おしらせ

2024/09/21

Kowa Optical Works PROMINAR 35mm F2.8

KOWA 140(KALLO 140)とKOWA KALLO WIDE

 

興和光器の写真用レンズ part 1

ワイドカメラブームの呼び水となった

カロと広角プロミナー

Kowa Optical Works PROMINAR 35mm F2.8

1954年2月、興和光器製作所(以下コーワと略称)は中判二眼レフカメラのKALLOFLEXを世に送り出し、カメラ業界に参入します[1]。翌1955年11月には35mmカメラのKALLO WIDEを発売、広角レンズを固定装着したレンジファインダー機としては同年発売されたOlympus WIDEに次ぐ日本で2番目のカメラとなります[2]。この製品は初めからOlympus WIDEを意識した作りになっており、Olympus WIDEにはない連動距離計を内蔵し、最短撮影距離は0.5mと短く、重量は同等、レンズも高性能で明るいものが搭載されているなど、全てにおいてワンランク上の製品仕様となっていました。小売価格はOlympus WIDEが16900円であったのに対し、KALLO WIDEは19800円とやや高い設定でしたが、非常によく売れました。ちなみに当時は大卒初任給が約1.5〜2万円の時代です。搭載されたレンズはPROMINAR 35mm F2.8で、豪華な4群6枚のダブルガウス型でした(下図)。この設計構成ならば口径比F2にも対応できたわけですが、無理をせずF2.8に踏みとどまったのは大正解でした。PROMINARの写りはたいへん評判がよくスナップシューターの間でたちまち人気となり、カロワイドともどもアマチュア・プロを問わず多くの写真家に愛用されました。また、1959年に登場するフラッグシップカメラのKALLO 140(KOWA 140)にも同一構成のまま交換レンズとして採用されています。こうしたプロミナーへの人気はやがてレンズのみ独立させて発売しようという動きに繋がり、100本程度と数は少ないものの1959年にライカマウントのPROMINARが単体でも試験販売されています[3]。当時はレトロフォーカス型広角レンズの性能がまだ発展途上だった時代でしたので、スッキリとシャープに写る明るい広角レンズの存在は大変貴重でした。

レンズを設計したのが誰なのか詳しい情報は見当たりません。コーワのレンズ設計者として記録に名前が出てくるのは、当時の光学設計部長だった小松聡一氏と、映写機用レンズの設計に関わっていた小澤秀雄氏くらいです[4,5]。ただし、この二人が写真用レンズの設計にどれだけ関与したのかまではわかりません。何か関連情報をお持ちの方がおりましたら、ご教示いただけると幸いです。

カメラは昭和の高度経済成長期に東京の街と人々を捉える作品を数多く残した、写真家・春日昌昭氏(1943‐1989)が愛用していたことで知られています。

PROMINAR 35mm F2.8レンズ構成:文献[3]に掲載されていた構成図をトレーススケッチしました。図の大元はKALLO 140の取扱説明書であろうかと思われます。左が被写体側で右がカメラの側です

参考文献

[1] 興和百年史 興和紡績株式会社、興和株式会社(1994年)

[2] カメラレビュー クラシックカメラ専科 No.40

[3]「世界のライカレンズ part 3」写真工業出版社

[4] 名古屋市工業研究所 講演会(1958年)

[5] ニデック創業までの歩み: https://www.nidek.co.jp/50th/

レンズの入手

今回はKallo Wide Fから取り出されSony Eマウントに改造されているレンズと、KOWA 140(Kallo 140)用交換レンズ(ライカMアダプター付き)の2本の製品個体を紹介します。改造レンズの方は最近、国内のネットオークションで24000円で購入しました 。流通はあまりなく、決まった相場もありません。ネットには製造された総数が約500本との推定情報があります(残念ながら、どこからの情報なのか参照元がありません)。KOWA 140マウントやライカマウントの個体が非常に高価なので、同レンスの評判や人気を考えると、このくらいの値段で入手できたのは幸運でした。KOWA 140用レンズに方は5年ほど前にカメラに搭載された状態でヤフオクに出品されていたジャンク品を偶然見つけ、即決価格で手に入れました。付属のカメラ本体はファインダー部分のガラスが割れており、シャッターと距離計が故障していましたので、修理は諦め、分解してアダプター作りの材料にしました。レンズの状態はとても良いものでしたので、これも幸運な買い物でした。希少性が高くオークションではレンズ単体で10~20万円もの値で取引されています。ライカマウントの個体に至っては20~30万円もの値がつきます。海外では更に高い値段がつくみたいです。

KOWA Prominar 35mm F2.8(KALLO WIDE F用): 絞り羽 5枚, 最短撮影距離 0.5m, フィルター径 34mm, セイコー社MXLシャッター(最高速1/500), 設計構成 4群6枚ガウスタイプ, 発売 1955年

KOWA Prominar 35mm F2.8(KOWA/KALLO 140用): 絞り羽 5枚構成, フィルター径 52mm, 最短撮影距離 1m, 発売年 1959年, 設計構成 4群6枚ガウスタイプ, 製造本数 約500本(推定)


  

撮影テスト

前評判どうりの高性能なレンズです。口径比に無理がないため開放でもスッキリと写り、コントラストは良好です。ガウススタイプらしさもよく出ており、中心部は解像力のある緻密な描写で、線も細く、開放では四隅に光量落ちが見られます。フレア(サジタルコマフレア)は開放時にデジカメによる拡大表示で判別できる程度で、薄っすらと綺麗に出ますが、コントラストに大きな影響はないようです。少し絞れば良像域は四隅まで拡大し、光量落ちも消え、薄いフレアも無くなり、全画面で均一な像が得られます。グルグルボケや放射ボケが顕著に目立つことはありません。鏡胴が小さく軽いため、スナップ撮影には適したレンズだと思います。まずはデジタルカメラでの写真作例、続いてカラーネガフィルムでの作例を提示します。

 

 デジタルカメラによる撮影

Prominar 35mm F2.8(Kallo 140用)+Nikon Zf

 

F5.6 Nikon Zf(WB:日光Auto) 












F2.8(開放) Nikon Zf(WB: 日光A)F5.6での比較用作例はこちら




F5.6 Nikon Zf(WB:日光A)


F2.8(開放) Nikon Zf(WB: 日光A)

F5.6 Nikon Zf(WB:日光A)

F2.8(開放) Nikon Zf(WB:日光A)

F5.6 Nikon Zf(WB:日光A)
F2.8(開放) Nikon Zf(WB:日光A)  F5.6まで絞った写真作例はこちら
































































 デジタルカメラによる撮影 

Prominar 35mm F2.8(Kallo W用)+Nikon Zf


F5.6 Nikon ZF(WB:日陰)


F2.8(開放) Nikon ZF(WB:日陰)


F2.8(開放) Nikon Zf(WB:日陰)




F4 Nikon Zf(WB:日陰)


F2.8(開放) Nikon Zf(WB:日陰)
 
 ネガフィルム(Kodak ColorPlus 200)
による撮影 PROMINAR 2.8/35(Kallo 140用) 
 
F2.8(開放) Kodak 200

F5.6 Kodak ColorPlus 200

F5.6 Kodak ColorPlus 200

F5.6 Kodak ColorPlus 200


 

2024/09/11

KOWA Optical Works photographic lenses

 

想像の斜め先を行く光学機器メーカー
興和光器の写真用レンズ
KOWA Optical Works photographic lenses 

興和といえば昭和時代のテレビコマーシャルの影響からか、コルゲンコーワ、キューピーコーワ、バンテリン、キャベジンコーワ、ウナコーワなど医薬品を扱うメーカーとして認知されています[1]。その一方で、かつては光学機器メーカーとしてカメラ事業に力を注ぎ、幅広く製品展開していた時期がありました。1977-78年に円相場が急騰したのをうけ同78年に一般向けのカメラ事業から撤退していますが、現在も子会社の興和オプトロニクスが業務用光学製品(医療光学機器や業務用双眼鏡、産業用カメラとレンズ、シネマ用レンズ)やバードウォッチング等に使われるスポッティングスコープ、双眼鏡などの生産を続けています[1]。2014年にはカメラ事業への一部復帰を果たし、マイクロフォーサーズ機用レンズを発売しました。
近年、海外の映画業界では同社のシネマ用レンズが大変人気で、業界のプロカメラマンから熱い視線を向けられています[3]。同社のシネレンズは控え気味の適度なコントラストに加え、ゴールド色の単層コーティングから生み出されるクールな色味か特徴のようで、ここを起点に適度にホワイトバランスを整える事で色味かアンバー側に振れ、唯一無二の美しい描写が生み出されるのだそうです。興味深いのはアジアではなく欧米からの人気が顕著な点で、こうしたコーワ人気が影響しているのか、海外では同社の写真用オールドレンズにも人気が集まり値上がり傾向にあります。古いシネプロミナーには現在びっくりするような値がつきます。撤退前の興和光器株式会社(以降はこちらをコーワと略称)については文献・資料[2,4,5]に詳しい解説があります。本解説はここからの要約を多く含むことをあらかじめ断っておきます。
興和光器株式会社は1946年に現・興和株式会社の前身である興服産業(愛知県名古屋市で1894年創業)の子会社として、愛知県蒲郡市(大成兵器跡地を拠点に創業しました[2]。興服産業は第二次世界大戦の終戦まで繊維品の輸出入で成長してきた会社ですが、戦後復興の中で事業を多角化させるため、戦時中に取引のあった大成兵器の人脈を活かし、帝国海軍・豊川海軍工廠(航空機や艦船が装備する機銃と弾丸、照準器などの生産工場)と帝国陸軍・陸軍衛生材料廠(いわゆる医療器具などの調達、保管、補給などを担当する部署)から光学技術者と医療技術者5名をスカウトします。このスカウトが以降に光学技術と医薬品で大きく発展する同社の礎となったわけです[1,2]。1945年10月にGHQから光学産業の民事転用の許可が降り、1945年12月に海軍技術者が入社、翌1946年6月より愛知県蒲郡市の工場にて眼鏡用レンズの生産をスタートさせます。その後、オペラグラス(1946年11月~)、映写機用投影レンズ(1947年2月~)、双眼鏡(1948年6月~)、ライフルスコープ(1951年11月~)、スポティングスコープ(1952年8月~)になどを発売し、事業は拡大、1950年代に同社の映写機投影レンズは国内シェアの90%を占めていたとのことです。 1954年2月に中判二眼レフカメラのカロフレックスを発売することでカメラ事業への参入も果たし、1955年11月には広角レンズを固定装着した35mmレンジファインダー機のカロワイドを発売します。
ところで、「興和」という社名には「平和を興す」という意味が込められていたそうです。敗戦後の日本が復興に向かう中、平和で豊かな社会を築く事が同社の企業理念となったわけです。
本ブログではこれ以降数回にわたり、コーワの写真用レンズを取り上げ紹介します。取り上げるレンズはKOWA 28mm F3.2, PROMINAR 35mm F2.8, PROMINAR 50mm F1.4, PROMINAR 50mm F2, KOWA 50mm F1.9, KOWA 50mm F1.8, KOWA 48mm F2.8, PROMINAR 70mm F11, Prominar 100mm F4, KOWA 135mm F4を予定しています。

参考文献
[1] 興和株式会社 オフィシャルページ コーワブランドサイト : 興和オプト二クス株式会社  オフィシャルページ
[2]興和百年史(1994)
[3] レビューサイト一例 oldfastglass.com
[4] カメラレビュー クラシックカメラ専科 No.40
[5] デジカメwatch 「コーワPROMINARの世界 高画質マイクロフォーサーズレンズの秘密を探る」中村文夫(2015)
[6] 興和株式会社 prominar.com
[7] JCAA研究会報告「興和の秘密とワルツの悲劇」小松輝之(2017)