの種のアルファベットがガラス面に蒸着されたコーティングを意味する場合もあり、Zeiss製レンズのT(Transparent)コーティングやMeyer製レンズ等のVVergütung)コーティングなどがその典型である。また、Kodak社のレンジファインダー機Retina IICの交換レンズ(コンバージョンレンズ)にはCのイニシャルが記されている。レンズに関して言えば直ぐに思い当たるのはこんなところであるが、「X」なんてのは今まで聞いたことがない。イニシャルだと仮定してもXで始まる単語なんてそう多くはない。しばらくこのコードの謎に考えを巡らせ知人を巻き込みながら盛り上がっていたのだが、浅草のハヤタさんが答えを持っていた。このレンズはSyncro Compur X(シンクロコンパーX)というシャッターに搭載するためのレンズなのである。Compur Xシャッターはフラッシュにシンクロできる機構を内蔵しており、シャッターが降りるとX接点を介して信号が放たれフラッシュが発光する仕組を持っていた。ただし、レンズ自体にはこの機構に応じるための細工が何一つ無いとのことで、わざわざ銘板にXを明記した意図についてはハヤタさんも首を傾げていた。
最後にここからは全くの想像だが、Spiral説を述べてみたい。レンズが造られた当時のVoigtländer社にはProminentマウント(1954年~)、Vitessa-T(旧デッケル)マウント(1956年~)、Bessamatic/Ultramatic(新デッケル)マウント(1959年~)の3種のマウント規格が存在し、混乱が避けられない状況であった。そこで、Prominent用に供給された交換レンズがSkoparon, Ultron, Nokton, Color-Skopar, Dynaron, Super-Dynaronなど末尾が"ON"でほぼ統一されていたのに乗じ、1956年に登場するBitessa-Tの交換レンズでは末尾を"T"で統一することにして混乱を避けた。Skoparet, Dynaret, Super-Dynaletなどである。ただし、Color-Skoparだけは戦前から供給されていたブランド名なのでルールから外れてしまったのである。Prominent用レンズと間違えVitessa-T用レンズを持ち出すという混乱はやはり起こった。そこで、新しいデッケルマウントの規格であるBessamatic/Ultramatic用レンズ(1959年~)では末尾を"X"で統一するルールが徹底された。Skoparex, Dynarex, Super-Dynarexなどである。ところがColor-Skoparの末尾にXを付けると、今度はSkoparexとの識別ミスが起こるため、仕方なくColor-Skopar Xとしたのである。ちなみにSepton、Skopagon、Color-LantharはBessamatic/Ultramatic用レンズから新たに導入された名称なので、この手の混乱を避けることができた。もし、次の新しいマウント規格が出ていたら、Septon Xとでもするつもりだったのであろうか。

参考資料
  • 文献1:「ぼくらのクラシックカメラ探検隊:フォクトレンダー 第2版」Office Heliar 1996年初版、2000年3月改定版発行
  • 文献2:Color-Skoparの米国特許:US-Patent 2.573.511
レンジファインダー機に対応するため設けられた距離計連動用のカム。手元のレンズの中ではColor-Skopar XとTele-artonにこの機構を確認することができる。このカムは初期のデッケルレンズに多く見られるが、やがてデッケルマウントのレンジファインダー機がなくなり不要になたっため消滅している
入手の経緯
本品は2012年夏にeBay(UK版)を介してイギリスのコレクターから70ドル+配送料15ドルの合計85ドルで落札し入手した。このセラーはコレクションの整理と言いながら他にもいろいろなレンズを出品していた。コレクターであれば検査の精度については下手な業者よりもマトモなケースが多い。レンズはEX+++コンディションとのことである。1週間後に届いたレンズは写りに影響の無いレベルのホコリの混入があったが、ガラス自体は傷の無い綺麗な状態を維持しており問題なしの品であった。eBayでの相場は60~80ドル程度と求めやすい価格である。中古市場に多く出回っているレンズなので、じっくり待って状態の良い品を購入するとよいであろう。

撮影テスト
四隅まで破綻無くクッキリと鮮やかに写す。Color-Skoparの描き出す画にはTessarタイプのレンズならではの特徴がよくあらわれている。軟らかいトーンによるドラマチックな演出効果を期待することはできないが、代わりに鋭くシャープな階調描写で被写体を力強く鮮やかに表現できるのが、このレンズの本領である。収差はよく補正されており開放でもハロやコマに由来するフレアは殆んどみられないことから、スッキリとヌケのよい写りで、ややコッテリ感のある高彩度な発色である。コントラストは高く、特にハイライト域の階調が豊富で、白がクリアに写るところがとても印象的に感じる。一方、シャドーの階調は硬めで、ネガフィルムを用いた撮影では暗部にむかってグラデーションがストンと急激に落ちる傾向が顕著にみられた。こういうのをカリカリの描写と呼ぶらしい。ただし、デジタルカメラで使う場合にはトーンが幾らか持ち直し丁寧に表現されているようで、フィルム撮影の時よりも暗部が持ち上がり、なだらかな階調変化をとりもどしている。解像力自体は平凡で、鋭い階調描写による見た目の解像感は高いもののディテールの再現性は高くない。この様子はピクセル等倍まで拡大表示するとベタッとした絵になっていることからもよくわかる。優れた設計者の手で生み出されているとはいえTessarタイプはどう転んでもTessarタイプ。鳶が鷹を生むようなことはない。ただし、ピント部の画質の均一性は高く、四隅で解像力不足を感じることは無かった。ボケは概ね安定しているが距離によっては像が四隅で少し流れる傾向がみられる。口径比F2.8のテッサー型レンズとしてはこの程度の像の流れは普通のレベルであろう。ボケ味は若干硬めで僅かに2線ボケが出ることもある。TessarタイプのレンズにとってF2.8は安定した描写力を維持できる設計限界ギリギリのラインであるが、Color-Skoparの描写力は開放から概ね安定しており、どの撮影条件においても大きく転ぶことがない。値段が安い割に優れた描写力を持つレンズではないだろうか。

F4, 銀塩(ネガFjicolor S400):  クッキリと鮮やかで高彩度な発色である。階調描写は硬く鋭い。ヌケのよいクリアな描写である
F2.8 銀塩(ネガFujicolor S400): 開放でもハイライト部からハロやコマが出ずコントラストは高い。このレンズは濁りのない発色のためか白がとても綺麗に写る。やはりダブルガウス型レンズのようなフワフワとした軟らかいトーンを期待することはできないが、被写体を力強く鮮やかに表現することができるのは、この種の硬く鋭い描写を持ち味とするレンズならではの性質である
F2.8(開放), EOS 6D(AWB): 今度はデジタル撮影。ピーカンの晴天下だが、シャドー部が潰れず階調には適度な軟らかさが残っている。距離によっては四隅でアウトフォーカス部の像が僅かに流れるがグルグルボケには至らない。ピント部は四隅まで高画質である。ボケはやや硬めで、奥の手すりには2線ボケの傾向が出ている。F2.8の口径比を持つテッサータイプのレンズとしては、かなり優秀な描写力だ

2013/10/01

Feature Article on Deckel mount lenses デッケルレンズ特集



銘玉の宝庫デッケルマウントのレンズ達
デッケル(DKL)マウントは1903年に創業したドイツ・ミュンヘンの機械メーカーFriedrich Deckel(フリードリッヒ・デッケル)社がメーカーの枠を越えて交換レンズの互換性を共有することを目的に考案したマウント規格である。1958年にKodak(ドイツ・コダック)社が新型カメラのRetina(レチナ)IIISに採用し[注1]、翌1959年にはVoigtländer(フォクトレンダー)社がBessamatic(ベッサマティック)を発売することでデッケル機市場に参入、レチナ・デッケル機とフォクトレンダー・デッケル機を合わせると何と通産100万台を超えるカメラが製造された(「フォクトレンダー」オフィスへリア発刊参照)。交換レンズ群の供給メーカーもVoigtländerに加え、Schneider, Rodenstock, Steinheil, Ennaが加わり、M42やEXAKTAに次ぐ第3のユニバーサルマウントとして大きな賑わいを見せた。また、Zeissが実質的に参入しなかったことも、このマウント規格のジャンルが独特な発展を見せる大きな要因となっており、Voigtländer社は自社のカメラを売るために交換レンズの開発に大きな力を注いでいる[注2]。デッケルマウントのレンズはフランジ長が比較的長いため、マウントアダプターを用いることでミラーレス機はもちろんのことNikon Fマウントのカメラや多くのメーカーの一眼レフカメラに装着することができる。本特集では数回にわたりDKLレンズならではの製品モデルを追いかけてみたい。紹介するレンズはSkoparex 3.4/35, Skopagon 2/40, Color-Skopar X 2.8/50, Septon 2/50, Tele-Arton 4/85の5本である。

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[注1] デッケルマウントには1956-1958年にBraun(ブラウン)社がSuper Colorette(スーパー・カラレッテ)というレンジファインダーカメラに採用した旧規格のデッケルマウント(Vitessa-T互換)と、1958年にマイナーチェンジが施され広く採用された新規格のデッケルマウントが存在する。新旧の規格に互換性はない。いわゆるデッケルマウントと呼ばれるのは後者を指す場合が多い。

[注2] Zeiss(西ドイツ)は少数のDKLレンズをごく短期間だけ製造した。Distagon, PlanarTessar, Sonnarなどの稀少レンズが存在する。情報を提供してくださいましたMr Calvin, Mr Hayataに感謝いたします。

2013/09/20

Meyer-Optik Gorlitz PRIMOTAR 80mm F3.5(M42/EXAKTA/P6)









ポートレート用テッサー型レンズ PART2:
フーゴ・マイヤーのバズーカ砲
Meyer PRIMOTAR 80mm F3.5
テッサータイプの中望遠レンズをもう一本紹介しよう。旧東ドイツのHugo Meyer(フーゴ・マイヤー)社が1954-1960年代中頃まで生産したPrimotar(プリモタール) 80mm F3.5である。このレンズは前エントリーで取り上げたTessar 2.8/80同様、中判カメラ(6x6フォーマット)にも流用できる一回り大きな光学系を採用しているのが特徴である。発売当初はM42とExaktaの2種のマウント規格に対応していたが、後に発売される中判カメラのKW Praktisix(P6マウント,1956年発売)にも対応した。したがって、厳密には中判用から流用したわけではなく、中判カメラにも対応できる35mm判レンズとして開発されたことになる。わざわざ大きな光学系を採用したのは、やはり階調硬化の抑止を目的としていたからではないだろうか。どっしりとした太い銀鏡胴には現代のレンズに無い強いインパクトを感じる。
重量(実測) 365g, 絞り羽 14枚, フィルター径 55mm, 焦点距離 80mm, 最短撮影距離 1m, 絞り値 F3.5-F22, 対応マウント M42 / EXAKTA / P6(本品はEXAKTAマウント), 光学系は3群4枚のテッサー型。レンズ名はラテン語の「第一の、最初の」を意味するPrimoを由来としている。Primoはドイツ語では「優秀な、最良の」を意味するPrimaと関連があるので、この意味を掛けているとも考えられる。



Primotarブランドの前身は戦前にMeyerがlhagee社のキネ・エキザクタに標準搭載する交換レンズとしてOEM供給していたlhagee Anastigmat EXAKTAR 5cmF3.5およびEXAKTAR 5.4cmF3.5である。5.4cm F3.5のモデルがシリアル番号80万番台(1937年前後)あたりでPrimotar 5.4cmF3.5に改称されている。また、この頃にはキネEXAKTA用のPrimotar 8.5cmがF2.8の口径比で発売されている。Primotarシリーズは戦後にバリエーションを増やし、50mm F2.7, 50mmF3.5, 85mmF3.5, 135mmF3.5, 180mmF3.5など焦点距離や口径比の異なる多数のモデルが登場、1960年代には50mm F2.8も登場している。また戦前にRobot用に供給された3cmF3.5の存在も確認できる。Meyerの台帳を見ていないので全バリエーションを拾ってはいないが、おそらく他にもまだあるはずである。焦点距離が僅かに異なる85mm F3.5はVEB WEFO社の中判カメラMeister Korelle用に1950年から1952年まで短期間だけ製造され、この期間にEXAKTA用(35mm判)に換装されたモデルも登場している。その後、1954年頃から後継製品の80mmF3.5に置き換わっている。Primotar 80mmF3.5は1964年のPraktisix IIのカタログにも掲載されており、少なくとも60年代中頃までは確実に供給されていた。
PRIMOTAR F3.5の設計のトレーススケッチ。左が前側で右が後側。構成は3群4枚のTessarタイプ
入手の経緯
このレンズは2012年6月にeBayを介して米国の写真機材専門業者から184ドル+送料39ドルで落札購入した。商品は初期価格55ドルでスタートしたが誰かが質問掲示板に「70ドルで売ってくれないか」と個別に交渉を持ち掛け断られていた。その後、7人が入札し締切3分前には105ドルまで競り上がったが、最後は私が自動入札ソフトを用いてスナイプ入札をおこない184ドルで競り落とした。オークションの解説は「EXC+++コンディションのレンズ。ガラスはクリーンでクリア、絞り羽はクリーンでスムーズに動く。絞りリングもヘリコイドリングもスムーズで精確に動く」とのこと。届いた品は撮影に影響のないレベルでホコリの混入があったが、ガラスに傷やクリーニングマークはなく鏡胴も綺麗な状態を維持していた。ややレアなレンズである。

撮影テスト
本レンズはF3.5の控え目な口径比のためか、前エントリーで取り上げたTessar 80mm F2.8よりもシャープでボケ癖の少ない素直な写りである。コントラストはTessar 80mmよりも高く、開放でもハロやコマは殆んど出ずにスッキリとヌケがよい。解像力はどう転んでもTessarタイプで、至って普通のレベル。同じクラスのTripletタイプやXenotarタイプのような高い解像力は期待できないものの、四隅まで均一な画角特性を維持している。発色はほぼノーマルで色のりは良好だ。開放から欠点の少ない高描写なレンズである。
F4, EOS 6D(AWB): スッキリとヌケの良い写りだ。発色は良い
F8, EOS6D(AWB): 深く絞っても階調が硬くなりすぎることはない。カラーバランスはノーマルである
F3.5(開放), EOS 6D(AWB): テッサータイプらしく階調が圧縮されることのない高コントラストな画質で、シャドー側にもハイライト側にも階調が広く分布しきっている(画像は無補正)。ただし、中間階調もそこそこ出ておりトーンはなだらかに推移している。やはり中判撮影用にも対応できる大きな光学系のおかげであろう
前エントリーで取り上げたTessar80mm F2.8と本エントリーのPrimotar 80mmF3.5は中判カメラのPraktisix用(初代P6マウントカメラ)に供給された標準レンズとしてカタログに並記されたライバル製品である。上位モデルのTessarに対しPrimotarは廉価製品という位置づけであった。しかし、廉価品とは言えPrimotarは開放から破綻が無く、Tessarよりも明らかに高描写なレンズである。半段暗い口径比F3.5のお陰なのであろう。同じ構成のレンズによる比較の場合、F2.8で設計されたレンズをF3.5まで絞って使うよりも、はじめからF3.5で設計されたレンズを開放で使う方が設計に余裕があり一般には高描写である。このことはXenotar F2.8とその廉価品にあたるXenotar F3.5の画質の比較においても同様に当てはまり、開放F値がF3.5のレンズの方が写りには安定感があることが広く認知されている。Tessarタイプのオールドレンズを手に入れる場合、画質に安定を求める人はF3.5がベターチョイスになるだろう。反対にスリリングな写りを楽しみたい人はF2.8のレンズを選ぶ方がよい。

2013/09/14

Carl Zeiss Jena Tessar 80mm F2.8(M42/EXAKTA)


中判撮影用に設計された一回り大きな光学系を採用することでコントラストを控え目に抑え、なだらかなトーン描写を実現した焦点距離80mmのTessar(テッサー)。シャープネスは落ちるものの中間部の階調が豊富に出るため、モノクロ撮影の時代のニーズに応える軟らかい描写表現を実現している。私にとっては相性の良いお気に入りの一本だ。レンズが登場したのは1951年で、コーティング技術や新種ガラスの普及により写真用レンズのシャープネスが著しく向上した時期である。鋭く硬階調な描写表現を得意とするテッサーであれば、これらの技術革新によってシャープネスを更に極め、異次元の階調性能を手にすることも可能だったはずだ。しかし、今回取り上げるテッサーには、こうした技術革新の潮流を敬遠するかのような描写理念を感じる。この時代のテッサーはなだらかな階調描写を求め、シャープネス偏重主義からの脱却をはかろうとしていたのではないだろうか。

ポートレート用テッサー型レンズ PART1:
なだらかなトーンと妖しいボケ味が魅力
Carl Zeiss Jena Tessar 80mm F2.8

1950年代は35mm判で中望遠画角となる焦点距離80mmのTessar(テッサー)型レンズが各社から供給されていた。このジャンルの製品には不可解な共通則があり、明らかに35mm判用(M42やEXAKTAマウント)として供給されていたにも関わらず、光学系には何故か一回り大きな中判撮影用レンズ(6x6フォーマット)からの流用が目立っている。今回紹介するTessar 80mm F2.8も元は中判カメラのEXAKTA66用に設計された製品のマウント部をメーカーが改変し、EXAKTA用やM42用レンズとして発売したモデルである。初期のモデルはEXAKTA66用のレンズがマウントごとすっぽりと鏡胴内に収納されており、取り外すとEXAKTA66に装着し使用することがでた。35mmフォーマットのカメラで使用することを前提にレンズの開発をするならば、その規格に合った大きさの光学系を用いるほうが高解像で高コントラストな描写性能を実現できるので一般には有利である。中判レンズの流用については生産ラインを同一にし製造コストを圧縮したかったという解釈も考えられる。しかし、わざわざ大きな光学系(硝子)と大きな鏡胴を導入したのでは原材料にかかる費用がかさみコスト的なメリットは相殺してしまう。明らかに非合理的だ。何がそれを許しどういう意図が働いたのであろうか。中判用レンズの流用については他にもSchneider Xenar 80mm F2.8, Meyer Primotar 80mm F3.5および85mm F3.5, Industar-24M 80mm F2.8, Kilfit Macro Kilar 90mm F2.8など多数の事例があり本レンズに限ったことではない。これだけ多くの事例が存在するのだから、何か特別な意味があったと考えるほうが自然である。時代はモノクロ撮影全盛期。なだらかで美しいモノクロのトーン描写を実現するために一回り大きな光学系を採用することで内面反射を故意に誘発し、コントラストを低下させ、階調硬化を抑止したかったのではないだろうか。このレンズは7年間で35000本近く売れたヒット商品である。
重量(実測)310g, 絞り値 F2.8-F22, 絞り機構 プリセット, 絞り羽 16枚, 最短撮影距離 0.9m, フィルター径 49mm, シングルコーティング。光学系は3群4枚のテッサータイプ。対応マウントにはM42とEXAKTAがある









Tessarと言えば諸収差がバランスよく補正され、ハロやコマが殆んど出ず、高いコントラストと鮮やかな発色、階調描写が鋭く硬調なことが本来の特徴である。シャープな描写力を宣伝文句とし、1902年の発売以来「あなたのカメラの鷲(わし)の目」というキャッチコピーで売られていたのは有名な話だ。他にも画角特性(四隅の画質)が良いことや収差変動が少ないことなどテッサータイプのレンズは数多くの長所を持つ。また、解像力よりも階調性能を優先した設計については線が太く力強い描写を特徴にもつグループの一員と言える。新しいモデルほど階調が硬く鋭い描写で、コントラストが高く発色も鮮やかなためカラー撮影に好まれ、反対にモノクロ撮影の場合は古いモデルが好まれる傾向がある。メーカーが描写の硬質化を憂慮し階調性能にブレーキをかけたとする本ブログの主張には、これといった根拠があるわけではない。ただし、これも不可解な事例であるが、1970年代初頭から一斉に登場したZeiss Jenaの黒鏡胴シリーズ(Flektogon / Pancolar / Biometar / Sonnar)が軒並みMC化されてゆく中、TessarのみMCのロゴが記されずマルチコーティング化が見送られていた事実をどう説明すればよいのだろうか。MC化したほうが高コントラストで鋭く硬い階調描写になることは誰の目にも明らかである。

Tessar F2.8の設計。左側が前、右側がカメラ側である。構成は3群4枚で、1902年にCarl ZeissのPaul RudolphとErnst Wanderslebにより発明された。トリプレットの後群を2枚のはり合わせに置き換えた発展レンズであるが、特許書類には独創性を力説するためトリプレットの発展形ではなくプロターとウナーのハイブリットレンズであると解説されている。前群ユニットにはガラス間に設けられた空気の隙間(空気レンズ)の作用により単体で球面収差とコマ収差を補正する能力があり、ガラス硝材の選択により軸上色収差とペッツバール和も補正可能である。後群のダブレットは新色消しユニットになっており、この部分で非点収差と色収差を補正することができるが、球面収差については単体で補正できないので前群の空気レンズの発散作用を利用することで包括的に補正している。トリプレットに比べ非点収差の補正力が高く、四隅の解像力の向上とグルグルボケの抑止を実現している。Tessarは全ての収差がバランスよく高いレベルで補正でき、F2.8という明るさでハロやコマが殆んどでないことから、高いコントラストを実現することができる優れた光学系である。Tessarはその後、同社のW.Merte(メルテ)博士による1931年の設計でF2.8まで明るくなり、更に1947年から1948年にかけて同社のH. Zollner博士が新種硝材を導入した再設計により球面収差とコマ収差の補正効果が大幅に向上している
今回取り上げる1本は旧東ドイツのZeiss Jenaが1951年から1958年まで生産したTessar 80mm F2.8である。ExaktaマウントとM42マウントの2種のモデルが市場供給されていた。レンズの設計は1947から1948年にかけてであり、1946年にフォクトレンダー社から移籍してきたHarry Zollner(ハリー・ツェルナー)博士(1912-2008)の手によるとされている[Jena Review 1984/2参照]。Zollner博士は戦後のZeissを代表する設計者の一人であり、後にBiometar, Flektogon 35mm(前期型), Pancolar F1.8を設計した人物として知られている。レンズの口径サイズは50mmの標準レンズに換算しF1.75相当とかなり大きく、数あるTessarタイプのレンズの中でもひときわ大きなボケ量が得られる表現力豊かなレンズである。Tessarの中望遠モデルは1950年代に販売された本品のみであり、やがて高性能なBiometarが台頭し、さらにダブルガウス型レンズの性能が成熟した事により、中望遠レンズのジャンルから追い出されてしまったようである。

入手の経緯
本品は2012年5月にeBayを介してチェコのカメラメイトから即決価格にて落札購入した。商品は初め350ドルで売り出されていたが、値引き交渉を受け付けていたので送料込みの285ドルを提案したところ私のものとなった。商品の状態はショップの格付けで(A)と評価されており、「エクセレントコンディションの完全動作品。ヘリコイドリングと絞りリングの回転がやや重い。硝子の状態は良好」とのことであった。カメラメイトの場合、商品によっては2割引きを提案すると拒否されることがあるが、今日のセラーはご機嫌だったようである。80mmのテッサーは50mmのものに比べると中古市場の流通量が少ないため高値で取引される傾向がある。eBayでの中古相場は250-350ドル位であろう。届いた品はやはりヘリコイドリングと絞りリングの回転がカッチンコッチンに重かったが、「オールドレンズメンテナンス教室」を受講しメンテ技術を習得。自分でグリスアップし状態を改善させることができた。

撮影テスト
本レンズの特徴は何と言っても軟らかい階調描写による心地よいトーンと妖しい後ボケである。コントラストはTessarにしては低めで、その分だけ中間部の階調が豊富に出る。開放でもコマやハロは少なく、スッキリとヌケが良い写りである。解像力は可もなく不可もなく平凡で、線が太く力強い描写である。ピント部は四隅まで安定しており画質の均一性が高い。発色が温調寄り(アンバー色に)に転ぶのはこの時代のZeiss Jena製品に共通する性質で、ガラスの経年劣化に由来するオールドレンズ的な効果のひとつである。この特徴はリバーサルフィルムで撮影するとかなりはっきりとみられる。一方、デジタルカメラで使用する場合にはカメラによるカラーバランス補正が自動で働くのでノーマルに近い発色となる。ネガフィルムを用いた撮影では大変味わい深い発色が得られる。ボケ量の大きな準大口径レンズなので、ポートレート撮影にも対応できる充分な表現力を備えている。このレンズの写りはとても好きだ。

銀塩撮影:
  ネガ:Agfa Vista 100 / Fujicolor S200
  ポジ: Rollei Digibase CR200PRO-135
デジタル撮影:
  EOS 6D


F5.6 銀塩撮影(Fujicolor C200ネガフィルム): タイトルは「おさななじみ」。オールドレンズフォトコンテストに出品した作品のひとつだ。影の中に小便小僧が一人混じっている。レンズの持ち味であるなだらかで繊細な階調とフィルムの性質がうまく協調している

F2.8(開放)銀塩撮影(Fujicolor C200ネガフィルム): うーん。このレンズとは何だか相性のよい予感である

F2.8(開放)銀塩撮影(AGFA vista 100 ネガフィルム): 味のある美しい発色だ。焦点距離が80mmもあれば開放絞り値がF2.8であっても立派な準大口径レンズなので、ポートレート撮影に十分対応できる大きなボケ量が引き出せる
F2.8(開放) 銀塩撮影(AGFA vista 100ネガフィルム): 主題を引き立たせる妖しいボケ味。オールドレンズならではの素晴らしい性質だ
F5.6(開放)銀塩撮影(AGFA vista 100ネガフィルム): テッサーは撮影距離による収差変動が小さく、近接撮影においても充分な性能を発揮する

F5.6, EOS 6D デジタル(AWB): 続いてデジタルカメラによる撮影結果。一転してスッキリはっきりとした普通の写りになる。これはこれでよい
F4, EOS 6D デジタル(AWB) 周辺部まで解像力は十分。メインの被写体を四隅においてもなんら心配はない



F4(カラーポジフィルム Rollei Digibase CR200PRO-135) リバーサルフィルムを用いる場合、発色が黄色に転ぶ性質がよくあらわれる。デジタルカメラやネガフィルムによる撮影結果が、いかにカラーバランス補正の影響をうけているのかがよくわかる。ポジではシャドーの階調が厳しくなり黒潰れ気味だが、階調変化はとてもなだらかで美しい

2013/08/29

Isco-Göttingen WESTROGON 24mm F4 (M42)

人の目の視野よりも遥かに広い画角で画面の四隅にメインの被写体を捉える広角レンズ。沢山の物が写り過ぎてしまうことから常用レンズには不向きだが、ここぞという時の一発勝負で面白い構図を実現させてくれる頼もしいピンチヒッターだ。中でも特に面白いのが焦点距離25mm未満の超広角レンズで、四隅をうまく使えば複数のドラマを一枚の写真に同居させることができる。単に風景(遠景)を撮るだけなら30mm~40mmの準広角レンズでも充分だが、超広角レンズは四隅に据えたメインの被写体と画面を支配する風景を高いレベルで融合させることができるのだ。被写界深度が極めて深いため数段絞るだけでパンフォーカスにもなる。

超広角レンズの戦国時代に登場した
ISCOの弩迫力レンズ
1950年に世界初のスチル撮影用レトロフォーカス型広角レンズとなるAngenieux Type R1 35mm F2.5が登場し10年の歳月が流れた。レトロフォーカスの仕組みは単にバックフォーカスを稼ぎ一眼レフカメラへの適合を助けるだけではなく、周辺光量の減少を防いだり、ペッツバール和を抑制し周辺画質を改善させるなど、広角レンズの設計に数多くの利点を生み出すことがわかっていた。こうした長所に目をつけたレンズメーカー各社は、超広角レトロフォーカス型レンズの実現に向け研究開発にしのぎを削っていた。しかし、包括画角を広げながら写真の隅々まで一定レベルの画質を維持するのは容易なことではなく、1959年にCarl Zeiss Jena Flektogon 25mmF4とAngenieux Type R61 24mmF3.5が登場するまで、この種のレンズが焦点距離を10mm短縮させるのに10年近くもの歳月を要している。
今回取り上げる1本はSchnaiderグループ傘下のIsco-Göttingen(イスコ・ゲッチンゲン)社が1959年に発売したM42マウントの超広角レンズWestrogon(ウエストロゴン) 24mm F4である。Schneiderグループと言えばLeitzへのOEM供給として1958年にSuper-Angulon 21mmを先行投入しており、後にレトロフォーカス型広角レンズの分野にも積極的に参入している。ただし自社ブランドによる超広角レンズは意外なことにWestrogonのみであった。本レンズの第一印象はやはり強烈なインパクトを放つ鏡胴のデザインであろう。FlektogonやEurygonのゼブラ柄デザインも凄かったが、Westrogonはそれらに勝るとも劣らない堂々とした存在感である。本品には焦点距離の異なる3本の姉妹レンズがあり、準広角レンズのWestron 35mm F2.8、標準レンズのWestrocolor 50mm F1.9, 望遠レンズのWestanar 135mm F4などがWestrogonと共に市場供給されていた。これらは明らかに旧東ドイツのZeiss製品に対抗することを意識したラインナップである。その決定的な証拠はレンズの光学設計(下図)の中からも読み解くことができる。

Westrogon 4/24の光学系。1960年のチラシからトレースした。構成は6群8枚のレトロフォーカス型。Carl Zeiss Jena Flektogon 35mmの光学系をベースとしており、第2群にはり合わせ面を持つ1群2枚の色消しユニット(新色消し)この部分で非点収差と倍率色収差を強力に補正することで四隅の画質を補強し、超広角に耐えうる性能を実現したものと思われる。
光学系は6群8枚で一見複雑で独特な構成にも見えるが、よく見ると第2群のはり合わせレンズを取り除けばFlektogon 35mm F2.8(初期型1950年登場)の光学系そのもので、後群はBiometarである。つまり、Westrogonは旧東ドイツのZeiss Flektogon 35mmおよびその設計の元になったBiometarから発展したレンズなのである。第2群には「新色消し」ユニットを配置し非点収差と倍率色収差を補正(詳細は上図のキャプションを参照)、更なる広角化のために四隅の画質を補強したレンズということになる。レンズを設計したのは東ドイツのVEB Zeiss Jena社でフレクトゴンの設計にかかわったRudolph Solisch(ルドルフ・ソリッシ)という人物で、1956年にZeiss JenaからISCOに移籍している(Pat. DE1.063.826)。最前部に大きく湾曲した凹レンズを据えているのはレトロフォーカス型レンズに共通する特徴で、バックフォーカスを延長し一眼レフカメラに適合させる働きがある。また、この部分に備わった光線発散作用により第2群の新色消しユニットで補正できない球面収差を補正することができる。両レンズ間の凸空気レンズの働きを利用すれば球面収差の中間部の膨らみを叩く事もでき解像力の向上に効果がある。
 
入手の経緯
2012年12月にebay(ドイツ版)を介しドイツの写真機材店から即決価格で落札購入した。商品ははじめ179ユーロで売り出されていたが値切り交渉によって159ユーロ(+送料40ユーロ)で手中に収めた。商品の状態については、「グット。鏡胴には僅かに傷がある」と簡素であったが、このセラーは大きな問題を抱えた商品以外で「グット」と簡単に評価するのが慣例文句のようなので、状態は良好と判断。商品は1週間で届き、やはり状態の良い文句なしの品であった。今回は幸運にも安く購入できたが、ややレアなレンズなので本来は200ユーロを超える額で取引されることも珍しくは無い。しかも、中古市場に出回る製品個体はEXAKTAマウントが大半であり、M42マウントの個体が出てくることは極めて稀。本来はもっと高価なのだと思う。ラッキーな買い物であった。
重量(実測)436g, 絞り羽 8枚, 最短撮影距離 0.5m, フィルター径 82mm, 絞り F4-F22, 半自動絞り, 焦点距離 24mm, 光学系は6群8枚構成のレトロフォーカス型, EXAKTAマウントとM42マウントの2種のモデルが存在する
撮影テスト
Camera: デジタル:EOS 6D / 銀塩:minolta X-700
EOS 6Dではフォーカスを無限遠近くにあわせると後玉のガードがカメラのミラーに干渉するので、ミラーアップ・モードで撮影することが必須となる。X-700ではミラー干渉の心配はない。

超広角レンズの描写性能で特に期待を寄せる部分は周辺部の画質だ。WESTROGONの場合は四隅のごく近くで解像力が不足し、開放では若干の周辺光量落ちもみられる。ただし、歪み(歪曲収差)は非常に良く補正されており、微かに樽型だが通常の撮影では殆んど判別できないレベルに抑えられている。ハロやコマは開放でも殆んど目立たずスッキリとヌケの良い写りだ。逆光撮影には弱く、撮影条件が悪いと画面の一端(空などの光源側)からフレアが発生しコントラストが低下気味になる。カラーバランスはノーマルで、フレアさえ出なければ発色も悪くない。黎明期の超広角レンズに解像力の高さを求めるのは期待のかけ過ぎであろう。広い包括画角の全画面に渡り、破綻の無い画質を実現する事が精一杯の目標だったからである。むしろ、これだけまともに写るWESTROGONの描写性能に敢闘賞を捧げたい。
F8, EOS 6D(AWB): このスカッとした開放感は超広角レンズならではのものだ!歪みは殆んど判別できない

F8, EOS6D(AWB): ホイアンの民芸品店。ろくろ台の上に陶土を置き変形させるところ。表情はサブの被写体として四隅に配置した
F8, EOS6D(AWB): そして完成!あっという間の出際良さで、さすがに職人だ。殆んど見ずに造っていたような作業工程だった
F11, 銀塩ネガ(Fujicolor S200): 今度はフィルム撮影。とてもヌケがよくコントラストも良好だ
F8, EOS 6D(AWB): 四隅の近辺で解像力不足がみられる
F11, EOS 6D(AWB): パンフォーカスによる一枚。フレアが出やすいのは、この種の超広角レンズによくあることだ。フードを装着すれば少しは改善するかもしれない(私はケラレの心配を憂慮し未装着)。曇り空のもとフレアが発生するとコントラストは下がり気味で、淡くあっさり目の発色傾向になる。写真はベトナムの日本橋で撮影したもの。この橋はホイアンを拠点に朱印船貿易で財を成した日本人が16世紀に建てたもので、ベトナム戦争でも破壊されず、現在は世界遺産の街ホイアンのシンボルになっている






F8, EOS 6D(AWB): 橋の袂(右下)、ピンク色の壁の付根あたりに注目。四隅での解像力不足が良くわかる。この橋の近くにある屋台でカメラオタク風の3人の外国人観光客(男性)に声をかけられた。3人は既に意気投合している様子で、そこに私がカメラをぶら下げて同席したというわけだ。相手の熱いまなざしに、はじめホモの男喰家集団ではないかと恐れたが、一人はオリンパスのフォーサーズ機にMFレンズを装着したフランス人、2名のアジア人の片方がM42のTakumarをEOS 5Dに装着しており、なんだそういうことかと安心した。その後、私のWestrogon+EOS6D渡すと楽しそうに試写していた。4人でベトナム風あんみつのチェーを食べながらレンズ話に盛り上がったひと時であった


F5.6, EOS 6D(AWB): 我娘もろくろ台を使った陶器造りに挑戦。楽しそう

超広角レンズは使っていてとても楽しいアイテムである。被写界深度が極めて深く目測でもピントあわせができるので、構図を考えることに集中できる。手に入れる機会があれば今度はBIOGON 21mmあたりにもトライしてみたい。