オールドレンズの本質は作品の様式を形づくり、作品の美はオールドレンズに新たな価値を与えます。こうした相乗効果が半世紀もの時を経て、写真家の実験的な創作活動と新たな美の探求を支えてきました。フランスのアンジェニューが世に送り出した高速レンズのType S21は、このような写真文化の営みの中で高く評価されるようになったオールドレンズの代表的な存在です。
オールドレンズ界の至宝
Angénieux Paris Type S21 50mm F1.5 1st and 2nd model
映画用ズームレンズやレトロフォーカス型広角レンズの開発で世界の光学分野を牽引してきたフランスの光学メーカーAngénieux(アンジェニュー)。同社は技術革新と市場開拓を重ねながら、写真・映像分野における光学設計の歴史を塗り替えてきました。
同社が35mm判スチル用レンズに初参入したのは1938年で、スイスのピニオン社が製造した一眼レフカメラのALPAFLEXに交換レンズを供給したことが、その第一歩でした。1942年にはライカマウントに対応したレンズの製造を開始し、1948年からはレクタフレックスマウントに対応する標準レンズのType S1や望遠レンズのType Y1、P1を展開。さらに1950年には、画期的なレトロフォーカス型広角レンズのType R1を発表し、一眼レフ用交換レンズの本格的な製造に乗り出します。
今回取り上げるTYPE S21 50mm F1.5は同社から1953年に発売された高速標準レンズです。M42、EXAKTA、レクタフレックスといった一眼レフ用モデルに加え、少量ながらライカマウントに対応したモデルも供給されました。大口径でありながら、一眼レフカメラへの適合に必要な十分なバックフォーカスを確保しつつ、焦点距離を50mmに抑えた設計は、当時としては非常に珍しいものでした。58mmや55mmが標準とされていた時代にあって、真の標準画角である50mmを実現したこのレンズは、まさに時代を先取りした存在だったのです。
描写についても、このレンズならではの個性が光ります。ピントが合っている部分の中央は緻密で繊細な像を描きますが、周辺に向かって優しく滲むように溶けていく描写が印象的です。また、画面全体が淡い色彩とともに柔らかなベールに包まれ、まるで夢の中にいるかのような幻想的で現実離れした浮遊感を醸し出します。前景のボケはフレアに包まれて滑らかに溶け、背景には粒状の光源が軽やかに煌めき、画面に詩的な奥行きをもたらします。このような収差が生み出す不安定で不規則な揺らぎは、現代のレンズでは排除されがちな要素ですが、TYPE S21ではそれがむしろ魅力として機能し、唯一無二の雰囲気を漂わせます。美しさと詩情を宿すこのレンズの描写は、写真表現に自由と深みを与え、現実と幻想の狭間に新たな物語を紡ぎ出してくれるのです。
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Angenieux Type S21の構成図(同社カタログからのトレーススケッチ):設計構成は 4群6枚のガウスタイプ。50mmの焦点距離をF1.5の口径比で実現させるため正レンズはすべて分厚く曲率もきつい。バックフォーカスを長くとるという目的のため、前群の負レンズはかなりの曲率に設定され、大きな屈折力を持っている。 |
TYPE S21の光学設計は、F1.5クラスの大口径レンズとしては珍しい6枚構成(4群6枚構成)のガウスタイプを採用しています。このクラスのレンズでは一般的に正レンズを後群に1枚追加し、収差の補正を強化した7枚構成の変形ガウスタイプとするのが主流です。ただし、この種の構成を採るレンズは既に多く存在しており、描写傾向が画一化しやすいため、独自性が埋もれてしまう懸念があります。TYPE S21は、そうした一般的な設計構成を採らず、収差の補正パラメータが限られる6枚構成をあえて選択しました。背景にはコスト面の制約もあったかもしれませんが、結果としてこのレンズならではの描写が生まれています。とくに開放時に見られるフレアの扱いは絶妙で、柔らかく光を包み込むような描写は、他のレンズにはない大きな魅力となっています。
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Type S21(前期型, 発売年1953年): 最短撮影距離 約2.5feet(0.8m前後), 絞り F1.5-f22, 絞り羽 10枚構成, プリセット絞り, フィルター径 51.5mm, 設計構成 4群6枚ガウスタイプ, シリアル番号 No.2848XX (1953年製), 本品はライカM(距離系連動)に改造されている |
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Type S21(後期型, 発売年1954-1955年頃):最短撮影距離 0.8m, 絞り F1.5-F22, 絞り羽 10枚構成, プリセット絞り, フィルター径 51.5mm, 設計構成 4群6枚ガウスタイプ, シリアル番号 No. 4346XX( 1956年製), 本品はM42マウントに改造されている |
★レンズの市場価格
30年前までは今ほどの人気はなく、8万円程度で入手できたそうですが、現在の国内外での相場価格は前期モデル・後期モデルとも9000ドル〜10000ドル程度と大きく高騰しました。また、数年前まではeBayで常に1~2本は流通していましたが、ここ最近は全く見なくなり、希少性も増しているよう思えます。
今回ご紹介している前期型の個体は2021年2月にeBayを介してチェコのcameramate (eBay名leica-post)という、業界では有名なセラーから、10000ドル(105万円)で購入しました。このセラーはかつて公式オンラインストアも運営していましたが、今は閉鎖され、facebookやinstagramに残されているアカウントも更新が止まっています。
後期モデルは知り合いのlense5151さんからの一時的な預かり品です。私が仲介し、購入希望者を探しています。
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Type S21(Late model)@F1.5(開放)+ Fujifilm GFX100S (WB:自動) |
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Type S21(Late model) @F1.5(開放)+ Fujifilm GFX100S(WB:自動) |
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Type S21(Late model)@F1.5(開放)+ Nikon Zf(WB:日陰) |
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Type S21(Late model) @F1.5(開放)+ Nikon Zf(WB:日陰) |
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Type S21(Late model) @F1.5(開放)+ Nikon Zf(WB:日光A) |
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Type S21(Late model) @F1.5(開放)+ Nikon Zf(WB:日光A) |
★前期型による写真は、後日追加します。お楽しみに★
★2本のレンズの描写比較
前期モデルと後期モデルを同じ場所、同じ撮影条件で撮り比べ、写真を詳細に比較しました。しかし、差はほぼ無く、両者の光学系は同一設計であろうという判断に至りました。参考までに比較写真を何枚かお見せしておきましょう。いずれも絞りは開放です。
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Type S21(前期モデル) @F1.5(絞り開放) + Nikon Zf(WB:日光) |
Type S21(後期モデル) @F1.5(絞り開放) + Nikon Zf(WB:日光) |
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Type S21(前期モデル) @F1.5(絞り開放) + Nikon Zf(WB:日光) |
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Type S21(後期モデル) @F1.5(絞り開放) +Nikon Zf(WB:日光) |
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