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2015/04/13

Boyer Paris Saphir 《B》 85mm F3.5

1895年にフランスのパリで創業したレンズ専門メーカーのBOYER(ポワイエ)社。同社でレンズの開発を率いていたのはSuzanne Lévy-Bloch (スザンヌ・レビー・ブロッホ) [1894-1974] という名の女性設計士である[脚注1]。Boyer社のレンズには宝石や鉱物の名称が当てられることが多く、Saphir (サファイア/蒼玉)、Topaz (トパーズ/黄玉)、Perl (パール/真珠)、Beryl (ベリル/緑柱石)、Emeraude (エメラルド)、Rubis (ルビー)、Jade (ジェード/ひすい)、Zircon (ジルコン/ヒヤシンス鉱)、Opale (オパール)、Corail (サンゴ)、Onyx (カルセドニー)などレンズの構成や用途ごとに異なる名がつけられている。Boyer社の詳細については2008年に公開されたDan FrommとEric Beltrandoのたいへん詳しい解説があり、この記事のおかげで長い間謎だった同社の歴史や製品ラインナップの詳細が明らかになった[文献1]。Danは世界的に有名なオールドレンズの研究家である。今回はこの記事を参考にしながらBoyer社が1970年代に生産したPlasmat/Orthometar (プラズマート/オルソメタール)型レンズのSaphir 《B》を紹介する。
 

パリで生まれた宝石レンズ 2
Boyer Paris SAPHIR《B》(サファイア《B》85mm F3.5

SAPHIR 《B》は4群6枚の構成を持つPlasmat/Orthometarタイプの引き伸ばし用レンズである(下図参照) [文献1]。このタイプのレンズは口径比こそ明るくないが画質には定評があり、大判撮影用レンズや引き伸ばし用レンズなどプロフェッショナル製品の分野では今も活躍を続ける優れた設計構成として知られている。代表的なレンズとしてはMeyerのDouble Plasmat F4とSatz Plasmat F4.5 (P.Rudolph, 1918年 DE Pat.310615) [文献2]、ZeissのOrthometar F4.5 [W.W.Merte, 1926年 DE Pat. 649112]、現行モデルではSchneiderのComponon-S F4(コンポノンS)とSymmar F5.6(ジンマー)がある。光学設計の特許としては1903年にSchultz and Biller-beck社のE.Arbeit(アルベルト)がDagor(ダゴール)の内側の張り合わせをはがし空気レンズを入れることで明るさを向上させたEuryplan(オイリプラン)[文献3]が最初である。Schultz and Biller-beckは1914年に当時すでに緊密な協力関係にあったMeyerに買収されており、Euryplanの設計特許は当時Meyerのレンズ設計士だったP.Rudolph (ルドルフ博士)の手によって前後群を非対称にしたPlasmatの開発に再利用されている[文献4]。この種のレンズは写真の四隅まで解像力が良好なうえ色ずれ(カラーフリンジ)を良好に抑えることができ、広いイメージフォーマットの隅々までフィルムの性能を活かしきることが求められる大判撮影や中判撮影にも余裕で対応することができる。また、絞っても焦点移動が小さいため引き伸ばし用レンズとしても優れた性能を発揮でき、この製品分野ではワンランク上の高級モデルに使われる構成となっている。明るさはF4程度までとなるため高速シャッターで手持ちによる撮影を基本とする35mm判カメラの分野で広まることはなかったが、Saphir 《B》は頭ひとつ飛びぬけたF3.5を実現し、同型レンズの中ではFujinon-EP 3.5/50とともに突出した明るさとなっている。レンズの名称はもちろん宝石のサファイア(蒼玉)である。SaphirはBoyer社がレンズにつける名称として最も多用した宝石名で、この名をもつレンズのみGauss型、Tessar型、Plasmat型、Heliar型(APO仕様)など光学系の構成が多岐にわたる[文献1]。設計士スザンヌが最も好んだ宝石だったのではないだろうか。今回入手したレンズ名の末尾に《B》の記号がついているのはTessarタイプのSaphirと識別するためである。《B》の表記があるものがPlasmat型で、無表記のものがTessar型またはGauss型となっている。《B》の表記が引き伸ばし用レンズを意味しているわけでないことはTessarタイプのSaphirにも引き伸ばし用モデルが存在し《B》の表記が無いことから明らかである。第二次世界大戦前の1939年までに少なくとも6種類のノンコート・モデル(焦点距離85mm, 100mm, 110mm, 120mm, 135mm, 210mm)がF4.5の口径比で発売され、戦後は1970年代初頭にBoyer社が倒産した後、同社の商標と生産体制を引き継いだCEDIS-BOYER社から口径比F3.5を持つ少なくとも9種類のモデル(焦点距離25mm, 35mm, 50mm, 60mm, 65mm, 75mm, 80mm, 85mm, 95mm)と、口径比F4.5を持つ少なくとも6種類のモデル(100mm, 105mm, 110mm, 135mm, 150mm, 210mm)、および300mm F5.6が供給された。なお、このレンズにはSAPHIR 《BX》という名で1970年代に発売された後継製品が存在する。レンズの生産と供給は1982年まで続いていた。

[脚注1]Suzanne Lévy-Bloch(スザンヌ・レビ-・ブロッホ)[1894-1974] ・・・パリで活動していたアルザス人建築家Paul Bloch(ポール・ブロッホ)の娘。数学で学位を取り、シネマスコープの発明者として名高い天文学者Henri Chrétien(アンリ・クレティアン)に師事、P.Angenieux(ピエール・アンジェニュー)もHenriに師事した同門生である。その後、Henriが創設に協力したパリの光学研究院(Institut d'optique théorique et appliquée)のエンジニアとなっている。夫のAndréが1925年に創業者Antoinr Boyer(アントワーヌ・ポワイエ)の一族からBoyer社を買い取り経営者につくと31歳で同社の設計士となり、その後はAndréと死別する1965年まで数多くのレンズ設計を手掛けている。(M42 MOUNT SPIRAL 2013年2月28日でまとめた記事を要約)

Boyer Saphir 《B》(1931)の構成図トレーススケッチ。本レンズは引き伸ばし用なので光学系の左右の位置関係が普通のレンズとは逆で、銘板のある側が後玉となる。上図で言うと光はフィルムを通過後に左側(マウント側)から入り、矢印に沿って進み、銘板のある右側へと抜けたあと印画紙へと届く。構成は4群6枚のPlasmat/Orthometar型である。非点収差と倍率色収差の補正効果が優れ、写真の四隅まで高解像なうえ、色ズレ(カラーフリンジ)を良好に抑えることができるという特徴を持つ。また画角を広げてもコマ収差がほとんど変化しないため広角レンズにも向いており、かつては航空撮影用や写真測量用の広角レンズにも使われていたことがある。絞っても焦点移動が小さいため引き伸ばし用レンズにも好んで用いられる設計である。各エレメントを肉厚にすることが収差的に上手く設計するコツなのだそうである[文献5]









参考文献
重量(実測) 270g, F3.5-F16, 絞り羽 16枚, 焦点距離85mm(実効焦点距離 87.3mm), マウント形状 L39/M39, 引き伸ばし用レンズ(エンラージングレンズ)


入手の経緯
レンズは2013年12月にebayを介して米国のロスチルド4さんから落札購入した。このセラーは同型レンズのデットストック品を次々と売り続ける人物のため、少し前からマークしていた。私は過去4回にわたりこのセラーから売り出された同一モデルのレンズに対して落札を試みたが、5回目にしてようやく入手に成功することができた。過去5回の落札額は250~300ドル+送料48ドルである。届いた品はやはり状態が良く、元箱とオリジナルキャップがついてきた。Boyer製レンズは最近になって広く認知されるようになり、エンラージングレンズであるにも関わらず、ここ1年間の推移を見ても相場価格が急激に高騰している。eBayでは2015年4月現在で同じ型のレンズが450ドルから600ドル程度で取引されている。
 
カメラへの搭載
引き伸ばし用レンズは一般にヘリコイド(光学部の繰り出し機構)が省かれており、一眼レフカメラやミラーレス機の交換レンズとして用いるにはヘリコイドユニットを別途用意し、これと併用する必要がある。レンズは通常マウント部がライカスクリューと同じM39/L39ネジになっており、変換リングを介してM42マウントの直進ヘリコイドに搭載することができ、M42レンズとして各種一眼レフカメラやミラーレス機等で使用することができる。M39-M42変換リングや直進ヘリコイドは一部の専門店に加えヤフオクやeBayで入手できる。なお、本レンズが包括できるイメージフォーマットは35mm判よりも広く中判6x6フォーマットでもケラれることなくカバーできるので、今回はレンズを中判カメラのBronica S2でも使用した。この場合は35mm判換算で46mm F1.9相当の画角とボケ量が得られる。レンズをカメラにマウントするには香港のレンズワークショップから入手した特製Bronica M57-M42マウントアダプターを用いている。ただし、フランジ長の関係で無限遠のフォーカスを拾うことができないので、撮影は近接域のみに限られている。 

撮影テスト
引き伸ばし用レンズとはフィルムに記録された細かいディテールを印画紙に正確に投影するために用いられるレンズである。写真用レンズとは異なり、そもそも平面であるフィルムの記録を同じく平面である印画紙に焼き付けることを目的とするため、撮影用レンズを上回る解像力を持つことは当然ながら、印画紙上で四隅まで均一な投影像が得られるよう収差補正されていることが重要である。例えばカラーフリンジや歪みは極限まで少ないことが好まれるし、像面湾曲も出来る限り小さくなるよう設計されている。このような用途の性格上、結果として立体感のやや乏しい平面的な写りになることは仕方のない事である。また、ワーキングディスタンスが近接領域に限られるので、収差の補正基準は普通の写真用レンズのように無限遠に取られているわけではなく近接域になっているのが普通で、マクロ撮影では非常に良く写る。画質設計にボケ味は考慮されておらず、どう写るかレンズを実際に使ってみないとわからない面白さがある。
Saphir《B》は流石に引き伸ばし用レンズというだけのことはあり、歪みや色収差は目立たないレベルまで抑えられている。また、近接撮影では良好な解像力を示し四隅まで画質には安定感がある。階調はなだらかに推移しながらもコントラストは良好でよく写るレンズである。発色はやや青みがかる傾向があり、偶然なのかはわからないが、まさにサファイアブルー!。そういえばBoyerにはルビーというレンズもあるが、このレンズの場合には赤みがかるのであろうか・・・そんなはずはないか。ボケは前後ともたいへん美しく、近接からポートレート域では背後にフレアが入るため滑らかなボケ味となっている。ポートレート域では僅かに背後にグルグルボケが出ることもあるが、目立つ程ではない。
以下では中判カメラによる銀塩撮影とデジタル一眼カメラによる作例を示す。



中判銀塩カメラ(6x6 format)による作例

使用機材
CAMERA: Bronica S2, 露出計: セコニック・スタジオデラックスL-398, FILM: Fujifilm Pro160NSカラーネガ, Kodak Portra 400(カラーネガ)
 
F8 銀塩撮影 Fujifilm PRO160NS + Bronica S2(6x6 format):さすがにエンラージングレンズ。近接撮影用を想定しているだけのことはあり、マクロ域でもピント部の描写は安定している。絞っても階調は軟らかく推移し、とても美しい描写である

F3.5(開放) 銀塩撮影 Fujifilm PRO160NS + Bronica S2(6x6 format):開放なので被写界深度はとても浅い。ピント部には十分な解像力があり、フィルム撮影で用いるには十分な性能である









F3.5(開放) 銀塩撮影 Fujifilm PRO160NS + Bronica S2(6x6 format): こちらも開放。これだけ写るのだから、素晴らしいとしか言いようがない。高解像なピント部とフレアに包まれる美しい後ボケが見事に両立している。 F5.6まで絞った同一作例はこちら



F11 銀塩撮影 Kodak Portra 400 + Bronica S2(6x6 format): 絞るとやはりシャープである。開放での同一作例はこちら


F8 銀塩撮影 Kodak Portra 400 + Bronica S2(6x6 format)

F8, 銀塩撮影(階調補正:黒締め適用),  Fujifilm PRO160NS + Bronica S2(6x6 format)
















35mm判カメラによるデジタル撮影
CAMERA: Sony A7
F8, Nikon D3(AWB): こんどはデジタル撮影。背景はコマフレアに覆われ美しいボケ味である


F8, Sony A7(AWB): 質感表現もバッチリでマクロ撮影用レンズとしても十分な性能だ。開放での描写(→こちら)はピント部にも僅かにフレアを纏うようになるが、解像力やコントラストは維持されている

上の写真の一部を拡大クロップしたもの。近接撮影での解像力は高く、質感を緻密に表現している
F3.5(開放), Sony A7(AWB):ポートレート域でも背景にモヤモヤとコマフレアが入り美しいボケ味を演出している。一方でピント部はスッキリとヌケが良い。器用な描写特性を持つレンズだ






F3.5(開放), Sony A7(AWB): コントラストは良く、ピント部はシャープである

F5.6, Sony A7(AWB): 

F3.5(開放), Sony A7(AWB): 開放でもコントラストは良好

F8, Sony A7(AWB): 強い日差しでも階調硬化はみられない








F5.6, Sony A7(AWB): フィルターねじが無いレンズなのでフードはつかないが、屋外での使用時でもゴーストやハレーションはあまり出なかった
F5.6, Sony A7(AWB): この日は小学校の入学式。記念撮影です

2012/01/05

Meopta Meogon 80mm F2.8 改M42 (L39/M39 Enlarging lens)


Meopta Meogon 2.8/80の前期モデル(上)と後期モデル(下)
 
四隅までスカッと写る驚異の5枚玉
PART2: MEOPTA MEOGON 2.8/80


Biometar/Xenotar型レンズの優れた描写特性は平面像の精密複写に適していることから、活躍の舞台は引き伸ばし用レンズ(エンラージングレンズ)の分野にも広がった。シリーズ第2回はチェコ(旧チェコスロバキア)のPrerov(プレロフ)に拠点を置き、暗室用具やシネマプロジェクターの分野で中東欧最大級の規模を誇る光学機器メーカーのMeopta(メオプタ)社が1960年代から1970年代にかけて生産した引き伸ばし用レンズのMeogon(メオゴン) 80mm F2.8である。引き伸ばし用レンズは画質への要求の高さから一般に小口径の製品が多く、35mmの一眼レフカメラに転用した場合には表現力に不満が残る。Meogonのように80mm F2.8(50mm換算でF1.75)と大きな口径を実現した常用画角の製品は稀である。この口径で引き伸ばし用レンズに求められる高い画質基準をクリアできたのは、画角特性の良いBiometar/Xenotarタイプの光学設計だからこそであろう。
Meogonの光学系で左側が前群側となる。後群にある凹メニスカスレンズはBiometarよりもやや厚く、Unilite型よりも薄い
MEOGONにはゼブラ鏡胴の前期モデルとダークブルー色の後期モデルが存在する。両者の光学系はコーティング色の構成と配置まで含め同じにみえる。試しに両者の前群を交換してみたが、撮影には全く支障がなかったことから、やはり前期モデルと後期モデルは光学系が同一なのであろう(2本とも買う必要はなかった・・・)。製品個体に表記されたシリアル番号が4桁しかなく、生産数はあまり多くなかったようだ。レンズの設計構成をみると、Biometar/Xenotar型レンズの特徴である後群の凹メニスカスレンズがBiometarよりもやや厚く、Unilite型よりも薄い。このレンズエレメントの厚みは描写設計と密接に関わっており、薄くしてゆくとトポゴン型レンズの性質が優位になり画角特性(周辺部の画質)が向上、Biometar / Xenotarタイプのように隅々まで均一な画質になる。逆に厚くしてゆくとガウス型レンズの性質が優位に強まり、大口径化が容易になる。Meogonの描写特性はBiometar/XenotarタイプとUniliteタイプの中間的な位置付けにあるようだ。

MEOPTA(メオプタ)社
同社は1933年に旧チェコスロバキアの小都市Prerovにて、地元の工業学校教授Alois Mazurka博士の主導のもと設立されたOptikotechna(オプティコテクナ)社を前身とする光学機器メーカーだ。博士は就労先の工業学校に光学専攻を設けることに尽力し、それがOptikotechna社の設立に繋がった。設立後は引き延ばし機、暗室具、暗室用コンデンサー、プロジェクター装置などの生産を手がけ、1937年には郊外に新工場を建設し事業規模を拡大した。1939年に6x6cm判の二眼レフカメラFlexette(フレクサット)を開発することでカメラ産業へも進出している。しかし、間もなくチェコスロバキアはドイツ帝国による支配をうける。第二次世界大戦が始まり、同社はドイツ軍の要求に応じ軍需品(望遠鏡、距離計、潜望鏡、双眼鏡、ライフル)を製造するようになる。大戦終結の翌年1946年にOptikotechna社はチョコスロバキア共産党政権の下で国営化され、現在のMEOPTAへと改称された。社名の由来はME(機械:mechanical)+OPTA(光学機器:Opical device)である。戦後のMEOPTA社は引き延ばし機の分野で世界最大規模のメーカーに成長し、また中東欧における唯一のシネマプロジェクター製造メーカーとなった。しかし、戦後の東西冷戦体制がMEOPTAを軍需産業メーカーへと変えてしまった。1971年にはワルシャワ条約機構軍への軍需品生産が売上高の75%を占めるまで増大し、同社は正真正銘の兵器開発メーカーになっていた。国営企業が武器を生産し戦争・破壊行為に荷担する事への避難の声が国内外から高まっていた。こうした企業体質を変えようとする動きは冷戦構造の崩壊、1989年のビロード革命による共産党政権の崩壊を経て僅かに前進した。1988年にMeoptaはライフルの減産を発表し、1990年に生産を0%とすることで兵器産業からの脱却を宣言している。ただし、この数値にはライフル照準器や戦車の照準器などが武器としてカウントされておらず、同社は今現在も軍需光学製品を生産しており、軍需産業からの脱却には至っていない。Meopta社は1992年に民営化を果たし、今もチェコを代表する東欧最大級の光学機器メーカーとして企業活動を継続させている。

引き伸ばし用レンズ(エンラージングレンズ)の魅力
引き伸ばし用レンズとはフィルム像を印画紙に焼き付ける行程で用いられる複写用レンズである。描写設計が近接撮影に最適化されているものの、無限遠からの一般撮影にも使用可能で、絞り開放時には残存収差が現れ描写がソフトになる。これを好んで一般撮影(規格外の遠距離撮影)で使用する者もいる。収差が過剰に補正されていることから近接撮影で高解像な画質が得られるのはともかく、一般撮影で数段絞って使用した場合において球面収差の膨らみが全くなくなり、極端に高解像なレンズへと化けるケースもある。収差変動によりメーカーも想定していなかった一芸に秀でた描写力を示すケースである。しかし、単なるダメレンズにしかならない可能性も大いにある。この種のレンズを一般撮影に用いる遊びはコアなマニア達によって細々と続けられてきたが、口に出して魅力を語る人は少なく、どのレンズがどうなのかなど情報は極めて少ない。一流メーカーのレンズが非常に安く手に入るので、エンラージングレンズはレンズ遊びの穴場と言ってよい。

MEOGONをヘリコイドユニットにマウントする
引き伸ばし用レンズはヘリコイド(光学部の繰り出し機構)が省かれており、一眼レフカメラやミラーレス機の交換レンズとして用いるには下の写真のようにヘリコイドユニットに装着する必要がある。多くはマウント部がライカスクリューと同じM39/L39ネジになっており、変換リング(写真・左)を介してM42マウントのフォーカッシングヘリコイド(写真・中央のBORG製OASYS 7842)に搭載することができる。ちなみに、もう少しストロークの長いヘリコイドユニット(OASYS 7841)でも同様の改造にトライしてみたが、内部の天板がレンズの後玉ガード部に当たり無限遠のフォーカスが得られなかった。そこで仕方なくOASYS 7842を用いることになったのだが、マウント部とヘリコイドユニットの間に無駄な隙間(写真・右)ができてしまった。沈胴式みたいな姿でカッコイイと思うのは私だけであろうか?。このレンズを見た某人は、これを「沈胴しない式」と表現していた・・・トホホ。
本品を含め引き延ばし用レンズにはヘリコイドがついていない。一眼レフカメラで使用するために別途フォーカッシングヘリコイド(BORG製OASYS 7842)とM42-M39変換リングを用いてM42マウントに変換している。M42-M39変換リング(写真・左)はeBayにて5ドル程度(送料込み)で入手できる。ちなみに中国製のフォーカッシングヘリコイド(17-31mm)でも問題なく使用可能であった
入手の経緯
ゼブラ柄の前期モデルはポーランド版eBayを介し、2011年12月に個人の出品者から購入した。商品の状態は「非常に良い」と簡素な記述であった。2週間後に届いた品はチリやホコリの混入があったが前群を外して内部をブロアーで吹いたら完全に綺麗になった。ガラスは拭き傷すらない極上の状態で、こりゃラッキー。海外相場は65~90ドル程度とたいへん安く、ヘリコイドユニットと変換リングを合わせても150~170ドルとコストパフォーマンスのたいへん良いレンズだ。ちなみにMeogon 80mm F2.8は後期モデルを目にすることが多く、ゼブラ柄の前期モデルは希少性が高い。
Meogon 80mm F2.8(前期型):重量(実測・ヘッド部のみ) 186g, フィルター径 39mm, 絞り値 F2.8-F22, 構成 4群5枚Biometar/Xenotar型, ヘッド部ネジ M39(ライカL互換), 絞り羽枚数 5枚, 絞り機構 手動(マニュアル),コーティングはアンバー系が中心で一部マゼンダ系

ダークブルー色の後期型モデルは米国版eBayを介しスロバキアのカメラ用品業者(取引件数は何と19128件!!で好評価100%)から2011年11月に落札した。商品の状態はMINT in BOX(箱入りの新品同様品)で「未使用のオールドストック品、カビ、クモリ、傷がなく、絞りリングはスムーズ」とのこと。良くわかる拡大写真を提示しており、後玉についた指紋までクッキリと見えた。ただし、箱は50mm/F2.8のMeogon Sのものであり、元々の箱はロストしているとのこと。最近知ったアンドロイド携帯用のスナイプ入札ソフトで120ドルの最大入札額を設定し放置したとこと、89ドル(送料込の総額106ドル)で落札されていた。私以外にはフランスから1名の入札があり一騎打ちとなった。円高パワーをナメたらあかんでぇ!日本経済ごめんなさい。さすがにこんなレンズを狙うのはXenotar型レンズの愛好者ぐらいであろう。10日後に届いたレンズは僅かにホコリの混入がある程度で十分に良い品であった。こちらの海外相場も前期型とほぼ同じである。認知度が低く、レアであるにも関わらず相場は安い。
Meogon 80mm F2.8(後期型): 重量(実測・ヘッド部のみ) 176g, フィルター径 39mm, 絞り値 F2.8-F22, 構成 4群5枚Biometar/Xenotar型, ヘッド部ネジ M39(ライカL互換), 絞り羽枚数 5枚, 絞り機構 手動(マニュアル), コーティングはアンバー系と一部マゼンダ系の混合



撮影テスト:解像力はBiometarと同等。撮る対象を選ぶ事が肝心
 Biometar/Xenotarタイプのレンズにはガウスタイプのような画面中央部の突出した解像力はないが、そのかわりに四隅まで解像力の落ちない優れた画角特性が備わっている。このレンズはキレるなと人が目で見て感じる作例の多くは被写体をアップで写すような場合であり、このときに効果が表われるのは中央部を重視した1点突出型の解像力ではなく、分散型の解像力なのだ。引き伸ばし用レンズのMeogonにも四隅まで解像力の落ちない優れた画角特性が備わっている。
 Meogonを試写していて真っ先に気がついたのは後ボケが良く整っていることである。グルグルボケなど背景周辺部における像の流れが全くと言っていいほどなく、TessarやSonnarで撮ったのかと見間違えるレベルである。ただし、背景のボケ味は硬く、輪郭部にエッジが立つため、ザワザワと煩くなるケースがあり、撮る対象に注意する必要がある。世間には柔らかいボケを好む人が多いようだが、時には硬いボケも悪いものではない。像の形が崩れないので、上手く利用すれば例えば点光源などに対し、素晴らしい写真効果が得られる。コントラストは高くないため、ややあっさりとした淡泊な色のりとなる。曇天下にコンクリートなど灰色のものを撮ると青っぽく、また人の肌はやや白っぽくみえるなどクールトーン気味の発色である。F2.8の開放絞りでは球面収差の過剰補正が効き、像がややソフトでやわらかい描写になるが、1段絞るF4では周辺部まで解像力とコントラストが著しく向上、モヤモヤとしたものが無くなりスッキリと写るようになる。2段以上に絞った際の画質の向上は中央部・周辺部ともに僅かである。このレンズは一段絞ればほぼピーク性能に達するようで、最もおいしい絞り値はF4となる。開放絞りからF4までは解像力もコントラスト性能もBiometarと比べ全く遜色ない高いレベルに達している。安物なのに大したレンズだ。ただし、絞りを2段閉じた際にもコントラスト性能の更なる向上が見られるBiometarの方が、深く絞る際にメリハリの強い描写となる。
 Meogonは階調表現が鋭く、絞るとかなり硬い描写となる。建造物やモノ撮りには好都合だが、柔らかさが求められる人物撮影には向いていない。Biometarの時には温調な発色特性が硬質感を心理的に和らげてくれたが、Meogonはクールトーンなので、どうしても人が物体のように無機的に写ってしまう。描写特性による向き不向きをよく認識し、撮る対象を選り分ける必要がある。以下に銀塩撮影とデジタル撮影による作例を順に示す。もちろん、無補正・無加工だ。

★★銀塩(フィルム)撮影★★
使用フィルム Kodak ProFoto XL100 / Fujicolor V100
カメラ Pentax MX
minolta角形メタルフード(被せ式)使用
F4 銀塩撮影(FujiColor V100) 一段絞れば充分な解像力が得られる。背景にグルグルボケや放射ボケは全くでない。遠距離撮影で像面湾曲の補正がアンダーになっているのであろう。同類のBiometarやXenotarにはない大きなアドバンテージと言えるだろう。髪の毛のあたりを見てもらうとわかるが硝子のようにバキバキの質感である。階調表現が鋭く硬質感が強いので人を撮るには注意が要る

F5.6 銀塩撮影(Kodak ProFoto XL100) このレンズの長所はやはり四隅まで解像力が落ちないことである
F8 銀塩撮影(Kodak ProFoto XL100) 被写体を平面的に均質に写す際には大きな力を発揮する
F8 銀塩撮影(Kodak ProFoto XL100) 発色は青みがかる傾向が強くクールトーンだ

★★デジタル撮影★★
カメラ Nikon D3 digital
minolta角形メタルフード(被せ式)使用
F5.6 Nikon D3 digital(AWB): フィルム撮影の時にはシャドー部に青みがのるなどクールトーン調の発色であったが、デジタル撮影ではカラーバランスの自動補正が効くためかノーマルな発色となる

F2.8開放 Nikon D3 digital(AWB): このレンズの特徴である硬いボケを利用した作例。しかし予想以上にいい色がでるレンズだ。背景に伸びる枝の描写がとても気に入っている

F5.6 Nikon D3 digital(AWB): 世間には柔らかいボケを好む人が多いようだが硬いボケもそう悪いものではない
F5.6  Nikon D3 digital(AWB): 私は神社での作例作りに苦手意識があり失敗作の山を築き上げていたが、今回のMeogonは想像以上に頼りになるレンズなので、シャッターをガンガンを切ることができた
F5.6 Nikon D3 digital(AWB):周辺部の文字や蜘蛛の糸までクッキリと見える

F2.8  Nikon D3 digital(AWB):  近接撮影の場合は引き伸ばし用レンズの本領が発揮される。開放絞りから高い解像力となり、乾燥した肌の質感や鼻水の跡などがハッキリと写っている。ただし、髪の毛がガラスのような質感でバキバキ。人を撮るには硬すぎる描写だ
F11 Nikon D3 digital(AWB): 参考までに遠景も1枚加えておく。歪みはほぼないようだ。これは高速道路がビルを突き抜けている奇妙な風景だ

絞り値と画質の変化
画像中央部の解像力とコントラストを絞り値ごとに評価した。検査にはフルサイズ機のNIKON D3を用いている。最初の被写体は表面に凹凸のある錆びた金属車輪で、これを晴天時に屋外で撮影している。


ピント部は車輪中央部から上方へと伸びる細長い軸受けの表面である。ライブビューの拡大機能も援用し目でジックリとピントを合わせフォーカスエイドでチェックするという二段階ステップを踏んでいる赤で示した着色部を拡大し、絞り値ごとに並べたのが下の写真である。画像をクリックすると拡大画像が表示されるが、ブログの標準ビュアーが邪魔して写真が十分に拡大されない場合があるので、右クリックから画像をいったんPCに保存してご覧いただくのがよい。
写真をクリックすると拡大画像が表示されます
絞り開放のF2.8では像がややソフトになり階調表現もハイライト方向への伸びが僅かに悪い。1段絞るF4では解像力とコントラストがともに向上し、凹凸部がキッチリと再現されるようになる。ただし、2段以上絞っても画質の向上は僅かである。

Meogon vs Biometar どちらがシャープ?
次はBiometar(M42マウントの銀鏡胴タイプ)との比較によって、Meogonの相対的な画質を評価してみた。の写真はマンションのタイル表面を1m離れた位置から垂直に撮影したものだ。光軸合わせは画像中央部と、その左右端部の3点でフォーカスエイドが同時に点灯するように行っている。こちらのテストでもライブニューでジックリ合わせフォーカスエイドで確認をとる二段階ステップで、精確なピント合わせを行っている。実はここが最も根気の要る作業だ。画質の評価は画像中央部Aの領域と周辺部Bの領域で行った。撮影に用いたカメラはNikon D3である。



上の写真中央部のAの領域を拡大表示し、絞り値ごとに並べたのが下の写真だ。開放絞り(F2.8)では両レンズとも描写が僅かにソフトで細部の結像は甘いが、1段絞るF4では両者とも解像力が急激に向上、溝の中の極小サイズの凹凸までしっかりと再現されている。ただし、2段絞るF5.6では両者ともコントラストが若干高くなる程度で、画質の変化はごく僅かである。画像中央部における両レンズの画質はほぼ互角といってよい。両レンズとも1段絞るだけで画質はほぼピークに達する。
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 今度は右端Bの領域を拡大表示し絞り値ごとに並べたのが下の写真だ。さすがに中央部と比べ解像力とコントラストの低下が顕著で、F2.8の開放絞りでは質感が失われモヤモヤとしている。それでも過去に行った他のレンズに対するテスト結果より優位な画質であり、Biometar型レンズの画角特性の良さを実感できる。1段絞るF4では解像力とコントラストが大幅に改善し、溝中の小さな凹凸がしっかりと再現されている。2段絞るF5.6ではBiometarのみコントラストが僅かに向上しメリハリが増している。一方、Meogonの画質に大きな変化はみられない。F5.6以上に絞る際の画像周辺部のコントラスト性能はBiometarの方が僅かに優れているようだ。
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MeogonはBiometar並の高画質が得られるコストパフォーマンス抜群のレンズである。おもろいレンズを発掘でき今回は大満足であった。


NEX 5への搭載例


焦点距離105mm以下の常用画角を持つ大口径引き伸ばし用レンズ(口径20mmより大きなもの)
口径が大きい引き伸ばし用レンズはボケが大きく表現力に富むため、写真用レンズとしての転用価値が大きい。引き伸ばし用レンズの中にも稀に大きな口径を持つ製品が存在するので、情報を収集し整理ておく事には一定の価値がある。以下に焦点距離105mm以下の常用画角を持つ大口径(20mmよりも大きな口径)の引き伸ばし用レンズに関する情報を列記してみた。原則的に名の通ったメーカーの製品のみで、メーカー名がはっきりしないものはリストから除外している。レンズの口径(有効口径)を計算するには「焦点距離」を「開放絞り値」で割れば良く、計算方法は以下の通りとなる。

レンズの有効口径(effective aperture) X = 焦点距離(Focal length)開放絞り値(maximum aperture)

たとえばMeogon 80mm F2.8では X = 80mm ÷ F2.8 = 28.5 となる。ボーダーとなるX=20mmは50mmの標準レンズに換算した場合にF2.5の口径を持つレンズに相当する。計算例を挙げると、75mm F3.5ではX=75÷3.5=21.4mmなのでOK、75mm F4.5の場合にはX=16.6mmなのでNGということになる。ボーダーライン(ボーダー上は含めない)は焦点距離50mm F2.5、55mm F2.75、60mm F3、75mm F3.75、80mm F4、90mm F4.5、100mm F5となる。Xの値が大きいレンズほど、ある意味で表現力の豊かなレンズということになる。

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20mmより大きな口径(X>20mm)を持つ焦点距離105mm以下の
引き伸ばし用レンズ(メーカー名不明のレンズは除外)
Enlarging lenses with large effective aparatyure >20mm
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Schneider(Germany)
Componar 75mm f3.5(X=21.4)
Componar-S 105mm F4.5(X=23.3, Inverse tessar type,L39)
Leitz(Germany)
Focomat 9.5cm F4.5(X=21.1)
V-Elmar 100mm f1:4.5(X=22.2)
FujiFilm(JP)
E-Rector/Fujinar-E 75mm F3.5(X=21.4, Tessar-type)
Fujinon-ES 105mm F4.5(X=23.3)
Fujinon-ES 135mm F4.5(X=33.3)
Nikkon(JP)
EL-Nikkor 63mm F2.8(X=22.5)
Angenieux(France)
Type X1 75mm F3.5(X=21.4, L39, tessar type)
Meopta(CK)
Meogon 80mm F2.8(X=28.5,biometar/xenotar type)
Rodenstock(Germany)
Apo Rodagon-N 105mm F4(7 elements in 5 groups, X=26.3)
Aop Rodagon 90mm F4(X=22.5)
Rogonar-S 105mm F4.5(Tessar type)
Ross(UK)
Resolux 9cm f4(X=22.5, Tessar type)
Konishiroku/Konica(JP)
Hexar 75mm F3.5(X=21.4)
E-Hexanon 75mm F3.5(X=21.4)
MMZ(USSR)
INDUSTAR-58 ENLARGER 75mm F3.5(X=21.4, Tessar type)
VEGA 5U 105mm F3.5(X=30, Xenotar type)
Boyer Paris(France)
Topaz 75mm F2.9(X=25.9)
Saphir B 85mm F3.5(Euryplan type X=24.3)
Saphir B 75mm F3.5(Euryplan type X=21.4)
Taylor(JP)
Tayon 75mm F3.5(X=21.4)
minolta(JP)
E.Rokkor 75mm F3.5(X=21.4,L39)
Steinheil(Genmany)
Cassar 73mm F3.5(30mm thread)
Quinon 56mm F1.9(X=29.5) rare
Wollensak(USA)
velostigmat enlarging 89mm F3.5(X=25.4)
velostigmat 85mm F3.5(X=24.3)
Schacht(Germany)
Travegar 75mm F3.5(X=21.4,L39)
Dallmeyer(UK)
100mm F4.5(X=22.2)
Kodak(USA or Germany)
Color Printing Ektar/Enlarging Ektar
87mm F4.5, 93mm F4.5, 96mm F4.5, 100mm F4.5, 103mm F4.5
Beseler(USA/OEM product made in Wetzlar Germany)
Beslon 100mm F4.5(X=22.2)
Beseler 75mm f3.5(X=21.4)
Omega(USA/OEM)
EL-OMEGAR 75mm F3.5(X=21.4)
VOSS 75mm F3.5(X=21.4, L39,Triplet)
LPL(JP)
75mm F3.5(X=21.4, L39)
Nitto kogaku(JP)
Kominar-E 75mm F3.5(X=21.4)

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●メーカー不明のため除外(参考) Unknown Co.
E-OCEAN 75mm f3.5 (X=21.4,L39, made in Japan)
URTRASHARP 75mm F3.5(X=21.4,made in Japan)
Firstcall 75mm f3.5(X=21.4,4 elements)
Arista 75mm f3.5 (X=21.4, L39)
Hansa 75mm F3.5 (X=21.4,made in Japan)
TAYLOR TAYON 105mm F4.5(X=23.3)
SEAGULL 75mm F3.5(X=21.4,L39)
Soligor 75mm F3.5(X=21.4, made in Japan)
Vivitar 75mm F3.5(X=21.4,L39,made in Japan)
King 75mm F3.5(X=21.4, made in Japan)
SPECIAL ENLARGING ANASTIGMAT 75mm F3.5(X=21.4)

他にも大口径の引き伸ばし用レンズをご存じでしたら、掲示板等でお知らせいただければ幸いです。

2011/09/29

PZO/WZFO JANPOL COLOR 80mm F5.6(M42, Enlarging Lens)


カラーフィルターで遊べる
ポーランド生まれの引き伸ばし用レンズ
 今回の一本はポーランドのWarsaw Photo-Optical Plantが1963年に設計し、同国のPZO(WZFO)社が生産したテッサー型の引き延ばし用レンズのJANPOL COLOR(ジャンポール・カラー) 80mm F5.6である。引き伸ばし用レンズとはフィルムの像を拡大して印画紙に焼き付ける行程の中で、引き伸ばし機の先端に装着して用いられるレンズである。焼き付けの際にカラーバランスの補正が必要になると、かつてはレンズの先端にカラーフィルターをあてて調整していた。ところが、暗室内でそれを行うのは大変困難な作業。そこで、本品のように鏡胴内に3色のカラーフィルターを内蔵させ左右のノブを回すだけで手軽にカラー補正を行える便利な機構が登場したのだ。なお、現在の引き伸ばし機にはダイクロイックフィルターを用いた高度な補正機構が普及している。
 初期のモデルは同国のWZFO社がJantar Color(ジャンタール・カラー)という名で生産していたが、1964年にPZO社がWZFO社を吸収合併し名称をJanpol COLORへと変更した。ただし、その後も一部個体にはWZFOの企業名が記されている。これはどういう事なのかと調べていたところ、WZFO製のJanpolにはポーランド語で記されたマニュアルが付属している事に気付いた。恐らくポーランド国内向けの製品には、2社の合併後も引き続きWZFOの企業名が使われたのだろうと思われる。本品には焦点距離の異なる姉妹品JANPOL COLOR 55mm F5.6も存在している。レンズにはヘリコイド機構がついていないので、一眼カメラで使用するにはM42マウントのヘリコイドユニットを別途用意する必要がある。


PZO(Polskie Zakłady Optyczne)社
 同社は1921年に4人 の実業家によってポーランドのワルシャワに設立された光学機器メーカーである。初期の会社名はFabryka Aparatów Optycznychであり、現在のPZOへと改称されたのは1931年からとなる。戦前の主力製品は顕微鏡、双眼鏡、ルーペ、引き伸ばしレンズ、航空撮影用カメラ(軍需向け)などであった。1939年に第二次世界大戦が勃発しポーランドがナチスドイツに併合されると、同社はカールツァイス・イエナによる経営支配をうけた。その間、PZO社の多くの工員はナチス政権への抵抗としてサボタージュ行為を繰り返し生産ラインを破壊、アウシュビッツの死の収容所へと送られた。1944年9月にポーランドはドイツによる支配から開放されるが、工場は終戦前にドイツ軍によって徹底的に破壊され、終戦後しばらくの間は再建の目処が立たなかった。1951年にポーランドの重工業省が発表した工場の再建計画と西側諸国への新製品の輸出拡充計画により同社の生産力は回復し、顕微鏡、双眼鏡、ルーペ、偏光ガラス、インターフェイス、測量用光学機器、レーザー計測装置、光電子機器など手広く生産するようになった。同社は共産主義政権下における産業界の再編によってカメラメーカーのWZFO社と1964年頃に合併、その後は二眼レフカメラやトイカメラの生産にも乗り出している。1989年、PZO社の軍事機器部門に対する国家予算の削減は経営の弱体化を招き、同社は二眼レフカメラSTART 66Sの生産を最後に写真産業から完全撤退している。1997年にドイツのB&Mオプティック社へ2大工場の一つ(Zaczernie工場)を売却して経営の合理化を推し進め、現在は顕微鏡、ルーペ、フィルター、望遠鏡のみに生産を集約させている。

WZFO(Warszawskie Zaklady Foto-optyczne)社
同社は戦後の1951年にポーランドのワルシャワに設立されたカメラメーカーである。戦後初のポーランド製カメラ(二眼レフカメラ)のSTARTシリーズ(1953~1970年代初期)や、中判カメラのDRUH(1956年~)、ポーランド初の35mm版カメラのFENIX(1958年~)、トイカメラ(6cm×6cmフォーマット)のAmi(ALFA)シリーズ(1962年~)などの生産を手掛けた。1964年にPZOと合併するが、その後もPZO傘下でSTARTの後継製品START66シリーズ(1967~1985年)やAmiシリーズの後継製品を世に送り出している。

重量(実測値) 305g, 焦点距離 80mm, 開放絞り値 F5.6-F16, 私が入手したポーランド語の特許書類によると、光学系の構成は鋭い階調表現を特徴とするテッサー型(3群4枚)とのこと。フィルター枠にはネジ切りが無く、装着できるフードは被せ式のタイプのみとなる
BORGのOASYS 7842ヘリコイド(左)を装着すると右のような姿になる。BORGのヘリコイドにはフランジバック微調整用の板が付いており、これを使って無限遠のフォーカスをピッタリと拾う事ができるように調整可能だ
入手の経緯
本品は2011年6月にeBayを介してロシアの大手中古カメラ業者から即決価格35㌦+送料で落札購入した。商品の状態はエクセレントコンディションで、純正のプラスティックケースが付属するとのこと。同じ業者が同時に3本のJANPOLを同一価格で出品していたので、その中で最も状態の良さそうな個体を選んだ。届いた個体にはホコリの混入がみられたが、カビやクモリ等の大きな問題はなく、解説どうりのエクセレントコンディションであった。eBayでの海外相場は30ドル~50ドル程度と大変安く、BORGのヘリコイドユニットの方が高価だ。

JANPOLは鏡銅内に黄、青、赤の3色のカラーフィルターを内臓している。左右に着いている銀色のノブを回すことにより各フィルターをスライドインさせ、色の調整や調合を無段階で行えるというユニークな機能を持つ。上の写真は青、黄、赤のフィルターを50%スライドインさせた状態と、赤75%+黄75%で混色を行った状態(右下)を示している
撮影テスト
本品に限らず引き延ばし用レンズは業務用のプロ仕様ということもあり、一般的には控えめな口径比で無理のない設計を採用している。色収差が小さく解像力が高いなど良く写るものが多い。光学系を設計する際の収差の補正基準点は無限遠でなく近接点なので近距離撮影では高い描写力を示す。アウトフォーカス部の像はザワザワと煩く綺麗なボケ味とは言えないが、2線ボケやグルグルボケなど大きな破綻はみられない。発色については流石にカラーフィルム時代のレンズらしく、癖の無い自然な仕上がりとなる。ただし、逆光にはめっぽう弱く、屋外での使用時はコントラストの低下が顕著なのでフードの装着は必修となる。このレンズにはフィルター用のネジ切りが無いので被せ式フードで合うものを探すしかない。私は黒のボール紙を巻いて、ゴムでパッチンと留める即席フードを用いることにした。内蔵カラーフィルターを上手く利用すれば、雰囲気のある面白い作例を生み出せるであろう。



F5.6, Nikon D3 digital(AWB,/Picture Mode= Standard); イエローフィルターの使用例。上段はColor Balance Neutral(ニュートラル)で下段はYellow filterをスライドインさせた場合の撮影結果だ。イエローフィルターを用いると、ノスタルジックな雰囲気になる
F5.6, Nikon D3 digital(AWB,/Picture Mode= Standard); こんどはブルーフィルターを用いた作例。上段はColor Balance Neutral(ニュートラル)で、下段はBlue filterをスライドインさせた場合の撮影結果だ。青の光はフレアを生みやすい性質があるので、光源の光はポワーンと綺麗に滲んでいる。ブルーフィルターでは不気味な夜の光景を演出できた
F5.6 Nikon D3(AWB,ISO800) フィルターを使わない場合は、普通に良く写るシャープなテッサー型レンズである
F5.6 Nikon D3(AWB, ISO1600) このレンズは安いのに良く写る。ずっと開放絞り値で撮り続けていたが、近接撮影でも像はシャープだ上の作例は料亭厨房の天井付近に糸で吊るされ干されていたヒラメの骨煎餅。暗闇から何かが触手を出しているようにも見え、何ともグロテスクな光景だ
F5.6 Nikon D3(AWB) ISO4000(フォトショップで自動コントラスト補正をかけている)  こういった作例の場合、暗電流ノイズは全く気にならず、むしろ好都合だ
撮影機材
Nikon D3 digital +ゴムパッチンの手製ボール紙フード
じつはレッドフィルターを用いてピンク映画風の作例を狙っていたのだが、被写体にするつもりでいた妻に逃げられてしまった。そこで仕方なく私がモデルになってみたものの、何度試してみても見苦しい作例しか撮れない。被写体選びは重要である事を痛感し、レッドの作例は気持ち悪いので割愛した。JANPOLのみならず、この種の引き延ばしレンズはどれも値段が安いわりによく写るので、そのうちまた流行るかもしれない。