1937年から1950年代後期まで生産されたPrimoplan(プリモプラン)58mm F1.9。中古市場では時々見かける一見何の変哲も無い標準レンズである。しかし、構成図を見た途端に「何じゃコレは」と衝撃をうける人もいるのではないだかろうか[下図]。Tessar(テッサー)タイプでもGauss(ガウス)タイプでもない別の種類の何かであり、このクラスの一眼レフカメラ用レンズにはおよそ似つかわしくない異様な骨格である。このエイリアンの正体は実は1920年代に現れたErnostar(エルノスター)と呼ばれる古典鏡玉の一派で、Ernostarは後に銘玉Sonnar(ゾナー)を生み出す設計ベースにもなっている。運命の悪戯かSonnarはその後、バックフォーカスの関係から一眼レフカメラに適合せず、ほぼ絶滅してしまうが、Primoplanは標準画角のまま一眼レフカメラにも適合している。
Primoplanの光学系。構成は4群5枚でエルノスターの発展型である。中央に絞りをあらわす縦棒があり、これを挟んで左側が前群、右側が後群(カメラの側)となる |
東独フーゴ・マイヤーの三羽烏
PART2:PRIMOPLAN 58mm F1.9
一眼レフカメラの明るい標準レンズと言えば、各社Gauss(Planar)タイプの構成を採用するのが定石である。これはミラー干渉を回避するために必用なバックフォーカスを確保しながら、広い画角と明るい口径比を両立させる事が一般にはたいへん困難なためである。広い画角を諦めるならSonnarタイプのレンズで要求を充たすことができるし、少しぐらい暗くてもよいならTessarタイプやTriplet(トリプレット)タイプ、Xenotar(クセノタール)タイプで充分である。しかし、両立させるとなると簡単にはゆかず、Gaussタイプに頼る以外にほぼ選択の余地は無い。Ernostarの発展タイプであるPrimoplanはGaussタイプ以外では唯一、明るさと画角に対する要求を両立させ一眼レフカメラにも適合できた珍種なのである。
ErnostarはCooke社のDannis Taylor(テイラー)が1894年に開発したTriplet(上図・左)を原型に据え、その最前部第1レンズを2枚に分割することで大口径化を実現したレンズである。今回紹介するPrimoplanは更にErnostarの第2群を2枚の接合レンズに置き換えた進化形態である |
Primoplanシリーズは1930年代半ばにHugo Meyer社のStephan Roeschlein(シュテファン・ロシュライン)とPaul Schäfter(ポール・シェーファー)により開発された大口径レンズである。その原点となったのは1922年にErneman(エルネマン)社のBertele(ベルテレ)とKlughardt(クルーグハルト)がTripletをベースに発明し、世界で最も明るいレンズということで話題となったErnostar 100mm F2である(上図中央)。PRIMOPLANはErnostarの第2群を2枚接合の「旧色消しレンズ」に置き換え色収差の補正機能を追加するとともに、張り合わせ面の屈折作用によって球面収差の補正効果を改善させたレンズであると考えられる。旧来のErnostarに対してヌケの良さと解像力を向上させているというわけである。ただし、Ernostar同様に凸レンズ過多の設計構成であることからペッツバール和が大きく、第3群の凹レンズに強い硝材を用いても非点隔差による周辺画質の悪さ(四隅の解像力やグルグルボケ)を充分に改善することができない。また、旧色消しレンズは非点収差の補正に全く寄与しないので、何の対策もないまま包括画角を標準レンズ並に拡大させてしまったPrimoplanは、四隅の画質にかなりの無理を抱えている。Ernostarよりも更に一歩先をゆく、強烈な癖玉の予感である。
Stephan Roeschlein:Hugo Meyer社に1936年まで在籍しPrimoplan以外にもTelemegor(テレメゴール)シリーズの設計やAriststigmat(アリストスティグマート)の広角モデルの再設計に関与した人物である。その後、クロイツナッハのSchneider(シュナイダー)社にテクニカルディレクターとして移籍している。第二次世界大戦後は自身のレンズ専門会社Roeschlein-Kreuznachを設立している。Roeschlein社では自社ブランドのLuxonシリーズを生産し、Schneider社へレンズのOEM供給も行っていた。同社は1964年にSill Opticsに買収され消滅、現在に至っている。(参考:Camera Pedia)。
★製品ラインナップ
Primoplanはまず1934年に5cmの焦点距離でLeica用とContax用、8cmの焦点距離でVP Exakta(ナハト・エキザクタ)用が供給され、1936年には75mmの焦点距離でExakta用(35mm判)とLeica用(Contax用は不明)が追加発売された。Exakta用の標準レンズはバックフォーカスの関係から焦点距離5cmのモデルを流用することができず発売が遅れていたが、1937年にやや焦点距離の長い58mmのモデルが登場したことで、ようやくExaktaに適合するようになった。このモデルは戦後になってM42マウント用モデルが追加発売されている。1938年~1939年には100mmの焦点距離のモデルがPrimareflex用として追加発売された。他にも焦点距離30mmと180mmのスチル撮影モデル(F1.9)や、焦点距離25mmと50mmのシネ用モデル(F1.5, 16mm判)が市場供給されている(Vade Mecum参照)。戦前のモデルは真鍮削り出しの鏡胴で重量感のある素晴らしい造りであるが、シリアル番号1,000,000番付近(1942年頃)からアルミ鏡胴に置き換わり軽量化されている。1960年発売にダブルガウス型レンズのDomiron 50mm F2が発売されたことで、Primoplanは同社のラインナップから消滅している。なお、米国向に輸出された製品個体には商標権の問題を回避するため、PrimoplanではなくA-Traplanの名称が使われていた。この名称の製品個体もごく僅かだがeBayで流通している。
Primoplanの設計特許:焦点距離75mmのモデルについてはRoeschleinの米国特許(1936年)、一眼レフカメラのExakta用とM42用に再設計された58mmのモデルはSchäfterの米国特許(1937年)がそれぞれ見つかる。おそらく基本設計はRoeschleinだが1936年にシュナイダー社へ移籍してしまったため、後任のSchäfterがEXAKTAへの適合をおこなったという経緯であろう。
★入手の経緯
本品は2012年8月に欧州最大の中古カメラ業者フォトホビー(UV1962)がeBayにて235ドル(送料込)の即決価格で売っていたものを200ドルでどうだと値切り交渉の末に手に入れた。オークションの記述は「傷、カビ、バルサム切れ、クモリなし。外観は写真で判断してね」といつものように簡素である。外観には古いアルミ鏡胴のレンズらしく劣化がみられたが、写真で見る限り光学系に問題はなさそうであった。このレンズはコーティングが痛みやすいことが知られており、前玉にパラパラと傷があったりクモリの発生している個体が多く、状態の良いレンズに出会えるチャンスは滅多に無い。届いた品には描写に影響の無いレベルで僅かなホコリの混入が見られるのみでガラスはたいへん良好、プリモプランにしてはとても状態の良い個体であった。フォトホビーは魅力的な商品を大量に扱う業者であるがバクチ的な要素が大きいことでも有名なので、商品を購入する際には事前によく質問し商品の状態について確認を取っておいた方がよい。落札者に落ち度がなければ、きちんと返金してくれる業者だ。
★撮影テスト
Primoplanの弱点はアンバランスなレンズ構成に由来する大きな非点収差である。この収差はピント部四隅の解像力を低下させ、アウトフォーカス部に強烈なグルグルボケを生み出す。本来はもっと画角の狭い長焦点の望遠レンズに使わなければならない構成なのである。しかし、オールドレンズという観点でみるならば、こんなに面白い癖玉はそう多くない。開放では僅かにコマが発生しハイライト部の周りがやや滲む。画面全体もややモヤッとしており、薄いベールがかかったような描写傾向である。コントラストは明らかに低く、発色はあっさりしていて、階調も軟らかい。解像力はごく中央部のみ良好で線の細い描写になるが、四隅に向かうにつれて急激に悪くなる。1段絞れば良像域は四隅に向かって拡大し、滲み(コマ)は消えヌケも良くなるが、依然としてコントラストは低く、発色はあっさり気味でグルグルボケも目立つ。周辺画質を安定させるには2段以上絞る必要がある。なお、グルグルボケの事を除けばボケ自体は柔らかく綺麗に拡散している。
EOS 6D(AWB): ミラーアップモードによる撮影
フード: 焦点距離55mm用のラバーフード(Kenko製3段折畳み式)を使用
F4, EOS 6D(AWB): 前ボケ、後ボケとも柔らかく綺麗な拡散である。コントラストが低いレンズなので曇り空の日には発色があっさり気味になる
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F1.9(開放), EOS 6D(AWB): ビューンと突風!。しかし、この日は無風。グルグルボケを生かした演出効果だ。開放ではコマの影響からややヌケが悪い
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F1.9(開放), EOS 6D(AWB): 中央の桜の花びらを見るとコマが発生しややモヤッとしている様子がわかる。高解像域はごく中央部のみであるが、一段絞るF2.8ではこちらに示すように良像域が四隅に向かって拡大し、コマは消えシャープな像となる
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F2.8, EOS 6D(AWB): 春の嵐を表現している。繰り返すが、この時は無風だ
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F1.9(開放), sony A7II: (Photo by Y.Takemura): とても繊細な階調表現だ。プリモプランは綺麗な玉ボケが出る事でも知られている |
F1.9(開放), sony A7II: (Photo by Y.Takemura): プリモプランらしい崩壊気味の2線ボケである |
開放付近で荒れ狂うPrimoplanの性質は「レンズの味」などと表現されるような生易しいものではない。レンズを使いこなすにはそれなりの覚悟が必要だし、暴れ馬なので振り落とされないよう常に気を配る必用がある。このレンズの強烈な癖がオールドレンズの真髄へと通じるものであるのかどうか正直言って私にはよく分からない。しかし、使いこなす事を一つの遊びと捉えるならば、Primoplanは間違いなく楽しいレンズである。大人しくZeissやLeitzあたりの名馬で満足するのもよいが、たまにはロディオに興じるのも悪くはない。
spiralさん
返信削除ご無沙汰しております。(^^;)
Primoplanはお値頃価格で時折見かけますが、じゃじゃ馬なんで
すね。
>大人しくZeissやLeitzあたりの名馬で満足するのもよいが
あはは。私はその名馬にも乗りこなせてませ~ん。
魔術師さん
削除改造レンズ(M42改)ばかり紹介していましたので、久々の純正M42レンズとなりました。前回のHelioplanとは対照的で、このレンズは本当にじゃじゃ馬です。Primoplanは30mm F1.9の広角レンズもあるそうですが、こちらは恐らく手のつけようの無い暴れん坊将軍だと思います(笑)。でも、次回のTrioplan 100mmは本当にオススメのオールドレンズですよ。お楽しみに
Spiralさん
返信削除ご無沙汰しております。
今回の記事は衝撃的でした。
プリモプランはエルノスター型なのですね。
ガウスかゾナーだと思い込んでおりました。
エルノスター型は未だ使ったことがないので、ぜひ入手してみたいです。
記事を読ませていただいて久しぶりにドキドキしております。
新しい世界の扉を開いてみたいものです。
ちなみに最近レチナⅢc Xenon 50mm F2を購入しました。Xenonファミリーの収集も着々と進んでおります。
ヨッピーさん
削除こんにちは。後玉が出ていますのでフルサイズカメラにマウントする時はミラー干渉に注意してくださいね。XenonファミリーにはイメージサークルがAPS-Cとほぼ同じRobot用レンズもあり、実に種類が豊富ですよね。戦後型Xenonの設計者が誰なのか確かな情報がありません。クレムト説もありますが、そのうち海外の掲示板で誰かに訪ねてみたいと思います。
初めてコメント致します。日野と申します。
返信削除プリモプランの設計は最晩年のパウル・ルドルフとよく言われておりましが
違う2名の人物による作だっと初めて知り、大変勉強になりました!
戦前のフーゴマイヤーはどれもプリモプランのように収差を遺したクセのある描写が面白いですね。
クルトベンツィンのレコード・プリマーというナハトカメラで撮った時に、ルドルフ設計と言われるプラズマート9cmf1.5の描写から、プリモプランもルドルフ作だと思い込んでおりました(笑)
日野様
削除はじめまして。ルドルフ作であればもっと値段が高かったのかもしれませんが、そうでなかったのは残念なことです。しかし、プリモプランを発明したロシュラインにしろルドルフにしろ、1933年まで同じ会社の設計部にいたわけですから、1934年発表のプリモプランに対して、ルドルフから何らかの助言があったと考えるのは自然なことですよね。たとえば、プリモプランは第2エレメントが張り合わせレンズ(旧色消ししレンズ)になっていますが、これはルドルフの発明したプロターの前群そのものです。この場合はエルノスターにプロター的な要素を取り込んだのがプリモプランという推論になります。
>違う2名の人物による作だっと初めて知り、大変勉強になりました!
プリモプランの基本部分はロシュラインですがロシュラインは
1936年にトロニエのいるシュナイダーに移籍しますので、
後任のシェーファーが新たな設計士となり、エキザクタへの
適合のための再設計を一人でおこいました。
その証拠に1937年のプリモプラン58mmの特許資料には
ロシュラインの名前がありません。
>戦前のフーゴマイヤーはどれもプリモプランのように収差を遺したクセのある
>描写が面白いですね。
そうですね。kino-plasmatにしてもそうですが中央しか解像しないレンズを当時は平気で造っていたわけですし。平坦性や均一性を放置し、代わりに何かを狙っていたのではないかと思うと、なんだかワクワクします。
コメントありがとうございました。
Spiral様
返信削除ついにPrimoplanを見つけました。
試写させてもらいそのホロホロと崩壊しそうな危うい写りをひと目みて購入を決めました。
すごいレンズですね。
写りに振り回される点ではまさにロデオといった感じで被写体を見つける度、ワクワクします。
今回見つけたレンズはごくわずかですがクモリがあります。とはいえ十分に楽しめる魅力的なレンズです。
ヨッピーさん
削除手に入れましたね!せっかくですから、フルサイズ機で使いたいレンズですね。
私は逆に今、Doppel-protarの優等生的な写りに癒されています。
NOCTOの協力を得て、私はNikon Fマウント化改造を施したMeyer-Optikのレンズを数本 有していました。
返信削除そのうち数本は手放してしましたが、Primoplan 58mm F1.9はまだ手元に残っています。
このレンズは、spiralさんがお書きになっているように、
> 中央しか解像しないレンズを当時は平気で造っていた
ですし、
> 薄いベールがかかったような描写傾向
なものですから、なかなか使いこなせません。
> 平坦性や均一性を放置し、代わりに何かを狙っていたのではないかと思うと、なんだかワクワクします。
まったくです。ただ、私の場合、短気なもので、ワクワクの前にイライラですが。(笑)
さて、spiralさんのこの記事を読み返してあることに気が付きました。
> Stephan Roeschlein:Hugo Meyer社に1936年まで在籍しPrimoplan以外にもTelemegor(テレメゴール)シリーズの設計 (中略)
> 第二次世界大戦終戦後は自身のレンズ専門会社Roeschlein-Kreuznachを設立している。Roeschlein社では自社ブランドのLuxonシリーズを生産し、
Luxonも後玉がかなり後方に出ていて、一眼レフでの使用が困難なレンズですが、ミラーレス一眼のおかげで、インターネット上でいろいろ作例が見れるようになりました。
同じ人が設計したのだからある意味当然なのでしょうが、Roeschlein-Kreuznach Luxon 50mm F2の描写は、このMeyer-Optik Primoplan 58mm F1.9のそれに非常によく似ています。
そして、Luxon 50mm F2が何に搭載されていたか、といえば、Braun社Paxetteのようなレンジファインダーの普及価格帯カメラでした。
そういうカメラで、典型的な市民ユーザが一番多く撮るのは何か。
家族や知人の日常、あるいは外出先の姿ではないでしょうか。
そう、人物を「日の丸構図」で撮影するとき、このレンズはその能力を最大に発揮するのではないか、ということです。
多分、Luxon 2/50 や Primoplan 1.9/58のようなレンズを使った撮影に限っては、凝った構図にしてはイカンのです。
イッヒッヒ。
残念ながら、私には、M42レンズを幾つもだしているMeyer-Optik製品に関して、どのレンズがどういうカメラとよく組み合わせられていたか、がよく分かりません。
これが分かると、このレンズ設計の狙いについて、推理が一歩進みそうな気がします。
>多分、Luxon 2/50 や Primoplan 1.9/58のようなレンズを使った撮影に限っては、
削除>凝った構図にしてはイカンのです。
なるほど。面白い。ただし、このプリモプランはもともと映画用のキネエキザクタに搭載するレンズとして設計されたPrimoplan 5.8cm F1.9が原点でして、シネマ用の用途も「日の丸構図」を許容できると言われています。Luxonは確かに市民ユーザ向けだと思います。
>残念ながら、私には、M42レンズを幾つもだしているMeyer-Optik製品に関して、
>どのレンズがどういうカメラとよく組み合わせられていたか、がよく分かりません。
>これが分かると、このレンズ設計の狙いについて、推理が一歩進みそうな気がします。
そうですね。Meyerは設計理念の良く分からないレンズが多いです。