おしらせ


2023/01/04

Bell and Howell - Angenieux Type M1 1inch(25.4mm) F0.95

月面探査機の目として活躍した
アンジェニューの超高速レンズ

Bell & Howell - Angenieux Type M1  1inch(25.4mm) F0.95 (C mount)

1964年7月31日13時8分、米国の無人宇宙船レンジャー7号は月面を至近距離から撮影する目的のため、P. Angenieux 社の超高速レンズType M1を組み込んだTVシステムを搭載し、月面上空の高度約1800kmから目標地点であるコペルニクスクレーターの南方マレ・コグニトゥム(既知の海)に向け降下を開始、目標に向かって降下する様子を撮影しました[1,2]。降下から17分13秒後に時速約9400km/hで月面に衝突しミッションを完了、レンジャー7号は降下中に4308枚もの連続写真を地球に向け送信したのでした。最後の写真は衝突の0.18秒前に高度約480メートルの地点から月面上の約30mx50mの区画を0.5mの解像度で撮影した1コマでした。ミッションの成功はNASAによる月面探査史上初めてのことで、ここに到達するまでにNASAは月面探査のミッションを13回連続で失敗しています。レンジャー7号の成功が後に月へ宇宙飛行士を送り出す「アポロ計画」を推進するための貴重な地形データを提供したことは言うまでもありません。
NASA JET PROPULSION Lab. Official Home Page(Click the preview image above to go!)

 

宇宙船レンジャー7号

レンジャー7号(P-54/Ranger-B)についてはこちらに船体図の詳細があります[3]。宇宙船に興味のない人は読み飛ばしてください。船体は全高3.6m、総重量は366kgで、幅1.5mの六角形のアルミフレームでできた基部(コアユニット)に推進装置と動力装置を内蔵、基部の左右には0.74m x 1.54mの発電用ソーラーパネルがあり、基部の一角には指向性アンテナが備わっていました。また船体後方に無指向性アンテナを内蔵した円筒形の塔を持ち、アンテナ塔の中央部に6台のTVカメラシステム(全てRCA-Vidicon社のスロースキャンTVカメラ)が設置されていました。このTVカメラシステムは2つの独立したチャンネルを持ち、各チャンネルがそれぞれ独立した電源、タイマー、トランスミッターを備えることで、トラブルに強い構造となっていました。このうちの第1チャンネルは2台のフルスキャン用カメラ(AカメラとBカメラ)が設置され、Aカメラには広角レンズとしてAngenieux社の25mm F0.95Bカメラには望遠(狭角)レンズとしてBausch & LombBaltar 75mm F2(T2.3)が搭載されていました。また、第2チャンネルには4台のパーシャルスキャン用カメラが設置され、これらには同じくA社の広角レンズ2台、B社の望遠(狭角)レンズ2台が搭載されていました。宇宙船は月面への下降を始める3日前の7月28日にアトラス・アジェナ大型2段ロケットに搭載され、フロリダ州のケネディ宇宙センターに併設されたケープカラベル宇宙軍基地の発射台(LC-12)から打ち上げられました[4]。打ち上げは順調に進み、予定どうり1段目のアトラスロケットを分離した後、2段目のアジェナロケットとレンジャー7が宇宙待機軌道に投入されました。続いてアジェナへの2度目の点火と切り離しにも成功、宇宙船レンジャー7は月遷移軌道へと投入されたのでした。

Bell & Howell - Angenieux 1inch F0.95(関東カメラ塗装モデル): 焦点距離 約25.4mm,  絞り F0.95-F22, 最短撮影距離 約0.45m, 重量 166g, フィルター径 約39mm, マウント規格 Cマウント, 6群8枚(ガウス発展型),  16mm /Super 16mm シネマムービーフォーマット

 

Angenieux Type M1

今回取り上げるのはレンジャー7号に搭載され月面探査で活躍したフランス製16mmシネマ用レンズのP.Angenieux Type M1です。レンズは1953年にピエール・アンジェニューの手で設計され、市販品としてはBell & Howell社の16mmシネマムービー用カメラ B&H Filmo 70シリーズに搭載する交換レンズとして、A社の広角10mm, 望遠75mmと共に供給されました[5,6]。レンズ構成は下図に示す通りで、F0.95の明るさを実現するためスタンダードなガウスタイプの前後に正の凸レンズを一枚ずつ追加し、屈折力を稼ぎながら各面の曲率を緩めバランスさせています。この種のレンズ構成は傑出した明るさと引き換えにペッツバール和の増大が問題となりますので、像面湾曲をある程度許容しても非点収差を十分に補正しきれない問題が残ります。ただし、画角を広げすぎなければ弱点にはなりません。Type M1の画角はは25°が定格で、これは35mmフォーマットに換算すると約100 mmの望遠レンズに相当しますので、画質的に無理のない設計であったと言えるでしょう。

Angeniux Type M1 F0.95 / 1inch の光学系:設計構成は6群8枚(ガウス発展型)。球面収差は強力に補正されるようですが、画角を広げると正レンズ過多によるペッツバール和の増大が問題になり、像面湾曲をある程度許容しても非点収差を十分に補正しきれないそうで[7]、グルグルボケと写真の四隅での解像力の低下を引き起こします

参考文献

[1] 米国ジェット推進研究所資料:Ranget VII Photographs of the Moon Part O: Camera "A" Series, JET PROPULSION LABORATORY, CALIFORNIA INSTITUTE of TECHNOLOGY, Aug. 27 (1964)

[2] AFCINEMA.COM, Remember 50 years ago… A famous lens made by Angénieux... (2022)

[3]NASAアーカイブ: Ranger7, Solar system Exploration, NASA

[4] 「スペースガイド1999」(財)日本宇宙少年団編 丸善株式会社刊

[5] 設計特許:Pierre Angenieux, Large Aperture Six Component Optical Objective, US Pat. 2701982 (1955)

[6] FILM and DIGITAL TIMES:A History of Angenieux, IBC Special Report- Sept 2013, Jon Fauer,ASC

[7] 「レンズ設計の全て」辻定彦著 電波新聞社(第一版)P96頁 2006年

入手の経緯

レンズは2018年にカメラやレンズの修理を専門とする関東カメラを訪問した際、同店から購入しました。たまたま同店のガレージに赤く輝く見たこともないレンズを発見、スタッフの方に尋ねると同社の社長が長らく愛用していた個体とのこと。再塗装とオーバーホールのため一度分解されているものの、MTF曲線を確認しながらベストな性能が出るよう、細心の注意を払いながら組み立てられたとのことです。試写してみるとF0.95であることが信じられない素晴らし性能でした。迷うことなく購入し持ち帰ることにしました。関東カメラはレンズやカメラの修理を専門とする国内屈指の会社です。オークションにおけるレンズの一般的な相場は、コンディションにも依存しますが、概ね7万円から10万円くらいでしょう。

撮影テスト

私の手にした個体はコンディションが完璧なうえ光学系がベストな位置に組み上げられていましたので、レンズ本来の性能か最大限まで引き出されている個体と考えてよさそうです。レンズの定格イメージフォーマットは16mm/Super 16mmのシネマムービー規格ですので、デジタルカメラで使う場合にはNikon 1が最も相性が良い組み合わせです。ただし、イメージサークルには余裕があるため、一回り大きなマイクロフォーサーズセンサーでも写真の四隅に若干の暗角が出る程度で済みます。今回は主にマイクロフォーサーズ機のOlympus E-P3でアスペクト比を16:9に設定して使用することにしました。写真の四隅は本来は写らない部分ですので、適度な収差が出てくれます。立体感に富むピント部と非点収差に由来するグルグルボケを期待することができそうです。何枚か試写結果を見てゆきましょう。
 
F0.95(開放)Pen E-P3(WB:auto, Aspect ratio 16:9)


F0.95(開放)Pen E-P3(WB:auto, Aspect ratio 16:9)
F0.95(開放)Pen E-P3(WB:auto, Aspect ratio 16:9)

F2  Pen E-P3(WB:auto, Aspect ratio 16:9)














私的にはかなり好みなテイストなのですが、いかがでしたでしょうか?前評判からはもう少しフレアの多い描写を想像していたのですが、ピント部は適度に滲む程度で充分な解像感が得られており、まとまりのある品の良い描写です。適度に軟調なうえ四隅の光量落ちもあり、なだらかでダイナミックなトーン描写を楽しむことが出来ます。四隅の像は流石に妖しく、ピンボケしたように見えるのは非点収差の影響と考えられます。アウトフォーカス部のハイライトが滲みを纏い、キラキラと光り輝くドラマチックな演出効果を生み出しています。これも収差の力でしょうね。ピント部は口径比F0.95とは思えない傑出した描写力で、絞りを開けっ放しにしても、充分に実用的な画質が得られます。ボケは流石に大きく、マイクロフォーサーズ機(4:3)で使用した場合には、フルサイズ機にて50mm F1.9相当のレンズを使用した場合と同等の画角と被写界深度になります。
 
F0.95(開放)Pen E-P3(WB:auto, Aspect ratio 16:9) 前ボケの滲みがうつくスィ~

F0.95(開放)Olympus Pen E-P3(WB:auto, Aspect ratio 16:9) 開放0.95でも、この通りにピント部は緻密に描かれ、素晴らしい!
F2.8 Olympus Pen E-P3(WB:auto, Aspect ratio 16:9)
 
 
Nikon 1での撮影結果も参考までに何枚かどうぞ。全て開放で撮っています。こちらです。

3 件のコメント:

  1. Dear Spiral,
    It is good to see new articles from you. This article is helpful to me as I have a copy of this lens too.

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    1. Thank you for your concern - I have spent the last four months without the energy to write a new article, but I am slowly getting back on track. I will consider a Chinese version of the article when feeling a little better. It is a blessing for me to be connected online with kind people like you.

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    2. I see. Just whatever you feel more comfortable with.

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