レニングラード生まれ、クラスノゴルスク育ちの
35mmシネマムービー用レンズ PART 1
ロシア版アイモに搭載された望遠シネレンズ
クラスノゴルスク機械工場 PO2-2(RO2-2) 75mm F2
PO2-2 75mm F2はモスクワのKMZ(クラスノゴルスク機械工場)が1948年に映画用カメラのAKS-1やKS50Bに搭載する望遠レンズとして発売しました。もともとはレニングラードのKINOOPTIKAファクトリーが1945年~1947年の3年間に1000本のレンズを生産したのがはじまりで、レンズの製造には第二次世界大戦の賠償としてドイツから接収したガラス硝材が使用されました[1]。その後、レニングラードの生産ラインはKMZの393番プラントに移され、国産ガラスを用いた製造に切り替わります[2,3]。このプラントではPO2-2と共にモスクワへとやってきた兄弟レンズのPO3-3 2/50やPO4-1 2/35も一緒に製造されました。また、ゾナーのデットコピーであるZK-50シリーズやビオゴンのデットコピーであるBK-35(ジュピター12 2.8/35の前身)、ロシアン・エルマーのインダスター22、ドイツ・ワイマール時代にツァイスから技術協力を受けて開発されたオリオンシリーズ(トポゴンのコピー)なども製造されています[2]。393番プラントは言わばクローンレンズ製造所だったのです。
KINOOPTIKAファクトリーでPO2-2を設計した人物は明らかになっていませんし、KMZにて国産ガラスを用いた再設計を誰が行ったのかも不明です。KMZで当時の光学システム設計局を率いていたのはインダスター22の設計やジュピターシリーズの再設計を手がけたM.D. Moltsevという人物で、Moltsevは1948年から同局の局長に就任しています[2]。ロシア製レンズの場合、設計者不明のレンズは他国の有名メーカーを模した製品である可能性が高くなります(BK-35, BTK-58, FK-35, ZK-50などがいい例です)。PO2-2は構成図を重ねることでPO3-3 2/50と同一設計であることがわかり、前玉径・後玉径・焦点距離はそれぞれPO3の1.5倍です[4]。明らかにPO3-3と相似光学系もしくは準相似になっており、両レンズはセットで設計されました。
近年、日本ではPO3-3が英国Taylor-Hobson(テーラー・ホブソン)社のSpeed Panchro(スピードパンクロ)という有名なシネレンズを模倣した製品であるという説が広まり、ちょっとしたしたブームが沸き起こっています。そのことを初めて見出したのは「オールドレンズx美少女」の著者である写真家の上野由日路氏です[6]。上野氏の仮説にはエビデンスがないことを彼自身が認めていますが、実は仮説を唱えるだけの十分な根拠があります。今回はそのあたりを少し紐解いてみましょう。
まず、POシリーズを搭載したKS-50BやAKS-1という映画用カメラは米国Bell & Howell(ベル・ハウエル)社が開発したEyemo(アイモ)という映画用カメラをコピーした模造品であることをKMZ (現ゼニット社)が公式ホームページ[9]で認めています。戦前のアイモにはスピードパンクロが正式採用され、1940年代のハリウッド映画では、撮影に使われたアイモの半数以上にスピードパンクロが搭載されました[7]。ならば、ロシア版アイモに搭載されたPOシリーズがカメラ同様にスピード・バンクロから作られたと考えるのは、きわめて自然な発想です。仮説を支える根拠はここからです。上野氏は戦前に設計された同一構成のシネレンズを片っ端からしらべ、PO3-3の第2群にみられる特徴的な構成がスピードパンクロのシリーズ1にしかみられないことを突き止めました。これは消去法的な検証手段でしかありませんが、後にPO3-3とスピードパンクロの各部の寸法を図面で照らし合わせてみると、両者の寸法は前玉径や全長、実焦点距離などの主要部が1mm以内の差で合致していたのです[4,8]。ただし、両レンズの硝材まで比較したわけではありません。
今回取り上げるPO2-2 75mm F2についても、スピードパンクロ・シリーズ1 50mm F2をベースに設計されたと考えるのは無理のない仮説です。ちなみにスピードパンクロのシリーズ1には75mmF2のモデルが存在しますので、PO2-2はこれを参考にしたと考える方も多いのではないかと思います。しかし、構成図の形態は明かにPO2-2とは異なるものです。どうしてなんでしょう。
KMZが1948年に発売したPO2-2の最初のバージョンは真鍮鏡胴で、ガラス面にコーティングのないノンコートモデルと、ブルーのコーティングが施された2種のモデルが用意されました。生産本数はノンコートモデルが500本、コーティング付モデルが1500本です[1]。1951年になるとガラス面にマゼンダ色のPコーティング(Pはprosvetlenijeの意)が施された新しい製品へとモデルチェンジされます。また、1952年からはアリフレックス35のロシア版コピーであるKONVAS (OCT-18マウント)に対してもレンズの供給が始まります。レンズの設計構成は4群6枚のスタンダードな準対称ガウスタイプで(上図)[2,4]、第2群の張り合わせレンズがこの時代のガウスタイプによくみられる両凸レンズと両凹レンズの接合ではなく、凸メニスカスと凹メニスカスの接合になっているという大きな特徴を持っていました。この特徴は戦後間もなく登場したフレクソンやパンカラーあたりからよく見られるようになりますが、戦前のレンズでこの形態を採用したものは極僅かでした。上野氏もこの点に着目していたはずです。張り合わせレンズの凸部自体も非常に分厚く作られており、球面収差を徹底して除去する構造となっています[5]。また、映画用レンズで求められる高い画質基準をクリアするため、口径比は無理のないF2に設定されました。
★入手経緯
★撮影テスト
パンクロからのコピーという噂が大きく独り歩きすることの無いよう、最後に釘を刺さなければなりません。この噂が流布しているのは日本国内だけです。PO3-3やPO2-2が戦前のスピードパンクロを原型に開発されたという仮説には何一つエビデンスがありません。しかし、構成図は極めてよく似ており、スピードパンクロを模範とした可能性は充分にあります。ぜひ戦前のガウスタイプのレンズ構成をご自身でも調べてみてください。反例を徹底的に探した人だけが辿り着くことのできる手応えのようなものが得られ、最後には「コレ、よく気付いたな!」と仮説の提唱者に共感することができるはずです。PO3-3がスピードパンクロ50mm(シリーズ1)を手本に開発されたというアイデアには私も賛成です。
ロシア版アイモに搭載された望遠シネレンズ
クラスノゴルスク機械工場 PO2-2(RO2-2) 75mm F2
PO2-2 75mm F2はモスクワのKMZ(クラスノゴルスク機械工場)が1948年に映画用カメラのAKS-1やKS50Bに搭載する望遠レンズとして発売しました。もともとはレニングラードのKINOOPTIKAファクトリーが1945年~1947年の3年間に1000本のレンズを生産したのがはじまりで、レンズの製造には第二次世界大戦の賠償としてドイツから接収したガラス硝材が使用されました[1]。その後、レニングラードの生産ラインはKMZの393番プラントに移され、国産ガラスを用いた製造に切り替わります[2,3]。このプラントではPO2-2と共にモスクワへとやってきた兄弟レンズのPO3-3 2/50やPO4-1 2/35も一緒に製造されました。また、ゾナーのデットコピーであるZK-50シリーズやビオゴンのデットコピーであるBK-35(ジュピター12 2.8/35の前身)、ロシアン・エルマーのインダスター22、ドイツ・ワイマール時代にツァイスから技術協力を受けて開発されたオリオンシリーズ(トポゴンのコピー)なども製造されています[2]。393番プラントは言わばクローンレンズ製造所だったのです。
KINOOPTIKAファクトリーでPO2-2を設計した人物は明らかになっていませんし、KMZにて国産ガラスを用いた再設計を誰が行ったのかも不明です。KMZで当時の光学システム設計局を率いていたのはインダスター22の設計やジュピターシリーズの再設計を手がけたM.D. Moltsevという人物で、Moltsevは1948年から同局の局長に就任しています[2]。ロシア製レンズの場合、設計者不明のレンズは他国の有名メーカーを模した製品である可能性が高くなります(BK-35, BTK-58, FK-35, ZK-50などがいい例です)。PO2-2は構成図を重ねることでPO3-3 2/50と同一設計であることがわかり、前玉径・後玉径・焦点距離はそれぞれPO3の1.5倍です[4]。明らかにPO3-3と相似光学系もしくは準相似になっており、両レンズはセットで設計されました。
近年、日本ではPO3-3が英国Taylor-Hobson(テーラー・ホブソン)社のSpeed Panchro(スピードパンクロ)という有名なシネレンズを模倣した製品であるという説が広まり、ちょっとしたしたブームが沸き起こっています。そのことを初めて見出したのは「オールドレンズx美少女」の著者である写真家の上野由日路氏です[6]。上野氏の仮説にはエビデンスがないことを彼自身が認めていますが、実は仮説を唱えるだけの十分な根拠があります。今回はそのあたりを少し紐解いてみましょう。
COOKE SPEED PANCHRO(SERIES I)50mm F2: コレクターでもない私が積極的に買うはずもないレンズですが、縁あって有名な写真家のもとから我が家に養子としてやってきました |
まず、POシリーズを搭載したKS-50BやAKS-1という映画用カメラは米国Bell & Howell(ベル・ハウエル)社が開発したEyemo(アイモ)という映画用カメラをコピーした模造品であることをKMZ (現ゼニット社)が公式ホームページ[9]で認めています。戦前のアイモにはスピードパンクロが正式採用され、1940年代のハリウッド映画では、撮影に使われたアイモの半数以上にスピードパンクロが搭載されました[7]。ならば、ロシア版アイモに搭載されたPOシリーズがカメラ同様にスピード・バンクロから作られたと考えるのは、きわめて自然な発想です。仮説を支える根拠はここからです。上野氏は戦前に設計された同一構成のシネレンズを片っ端からしらべ、PO3-3の第2群にみられる特徴的な構成がスピードパンクロのシリーズ1にしかみられないことを突き止めました。これは消去法的な検証手段でしかありませんが、後にPO3-3とスピードパンクロの各部の寸法を図面で照らし合わせてみると、両者の寸法は前玉径や全長、実焦点距離などの主要部が1mm以内の差で合致していたのです[4,8]。ただし、両レンズの硝材まで比較したわけではありません。
今回取り上げるPO2-2 75mm F2についても、スピードパンクロ・シリーズ1 50mm F2をベースに設計されたと考えるのは無理のない仮説です。ちなみにスピードパンクロのシリーズ1には75mmF2のモデルが存在しますので、PO2-2はこれを参考にしたと考える方も多いのではないかと思います。しかし、構成図の形態は明かにPO2-2とは異なるものです。どうしてなんでしょう。
KMZ PO2-2 75mm F2構成図(トレーススケッチ) :文献[2]に掲載されている構成図を参考に作成した。設計構成は4群6枚の準対称ガウスタイプ |
KMZが1948年に発売したPO2-2の最初のバージョンは真鍮鏡胴で、ガラス面にコーティングのないノンコートモデルと、ブルーのコーティングが施された2種のモデルが用意されました。生産本数はノンコートモデルが500本、コーティング付モデルが1500本です[1]。1951年になるとガラス面にマゼンダ色のPコーティング(Pはprosvetlenijeの意)が施された新しい製品へとモデルチェンジされます。また、1952年からはアリフレックス35のロシア版コピーであるKONVAS (OCT-18マウント)に対してもレンズの供給が始まります。レンズの設計構成は4群6枚のスタンダードな準対称ガウスタイプで(上図)[2,4]、第2群の張り合わせレンズがこの時代のガウスタイプによくみられる両凸レンズと両凹レンズの接合ではなく、凸メニスカスと凹メニスカスの接合になっているという大きな特徴を持っていました。この特徴は戦後間もなく登場したフレクソンやパンカラーあたりからよく見られるようになりますが、戦前のレンズでこの形態を採用したものは極僅かでした。上野氏もこの点に着目していたはずです。張り合わせレンズの凸部自体も非常に分厚く作られており、球面収差を徹底して除去する構造となっています[5]。また、映画用レンズで求められる高い画質基準をクリアするため、口径比は無理のないF2に設定されました。
KMZ PO2-2(KMZ初期型 シリアル番号N0032) 1948年製造, 絞り羽根 16枚, 絞りF2-F32, 重量(カタログ値)345g, フィルター径 45mm, 有効焦点距離75.1mm, 画角22°44', 真鍮鏡胴, 光学系4群6枚(準対称ダブルガウス型), この製品個体の名板にはKMZが1945年から1948年まで使用した古いマーク(台形のマーク)が刻印されています |
★入手経緯
レンズは2017年9月にeBay経由でウクライナのレンズセラーから650ドル(送料込み)で購入しました。オークションの記載は「PO2-2の初期型でコンディションはエクセレント++。絞り羽に油染みはない。ガラスにはわずかにクリーニングマークと気泡がみられるが十分に良好。絞りのコントロールはスムーズでソフトである。レンズはコリメーターでチェックし適正な性能が出ている。フロントキャップ、リアキャップ、純正フードが付属している」とのこと。届いたレンズはガラスに僅かな拭き傷こそ見られましたが、とても良好な状態でした。フランジバックに余裕があるので、私は下の写真に示すとおりライカMマウントとソニーEマウントに改造して使用することにしました。
PO2を入手する場合はもっと後に作られたコーティングの付いたモデルの方が流通量が多く、eBayで50000円前後、国内では80000円前後からの値段で手に入ります。ロシア版アリフレックスのKONVAS(コンバス)に供給されたモデルならマウントアダプター(マウント規格はOCT-18とOCT-19の2種)の市販品が存在し、ミラーレス機や一眼レフカメラ(EOSのAPS-C機)で使用できます。ちなみに、OCT-18はスピゴットマウントでOCT-19はバイヨネットマウントです。現代のデジカメで使うにはOCT-19の方が扱いやすいかもしれません。入手にはeBayをあたってみてください。
PO2を入手する場合はもっと後に作られたコーティングの付いたモデルの方が流通量が多く、eBayで50000円前後、国内では80000円前後からの値段で手に入ります。ロシア版アリフレックスのKONVAS(コンバス)に供給されたモデルならマウントアダプター(マウント規格はOCT-18とOCT-19の2種)の市販品が存在し、ミラーレス機や一眼レフカメラ(EOSのAPS-C機)で使用できます。ちなみに、OCT-18はスピゴットマウントでOCT-19はバイヨネットマウントです。現代のデジカメで使うにはOCT-19の方が扱いやすいかもしれません。入手にはeBayをあたってみてください。
Leica Mマウントへの改造例:フードを外した際の重量は505gなのでTECHART LM-EA7に搭載するには1%の重量オーバーですが許容範囲では?。ヘリコイドを少し安いタイプ(M52-M42 25-55mm)に交換するとリミット500gの計量をパスでます。ボクサーみたい |
左は改造前のレンズヘッド(純正フードを装着しています)、右はSONY Eマウントへの改造例です |
★参考文献
[1] Belokon Andrey (Ukraine, Odessa)、AllPhotoLenses, Date of publication: 25.12.2011
[2] PO2-2, PO3-3, PO4-1に関するKMZ(ZENIT)の公式資料: КАТАЛОГ фотообъективов завода № 393 (The catalog of photographic lenses of the plant № 393) 1949年
[3] Luiz Paracampo, LOMO- 100 Years of Glory book (2011)
[4] Catalog Objectiv 1970 (GOI): A. F. Yakovlev Catalog, The objectives: photographic, movie,projection,reproduction, for the magnifying apparatuses Vol. 1, 1970
[5] レンズ設計のすべて―光学設計の真髄を探る 辻定彦著 電波新聞社
[6] オールドレンズ×美少女 (玄光社MOOK) 上野由日路著 玄光社MOOK
[7] "History of Cooke Lenses" (cooke公式HP)
[8] Speed Panchro Ser.1 米国特許 US Pat.1,955,591
[9] Zenit公式ホームページのAKCシリーズに関する記述
[5] レンズ設計のすべて―光学設計の真髄を探る 辻定彦著 電波新聞社
[6] オールドレンズ×美少女 (玄光社MOOK) 上野由日路著 玄光社MOOK
[7] "History of Cooke Lenses" (cooke公式HP)
[8] Speed Panchro Ser.1 米国特許 US Pat.1,955,591
[9] Zenit公式ホームページのAKCシリーズに関する記述
イメージサークルはフルサイズセンサーをジャストサイズでカバーしており、写真の四角が暗くなることもなければ、逆に広すぎるということもありません。ピント部は開放からシャープで十分に解像感があり、スッキリとしたヌケの良い描写です。今回手に入れたモデルはガラス面にコーディングのないノンコートレンズですので、癖のない素直な発色が得られます。ただし、屋外での使用時には条件が悪いとコントラストが低下し発色も淡くなりますので、適切な長さのフードを装着し、フードの内側に植毛紙を張り付けるなど万全なハレ切り対策を施すことをおススメします。コントラストや色ノリは植毛を使わないときに比べ劇的に改善し、この時代のシネレンズらしい濃密な色味を堪能することができます。望遠シネレンズは一般に後玉側にハレーションカッターを装着することでシャープネスやコントラストが著しく改善しますが、今回のレンズにはそこまでは手を加えていません。
背後のボケは距離に依らず素直で柔らかく、綺麗なボケが得られます。グルグルボケが目立つことはありません。逆光時に綺麗なハレーションが出るのも、このレンズならではの特徴でしょう。しかも、派手にハレーションが出ているにも関わらず、画質が大きく破たんすることはありません。とてもロバスト性の高いレンズです。
このレンズはピント面がたいへん薄く、精密なピント合わせには苦労するかもしれません。他の75mm F2クラスのシネレンズと比べると判ることですが、ピントの薄さは群を抜いています[注]。また、背後のボケが大きく見えるのも大きな特徴で、開放から1~2段絞った程度では依然としてボケが深く、絞りの効き具合をあまり実感できません。F8あたりまで深く絞ると絞りの効果が急にわかるようになります。ちょうど凹ウルトロンが似たようなハンドリングのレンズでした。
注:バルター75mm F2, スピードパンクロ(シリーズ2)75mm F2と描写の比較テストをおこないました。バルター75mmやパンクロ75mmには開放で微かなフレアが出ますので、球面収差が少し過剰気味に補正されていることがわかりました。対するPO2-2はボケが大きく柔らかく拡散していることや開放でもピント部にフレアが出ないなど完全補正型レンズの特徴がみられました
背後のボケは距離に依らず素直で柔らかく、綺麗なボケが得られます。グルグルボケが目立つことはありません。逆光時に綺麗なハレーションが出るのも、このレンズならではの特徴でしょう。しかも、派手にハレーションが出ているにも関わらず、画質が大きく破たんすることはありません。とてもロバスト性の高いレンズです。
このレンズはピント面がたいへん薄く、精密なピント合わせには苦労するかもしれません。他の75mm F2クラスのシネレンズと比べると判ることですが、ピントの薄さは群を抜いています[注]。また、背後のボケが大きく見えるのも大きな特徴で、開放から1~2段絞った程度では依然としてボケが深く、絞りの効き具合をあまり実感できません。F8あたりまで深く絞ると絞りの効果が急にわかるようになります。ちょうど凹ウルトロンが似たようなハンドリングのレンズでした。
注:バルター75mm F2, スピードパンクロ(シリーズ2)75mm F2と描写の比較テストをおこないました。バルター75mmやパンクロ75mmには開放で微かなフレアが出ますので、球面収差が少し過剰気味に補正されていることがわかりました。対するPO2-2はボケが大きく柔らかく拡散していることや開放でもピント部にフレアが出ないなど完全補正型レンズの特徴がみられました
F2.8 sony A7R2(WB:日光) |
F5 sony A7R2(WB:日光) だいぶ絞っているが依然としてよくボケている。絞り値F5は珍しいのではないだろうか |
F2.8 SONY A7R2(WB:日陰) |
F2(開放) sony A7R2(WB:日光) |
F2(開放) sony A7R2(WB:日光) |
F2(開放) SONY A7R2(WB:日光) ド逆光でのワンショット。盛大なハレーションが出ているにもかかわらず写真には破綻がない |
F2.8 sony A7R2(WB:日光) |
F2.8 sony A7R2(WB:日光) |
F8 sony A7R2(WB:日光) |
F2.8 sony A7R2(WB:日光) |
パンクロからのコピーという噂が大きく独り歩きすることの無いよう、最後に釘を刺さなければなりません。この噂が流布しているのは日本国内だけです。PO3-3やPO2-2が戦前のスピードパンクロを原型に開発されたという仮説には何一つエビデンスがありません。しかし、構成図は極めてよく似ており、スピードパンクロを模範とした可能性は充分にあります。ぜひ戦前のガウスタイプのレンズ構成をご自身でも調べてみてください。反例を徹底的に探した人だけが辿り着くことのできる手応えのようなものが得られ、最後には「コレ、よく気付いたな!」と仮説の提唱者に共感することができるはずです。PO3-3がスピードパンクロ50mm(シリーズ1)を手本に開発されたというアイデアには私も賛成です。