おしらせ


MAMIYA-TOMINONのページに写真家・橘ゆうさんからご提供いただいた素晴らしいお写真を掲載しました!
大変感謝しています。是非御覧ください。こちらです。

2013/05/10

Meyer-Optik Gorlitz Primoplan(プリモプラン) 58mm F1.9 (M42)


1937年から1950年代後期まで生産されたPrimoplan(プリモプラン)58mm F1.9。中古市場では時々見かける一見何の変哲も無い標準レンズである。しかし、構成図を見た途端に「何じゃコレは」と衝撃をうける人もいるのではないだかろうか[下図]。Tessar(テッサー)タイプでもGauss(ガウス)タイプでもない別の種類の何かであり、このクラスの一眼レフカメラ用レンズにはおよそ似つかわしくない異様な骨格である。このエイリアンの正体は実は1920年代に現れたErnostar(エルノスター)と呼ばれる古典鏡玉の一派で、Ernostarは後に銘玉Sonnar(ゾナー)を生み出す設計ベースにもなっている。運命の悪戯かSonnarはその後、バックフォーカスの関係から一眼レフカメラに適合せず、ほぼ絶滅してしまうが、Primoplanは標準画角のまま一眼レフカメラにも適合している。

Primoplanの光学系。構成は4群5枚でエルノスターの発展型である。中央に絞りをあらわす縦棒があり、これを挟んで左側が前群、右側が後群(カメラの側)となる

東独フーゴ・マイヤーの三羽烏
PART2:PRIMOPLAN 58mm F1.9

一眼レフカメラの明るい標準レンズと言えば、各社Gauss(Planar)タイプの構成を採用するのが定石である。これはミラー干渉を回避するために必用なバックフォーカスを確保しながら、広い画角と明るい口径比を両立させる事が一般にはたいへん困難なためである。広い画角を諦めるならSonnarタイプのレンズで要求を充たすことができるし、少しぐらい暗くてもよいならTessarタイプやTriplet(トリプレット)タイプ、Xenotar(クセノタール)タイプで充分である。しかし、両立させるとなると簡単にはゆかず、Gaussタイプに頼る以外にほぼ選択の余地は無い。Ernostarの発展タイプであるPrimoplanはGaussタイプ以外では唯一、明るさと画角に対する要求を両立させ一眼レフカメラにも適合できた珍種なのである。

ErnostarはCooke社のDannis Taylor(テイラー)が1894年に開発したTriplet(上図・左)を原型に据え、その最前部第1レンズを2枚に分割することで大口径化を実現したレンズである。今回紹介するPrimoplanは更にErnostarの第2群を2枚の接合レンズに置き換えた進化形態である
Primoplanシリーズは1930年代半ばにHugo Meyer社のStephan Roeschlein(シュテファン・ロシュライン)とPaul Schäfter(ポール・シェーファー)により開発された大口径レンズである。その原点となったのは1922年にErneman(エルネマン)社のBertele(ベルテレ)とKlughardt(クルーグハルト)がTripletをベースに発明し、世界で最も明るいレンズということで話題となったErnostar 100mm F2である(上図中央)。PRIMOPLANはErnostarの第2群を2枚接合の「旧色消しレンズ」に置き換え色収差の補正機能を追加するとともに、張り合わせ面の屈折作用によって球面収差の補正効果を改善させたレンズであると考えられる。旧来のErnostarに対してヌケの良さと解像力を向上させているというわけである。ただし、Ernostar同様に凸レンズ過多の設計構成であることからペッツバール和が大きく、第3群の凹レンズに強い硝材を用いても非点隔差による周辺画質の悪さ(四隅の解像力やグルグルボケ)を充分に改善することができない。また、旧色消しレンズは非点収差の補正に全く寄与しないので、何の対策もないまま包括画角を標準レンズ並に拡大させてしまったPrimoplanは、四隅の画質にかなりの無理を抱えている。Ernostarよりも更に一歩先をゆく、強烈な癖玉の予感である。

Stephan Roeschlein:Hugo Meyer社に1936年まで在籍しPrimoplan以外にもTelemegor(テレメゴール)シリーズの設計やAriststigmat(アリストスティグマート)の広角モデルの再設計に関与した人物である。その後、クロイツナッハのSchneider(シュナイダー)社にテクニカルディレクターとして移籍している。第二次世界大戦後は自身のレンズ専門会社Roeschlein-Kreuznachを設立している。Roeschlein社では自社ブランドのLuxonシリーズを生産し、Schneider社へレンズのOEM供給も行っていた。同社は1964年にSill Opticsに買収され消滅、現在に至っている。(参考:Camera Pedia)。

製品ラインナップ
Primoplanはまず1934年に5cmの焦点距離でLeica用とContax用、8cmの焦点距離でVP Exakta(ナハト・エキザクタ)用が供給され、1936年には75mmの焦点距離でExakta用(35mm判)とLeica用(Contax用は不明)が追加発売された。Exakta用の標準レンズはバックフォーカスの関係から焦点距離5cmのモデルを流用することができず発売が遅れていたが、1937年にやや焦点距離の長い58mmのモデルが登場したことで、ようやくExaktaに適合するようになった。このモデルは戦後になってM42マウント用モデルが追加発売されている。1938年~1939年には100mmの焦点距離のモデルがPrimareflex用として追加発売された。他にも焦点距離30mmと180mmのスチル撮影モデル(F1.9)や、焦点距離25mmと50mmのシネ用モデル(F1.5, 16mm判)が市場供給されている(Vade Mecum参照)。戦前のモデルは真鍮削り出しの鏡胴で重量感のある素晴らしい造りであるが、シリアル番号1,000,000番付近(1942年頃)からアルミ鏡胴に置き換わり軽量化されている。1960年発売にダブルガウス型レンズのDomiron 50mm F2が発売されたことで、Primoplanは同社のラインナップから消滅している。なお、米国向に輸出された製品個体には商標権の問題を回避するため、PrimoplanではなくA-Traplanの名称が使われていた。この名称の製品個体もごく僅かだがeBayで流通している。
 
Primoplanの設計特許:焦点距離75mmのモデルについてはRoeschleinの米国特許(1936年)、一眼レフカメラのExakta用とM42用に再設計された58mmのモデルはSchäfterの米国特許(1937年)がそれぞれ見つかる。おそらく基本設計はRoeschleinだが1936年にシュナイダー社へ移籍してしまったため、後任のSchäfterがEXAKTAへの適合をおこなったという経緯であろう。

重量(実測)175g, フィルター径 49mm, 構成 4群5枚(Ernostarからの発展型), 製造期間(戦後型) 1952-1950年代後半, 絞り F1.9-F22(プリセット方式), 絞り羽 14枚, 最短撮影距離 0.75m, 対応マウント M42,EXAKTA。設計特許はPatent DE1387593(1936年)。レンズ名はラテン語の「第一の、最初の」を意味するPrimoにドイツ語の「平坦な」を意味するPlan(ラテン語ではPlanus)を組み合わせPrimoplanとしたのが由来。Primoはドイツ語では「優秀な、最良の」を意味するPrimaと関連があるので、この意味を掛けているとも考えられる。後玉が飛び出しているので一部のフルサイズ機では後玉のミラー干渉が起こるが、Sony A99やミノルタX-700(銀塩カメラ)では干渉の問題はない。私は干渉を回避するためEOS 6Dに装着後、ミラーアップモードで撮影している
入手の経緯
本品は2012年8月に欧州最大の中古カメラ業者フォトホビー(UV1962)がeBayにて235ドル(送料込)の即決価格で売っていたものを200ドルでどうだと値切り交渉の末に手に入れた。オークションの記述は「傷、カビ、バルサム切れ、クモリなし。外観は写真で判断してね」といつものように簡素である。外観には古いアルミ鏡胴のレンズらしく劣化がみられたが、写真で見る限り光学系に問題はなさそうであった。このレンズはコーティングが痛みやすいことが知られており、前玉にパラパラと傷があったりクモリの発生している個体が多く、状態の良いレンズに出会えるチャンスは滅多に無い。届いた品には描写に影響の無いレベルで僅かなホコリの混入が見られるのみでガラスはたいへん良好、プリモプランにしてはとても状態の良い個体であった。フォトホビーは魅力的な商品を大量に扱う業者であるがバクチ的な要素が大きいことでも有名なので、商品を購入する際には事前によく質問し商品の状態について確認を取っておいた方がよい。落札者に落ち度がなければ、きちんと返金してくれる業者だ。

撮影テスト
Primoplanの弱点はアンバランスなレンズ構成に由来する大きな非点収差である。この収差はピント部四隅の解像力を低下させ、アウトフォーカス部に強烈なグルグルボケを生み出す。本来はもっと画角の狭い長焦点の望遠レンズに使わなければならない構成なのである。しかし、オールドレンズという観点でみるならば、こんなに面白い癖玉はそう多くない。開放では僅かにコマが発生しハイライト部の周りがやや滲む。画面全体もややモヤッとしており、薄いベールがかかったような描写傾向である。コントラストは明らかに低く、発色はあっさりしていて、階調も軟らかい。解像力はごく中央部のみ良好で線の細い描写になるが、四隅に向かうにつれて急激に悪くなる。1段絞れば良像域は四隅に向かって拡大し、滲み(コマ)は消えヌケも良くなるが、依然としてコントラストは低く、発色はあっさり気味でグルグルボケも目立つ。周辺画質を安定させるには2段以上絞る必要がある。なお、グルグルボケの事を除けばボケ自体は柔らかく綺麗に拡散している。

EOS 6D(AWB): ミラーアップモードによる撮影
フード: 焦点距離55mm用のラバーフード(Kenko製3段折畳み式)を使用

F4, EOS 6D(AWB): 前ボケ、後ボケとも柔らかく綺麗な拡散である。コントラストが低いレンズなので曇り空の日には発色があっさり気味になる
F1.9(開放), EOS 6D(AWB): ビューンと突風。しかし、この日は無風。グルグルボケを生かした演出効果だ。開放ではコマの影響からややヌケが悪い


F1.9(開放), EOS 6D(AWB): 中央の桜の花びらを見るとコマが発生しややモヤッとしている様子がわかる。高解像域はごく中央部のみであるが、一段絞るF2.8ではこちらに示すように良像域が四隅に向かって拡大し、コマは消えシャープな像となる

F2.8, EOS 6D(AWB): 春の嵐を表現している。繰り返すが、この時は無風だ

F1.9(開放), sony A7II: (Photo by Y.Takemura): とても繊細な階調表現だ。プリモプランは綺麗な玉ボケが出る事でも知られている
F1.9(開放), sony A7II: (Photo by Y.Takemura): プリモプランらしい崩壊気味の2線ボケである
開放付近で荒れ狂うPrimoplanの性質は「レンズの味」などと表現されるような生易しいものではない。レンズを使いこなすにはそれなりの覚悟が必要だし、暴れ馬なので振り落とされないよう常に気を配る必用がある。このレンズの強烈な癖がオールドレンズの真髄へと通じるものであるのかどうか正直言って私にはよく分からない。しかし、使いこなす事を一つの遊びと捉えるならば、Primoplanは間違いなく楽しいレンズである。大人しくZeissやLeitzあたりの名馬で満足するのもよいが、たまにはロディオに興じるのも悪くはない。

2013/04/28

Meyer-Optik HELIOPLAN(ヘリオプラン) 75mm F4.5(M42改)

1950年代に生産されたHugo Meyer社のレンズ:Helioplan 4.5/75(前), Trioplan 2.8/100(奥), Primotar 3.5/80(左), Primoplan 1.9/58(右)
東独フーゴ・マイヤーの三羽烏
PART1:HELIOPLAN 75mm F4.5
戦前から個性溢れるレンズを世に送り出してきたHugo Meyer(フーゴ・マイヤー)社。ブランド志向の強い日本人にはCarl Zeissの影に隠れ馴染みの薄いメーカーであるが、マニア層からは今も根強い人気を得ている。大方のレンズメーカーが主力製品の構成にTessarタイプ、明るいレンズにPlanarタイプを据える中、同社が採用したのは広角レンズにDialytタイプとAriststigmat(旧ガウス)タイプ、明るい標準レンズと中望遠レンズにErnostarの発展タイプ、望遠レンズにはBis-TelarタイプのTelemegor、マクロレンズとシネレンズにはPlasmatシリーズなどCarl Zeiss的な発想とは一線を画する独特な製品ラインナップである。他社との競合を避ける徹底した姿勢を貫くことで中堅規模ながらも強い企業を目指そうとしていたようである。本ブログでは数回にわたり1950年頃に生産されたHugo Meyer社(VEB Feinoptisches Werk Görlitz社)の3本の主力レンズ(広角Helioplan/標準Primoplan/望遠Trioplan)を取り上げる。レンズ名の末尾にPLANがつく共通ルールで結ばれたHugo Meyer社の三羽烏である。

Hugo Meyer(フーゴ・マイアー)社
Hugo Meyer社(Hugo Meyer & Co.)は1896年1月5日にドイツのドレスデン近郊都市ゲルリッツにてHeinrich treasures社のビジネスマンだった光学技術者Hugo Meyer(1963-1905)が実業家Heinrich Schätzeと共に創業した光学機器メーカーである。ドイツ版ウィキペディアには創業者Hugoの青年期の肖像写真が掲載されており、かなりハンサムな人物のようである。彼らはドレスデン近郊都市のゲルリッツLöbauer通りにあるカメラメーカーのひしめくビルの一角に最初の工房を構えた。1903年にアプラナート型レンズのAriststigmat(アリストスチグマート)を発売し最初のヒット商品となるが、Hugoは42歳の若さで1905年に死去してしまう。ただし、同社にはHugo以外にもレンズ設計士が在籍していたようで、1908年にDagor型レンズ、続く1911年にはAriststigmatの広角モデルを発売するなど新製品を絶えず世に送り出している。Hugoの死去により会社の経営権は妻Eliseと息子に引き継がれているが、企業活動は衰えず、1911年にEuryplan(オイリプラン)のレンズで知られるSchultz and Biller-beck社を買収しレンズの生産ラインを補強、1913年からは主力レンズTrioplanの生産を開始している。SB社のEuryplanは後に加入するルドルフ博士の手で再設計されPlasmatに置き換わっている。ブランド名としてはこちらの方が有名なのであろう。なお、1918年にはプロジェクター用レンズの生産にも乗り出している。
  1919年、第一次世界大戦が終結しハイパーインフレに苦しむドイツ帝国はどん底の経済状態にあった。この時Hugo Meyer社に大きな転機が訪れる。かつてCarl Zeissに籍を置きTessar, Planar, Protarの発明で名を馳せたPaul Rudolph博士(当時61歳)が同社に再就職したのである。博士はすぐに新型レンズの特許を取り、1920年代に有名なPlasmat(プラズマート)シリーズの生産に乗り出している。Rudolphの加入は中小メーカーだったHugo Meyer社がブランド力を獲得し、事業規模を急速に拡大させる大きな転機となった。Rudolphは1933年に退職しているが同社の事業規模はその後も拡大を続け、1936年には100,000個のカメラやレンズを年単位で出荷する大会社へと成長している。
  1930年代のHugo Meyer社はルドルフ博士監修の高級レンズPlasmatシリーズに加え、主力製品となるレンズのラインナップを幅広く展開し、それらをZeissよりもやや安価に販売していた。この頃に同社の主任設計士の座についていたのはStephan Roeschlein(シュテファン・ロシュライン)という人物である。Roeschleinは1936年にSchneider社に移籍するが、それまでの間Primoplan シリーズやTelemegorシリーズの設計、Ariststigmat(広角モデル)の再設計など主幹レンズの開発を手がけている。 Roeschleinが去った後はPaul Schäfterという人物が同社の主任設計士となり1937年にPrimoplan 1.9/58を開発している。
  1939年に第二次世界大戦が勃発すると同社は軍需メーカーとしての性格を強め、照準器などを造るようになる。ドイツ敗戦の1945年、Hugo Meyer社は連合国によって解体され、工場の設備は賠償金の代わりとしてソビエト連邦に持ち出されてしまう。しかし、翌1946年には会社の再建が始まり、566個と少量ながらも写真用レンズの生産を再開、ドアの除き穴に取り付けるレンズなど民生品も製造するようになる。1947年には大判レンズの生産も再開、翌1948年に会社は東ドイツ政府によって国営化され、同社の正式名称はVEB Feinoptisches Werk Görlitzへと改称されている。ただし、レンズの方はその後もMeyer-Optikの商標名で売られていた。やがて戦後の復興景気が訪れ同社も本調子を取り戻すと、1952年にCarl Zeiss Jenaからコーティングの蒸着設備を導入し、それ以後は全てのレンズにコーティングを施すようになっている[注1]。Hugo Meyer社のこの時代の製品はまだ造りも良く、技術的に高い水準を維持していたが、その後1960年代に入るとTessarタイプやGaussタイプなど中核ブランドにCarl Zeiss的なレンズを据えるなど製品ラインナップの独自性が薄れてゆく。ブランドイメージは失墜し、Zeiss Jenaの廉価品を出すメーカーとして認知されるようになる。同社は1968年にVEB Pentaconに吸収されるが、レンズの方はMeyer-Optikの商標で1969年まで売られていた。VEB Pentaconは1990年のドイツ統一後、Schneiderグループの傘下に入っている。

[注1] Meyerのレンズにコーティングが施されるようになったのは第二次世界大戦終結の数年後からである。ZeissのTコーティングを模したV(=Vergütung)コーティングというものを採用していた。ただし、当初は全てのレンズにコーティングを施していたわけではなく、1952年にZeissからコーティングの蒸着設備を導入するまでコーティングの無いレンズも出荷していた。下記の文献によると、コーティング名の頭文字となったVergütung(直訳では「報酬」の意の語)には「ドイツ製(国産)のコーティング」という意味が込められているらしい。Vコーティングを採用した光学機器メーカーには旧東ドイツのルードビッヒ社やVEBフェインメス社、旧西ドイツのウィル・ウェツラー社やピエスカー社などがある。Tコーティングに対するサードパーティという位置付けだったのかもしれない。

参考:Large Format Lenses from the Eastern Bloc Countries 1945-1991, Arne Cröll 2011-2012



Hugo Meyer特集の第1回は1950年代に同社の主力製品の一翼を担った準広角レンズのHelioplanである。このレンズはもともとHugo Meyer社が1911年に買収したSchulze & Billerbeck社のブランドであった(Vade Mecum参照)。設計構成は4群4枚のDialyt(ダイアリート)タイプと呼ばれるもので、本ブログの前エントリーで取り上げたGoerz(ゲルツ)社のCelor(セロール)やArtar(アーター)、Dogmar(ドグマー)の系譜を受け継いでいる(下図)。Dialyt型レンズは収差の補正力が高く、特に色滲み(軸上色収差)と歪み(歪曲収差)に対する補正力が抜群に高いことから、第二次世界大戦後も製版や複写の分野で長く活躍していた。また、一般撮影においても高性能で幾つかのメーカーが戦前からレンズを供給しているが、その後Tessarとの競合関係により陶太され現在はこの分野から姿を消している。「レンズ設計のすべて」(辻定彦著)にはDialyte型レンズについてコンピュータシミュレーションの分析データに基づく詳しい解説があり、戦後に普及した新種ガラスを用いてこのタイプのレンズを再設計すると、収差的にはTessarに迫るたいへん優秀なレンズになると絶賛している。一度こういう評価を見てしまうとDialyt型レンズの実力がどこまで練り上げられていたのか自分の目で確かめてみたくなってしまうもので、さっそく戦後に開発された同型レンズを当たってみたところ、今回取り上げるHelioplanが1949年に再設計されたDialyteタイプのレンズであることを突き止めたのだ。

製品の箱に刻印されていたHelioplanの構成図をトレーススケッチしたもの。設計は4群4枚のDialyte型である。この構成は前群(左側)と後群(右側)のそれぞれが空気層を挟んだ新色消しレンズとなっているのが特徴で、絞りを中心に対称あるいはほぼ対称な構造になっている。空気層(空気レンズ)を利用して球面収差を強力に補正することにより高い解像力を実現している。凸レンズが2枚、凹レンズが2枚と数が釣り合いバランスが良好のため、ペッツバール和を容易に小さくできることから、四隅まで安定感のある画質を実現できる。一般撮影用に設計されたレンズでは遠方撮影時に発生するコマを抑えるために前・後群が非対称な構造になっており、HelioplanやGoerz社のDogmar F4.5がこの種の代表的な製品である。一方、製版用に設計されたレンズでは収差の補正基準が等倍撮影に設定されており、この時に歪曲が0%になるよう前・後群が完全対称な設計構成となっている。この種の代表的なモデルにはGoerz社のArtarがある。Dialytタイプの構成をTripletの発展型と捉える考え方もあるが、レンズの曲率を緩めるために空気層を大きく空けるTripletとは空気層の利用方法(したがって設計理念)が大きく異なる。収差図を見ると球面収差、色収差はほぼ皆無のレベルで歪曲も大変小さいので、このタイプの構成が引き伸ばし用レンズに用いられることが多いのもうなずける。像面湾曲の膨らみが少しあるが、非点収差は良好に補正されている。コマ収差も悪くない(「レンズ設計のすべて」 辻定彦著 参考)
重量(レンズヘッドのみ)38g, 絞り羽 14枚, 焦点距離75mm, 絞り値F4.5-F22, フィルター径 25.5mm, 光学系の構成 4群4枚(Dialyt型),  ノンコートレンズ, 本レンズは6x6cmの中判イメージフォーマットをカバーし35mm判換算で41mmの焦点距離に相当する準広角レンズである。レンズ名はギリシャ語の「太陽」を意味するHeliosとドイツ語の「平坦」を意味するPlanを組み合わせたのが由来とされている。

Helioplanは1920年代の中頃から1952年まで生産されたHugo Meyer社の主力ブランドである。戦前に造られた前期型と1949年に再設計された後期型に大別される。前期型としてはダイヤルコンパーシャッター搭載の一般撮影用のモデル(中・大判撮影用)と真鍮製バーレルレンズ(エンラージングレンズ)の2種が供給されていた。この時代の製品名はHugo Meyer Doppel Anastigmat Helioplanと表記されている。その後、1949年の再設計で後期型にモデルチェンジし、新しいガラス硝材の導入によって描写性能が向上している。私の把握している範囲であるが、戦後に販売された後期型のHelioplanには40mm 55mm 75mm 105mm 135mm 210mmの6種類の焦点距離のモデルが存在している。このうち焦点距離40mmのモデルは35mmフルサイズ用(M42マウントとExaktaマウント)、75mmのモデルは中判用(メントールなどの中判カメラ)、135mmと210mmは大判用として市場供給された。なお、焦点距離40mmのモデルは戦後に短期間だけMeyer Gorlitz Weitwinkel Doppel Anastigmatの名称で売られていた時期がある。Exakta用広角レンズという位置付けで一定の需要が見込まれていたのであろう。

入手の経緯
本レンズはeBayを介し2012年11月にロシアのカメラ屋から200ドルの即決価格(送料込みの総額215ドル)で落札購入した。このセラーは過去の取引件数が2060件でポジティブ・フィードバック100%(ニュートラルな評価すらない)と極めて優秀だ。商品の状態はエクセレントコンディションで「絞りはスムーズに動く。ガラスにキズ、拭き傷、カビ、ホコリの混入はない。純正キャップが付く。」とのこと。クモリとバルサム切れについて触れていないが、このセラーの他の商品を見る限りいつもの事のようなので問題なしと判断した。写真で見る限り概観は非常に良好で新品同様。デッドストックの未使用品のようにも見える。2週間後に届いた品はやはり記述以上に素晴らしく、僅かなホコリの混入と絞り羽の油染みを除けば新品同様と言っても過言では無い素晴らしい状態であった。ホコリはブロアーで簡単に除去できたので新品同様の状態である。eBayの中古相場は50-150ユーロくらいであろう。

M42マウントへの変換
私が入手した75mmのHelioplanはヘリコイド機構の省かれたレンズヘッドのみの製品である。元々は蛇腹カメラなどに搭載され用いられていたレンズなのであろう。一眼レフカメラやミラーレス機の交換レンズとして用いるには簡単な改造を施しフォーカッシング・ヘリコイドに搭載する必要がある。本品はマウント部がM32のスクリューネジになっているので35mm-37mmステップアップリングで土台をつくり、その上からM42リバースリングアダプターを被せることでM42フォーカッシングヘリコイド(BORGのM42ヘリコイド【7842】)に搭載することにした。ステップアップリングの内径がM32のスクリューネジよりも極僅かに小さいようで、そのままではきつくて装着できない。棒ヤスリなどでステップアップリングの内側を削り、内径を僅かに広げておくとよいであろう。

ステップアップリング(35-37mm)で土台をつくり、その上からM42リバースリングアダプターを填める。これでM42スクリューネジに変換できる

M42に変換後はそのままOASYS M42 HELICOID【7842】に搭載して完成

撮影テスト
HelioplanはDialytタイプとしては極稀な戦後設計のレンズである。ガラス硝材の改良により安定感のある高い描写性能を実現している。ピント部は四隅まで充分な解像力があり、ハロやコマ、色収差は極僅かでヌケが良い。ノンコートレンズのためコントラストは高くはなく、曇天時ではとても軟らかい階調描写になる。晴天時においてもコントラストは強くなり過ぎずシャドーへの落ち方がなだらかで目に優しい描写傾向を維持している。発色はノーマルで淡泊過ぎず適度な色ノリである。前エントリーで取り上げた同型レンズのDogmarに比べるとボケ味がやや異なるようで、Dogmarは後ボケが硬くザワザワと煩くなり2線ボケ傾向もみられたが、Helioplanではボケが比較的滑らかで2線ボケも目立たない。ただし、距離によっては開放で僅かにグルグルボケが出る。私個人としてはかなり好きな写りである。以下作例。

CAMERA: EOS 6D
LENS HOOD: 内径20mm程度の自作フード(フィルター径25.5mm)
F6.3, EOS 6D(AWB): ピーカンの天気だがコントラストの低いレンズのためか階調が硬くならず、シャドー部はなだらかさをキープしている。コマがよく補正されておりスッキリとヌケの良い写りだ
F6.3, EOS 6D, AWB: こんどは曇天時での作例。中間階調が豊富で目に優しい軟らかい描写が好印象である

F4.5(開放), EOS 6D(AWB): 開放でもピント部はシャープだ。カラーバランスはノーマルで色のりもヌケもよい。距離によっては四隅にややグルグルボケが出る事もあるが、一段絞ればボケ味は常に穏やかである


F11,  EOS 6D(AWB): 近接撮影でも、このとおりに高解像でしっかりと写る

独特の製品ラインナップを展開し他社との競合を避ける徹底した企業理念を貫いた戦前および戦後間もない頃のHugo Meyer社。このような経営方針に至ったのは1919年から同社に14年間在籍したRudolph博士の影響からだったのではないだろうか。博士はかつてCarl Zeissに在籍し、同社の企業戦略や製品開発に関わった経験から、大企業との戦い方や中小メーカーの取るべき立ち位置を深く理解していた人物である。Zeissの経営方針(不況時に傘下のパルモス・バウを切り捨てた)に反発し同社を退職したと言われており、後に自分は大会社よりも中小メーカーに向いていると61歳でHugo Meyer社へ再就職を遂げた経緯がある。戦前のHugo Meyer社はTessarタイプやPlanarタイプなどCarl Zeiss的な定番レンズの構成に頼る事なく、特色ある製品を展開することで一定の成功を収めていた。TessarやPlanarを発明した張本人であるRudolph博士がHugo Meyer社に在籍し、同社の経営方針に一定の影響を与えていたからであるに違いない。

2013/04/27

アンケートの集計結果(2)
オールドレンズの所持本数と主な入手先

 オールドレンズユーザー達はいったい何本のレンズを所持しているのでしょうか?本ブログでは2012年6月より180日間、ブログを訪れた方々に対し投票式のアンケート調査を行い230の回答結果を得ました。アンケートは複数回答ができない形式とし、同一PC(同一マックアドレス)から2回以上の投票が行えないルールを設けています。この調査を行おうと思った動機は「レンズ沼」という用語がカメラ雑誌CAPA(別冊)のQ&Aに掲載され興味を抱いたからです。この雑誌では「レンズ沼」を「主にレンズの違いによる描写の差に気づいてしまうことに起因する一種のビョーキ」と定義していました。レンズを次々に買いあさり、描写の微妙な違いに陶酔するのだそうです。自分達はどのくらい「レンズ沼」に侵されているのでしょう。オールドレンズ愛好者なら誰しもが関心を持つテーマです。


調査の結果から本ブログを訪れた方の平均的な所持本数は12本であることがわかりました。皆さんのお宅を訪問し自慢のオールドレンズを見せていただくと、テーブルの上にはズラリ12本のレンズが並ぶという集計結果です。アンジェニューや富岡光学などマニア垂涎の品がザクザクと出てくる様子が目に浮かびます。これだけの所持本数があれば普通のプロカメラマンも驚くに違いありませんから、相当なマニアと言えるのではないでしょうか。しかし、裏を返せば12本はオールドレンズ愛好者として平均的な所持本数ですから、健康診断で引っかかるような要注意レベルではありません。ご安心ください(笑)。
 集計結果を観察していてもう一つ気づいたのは、30本以上所持されている方が何と回答者全体の2割にも及ぶという点です。中には50本、100本と大量に所持されているコレクターの方もいるのではないでしょうか。もはやテーブルの上に収まりません。私自身はコレクターではなくブログを書いたら即売却してしまう循環体質です。それでも25本前後のレンズを所持していますから、どちらかと言えば肥満です。所持本数10本以内を目指し、現在もダイエットに励んでいます。では、本題に入りたいと思います。私も含め皆さんどれだけの方が「レンズ沼」のビョーキに侵されているのでしょうか。仮に「レンズに対する物欲」と「食欲」の傾向(相関)が完全に一致しており、日本の成人男性と同レベルの30%の人が肥満を宣告されると仮定しましょう。乱暴な仮定であることは否めませんが、「レンズ・グルメ」という言葉があるくらいですから、一定の基準値をつくるのは不可能な事ではありません。アンケートの集計結果に照らし合わせるなら、レンズを20本以上所持している方が健康診断で「肥満」と判定され、「レンズ沼」の予備軍であると宣告されます。さて、CAPAに掲載されていた症例を参照し、自身がレンズ沼の病気に侵されているかどうかを自己チェックしてください。症状が進行すると

  • レンズを次々に買いあさり、描写の微妙な違いに陶酔する
  • 同じ画角のレンズを多数所有する 
  • 愛機で使用できるようマウントアダプターを導入し、さらにマウントを改造して使えるようにするなどの過激な行動に出る
  • こうした過激な行動の末に、さらに幸せを感じる

とのことです。心当たりがあるようでしたら「レンズ沼」を疑ってください。私は25本前後のレンズを所持し、「マウント改造」について身に覚えがあり、幸せいっぱいのオールドレンズライフです。レンズ沼のビョーキに侵されている人が必ずしもコレクターばかりではない事を、身をもって証明してしまいました(笑)。
  最後に一つだけ注意を述べておきます。上記の症例の中にある「微妙な違いに陶酔する」には「レンズ沼」の患者達が描写の僅差に一喜一憂する変質者であるという意味が暗に含まれています。しかし、この症状は厳密にはオールドレンズユーザーに当てはまらないものです。オールドレンズの描写には製品モデル毎に大きな差が生じています。それは近代や現代のレンズのものよりも遥かに大きく、もはや微妙な差違ではないのです。

     
  続いてはオールドレンズの最も主要な入手先を尋ねるアンケート調査を2012年9月より120日間実施し142の回答を得た集計結果です。


入手先の第1位は「国内ネットオークション」となっており、全体の4割弱の回答が集まっています。第2位の「国内中古店(店舗)」と第3位の「海外ネットオークション」にも同水準の票が集まり、三つ巴状態となっています。ヤフオクや楽天オークションを利用したレンズの売買が重要な地位を占めている様子がよくわかります。eBayなど海外ネットオークションを加えると全体で62%もの方がネットオークションを主要な入手先と考えていることがわかります。インターネット時代の新しい流通形態(個人売買)が完全に定着しています。私自身は「海外ネットオークション」(eBay)を最も主要な入手先にしています。流通量が多く欲しいレンズが早く見つかるからです。相場も国内に比べると安価な傾向があります。ただし、海外からの入手にはそれなりのリスクが伴いますので細心の注意をはらい購入しなければなりません。店舗で現物を確認しながら購入した方が安心・安全であることは述べるまでもない事実です。

アンケート調査にご協力いただいた方々へ、深く御礼申し上げます。

2013/03/15

GOERZ BERLIN Doppel-Anastigmat CELOR 130mm F4.8 and DOGMAR 100mm F4.5
ゲルツ ドッペル・アナスティグマート セロール/ドグマー




銘玉Dagor(ダゴール)を設計しGoerz(ゲルツ)社の主任設計士となったEmil von Hoegh(エミール・フォン・フーフ)[1865--1915]はDagorよりも更に明るく、室内撮影やポートレート撮影に強い大口径ダブルアナスティグマートの設計にとりかかった。Hoeghは光学ユニットに「空気レンズ」と呼ばれる革新的なアイデアを導入し球面収差の補正力を強化した新型レンズを開発、1899年にDoppel-Anastigmat Series IB(ドッペル・アナスティグマート・シリーズIB)の名で世に送り出している。このレンズは当時の大判撮影用レンズとしては極めて明るい口径比F4.5を実現している。シリーズIBは1904年に同社のW.Zschokke(W.ショッケ)らによる再設計でCelor(セロール)とArtar(アーター)へと置き換わり、更に1913年の再設計ではコマの補正を強化したDogmar(ドグマー)へと進化している。

空気レンズを導入した
ゲルツ社の大口径アナスティグマート

空気レンズ(Luft Linsen)とはレンズをより明るくするために導入されてきた設計技法の一つで、ガラスとガラスの間に狭い空気層を設け、本来は何も無いはずの空間部分を屈折率1のレンズに見立てることで設計に自由度を与え、球面収差を効果的に補正するというものである。この技法は1953年登場のズミクロンM(Leitz社)に採用されたことで広く知られるようになり、後の日本製大口径レンズにも積極的に導入されている。空気レンズのアイデア自体は19世紀の末頃に登場しており、独学でレンズの設計技法を身に付けたEmil von Hoeghも大口径アナスティグマート(Doppel-Anastigmat Series IB F4.5)を開発する試行錯誤の過程の中で同等のアイデアに到達している[Pat. DE109283 (1898)]。Hoeghの設計したSeries IBは1903年に同社のWalther Zschokke(W.ショッケ)とFranz Urban(F.アバン)によって再設計され、凸レンズに用いられていた高価なバリウム・クラウン硝子が低コストで気泡が少なく光の透過率の高いケイ酸塩クラウン硝子へと置き換えられた(US Pat.745550)。この時にレンズ名もCelor(セロール/ツェロー)へと改称され翌1904年に再リリースされている。Zschokkeはその後もCelorを改良し、困難だったコマの補正にも成功、1913年に後継製品となるDogmar F4.5を世に送り出している。
下の図は1904年に発売されたCelor(セロール/ツェロー)F4.5と、後継レンズとして1913年に発売されたDogmar(ドグマー) F4.5の断面である。凸レンズと凹レンズの間に設けられた狭い隙間が空気レンズである。CelorとDogmarは一見同一の構成にも見えるが、Celorは前群と後群の光学ユニットが絞りを中心に完全対称であるのに対し、Dogmarは前群の屈折力がやや後群側に移され対称性が破れている。


Celor F4.5(左)とDogmar F4.5(右)の構成図(Goerz American Opt. Co.1915年のカタログより引用)
Celorの設計方法は至ってシンプルである。まず正の凸レンズと負の凹レンズを狭い空気層を挟んで配置し、これら光学ユニットの外殻の曲率を非点収差が0になるように与える。次に、凸レンズのガラス屈折率を凹レンズのそれよりも大きくすることで、前・後群それぞれの光学ユニットに新色消しレンズと同等の作用を持たせ軸上色収差を補正する。こうしてできる1対の光学ユニットを絞りを挟んで対称に配置し、歪曲と倍率色収差、コマ収差(メリジオナル成分)を自動補正する。ただし、光学ユニットが空気層を持つ場合、サジタルコマ収差は補正されない。最後に空気レンズの発散作用を利用し球面収差を補正する。空気レンズの形状を調整し球面収差が最も小さくなる最適解を探索することでレンズの大口径化を実現するのである。この設計の最大のポイントは新色消しレンズの効果を持ちながら同時に球面収差が容易に補正できるところにある。本来は硝材の選択に頼り困難なところが空気レンズの導入によって可能になっているのである。
Celorはシンプルな構成で諸収差を合理的に補正できる高性能なレンズであるが、遠方撮影時に顕著に発生するコマのため風景撮影には向かず、同社のDagorほど万能ではなかった。この問題に対し、Zschokkeは前群の正レンズの屈折力を僅かに後群側の正レンズにシフトさせる事でコマの抑制が可能になることを発見、Celorの更なる改良と万能化に成功し、1913年に新型レンズDogmar F4.5を完成させている。
Series IBに始まりDogmarの登場によって収差的に完成の域に達したCelor/Dogmar型レンズではあるが、空気レンズの導入により空気とガラスの境界面が8面とこの時代のレンズにしては多く、階調描写力では同社のDagor(ダゴール)には及ばなかった。境界面の数を抑えることはコーティング技術が確立されていない時代のレンズ設計において非常に重要な事であり、各境界面で発生する内面反射光の蓄積がコントラストや発色、シャープネスなどの階調描写力に甚大な影響を与えてしまう。この問題を解決するコーティング技術の普及はDogmarの開発から30年以上も後の事である。もしもDogmarが造られた時代にコーティング技術があったなら、Goerz社のフラッグシップレンズの座はDagorからDogmarに置き換わっていたかもしれない。


参考文献
・「レンズ設計のすべて」辻定彦著(電波新聞社)
・「最新写真科学大系・第7回:写真光学」山田幸五郎著 誠文堂新光社
Goerz Lenses(Official catalog in 1915), C.P.Goerz American Opt. Co.
・R. Kingslake, A History of the Photographic Lens

Doppel anastigmat Series IB Celor 130mm F4.8:シリアル番号 Nr 186073(1900-1908年に製造されたCelorの初期ロット), 真鍮製バーレルレンズ, 絞り値は無表記, フィルター径:不明(改造により43mmに変換されている), 構成は4群4枚, ガラス面にコーティングのないレンズである 

Dogmar 10cm F4.5: シリアル番号 591405(1922-1923年の製造ロット), Zeiss-Ikon製ダイアルコンパー式シャッター搭載(コンパー0番), シャッタースピード:1/250s--1s, 絞り値:F4.5--F36, フィルター径:28mm, 構成は4郡4枚の変形Celorタイプ。ガラス面にコーティングのないノンコートレンズである。M42リバースリングとステップアップリングを使用し無改造でM42へと変換している。レンズ名はラテン語で「信条」を表すDOGMAが由来


製品ラインナップ
Celorは1898年に開発されたDoppel Anastigmat Series IBの後継レンズとして1904年から市場投入されている。広角から超望遠まであらゆる焦点距離に対応できる融通の利く設計であり、1913年のGoerz社のカタログには焦点距離の異なる14の製品ラインナップが掲載されている。焦点距離ごとに列記すると、2+3/8インチ(約6cm) F4.5、3インチ(約7.5cm)F4.5、3+1/2インチ(約9cm)F4.8、4+3/4インチ(約12cm)F4.8、6インチ(約15cm) F4.8、7インチ(約18cm)F4.8、8+1/4インチ(約21cm) F5、9+1/2インチ(約24cm) F5、10+3/4インチ(約27cm) F5、12インチ(約30cm) F5.5、14インチ(約35cm) F5.5、16+1/2インチ(約42cm) F5.5、19インチ(約48cm) F5.5がある。また、Kodak製等の小型カメラ向けに5インチ(約13cm) F4.8も供給されている。これに対し、Dogmarは1915年の米国Goerz社のカタログに新型レンズとして紹介されており、焦点距離の異なる12のラインナップが掲載されている。焦点距離ごとに列記すると、2+3/8インチ(約6cm)、3インチ(約7.5cm)、4インチ(約10cm)、5インチ(約13cm)、5+1/4インチ (約13.3cm)、6インチ(約15cm)、6+1/2インチ(約16.5cm)、7インチ(約18cm) 、8+1/4インチ(約21cm)、9+1/2インチ(約24cm) 、10+3/4インチ(約27cm)、12インチ(約30cm) (F5.5)などがある。カタログにはCelorがスタジオ撮影や製版、コピーなど近接域からポートレート域の撮影に向いていると紹介されているのに対し、Dogmarはグラフィックアートや風景撮影に最適と記載され、近接域から遠距離まであらゆる距離に向いていると紹介されている。このあたりは遠方撮影時にコマの出るCelorに配慮した解説なのであろう。

入手の経緯
Dogmar 100mmは2013年1月にeBayを介してハンガリーの写真機材業者から落札購入した。商品ははじめ135ドルで出品されていた。商品の状態については「Very Good Conditionのドグマ-。中古だが素晴らしい。シャッターは全てのスピードで適切に動作する。硝子はクリアーだ。鏡胴は少し使用感がある。絞りはパーフェクトに動作する。コレクターやフォトグラファーにオススメする。」とのこと。スマートフォンの自動スナイプソフトで入札締め切り5秒前に155ドルで入札したところ誰と競り合うこともなく開始価格のまま私のものとなった。送料込みの価格は160ドルである。届いた品は経年にしては良好。ただし、写りに影響の無い程度で小さなキズとホコリの混入がみられた。安かったのでこれで良しとしよう。
続いてCelor 130mmは2012年11月にオールドレンズ愛好家のlense5151(レンズこいこい)さんからお借りした。lense5151さんはDagorでもお世話になっている。浮き世離れした写りを追い求める方のようで、Celorについては「温泉のような写りが楽しめる(笑)」などと謎めいたコメントを添えていた。

撮影テスト

CANERA:  EOS 6D
LENS HOOD
  Celor: ステップダウンリング(43mm-30mm)+望遠レンズ用フード(30mm
  Dogmar:望遠用メタルフード(28mm径)

Celorの特徴は遠方撮影時にコマが発生しヌケが良くない事と、空気とガラスの境界面の数が8面とノンコートレンズとしてはやや多く、内面反射光が蓄積しやすいことである。コントラストは低下気味で軟調、発色も淡く、遠方撮影時ではハイライト部のまわりがモヤモヤとソフトな描写になる。しかし、これらを除けば収差的には性質が良く、ピント部には高い解像力が実現されている。凹凸レンズの数の比が2:2とバランスしていることから非点収差の補正は容易で、像面を平らにしたまま四隅まで高い解像力を維持できる。フルサイズセンサーのカメラによる不完全な評価ではあるがグルグルボケや放射ボケもほとんど見られない。後ボケは概ね整っているが、像が硬めでザワザワと煩くなることがある。ハイライト部を肉眼で拡大チェックする限り色滲みなどは認められず、定評どうり軸上色収差の補正効果は良好のようである。近接撮影時のヌケは悪くない。
Celor 130mm F4.8@F4.8(開放)+EOS 6D AWB:  温泉的な描写効果とは、このことなのだろうか。開放では遠方撮影時にコマが顕著に発生する。拡大すると良く分かるので上の鬼瓦の部分を拡大し下に提示する
上の写真の一部を拡大したもの。ハイライト部のまわりがモヤモヤとソフトでヌケが悪い。こういう妖しい描写は女性のヌードを撮るのには適している。遠方撮影でヌード作品が成立するかどうかは別として、こういう描写表現も悪くはない
Celor 130mm F4.8@F4.8(開放)+EOS 6D(AWB): 近接撮影の方がヌケは良いようだが、開放ではまだモヤモヤ感が残っているようで、椅子の背もたれなどが妖しい雰囲気を醸し出している。後ボケは硬くザワザワとしている

Celor 130mm F4.8@F4.8(開放)+EOS 6D(AWB): 手前の掲示板にもコマが盛大に発生している。その影響で全体的にコントラストも下がり気味だ


Celor 130mm F4.8@F6.3(目測)+Nikon D3, AWB: 近接撮影時のヌケは悪くない。少し絞るだけでスッキリとシャープに写り、解像力も良好だ



 
続くDogmarであるが、温調で味わい深い発色傾向が印象的なレンズだ。コマについてはGoerzの1915年のカタログに記載されているとうり、Celorよりも発生量が少なくヌケは良い。その分だけコントラストも高く、Dagorほどではないものの風景撮影においてもスッキリとシャープに写る。もちろん現代のレンズに比べれば軟調でコントラストは低く、シャープネスも強くない。解像力はDagorを上回る印象をうけるが階調描写力では一歩及ばない。ノンコートレンズなので逆光撮影には弱く、コンディションが悪いと盛大なフレアが発生する。今回はフレアを上手く生かした作例にもトライしてみた。
Dogmar 100mm F4.5@F4.5 + EOS 6D, AWB: このとおり黄色に被る温調気味の発色傾向だ


Dogmar 100mm F4.5@F6.3 + EOD 6D, AWB: 肖像権に配慮しレタッチで人相を変えてある。階調描写はたいへん軟らかい。遠方撮影時もハイライト部からはコマが出ずヌケはCelorよりも良いようだ

Dogmar 100mm F4.5@F4.5 + EOD 6D, AWB:  ピント部は開放から高解像でよく写る。改造力はDagorを上回る印象である
Dogmar 100mm F4.5@F4.5 + EOD 6D, AWB: レタッチで人相を変え個人が特定できないよう にしてある。逆光で盛大に発生するフレアが温泉の湯煙ような演出効果を生み出す。この効果を強調させたいならば、ハイライト気味に撮影するとよい
Dogmar 100mm F4.5@F4.5 + EOD 6D, AWB: 色飽和とフレアを生かし、妖狐のあやしい雰囲気を演出している。オールドレンズならではの写真効果であろう


Dogmar 100mm F4.5@F8+EOS 6D, AWB: CelorやDogmarは軸上色収差が非常に小さく、製版やコピーに利用されることも多かったようである。このとおりになかなかの描写である

2013/02/28

Boyer paris Beryl 90mm F6.8 and Saphir 《B》 100mm F4.5

 
パリを拠点に戦前から活躍していたレンズメーカーのBOYER(ポワイエ)社。同社の生産したレンズには宝石や鉱物の名が当てられることが多く、Saphir(サファイア/蒼玉)、Topaz(トパーズ/黄玉)、Perl(パール/真珠)、Beryl(ベリル/緑柱石)、Emeraude(エメラルド)、Rubis(ルビー)、Jade(ジェード/ひすい)、Zircon(ジルコン/ヒヤシンス鉱)、Opale(オパール)、Corail(サンゴ)、Onyx(カルセドニー)などがある。レンズを設計していたのはSuzanne Lévy-Bloch(スザンヌ・レビ-・ブロッホ) という名の女性エンジニアである。フランス!、宝石!!、女性設計士!!!。気分がワクワクと高揚してしまうのは私だけであろうか?

パリで生まれた宝石レンズ達
Boyer Beryl and Saphir 《B》

Boyer(ポワイエ)社は1895年にAntoinr Boyer(アントワーヌ・ポワイエ)という人物がフランスのパリに設立したレンズメーカーである。設立当初は従業員4名の小規模な会社であったが1925年に転機が訪れる。創業者のAndré Boyerが死去し、会社の経営権が息子のMarcel Boyer(マルセル・ポワイエ)に引き継がれたのである。ところがMarcelは経営を嫌がり、直ぐにBaille-Lemaire社・写真部門のチーフマネージャーAndré Lévy (アンドレ・レビー) [1890-1965]に会社を売却してしまった(1925年)。そして、新たな経営者となったAndréの妻こそが、その後40年に渡りBoyer社の主任レンズ設計士となるSuzanne(スザンヌ)その人である。
   Boyer社が生産したレンズは一般撮影用(スチル用/シネ用)をはじめ、写真製版用、引き伸ばし用(印画用)、複写用、プロジェクター用、オシロスコープ記録用、航空撮影用など多岐にわたる。レンズの設計構成もダブルガウス型、テッサー型、トリプレット型に加え、ペッツバール型、ダゴール型、プラズマート型、トポゴン・メトロゴン型、ヘリアー型などマニア心をくすぐるものが揃い、設計士Suzanneの趣味の広さを知ることができる・・・。いや、単に天真爛漫なうえ夫が経営者なので好き勝手し放題だったのかもしれない。きっとそうだ。

女性設計士Suzanne
Suzanne Lévy-Bloch(スザンヌ・レビ-・ブロッホ) [1894-1974]はパリで活動していたアルザス人建築家Paul Bloch(ポール・ブロッホ)の娘である。彼女は数学で学位を取り、シネマスコープの発明者として名高い天文学者Henri Chrétien(アンリ・クレティアン)に師事した。ちなみにP.Angenieux(ピエール・アンジェニュー)もHenriに師事したかつての同門生である。彼女はその後、Henriが創設に協力したパリの光学研究院(Institut d'optique théorique et appliquée)のエンジニアとなっている。夫のAndréが1925年にBoyer社を買い取り経営者につくと31歳で同社の設計士となり、その後はAndréと死別する1965年まで数多くのレンズ設計を手掛けている。彼女の孫娘Isabelle Lévy(イザベル・レビー)はSuzanneがフランスで最初の女性光学エンジニアであったと確信している。Isabelleは彼女の祖父母達(AndréとSuzanne)のことを回想し、祖父Andréは会社の経営、祖母Suzanneはレンズの設計に専念しながらも、2人が一体となって事業に取り組んでいたと述べている。Suzanneは会社にとって欠かせない存在でありながら、同時にLévy家の母として家事・育児をこなしていたわけだ。おそらくAndréはSuzanneの尻に敷かれていたに違いない。マニア心をくすぐるBoyer社のレンズ達は、こうした夫婦間の力関係によって生み出されたのではないだろうか。なお、1965年に経営者Andréが死去すると会社の運営は長男のRobert Lévy(ロバート・レビー)が引き継いでいる。

BOYER社のその後
1965年にBoyer社の経営はLévy家の長男Robertの手に引き継がれるが、会社は間もなく経営危機に陥り1970年代初頭に倒産している。ヨーロッパの写真工業は60年代から70年代にかけて衰退の一途を辿っており、Boyer社もその例外ではなかったのだ。倒産後、会社はいったん閉鎖されるが、その後フランスの光学機器メーカーCEDIS(セデス)社のオーナーM. Kiritsisによって買収され、レンズの生産はCEDIS-BOYER社のブランドとして復活する。Kiritsisという人物はBoyer社買収の数年前まで存続していた光学機器メーカーRoussel(ラッセル)社の前オーナーでもあった。CEDIS-BOYER社レンズの設計と組み立ての最終工程のみを行う事業規模の小さな会社であり、レンズエレメントなどの外注部品の製造はBoyer社時代の人脈に頼っていた。同社はその後10年間存続し、オーナーのKiritsisが死去した後、1982年に閉鎖されている。

Beryl 90mm F6.8: 重量(実測) 91g, 絞り羽 12枚, 絞り値 F6.8-F32, フィルター径 19mm, マウント M39/L39, レンズ構成 2群6枚(Dagor型), 真鍮製バーレルレンズ

Saphir 《B》 100mm F4.5: 重量(実測)210g, 絞り羽 18枚,絞り値 F4.5-F22, 構成4群6枚(Plasmat型),フィルター径 36mm, M39/L39マウント, 真鍮製バーレルレンズ。戦前の古いBoyer製レンズによくみられる鏡胴内の黒いコバの劣化が本レンズにもみられる。海外のマニア層の間では最近この現象をBoyeritisと呼び始めている(Schneideritisにかけた造語)
今回、私が入手したレンズはBOYER社の中でも比較的レアなモデルと言われるDAGORタイプ(2群6枚)のBERYL(ベリル) 90mm F6.8と、比較的入手しやすいPLASMATタイプ(4群6枚)のSAPHIR(サファイア) 《B》 100mm F4.5である。Boyer社のレンズはその大半が特許期限の切れた他社のレンズ構成を模範とする再設計品であり、Beryl 90mm F6.8も前エントリーで取り上げたGoerz社のDagor 90mm F6.8をお手本にSuzanneの手で再設計された改良レンズである。デットコピーではないと言い切れるのはBeryl 90mmのバックフォーカスがDagor 90mmのそれとはかなり異なるからである。また、Dagorは絞りに対する焦点移動(フォーカスシフト)がたいへん大きなレンズであるが、Berylではこの点がかなり改善されているという報告もあり、絞り込んで撮影する場合にも開放でピント合わせができるよう改良されている。Berylは色収差の補正が非常に優れているという報告もある。 レンズの名称はベリリウムを含む六角柱状の鉱物「緑柱石」から来ており、宝石のエメラルドはその一種として有名である。第二次世界大戦前の1939年までに少なくとも6種類のノンコート・モデル(焦点距離50mm, 85mm, 110mm, 135mm, 180mm, 210mm)が発売され、戦後になってからは1970年代に少なくとも11種類のモデル(85mm, 90mm, 100mm, 110mm, 135mm, 180mm, 210mm, 240mm, 250mm, 305mm, 355mm)が発売された。いずれもDagorと同じF6.8の口径比を持ち、前群を外した状態において後群のみで撮影することもできる。この場合には焦点距離が約2倍、開放絞り値はF13となる。なお、同社のレンズは1947年以降の製造ロットからガラス面にコーティングが施されるようになっている。Berylの姉妹レンズとしては近接撮影用に設計されたと思われる用途不明のBeryl S F7.7と、リプログラフィック用レンズとして供給されたEmeraude(エメラルド)F6.8があり、いずれも構成はDagorタイプである。Berylにはシンクロコンパーシャッターを搭載した製品個体もあるため、一般撮影用に設計されモデルなのであろう。
一方のSAPHIR 《B》は4群6枚の構成を持つPlasmat(プラズマート)型(空気層入りの変形DAGORともとれる)の引き伸ばし用レンズである。このタイプの構成も人気があり、光学機器メーカーの各社からレンズが供給されていた。良く知られたものとしてはSchneider社Compononがある。設計特許としては1903年にSchultz and Biller-beck社のE.Arbeitが開示したEuryplan(オイリプラン)が最初のようである。ちなみにSchultz and Biller-beck社は後にHugo Meyer社に買収され、Euryplanの設計特許はHugo Meyer社のルドルフ博士の手によってPlasmatの開発に再利用されている。レンズの名称はもちろん宝石のサファイアである。SaphirはBoyer社が最も好んで多用した宝石名であり、この名称を持つレンズのみGauss型、Tessar型、Plasmat型など光学系の構成が多岐にわたる。今回入手したレンズ名の末尾に《B》の記号がついているのは、TessarタイプのSaphirと識別するためであろう。《B》の表記があるものがPlasmat型で、無表記のものがTessar型またはGauss型となっている。引き伸ばし用レンズを意味しているわけでないことはTessarタイプのSaphirにも引き伸ばし用レンズが存在することから明らかである。第二次世界大戦前の1939年までに少なくとも6種類のノンコート・モデル(焦点距離85mm, 100mm, 110mm, 120mm, 135mm, 210mm)がF4.5の口径比で発売され、戦後は1970年代に口径比F3.5を持つ少なくとも9種類のモデル(焦点距離25mm, 35mm, 50mm, 60mm, 65mm, 75mm, 80mm, 85mm, 95mm)と、口径比F4.5を持つ少なくとも6種類のモデル(100mm, 105mm, 110mm, 135mm, 150mm, 210mm)、および300mm F5.6が発売された。戦後に発売されたモデルにはガラス面にコーティングが施されている。なお、このレンズにはSAPHIR 《BX》という名で1970年代に発売された後継製品が存在している。

参考文献:Dan Fromm (USA) & Eric Beltrando (France), "Optiques Boyer: A short history of the company with an incomplete catalog of its lenses", Sept. 2008

  
入手の経緯
今回取り上げるBeryl 90mm F6.8は2013年2月にeBayを介してチェコのカメラメイトから入手した。レンズは送料込みの150ドルで売り出されており、値切り交渉を受け付けていたので118ドルでどうかと強気に提案してみたところ私のものとなった。外観はペイントのハゲが目立っていたが、商品の状態については同ショップによる(A)ランクの格付けで、「クリーンオプティック」と強気の解説なので、ガラスの状態は良さそうであった。BerylはBoyer製レンズの中でも市場にあまり出回らない比較的珍しいモデルである。口径比が暗いうえにマウント部がM39/L39ネジになっていることから、引き伸ばし用レンズとして認識されていたのかもしれないが、とにかく安く売られていた。届いたレンズは撮影に影響のないレベルのホコリと極薄いクリーニングマークがあったが、状態は良好である。DAGORタイプにしては破格値で手に入れることができたわけだ。ニシシ・・・。
続いてSAPHIR 《B》 100mm F4.5は2013年2月にeBayを介してポーランドの大手中古業者から入手した。商品は「ガラスに傷、カビ、バルサム切れはなく、わずかに使用感あり」との解説で200ドルの即決価格で売られていた。この業者はレアな商品を多く取り扱うが商品の状態については博打的な要素が強いので、クモリについてはどうなのかを事前に問い合わせ「クモリはない」との返答をもらっておいた。値切り交渉を受け付けていたので165ドルでどうかと提案したところ私のものとなった。送料込の総額は190ドルである。しかし、届いた品はフロントガラスに肉眼で判るほどの明らかなクモリである。セラーに連絡を取り、写真を添え、「あんなに慎重に尋ねたのに何でクモリなのですか?私が返送代金を払い損をするんだから、ちゃんと説明してくださいね!」と弁明を要求しつつ、「返送料を加えた返金に応じるなら落札者フィードバックはネガティブにもニュートラルにもしませんよ」と逃げ道を与えることで返送料を加えた全額返金に応じさせた。相手に明確な手落ちがある場合にはeBayの取引規定(返品時の送料は落差者負担)を無視し出品者に返送料を要求してもよいというのが私の持論である。例えば全く異なる商品が送られて来た場合には出品者が返送料を支払うのが筋であろう。セラーに対して何も主張しなければ通常は取引規定に呑まれてしまうのだ。なお、クモリの影響を見るため1枚だけ部屋の雛人形を試写してみた。
 
マウント部の変換
Boyer社のレンズは一部の製品を除きヘリコイドの省かれているものが大半である。多くはマウント部がM39/L39ネジで供給されているので、M39-M42アダプターリングを介してM42フォーカッシング・ヘリコイドに搭載すれば、無改造のまま一眼レフカメラやミラーレス機で使用可能になる。

M39-M42リングアダプターを装着しマウントをM39/L39からM42に変換する。これでM42フォーカッシング・ヘリコイドに搭載できる

M42フォーカッシング・ヘリコイド(36-90mm)に搭載した様子。後列のSaphir《B》は返品したので、ここでは単なる飾りとして掲載している
M39-M42リングアダプターやM42フォーカッシング・ヘリコイド(36-90mm)はeBayから常時入手することができる。上の写真はBeryl 90mm F6.8をM42フォーカッシング・ヘリコイドに装着した例である。使用しているヘリコイドは高伸長タイプなので最短撮影距離は40cm程度となりマクロ撮影も可能だ。一方、遠方側の最長ピント部は無限遠を通り過ぎ若干のオーバーインフとなる。このままM42レンズとして使用することもできるし、マウントアダプターを介してNikon Fマウントのカメラで使用することも可能である。この場合は補正レンズを使わないで無限遠のフォーカスを拾うことができる。

撮影テスト
BerylはGoerz社の傑作レンズDagorを模範とするBoyer社の改良レンズである。ピント部の画質は四隅まで安定しており、Dagor 90mmの作例(こちら)で近接撮影時に見られた僅かな色収差もBeryl 90mmではほぼ完全に補正されている。Dagorともどもヌケの良いレンズなので、スッキリと写り、温調気味の鮮やかな発色である。
Dagorと言えばコーティング技術が実用化されていかった時代に空気境界面を徹底的に減らすことで内面反射光を抑さえ、アナスチグマートでありながら高い階調描写力を実現した画期的なレンズである。空気とガラスの境界面が僅か4面しかないという特異な設計構成であることに加え、ハロやコマが殆どないため、コントラストが高く、階調描写はとても鋭い。元々はコーティングに頼らなくても充分シャープに写るレンズ構成であるが、Berylの場合には1970年代のモデルチェンジで現代の技術水準に近い高性能なコーティングが施されている。このため、コントラストやシャープネスは異常に高く、シャドー部には驚くほど締りがある。しかし、その副作用として晴天時などで使用すると階調の硬化が進み、中間階調が奮わず黒潰れを頻発してしまう。この種の悩みは1970年代以降のテッサーやトリプレットにもみられる。こういう描写を焦げた目玉焼きなどにかけて「カリカリの描写」と呼ぶらしい。オールドレンズ愛好家達は階調描写のなだらかさや中間階調の豊富さに古典レンズならではの価値を見いだしているが、一方でシンプルな構成を持ちヌケの良い古典レンズに現代のコーティングを施すと、レンズの性質が反転し本来求められていた描写特性とは正反対の極めて鋭利な性質が表れてしまうのであろう。コントラストやシャープネスは単に高ければ良いというものではない。Berylはその事を私たちに教えてくれる模範的なレンズなのだ。なお、このレンズを晴天下で使用する場合はレンズフードを故意に外すなど、階調描写力の暴走にブレーキをかけるための特別な配慮が必要になってくる。
 

CAMERA: EOS 6D, AWB
LENS HOOD: 北方屋特性Elmar専用マイクロメタルフード
Beryl 90mm F6.8@F16+EOS 6D(AWB): 近接撮影でも高い解像力を維持している。このとおりスッキリとヌケの良いレンズだ
Beryl 90mm F4.5@F8+EOS6D(AWB): 少し絞るだけで解像力はこのとおりに高く、ピント部の画質は四隅まで安定している

Boyer Beryl 90mm F6.8@F6.8(開放)+EOS6D(AWB): コントラストが高く、開放絞りでもこれだけシャープに写る。ただし、日差しが強いとシャドー部が完全に黒潰れしてしまい、中間階調を省略したような描写に時々頭を抱えてしまう

Beryl 90mm F6.8@F8+EOS 6D(AWB): 発色はとても鮮やか。やや温調気味の傾向だ

Beryl 90mm F6.8@F6.8+EOS 6D(AWB): 後ボケはやや硬く距離によってはザワザワと煩くなることもある


Beryl 90mm F6.8@F6.8+EOS 6D(AWB): 前ボケはフワッとしていて悪くない印象だ
  -------------------

下の作例はSaphir《B》でクモリの影響を見るために室内で試写した結果である。レンズ本来の実力ではないので参考程度にしてほしい。


Saphir《B》 100mm F4.5@F11+EOS 6D(AWB): クモリの影響で解像力はそれほど高くはないし、ヌケも今一つ。世評ではシャープな描写力を持つレンズとのことである。はやり返して正解
SAPHIRはBoyer社が最も好んで多用した宝石名である。設計士Suzanneはこの宝石に特別な思いを抱いていたのかもしれない。ちなみに世界4大宝石の中に同社のレンズ名として使用されなかったものが一つだけあり、宝石の王者ダイアモンドである。この宝石名が使用されなかったことには何か深い事情があったのかもしれない。