トロニエの魔鏡 番外編
トロニエ博士と中判広角レンズ
Schneider Kreuznach ANGULON 65mm F6.8 and
Voigtlander Braunschweig ULTRAGON 60mm F5.5
ノクトンやウルトロンなど大口径レンズの設計で知られるトロニエ博士ですが、実は広角レンズでも重要な貢献があります。今回は「トロニエの魔鏡」番外編として、トロニエが設計した2本の広角レンズを紹介したいと思います。1本目はシュナイダー社から1930年に発表された密着型アナスティグマートのANGULON F6.8です。このレンズは1933年にリヒターが設計したトポゴンと並び称され、黎明期のレンズ史に必ず登場する広角レンズの名玉です。レンズ構成はゲルツ社のE.フーフが1892年に発明した反転ダゴール(ツァイス・アナスティグマート・シリーズ6)と同一の2群6枚・対称型で、前・後群の対称性を利用して歪曲と倍率色収差、コマ収差(メリディオナル成分)を自動補正している点は同一ですが、これを広角レンズ用に適合させているのが特徴です(下図・左)。イメージサークルは開放で80°、絞り込んで90°の対角線画角を包括でき、中判6x9フォーマットで使用できます。アンギュロンは1930年に発表され、焦点距離60mmの中判カメラ用モデルと、90mm, 120mm, 165mm, 210mmの大判カメラ用が製品化されました。たいへん高性能であるため設計変更もなく、1960年代半ばまで生産され続けています。レンズの構成図はシュナイダー社の社章にも採用されており、同社を象徴するレンズであったものと理解できます。
アンギュロンの発表から22年、トロニエはフォクトレンダー在籍時代(1951-1952年)にアンギュロンの正常進化版で包括画角90°(絞れば100°)をカバーできる広角レンズのウルトラゴンを発表します。このレンズはアンギュロン同様の対称構成を維持しながら接合面を一部外し、空気レンズの設計技法を取り入れることで球面収差の補正効果を高めており(ルドルフの理論の応用)、開放F値はF4.5に到達しています(上図・右)。第1・第6レンズが負のメニスカスで、光学系が空気層を介して絞りの外側に向かって拡張していますので、開口効率が若干ながらも向上し、光量落ちが改善、イメージサークルも少し拡大しています[注1]。ウルトラゴンには前群側の張り合わせを1枚に省略し前後の構成を非対称にしたF5.5のモデルも存在しています(上図・中央)。このような非対称化はガウスタイプからクセノタールタイプに発展した過程を見ているようで、トポゴンとの折衷とみなす事ができます。構成枚数を減らすのは単なるコスト削減だったという見方も一部ありますが、そうではありません。薄いメニスカスレンズの製造はコストのかかるものですし、メニスカスレンズを薄く作ることで画角特性を向上させ、広角レンズとしての適正を向上させる効果があります。資料[3]によれば4枚目のガラス(後群側のG4)にはトロニエがアポ・ランサーの設計で前群に用いた1.5[マイクロシーベルト/h]の放射能ガラスが用いられており、市販品のガラスには若干の黄変がみられるそうです[2]。
ウルトラゴンは大判5x7用の焦点距離115mm F5.5のモデルが唯一製品化され、若干数ながら中古市場で流通しています。また、製品化には至っていませんが中判6x9用の60mm, 大判9x12cm用の80mm, 大判8x10用の150mmが計画されていましたが。今回手に入れた60mm F5.5に加え60mm F4.5, 80mm F4.5の存在が確認できますが、どれもフォクトレンダーの台帳には記録のない試作品のようです[4,5]。なお、後にシュテーブル社から発売された製版用レンズのEskofot Ultragonや日本製のズームレンズUltragonは、全く関係のないレンズです。
トロニエの設計した広角レンズは対称型の密着アナスティグマートの歴史、空気レンズを取り入れた接合面の分離、および対称型から非対称型へと至る広角レンズ史の変遷をなぞるように辿っています。黎明期の広角レンズとトロニエの設計したレンズとの相関関係を下図に与えました。
トロニエはフォクトレンダーへの移籍後も開発の手を緩めず、シュナイダー時代に設計したレンズの改良モデルを次々と発表しています。クセノンはウルトロン、アンギュロンはウルトラゴンへと発展しました。
★参考文献・資料
[1] Lens Collectors Vade Macum
[2] Arne Croll, Voigtlander Large Format Lenses from 1949-1972(version Aug.21,2014); The 1st version of this article is published in View Camera, May/June 2005
[3] Tronnier, Albrecht Wilhelm: US patent no. 2,670,649, Germany no. 868,524
[4] Frank Mechelhoff: Voigtlander Ultragon 60mm Rollfilm (6x9) Versuchskamera
[5] 6x9cmのBessa IIに搭載され2014年のオークションに出品されている。
ANGULON 65mm F6.8:レンズは2021年5月にeBayを介してイタリアのセラーから35000円(送料込)で購入しました。入手した個体はBertramという高級中判カメラ(6x9フォーマット)に搭載する交換レンズとして市場投入されたモデルで、レンズにはヘリコイドが内蔵されていました。オークションの記載は「珍しいBertram用のANGULON。レンズはクリーン。ヘリコイドもスムーズに動く。返品はできない」とのこと。状態の良い個体が届きました。SYNCHRO-COMPURシャッターに搭載されたモデルなら流通量が多く、もっと安い値段(200~250ドルくらい)で入手できると思います。
ULTRAGON 60mm F5.5: レンズは2016年4月にドイツ版eBayを介してハンブルグのコレクターから落札しました。商品の解説は「とても希少価値の高いコレクターグレードである」との触れ込みで、「フォクトレンダーのテクニカルコメントにも、このレンズの事は出てこない。とてもレアなレンズだ。レンズはスーパーコンディションで、シャッターは低速側も精確に動いている。セルフタイマーのみ時間が合わない。絞りは正しく機能しており、絞り羽根に油染みはない。外観に損傷はなくレンズはクリーンでクモリやカビはない。リンホフのレンズボードがついているが、ボードに装着すると絞りの可動部が絞りレバーに接触し開閉ができない。レンズはボードから簡単に外れる。ボードネジが見当たらない」とのこと。レアなレンズには入札が殺到するのが付き物ですが、ラッキーな事にセラーはドイツ国内への配送のみに対応すると宣言しており、支払いもペイパルはだめで銀行送金のみと厳しい条件を提示していました。試しに質問欄で日本への配送を申し込んでみたが丁寧に断られました。競買の敵が減るのはラッキーな事なので、これはこれでよし。配送の問題はドイツ在住の転送業者(在独日本人)に依頼することで解決しました。
Voigtlander ULTRAGON 60mm F5.5: 絞り 10枚構成, F5.5-F16, フィルター径 39mm, 重量 126g, 包括対角線画角は80°~90°あたり。Ultragon F5.5は後群だけでも撮影できるとのことです[2] |
★デジタルカメラでの撮影事例
Angulon 65mmとUltragon 60mmは中判6x7(6x9)フォーマットをカバーできるイメージサークルを持ちますので、デジタルカメラで広いイメージサークルを生かしながらの撮影を行うには、工夫が必要です。一つの方法は下に示すような横方向へのスライドさせる機能を持つ可動式アダプターを用いることです。このアダプターを用いれば4x5フォーマットの大判カメラの背面にFUJIFILMのGFXシリーズを装着させ、最大で88x44mm程度のイメージフォーマットに相当する写真画像を得ることができます。中判レンズの性能を十分に活かし切ることができます。以下ではフィルム撮影はもちろんのこと、このアダプターを用いてデジタル撮影も行いました。
可動式4x5 - GFXアダプターにFujifilm GFX 100Sを装着したところ。GFXを縦向きに装着し何枚か撮影した画像をあとでPhotoShopなどで統合すれば、中判レンズに備わった性能を余すことなく引き出すことができます。アダプターはeBay, Aliexpress, 国内の通販店(Discover Photo)などで購入できます |
★撮影テスト
どちらのレンズも開放から安定した描写性能で、四隅までスッキリとヌケのよい写真が得られます。アンギュロンは開放からコントラストが高く、滲みの全く出ないとてもシャープな描写でDAGORを彷彿とさせる性能です。これに対しウルトラゴンの開放は若干柔らかく線の細い画作りでありながら、コントラストを損なわない絶妙な設定となっています。1段絞れば滲みは消え、シャープネスとコントラストの向上がみられます。野球の投手で例えるなら、豪速球のストレートで真っ向勝負するアンギュロンに対し、変化球を織り交ぜ巧みな技で勝負するウルトラゴンといったところでしょう。両レンズの開放F値には0.5段分の差がありますので単純比較はできないものの、これら2本のレンズの開放描写の差はトロニエの設計理念の変化を反映したものなのかもしれません。
今回、計画性もなくシャッターのないアンギュロンに手を出してしまったため、アンギュロンのフィルム撮影が実現しませんでした。ソルトンシャターでも手に入れ、あとで写真を追加する予定です。
ULTRAGON + FHOTOX6789 Medium Format Film Camera
Ultragon + Fijifilm PRO160N(6x7 Medium format) |
Ultragon + Fujifilm PRO160N(6x9 Medium format) |
Ultragon + Fujifilm PRO160N(6x9 Medium format) |
Ultragon + Fujifilm PRO160N(6x7 Medium format) |
ULTRAGON +digital camera (GFX100S 2-3 shot composite)
Ultragon @F8 + 44x66mm digital (GFX100S 3-shot composite) |
Ultragon @ F5.5(開放) + 44x52mm digital (GFX100S 2-shot composite) |
ANGULON + digital camera (GFX100S two-shot composite)
Angulon @ F6.8 + 44x62mm digital (GFX100S 2-shot composite) |
Angulon @ F8 + 44x62mm digital (GFX100S 2-shot composite) |
アンギュロン210mmはトロニエの設計なのでしょうか。
返信削除そうですね・・・。どう思いますか?
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