おしらせ

2014/07/14

Carl Zeiss Jena Biotessar 10cm F2.9 :「Zeissの古典鏡玉」特集PART 1 ビオテッサー




Zeissの古典鏡玉 Part 1
過剰性能のため絶滅した
テッサーの進化形態
Biotessar 10cm F2.9
Biotessar(ビオテッサー)はZeissのE. Wandersleb (エルンスト・ヴァンデルスレプ)とW.W.Merte (ウィリー・ウォルター・メルテ)がTessar(テッサー)からの改良モデルとして1925年に設計した大口径標準レンズである[文献 1,2]。WanderslebはP.Rudolph (パウル・ルドルフ) と共に1902年にTessar F6.3を発明した人物で、一方のMerteはBiotar (ビオター)やOrthometar (オルソメタール)、Tele-Tessar (テレ・テッサー)の設計者として知られている。Biotessar が開発された時代背景には手持ち撮影のできるハンドカメラに搭載し、野生生物の記録撮影に用いることのできる明るいレンズを提供して欲しいという学術分野からの要望があった[文献3]。これに応じるためWanderslebとMerteははじめTessarの再設計に着手し、1925年にTessar F2.7(シネマ用から大判撮影用4x5インチまでに対応)を開発している[文献4]。しかし、旧来からのイエナガラスによる設計では収差的に無理があり、当時この明るさと硝材では大きなイメージフォーマットにおいて充分な性能を得ることができなかった[文献5]。そこで、基本設計はTessarのままレンズの構成を4枚から6枚(下図参照)に変更、収差の補正パラメータを増やすことでF2.8でも充分な性能が得られるようにした上位モデルのBiotessarを新開発したのである。Biotessarは1929年に量産が始まりZeiss Ikon社の中・大判カメラMiroflexに搭載する交換レンズとして市場供給されている。一方、Tessarは1930年に再びMerteの手で改良されF2.8で再登場している[文献6]。しかし、硝材の進歩なくしてTessarがF2.8の明るさに対応するのは、この時代では無理があった。1931年のB.J.A紙[文献7]にはBiotessarがTessarの後継モデルであると紹介されており、開放F2.8から非常にシャープな像が得られ性能的にはTessar F2.7よりも明らかに優位、F3.5やF4.5まで絞ってもこれらを開放値とするTessarに勝るとも劣らない優れた描写性能であると解説されている。Tessar F2.8は戦後の1947-1948年に新種ガラスを用いた再設計で飛躍的な進歩を遂げ、球面収差と非点収差の補正効果を大幅に改善させている[文献8]。一方、収差図をみるとBiotessarはこの改良されたTessar(戦後型)に対してさえ球面収差の補正効果では同等、軸上色収差では勝り、非点収差も肉薄する素晴しい性能をたたき出している[文献5]。Sonnarもまだ登場していない1920年代半ばに旧来からのイエナガラスのみに頼る設計で、これほどまでに優秀なレンズが実現されていたのは、たいへんな驚きである。
Biotessarの光学系:左が前方被写体の側で右がカメラの側となる。構成は3群6枚のBiotessar型である。Tessarをベースに改良され、球面収差と非点収差、軸上色収差の補正効果が大幅に強化されている。当時のTessarと比べ解像力と周辺画質が改善されておりシャープネスも高く、F2.8/F2.9の明るさに無理なく対応している。はり合わせ面を多く持つのが特徴である
重量(実測): 252g, 絞り羽: 15枚, 絞り: F2.9/3.1/4.5/6.3/9/12/18/25, フィルター径: 39mm, 推奨イメージフォーマット(推測値):対角長8.1cm(中判6x6の対角長7.9cmをカバー), 構成: 3群6枚ビオテッサー型, Serial number: 691209
Biotessarは1925年に構成図の特許[文献2]がドイツ、米国、英国で一斉に開示され、翌1926年には最初の試作レンズ(プロトタイプ)が造られている。Zeiss Jenaの台帳[文献10]によると1926年にまず18cm F2.7と17cm F2.9が造られ(本数不明)、続いて5cm F2.2が2本、10cm F2.2が1本、8.5 /10 /12 /14 /17cmがF2.9で各5本、20/25cm F2.9が各1本、1927年に1.5cmF2.2が1本、1928年に4cmと17cmがF2.7で各1本、1929年に4 /5 /13 /5 /16 /5 /17cmがF2.8で各1本、5cm F2.8が英国用に1本、1931年に26cm F2.9が1本試作されている。まとまった数のレンズが量産されるようになったのは1929年からで、Zeiss Ikon社製の中判カメラMiroflex A型の交換レンズとして13.5cm F2.8のモデルが225本、大判カメラのMIROFLEX B型の交換レンズとして16.5cm F2.8が600本供給された[文献9,10]。また、カメラは不明だが5cm F2.8が同年に200本製造されており、その少し前にマスターレンズ1本が英国に納品されていることから、英国製カメラのいずれかに供給されたものと思われる。量産された上記の3種のうち、焦点距離13.5cmのモデルは中判カメラ(Miroflex A型)の6.5x9cmフォーマットをカバーし、規格どおり用いれば35mm判換算で54mmF1.1相当のレンズとなる。一方、焦点距離16.5cmのモデルは大判カメラ(Miroflex B型)の9x12cmフォーマットをカバーし54mm F0.9相当のレンズとなる。どちらも強烈な超大口径レンズで、標準レンズ並みの撮影画角をカバーしている。ただし、発売当時は使用できるカメラが限られ、フィルムの性能もこのレンズの性能を活かしきれるほど高くはなかったため、製造コストの高いBiotessarがTessarに置き換わる新たな看板ブランドになることはなかった。1942年になるとZeissは非公式ながらHasselblad(ハッセルブラッド)がスウェーデン軍に納入した中判カメラHK7に搭載する交換レンズとしてTコーティング入りのBiotessar 13.5cm F2.8を供給している。しかし、HK7の生産台数は342台と少なく、レンズの安定供給までには至っていない。その後、新種ガラスの普及とともにTessar F2.8の性能が大幅に向上したことでBiotessarの存在意義は薄れ、新種ガラスへの対応が進まないまま生産終了となっている。戦後は全く造られていない。Tessarを超える優れた性能を実現しながらも普及のチャンスを掴みとることができなかった不遇のレンズである。

文献1:Rudolf Kingslake, "A History of the Photographic Lens"
文献2:Brit Pat 256586(1925), DRP 451194(1925), US Pat 1697670(1925)
文献3:「カメラマンのための写真レンズの科学」 吉田正太郎(地人書館)
文献4:British Pat 273274(1926);  B.J.A. 1926, p324
文献5:「レンズ設計のすべて―光学設計の真髄を探る」 辻定彦(電波新聞社)
文献6:British Pat 369833(1930)
文献7:B.J.A紙 No.304(1931)
文献8:H. Zollnar設計, Jena review (2/1984)
文献9:Zeiss Photo Lenses Catalog 1933
文献10:ZEISS台帳;Carl Zeiss Jena Fabrikationsbuch Photooptik I,II-Hartmut Thiele

入手の経緯
BIOTESSARの存在を知ったのは海外の掲示板仲間と既に絶滅してしまった優秀なレンズについて談議している最中に「こんなものがあるぞ」と紹介してもらったのがきっかけである。さっそくeBayでレンズを探したところ、焦点距離13.5cmF2.8のモデルと16.5cmF2.8のモデルの2種が流通していることがわかった。スナップ撮影が中心の私にとって大判カメラは大きすぎるので、ここは中判カメラでの使用を前提に焦点距離13.5cmのモデルを探すことにした。ところが中古市場に流通している製品個体は16.5cmのモデルばかりで、いつまで待っても13.5cmのモデルを見つけることができない。運よく見つけられたとしてもバルサム剥離がみられたりクモリがあるなど、何らかの重大な問題をかかえていた。こうしてほとんど諦めかけていたところ、2013年6月にオーストリアのライカショップが出している商品リストの中に今まで聞いたこともない焦点距離のBiotessarを見つけることができた。その個体はZeissのカタログ(1933年)に記載のない焦点距離10cmのモデルで、開放F値がF2.8ではなくF2.9となっているのである。念のためZiess Jenaの台帳でシリアル番号を照合したところ確かに10cmF2.9でBiotessarと記録されている。ライカショップのホームページで解説文を読むと、「カールツァイスのアーカイブに眠っていたプロトタイプ(試作品)の5本の内の1本で、黒色にペイントされた真鍮鏡胴のビオテッサー。ガラスはクリーンでコンディションは大変に良い」とのこと。レンズの値段は13万円である。ちなみに13.5cmのモデルのeBayでの相場は700-500ドル程度。購入資金をつくるため手元にあったレンズを何本か売却し、レンズの入手に踏み切った。届いた品は中玉にクリーニング時のものと思われる拭きむら(水垢の汚れ)が僅かにみられたが、ガラス自体は拭き傷も無く、アーカイブに安置されていただけのことはありとても良い状態である。いい買い物ができた。残る問題は使用するカメラをどうするかである。Zeissの1933年のカタログに掲載されている焦点距離13.5 cmと16.5 cmのモデルの製品仕様から割り出したBiotessar 10cmの推奨イメージフォーマットは中判6x6相当である。使用できるカメラはフォーカルブレーン機に限られるので、BRONICA、HASSELBLAD、ROLLEI SL66、KIEV 88を候補にあげ多角的に検討した。どのカメラにも市販でマウントアダプターが供給されておりマウント部をM42ネジに変換することができる。悩んだ末にバックフォーカスの短いレンズにも対応できるBRONICA S2を導入することにした。

レンズをBRONICA S2にマウントする
BRONICA S2は中判の6x6フォーマットに対応した一眼レフカメラである。普通の一眼レフカメラでは撮影時にミラーが前方に跳ね上がる仕組みとなっているが、このカメラでは何とミラーが後方に倒れる仕組みになっている。このためバックフォーカスの短いレンズにも難なく対応でき、レンズをマウントさえできればミラーが後玉に干渉する恐れはない。カメラとしての合理性よりもレンズとの互換性を重視している点がこのカメラの著しい特徴で、オールドレンズの母機として運用する際に高い自由度を提供してくれる頼もしい存在である。ただし、Biotessarのフランジバック長は90mm前後とBronicaマウントのフランジバックより10mmほど短いため、このままカメラにマウントできても無限遠までピントを拾うことはできない。そこで、創意工夫しレンズをカメラの内部へと沈胴させて使用することにした。バックフォーカスを短縮させピントを無限遠まで拾えるようにするのが狙いである。試行錯誤の末、下の写真に示すような部品構成で実現できることがわかった。用いた部品は全て市販品なので、以下で述べる解説は誰にでもできる方法である。
レンズをBronica S2にマウントするために集めた部品:(A)Bronica M57用M42アダプターリング; eBayにて香港のLens-Workshopから80ドルで購入した。(B)M42マクロ・リバースリング; eBayにて中国製を8ドル(送料込)で入手した。(C)ステップアップリング; ヤフオクやeBay、量販店、八仙堂などで入手可能で値段は数百円~1000円程度である。(D)レンズ本体(フィルター径39mm)。(E)Bronica用M57マクロチューブ;ヤフオクでは3000円前後で入手可能(中古品)。Bronicaの純正品もある。私は2400円で非純正の品を手に入れた

    まずは3枚のアダプターリング(A)(B)(C)をつなぎ土台を製作する。Bronica M57-M42アダプターリング(A)の後方背面側からM42リバースリング(B)をはめ、M42マウントのメスネジをフィルター用のオスネジへと変換する。続いて、このオスネジにステップアップリング(C)を装着してネジ径をレンズ本体のフィルターネジと同じ39mm径に変換する。こうして3枚のリング(A)(B)(C)で組み上げた土台をレンズ本体(D)の前玉フィルター枠(フィルター径39mm)に装着する(下の写真)。最後にBronica用M57マクロエクステンションチューブ(E)を覆い被せ、土台最下部のM57-M42アダプターリング(A)のM57ネジに固定すれば完成となる。

    3つのリング(A)+(B)+(C)で土台(写真の下部)をつくり、レンズ(D)をフィルター側から装着する。最後にマクロエクステンションチューブ(E)を被せ、(A)のM57ネジに固定すれば完成である
    Bronica M57マウントにマウント改造したBiotessar。レンズは前玉側のフィルターネジからマウントされており、後玉側はカメラの内部に宙吊りの状態で沈胴させる。サーカスみたいだ

    M57エクステンションチューブ(E)のマウント側は57mm径(P1)の雄ネジとなっており、下の写真に示すようにBronica本体のヘリコイド部に設けられたM57ネジに装着できる。レンズ本体(D)は土台(A)(B)(C)を介し、カメラに対してフロント側(フィルターネジの側)からマウントされ、カメラ本体の内部に宙吊り状態で据えつけらる。これは言わば沈胴している状態なので、バックフォーカスが短縮され無限遠のフォーカスを拾うことができるというわけだ。前玉側はM42ネジとなっているので、ここにM42マクロ・エクステンションチューブを装着すればレンズフードの代わりとすることができる。また、レンズキャップの代わりにはM42ボディキャップを利用すればよい。この場合、M42ボディキャップはフードの先端に装着することもできる。
    一つ不便なのは絞りの制御を行うごとにレンズをカメラ本体から取り外さなくてはならないことである。今のところ、この手間を避ける良い方法が思い当たらない。鏡胴外部から磁石で引っ張るか、モーターを内蔵させ内側から絞りリングを遠隔制御するなど、アイデアと言えばそのくらいである。



    35mm判カメラで使用する
    Biotessar 10cm F2.9の推奨イメージフォーマットは中判の6x6サイズなので、一回り小さな35mmフォーマットのカメラで使用しても画質的にそれほど無理なことではない。ここでは簡単な改造により35mm判カメラで使用する方法を解説する。
    大昔の中・大判レンズは一般にヘリコイドが省かれており、35mm判以下の一眼レフカメラやミラーレス機の交換レンズ(M42レンズ)として用いるには、別途用意したヘリコイドユニットに搭載することが前提となる。一番簡単な方法は後玉側のトリムリング用ネジにM42リバースリングを装着し、そのままM42ヘリコイドに搭載することである。カメラへの装着は市販のM42レンズ用マウントアダプターを使えばよい。部品構成は下の写真に示す通りで、いずれも市販品として手に入るものばかりである。
    M42マウントに変換するために用いた部品構成;(A)ステップアップリング (39mm→46mm):ヤフオクやeBayで数百円程度から入手できる。(B)M42リバースリング (M42/P1→ 46mm):eBayで中国製が8ドル程度(送料込み)で入手可能。(C)レンズ本体。(D)M42ヘリコイドチューブ(25-55mm): ヤフオクやeBayで中国製が手に入る。値段は4500円~6000円程度である。BORGブランドの日本製もあるが、今回の組み合わせでは長さの規格にやや無理がある

    まずはステップアップリング(A)とM42リバースリング(B)をつなぎ合わせ、レンズ本体をM42ヘリコイドチューブに固定するための土台をつくり、これをレンズ(C)の後玉側に設けられたトリムリングのネジ(39mmP0.75)に装着する。あとは、レンズを土台(A)(B)の側からM42ヘリコイドチューブ(D)に装着すれば完成である(下の写真)。市販のマウントアダプターを用いることでM42レンズと同様に様々な一眼カメラで使用することができる。ただし、この部品の組み合わせではフォーカスがオーバーインフ気味になるため、ピッタリ無限遠を出したいならスペーサー等を用いてバックフォーカスの微調整が必要となる。ここで用いているヘリコイドチューブは伸縮率が非常に高く、最短撮影距離に不満がでるような事はない。
    これで完成状態となりM42レンズとして一眼レフカメラ等で使用することができる。ややオーバーインフの設定になるので、M42-Nikonアダプター(補正レンズなし)を用いてNikon Fマウントのカメラでも無限遠のピントを拾うことが可能だ。上の写真ではレンズに元々ついていたマウント座金をつけたままにしているが、これは勿論外してしまってかまわない

    M42レンズとして使用した場合の一眼レフカメラへの装着例。レンズが長すぎることはなく、なかなか格好の良い仕上がりだ

    撮影テスト
    BiotessarはTessarをベースに球面収差と非点収差、軸上色収差の補正効果を向上させ、旧来からのイエナガラスに頼る設計のままF2.8(F2.9)の明るさに充分対応できるよう改良したレンズである。レンズの構成枚数はテッサーの4枚から6枚へと増えている分、内面反射量の増加が心配になるが、空気と硝子の境界面はテッサーと同じ6面なので、ノンコートレンズのわりにコントラストは悪くない。光の透過性がやや劣る新種硝子には頼らないぶん、ハレーション(グレア)の発生量は深刻にならない。解像力は開放から高く、四隅まで破たんのない画質が維持されている。ただし、開放ではややコマ収差が目立ち、撮影条件によってはハイライト部の周辺に美しいコマフレアが発生、薄いベールに包まれたような素晴らしい写真効果が得られる。よく言われる「芯のある柔らかさ」とは、まさにこのことなのであろう。一段絞ればフレアはおさまり、スッキリとヌケの良い描写になる。階調はノンコートレンズのためか、さすがに軟らかく、絞っても中間階調は豊富にでる。発色はやや地味で、落ち着いた雰囲気を持ち味としている。パーティや結婚式などで用いれば上品な写りになるのではないだろうか。ボケは穏やかで安定感があり前後とも柔らかく拡散している。グルグルボケ、放射ボケ、2線ボケなどの乱れはみられない。立体感には欠けるが平坦性が高く、安定感のある描写は、やはりテッサーのDNAからきているのであろう。収差図によると樽状歪曲収差が周辺部に1%程度出ているようだが、実写ではよく判らない。

    撮影機材(フィルム撮影)
    カメラ Bronica S2;  フィルム Fujifijmカラーネガ Pro400H/ Pro160,  Kodakカラーネガ Protra 160l; 
    M42エクステンションチューブ(フードの代わり); セコニック露出計 スタジオデラックスL-398
    F2.9(開放), Bronica S2 + Kodak Protra160(銀塩ネガ): 開放でのショット。ハイライト部の周囲にフレアが纏わりつき、モヤモヤと綺麗に滲んでいる。ただし、コントラストは悪くはない。花瓶の周りに出ているボケ玉の形が遊泳するクラゲのように非対称に崩れており、コマ収差がやや強めに出ているようすがわかる。フレアの原因はこれであろう
    F2.9(開放), Bronica S2 + Fujifilm PRO400H(銀塩カラーネガ):開放&近接でも解像力は良好である

    F2.9(開放), Bronica S2 + Kodak Protra160(銀塩ネガ): 発色はやや地味だが悪くない

    F4.5, Bronica S2+  Fujicolor Pro400H(銀塩ネガ): 少し絞ればスッキリとヌケのよい写りである。ピントは人物ではなく背後にとってみたが、もう少し人物の方がピンぼけしてほしかった


    F4.5, Bronica S2+  Fujicolor Pro160(銀塩ネガ):一段絞るとコントラストはアップする。後ボケはなかなか綺麗だ

    F4.5, Bronica S2+Fujicolor Pro400H(ネガ); 綺麗で優しいハレーション。オールドレンズらしさが滲み出ており、今回撮った中ではお気に入りの一枚だ

    F4.5, Bronica S2+  Fujicolor Pro160(銀塩ネガ): ノンコートレンズなので調子に乗っていると、やはりハレーションがわんさかと出る。ただし、画像全体を破綻させることはなく、このレンズにはある程度の逆光耐性があることがわかる。発色は濁らず、地味だが良好だ


    F2.9(開放), Bronica S2+  Fujicolor Pro160(銀塩ネガ):開放での適度なフレアが心地よい。柔らかく綺麗に写るレンズだ




    上段・下段ともF2.9(開放), Bronica S2 + Fujicolor Pro160(銀塩ネガ): こちらも開放。ヌケは良いとはいえないが、軟らかく美しい写りである















    F4.5, Bronica S2 + Kodak Protra160(銀塩ネガ):: クモリの日に用いるとコントラストが急に下がり発色が地味になる。これはこのレンズの持ち味であるが、一方で鮮やかな色表現を求める被写体には向かない



    以前から「芯のある柔らかい写り」という描写表現を耳にすることがあり理解に困っていたが、その意味に対する自分なりの解釈にやっと辿りつくことができた。嬉しい。すなわち軸上収差(球面収差)はよく補正されており写真の中央は高解像だが、軸外(すなわち写真の周辺部)からの光線による横収差(コマ収差)が比較的多く残存しているレンズに対して使われる表現のことなのだろう。先人達が用いてきた描写表現には、まだまだ難解なものが多くある。彼らの観察力の深さに驚くと共に、発見が尽きることのないオールドレンズの世界の奥の深さを今回のビオテッサーのブログエントリーで改めて実感することができた。
     
    デジタルカメラによる撮影テストの続編
    こちらからどうぞ。


    2014/07/08

    Zeissの古典鏡玉PART 0(Prologue): 数奇な運命をたどったZeissブランドのフラッグシップレンズ達

    左はKrauss Planar-Zeiss 60mm F3.5, 中央はBiotessar 10cm F2.9, 右はDoppel-Protar 147mm F7である



    光学系の構成図:左はPlanar, 中央はBiotessar, 右はDoppel-Protarである
    Carl Zeissの古典鏡玉 Part 0
    数奇な運命をたどった
    Zeissブランドのフラッグシップレンズ達
    1886年にZeissErnst Abbe(エルンスト・アッベ)Otto Schott(オットー・ショット)は後のレンズ設計の分野に革命的な進歩をもたらす新しいガラス硝材の開発に成功した。その硝材は原料にバリウムを加えることで透過光の分散(色滲み)を抑え、しかもレンズの屈折率を大幅に向上させるというもので、イエナガラス(新ガラス)と呼ばれるようになっている。イエナガラスを光学系の凸レンズに用いれば像面特性を規定するペッツバール和の増大を抑えることができ、従来のクラウンガラスとフリントガラスでは困難とされてきたアナスチグマートの実現が、いよいよ現実味を帯びてきたのである。4年後の1890年にZeissPaul Rudolph(パウル・ルフドルフ)は最初のアナスチグマートProtar(プロター)を完成させている[注1]。イエナガラスの登場はレンズ設計の分野に大きなインパクトを与え、波及効果は直ぐに広まった。それはまるで生物界に急激な多様化をもたらしたカンブリア爆発のような出来事であった。Protarを皮切りにDagor(ダゴール;1892), Triplet (トリプレット;1893), Protarlinse/ Doppel-protar (プロターリンゼ;1895), Planar (プラナー; 1897), Dialyt (ダイアリート; 1899)など高性能なアナスチグマートが次々と誕生し、19世紀末から20世紀初頭にかけてレンズ設計の分野は黄金期とも言える彩色豊かな素晴らしい時期を迎えたのである。そして、1902年に後の光学産業の縮図を塗り替えたと言っても過言ではないたいへん高性能なレンズが開発される。ZeissErnst Wandersleb(エルンスト・ヴァンデルスレプ)とPaul Rudolphが世に送り出したTessar(テッサー)である。
    Tessar34枚という比較的少ない構成にもかかわらず諸収差を強力に補正することのできる合理的なアナスチグマートであった。これより半世紀もの間、Tessarタイプのレンズはあらゆるカメラのメインストリームレンズに採用され、コストパフォーマンスの高さで市場を席巻、数多くのレンズ構成を絶滅の淵に追いやっている。本ブログでは数回にわたりイエナガラスの時代に登場し、優れた性能を持ちながらも不遇な運命を歩んだZeissブランドの高級レンズ達を紹介してゆく。取り上げるレンズはDoppel-Protar(ドッペル・プロター; 1893年登場)Planar (1897登場)Tessar (テッサー;1902年登場)、Biotessar(ビオテッサー; 1929年登場)の4本である。

    注1・・・Anastigmatとは非点収差の攻略によって5大収差の補正全てを合理的に完了できたレンズである。イエナガラスを用いて非点収差を補正したレンズとしてはProtarよりも先の1888年にH. L. Hugo Schroeder, Moritz Mittenzwei, and Adolph Mietherらが設計した2群4枚のレンズがあり、見方によってはこちらが世界初のAnastigmatとも呼べる。しかし、非点収差が補正されているだけで他の残存収差は多く、このレンズは不成功に終わっている。こうした事情がありProtarを最初のAnastigmatとする見解が世間一般では優位なようである。

    Carl Zeiss Jena Planar 10cm F4.5(初期型)