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2025/04/27

Leitz Canada SUMMICRON 90mm F2(2nd), LEICA SUMMICRON-M E55 90mm F2(3rd) and Leitz Canada Summicron-R 90mm F2

解像力優先からコントラスト優先の時代へ

設計理念の変遷を3本のズミクロンが駆け抜ける

Leitz Canada SUMMICRON 90mm F2(2nd); LEICA SUMMICRON-M E55 90mm F2(3rd); Leitz Canada SUMMICRON-R 90mm F2

カラー写真時代の幕開け

1970年はカラー写真がモノクロ写真に代わって写真の主役となる転換点の年でした。同年に大阪で開催された万国博覧会(大阪万博EXPO'70)では記録映画の制作にカラーフィルムが積極的に使用され、宣伝キャンペーンが展開されています。その効果もあって、この年を境にカラーフィルムがモノクロフィルムの販売数を超え、写真と言えばカラー写真をさすまでになります[1]。1972年には米国のイーストマン・コダック社がカラー・ネガフィルムの現像処理方式であるC-41プロセスを採用し、現像処理における世界標準として広まりました。日本の富士フィルムもこの方式と互換性のあるCN-16プロセスを採用、現像処理の統一規格が定まったことで全国各地にカラー写真の現像所が整備され、カラーフィルムの急速な普及を後押ししたのです。写真撮影の中でカラー写真の占める割合は1965年に10%前後でしたが、1970年には40%を超え、1970年代半ばには80%近くまで達しています[1]。この動向はモノクロ写真が中心であったそれまでの写真業界に地殻変動とも言える大きな変化をもたらしたのでした。カメラメーカー各社はカラー写真に最適化された製品を作るようになり、特に写真用レンズにおいては、この時期に設計理念を根本から見直す機運がうみだされます。こうした変化の煽りを最も強く食らったレンズの一つが、ライカのズミクロンでした。

設計理念の変化

モノクロ写真からカラー写真への移行で大きく変わった点として、まず挙げられるのは、フィルムの解像度です。モノクロフィルムはカラーフィルムよりも粒子が細かく、記録密度が高く、3倍程度の高い解像度を持ちます。カラーフィルムの急速な普及により写真用レンズの解像力に対する性能要件は大きく低下し、代わりに発色の良し悪しを決めるコントラストが重視されるようになります。レンズの描写設計で言うならば、多少の解像力は抑えてでもフレアの抑制が優先されるバランス型の描写が求められるようになったわけです。もう少し言い換えると、解像力を重視し球面収差を僅かに過剰補正とするそれまでのトレンドから脱却し、コントラストにも配慮した完全補正または弱補正不足が好まれ、かつ色収差にも配慮した収差設計にする方が時代にニーズにあったレンズになるというわけです。解像力を活かし切ることのできない時代が後から到来してしまったわけですから、さぁたいへん。このような動向の中で、かつて高解像レンズの象徴とまで言われ称賛されたズミクロンに対しても、設計理念の見直しが行われていったのです。

高解像レンズの絶対王者

ズミクロンといえば標準レンズが有名です。特に1959年にライカM2用として発売された初期型の固定鏡筒タイプは、モノクロ写真全盛時代に設計されていることもあり、解像力に偏重した特徴のある画質設計となっています。このレンズの解像力をアサヒカメラのニューフェース診断室検査したところ、測定器の限界である280本(LP/mm)を超え計測不能と診断されてしまいます[2]。この記録はニューフェース診断室34年間の最高レコードとなり、日本におけるズミクロンの存在を特別なものとしていますただし、カラー写真時代の幕開けとともに1969年に登場したズミクロン第2世代ではコントラストにも配慮したバランス型の描写設計となり、解像力も180本程度とここまで高いものは作られませんでした[2]。今回取り上げる望遠タイプのズミクロンにおいても、このような設計理念の変遷を見ることができます。


ズミクロンの中望遠モデル

ライカはある時期からズマール、ズミタールなどの名称を改め、口径比F2のレンズをズミクロンで統一しています。ズミクロン・ファミリーには標準レンズに加え広角モデルと中望遠モデルがあり、今回取り上げる焦点距離90mmの中望遠レンズも口径比はF2ですのでズミクロンです。

ズミクロン90mmが登場したのは標準レンズの初期型と同じ1953年でした。度重なるモデルチェンジを繰り返し、現在も第5世代のAPO SUMMICRON-M 90mm F2が市場供給され現役モデルとして活躍しています。各世代の主な特徴は上の表のとおりです。

第1世代と第2世代はいずれも5群6枚の拡張ガウスタイプで、おそらく同一設計です(上図)。このクラスの長焦点モデルにわざわざ望遠比の大きなガウスタイプを導入したのは、ポータビリティよりも画質を重視したためであると考えられています。望遠比と収差量は反比例の関係にありますので、鏡胴を短縮するためパワー配置を前群側に移動して望遠比を小さく抑えると、球面収差の膨らみが増し、解像力が犠牲になります。これは言い方を変えればポータビリティと解像力がトレードオフの関係にあるということです。第1・第2世代は大きく重いレンズですが、画質最優先で設計されたモデルだったわけです。また、この世代のモデルには「空気レンズ」を導入し球面収差の膨らみを抑える工夫が施されており、加えて非点収差もほぼ完璧に補正されています。その結果、解像力は写真の中心部で140本(LP/mm)と長焦点レンズにしては非常に高く、画面平均でも100本と均一性においても優れています[2]。当時のモノクロフィルムの解像度が90本(LP/mm)程度でしたので、これはフィルムの記録密度をほぼ全面にわたり活かす事のできる性能といえます。ただし、カラーフィルムの急速な普及が始まった1970年前後からはMTF曲線にも配慮したコントラスト重視の描写設計に方針転換されており、第3世代・第4世代では基本設計が望遠比の小さなエルノスタータイプ(4群5枚)に変更、前世代よりも鏡胴は格段に短くコンパクトなレンズとなっています。エルノスタータイプといえば線の太い力強い画作りに加え、スッキリとした抜けの良い描写、安定感のある綺麗なボケが特徴で、解像力よりもコントラストで押すタイプの典型です。ズミクロンにおいても第3・第4世代ではMTF曲線が全画面で80%以上を維持しており、明らかにコントラストを重視した設計となっています[2]解像線の本数は写真の中心部で112本(LP/mm)、画面平均で80本と、やはり第1・第2世代には及びませんが、エルノスター・ベースのレンズとしては、かなり優秀な水準をキープしています。まぁ、当時のカラーフィルムの解像度は30本程度と言われていますので、これでもカラー写真で用いるには過剰な性能であったわけです。画面全体の平均解像度をみてやると、第1・第2世代は100本でしたが、第3・第4世代では80本に落ちています。これをマニアにはおなじみのKatzの公式[4]に当てはめ試算しますと、カラーネガフィルムに記録される像の解像度としては24本が21本に落ちる程度で済んでおり、たいした問題ではなかったようです。

AIが描いたマンドラー博士

今回取り上げる3本のレンズはいずれもライツのマンドラー博士(Walter Mandler, 1922-2005年)による設計です。マンドラー博士はマックス・ベレークから直接指導を受けた最後の弟子と言われています。ライカ在籍時に45を超えるレンズを設計し、ライカM/Rマウント交換レンズシステムの構築に大きく貢献した名設計者として知られています。博士の設計したレンズのデザインは総じてどれもマンドラー・デサインなどと呼ばれることがあるようですが、博士自身はコンピューターを援用したガウスタイプレンズの設計法で学位論文を書いていますので、やはりマンドラーらしさを象徴するレンズは今回のレンズの中では第1世・第2世代であろうと思います。ちなみに、博士自身にお気に入りの1本はどれかと尋ねたインタビュー記事があり、ズミルックス75mm F1.4であると答えています[5]。性能とポータビリティのバランスが絶妙だからとのこと。

 

Leitz Canada SUMMICRON 90mm F2(2nd, M-mount) : フィルター径 49mm, 重量 685g, 最短撮影距離 1m, 絞り F2-F22, 絞り羽 12枚, 設計構成 5群6枚(拡張ガウスタイプ), ライカMマウント, 組み込みフード, 販売期間 1963-1980年

Leitz Canada SUMMICRON-R 90mm F2(3rd, R-mount for Leicaflex): フィルター径 55mm, 重量 560g, 最短撮影距離 0.7m, 絞り F2-F16, 絞り羽 8枚, 設計構成 4群5枚(拡張エルノスター), ライカRマウント, 組み込みフード, 販売期間 1970-2000年

Leica SUMMICRON-M 90mm F2 E55(4th, M-mount) : フィルター径 55mm, 重量 695g, 最短撮影距離 1m, 絞り羽 11枚, 設計構成 4群5枚(拡張エルノスター型)  販売期間 1980-1998年, ライカMマウント, フード組み込み

参考文献

[1]「アマチュアカラー写真市場の拡大」富士フィルム50年のあゆみ

[2] アサヒカメラ ニューフェース診断室『ライカの20世紀』朝日新聞社

[3] Serial Number data set, Puts Pocket Pod.pdf

[4]  郷愁のアンティークカメラ III・レンズ編 アサヒカメラ増刊号 朝日新聞社 1993

[5] Viewfinder Magazine, Vol. 38, No. 2

[6] Leica M-Lenses: Their soul and secrets  by Erwin Puts

 

入手の経緯

今回取り上げた3本のレンズは2024年11月から2025年3月にかけて、いずれも国内のネットオークションで入手した状態の良い個体です。オークションでの取引相場はMマウントの第2世代が7万円〜9万円、Rマウントの第3世代が7万円〜9万円、Mマウントのモデルが13万円〜15万円程度です。私自身は第2世代を81000円、第3世代を91000円、第4世代を140000円で手に入れました。ライカのレンズは比較的高価であることに加えブランド力が高いため、ネットオークションには転売屋による取り扱い品が多く出回っており、値段の割に検査が甘い傾向にあります。また、初期不良など出品側の原因による返品であっても出品手数料を例外なく落札側に負担させるケースが横行しており、地雷を踏むと手数料だけで1万円も取られてしまいます。オークションの記載はしっかり読んでおくことをお勧めします。また、レンズは流通量が豊富なので、急がないのであれば中古店を回って探すのも良い手です。

撮影テスト

スペックデータから言ってしまえば、解像力は中央部・四隅ともに第1・2世代の方が第3・4世代よりも良く、非点収差も驚異的に小さいのでグルグルボケは全く出ないと考えられます。逆にコントラストや発色は第3・4世代の方が優れています。事前情報では第1・第2世代の方に何らかのクセがあり、第3・第4世代の方が現代的で大人しい描写という意見が多くありました。ここはガウスタイプとエルノスタータイプの性格の差なのかなと漠然と思い信じ込んでいましたが、実際に使ってみますと、いずれのモデルも開放からスッキリとしたクリアな描写でヌケがよく、解像力・解像感ともに満足のゆくレベルで、クセらしいクセはありません。第2世代は発色が若干落ち着いておりオールドレンズらしさを残しているのに対して、第3・4世代の方がコッテリと色が乗りコントラストの良い現代レンズ的な描写です。ボケはどのモデルも充分に綺麗で距離によらず安定しています。ただし、口径食は明るい望遠レンズ相応に出ており、四隅で点光源からの玉ボケが扁平しています。歪みは第1・第2世代が樽型、第3・第4世代が糸巻き型で、どちらも非常に少ないレベルです。デジタルカメラで使用すると色収差(軸上)がある程度目立ちます。これは第2世代のみならず、第3・4世代でも同様です。

SUMMICRON-M(2nd)+Nikon Zf
 
SUMMICRON-M(2nd) F2(開放) Nikon Zf(WB: 日陰)

SUMMICRON-M(2nd)  F2(開放) Nikon Zf(WB: 日陰)
SUMMICRON-M(2nd)  F2(開放) Nikon Zf(WB: 日陰)








SUMMICRON-M(2nd)  F2(開放) Nikon Zf(WB: 日陰)
F2(開放) Nikon Zf(WB: 日光A)

SUMMICRON-M(2nd)  F2(開放) Nikon Zf(WB: 日光A)

SUMMICRON-M(2nd)  F2(開放) Nikon Zf(WB: 日光A)

F2(開放) Nikon Zf(WB: 日光)

F2(開放) Nikon Zf(WB: 日光)

F2(開放) Nikon Zf(WB: 日光)
SUMMICRON-M(4th)+ Nikon Zf
 
F5.6  SUMMICRON-M (4th)  F4  Nikon Zf(WB:日陰)

SUMMICRON-M (4th) F2(開放) Nikon Zf(WB:日光A)
SUMMICRON-M (4th) F2(開放) Nikon Zf(WB:日光A)



SUMMICRON-R(3rd) + Nikon Zf

 
SUMMICRON-R(3rd) F2(開放) Nikon Zf(日光A)

SUMMICRON-R(3rd)  Nikon Zf(日光A)

SUMMICRON-R(3rd) F2(開放) Nikon Zf(日光A)






2024/01/08

Carl Zeiss Jena ERNEMANN-ERNOSTAR 5cm F1.9

ERNOSTAR特集 PART 2

シネマ用レンズとして供給された

焦点距離5cmのエルノスター

Carl Zeiss Jena ERNEMANN-ERNOSTAR 5cm F1.9

エルノスターを開発したエルネマン社でしたが、1926年にツァイス・イコン社の設立母体として他社と合併し消滅してしまいます。ただし、エルネマン社の一部のカメラやレンズは、合併後も短い期間だけCarl Zeiss Jena製品として生産されました。今回紹介するERNEMANN-ERNOSTAR 5cm F1.9もそうした製品の一つで、35mm映画用レンズとして同社がZeiss傘下で1930年頃まで生産したKino model E、およびCarl Zeiss Jena製品の35mm Kinamo N25というカメラに搭載され市場供給されています。注目すべきはこのレンズの設計で、エルノスターファミリーの遺伝子を受け継ぐ系統であることは確かなのですが、下図に示すとおり、これまで事例のなかった4群5枚構成なのです。よく観察しますと、この構成はよく知られている4群4枚の10cm F2と、4群6枚の10.5cm/8.5cm F1.8のちょうど間をとった関係になっており、開放F値が1.9である事が正にそれを暗示しています。この事実が計画的であったかどうかはわかりませんが、ベルテレは構成枚数を1枚づつ追加しながら開放F値を0.1刻みで明るくしたようです。同一構成のレンズとしては、戦後に登場したKOMURA 105mm F2.8, 135mm F2.3, 135mm f2.8などがあります。

 


入手の経緯

レンズは2023年の写真工学研究会グループ写真展で出展者としてご一緒したサンドさんからお借りしました。はじめからライカMマウントに改造されており、デジタルミラーレス機で使用できる状態になっていました。レンズはカビ、クモリ等ない良好な状態です。シリアル番号が94万番代ということで1930年に製造された個体のようです。中古市場で一体幾らで取引されているのかは個体数が少ないこともあり、わかりませんが、10万円~20万円で買えるようなものでは無いとだけは断言できます(さすがに100万円はしませんが)。 

Erneman Ernostar 5cm F1.9: 絞り F1.9-F22, 絞り羽 12枚, 4群5枚エルノスター1型変形, ノンコート, フィルターねじはないが34mm前後が緩くハマる  


撮影テスト

解像力といい、発色傾向といい、自分が求めるオールドレンズの感覚にスッと入り込むものがあり、すごく気に入りました。例えるならカラフルな折り紙を扱う創作表現の世界に一人和紙を用いて切り込んでゆくような感覚で、折り紙を現代レンズによる描写表現に例えています。

レンズは35mmシネマ用フォーマットが定格で、APS-Cセンサーを搭載したデジタルカメラで用いるのが相性のよい組み合わせです。ただし、イメージサークルには余裕があり、フルサイズセンサーはおろか、もう一回り大きな中判デジタルセンサーでも、どうにか使用できます。

ガラス面にコーティングの無いいわゆるノンコートレンズですので、コントラストは低めで、発色はあっさりと淡く、軟調傾向の強い描写ですが、開放でも滲みはなく、レトロな意味でおしゃれな写真が取れる類のレンズです。モノクロ撮影との相性もかなり良さそうです。今回はフルサイズ機での試写がメインでしたが、四隅まで良好に解像しており、ボケも素直で安定感があります。エルノスターの構成で気にしなければならない歪みや四隅でのピンボケ(像面湾曲)ですが、実写ではそれほど気になることはありませんでした。ちなみに、こういう個性丸出しのわかり易いレンズこそ、オールドレンズを始めたばかりの入門者に使ってもらいたいと、いつも思っています。正直、自分は欲しくなってしまいました。手頃な価格で買えるもんなら本当にオススメしたいです。

F1.9(開放)  Nikon Zf (WB:日光)

F1.9(開放)  Nikon Zf (WB:日光)















F1.9(開放)  Fujifilm GFX100S(35mm判フルサイズモード, WB auto, FS CC)

F1.9(開放)  Fujifilm GFX100S(35mm判フルサイズモード, WB auto, FS CC)

F1.9(開放)  Fujifilm GFX100S(35mm判フルサイズモード, WB auto, FS CC)





F5.6  Fujifilm GFX100S(Aspect Ratio 29mmx16mm[65:4からのクロップ], WB auto, FS CC)


F1.9(開放) Nikon Zf (WB:日光)















































続いて、中判イメージセンサー(44x33mm)を搭載したGFX100Sにてクロップ無しで撮影した結果です。絞ると四隅が少しケラれてしまい口径食も出ますが、開放ではケラれません。ただし、像面湾曲とぐるぐるボケ、糸巻き状の歪みが目立ち始めます。大きなボケ量は魅力ですが、安定した画質を求めるならば、おとなしくフルサイズセンサーまでにしておくのがよさそうです。

F1.9(開放)  Fujifilm GFX100S(WB auto, FS CC)

F1.9(開放)  Fujifilm GFX100S(WB auto, FS CC)

F5.6  Fujifilm GFX100S(WB auto, FS CC)絞ると四隅がケラれます

F1.9(開放)  Fujifilm GFX100S(WB auto, FS CC)

F1.9(開放)  Fujifilm GFX100S(WB auto, FS CC)

F1.9(開放)  Fujifilm GFX100S(WB auto, FS CC)






































2024/01/06

Ernemann Ernostar 100mm F2 (converted M42)

ERNOSTAR特集 PART 1 

写真表現の新境地を切り拓いた

高速レンズの革命児
 
Ernemann Anastigmat ERNOSTAR 10cm F2

人間の目は素晴らしい機能を持っています。目の水晶体を変形させ、遥か遠くの海原を横切るヨットから手元の小さな印刷活字に至るまで、自在にピントを合わせることができます。目の虹彩を伸び縮みさせ取り込む光量を調整し、浜辺の陽光の下でも夜の薄暗がりのなかでも、不自由なく像を捉えることができます。写真機は後を追うように、こうした機能を獲得してゆきました。
薄暗い光のなかで撮影のできるカメラを写真家たちが手にしたのは1920年代になってからのことです。最初にあらわれたのは「目に見えるものなら何でも写せます」というキャッチ・フレーズで1924年に登場したERMANOX(エルマノックス)というレンズ固定式カメラで、今回ご紹介するERNOSTAR(エルノスター)100mm F2という高速レンズが搭載されていました。レンズの開放F値は当時としては格段に明るく、エルノスターの登場により、夜間や屋内でも三脚や特別な照明に頼ることなく、手持ちでの高速撮影が可能になったと言われています[1]。それまでの写真撮影といえば、三脚を立て、光量が少ない環境下ではフラッシュを発光させる必要がありました。たとえ目には見えても、それを暗い場所で写真に収めるのは容易なことでなかったのです。被写体はポーズを決め、そのまま露光の間静止していなければならず、このスタイルが当時の写真撮影の一般常識でした。時代は過渡期にあり、こうしたスタイルに風穴をあけたのがユダヤ系ドイツ人でフォト・ジャーナリストのエーリッヒ・ザロモンという人物です[2]。ザロモンはしばしば正装して外交官の会議や裁判所におしかけ、隠し持ったエルマノックスでヨーロッパの政治家達の活動や歴史的な瞬間を記録、当時のグラフ誌に写真を次々と発表していきます[3]。なにしろ外交官達は誰一人として自分たちが被写体の中心にいることを自覚していなかったので、自然な表情、ありのままの姿を写真にさらすこととなります。人間の真の姿を捉えた「ザロモンの隠し撮り」はヨーロッパ中の人々を熱狂させ、後のジャーナリズムのあり方を変える新しい潮流を生み出したのです[2,3]。
エルノスターを用いたザロモンの創作活動は写真術の可能性に対する人々の認識を広げる契機となり、「キャンディッド」という造語とともに写真文化に対する大きな波及効果を生み出しました。キャンディッドとはポーズを取るなど作為的に作り込んだ美しさではなく、自然な表情、気取らないありのままの美しさを表現することを指しており、現在のスナップ・ショットによる写真表現の原点とも言える思想です。写真文化にかつてこれほどまで影響を与えたレンズが、あったでしょうか?
フォトジャーナリストのE. Salomon(左)と レンズ設計士のL. Bertele(右)のイラストで、AIが写真から生成したものです。ザロモンのほうはイケメンに描かれすぎている感があります・・・


ERNOSTAR

レンズはかつてドイツに存在したERNEMANN(エルネマン)という光学機器メーカーから供給されました。同社は後の1926年にツァイス・イコン社の設立母体として他社と合併し消滅します。この会社でレンズの設計を行っていたのがベルテレ(Ludwig Bertele)という設計士で(上図・右)、後にツァイスでゾナーやビオゴンといった歴史的名玉を開発します。ベルテレはエルネマン社で同僚のクルーグハルト(August Klughardt)と明るいレンズを設計、1921年に「エルネマンの星」と名付けられたエルノスター(ERNOSTAR)を開発します[4]。レンズは1924年に固定レンズとしてエルノクス(後にエルマノクスに改称)に搭載され登場しました。

レンズの設計は下図に示すとおりで、1894年にCooke(クック)社のDannis Taylorが開発した3枚構成のトリプレット(図の青)の前方に凸レンズ(図の赤)を1枚追加し屈折力を強化した4群4枚構成です。追加した凸レンズ(図の赤)が球面収差とコマ収差を増大させないアプラナティック条件を満足するため、トリプレットを起点としながらも収差を増大させずに明るくできる合理的な構造になっていました。ただし、全体で見ると前群に正の屈折力が集中しすぎた構造になっており、歪曲収差や像面湾曲をなんとかしないといけません。エルノスターでは後群に1枚ある弱い正レンズを絞りから遠くに配置することで、実質凹レンズのような働きに変え、糸巻き状の歪曲を緩和するとともに、テレフォト性(光学系全長を焦点距離よりも短くする性質)も実現しています[5]※1。画角を広げさえしなければ歪曲収差と像面湾曲は目立たないレベルに抑えられているのです。少ない枚数ながら、高い合理性を持つ優れた設計構成といえます。


※1 トリプレットの前方に正の凸レンズを据えた構成としてはErnostarの登場よりも早い1916年にC.M.Minorが設計した米国Gundlach社のUltrastigmatの特許がある。ただし、Ernostarでは前方に据えた正の凸レンズがこの時代としては革新的なアプラナティック条件を満足しており、前群側に正パワーが集中したことによる糸巻き状の歪曲を補正するため後群が離れた位置に据えられているなど大幅な進歩が見られ、Ultrastigmatとは一線を画する設計であった。この種の構成がUltrastigmat型ではなくErnostar型と呼ばれるようになった所以はこうした事情からきているものと考えられる。

Ernostar 100mm F2の設計構成。文献[4]からのトレーススケッチです。左が前方で、右がカメラの側となっています


参考文献・資料
[1]ライフ写真講座『カメラ』
[2]Erich Salomon Photographien 1928-1938 (Berlinische Galerie 2004)
[3] Leica Barnack Berek Blog: Eric Salomon - The First Modern Photojournalist-
[4]イギリス特許GB186917(1921), Pat. DRP468499 (1924) DRP458499?
[5]レンズ設計の全て 辻定彦 電波居新聞社

Ernemann Anastigmat ERNOSTAR 10cm F2: 最短撮影距離 1m, 絞り羽 12枚, 重量(改造品)640g, フィルター径 54mm前後(特殊), 絞り指標 F2 - F36, 本品はマウント部はがM42に改造されている。焦点距離100mmのレンズにしてはバックフォーカスの短さが印象に残る




入手の経緯
レンズはオールドレンズ愛好家のlensa5151さんからお借りしたものです。経年を経た個体であるにも関わらず状態はたいへん良好で、はじめから現代のカメラで使用することを前提にM42マウントに改造されていました。レンズは希少性からか中古市場では高額で取引されており、eBayで購入する場合にはレンズ単体で2000ドル(2014年時点では1500ドルくらい)、カメラ(Ermanox)とセットでは少なくとも3000ドル程度は用意しなければなりません。eBayには常に数本が売り出されているので、1920年代はよく売れたレンズだったのでしょう。
 
撮影テスト
レンズの定格イメージフォーマットは昔のアトム判(45x60mm)という規格ですので、一回り大きな中判66フォーマット(56x56mm)か、もしくが一回り小さな中判645フォーマット(41.5x56mm)のカメラで用いるのがよさそうです。ただし、今回のお借りしたレンズははじめから35mm判(24x36mm)で用いることを前提にマウント部がM42ネジへと改造されていたので、デジタルカメラのSony A7と銀塩一眼レフカメラ(M42マウント)で使うことにしました。レンズを実写してみたところ、思っていた以上に素直で安定感のある描写であることがわかりました。
発色傾向は温調なうえ階調描写がとても軟調なため、古いレンズらしい奥深い味わいがあります。デジタル撮影、フィルム撮影を問わず、淡く優しい色の出方となりますし、モノクロにも合います。ただし、発色が過度に薄くなることはなく、開放でも力強い色の出方が保たれています。ピント部の解像力は中判レンズとはいえ開放でも十分なレベルで、細部まで緻密に描写しています。背後のボケに大きな乱れはなく安定感があり、稀に2線ボケがみられましたがバブルボケが出るほど硬くはならず使いやすいボケ具合です。なお、近接域では収差変動が起こり、柔らかく綺麗なボケ味になります。ピント部の画質は均一でコマ収差もとても良好に補正されています。開放から滲みは全くなく、スッキリとヌケの良い描写です。カメラが35mmフォーマットなので中央部のみの限定的な評価になりますが、歪みや像面湾曲は目立たないレベルでした。グルグルボケや放射ボケにも全く見られません。機会があれば、より大きなイメージフォーマットを持つFujifilmのGFXでも試写してみたいと思います。1920年代にこの明るさでここまで素直に写るレンズが登場していたのは大変な驚きです。
それでは、デジタルカメラと銀塩カラーネガフィルムによる撮影結果を御覧ください。

F2(開放), Sony A7(AWB): マクロ域で、しかも開放であるにもかかわらず、このとおりにシッカリと写る。なんだかスバラシい性能のレンズである予感がする
F4.5, 銀塩撮影(Fujifilm C200)+Yashica FX-3:ピント部には解像力がありカラーフィルムでの色のりも良い

F3.2, 銀塩撮影(Fujifilm C200)+Yashica FX-3: ほんとうに素晴らしいレンズだ

F3.2, 銀塩撮影(Fijifilm C200)+Yashica FX-3: 


F3.2,  銀塩撮影(Fijifilm C200)+Yashica FX-3: 

F2.8, 銀塩撮影(Fujifilm Vervia 400)+Yashica FX-3: 背後のボケには安定感があります







F2(開放), Sony A7(AWB): ピント部の解像力は開放でも十分にあります
F3.2, Sony A7(AWB):中央部を拡大したものが下の写真



上の写真のピント部の一部を拡大クロップした。やはり緻密な描写です。中判レンズのわりに充分な解像力が得られているのは大変な驚きです