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2023/09/10

Carl Zeiss Jena TESSAR 80mm F2.8 ( Rev.2 ) M42 / EXAKTA mount

 

ツェルナーと普及版テッサー

Carl Zeiss Jena TESSAR 80mm F2.8

 

普及版テッサーの登場

テッサーは言わずと知れたカール・ツァイスを代表するレンズの一つで、バンデルスレプとルドルフが1902年に発明しました。戦前は最高級カメラの定番レンズでしたが、戦後は普及モデルとなり、大衆向けコンパクトカメラに搭載され市場に大量供給されました。テッサーが普及したことで多くの人が「普通によく写るレンズ」を手に入れたと言われています。一方でしかし、普及版テッサーが生み出された背景にツァイス・イエナのレンズ設計士ハリー・ツェルナー(1917-2007)の貢献があったことは、多くの人にあまり知られていません。

ツェルナーは1940年代半ばに、当時まだ出回り始めたばかりの新種ガラスがテッサーの改良に極めて有効であることを見抜き、F2.8の明るさでテッサーの再設計に取り掛かります[1]。後群G3の一部に新種ガラス、G2に屈折力の強いガラスを導入した新型テッサー(1947年に完成)は性能面で飛躍的な進歩を遂げ、特に球面収差とコマ収差、非点収差の補正効果が大幅に改善[2,3]、戦前の旧F3.5をも上回る素晴らしい性能を実現します。口径比F2.8に完全対応した新型テッサーは市場に歓迎され、廉価モデルのトップレンズとして急速に普及します。新型テッサーの成功は他のレンズメーカーにも多大な影響を与え、「テッサータイプ」などと呼ばれる膨大な数のコピーや類似品が造られました。ツェルナーのもたらした功績について理解を深めるため、少し時代を遡ってみましょう。

戦前のテッサー

1930年代に入りテッサータイプのレンズは35mmカメラの標準レンズとして確固たる地位を築いていました。この時代のテッサーは口径比F4.0が設計限界で、これを超えると収差由来のフレアで柔らかい描写傾向となりました。ただし、僅かに絞るだけでシャープネスとコントラストが増し、本来のキレのある描写に戻りましたので、どうにかF3.5までが許容されたのです。この少し背伸びをしたテッサーは市場に受け入れられ、F4.5のモデルとともにツァイスを代表する看板商品となります。しかし、更に半段明るいF2.8での製品化はまだまだ非現実的でした。発明者の一人であるルドルフはテッサーの大口径化に反対でしたが、共同発明者のバンデルスレプとルドルフの弟子メルテは野生生物の記録撮影にも使える明るいレンズが欲しいという学術界からの要望に応じるため、1925年に当時登場したばかりの新しいガラス(SK7やSK10など)を用いてテッサーを再設計、F2.7の明るさで製品化させます[4]。両者は協力し1930年にもテッサーの再設計に取り組んでおり、F2.8の改良モデルをリリースさせます。しかし、これらはいずれも性能的に厳しく、世間の評判は良いものではありませんでした[5]。テッサー本来の描写性能をF2.8の口径比で実現するにはガラス硝材の進歩を待たなければなりません。設計限界に直面したバンデルスレプとメルテは1925年に2つの凸レンズを貼り合わせに置き換え6枚玉とした改良レンズのビオテッサーF2.9を完成させます[6]。しかし、このビオテッサーもガラス硝材の高性能化とツェルナーの新型テッサーの登場でアドバンテージを失い、生産中止に追い込まれています。

戦後にテッサーの普及モデルが登場したことで、多くの人が普通によく写るレンズを手に入れましたが、この普及モデルを生み出したのはルドルフでもバンデルスレプでもメルテでもなく、機運に恵まれたツェルナーでした。私達はツェルナーの功績をもう少し大きく(正当に)評価する必要があるのかもしれません。 


レンズ構成の退行的進化

ガラス硝材の進歩により、屈折面を多く持つ複雑なレンズ構成が後にシンプルな構成へと先祖返りする、いわゆる「退行的進化」を遂げるケースがしばしば見られます。この退行的進化とは、「退化」に適応的な意義が認められる場合に限って使われる系統学の用語です。ビオテッサーが誕生し、後に再びテッサーへと合流してゆく変遷は、退行的進化の典型的な事例と言えます。レンズ構成の時系列的な変遷はエルノスターからゾナーが派生した過程のように、「複雑化=高性能化」という観点で杓子定規的に語られる傾向が多いのですが、生物同様に単調なものではなく、本来はもっと複雑で多様は過程を経て現在に至っているものと考えられます。今回のような先祖返りの事例を集め、退化という観点でツァイスレンズの変遷を辿るのも面白そうです。


★参考文献

[1] Jena review (2/1984) カール・ツァイス機関紙 

[2] nach Zöllner, Harry: 70 Jahre Tessar; in: Fotografie 1972, S. 33.

[3] 「カメラマンのための写真レンズの科学」 吉田正太郎(地人書館) 

[4] Kingslake, A History of the Photographic Lens(写真レンズの歴史)

[5] B.J.A. 1926, p324 

[6] DRP451194(1925), US Pat.1697670(1925);Brit. Pat. 369833(1930)

TESSAR 80mm F2.8: フィルター径 49mm, 最短撮影距離 0.9m, 絞り羽 16枚, 本品はEXAKTAマウント, 重量(実測)398g,  シングルコーティング

 

TESSAR 80mm F2.8

レンズ構成は上図・左に示すとおりで、34枚のシンプルな構成にもかかわらず諸収差がバランスよく補正された合理的な設計です[5]。今回はやや長めの焦点距離80mmのモデルを取り上げました。光学系が50mmのモデルより一回り大きく、そのぶん諸収差やボケ量も大きくなっています。テッサーは球面収差の輪帯部の膨らみがやや大きめである点が特徴で、80mmのモデルに至っては通常のテッサーよりも収差が一回り大きくなっています。このぶん解像力は期待できませんが、コマ収差、色収差は小さめでフレアが少ないのがテッサーの特徴で、歪曲もほぼなく真っ直ぐに写ります。非点収差については像面の平坦生を維持したまま十分に補正できていますのでグルグルボケは少なめで、焦点距離のやや長い80mmのテッサーに至っては全く出ません。線の太いクッキリとした階調描写とフレアのないスッキリとしたヌケの良さが持ち味です。近接域から遠景まで距離によらず安定した描写性能を維持しています。ボケ量も50mmのモデルより大きく、このモデルならポートレート撮影で使いやすい画角ですが、近接からポートレート域にかけては背後のボケがザワザワとしており、使い方を選ぶ必要がありそうです。

TESSAR 80mm F2.8 + Fujifilm GFX100S

TESSAR 80mm F2.8 + Sony A7R2

TESSAR 80mm F2.8 + Fujifilm GFX100S

TESSAR 80mm F2.8 + Fujifilm GFX100S

TESSAR 80mm F2.8 + AGFA Vista 100 Colorネガ
TESSAR 80mm F2.8 + Fujifilm GFX100S

TESSAR 80mm F2.8 + Fujifilm GFX100S

2021/06/15

Carl Zeiss Jena BIOGON 3.5cm F2.8 Contax RF mount

オールドレンズの評論家達がこの広角レンズを、言葉を尽くして褒めたたえます。BIOGONを手にすると、ツァイスがレンズ設計の偉大なイノベーターであることを実感できるというのです。いったい何がそんなに凄いのか、BIOGONの秘密を紐解く手がかりがレンズ構成にありました。

ベルテレの広角ゾナー part 1

カメラの都合など考えもしない大きな後玉が
レンズマニアたちの心をグラグラと揺さぶる
Cael Zeiss Jena  BIOGON 3.5cm F2.8

BIOGON(ビオゴン)はカール・ツァイスが戦前の1936年に同社の高級レンジファインダー機CONTAX II/III型に搭載する広角レンズとして発売しました。先代のCONTAX I型(1932~1936年)の発売にBIOGONは間に合わず、I型には暗めの広角TESSAR 28mm F8が供給されていました。明るい広角レンズの登場は手持ちでの撮影を可能にしてくれるとあって、BIOGONの登場はCONTAXユーザにたいへん歓迎されました。同じ時期のLeicaには広角Hektor 2.8cm F6.3が搭載されていましたので、F2.8は他社を圧倒する異次元の明るさだったわけです。BIOGONは広角レンズとしては当時世界で最も明るいレンズでした。

レンズを設計したのはSONNAR(ゾナー)の設計者として名高いZeissのL.Bertele(ベルテレ)で、レンズはSONNARを起点に開発されました(下図)。BIOGONにはSONNARに由来する描写特性が色濃く受け継がれており、これらレンズの描写に共通する普遍性は写真の画質に対するBertereの揺るぎない理念であったと考えられます。

Sonnarにはもともと画角を広げ過ぎると非点収差が急激に増大するという収差的な弱点があるため標準~中望遠に向いていましたが、広角レンズに適合させるには基本設計に大幅な改良を施す必要がありました。Sonnarの優れた性質を維持しながら、同時にこのレンズの弱点を克服することがBIOGON開発時の着眼点だったのでしょう。Berteleは研究を重ね、後玉を巨大化させる新たなアイデアに辿りついたのです。当時、他に類を見ない特異なレンズ設計を打ち出すことで、SONNARを広角レンズに適合させてしまったベルテレ。彼の天才ぶりが遺憾なく発揮され生み出されたのが、このBIOGONでした。

BIOGONと言えばストリートフォトグラファーの写真家Robert Frankが有名で、代表作の写真集「The Americans」(1958年)は1950年代のアメリカのイメージを批判的に写した歴史に残る名作と言われています。Robert Frankは改造BIOGON 35mmをライカにマウントして使っていました[2]。

Sonnar(左)からBIOGON(右)に至る光学設計の系譜。こうして並べ比べてみると、BIOGONは確かにSONNARをベースに造られたレンズであることがよくわかります。今回取り上げるBIOGONの設計は左から3番目です。BIOGONの構成図はZeiss Ikon社の1938年のカタログおよび、Berteleが出願した一連の特許資料からトレースしました

 

BIOGONは戦前の1934年に原型がつくられました。この原型はSONNARの各レンズエレメントのパワーバランスを変更した設計で、構成はSONNARと全く同一でした(上図・左から2つめ)。製品版のBIOGONが登場したのは1936年で、このモデルでは前群の3枚の接合ユニットが2枚に簡略化されるとともに、後群にはり合わせレンズを1枚追加し、後群側の設計自由度が補強されました(上図・左から3つめ)[3]。このモデルは戦後も製造が続けられています。戦後は西ドイツのZeiss-Optonからも別設計のBIOGON(通称オプトン・ビオゴン)が発売されます。このモデルでは後群のガラスの厚みを利用して屈折力を稼ぐとともに、レンズエレメントの構成枚数が6枚に削減されています(上図・右)。

参考文献

[1] Marco Cavina’s wonderful HP: marcocavina.com

[2] 田中長徳 「ロバート・フランクとカール・ツアイス・イエナ・ビオゴンを語る」御茶ノ水のギャラリー・バウハウス(2013)

[3] Zeiss Ikon社 公式カタログ(1938) 内の構成図

Carl Zeiss Jena BIOGON 3.5cm f2.8: フィルター径 40.5mm, 重量(実測) 115.5g, 絞り羽 5枚構成(F2.8-F22) , 最短撮影距離 0.9m, 4群7枚BIOGON型, Contax RF/マウント, Tコーティング

入手の経緯

現在のビオゴンの相場は500ドル前後です。製造から半世紀もの歳月が経ちますが、まだまだ流通量がありますので、コンディションの良い個体をじっくり探すことをおすすめします。今回ご紹介している個体は2019年夏にドイツ版eBayにて、コレクターと称する個人の出品者から落札しました。レンズのコンディションは大変よく、拭き傷すらない美品でした。

デジタルミラーレス機へのマウント

このレンズは後ろ玉が大きく飛び出ており、使用できるカメラが限られています。懐の広いフルサイズミラーレス機なら問題ありませんが、APS-C機(リコー製以外)とマイクロフォーサーズ機では後ろ玉がカメラの内部と接触してしまい、物理的にマウントできません。注意してください。

使用するマウントアダプターはコンタックスRF(レンジファインダー機)用レンズのものを使います。この種のアダプターにはヘリコイドを内蔵した外爪・内爪両用のタイプと、外爪のみのタイプがあり、どちらのタイプのアダプターでも大丈夫です。前者は値段が高いので後者がおすすめで、カメラ側をライカMマウント(距離計には連動しない)に変換している製品とEマウントなど直接ミラーレス機のマウントに変換している製品があります。おすすめなのはライカMマウントに変換しているタイプで、その先をライカMからミラーレス機に繋ぐヘリコイド付きアダプターと組み合わせることで最短撮影距離を短縮できます。BIOGONは最短撮影距離が0.9mとやや長めなので、この使い方ですと、近接撮影にも対応できます。 

撮影テスト

解像力よりは階調描写やコントラストで押し切るタイプのレンズです。開放から中央はハッとするほどシャープでヌケもよく、画面全体のコントラストもたいへん良好、発色もたいへん鮮やかですが、ピント部の四隅では非点収差のため像面が大きく分離しピントがあいません。滲み(倍率色収差)も出ます。もちろん絞れば良像域は拡大し画面全体で高画質になります。歪みは微かに糸巻き状ですが、よく補正されています。背後のボケにも非点収差の影響がみられ、四隅の点光源には放射方向(サジタル方向)にツノが生えています。レンジファインダー機用の広角レンズでは周辺部に光量落ちが見られることが多いのですが、このレンズでは、それが殆どありません。

F2.8(開放) sony A7R2(WB:⛅) 開放からコントラストは高く、スッキリとヌケの良い描写です



















F2.8(開放) sony A7R2(WB:日陰) ポートレートの距離で使う場合は、四隅の画質はそれほど気にはなりません
F2.8(開放) sony A'R2(WB:日光)

F2.8(開放) sony A7R2(WB:日光)

F2.8(左)とF5.6(右)での画像の比較: SONY A7R2(WB:⛅) 点光源が四隅でコマ収差の影響をうけ尾を引きます。開放から中央はシャープですが、遠方撮影時に四隅に目を向けると非点収差の影響が目立つようになります。どうせ引き画なんだから絞ればいいわけですが

2017/01/02

Carl Zeiss Jena Flektogon 20mm F4 (M42) Rev.2

1952年に広角レトロフォーカス型レンズのフレクトゴン 35mmを世に送り出し、この分野を独走していた人民公社カールツァイス・イエナが次に取り組んだのは、焦点距離の更に短い超広角レンズの開発である。包括画角90度を超える超広角レンズの開発はこれまでどのメーカーも成し得なかった未踏の領域への挑戦であった。レンズの設計は極めて複雑で困難になることが予想されたが、ツァイス・イエナは1955年に世界に先駆けレンズ設計用のリレー式コンピュータOPREMAを開発し、技術的なハードルを乗り越えている(文献[1])。
OPREMAが実現させた未踏の超広角レンズ
Carl Zeiss Jena DDR FLEKTOGON 20mm F4
フレクトゴン(Flektogon)は旧東ドイツの人民公社カールツァイス・イエナ(VEB Carl Zeiss Jena)が一眼レフカメラ用に開発した広角レトロフォーカス型レンズのブランドである。その第一弾は1952年に焦点距離35mmで登場し、黎明期のレトロフォーカス型レンズの中においてコマ収差を有効に補正できる唯一無二の存在として注目された(文献[2])。続く1959年には焦点距離を25mmまで短縮させたフレクトゴン25mm F4を開発し、翌1960年のLeipzig Spring Fairで発表、さらに西側の競合他社が送り出したアンジェニュー (Angenieux) R61 3.5/24mmやイスコ社ウエストロゴン (Westrogon)  4/24mmなどの猛追を退けるため、翌1961年10月には焦点距離を20mmまで短縮させた新型モデルを発表している(文献[4])。このレンズが実際に登場したのは発表から2年後の1963年春に開催されたLeipzig Spring Fairからで、市場に出回り始めたのは同年夏からとなっている。その後の1964年11月(シリアル番号7,206,500以降)に光学設計がマイナーチェンジされている。レンズの販売額は487マルクと当時としては高価であったが、焦点距離20mmのレンズでしか撮れない写真が撮れるとあって、たいへんな人気商品となり、世界中の写真家達がフレクトゴン20mmを愛用した。フレクトゴン4/20は1970年代も生産が続き、後継モデルのMC Flektogon 2.8/20(Eberhard DietzschとGudrun Schneiderが設計)と短期間だけ同時供給された時期もあったが、1978年に生産を終了している。
フレクトゴン4/25と4/20を設計したのはZeissのレンズ設計士W.ダンベルグ(Wolf Dannberg)とE.ディーチェ(Eberhard Dietzsch)で、ダンベルグはPancolar 50mm F1.8(1965年登場)とPrakticar 135mm F3.5(1965年設計)、ディーチェはSonnar 180mm F2.8(6x6フォーマット用1959年設計)、Flektogon 20mm F2.8(1971年設計)、Prakticar 50mm F1.4(1979年設計)、Prakticar 28mm F2.8(1976年設計)、Prakticar 200mm F2.8(1979年設計)を手がけた人物でもある。彼らは同社のコンピュータエンジニアW.カメレル(Wilhelm Kämmerer)とH.コルトム(Herbert Kortum)らが率いる技術チームの協力を借り、同チームが1955年に完成させた最新式コンピュータのオプリーマ(Oprema= OPtik-REchen-MAschineの略)を利用することで、それまで人の手による計算では不可能とされてきた超広角レンズの複雑な設計に取り組んだ(文献[5])。オプリーマはレンズの光線軌道計算を主目的とする旧東ドイツ初のリレー式コンピュータ(クロック周波数は約100ヘルツ)であり、一回の和算を120ミリ秒、乗算と除算を800ミリ秒で処理することができる優れた演算処理性能を備えていた。それまで120人ものチームで取り組んでいた光線軌道計算が1台のコンピュータのタスクに置き換わり、正確かつ短時間で結果が出せるようになったのだ。Flektogon 4/25と4/20では前群に据えた2枚の発散性メニスカスにより、レトロフォーカス型レンズで一般的にみられる樽型歪曲の補正に成功している(文献[6])。世界に先駆けレンズ設計にコンピュータを導入したZeiss Jenaは1960年代も光学分野における世界のリーディングカンパニーとして活躍し続ける事になる。西側光学メーカーの猛追を退け、更なる高みへと躍進を遂げたZeiss Jenaの采配の陰には、当時の数学部部長でフレクトゴンの生みの親でもあるH.ツェルナーの尽力があった(文献[7])。
Flektogon 20mm F4の光学系(文献[4]からのトレーススケッチ)。構成は6群10枚のレトロフォーカス型である。Flektogon 20mmにはDannbergらが考案した歪みを抑える新たな設計技法(Pat.GDR No.17177, 22nd Dec.1956)が導入されている。この技法はOpremaの力を借りて実現したものであり、広角レンズでは一般的にみられる樽型歪曲収差を前群に設けた2枚の発散性メニスカスを利用して抑えている。この設計技術ははじめ1955年の広角化アタッチメントの開発に利用された(文献[6])
参考文献
[1]     Marco Kröger Zeissikonveb.de  (2016)
[2] Flektogon 35mm特許 US2793565(May 28,1957/Filed April 1955)
[3] オールドレンズライフ VOL.6 玄光社MOOK 澤村徹 編著(2016)
[4]  Flektogon 20mm特許 DDR Pat.30477 (1963)
[5]  robotrontechnik.de: Computer OPREMA (29.11.2016)
[6] DDR Pat. 23457(1955); Pat.GDR No.17177(1956)
[7]  H. Zollner, The Photo Lens in Practice, Development and Manufacturing, Jenaer Rundschau, 2/56, p.36ff
[8] オールドレンズパラダイス 澤村 徹  (著), 和田 高広 (監修, 監修) 翔泳社(2008)

入手の経緯
レンズはeBayやヤフオクにたくさん流通しており、価格はM42マウントのモデルが30000円~40000円程度、Exaktaマウントのモデルが20000円~30000円程度で取引されている。eBayとヤフオクでの価格に大差はない。今回紹介する製品個体は2013年頃にeBayを介し、米国のカメラ店から350ドル+送料22ドルの即決価格で入手した。自身として2本目で、一度は売却したもののI miss you、後悔の末に買いなおしたレンズだ。オークションでの記述は「新品に近い状態で、光学系はパーフェクトコンディション。絞りの開閉やフォーカスリングの回転はスムーズだ。外観は写真で確認してくれ」とのこと。届いた品はやはり非常に良好なコンディションで、ホコリの混入も極めて少ないクリーンなレンズであった。レンズのマウントネジにスレ跡が全く見られないので、ほぼ未使用の個体だったのであろう。
フレクトゴン20mmとの出会いは澤村徹さんが2008年頃にパソコン雑誌のPC Fanに寄稿していた「吾輩は寫眞機である」の連載記事であった(文献[3])。当時、一眼レフカメラで使用できる「MF仕様の寄れる広角レンズ」を探していた私はジャストミートでこの記事を読み、フレクトゴンのド迫力な前玉とレトロなゼブラ柄デザインの虜になったのだ。さんざん探しeBayを介してウクライナのカメラ屋から入手したのが、最初に手に入れた1本目の個体であった。そうした経緯もあり、澤村さんの1冊目の著書「オールドレンズパラダイス」を発売前に予約で購入し、オールドレンズに対する知識を深めた(文献[8])。何とマウントアダプターよりもフレクトゴンを先に入手してしまったわけで、どうしたものかと困っていたところ、アダプターについて丁寧な解説のあるこの本に救助されたのを今でもよく覚えている。
Carl Zeiss Jena DDR Flektogon 20mm F4(M42マウント): 重量(実測)320g, 絞り F4-F22, 最短撮影距離 0.15m, フィルター径 77mm, 絞り羽根 6枚構成, 対応マウントはM42とExakta (Praktina用は焦点距離25mmのモデルの供給され、20mmのモデルは供給されなかった)。フレクトゴンという名称はラテン語の「曲がる、傾く」を意味するFlectoにギリシャ語の「角」を意味するGonを組み合わせたものを由来としている

撮影テスト
焦点距離20mmのフレクトゴンでしか撮れない写真がある。1960年代当時、487マルクもした高価なレンズが大ヒット商品となるには十分な理由であった。時代的には焦点距離35mmの広角レトロフォーカスがようやく成熟期に達した頃であり、ドイツの光学メーカー各社はやっとの思いでレンジファインダー機用のビオゴン35mmに匹敵するシャープな画質を一眼レフカメラでも実現できるようになったばかりであった。これに対し、ツァイス・イエナは更なる高みを目指し、焦点距離20mmのウルトラワイドレンズを実現させるべく、未踏の領域を突き進んでいたわけだ。
フレクトゴン20mmは開放でも収差が充分にコントロールされており、初期のレトロフォーカス型レンズによくあるモヤモヤとしたフレア(コマフレア)も十分に抑えられている。また、この種のレンズでは一般的に見られる樽型の歪みも非常に小さい。ピント部は開放からヌケがよく、クリアでシャープな像が得られる。解像力はダブルガウスやトリプレットに比べると明らかに見劣りするが、レトロフォーカス型レンズとしては良好な水準である。階調描写は明らかに軟調でオールドレンズらしいなだらかなトーン描写であり、発色も逆光時は淡泊になる。ただし、中間部の階調は豊富で深く絞り込んでも硬くなることはない。ボケはレトロフォーカス型レンズらしく概ね安定感があり、グルグルボケは近接域で極僅かに出る程度で全く目立たない。テレセントリック(光の直進性)を考慮していない広角レンズを大型のイメージセンサーを搭載したミラーレス機で使用する際には、周辺部で色被りの発生が問題となる事があるが、フレクトゴンの場合はバックフォーカスの長い一眼レフカメラ用レンズなので、この点については大きな問題にならない。コントロールできない弱点と言えば、逆光に弱くゴーストやハレーション(ベーリング・グレア)が出やすい点であろう。最短撮影距離が16cmと極めて短いため、パースペクティブを活かしたマクロ撮影により、このレンズならではの迫力のある作品を創出できる。
私にとってフレクトゴン20mmのような超広角(ウルトラワイド)レンズは常用せずに何処かにしまい込み、年に数回程度持ち出す程度でちょうどよい。ときどき飛び道具のように持ち出すと、ある種のショックに近い解放感が得られ、写真を撮ることがますます楽しくなる「リフレッシュ・アイテム」なのだ。極めて広い包括画角、極めて深い被写界深度、極めて短い最短撮影距離まで縦横無尽に活躍できる東欧の大怪獣フレクトゴン。強烈なパースペクティブ(遠近感)とパンフォーカス効果に打ちのめされれば、写真表現に新たなインスピレーションが生まれるに違いない。今回はデジタルカメラのSony A7と35mm銀塩カメラの双方でフレクトゴンの楽しさを思いきり堪能してみた。このレンズを使い始めて8年になるが、今でも持ち出すたびにドキドキとした鼓動の高鳴りを感じる。

デジタル撮影
F8, sony A7(AWB): 




F8, sony A7(AWB): 

F11, sony A7(AWB): 






F8, sony A7(AWB)

F4, sony A7(AWB)








銀塩撮影
F8, 銀塩撮影(Fujifilm 業務用カラーネガISO400)


F11, 銀塩撮影(Fujifilm 業務用カラーネガISO400)
F5.6, 銀塩撮影(Fujifilm 業務用カラーネガISO400)












F5.6, 銀塩撮影(Fujifilm 業務用カラーネガISO400)

2016/11/21

Carl Zeiss Jena Flektogon 35mm F2.8(M42/Exakta mount) 1st(silver), 2nd(zebla) and 3rd(black) Rev.2



1950年代初頭に登場した一眼レフカメラ用の広角レンズはテッサー(Tessar)やトリプレット(Triplet)など既存のレンズ構成をベースに、それら前方に近視補正用の眼鏡に相当する負のメニスカスレンズを配置する「レトロフォーカス化」と呼ばれる設計アプローチで作られた製品が一般的であった。既存のレンズ設計の助けを借りる必要があったのは、当初まだ複雑な構成のレンズを一から組み上げることが容易でなかったためで、これにはコンピュータによるレンズの自動設計法の登場を待たなければならなかった。自動設計法が実用化されるのは1960年代に入ってからの事である。ところが、レトロフォーカス化による当社のレンズはフレア(コマフレア)が多く発生する画質的には厳しいものばかりで、「一眼レフカメラは広角レンズに弱い」という印象が広まりつつあった。ただし、例外的に高い描写性能を発揮できた手本のようなレンズが存在したため、その後の広角レトロフォーカス型レンズの研究開発はこのレンズに追い付く事を一つの目標に、各社で急ピッチに進められた。 カールツァイス・イエナのフレクトゴン(Flektogon)35mm F2.8である。
フレクトゴンは、はじめから広角レンズとしての適正に富むビオメタール(Biometar)をベースに設計されており、フレアは少なく、ヌケの良いシャープな描写を実現できる当時唯一無二の存在であったため、絶大な人気を誇った。このレンズを模倣したロシアのMIR-1(D.S. Volosov, 1954年設計)がTair-11など他のレンズとともに、1958年のベルギー万博でグランプリを獲得したのは有名な話である。
1960年代に入るとNikkor-H 2.8cmF3.5を皮切りにフレアを有効に補正できるレンズが各社から次々と登場し、コンピュータによる自動設計法の普及にも後押しされ、フレクトゴンに対抗できるレンズがようやく登場するようになった。フレクトゴンの登場から8年後のことである。
ビオメタールから生まれた
ドイツ初の広角レトロフォーカス型レンズ
Carl Zeiss Jena Flektogon 35mm F2.8
フレクトゴン35mmはカールツァイス・イエナ人民公社のレンズ設計士ハリー・ツェルナー(Harry Zöllner)とルドルフ・ソリッシ(Rudolf Sorisshi)がレンジファインダー機のコンタックス(Contax)用に供給されていた広角ビオメタール 2.8/35を一眼レフカメラに適合させるという方針で開発し、1952年に登場させたドイツ初の広角レトロフォーカス型レンズである。ツェルナーはビオメタールの他にテッサーF2.8の戦後型やパンコラー F1.8を設計した人物でもある。抜群の描写性能を発揮したため大人気となり、コンタックスSやプラクチカ、エキザクタ、プラクチナ、ヴェラ(Werra)、中判カメラのペンタコンシックスなどに搭載され、その後の広角レトロフォーカス型レンズの地位向上に大きく貢献した。
フレクトゴンの設計構成のルーツはAlvan G.クラークが設計し1889年に登場したダブルガウスである(下図)。クラークのダブルガウスからはツァイスのルドルフによる設計でプラナー(1897年~)が生み出され、1920年代に同社のメルテによる改良でビオター(Biotar)へと発展している。また、1930年代初頭にツァイスのリヒターが設計した超広角レンズのトポゴン(Topogon)もクラークのダブルガウスからの派生レンズである。明るく諸収差をバランスよく補正できる大口径レンズのビオターと、画角特性に優れた広角レンズのトポゴン。ビオターとトポゴンは戦後に手を組みビオメタールへと発展し、それをレトロフォーカス化したフレクトゴンを誕生させている。
フレクトゴンに至る光学系の系譜:プラナーを祖とするビオターは明るく諸収差をバランスよく補正でき、大口径レンズに適した構成であり、一方のトポゴンは画角特性に優れた広角レンズに適した構成であった。ビオメタールは、これらを前後群に配置した混血レンズとして登場し、両親のそれぞれの長所を比較的高い水準で受け継ぐことに成功した優れたレンズ構成であった。ビオメタールにはツァイス・イエナが中版一眼レフカメラのペンタッコン・シックス(Pentacon six)用に供給した80mm f2.8の標準レンズと120mm f2.8の中望遠レンズ、旧西独Zeiss Ikon社がコンタックス用Biogon 35mmを開発するまでの繋ぎとして、旧東独Zeissに供給を依頼し、ごく短期間のみ生産された広角ビオメタール 35mm f2.8が存在している。フレクトゴンはこの広角ビオメタールを一眼レフカメラに適合させるという方針で生み出された。ビオメタールの前方に負の大型メニスカスレンズ(下図の緑のエレメント)を配置し、バックフォーカスを稼ぐことで、一眼レフカメラ用レンズとしての適性を得ている。負のレンズを据え付けた分だけ光学系のバランスが良くなり、ビオメタールで若干みられたグルグルボケはフレクトゴンではすっかりと補正されている


各モデルで若干異なる仕様
フレクトゴン35mmF2.8には鏡胴の素材にアルミ合金を採用した初期モデル、ゼブラ柄の2代目(一部に革巻き鏡胴)、黒鏡胴で1980年代後期まで製造された3代目のモデルが存在する。デザイン以外にも各モデルには絞り羽の構成枚数やコーティングの種類、最短撮影距離、絞りの制御機構若干の差がみられる。
絞り羽の構成枚数は初期モデルが9枚ともっとも多く、2代目が5枚に減り、3代目が6枚になっている。一般的に絞りの枚数が多い方が点光源のボケが真円に近い形状となり、自然なボケ味が得られるとされている。しかし、フレクトゴンの場合は5枚構成でも絞りを閉じたときの開口部が丸みを帯びた形状になるよう工夫されているので、実写による差違は大きくない。最短撮影距離は初期モデルのみ36cmで、2代目と3代目は18cmまで短縮されている。撮影距離18cmはこの手の広角レンズとしては非常に短く、準マクロ的な撮影が可能である。初期モデルには中玉にシアン系コーティングが用いられているのに対し、2代目と3代目には、この部分がマゼンダ系コーティングに置き換えられている。初代よりも2代目、3代目の方がコーティングの性能は高く、ゴーストやハレーションの抑制効果が僅かに高いぶんだけシャープネスやコントラストも若干高い。ただし、実写では初期モデルでもシャープネスはかなり高く、大きな差を感じることはなかった。目で見る限りでは2代目と3代目のコーティング色に差異は認められなかったので、両者の光学系は完全に同一であろう。1960年代になるとコンピュータによる自動設計法の助けを借りて各社レトロフォーカス型レンズの設計を刷新しているが、フレクトゴン35mm f2.8は初代からの設計構成を維持したまま、35年もの長期にわたり生産されていた。
フレクトゴンは「一眼レフカメラは広角レンズに不利」という既成概念を打ち砕き、レトロフォーカス型広角レンズの地位向上に貢献した歴史的にたいへん意義のあるレンズといえる。このレンズの存在がなければ、一眼レフカメラ全盛時代の到来はもっと遅かったのかもしれない。

入手の経緯
Carl Zeiss Jena Flektogon 35mm F2.8(Silver model, 1st version) M42 mount
このレンズは2013年3月にeBayを経由しギリシャのM42レンズ専門業者フォトピック(スチール22)から入手した。商品の状態はMINT(美品)で「シリアル番号が照合する元箱がついている。ガラスはクリアで傷はない。完全動作する」とのこと。フォトピックは業界では有名な優良業者だ。自動入札ソフトで185ドルを設定し放置したところ167ドル+送料16ドルと手頃な値段で落札されていた。届いた品は僅かな拭き傷がみられる程度で、ガラスも鏡胴も良好な状態。ヘリコイドや絞りの開閉もスムーズであった。
重量(実測) 185g, 絞り羽 9枚構成, フィルター径 49mm, 最短撮影距離 0.36m -α, 絞り F2.8-F16(マニュアル),絞りの制御機構はプリセット, 構成 5群6枚レトロフォーカス型, レトロフォーカス型, M42マウント, フレクトゴンという名称はラテン語の「曲がる、傾く」を意味するFlectoにギリシャ語の「角」を意味するGonを組み合わせたものを由来としている

Carl Zeiss Jena Flektogon 35mm F2.8(Zebla Model, 2nd version) M42 mount
このレンズも2013年8月にeBayを経由しギリシャのM42レンズ専門業者フォトピック(スチール22)から入手した。商品の状態はMINT(美品)で「ガラスはクリアで傷はない。完全動作する」とのこと。自動入札ソフトで225ドルを設定し放置したところ、205ドル+送料16ドルで落札できた。届いた品はガラス、鏡胴ともに完璧に近い素晴らしい状態で、ヘリコイドや絞りの開閉もスムーズであった。ほぼ未使用のオールドストック品であろう。

重量(実測) 225g, 絞り羽 5枚構成, フィルター径 49mm, 最短撮影距離 0.18m -α, 絞り F2.8-F22(マニュアル),絞りの制御機構は自動・手動両対応, 構成 5群6枚レトロフォーカス型, M42マウント


Carl Zeiss Jena Flektogon 35mm F2.8(Black  Model,  3nd  version) Exakta mount
2016年9月にドイツの写真機材を専門とするアナログ・ラウンジから107ユーロ+送料8ユーロの即決価格で購入した。レンズは「良好なコンディションで使用感は少な目。クモリ、カビはない。絞りリングやヘリコイドリングはスムーズに回る」とのこと。このセラーはいつも、このような簡単な記述であり博打的な要素が多少あるが、同時配送に追加料金を取らないサービス精神がある。保有している在庫が多く、新品に近い綺麗なレンズを出すことも多い。今回は状態のいいレンズを手にすることができた。
重量(実測) 225g, 絞り羽 6枚構成, フィルター径 49mm, 最短撮影距離 0.18m -α, 絞り F2.8-F22, 絞りの制御は手動, 構成 5群6枚レトロフォーカス型, Exaktaマウント


特許資料:US2793565(May 28,1957/Filed April 1955)

撮影テスト
1950年代に設計された黎明期のレトロフォーカス型広角レンズは多くがフレア(コマ収差)の補正に課題を残しており、モヤモヤとしたソフトな描写傾向が当たり前のように見られる。一方でフレクトゴンの描写を見ると、フレアは開放から充分なレベルに抑えられており、ハイライト部を大きく拡大表示する場合のみ、僅かなレベルで薄っすらと表面を覆うフレアを確認することができる。画質的にはレトロフォーカス型レンズの設計水準が成熟期を迎える1960年代中期以降の製品と同等といってよいだろう。東独Zess Jenaの技術力はこの時代において、他国のメーカーより10年先を歩んでいたのである。コントラストは開放から良好で発色も良い。ただし、絞り込んでもカリカリとした鋭い階調描写になることはなく、適度な残存収差が軟らかくなだらかな階調描写を実現している。ボケはレトロフォーカス型レンズらしく四隅まで乱れずに安定しており、グルグルボケや放射ボケは全くみられず、2線ボケ傾向もない。広角レンズで時々問題となる色滲み(倍率色収差)はデジタル撮影の際に僅かにみられ、写真の端部で被写体の輪郭部が赤みがかるが、拡大表示でもしなければ目立つことはない。解像力はレトロフォーカス型レンズとしては四隅まで良好な水準を維持している。最短撮影距離が極めて短いのは、このレンズの大きな魅力である。特に2ndモデルと3rdモデルは18cmと極めて短く、準マクロレンズとしても使用できる。描写性能はもちろんのこと、ワイドからマクロまでをカバーでき、使い出のあるレンズである。
F8, 3rd black model+ sony A7(WB:日光): 絞っても階調は軟らかい。中間階調がよく出るレンズだからこそできる、繊細な描写表現。フレクトゴンはやっぱり凄いレンズだ

 
1st SILVER Model
 

F5.6(左), F4(右), 1st silver model + sony A7(AWB): オールドレンズ写真学校で評判だった組み写真。撮影距離に依らず描写性能には安定感があり、室内での撮影にはとても使いやすいレンズだ

F4, 1st silver model + sony A7(AWB): 


F2.8(開放), 1st silver model+sony A7(AWB): 初期のレトロフォーカス型レンズの中に口径比F2.8でここまでシャープに写るレンズは恐らく存在しないだろう





F4, 1st silver model+sony A7(AWB)
F3.5, 1st silver model +sony A7(AWB): 開放から半段絞るだけで、ここまでヌケがよくシャープに写る。開放ではこちらに示すように若干のコマフレアが肌を覆い線の細い描写である。解像力はレトロフォーカス型レンズとしては良好なレベルである
F3.5, 1st silver model +sony A7(AWB, +2/3EV):

上段F2.8(開放)/下段F3.5(半段絞った)。開放(上段)ではコマが覆うが、半段絞ればフレアは消失し(下段)、スッキリとヌケの良い描写になる。解像力はレトロフォーカス型レンズとしては四隅まで良好なレベルである






 
2nd ZEBLA Model
 
F4, sony A7(AWB): 最短撮影距離18cm。マクロ域であるが十分な画質だ


F5.6, sony A7(WB:晴天)


F4, sony A7(AWB)

F5.6, sony A7(AWB)



F3.5, sony A7(WB:晴天)



F2.8(開放), sony A7(WB:晴天)


F2.8(開放), sony A7(WB:晴天): レンズマニアのおじ様たちの幸せそうな笑顔が羨ましい!














 
3rd BLACK Model
 
F5.6, sony A7(WB: 日光)
F8、sony A7(WB:日光)

F5.6, sony A7(AWB)