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2025/12/30

Carl Zeiss Jena BIOTAR 8cm F2



戦前のCarl Zeissにはゾナーやテッサーといった主力レンズがありましたので、ガウスタイプのビオターが活躍する余地は限られていました。ビオターがこれらと肩を並べるようになるにはガラス性能の向上とコーティング技術の実用化を待たねばなりませんでした。

写真用ビオター初の量産モデル

Carl Zeiss Jena BIOTAR 8cm F2 (Nacht Exacta)

今日私たちが知るビオターの原型が登場したのは1927年のことで、W・メルテが映画撮影用に設計したBiotar 4cm F1.4がその最初のモデルとされています[1]。レンズにはショット社が新開発した高屈折率のバリットフリントガラスBaf9が使用され、球面収差とコマ収差の補正効果が飛躍的に向上、色収差の補正は依然として劣悪でしたがガウスタイプの可能性が大きく拓かれたのでした。じつは、それ以前にもビオターの名称を冠したレンズは存在しましたが、いわゆるダブルガウス型ではなく、光学系譜としては全く異なる設計思想に基づくものでした[1]。

写真用ビオターに注目が集まり始めたのは1929年頃からで、ショット社が高性能なランタン系ガラスの開発に成功した時期と重なります。写真用モデルの開発のカギは、実用画角45度程度をいかにして実現するかでした。この時期にWメルテは焦点距離5cm35mmライカ判に対応した最初の写真用ビオター(Biotar 5cm F1.4)を試作しており、根拠資料は見当たりませんが、おそらくこのレンズには新開発のショット社製ガラスが使われていると予想できます。ただし、広い包括画角にわたって良好な画質を得るにはガラス硝材の更なる進歩が不可欠であり、当時の技術水準ではまだ時期尚早だったようです。製造本数は約100本にとどまり、量産には至っていません。1931年にはCONTAX用にも同様に約100本が製造されましたが、これも試作的性格が強く、量産品とは呼びがたいものでした。

W・メルテが写真用ビオターの開発に本格的に着手したのは1931年頃とされており、口径比をF2に抑えたモデルの設計に取り組み、同年夏にはBiotar 5cm F2の試作品が登場しています。ただし、このモデルも製造本数は僅かで量産化には至りませんでした。依然としてゾナーやテッサーに対するアドバンテージを見出せなかったのでしよう。メルテによる改良は続きます。

ようやく量産品と呼べるモデルか登場したのは1933年で、Biotar 8cm F2が市場に投入されたのが最初です(構成図は下図)。この量産化を後押ししたのが、1930年に登場したランタン系特殊光学ガラスBaF10であり、光学系に組み込むことで、実用的な包括画角を従来の30度から50度へと拡大することが可能となりました[1]。とはいえ、1930年代のドイツは経済的混乱と政治的緊張の渦中にあり、特殊光学ガラスの安定供給は技術的にも体制的にも困難を極めました。供給体制の確立には、1939年にショット社が導入した新たな製造技術の登場を待つ必要があり、ランタン系ガラスはビオターの光学系の一部(後玉)に限っての適用にとどまりました。このガラスの本格的な実用化がはじまるのは第二次世界大戦の終結後です。

左:設計者Wメルテの似顔絵,  右:BIOTAR 8cm F2の構成図, 構成図は文献[3]に掲載されていたものをトレーススケッチした。左が対物側、右がカメラの側。レンズの設計構成は4群6枚のガウスタイプで、1933年10月に設計されました


 

今回取り上げるBIOTAR 8cm F2は、中判645フォーマットを採用した一眼レフカメラのナハト・エキザクタに搭載する交換レンズとして、1934年から1938年にかけて供給されたモデルです[3]。このモデルは下の写真のようなアダプターを介して、少し後に発売された35mm判のキネ・エキザクタ(1936年発売)にも流用されました。ただし、この流用は場繋ぎ的なもので、同年に新設計されたBiotar 75mm f1.5が1939年に登場したことで役割を終えています。市場にはナハトエキザクタ用とキネエキザクタ用が、合わせて1500本供給されました[4]。ちなみに、このキネ・エキザクタには標準レンズのBIOTAR 5.8cm F2も市場供給されています。また、1938年には中判6×6フォーマット対応のエキザクタ66用としBIOTAR 10cm F2が登場、約400本が市場供給されています。1937年頃からガラス面に単層コーティング(Tコーティング)が蒸着されるようになり、光学性能の一層の向上が図られています。こうして徐々にではありますが、ガウスタイプレンズの発展に必要な技術的基盤が、Carl ZeissではBIOTARを基軸に整えられていきました。

終戦後はビオター58mm F2と75mm F1.5の2つのモデルのみ残されます。これらは後継製品のパンコラー50mmF2と75mmF1.4が登場するそれぞれ1959年と1969年まで生産が続けられました。

35mm判一眼レフカメラののキネ・エキザクタに搭載(流用)するための純正アダプターを装着したところ。このアダプターにはフォーカッシング機構(ヘリコイド)が標準装備されています。純正フードも装着しました。カメラの側はエキザクタマウントに変換されます。ただし、このアダプター経由ですと、中判デジタルカメラのGFXでは写真の四隅がケラレてしまいます
 















レンズの市場価格

流通量は非常に少ないものの、eBayには時々出てくるレンズです。オークションにおける個人売買の取引額は、状態の良い個体で8001100ユーロ、海外の専門店での取引額は12001400ユーロあたりです。流通している個体の大半はコーティングのないモデルですが、今回取り上げるレンズのようにコーティング付きモデルもあり、第二次世界大戦前の僅かな期間に少数のみ生産されたものと考えられます。レンズは2本ともlense5151さんからお預かりした個体です。

参考文献・資料 

[1] zeissikonveb.de; BIOTAR

[2] DRP Pat. 485,798(1927)

[3] Jhagee cameras, STEENBERGEN&C9 (1939) 構成図が掲載されている

[4] Carl Zeiss Jena Fabrikationsbuch Photooptik I/II

Carl Zeiss Jena BIOTAR (ノンコート) 8cm F2: 1934年製・最初期, 絞り F2-F16,  絞り羽 18枚, マウント径 M39.5(Nacht EXAKTA), 重量(実測)356g , フィルター径 48mm, 設計構成  4群6枚ガウスタイプ
Carl Zeiss Jena BIOTAR  T (シングルコーティング)  8cm F2:  1937年製・最後期, 絞り羽  13枚, 絞り F2-F16, マウント径 M39.5(Nacht EXAKTA), 重量(実測) 404g, フィルター径48mm,  設計構成  4群6枚ガウスタイプ
 
 

撮影テスト

モノクロ時代に設計されたレンズらしく、階調の中間域を丹念に拾い上げる描写が印象的で、やはりモノクロ撮影においては卓越した表現力を発揮します。一方、カラー撮影では淡く控えめな発色が特徴で、あっさりとした色調が写真に独特の味わいを添えます。

開放ではピント面にわずかな滲みが生じ、柔らかく穏やかな質感描写となります。そのためコントラストは低めで、全体として軟調な印象を与えますが、一段絞ることで滲みは解消され、シャープでキレのある描写に変化します。

屋外での撮影時には逆光でハレーション(グレア)が顕著に現れ、画面全体が白く飛ぶことがあります。これを避けるには、フードの使用が不可欠です。

ビオターといえば、58mm F275mm F1.4に見られる特徴的なグルグルボケが知られていますが、本レンズ(8cm F2)ではその傾向は控えめです。近接からポートレート域にかけて、四隅にわずかな像の流れが見られる程度で、全体としては落ち着いたボケ味となります。

 後期モデル(Tコート付)x Fujifilm GFX100S

F2(開放) Fujifilm GFX100S(WB:曇空, FS: CC)


F4  Fujifilm GFX100S(WB:曇空, FS: CC)





F2(開放) Fujifilm GFX100S (WB:auto)  
F2(開放) Fujifilm GFX100S (WB:auto)


F2(開放) Fujifilm GFX100S (WB:auto)


F2(開放) Fujifilm GFX100S (WB:auto)

F2(開放) Fujifilm GFX100S (WB:auto)
F2(開放) Fujifilm GFX100S (WB:auto)

F2(開放) Fujifilm GFX100S(WB:auto)





F2.8  Fujifilm GFX100S(WB:auto, FS:CC)


F2.8  Fujifilm GFX100S(WB:曇空,FS: CC)










初期モデル(ノンコート) x Fujifilm GFX100S 

F2(開放) Fujifilm GFX100S(WB:auto, FS: Standard)
F5.6  Fujifilm GFX100S(WB:auto, FS: Standard)


F2(開放) Fujifilm GFX100S(WB:auto, FS: Standard)























F2(開放) Fujifilm GFX100S(WB:auto, FS: Standard)
F2(開放) Fujifilm GFX100S(WB:Auto, FS :Standard)




































2025/10/15

Carl Zeiss Jena Pancolar 50mm F2


カラー時代に相応しい色再現を実現した

ツァイス光学技術の結晶

Carl Zeiss Jena PANCOLAR 50mm F2

PancolarのレビューについてはMarco Kröger 氏のWEBサイトzeissikonveb.de[1]が充実しており、今回の記事の作成にあたっては同氏の記事を参考にさせていただきました。Kröger氏に敬意を表します。

パンカラー誕生前夜──光学革命の幕開け

1930年、ドイツ・ショット社のエドウィン・ベルガー(Edwin Berger)は、後のレンズ設計に多大な影響を与える革新的なガラス硝材を発明しました[2]。その硝材は、高屈折率・低分散を特徴とするランタン系クラウンガラスで、金属酸化物を添加することで光学性能を飛躍的に向上させることが可能となりました。この技術革新は、当時の光学界にとって画期的なものでしたが、1930年代のドイツは経済的混乱と政治的緊張の中にあり、こうした高性能ガラスの安定供給は技術的にも体制的にも困難を極めました。量産化には、1939年にショット社が確立した新たな製造技術の登場を待たねばならず、写真用レンズへの実用化が本格化するのは第二次大戦後のこととなります。

分断された国、分岐する技術──そして新たな指導者の登場

戦後、ドイツは東西に分断され、光学技術の発展もそれぞれ異なる道を歩むことになります[5]。ショット社は西ドイツに拠点を置きながら、戦前から蓄積された技術を活かし、SK21SK22SK24SSK10などの特殊光学ガラスを次々に開発・供給しました。同時に、反射防止コーティング技術の進歩と普及が進み、これら二つの技術革新は1950年代以降のレンズ構成の在り方を根本から変えることになります。こうした技術的潮流をいち早く捉え、戦後間もなく35歳という若さで東ドイツ・カール・ツァイス人民公社のレンズ設計部門長に就任したのが、ハリー・ツェルナー博士(Harry Zöllner, 1912-2007)です。彼は新素材と新技術を積極的に取り入れ、戦後の東ドイツにおける光学設計の方向性を定める中心的存在となりました。そして、ツェルナー博士の設計した代表的なレンズの一つがパンカラー/パンコラー(PANCOLAR50mm F2です。

ゾナーはやめだ!ガウスを作れ!!

ゾナーと言えば戦前から続くカール・ツァイス製レンズ群の中で最高位のランクに位置づけられるブランドで、その名は光学性能と技術革新の象徴として広く知られていました。戦後においてもその評価は揺らぐことなく、ツァイスは世界初の一眼レフカメラCONTAX Sの開発に際し、標準レンズとしてゾナー57mm F2の開発を進めていました[3]。このレンズは一眼レフカメラに対応できるようバックフォーカスを延長した画期的なもので、当初のツァイス・イコン社は戦後もゾナーブランドを標準レンズに据えるべきだと主張しました。

しかし、1949年に発表されたハリー・ツェルナーの論文[4]が、この流れを決定的に変えます。彼は将来的な標準レンズの発展において、ゾナータイプよりもガウスタイプ(ビオター)の方が、画質・機能の両面で圧倒的に優位であると強調し始めたのです。ツェルナーの主張は、光学ガラスの性能向上やコーティング技術の進化が、ガウスタイプと性能向上により有利に働くという技術的根拠に基づいていました。さらにその背景には、ライツ社のズミタールやシュナイダー社のクセノンといった、すでに高い潜在力を秘め存在感を強めつつあったガウス型レンズの台頭もありました。実際に、彼の論文から数年後にはライツ社のズミクロンやフォクトレンダー社のウルトロンといった革新的なレンズが市場に登場し、先見の明が証明されます。 ツェルナーの提言を受け、1949年にツァイス・イコン社はゾナー57mm F2の開発を中止し、ガウスタイプへと軸足を移しました。このような経緯を経てツァイスのウィリー・ウォルター・メルテが戦前の1930年代に開発したガウスタイプのビオターに注目が集まります。

ビオターは戦後も販売が続けられ、一眼レフカメラのEXAKTA用交換レンズとして米国市場では一定の人気がありました。しかし、1930年代の古い設計では光学的な限界が見え始めていたため、1950年代初頭からツェルナーを中心に「次世代型ビオター」の開発が本格的に始まります。 新しいレンズには、より高い解像力、良好な色収差補正、コンパクトな設計、そして一眼レフに不可欠な十分なバックフォーカスを持つ50mmの標準レンズが求められました。しかし、バックフォーカスを確保しつつ焦点距離を50mmに抑えることは、当時のツァイスの光学技術をもってしても困難な課題でした。

パンカラーのルーツはトロニエのクセノンなのか?

一眼レフカメラに搭載されるレンズは、ミラーの可動スペースを確保するために、バックフォーカス(後方焦点距離)を長く取る必要があります。この点においては焦点距離が長いレンズほどマージンがありで有利ですが、標準レンズの焦点距離では稼働スペースの確保がギリギリとなります。例えば、古い一眼レフ用レンズのビオターが50mmではなく、やや長めの58mmになっているのは、この制約を考慮した結果です。

1950年初頭、この制約を回避できた50mmの標準レンズが1本だけ存在しました。それがシュナイダー社のクセノン 5cm F2で、1934年にトロニエによって設計されたレンズです。クセノンではガウスタイプの前群にある張り合わせ面を分離することでバックフォーカスを延長し、一眼レフカメラのEXAKTAに対応可能な構造を実現していました。驚いたことにツェルナーはこのクセノンに注目し、1952年に同レンズの設計をベースとしたビオター50mm F2の試作V130を開発します[1]。このレンズには新開発のランタン系ガラス「SK21」と重フリントガラス「F16」が使用されており、ツァイスとしては史上初めて一眼レフ用レンズで焦点距離50mmを達成した瞬間でした。直接的あるいは間接的にでも、トロニエの関与があったことが事実なら、これは歴史に埋もれていた驚くべき事実ですが、これは戦後の分断で著しく力を落としていたツァイス・イエナ社にとっては仕方のないことでした。かつてのビオターの設計士メルテと助手のロバート・ティーデケンはそれぞれ米国と旧ソ連に出国し、ツェルナー率いる設計陣は失われたダブルガウスの設計技術を取り戻すところから新型レンズの開発をスタートさせています。なお、ツェルナーとトロニエはフォクトレンダー社時代の在籍期間がオーバーラップしており、接点があった可能性は充分に考えられます(Marco Kröger氏の仮説:zeissikonveb.de[1]参照)。

しかし、V130をベースにした新型レンズの製品化は実現しません。V130の完成から数週間後、シュナイダー社のクレムトとマッハーがこれに極めて類似した構造を持つレンズの特許を先に公開し、V130の製品化をブロックしてしまうのです。

 

特許の壁を超える――試作レンズV136の革新性、新型レンズの登場

それでもツェルナーは新型レンズの開発を諦めませんでした。1929年からツァイスに在籍していた同僚エドゥアルト・フーベルトの協力を得て、試作レンズV130の屈折力特性を維持しつつ、分離していた張り合わせ面を元に戻す新たな設計アプローチを模索します。この試みは成功し、1953年には焦点距離50mmの新しい試作レンズV136(50mm F2)が完成します。そして、この試作レンズの登場こそが後のパンカラーの誕生に繋がる原点となるのです。

V136の設計は、従来の前群・後群が対称構造を持つビオター型レンズとは一線を画していました。前群の張り合わせ面すべてが物体側に湾曲しており、独自の非対称構造を持っています。

この「張り合わせ面を戻す」というアプローチは、外見上は元のオーソドックスなレンズ構成に戻ったように見えますが、決して設計技術の後退ではなく、特許の壁を乗り越えた革新的な解決策でした。事実、その後にシュナイダー社も、これと類似した試作レンズを開発し、新型クセノン50mm F1.9として製品化しています。試作レンズV136をベースとする改良はさらに続き、新型レンズの登場は、もう目の前のところまで来ていました。ツェルナーとフーベルトは歪みの補正、周辺光量の改善などに取り組み、翌1954年に新型レンズのベースとなる試作レンズV172を完成させます。このレンズを基に翌1955年夏までに最初の市販モデルが製造されました。ただし、当初のレンズ名はパンカラーではなく、ツァイスが戦前から継承してきた伝統的なブランド名の「ビオター」が当てられたのでした。

このビオター50mm F21956年の暮れから1957年に初頭にかけて、少量の100本のみが製造されています。何をモタモタしていたのでしょう。じつは、この頃ちょうど東西に分裂したツァイスの間で、製品名の商標権を争う激しい裁判がまさに始まろうとしていたのです。

「ビオター」はダメ、「フレクソン」もダメ。そして「パンカラー」へ

裁判の行方次第では、西側諸国向けの輸出製品に「ビオター」の名称を使用できなくなる可能性がありました。この問題を回避するため、ツァイス・イエナ社は急遽、新型レンズの名称を「ビオター」から「フレクソン」へと変更する決断を下します。当初出荷された100本には「ビオター」の名が冠されていましたが、市場に流通する直前で回収されたと見られ、これを裏付ける製品個体は現在までに一本も確認されていません。翌月には、名称をフレクソンに改めた1000本が、一眼レフカメラのプラクチナ用として改めて市場に供給されました。

しかし、ほどなくして「フレクソン」が米国エクソン・モービル社の製品(炭化水素溶剤)として、既に商標登録されていることが判明します。これにより、主要な輸出先である米国市場への展開が不可能となり、ツァイス・イエナ社は再び名称変更を余儀なくされてしまいます。

2度にわたる名称変更の末、同社が最終的に辿り着いたブランド名が「パンコラー(パンカラー)」でした。その語源には定説はありませんが、「Pan=すべて」+-color=色彩」+[ar(接尾語)]に由来し、「全色を忠実に再現するレンズ」という理念が込められていたと考えられます。この「パンカラー」への名称変更は1960年から始まりましたが、同年には光学設計にも重要な改良が加えられています。具体的には、正エレメントに用いられていたガラス硝材が従来のSK21から、より高性能なSK24へと置き換えられました。ただし、この設計変更が名称変更と同時に行われたかどうかについては、現存する資料が乏しく、明確な証拠は確認されていません。

Pancolar 50mm F2(1960年発売)構成図: 設計者はH.Zollner とE.Hubert。左が被写体側で右がカメラの側です





 

パンカラーの登場――カラーバランスを中和せよ

パンカラーという名称には、「あらゆる色を忠実に再現するレンズ」という理念が込められていたと考えられます。すなわち、カラー撮影の普及に応えるべく、それまでモノクロ時代には問題視されなかったカラーバランスの偏りを補正する新技術が導入されているのです。

1950年代に入り、カラー写真が一般化すると、レンズの色再現性は光学設計における重要課題として浮上しました。とりわけ、当時のカラー撮影で主流であったカラーリバーサルフィルムは、現像過程で色補正を受け付けないため、レンズがニュートラルな色を再現できないことは致命的な欠点となり得ました。設計者たちは1950年代初頭にはすでにこの問題を認識していましたが、モノクロ撮影が主流であった時代には、色の偏りは実用上大きな障害とはならず、容認されていました。

ところが、カラー写真が一般層にまで広まった1950年代半ば以降になると、この問題は次第に大きく取り上げられるようになり、顕在化していきました。とくに課題となったのが、フレクソンやフレクトゴンのような高性能レンズに使用されていた特殊光学ガラスです。このガラスは青色スペクトル領域の透過性が低く、写真が黄味を帯びる傾向がありました。この性質は、単にガラス素材を変更すれば解消できるというものではありませんでした。高性能な特殊光学ガラスの多くに共通して見られる組成由来の性質です(脚注1)。

この課題に対して、技術者たちはコーティング技術を用いたカラーバランスの補正という新たなアプローチによる解決策を発明しました。当時主流だった単層(シングル)コーティングは、特定の波長の光に対して透過性を高めるものであり、膜厚をその波長の1/4に設定することで、狙った光の反射を抑えることができます。たとえば、青色光の透過性を高めるように設計されたコーティングは、黄褐色光の反射率を高める効果を持ちます(脚注※2)。ガラスに対する透過特性がこれとは逆であることを利用し、両者を巧みに調整することで、青と黄のバランスを中和することが可能になりました。このように、ガラス素材とコーティング技術の相互作用を精密に制御することで、カラー写真時代に相応しい高い色再現性を実現したレンズが完成しました。これこそがパンカラーなのです。

パンカラーは単なるレンズではありません。戦争を越え、分断を越え、技術者たちの情熱と知恵が結実した「光学技術の結晶」なのです。ゼブラのデザインも超かっこいいですし。

※1 Zeiss Jenaのシングルコーティング時代のレンズはカラーバランスが温調系にコケやすいことが昔から知られています。これは、高性能な特殊光学ガラスが青色の光を透過させづらい性質に由来しています。

※2 Zeiss Jenaの単層コーティングはアンバー色であることが知られていますが、これは反射防止コーティングの厚さを制御することで、青色のスペクトル領域を優先的に透過させ、黄緑色のスペクトル領域をより強く反射させた結果です。

参考文献・資料

[1] zeissikonveb.deMarco Kröger

[2] 「写真レンズの歴史」 キングスレーク著

[3]  DD4228 vom 24. November 1951

[4] Harry Zollner, Jena/ Leistungsprufung von Fotoobjektiven (1949)

[5] 「東ドイツカメラの全貌」:一眼レフカメラの源流を訪ねて リヒァルト・フンメル他 朝日ソノラマ 

Pancolar 50mm F2:フィルター径 49mm, 絞り F2-F22, 最短撮影距離 0.5m, 絞り羽 6枚, 重量(実測) 190g, 設計構成 4群6枚ガウスタイプ, 1959年製造(発売は1960年), PANCOLARとしてはM42マウントとEXAKTAマウントの2種が存在する

 

入手の経緯

レンズは国内外の中古市場に豊富に流通しています。ネットオークションでは1.2万円~2万円程度、ショップでも2~3万円程度と、とても買いやすい値段です。エキザクタマウントとM42マウントの2種があり、M42マウントの個体のほうが使用できるカメラか多いぶん人気も値段も高めです。ただし、光学設計は同じなので、ミラーレス機で使用するのでしたらエキザクタマウントの個体のほうが断然お得です。

ちなみに後継モデルのPancolar F1.8はもう少し高く、ネットオークションでは2.5万円〜3万円、ショップでは4万円くらいです。F2のEXAKTA用モデルが穴場的な値段設定であることが、よくわかります。

EXAKTA VX100に搭載したPANCOLAR


  

撮影テスト

ガウスタイプに特有の弱点とされるコマ収差はよく抑えられており、開放から像の滲みはほとんど見られません。ピント面は画面の四隅に至るまで高いシャープネスを維持しており、スッキリとした透明感のある描写とともに、高い解像が得られます。

背景のボケには時折ざわつきが感じられ、開放では過剰補正の反動と思われる描写の硬さが現れることがあります。ただし、ぐるぐるボケや放射状の乱れが目立つことはなく、全体として品位のあるボケ描写です。周辺光量の低下もほとんど気にならず、自然なトーンで画面を構成します。

本レンズは、シングルコーティング時代のZeiss Jena製レンズに共通する傾向として、発色がわずかに黄味を帯び、写真全体が温調寄りのテイストになることがあります。これは、正レンズに採用されている前述の高性能ガラスの影響によるもので、青系の短波長光を透過しにくい性質を持っているためです。

この発色の偏りに対しては、コーティングに逆の透過特性を持たせることで中和を図る技術が用いられていますが、その補正の度合いはメーカーごとの設計思想に委ねられています。ツァイス・イエナは温調方向への偏りを許容する傾向があり、コーティングによるカラーバランス補正は比較的マイルドに施されていると考えられます。ちなみに、シュナイダーやローデンストックは寒色系に転ぶ傾向が強く、より強めのカラーバランス補正が施されている印象です。

★Fujifilm GFXによる写真作例★

今回ご紹介するレンズは設計にかなりの余裕があり、中判イメージセンサーを搭載したFUJIFILM GFXシリーズやHASSELBLADのデジタルカメラにおいても、暗角(いわゆるケラレ)が一切生じることがありません。四隅で若干の光量落ちはあるものの、そのまま撮影に使用することが可能です。ただし、レンズ本来の設計基準から外れるため、画面四隅では画質の低下が認められます。

この問題に対しては、アスペクト比の調整によって効果的な対応が可能です。具体的には、撮影フォーマットを35mm判に近い対角線画角を持つフォーマットへと変更することで、レンズの設計意図により近い条件で使用することができます。たとえば、65:24や1:1といったアスペクト比を採用することで、画面周辺の描写が設計基準から大きく逸脱することなく、安定した画質を得ることができます。大は小を兼ねる!。

このような工夫により、中判デジタル機においてもレンズの性能を最大限に引き出すことが可能となります。

F4, GFX100S(Aspect ratio 65:24)
F4, GFX100S(Aspect ratio 65:24)
F2(開放) GFX100S(Aspect Ratio 3:2)

F2(開放) GFX100S

F2(開放) GFX100S

F2(開放) GFX100S

F2(開放) GFX100S

F2(開放) GFX100S

F2(開放) GFX100S(Aspect Ratio 3:2)
F2(開放) GFX100S(Aspect Ratio 16:9)

F2(開放) GFX100S(Aspect Ratio 16:9)

F2(開放) GFX100S(Aspect Ratio 16:9)








2023/09/10

Carl Zeiss Jena TESSAR 80mm F2.8 ( Rev.2 ) M42 / EXAKTA mount

 

ツェルナーと普及版テッサー

Carl Zeiss Jena TESSAR 80mm F2.8

 

普及版テッサーの登場

テッサーは言わずと知れたカール・ツァイスを代表するレンズの一つで、バンデルスレプとルドルフが1902年に発明しました。戦前は最高級カメラの定番レンズでしたが、戦後は普及モデルとなり、大衆向けコンパクトカメラに搭載され市場に大量供給されました。テッサーが普及したことで多くの人が「普通によく写るレンズ」を手に入れたと言われています。一方でしかし、普及版テッサーが生み出された背景にツァイス・イエナのレンズ設計士ハリー・ツェルナー(1917-2007)の貢献があったことは、多くの人にあまり知られていません。

ツェルナーは1940年代半ばに、当時まだ出回り始めたばかりの新種ガラスがテッサーの改良に極めて有効であることを見抜き、F2.8の明るさでテッサーの再設計に取り掛かります[1]。後群G3の一部に新種ガラス、G2に屈折力の強いガラスを導入した新型テッサー(1947年に完成)は性能面で飛躍的な進歩を遂げ、特に球面収差とコマ収差、非点収差の補正効果が大幅に改善[2,3]、戦前の旧F3.5をも上回る素晴らしい性能を実現します。口径比F2.8に完全対応した新型テッサーは市場に歓迎され、廉価モデルのトップレンズとして急速に普及します。新型テッサーの成功は他のレンズメーカーにも多大な影響を与え、「テッサータイプ」などと呼ばれる膨大な数のコピーや類似品が造られました。ツェルナーのもたらした功績について理解を深めるため、少し時代を遡ってみましょう。

戦前のテッサー

1930年代に入りテッサータイプのレンズは35mmカメラの標準レンズとして確固たる地位を築いていました。この時代のテッサーは口径比F4.0が設計限界で、これを超えると収差由来のフレアで柔らかい描写傾向となりました。ただし、僅かに絞るだけでシャープネスとコントラストが増し、本来のキレのある描写に戻りましたので、どうにかF3.5までが許容されたのです。この少し背伸びをしたテッサーは市場に受け入れられ、F4.5のモデルとともにツァイスを代表する看板商品となります。しかし、更に半段明るいF2.8での製品化はまだまだ非現実的でした。発明者の一人であるルドルフはテッサーの大口径化に反対でしたが、共同発明者のバンデルスレプとルドルフの弟子メルテは野生生物の記録撮影にも使える明るいレンズが欲しいという学術界からの要望に応じるため、1925年に当時登場したばかりの新しいガラス(SK7やSK10など)を用いてテッサーを再設計、F2.7の明るさで製品化させます[4]。両者は協力し1930年にもテッサーの再設計に取り組んでおり、F2.8の改良モデルをリリースさせます。しかし、これらはいずれも性能的に厳しく、世間の評判は良いものではありませんでした[5]。テッサー本来の描写性能をF2.8の口径比で実現するにはガラス硝材の進歩を待たなければなりません。設計限界に直面したバンデルスレプとメルテは1925年に2つの凸レンズを貼り合わせに置き換え6枚玉とした改良レンズのビオテッサーF2.9を完成させます[6]。しかし、このビオテッサーもガラス硝材の高性能化とツェルナーの新型テッサーの登場でアドバンテージを失い、生産中止に追い込まれています。

戦後にテッサーの普及モデルが登場したことで、多くの人が普通によく写るレンズを手に入れましたが、この普及モデルを生み出したのはルドルフでもバンデルスレプでもメルテでもなく、機運に恵まれたツェルナーでした。私達はツェルナーの功績をもう少し大きく(正当に)評価する必要があるのかもしれません。 


レンズ構成の退行的進化

ガラス硝材の進歩により、屈折面を多く持つ複雑なレンズ構成が後にシンプルな構成へと先祖返りする、いわゆる「退行的進化」を遂げるケースがしばしば見られます。この退行的進化とは、「退化」に適応的な意義が認められる場合に限って使われる系統学の用語です。ビオテッサーが誕生し、後に再びテッサーへと合流してゆく変遷は、退行的進化の典型的な事例と言えます。レンズ構成の時系列的な変遷はエルノスターからゾナーが派生した過程のように、「複雑化=高性能化」という観点で杓子定規的に語られる傾向が多いのですが、生物同様に単調なものではなく、本来はもっと複雑で多様は過程を経て現在に至っているものと考えられます。今回のような先祖返りの事例を集め、退化という観点でツァイスレンズの変遷を辿るのも面白そうです。


★参考文献

[1] Jena review (2/1984) カール・ツァイス機関紙 

[2] nach Zöllner, Harry: 70 Jahre Tessar; in: Fotografie 1972, S. 33.

[3] 「カメラマンのための写真レンズの科学」 吉田正太郎(地人書館) 

[4] Kingslake, A History of the Photographic Lens(写真レンズの歴史)

[5] B.J.A. 1926, p324 

[6] DRP451194(1925), US Pat.1697670(1925);Brit. Pat. 369833(1930)

TESSAR 80mm F2.8: フィルター径 49mm, 最短撮影距離 0.9m, 絞り羽 16枚, 本品はEXAKTAマウント, 重量(実測)398g,  シングルコーティング

 

TESSAR 80mm F2.8

レンズ構成は上図・左に示すとおりで、34枚のシンプルな構成にもかかわらず諸収差がバランスよく補正された合理的な設計です[5]。今回はやや長めの焦点距離80mmのモデルを取り上げました。光学系が50mmのモデルより一回り大きく、そのぶん諸収差やボケ量も大きくなっています。テッサーは球面収差の輪帯部の膨らみがやや大きめである点が特徴で、80mmのモデルに至っては通常のテッサーよりも収差が一回り大きくなっています。このぶん解像力は期待できませんが、コマ収差、色収差は小さめでフレアが少ないのがテッサーの特徴で、歪曲もほぼなく真っ直ぐに写ります。非点収差については像面の平坦生を維持したまま十分に補正できていますのでグルグルボケは少なめで、焦点距離のやや長い80mmのテッサーに至っては全く出ません。線の太いクッキリとした階調描写とフレアのないスッキリとしたヌケの良さが持ち味です。近接域から遠景まで距離によらず安定した描写性能を維持しています。ボケ量も50mmのモデルより大きく、このモデルならポートレート撮影で使いやすい画角ですが、近接からポートレート域にかけては背後のボケがザワザワとしており、使い方を選ぶ必要がありそうです。

TESSAR 80mm F2.8 + Fujifilm GFX100S

TESSAR 80mm F2.8 + Sony A7R2

TESSAR 80mm F2.8 + Fujifilm GFX100S

TESSAR 80mm F2.8 + Fujifilm GFX100S

TESSAR 80mm F2.8 + AGFA Vista 100 Colorネガ
TESSAR 80mm F2.8 + Fujifilm GFX100S

TESSAR 80mm F2.8 + Fujifilm GFX100S

2021/06/15

Carl Zeiss Jena BIOGON 3.5cm F2.8 Contax RF mount

オールドレンズの評論家達がこの広角レンズを、言葉を尽くして褒めたたえます。BIOGONを手にすると、ツァイスがレンズ設計の偉大なイノベーターであることを実感できるというのです。いったい何がそんなに凄いのか、BIOGONの秘密を紐解く手がかりがレンズ構成にありました。

ベルテレの広角ゾナー part 1

カメラの都合など考えもしない大きな後玉が
レンズマニアたちの心をグラグラと揺さぶる
Cael Zeiss Jena  BIOGON 3.5cm F2.8

BIOGON(ビオゴン)は、カール・ツァイスが1936年に同社の高級レンジファインダー機 CONTAX IIIII 型のために開発・発売した広角レンズです。先代の CONTAX I 型(19321936年)には間に合わず、I 型には暗めの広角レンズ TESSAR 28mm F8 が供給されていました。したがって、明るい広角レンズの登場は手持ち撮影を可能にする画期的な出来事であり、BIOGON の登場は CONTAX ユーザーに熱烈に歓迎されたのです。同時期の Leica に搭載されていた広角 Hektor 2.8cm F6.3やELMAR 3.5cm F3.5と比較しても、F2.8 の明るさは他社を圧倒する異次元の性能であり、BIOGON は当時世界で最も明るい広角レンズでした。

この革新を成し遂げたのは、SONNAR(ゾナー)の設計者として名高い Zeiss の天才技師 L. Bertele(ベルテレ)です。BIOGON SONNAR を起点として開発され、その描写特性を色濃く受け継ぎました。これらのレンズに共通する普遍的な描写は、写真画質に対する Bertele の揺るぎない理念の表れといえるでしょう。

ただし SONNAR は、画角を広げすぎると非点収差が急増するという弱点を抱えていたため、標準から中望遠域に適した設計でした。広角化には基本構造の大幅な改良が不可欠であり、優れた性質を維持しつつ弱点を克服することが BIOGON 開発の核心でした。Bertele は研究を重ね、後玉を大胆に大型化するという新たな発想に到達します。これにより、従来の常識を覆す特異なレンズ構成を打ち出し、SONNAR を広角レンズへと適合させることに成功したのです。まさに彼の天才性が遺憾なく発揮されて生み出されたのが、この BIOGON でした。

BIOGON といえば、ストリートフォトグラファー Robert Frank の存在も忘れてはなりません。彼の代表作『The Americans』(1958年)は、1950年代アメリカの姿を批判的に切り取った歴史的名作として知られています。Frank は改造 BIOGON 35mm をライカにマウントして使用しており、その鋭い視線と BIOGON の描写力が融合して、写真史に残る作品群を生み出したのです[2]。



BIOGON の原型は戦前の1934年に誕生しました。この試作設計は、SONNAR の各レンズエレメントのパワーバランスを変更したもので、構成自体は SONNAR と全く同一でした(上図・左から2つめ)。その後、1936年に製品版 BIOGON が登場します。このモデルでは、前群の3枚接合ユニットが2枚に簡略化され、さらに後群には貼り合わせレンズが1枚追加されることで、後群側の設計自由度が大きく補強されました(上図・左から3つめ)。この完成形は戦後も継続して製造され、長く写真家に愛用されることになります。

戦後には、西ドイツの Zeiss-Opton からも別設計の BIOGON(通称「オプトン・ビオゴン」)が発売されました。このモデルでは後群のガラス厚を積極的に利用して屈折力を確保し、同時にレンズエレメントの構成枚数を6枚へと削減しています(上図・右)。

参考文献

[1] Marco Cavina’s wonderful HP: marcocavina.com

[2] 田中長徳 「ロバート・フランクとカール・ツアイス・イエナ・ビオゴンを語る」御茶ノ水のギャラリー・バウハウス(2013)

[3] Zeiss Ikon社 公式カタログ(1938) 内の構成図

Carl Zeiss Jena BIOGON 3.5cm f2.8: フィルター径 40.5mm, 重量(実測) 115.5g, 絞り羽 5枚構成(F2.8-F22) , 最短撮影距離 0.9m, 4群7枚BIOGON型, Contax RF/マウント, Tコーティング

入手の経緯

現在のビオゴンの相場は500ドル前後です。製造から半世紀もの歳月が経ちますが、まだまだ流通量がありますので、コンディションの良い個体をじっくり探すことをおすすめします。今回ご紹介している個体は2019年夏にドイツ版eBayにて、コレクターと称する個人の出品者から落札しました。レンズのコンディションは大変よく、拭き傷すらない美品でした。


デジタルミラーレス機へのマウント

BIOGON は後玉が大きく飛び出しているため、使用できるカメラは限られています。フルサイズのミラーレス機であれば問題ありませんが、APS-C 機(リコー製を除く)やマイクロフォーサーズ機では後玉がカメラ内部に干渉し、物理的に装着できないので注意が必要です。

使用するマウントアダプターは、コンタックス RF(レンジファインダー機)用レンズに対応したものを選びます。この種のアダプターには、ヘリコイドを内蔵した外爪・内爪両用タイプと、外爪のみのタイプがあり、どちらでも使用可能です。前者は価格が高めのため、後者の方が実用的でしょう。アダプターには、カメラ側をライカ M マウント(距離計非連動)へ変換する製品と、E マウントなどミラーレス機に直接変換する製品があります。おすすめはライカ M マウントに変換するタイプで、これをライカ M からミラーレス機へ接続するヘリコイド付きアダプターと組み合わせる方法です。この構成により、BIOGON の最短撮影距離(0.9mとやや長め)を短縮でき、近接撮影にも対応可能となります。

 

撮影テスト

解像力よりは階調描写やコントラストで押し切るタイプのレンズです。開放から中央はハッとするほどシャープでヌケもよく、画面全体のコントラストもたいへん良好、発色もたいへん鮮やかですが、ピント部の四隅では解像力が極端に落ち、ピントがあっていないように見えるレベルです。これはデジタルカメラ機でこのレンズを用いたときに生じる、像面湾曲の影響であるという解説を目にします。すなわち、センサーの四隅に浅い角度で入射する光と、センサーのカバーガラスやローパスフィルターとの相互作用で非点収差や像面湾曲が増大してしまうというわけです。確かに、背後のボケにも非点収差の影響がみられ、四隅の点光源には放射方向(サジタル方向)にツノが生えていますので、サジタル像面が大きく曲がってしまったのかもしれません。また、滲み(倍率色収差)も出ています。もちろん絞れば良像域は拡大し画面全体で高画質になります。歪みは微かに糸巻き状ですが、よく補正されています。レンジファインダー機用の広角レンズでは周辺部に光量落ちが見られることが多いのですが、このレンズでは、それが殆どありません。

F2.8(開放) sony A7R2(WB:⛅) 開放からコントラストは高く、スッキリとヌケの良い描写です



















F2.8(開放) sony A7R2(WB:日陰) ポートレートの距離で使う場合は、四隅の画質はそれほど気にはなりません
F2.8(開放) sony A'R2(WB:日光)

F2.8(開放) sony A7R2(WB:日光)

F2.8(左)とF5.6(右)での画像の比較: SONY A7R2(WB:⛅) 点光源が四隅でコマ収差の影響をうけ尾を引きます。開放から中央はシャープですが、遠方撮影時に四隅に目を向けると非点収差の影響が目立つようになります。どうせ引き画なんだから絞ればいいわけですが