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2019/04/24

Wollensak Cine Velostigmat 1inch(25mm) F1.5 (C mount)




オールドレンズガールの活動が勢いを増しています。ある筋によると、最近流行りのブテイックスタイルのオールドレンズ専門店では、来店する客の8割以上が女性なのだそうです。これは、日本だけにみられる特異な傾向なのかもしれませんが、カメラではなくレンズ、しかもオールドレンズを基軸に据えて創作活動を行うカメラガールの亜種、ある種のオタク的な人種、言ってしまえば変態カメラ女子がこの島にはウヨウヨいるというのです。本ブログではオールドレンズ女子部の助けを借りながら、彼女たちが心弾ませるフンワリ、ボンヤリ、でもシッカリ写るレンズを何本か紹介してみようとおもいます。

特集:女子力向上レンズ PART 1
F1.5の明るさを備えた滲み系シネレンズ
チビですが万能!
WOLLENSAK  CINE VELOSTIGMAT 25mm(1inch) F1.5
シネ・ベロスティグマート 

特集の一本目はCマウントのシネマムービー用レンズ(シネレンズ)で、米国ニューヨーク州ロチェスターに拠点をかまえていたウォーレンザック社(WOLLENSAK)のシネ・ベロスティグマート(Cine Velostigmat 25mm F1.5です。このレンズはボレックスという16mmの映画用カメラに搭載する交換レンズとして、1940年代から1950年代にかけて市場供給されました。開放でフンワリと柔らかく、薄いフレアが適度な滲みを伴ってあらわれます。トーンが軟らかく明らかに軟調傾向の描写ですが、発色は依然として良好なため、お洒落な写真が撮れます。オールドレンズガールたちの嗜好にストライクのレンズだと思います。
レンズのイメージサークルはAPS-Cセンサーをギリギリでカバーできる広さがあり、マイクロフォーサーズ機に搭載して用いる場合には明るい標準レンズ、APS-C機では広角レンズとなります。レンズはCマウントですので、アダプターを用いれば各社のミラーレス機で使用することができます。鏡胴が小さく軽いため小型ミラーレス機に搭載した場合にもバランスよく使用でき、旅でこれ一本あれば一通りの撮影をこなすことができます。唯一の弱点は最短撮影距離が50cmと長めなところ。これを克服するには、Cマウントレンズ用のマクロエクステンションリングを手にいれておくとよいでしょう。私はライカMマウントに改造しミラーレス機用のヘリコイド付アダプターに搭載して用いることにしました。最短撮影距離を18cmまで短縮でき、十分に寄れる万能なレンズとなっています。



レンズの光学系は下図に示すようなKino-Plasmatの4枚玉バージョンと同一構成で、同じ構成ではKodak Anastgmat 1inch F1.9にも採用されています[4]。これを大胆にもF1.5の明るさで製品化したのが今回のシネレンズというわけですが、反動で滲みやフレアをともなう個性豊かなオールドレンズが誕生しています。ちなみに、Cine-Velostigmatには少し暗いF1.9のモデルもあります。光学系の設計は全く同一で、前群を抑えるトリムリングの厚みを変えてF1.9に絞っているだけです。F1.5のモデルで少し絞れば、F1.9のモデルとほぼ同じ写りになります。
Cine Velostigmat 1inch F1.5(sketched by spiral)の見取り図。構成は4群4枚でHugo Meyer社のKino Plasmat4枚玉バージョンと同一です
  
参考文献
[1] WOLLENSAK MEANS FINE LENSE (BOLEX用レンズのチラシ)
[2] カメラマンのための写真レンズの科学 吉田正太郎 地人書館:戦前にボシュ・ロムが開発した新式ペッツバール
[3] アサヒカメラ1993年12月増刊「郷愁のアンティークカメラIII・レンズ編」P147, Kodak Anastigmat F1.9に採用された変形ダイアリート
[4] Kino Plasmat DE Pat.401630 (1924) 
 
Cine Velostigmat 1inch F1.9(左)と 1inch F1.5(右)の前群を外したところ。両者は全く同一の光学系です。F1.9はトリムリング(レンズエレメントを固定するリング)の厚みで口径比を制限しています
 
レンズの市場価格
流通量は少なく探すとなるとやや大変ですが、イーベイには常に何本かが高めの値段設定で出ています。実際の取引相場は落札相場は15000~20000円くらいでしょう。ただし、市場に流通している個体の多くはヘリコイドグリスが固着しているので、オーバーホールを視野に入れておく必要があります。中古店での相場は25000~30000円とネットオークションに比べ割高ですが、オーバーホールされているなら、このあたりの値段でも十分でしょう。
重量(実測)97g, 絞り羽 9枚構成, 最短撮影距離 約50cm, 絞りF1.5-F16, 絞り F1.5-F16, Cマウント, 16mmシネマフォーマット, 設計構成は4群4枚のKino-Plasmat型[4], コーティング付とノンコートがありノンコートの流通が大半のようだ






撮影テスト

開放ではピント部をフレアが覆い、ハイライト部に滲みが出るなど柔らかい描写傾向になります。この種のレンズの多くは発色が淡白になりがちですが、このレンズの場合には色がしっかりと出るので、軟調で軽めのトーンと相まって雰囲気のあるお洒落な写真が撮れます。また、少し絞ればフレアや滲みは消滅し、スッキリとしたヌケのよいシャープな像になります。APS-C機で用いると立体感のある画が撮れるとともに、グルグルボケや光量落ちが顕著に発生します。一方、マイクロフォーサーズ機では四隅が切り取られますので画質が安定し、グルグルボケや光量落ちは目立たなくなります。カメラの選択により表現の幅が広がるのは素晴らしいことだとおもいます。APS-C機でアスペクト比を映画に近い16:9に設定して用いるのもオススメです。今回は私の作例に加え、オールドレンズ女子部の皆さんからも写真を提供してもらう予定ですので、続けてご覧ください。
このレンズを使うと有無を言わさず女子力が高まるのだと女子部のある人から教えてもらいました。事実確認のため自分もイングリッシュガーデンで一日使ってみたところ、女子力の高まりを感じ取ることができました。女子力・・・それは、トキメキだったのです。
 

Photographer:SPIRAL
Camera: SONY A7R2 (APS-C mode)

F1.5(開放)  sony A7R2(APS-C mode, WB: 曇天) 


F1.5(開放)  sony A7R2(APS-C mode, WB: 曇天) 




F1.5(開放)  sony A7R2(APS-C mode, WB: 曇天)  フンワリ感を増すには、わざとピントを外すのも有効です
F1.5(開放)  sony A7R2(APS-C mode, WB: 曇天) 






続いてオールドレンズ女子部のMiyuYoneさん、安藤さんの写真作品を掲示します。随時追加してゆきますので、その際にはブログのトップでお知らせします。ちなみにレンズは自分がライカMに改造したものをお使いいただきました。


 
Photographer: Miyu Yone
Camera: Olympus OM-D


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Photographer: Tomoe Ando
Camera: Olympus OM-D  


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Photographer: どあ*
Camera: Olympus PEN E-PL6  
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Cine Velostigmatを使いこなす写真家を発見!
Photographer:  Taka(58)
オールドレンズフェス2023にて
Camera: Fujifilm X-T4













Model: Maiwuさん

2019/04/23

Kodak Anastigmat 25mm(1inch) F1.9 改LM










試写記録:APS-Cセンサーをカバーできる
コダックの16mmシネマ用レンズ
KODAK ANASTIGMAT 25mm(1inch) F1.9
知り合いからの依頼でレンズをライカMマウントに改造することになりました。テストを兼ねて試写記録を残しておきます。
レンズは1936年から1945年にかけて生産されたMagazine Cine-Kodakという16mm映画用カメラの交換レンズとして市場供給されました。イメージサークルはこのクラスのレンズにしては広く、前玉側についているドーム状のフードを付けた状態でマイクロフォーサーズセンサーをカバーし、フードを外せばAPS-Cセンサーを余裕でカバーしています。ライカMに改造しておけば各社のミラーレス機で使用できますし、ヘリコイド付アダプターとの組み合わせで寄れるレンズにもなります。メリットしかありません。

  
Kodak Anastigmatの構成図。アサヒカメラ1993年12月増刊「郷愁のアンティークカメラIII・レンズ編」P147に掲載されていた構成図のトレーススケッチで左が被写体側で右がカメラの側。構成は4群4枚のダイアリート型です。Goetz社のCelor/Dogmarなどにこの構成が採用されました
レンズの光学系は上の図に示すような4群4枚の対称型で、ダイアリートと呼ばれる種類の設計構成です。レンズの対称性と空気レンズの助けを借り、僅か4枚のエレメントでザイデルの5収差を合理的に補正できるのが特徴です。20世紀前半にヨーロッパや米国で、この構成を採用したレンズが数多く登場しました。

KODAK ANASTIGMAT 1inch (25mm) F1.9:ライカMに改造,  最短撮影距離(規格) 2 feet(約61cm), 絞り値 F1.9-F16
レンズのマウントはKodak Type Mという独自規格のため、アダプターの市販品がありません。現代のデジタル一眼カメラで使用するにはマウント部の改造が必要です。一般の人には敷居が高いので中古市場での取引価格は20005000円程度と安価です。

撮影テスト
今回はAPS-Cフォーマットで撮影を行いました。開放から中心部はシャープで解像力も良好ですが、定格より遥かに広いイメージフォーマットのためピント部四隅の画質は破綻気味で、背後にはグルグルボケ、前方には放射ボケが顕著に発生します。階調は軟らかく発色はやや温調にコケるので、味わい深い写真になります。同じダイアリート型レンズでも、ひとつ前のブログエントリーで取り上げたWollensak社のCine Velostigmatの方が滲みが多く柔らかい描写でした。こちらのレンズの方がヌケは良いのですが、暴れん坊です。
  
F1.9(開放)  Sony A7R2(APS-C mode, WB:曇天)  激しい開放描写です
F1.9(開放)  Sony A7R2(APS-C mode WB:曇天)  振り回されます
F1.9(開放)  Sony A7R2(APS-C mode WB:曇天) 

2017/07/17

C.P. GOERZ Berlin DOGMAR 60mm F4.5 (Rev.2)

ゲルツ社のレンズといえばE.フーフ(Emil von Hoegh)が1892年に設計した名玉ダゴール(DAGOR)が定番中の定番だが、このドグマー(DOGMAR)もポートレート用レンズとして忘れてはならない存在であろう。ドグマーには後に「空気レンズ」とよばれる画期的なレンズユニットが導入されており、このユニットの助けを借りることで諸収差を合理的に補正することが可能になっている。レンズを設計したのは同社のショッケとアバンで1913年の事。ショッケは後にマクロスイターで有名なケルン社(スイス)の光学部門を立ち上げる人物である[0]。

歴史の淀みを漂う珍レンズ達 part 3
しっとりとしたハレーションが光輝く

軟調系オールドレンズ
C.P. GOERZ Berlin DOGMAR 60mm F4.5 (改定Rev.2)
空気レンズ(Luft Linsen)とはレンズをより明るくするために導入されてきた設計法の一つで、2枚のレンズの間に狭い空気間隔を設け、本来は何も無いはずの空間部分を屈折率1のレンズに見立てることで、球面収差を効果的に補正するというものである。この方法は1953年に登場するズミクロン(Leitz社)に採用されたことで広く知られるようになり、日本製の大口径レンズにも積極的に導入された。空気レンズのアイデア自体は19世紀末頃に登場しており、独学でレンズの設計法を身に付けゲルツ社を成功に導いたE.フーフ(Emil von Hoegh)も、1898年に明るいアナスティグマート(Doppel-Anastigmat Series IB F4.5)を開発する過程の中で空気レンズのアイデアに到達している[1]。フーフの設計したSeries IBは1903年に同社のW.ショッケ(Walther Zschokke)とF.アバン(Franz Urban)による再設計を経て、ガラス硝材に改良を施したツェロー(Celor)へと発展した[2]。ショッケらはツェローの改良を続け、レンズの前後群を焦点距離の異なる準対称にすることで、遠方撮影時に問題となっていたコマ収差の抑制にも成功、1913年にポートレート撮影への適性を高めたドグマー(Dogmar) F4.5を完成させている[3]。
レンズの設計は下図に示すようなダイアリート型とよばれる形態で、僅か4枚の少ない構成ながらも諸収差を十分に補正できるテッサーのような合理性を持つ。ただし、屈折力を稼ぎにくい性質のため、口径比は明るくてもf4.5あたりが限界であった。ガラスと空気の境界面が8面とこの時代のレンズにしては多く、ハレーションが出やすいのは、このレンズの大きな特徴でもある。古いレンズの描写にみられる独特の「味」や「におい」。現代のレンズが高性能なコーティングを纏うことで、かえって失ってしまったものを、このレンズは呼び覚ましてくれる。
Celor(左)とDogmar(右)の構成図トレーススケッチ(上が前方): 両レンズは一見全く同じに見えるが、Celorは前群と後群が同一構成の対称型であるのに対し、Dogmarは僅かに焦点距離の異なる準対称型である。いくつかの書籍にCELOR/DOGMAR型レンズの設計手順のヒントが掲載されているので、簡単にまとめておこう。まずはじめに正の凸レンズと負の凹レンズを狭い空気層を挟んで配置し、これら光学ユニットの外殻の曲率を非点収差が0になるように与える。次に、凸レンズのガラス屈折率を凹レンズのそれよりも大きくすることで、光学ユニットに新色消しレンズと同等の作用を持たせ軸上色収差を補正する。こうしてできる1対の光学ユニットを絞りを挟んで対称に配置し、歪曲と倍率色収差、コマ収差(メリジオナル成分)を自動補正する。続いて、空気レンズの発散作用を利用し球面収差を補正する(Celorが完成)。この設計の最大のポイントは新色消しレンズの効果を持ちながら同時に球面収差が容易に補正できるところにある。本来は硝材の選択に頼り一筋縄にはいかないところが、空気レンズの導入により容易に補正できるようになっているのだ。ただし、光学ユニットが空気層を持つ対称型レンズの場合には遠方でサジタルコマが補正されないという弱点があるので、ポートレート用や風景用のレンズを作る場合には前群と後群を準対称にすることで、これを改善させる。CELOR(図・左)からDOGMAR(図・右)が生み出された過程がこれにあたる。前後群を準対称にすることでコマフレアを抑制する方法は、1897年に登場したツァイスのプラナー(初期型)で既に実践されている








C.P. GOERZ Berlin DOGMAR 60mm F4.5: 絞り 13枚構成, 設計構成 4群4枚ダイアリート型, 定格イメージフォーマットは中版645, ノンコートレンズ, レンズのマウントネジは34mm径でおそらくネジピッチは1mmだが、中国製ステップダウンリングのファイジなネジがこれを受け入れてくれたので、M42ヘリコイド(11mm-17mm)を間に挟みカメラ側をライカスクリュー(L39)に変換して使用することにした




製品ラインナップ
ドグマーはツェロー(1904年に登場)とともに1915年の米国ゲルツ社のカタログに掲載され、新型レンズとして紹介されている[3]。カタログでは60mmから300mmまで焦点距離の異なる12のラインナップ2+3/8インチ(6cm)、3インチ(約7.5cm)、4インチ(約10cm)、5インチ(約13cm)、5+1/4インチ (13.3cm)、6インチ(約15cm)、6+1/2インチ(16.5cm)、7インチ(約18cm) 、8+1/4インチ(21cm)、9+1/2インチ(24cm) 、10+3/4インチ(27cm)、12インチ(約30cm) (F5.5)を確認することができる。ツェローがスタジオ撮影や製版・コピーなどに最適と記され、近接域を中心にポートレート域までの近距離撮影に向いているのに対し、ドグマーはグラフィックアートや風景撮影に最適であると記されており、近接域から遠距離までの広い範囲をカバーできるレンズとなっている。

参考文献等
[0] 「写真レンズの歴史」ルドルフ・キングスレーク著 朝日ソノラマ
[1]  Doppel-Anastigmat Ser. Ibのレンズ特許:Pat. DE109283 (1898)
[2]  Celorのレンズ特許: US Pat.745550  Celorでは凸レンズに用いられていた高価なバリウム・クラウン硝子が低コストで気泡が少なく光の透過率の高いケイ酸塩クラウン硝子へと置き換えられ、コスト的にも性能的にも前進した
[3] 米国GOERZ社レンズカタログ(1915):新型レンズDOGMARについての解説がある。
 
入手の経緯
日頃お世話になっている工房の職人さんへのプレゼントとして、友人3人と共同で購入したのが今回紹介する金色レンズである。DOGMARのような古典鏡玉が活躍した時代は大判カメラが主流であったため、60mmもの短い焦点距離のレンズはステレオカメラ等の特殊用途向けに少量のみ生産された。このくらい短い焦点距離になると現代のデジタルカメラでも無理なく使うことができ魅力的であるが、市場に出回る機会は極希で決まった相場もない。本品は2017年4月にeBayを介して米国のセラーから落札した個体である。届いたレンズはガラスの状態が非常によいものの、経年のため絞り羽の重なる部分がやや浮き上がってしまう持病があり、この隙間が僅かに光漏れを起こすことがわかった。古いレンズなので交換用の部品もなく、実用に支障がなければ、このまま使うのが良い。このような問題は経年を経たレンズ一本一本が持つ個性みたいなもので、それぞれの個体でしか撮れない独特の描写をつくりだしている。

撮影テスト
ドグマー60mmの定格イメージフォーマットは中版645辺りなので、一回り小さなフルサイズ機にマウントしても、画質的には無理なく使用することができる。レンズを真夏日に用いたところ、開放にてハイライト部分の周りに美しいハレーションが発生し、しっとり感の漂う素晴らしい写真効果が得られた。ピント部は開放からスッキリとしていてヌケがよく、像は四隅まで安定している。背後のボケも四隅まで安定しており、フルサイズ機での使用時による不完全な検証ではあるが、グルグルボケや放射ボケは全く見られなかった。解像力の高いレンズではないが、軟調であることに加えフレアが全く出ないこともあり、ピント部はどことなく密度感を感じさせる美しい仕上がりとなる。不思議な魅力を持ったレンズである。少し絞った辺りからスポットライトのような帯状のハレーションが発生することがあったが、これはこのレンズの絞りにやや持病があるためで、この個体にしかない個性となっている。
軟調系オールドレンズの良さを200%堪能できる素晴らしい描写力、そして、ドグマ―というどこか宗教めいた妖しいネーミングは、このレンズの大きな魅力であろう。自分用にもう1本欲しくなってしまった。
F4.5(開放), Sony A7Rii(WB:日陰) + Techart LM-EA7(AFアダプター)  すっ・・・。

F4.5(開放), Sony A7Rii(WB:日陰) + Techart LM-EA7(AFアダプター)  すばらしい!



約F6.3(少し絞る), Sony A7Rii(WB:日陰) + Techart LM-EA7(AFアダプター) 


F4.5(開放), Sony A7Rii(WB:日陰) + Techart LM-EA7(AFアダプター)  このレンズの写りには解像力では言い表せない不思議な臨場感がある





F6.3, Sony A7Rii(WB:日陰) + Techart LM-EA7(AFアダプター) 光の捉え方がとても美しいレンズだ
F4.5(開放), Sony A7Rii(WB:日陰) + Techart LM-EA7(AFアダプター)  

2013/04/28

Meyer-Optik HELIOPLAN(ヘリオプラン) 75mm F4.5(M42改)

1950年代に生産されたHugo Meyer社のレンズ:Helioplan 4.5/75(前), Trioplan 2.8/100(奥), Primotar 3.5/80(左), Primoplan 1.9/58(右)
東独フーゴ・マイヤーの三羽烏
PART1:HELIOPLAN 75mm F4.5
戦前から個性溢れるレンズを世に送り出してきたHugo Meyer(フーゴ・マイヤー)社。ブランド志向の強い日本人にはCarl Zeissの影に隠れ馴染みの薄いメーカーであるが、マニア層からは今も根強い人気を得ている。大方のレンズメーカーが主力製品の構成にTessarタイプ、明るいレンズにPlanarタイプを据える中、同社が採用したのは広角レンズにDialytタイプとAriststigmat(旧ガウス)タイプ、明るい標準レンズと中望遠レンズにErnostarの発展タイプ、望遠レンズにはBis-TelarタイプのTelemegor、マクロレンズとシネレンズにはPlasmatシリーズなどCarl Zeiss的な発想とは一線を画する独特な製品ラインナップである。他社との競合を避ける徹底した姿勢を貫くことで中堅規模ながらも強い企業を目指そうとしていたようである。本ブログでは数回にわたり1950年頃に生産されたHugo Meyer社(VEB Feinoptisches Werk Görlitz社)の3本の主力レンズ(広角Helioplan/標準Primoplan/望遠Trioplan)を取り上げる。レンズ名の末尾にPLANがつく共通ルールで結ばれたHugo Meyer社の三羽烏である。

Hugo Meyer(フーゴ・マイアー)社
Hugo Meyer社(Hugo Meyer & Co.)は1896年1月5日にドイツのドレスデン近郊都市ゲルリッツにてHeinrich treasures社のビジネスマンだった光学技術者Hugo Meyer(1963-1905)が実業家Heinrich Schätzeと共に創業した光学機器メーカーである。ドイツ版ウィキペディアには創業者Hugoの青年期の肖像写真が掲載されており、かなりハンサムな人物のようである。彼らはドレスデン近郊都市のゲルリッツLöbauer通りにあるカメラメーカーのひしめくビルの一角に最初の工房を構えた。1903年にアプラナート型レンズのAriststigmat(アリストスチグマート)を発売し最初のヒット商品となるが、Hugoは42歳の若さで1905年に死去してしまう。ただし、同社にはHugo以外にもレンズ設計士が在籍していたようで、1908年にDagor型レンズ、続く1911年にはAriststigmatの広角モデルを発売するなど新製品を絶えず世に送り出している。Hugoの死去により会社の経営権は妻Eliseと息子に引き継がれているが、企業活動は衰えず、1911年にEuryplan(オイリプラン)のレンズで知られるSchultz and Biller-beck社を買収しレンズの生産ラインを補強、1913年からは主力レンズTrioplanの生産を開始している。SB社のEuryplanは後に加入するルドルフ博士の手で再設計されPlasmatに置き換わっている。ブランド名としてはこちらの方が有名なのであろう。なお、1918年にはプロジェクター用レンズの生産にも乗り出している。
  1919年、第一次世界大戦が終結しハイパーインフレに苦しむドイツ帝国はどん底の経済状態にあった。この時Hugo Meyer社に大きな転機が訪れる。かつてCarl Zeissに籍を置きTessar, Planar, Protarの発明で名を馳せたPaul Rudolph博士(当時61歳)が同社に再就職したのである。博士はすぐに新型レンズの特許を取り、1920年代に有名なPlasmat(プラズマート)シリーズの生産に乗り出している。Rudolphの加入は中小メーカーだったHugo Meyer社がブランド力を獲得し、事業規模を急速に拡大させる大きな転機となった。Rudolphは1933年に退職しているが同社の事業規模はその後も拡大を続け、1936年には100,000個のカメラやレンズを年単位で出荷する大会社へと成長している。
  1930年代のHugo Meyer社はルドルフ博士監修の高級レンズPlasmatシリーズに加え、主力製品となるレンズのラインナップを幅広く展開し、それらをZeissよりもやや安価に販売していた。この頃に同社の主任設計士の座についていたのはStephan Roeschlein(シュテファン・ロシュライン)という人物である。Roeschleinは1936年にSchneider社に移籍するが、それまでの間Primoplan シリーズやTelemegorシリーズの設計、Ariststigmat(広角モデル)の再設計など主幹レンズの開発を手がけている。 Roeschleinが去った後はPaul Schäfterという人物が同社の主任設計士となり1937年にPrimoplan 1.9/58を開発している。
  1939年に第二次世界大戦が勃発すると同社は軍需メーカーとしての性格を強め、照準器などを造るようになる。ドイツ敗戦の1945年、Hugo Meyer社は連合国によって解体され、工場の設備は賠償金の代わりとしてソビエト連邦に持ち出されてしまう。しかし、翌1946年には会社の再建が始まり、566個と少量ながらも写真用レンズの生産を再開、ドアの除き穴に取り付けるレンズなど民生品も製造するようになる。1947年には大判レンズの生産も再開、翌1948年に会社は東ドイツ政府によって国営化され、同社の正式名称はVEB Feinoptisches Werk Görlitzへと改称されている。ただし、レンズの方はその後もMeyer-Optikの商標名で売られていた。やがて戦後の復興景気が訪れ同社も本調子を取り戻すと、1952年にCarl Zeiss Jenaからコーティングの蒸着設備を導入し、それ以後は全てのレンズにコーティングを施すようになっている[注1]。Hugo Meyer社のこの時代の製品はまだ造りも良く、技術的に高い水準を維持していたが、その後1960年代に入るとTessarタイプやGaussタイプなど中核ブランドにCarl Zeiss的なレンズを据えるなど製品ラインナップの独自性が薄れてゆく。ブランドイメージは失墜し、Zeiss Jenaの廉価品を出すメーカーとして認知されるようになる。同社は1968年にVEB Pentaconに吸収されるが、レンズの方はMeyer-Optikの商標で1969年まで売られていた。VEB Pentaconは1990年のドイツ統一後、Schneiderグループの傘下に入っている。

[注1] Meyerのレンズにコーティングが施されるようになったのは第二次世界大戦終結の数年後からである。ZeissのTコーティングを模したV(=Vergütung)コーティングというものを採用していた。ただし、当初は全てのレンズにコーティングを施していたわけではなく、1952年にZeissからコーティングの蒸着設備を導入するまでコーティングの無いレンズも出荷していた。下記の文献によると、コーティング名の頭文字となったVergütung(直訳では「報酬」の意の語)には「ドイツ製(国産)のコーティング」という意味が込められているらしい。Vコーティングを採用した光学機器メーカーには旧東ドイツのルードビッヒ社やVEBフェインメス社、旧西ドイツのウィル・ウェツラー社やピエスカー社などがある。Tコーティングに対するサードパーティという位置付けだったのかもしれない。

参考:Large Format Lenses from the Eastern Bloc Countries 1945-1991, Arne Cröll 2011-2012



Hugo Meyer特集の第1回は1950年代に同社の主力製品の一翼を担った準広角レンズのHelioplanである。このレンズはもともとHugo Meyer社が1911年に買収したSchulze & Billerbeck社のブランドであった(Vade Mecum参照)。設計構成は4群4枚のDialyt(ダイアリート)タイプと呼ばれるもので、本ブログの前エントリーで取り上げたGoerz(ゲルツ)社のCelor(セロール)やArtar(アーター)、Dogmar(ドグマー)の系譜を受け継いでいる(下図)。Dialyt型レンズは収差の補正力が高く、特に色滲み(軸上色収差)と歪み(歪曲収差)に対する補正力が抜群に高いことから、第二次世界大戦後も製版や複写の分野で長く活躍していた。また、一般撮影においても高性能で幾つかのメーカーが戦前からレンズを供給しているが、その後Tessarとの競合関係により陶太され現在はこの分野から姿を消している。「レンズ設計のすべて」(辻定彦著)にはDialyte型レンズについてコンピュータシミュレーションの分析データに基づく詳しい解説があり、戦後に普及した新種ガラスを用いてこのタイプのレンズを再設計すると、収差的にはTessarに迫るたいへん優秀なレンズになると絶賛している。一度こういう評価を見てしまうとDialyt型レンズの実力がどこまで練り上げられていたのか自分の目で確かめてみたくなってしまうもので、さっそく戦後に開発された同型レンズを当たってみたところ、今回取り上げるHelioplanが1949年に再設計されたDialyteタイプのレンズであることを突き止めたのだ。

製品の箱に刻印されていたHelioplanの構成図をトレーススケッチしたもの。設計は4群4枚のDialyte型である。この構成は前群(左側)と後群(右側)のそれぞれが空気層を挟んだ新色消しレンズとなっているのが特徴で、絞りを中心に対称あるいはほぼ対称な構造になっている。空気層(空気レンズ)を利用して球面収差を強力に補正することにより高い解像力を実現している。凸レンズが2枚、凹レンズが2枚と数が釣り合いバランスが良好のため、ペッツバール和を容易に小さくできることから、四隅まで安定感のある画質を実現できる。一般撮影用に設計されたレンズでは遠方撮影時に発生するコマを抑えるために前・後群が非対称な構造になっており、HelioplanやGoerz社のDogmar F4.5がこの種の代表的な製品である。一方、製版用に設計されたレンズでは収差の補正基準が等倍撮影に設定されており、この時に歪曲が0%になるよう前・後群が完全対称な設計構成となっている。この種の代表的なモデルにはGoerz社のArtarがある。Dialytタイプの構成をTripletの発展型と捉える考え方もあるが、レンズの曲率を緩めるために空気層を大きく空けるTripletとは空気層の利用方法(したがって設計理念)が大きく異なる。収差図を見ると球面収差、色収差はほぼ皆無のレベルで歪曲も大変小さいので、このタイプの構成が引き伸ばし用レンズに用いられることが多いのもうなずける。像面湾曲の膨らみが少しあるが、非点収差は良好に補正されている。コマ収差も悪くない(「レンズ設計のすべて」 辻定彦著 参考)
重量(レンズヘッドのみ)38g, 絞り羽 14枚, 焦点距離75mm, 絞り値F4.5-F22, フィルター径 25.5mm, 光学系の構成 4群4枚(Dialyt型),  ノンコートレンズ, 本レンズは6x6cmの中判イメージフォーマットをカバーし35mm判換算で41mmの焦点距離に相当する準広角レンズである。レンズ名はギリシャ語の「太陽」を意味するHeliosとドイツ語の「平坦」を意味するPlanを組み合わせたのが由来とされている。

Helioplanは1920年代の中頃から1952年まで生産されたHugo Meyer社の主力ブランドである。戦前に造られた前期型と1949年に再設計された後期型に大別される。前期型としてはダイヤルコンパーシャッター搭載の一般撮影用のモデル(中・大判撮影用)と真鍮製バーレルレンズ(エンラージングレンズ)の2種が供給されていた。この時代の製品名はHugo Meyer Doppel Anastigmat Helioplanと表記されている。その後、1949年の再設計で後期型にモデルチェンジし、新しいガラス硝材の導入によって描写性能が向上している。私の把握している範囲であるが、戦後に販売された後期型のHelioplanには40mm 55mm 75mm 105mm 135mm 210mmの6種類の焦点距離のモデルが存在している。このうち焦点距離40mmのモデルは35mmフルサイズ用(M42マウントとExaktaマウント)、75mmのモデルは中判用(メントールなどの中判カメラ)、135mmと210mmは大判用として市場供給された。なお、焦点距離40mmのモデルは戦後に短期間だけMeyer Gorlitz Weitwinkel Doppel Anastigmatの名称で売られていた時期がある。Exakta用広角レンズという位置付けで一定の需要が見込まれていたのであろう。

入手の経緯
本レンズはeBayを介し2012年11月にロシアのカメラ屋から200ドルの即決価格(送料込みの総額215ドル)で落札購入した。このセラーは過去の取引件数が2060件でポジティブ・フィードバック100%(ニュートラルな評価すらない)と極めて優秀だ。商品の状態はエクセレントコンディションで「絞りはスムーズに動く。ガラスにキズ、拭き傷、カビ、ホコリの混入はない。純正キャップが付く。」とのこと。クモリとバルサム切れについて触れていないが、このセラーの他の商品を見る限りいつもの事のようなので問題なしと判断した。写真で見る限り概観は非常に良好で新品同様。デッドストックの未使用品のようにも見える。2週間後に届いた品はやはり記述以上に素晴らしく、僅かなホコリの混入と絞り羽の油染みを除けば新品同様と言っても過言では無い素晴らしい状態であった。ホコリはブロアーで簡単に除去できたので新品同様の状態である。eBayの中古相場は50-150ユーロくらいであろう。

M42マウントへの変換
私が入手した75mmのHelioplanはヘリコイド機構の省かれたレンズヘッドのみの製品である。元々は蛇腹カメラなどに搭載され用いられていたレンズなのであろう。一眼レフカメラやミラーレス機の交換レンズとして用いるには簡単な改造を施しフォーカッシング・ヘリコイドに搭載する必要がある。本品はマウント部がM32のスクリューネジになっているので35mm-37mmステップアップリングで土台をつくり、その上からM42リバースリングアダプターを被せることでM42フォーカッシングヘリコイド(BORGのM42ヘリコイド【7842】)に搭載することにした。ステップアップリングの内径がM32のスクリューネジよりも極僅かに小さいようで、そのままではきつくて装着できない。棒ヤスリなどでステップアップリングの内側を削り、内径を僅かに広げておくとよいであろう。

ステップアップリング(35-37mm)で土台をつくり、その上からM42リバースリングアダプターを填める。これでM42スクリューネジに変換できる

M42に変換後はそのままOASYS M42 HELICOID【7842】に搭載して完成

撮影テスト
HelioplanはDialytタイプとしては極稀な戦後設計のレンズである。ガラス硝材の改良により安定感のある高い描写性能を実現している。ピント部は四隅まで充分な解像力があり、ハロやコマ、色収差は極僅かでヌケが良い。ノンコートレンズのためコントラストは高くはなく、曇天時ではとても軟らかい階調描写になる。晴天時においてもコントラストは強くなり過ぎずシャドーへの落ち方がなだらかで目に優しい描写傾向を維持している。発色はノーマルで淡泊過ぎず適度な色ノリである。前エントリーで取り上げた同型レンズのDogmarに比べるとボケ味がやや異なるようで、Dogmarは後ボケが硬くザワザワと煩くなり2線ボケ傾向もみられたが、Helioplanではボケが比較的滑らかで2線ボケも目立たない。ただし、距離によっては開放で僅かにグルグルボケが出る。私個人としてはかなり好きな写りである。以下作例。

CAMERA: EOS 6D
LENS HOOD: 内径20mm程度の自作フード(フィルター径25.5mm)
F6.3, EOS 6D(AWB): ピーカンの天気だがコントラストの低いレンズのためか階調が硬くならず、シャドー部はなだらかさをキープしている。コマがよく補正されておりスッキリとヌケの良い写りだ
F6.3, EOS 6D, AWB: こんどは曇天時での作例。中間階調が豊富で目に優しい軟らかい描写が好印象である

F4.5(開放), EOS 6D(AWB): 開放でもピント部はシャープだ。カラーバランスはノーマルで色のりもヌケもよい。距離によっては四隅にややグルグルボケが出る事もあるが、一段絞ればボケ味は常に穏やかである


F11,  EOS 6D(AWB): 近接撮影でも、このとおりに高解像でしっかりと写る

独特の製品ラインナップを展開し他社との競合を避ける徹底した企業理念を貫いた戦前および戦後間もない頃のHugo Meyer社。このような経営方針に至ったのは1919年から同社に14年間在籍したRudolph博士の影響からだったのではないだろうか。博士はかつてCarl Zeissに在籍し、同社の企業戦略や製品開発に関わった経験から、大企業との戦い方や中小メーカーの取るべき立ち位置を深く理解していた人物である。Zeissの経営方針(不況時に傘下のパルモス・バウを切り捨てた)に反発し同社を退職したと言われており、後に自分は大会社よりも中小メーカーに向いていると61歳でHugo Meyer社へ再就職を遂げた経緯がある。戦前のHugo Meyer社はTessarタイプやPlanarタイプなどCarl Zeiss的な定番レンズの構成に頼る事なく、特色ある製品を展開することで一定の成功を収めていた。TessarやPlanarを発明した張本人であるRudolph博士がHugo Meyer社に在籍し、同社の経営方針に一定の影響を与えていたからであるに違いない。

2013/03/15

GOERZ BERLIN Doppel-Anastigmat CELOR 130mm F4.8 and DOGMAR 100mm F4.5
ゲルツ ドッペル・アナスティグマート セロール/ドグマー




銘玉Dagor(ダゴール)を設計しGoerz(ゲルツ)社の主任設計士となったEmil von Hoegh(エミール・フォン・フーフ)[1865--1915]はDagorよりも更に明るく、室内撮影やポートレート撮影に強い大口径ダブルアナスティグマートの設計にとりかかった。Hoeghは光学ユニットに「空気レンズ」と呼ばれる革新的なアイデアを導入し球面収差の補正力を強化した新型レンズを開発、1899年にDoppel-Anastigmat Series IB(ドッペル・アナスティグマート・シリーズIB)の名で世に送り出している。このレンズは当時の大判撮影用レンズとしては極めて明るい口径比F4.5を実現している。シリーズIBは1904年に同社のW.Zschokke(W.ショッケ)らによる再設計でCelor(セロール)とArtar(アーター)へと置き換わり、更に1913年の再設計ではコマの補正を強化したDogmar(ドグマー)へと進化している。

空気レンズを導入した
ゲルツ社の大口径アナスティグマート

空気レンズ(Luft Linsen)とはレンズをより明るくするために導入されてきた設計技法の一つで、ガラスとガラスの間に狭い空気層を設け、本来は何も無いはずの空間部分を屈折率1のレンズに見立てることで設計に自由度を与え、球面収差を効果的に補正するというものである。この技法は1953年登場のズミクロンM(Leitz社)に採用されたことで広く知られるようになり、後の日本製大口径レンズにも積極的に導入されている。空気レンズのアイデア自体は19世紀の末頃に登場しており、独学でレンズの設計技法を身に付けたEmil von Hoeghも大口径アナスティグマート(Doppel-Anastigmat Series IB F4.5)を開発する試行錯誤の過程の中で同等のアイデアに到達している[Pat. DE109283 (1898)]。Hoeghの設計したSeries IBは1903年に同社のWalther Zschokke(W.ショッケ)とFranz Urban(F.アバン)によって再設計され、凸レンズに用いられていた高価なバリウム・クラウン硝子が低コストで気泡が少なく光の透過率の高いケイ酸塩クラウン硝子へと置き換えられた(US Pat.745550)。この時にレンズ名もCelor(セロール/ツェロー)へと改称され翌1904年に再リリースされている。Zschokkeはその後もCelorを改良し、困難だったコマの補正にも成功、1913年に後継製品となるDogmar F4.5を世に送り出している。
下の図は1904年に発売されたCelor(セロール/ツェロー)F4.5と、後継レンズとして1913年に発売されたDogmar(ドグマー) F4.5の断面である。凸レンズと凹レンズの間に設けられた狭い隙間が空気レンズである。CelorとDogmarは一見同一の構成にも見えるが、Celorは前群と後群の光学ユニットが絞りを中心に完全対称であるのに対し、Dogmarは前群の屈折力がやや後群側に移され対称性が破れている。


Celor F4.5(左)とDogmar F4.5(右)の構成図(Goerz American Opt. Co.1915年のカタログより引用)
Celorの設計方法は至ってシンプルである。まず正の凸レンズと負の凹レンズを狭い空気層を挟んで配置し、これら光学ユニットの外殻の曲率を非点収差が0になるように与える。次に、凸レンズのガラス屈折率を凹レンズのそれよりも大きくすることで、前・後群それぞれの光学ユニットに新色消しレンズと同等の作用を持たせ軸上色収差を補正する。こうしてできる1対の光学ユニットを絞りを挟んで対称に配置し、歪曲と倍率色収差、コマ収差(メリジオナル成分)を自動補正する。ただし、光学ユニットが空気層を持つ場合、サジタルコマ収差は補正されない。最後に空気レンズの発散作用を利用し球面収差を補正する。空気レンズの形状を調整し球面収差が最も小さくなる最適解を探索することでレンズの大口径化を実現するのである。この設計の最大のポイントは新色消しレンズの効果を持ちながら同時に球面収差が容易に補正できるところにある。本来は硝材の選択に頼り困難なところが空気レンズの導入によって可能になっているのである。
Celorはシンプルな構成で諸収差を合理的に補正できる高性能なレンズであるが、遠方撮影時に顕著に発生するコマのため風景撮影には向かず、同社のDagorほど万能ではなかった。この問題に対し、Zschokkeは前群の正レンズの屈折力を僅かに後群側の正レンズにシフトさせる事でコマの抑制が可能になることを発見、Celorの更なる改良と万能化に成功し、1913年に新型レンズDogmar F4.5を完成させている。
Series IBに始まりDogmarの登場によって収差的に完成の域に達したCelor/Dogmar型レンズではあるが、空気レンズの導入により空気とガラスの境界面が8面とこの時代のレンズにしては多く、階調描写力では同社のDagor(ダゴール)には及ばなかった。境界面の数を抑えることはコーティング技術が確立されていない時代のレンズ設計において非常に重要な事であり、各境界面で発生する内面反射光の蓄積がコントラストや発色、シャープネスなどの階調描写力に甚大な影響を与えてしまう。この問題を解決するコーティング技術の普及はDogmarの開発から30年以上も後の事である。もしもDogmarが造られた時代にコーティング技術があったなら、Goerz社のフラッグシップレンズの座はDagorからDogmarに置き換わっていたかもしれない。


参考文献
・「レンズ設計のすべて」辻定彦著(電波新聞社)
・「最新写真科学大系・第7回:写真光学」山田幸五郎著 誠文堂新光社
Goerz Lenses(Official catalog in 1915), C.P.Goerz American Opt. Co.
・R. Kingslake, A History of the Photographic Lens

Doppel anastigmat Series IB Celor 130mm F4.8:シリアル番号 Nr 186073(1900-1908年に製造されたCelorの初期ロット), 真鍮製バーレルレンズ, 絞り値は無表記, フィルター径:不明(改造により43mmに変換されている), 構成は4群4枚, ガラス面にコーティングのないレンズである 

Dogmar 10cm F4.5: シリアル番号 591405(1922-1923年の製造ロット), Zeiss-Ikon製ダイアルコンパー式シャッター搭載(コンパー0番), シャッタースピード:1/250s--1s, 絞り値:F4.5--F36, フィルター径:28mm, 構成は4郡4枚の変形Celorタイプ。ガラス面にコーティングのないノンコートレンズである。M42リバースリングとステップアップリングを使用し無改造でM42へと変換している。レンズ名はラテン語で「信条」を表すDOGMAが由来


製品ラインナップ
Celorは1898年に開発されたDoppel Anastigmat Series IBの後継レンズとして1904年から市場投入されている。広角から超望遠まであらゆる焦点距離に対応できる融通の利く設計であり、1913年のGoerz社のカタログには焦点距離の異なる14の製品ラインナップが掲載されている。焦点距離ごとに列記すると、2+3/8インチ(約6cm) F4.5、3インチ(約7.5cm)F4.5、3+1/2インチ(約9cm)F4.8、4+3/4インチ(約12cm)F4.8、6インチ(約15cm) F4.8、7インチ(約18cm)F4.8、8+1/4インチ(約21cm) F5、9+1/2インチ(約24cm) F5、10+3/4インチ(約27cm) F5、12インチ(約30cm) F5.5、14インチ(約35cm) F5.5、16+1/2インチ(約42cm) F5.5、19インチ(約48cm) F5.5がある。また、Kodak製等の小型カメラ向けに5インチ(約13cm) F4.8も供給されている。これに対し、Dogmarは1915年の米国Goerz社のカタログに新型レンズとして紹介されており、焦点距離の異なる12のラインナップが掲載されている。焦点距離ごとに列記すると、2+3/8インチ(約6cm)、3インチ(約7.5cm)、4インチ(約10cm)、5インチ(約13cm)、5+1/4インチ (約13.3cm)、6インチ(約15cm)、6+1/2インチ(約16.5cm)、7インチ(約18cm) 、8+1/4インチ(約21cm)、9+1/2インチ(約24cm) 、10+3/4インチ(約27cm)、12インチ(約30cm) (F5.5)などがある。カタログにはCelorがスタジオ撮影や製版、コピーなど近接域からポートレート域の撮影に向いていると紹介されているのに対し、Dogmarはグラフィックアートや風景撮影に最適と記載され、近接域から遠距離まであらゆる距離に向いていると紹介されている。このあたりは遠方撮影時にコマの出るCelorに配慮した解説なのであろう。

入手の経緯
Dogmar 100mmは2013年1月にeBayを介してハンガリーの写真機材業者から落札購入した。商品ははじめ135ドルで出品されていた。商品の状態については「Very Good Conditionのドグマ-。中古だが素晴らしい。シャッターは全てのスピードで適切に動作する。硝子はクリアーだ。鏡胴は少し使用感がある。絞りはパーフェクトに動作する。コレクターやフォトグラファーにオススメする。」とのこと。スマートフォンの自動スナイプソフトで入札締め切り5秒前に155ドルで入札したところ誰と競り合うこともなく開始価格のまま私のものとなった。送料込みの価格は160ドルである。届いた品は経年にしては良好。ただし、写りに影響の無い程度で小さなキズとホコリの混入がみられた。安かったのでこれで良しとしよう。
続いてCelor 130mmは2012年11月にオールドレンズ愛好家のlense5151(レンズこいこい)さんからお借りした。lense5151さんはDagorでもお世話になっている。浮き世離れした写りを追い求める方のようで、Celorについては「温泉のような写りが楽しめる(笑)」などと謎めいたコメントを添えていた。

撮影テスト

CANERA:  EOS 6D
LENS HOOD
  Celor: ステップダウンリング(43mm-30mm)+望遠レンズ用フード(30mm
  Dogmar:望遠用メタルフード(28mm径)

Celorの特徴は遠方撮影時にコマが発生しヌケが良くない事と、空気とガラスの境界面の数が8面とノンコートレンズとしてはやや多く、内面反射光が蓄積しやすいことである。コントラストは低下気味で軟調、発色も淡く、遠方撮影時ではハイライト部のまわりがモヤモヤとソフトな描写になる。しかし、これらを除けば収差的には性質が良く、ピント部には高い解像力が実現されている。凹凸レンズの数の比が2:2とバランスしていることから非点収差の補正は容易で、像面を平らにしたまま四隅まで高い解像力を維持できる。フルサイズセンサーのカメラによる不完全な評価ではあるがグルグルボケや放射ボケもほとんど見られない。後ボケは概ね整っているが、像が硬めでザワザワと煩くなることがある。ハイライト部を肉眼で拡大チェックする限り色滲みなどは認められず、定評どうり軸上色収差の補正効果は良好のようである。近接撮影時のヌケは悪くない。
Celor 130mm F4.8@F4.8(開放)+EOS 6D AWB:  温泉的な描写効果とは、このことなのだろうか。開放では遠方撮影時にコマが顕著に発生する。拡大すると良く分かるので上の鬼瓦の部分を拡大し下に提示する
上の写真の一部を拡大したもの。ハイライト部のまわりがモヤモヤとソフトでヌケが悪い。こういう妖しい描写は女性のヌードを撮るのには適している。遠方撮影でヌード作品が成立するかどうかは別として、こういう描写表現も悪くはない
Celor 130mm F4.8@F4.8(開放)+EOS 6D(AWB): 近接撮影の方がヌケは良いようだが、開放ではまだモヤモヤ感が残っているようで、椅子の背もたれなどが妖しい雰囲気を醸し出している。後ボケは硬くザワザワとしている

Celor 130mm F4.8@F4.8(開放)+EOS 6D(AWB): 手前の掲示板にもコマが盛大に発生している。その影響で全体的にコントラストも下がり気味だ


Celor 130mm F4.8@F6.3(目測)+Nikon D3, AWB: 近接撮影時のヌケは悪くない。少し絞るだけでスッキリとシャープに写り、解像力も良好だ



 
続くDogmarであるが、温調で味わい深い発色傾向が印象的なレンズだ。コマについてはGoerzの1915年のカタログに記載されているとうり、Celorよりも発生量が少なくヌケは良い。その分だけコントラストも高く、Dagorほどではないものの風景撮影においてもスッキリとシャープに写る。もちろん現代のレンズに比べれば軟調でコントラストは低く、シャープネスも強くない。解像力はDagorを上回る印象をうけるが階調描写力では一歩及ばない。ノンコートレンズなので逆光撮影には弱く、コンディションが悪いと盛大なフレアが発生する。今回はフレアを上手く生かした作例にもトライしてみた。
Dogmar 100mm F4.5@F4.5 + EOS 6D, AWB: このとおり黄色に被る温調気味の発色傾向だ


Dogmar 100mm F4.5@F6.3 + EOD 6D, AWB: 肖像権に配慮しレタッチで人相を変えてある。階調描写はたいへん軟らかい。遠方撮影時もハイライト部からはコマが出ずヌケはCelorよりも良いようだ

Dogmar 100mm F4.5@F4.5 + EOD 6D, AWB:  ピント部は開放から高解像でよく写る。改造力はDagorを上回る印象である
Dogmar 100mm F4.5@F4.5 + EOD 6D, AWB: レタッチで人相を変え個人が特定できないよう にしてある。逆光で盛大に発生するフレアが温泉の湯煙ような演出効果を生み出す。この効果を強調させたいならば、ハイライト気味に撮影するとよい
Dogmar 100mm F4.5@F4.5 + EOD 6D, AWB: 色飽和とフレアを生かし、妖狐のあやしい雰囲気を演出している。オールドレンズならではの写真効果であろう


Dogmar 100mm F4.5@F8+EOS 6D, AWB: CelorやDogmarは軸上色収差が非常に小さく、製版やコピーに利用されることも多かったようである。このとおりになかなかの描写である