歴史の淀みを漂う珍レンズ達 part.4
クアドラプレットを組み込んだ
幻の広角レンズ
G.Rodenstock Doppel-Anastigmat HELIGONAL 6cm F5.2(ドッペル・アナスティグマート ヘリゴナル)
レンズの設計構成は描写の性格を決める重要はファクターなので、構成が特異なレンズには俄然興味が沸いてくる。1905年に登場したドイツ・ミュンヘンの光学メーカー、ローデンストック(G. Rodenstock)社のヘリゴナル(HELIGONAL)は、まさにそんなマニア心をくすぐるレンズの一つであろう[1]。このレンズは現存する個体数が極めて少ないため、レンズフリーク達が探し求める幻のレンズとして指名手配されている[3]。私も以前から気になりマークしていたが、ある日、偶然にも入手できたのでレポートしてみたい。
ヘリゴナルは1905年に登場し、少なくとも1911年まではエストニア向けのカタログに掲載があったため確かに供給されていた[3]。レンズについての資料は極めて少なく、キングスレークの本[4]に簡単な記載がある以外には、専門誌に掲載されていたチラシがネットで見つかる程度である[5,6]。しかも、チラシにはスペックに関する詳細が何一つ記されておらず、推奨フォーマットはおろか搭載されていたカメラが何であったかなど不明な点が多い。文献[7]には広角レンズと記されており、35mm換算で焦点距離21mmから30mm辺りの推奨画角とあるが、根拠となる資料がないうえ、どうも使用してみた感触では、30mmから40mm(中判6x6フォーマットか645フォーマット)あたりではないかと考えるようになった。
レンズの設計は前群にダブレット(2枚玉)、後群にプロターリンゼ型のクアドラプレット(4枚玉)を配置した独特な構成形態をとっており(下図)、前群を外した後群だけの状態でも、口径比F12のアナスティグマートとして撮影に使用できる。黎明期の広角レンズには珍しく前・後群が非対称のため、発売当初は専門誌からかなり酷評された[1,3]。当時の広角レンズはまだ対称型が主流で時代が早すぎたのであろう。しかし、実際には開放から充分な画質が得られることから、評価は次第に良くなっていったそうである。
G.Rodenstock Heligonal F5.2(1905-1911)構成図: 文献[2]からのトレーススケッチ(見取り図)。全群は2枚のはり合わせによるダブレット、後群はCarl Zeiss(パウル・ルドルフ設計)が1895年に発売した4枚玉のプロターリンゼ型クアドラプレットである |
ヘリゴナルのような接合面を多く持つ密着タイプの設計構成はこの時代以前の主流であったが、レンズ設計の軸足はテッサーやダイアリートなど明るいレンズを設計するのに有利な分離タイプにシフトしてゆき、このレンズも短い期間の供給のみで、1912年の同社の輸出カタログでは姿を消している[8]。第一次世界大戦後にも同社から全く同名のレンズが発売され1925年頃まで供給されていたが、そちらはよくあるラピッドレクチリニアタイプのポートレート用レンズで、海外のオークションにも度々登場する[3]。
★入手の経緯
今回のモデル(広角ヘリゴナル)を購入する場合、ポートレート用ヘリゴナルとの識別が大きなポイントになるが、ネットオークションでの識別は容易なことではない。唯一のヒントはローデンストック社のカタログに掲載されていたイラスト[3]であろう。これをみて鏡胴のデザインで判断することと、鏡胴側面に記載されたF5.2の口径比のみが確かな糸口となる。同社の製品台帳には1934年よりも前の情報が欠落しているため、シリアル番号から製品個体の製造年を割り出す事はできない[9]。
ある日、日本のヤフー・オークションに広角ヘリゴナルと思われる個体が登場。みるとシリアル番号が8000番台と極めて初期のレンズであったので、期待は一気に高まった。ポートレート用ヘリゴナルとの違いを知るマニアは日本にいくらもいないので、これは千載一遇のチャンスと入札、レンズは3万円ちょっとで私のものとなった。届いたレンズが広角ヘリゴナルであることを判断するには現物の後群がクアドラプレットである事を確認するだけだ。「レンズ神よ。これまで何度も幸運を分け与えてくれたが、今もう一度チャンスを分け与えたまえ~」。後群を覗き込むと思わず溜め息が出た。暗い反射が3個に明るい反射が2個のクアドラプレット。紛れもなく広角ヘリゴナルであった。
G.Rodenstock Doppel-Anastigmat Heligonal 60mm F5.2: 絞り羽 10枚構成, 構成2群6枚ヘリゴナル型, 絞り 5.2/6.3/7.7/9/11/16/22/31/?, フィルターネジなし |
★参考文献
[1]Johnson, George Lindsay, Photographic Optics and Colour Photography: Including the Camera, Kinematograph, Optical Lantern, and the Theory and Practice of Image Formation., New York: D. Van Nostrand Company(1909)
[2] 構成図の掲載雑誌:Forsner's Fotografiska Magasin, Priskurant I, 1910-11, Stockholm Örebro
[3] camera-wiki, HELIGONAL
[4] 「写真レンズの歴史」キングスレーク著 朝日ソノラマ
[5] Rodenstock社の広告(1906年) フランス語(LINK)[6] "LES ANASTIGMAT RODENSTOCK sont superieurs, Representant" L.CAVALIER, PARIS (1908年)フランス語(LINK)
[7] Lens Collectors Vade Mecum, 3rd edition
[8] G. Rodenstock Lenses of Quality Catalog 1912 for USA
[9] Rodenstockの台帳には1934年よりも古い記録がないため、いったい何本のレンズが作られたかなど、このレンズに関する確かなデータを得ることはできない
[9] Rodenstockの台帳には1934年よりも古い記録がないため、いったい何本のレンズが作られたかなど、このレンズに関する確かなデータを得ることはできない
★撮影テスト1
中判 6x9 format (PaceMaker SPEED GRAPHIC)
文献[7]にはレンズのイメージサークルが中判6x9フォーマットを余裕でカバーできるとあったものの、四隅の光量落ちが目立つ結果となった。ちなみにレンズを中判6x9フォーマットで用いた場合の撮影画角は、35mm判における焦点距離26mm相当とかなり広い。光量落ちを狙う場合はこれでもよいが、避けたいならば6x6よりも小さな撮影フォーマットがよいだろう。
開放から滲みやフレアは見られず堅実な写りで歪みもたいへん小さい。ボケは安定しており、グルグルボケや放射ボケなどは見られない。
F7.7, 銀塩カラーネガ6x9 format(Kodak Portra 400/彩度・減) 四隅の光量落ちがやや強い。好きか嫌いかと言われれば勿論すきだ |
F7.7, 銀塩カラーネガ6x9 format(Kodak Portra 400) |
F7.7, 銀塩カラーネガ6x9 format(Kodak Portra 400/彩度・減) 雰囲気を出すためシャッタースピードを上げて露出を少し落とし、光量落ちを目立つようにしている。また、フォトショップで彩度を少し下げている。中心は緻密に描写されている |
F5.2(開放), 銀塩カラーネガ 中判6x9 format(Kodak Portra 400) 今度は露出をあげ、開放で撮影した。フレアは少なく、歪みは小さい |
★撮影テスト2
中判6x7フォーマット (PaceMaker SPEED GRAPHIC)
四隅に顕著な暗角が出たため、今度は中判6x7フォーマットで撮影してみた。依然として光量落ちの目立つ撮影結果であるが、かなり改善されている。
F8, 銀塩カラーネガ 中判6x7format(FUJIFILM PRO160NS) 太陽を入れたド逆光。この時代のレンズにしては、なかなかの逆光耐性で濁りはそれほどきつくない |
F8, 銀塩カラーネガ 中判6x7 format(FUJI PRO160NS) 階調描写はドッペルプロタ―によく似ており、この時代のBテッサーF6.3に比べても明らかに軟らかい |
F8, 銀塩カラーネガ 中判6x7 format(FUJI PRO160NS) まだ四隅の暗角はきつめだ。6x6でも広いということかな |
F5.2(開放)銀塩カラーネガ 中判6x7format(FUJIFILM PRO160NS) ボケ味は素直だ。 |
フルサイズフォーマット
CAMERA: SONY A7RII
6x7フォーマットでも暗角は目立っていたので、645フォーマットあたりがジャストサイズのように思えてきた。最後にフルサイズフォーマットでの作例もみてみよう。
写りは中判カメラの時よりも明らかに軟調。開放から滲みやフレアなどはなく、少し淡いあっさりとした発色傾向とともに軽やかな心地よいトーンに仕上がる。フルサイズフォーマットでも画質的に無理はない。
F7.7, sony A7R2(WB:晴天) 発色は淡く、軽い仕上がりになる |
F5.2(開放) sony A7R2(WB:晴天, ISO1000) 35mmフォーマットでも無理のない撮影結果が得られる |
F5.2(開放) sony A7R2(WB:晴天, ISO1000) |
F7.7, sony A7R2(WB:晴天、ISO1000) 逆光も平気 |
F7.7, sony A7R2(WB:晴天) |
F11, sony A7R2(WB:晴天) |