OPREMAが実現させた未踏の超広角レンズ
Carl Zeiss Jena DDR FLEKTOGON 20mm F4
フレクトゴン(Flektogon)は旧東ドイツの人民公社カールツァイス・イエナ(VEB Carl Zeiss Jena)が一眼レフカメラ用に開発した広角レトロフォーカス型レンズのブランドである。その第一弾は1952年に焦点距離35mmで登場し、黎明期のレトロフォーカス型レンズの中においてコマ収差を有効に補正できる唯一無二の存在として注目された(文献[2])。続く1959年には焦点距離を25mmまで短縮させたフレクトゴン25mm F4を開発し、翌1960年のLeipzig Spring Fairで発表、さらに西側の競合他社が送り出したアンジェニュー (Angenieux) R61 3.5/24mmやイスコ社ウエストロゴン (Westrogon) 4/24mmなどの猛追を退けるため、翌1961年10月には焦点距離を20mmまで短縮させた新型モデルを発表している(文献[4])。このレンズが実際に登場したのは発表から2年後の1963年春に開催されたLeipzig Spring Fairからで、市場に出回り始めたのは同年夏からとなっている。その後の1964年11月(シリアル番号7,206,500以降)に光学設計がマイナーチェンジされている。レンズの販売額は487マルクと当時としては高価であったが、焦点距離20mmのレンズでしか撮れない写真が撮れるとあって、たいへんな人気商品となり、世界中の写真家達がフレクトゴン20mmを愛用した。フレクトゴン4/20は1970年代も生産が続き、後継モデルのMC Flektogon 2.8/20(Eberhard DietzschとGudrun Schneiderが設計)と短期間だけ同時供給された時期もあったが、1978年に生産を終了している。
フレクトゴン4/25と4/20を設計したのはZeissのレンズ設計士W.ダンベルグ(Wolf Dannberg)とE.ディーチェ(Eberhard Dietzsch)で、ダンベルグはPancolar 50mm F1.8(1965年登場)とPrakticar 135mm F3.5(1965年設計)、ディーチェはSonnar 180mm F2.8(6x6フォーマット用1959年設計)、Flektogon 20mm F2.8(1971年設計)、Prakticar 50mm F1.4(1979年設計)、Prakticar 28mm F2.8(1976年設計)、Prakticar 200mm F2.8(1979年設計)を手がけた人物でもある。彼らは同社のコンピュータエンジニアW.カメレル(Wilhelm Kämmerer)とH.コルトム(Herbert Kortum)らが率いる技術チームの協力を借り、同チームが1955年に完成させた最新式コンピュータのオプリーマ(Oprema= OPtik-REchen-MAschineの略)を利用することで、それまで人の手による計算では不可能とされてきた超広角レンズの複雑な設計に取り組んだ(文献[5])。オプリーマはレンズの光線軌道計算を主目的とする旧東ドイツ初のリレー式コンピュータ(クロック周波数は約100ヘルツ)であり、一回の和算を120ミリ秒、乗算と除算を800ミリ秒で処理することができる優れた演算処理性能を備えていた。それまで120人ものチームで取り組んでいた光線軌道計算が1台のコンピュータのタスクに置き換わり、正確かつ短時間で結果が出せるようになったのだ。Flektogon 4/25と4/20では前群に据えた2枚の発散性メニスカスにより、レトロフォーカス型レンズで一般的にみられる樽型歪曲の補正に成功している(文献[6])。世界に先駆けレンズ設計にコンピュータを導入したZeiss Jenaは1960年代も光学分野における世界のリーディングカンパニーとして活躍し続ける事になる。西側光学メーカーの猛追を退け、更なる高みへと躍進を遂げたZeiss Jenaの采配の陰には、当時の数学部部長でフレクトゴンの生みの親でもあるH.ツェルナーの尽力があった(文献[7])。
★参考文献
[1] Marco Kröger Zeissikonveb.de (2016)
[2] Flektogon 35mm特許 US2793565(May 28,1957/Filed April 1955)
[3] オールドレンズライフ VOL.6 玄光社MOOK 澤村徹 編著(2016)
[4] Flektogon 20mm特許 DDR Pat.30477 (1963)
[5] robotrontechnik.de: Computer OPREMA (29.11.2016)
[6] DDR Pat. 23457(1955); Pat.GDR No.17177(1956)
[7] H. Zollner, The Photo Lens in Practice, Development and Manufacturing, Jenaer Rundschau, 2/56, p.36ff
[8] オールドレンズパラダイス 澤村 徹 (著), 和田 高広 (監修, 監修) 翔泳社(2008)
★入手の経緯フレクトゴン4/25と4/20を設計したのはZeissのレンズ設計士W.ダンベルグ(Wolf Dannberg)とE.ディーチェ(Eberhard Dietzsch)で、ダンベルグはPancolar 50mm F1.8(1965年登場)とPrakticar 135mm F3.5(1965年設計)、ディーチェはSonnar 180mm F2.8(6x6フォーマット用1959年設計)、Flektogon 20mm F2.8(1971年設計)、Prakticar 50mm F1.4(1979年設計)、Prakticar 28mm F2.8(1976年設計)、Prakticar 200mm F2.8(1979年設計)を手がけた人物でもある。彼らは同社のコンピュータエンジニアW.カメレル(Wilhelm Kämmerer)とH.コルトム(Herbert Kortum)らが率いる技術チームの協力を借り、同チームが1955年に完成させた最新式コンピュータのオプリーマ(Oprema= OPtik-REchen-MAschineの略)を利用することで、それまで人の手による計算では不可能とされてきた超広角レンズの複雑な設計に取り組んだ(文献[5])。オプリーマはレンズの光線軌道計算を主目的とする旧東ドイツ初のリレー式コンピュータ(クロック周波数は約100ヘルツ)であり、一回の和算を120ミリ秒、乗算と除算を800ミリ秒で処理することができる優れた演算処理性能を備えていた。それまで120人ものチームで取り組んでいた光線軌道計算が1台のコンピュータのタスクに置き換わり、正確かつ短時間で結果が出せるようになったのだ。Flektogon 4/25と4/20では前群に据えた2枚の発散性メニスカスにより、レトロフォーカス型レンズで一般的にみられる樽型歪曲の補正に成功している(文献[6])。世界に先駆けレンズ設計にコンピュータを導入したZeiss Jenaは1960年代も光学分野における世界のリーディングカンパニーとして活躍し続ける事になる。西側光学メーカーの猛追を退け、更なる高みへと躍進を遂げたZeiss Jenaの采配の陰には、当時の数学部部長でフレクトゴンの生みの親でもあるH.ツェルナーの尽力があった(文献[7])。
★参考文献
[1] Marco Kröger Zeissikonveb.de (2016)
[2] Flektogon 35mm特許 US2793565(May 28,1957/Filed April 1955)
[3] オールドレンズライフ VOL.6 玄光社MOOK 澤村徹 編著(2016)
[4] Flektogon 20mm特許 DDR Pat.30477 (1963)
[5] robotrontechnik.de: Computer OPREMA (29.11.2016)
[6] DDR Pat. 23457(1955); Pat.GDR No.17177(1956)
[7] H. Zollner, The Photo Lens in Practice, Development and Manufacturing, Jenaer Rundschau, 2/56, p.36ff
[8] オールドレンズパラダイス 澤村 徹 (著), 和田 高広 (監修, 監修) 翔泳社(2008)
レンズはeBayやヤフオクにたくさん流通しており、価格はM42マウントのモデルが30000円~40000円程度、Exaktaマウントのモデルが20000円~30000円程度で取引されている。eBayとヤフオクでの価格に大差はない。今回紹介する製品個体は2013年頃にeBayを介し、米国のカメラ店から350ドル+送料22ドルの即決価格で入手した。自身として2本目で、一度は売却したもののI miss you、後悔の末に買いなおしたレンズだ。オークションでの記述は「新品に近い状態で、光学系はパーフェクトコンディション。絞りの開閉やフォーカスリングの回転はスムーズだ。外観は写真で確認してくれ」とのこと。届いた品はやはり非常に良好なコンディションで、ホコリの混入も極めて少ないクリーンなレンズであった。レンズのマウントネジにスレ跡が全く見られないので、ほぼ未使用の個体だったのであろう。
フレクトゴン20mmとの出会いは澤村徹さんが2008年頃にパソコン雑誌のPC Fanに寄稿していた「吾輩は寫眞機である」の連載記事であった(文献[3])。当時、一眼レフカメラで使用できる「MF仕様の寄れる広角レンズ」を探していた私はジャストミートでこの記事を読み、フレクトゴンのド迫力な前玉とレトロなゼブラ柄デザインの虜になったのだ。さんざん探しeBayを介してウクライナのカメラ屋から入手したのが、最初に手に入れた1本目の個体であった。そうした経緯もあり、澤村さんの1冊目の著書「オールドレンズパラダイス」を発売前に予約で購入し、オールドレンズに対する知識を深めた(文献[8])。何とマウントアダプターよりもフレクトゴンを先に入手してしまったわけで、どうしたものかと困っていたところ、アダプターについて丁寧な解説のあるこの本に救助されたのを今でもよく覚えている。
★撮影テスト
焦点距離20mmのフレクトゴンでしか撮れない写真がある。1960年代当時、487マルクもした高価なレンズが大ヒット商品となるには十分な理由であった。時代的には焦点距離35mmの広角レトロフォーカスがようやく成熟期に達した頃であり、ドイツの光学メーカー各社はやっとの思いでレンジファインダー機用のビオゴン35mmに匹敵するシャープな画質を一眼レフカメラでも実現できるようになったばかりであった。これに対し、ツァイス・イエナは更なる高みを目指し、焦点距離20mmのウルトラワイドレンズを実現させるべく、未踏の領域を突き進んでいたわけだ。
フレクトゴン20mmは開放でも収差が充分にコントロールされており、初期のレトロフォーカス型レンズによくあるモヤモヤとしたフレア(コマフレア)も十分に抑えられている。また、この種のレンズでは一般的に見られる樽型の歪みも非常に小さい。ピント部は開放からヌケがよく、クリアでシャープな像が得られる。解像力はダブルガウスやトリプレットに比べると明らかに見劣りするが、レトロフォーカス型レンズとしては良好な水準である。階調描写は明らかに軟調でオールドレンズらしいなだらかなトーン描写であり、発色も逆光時は淡泊になる。ただし、中間部の階調は豊富で深く絞り込んでも硬くなることはない。ボケはレトロフォーカス型レンズらしく概ね安定感があり、グルグルボケは近接域で極僅かに出る程度で全く目立たない。テレセントリック(光の直進性)を考慮していない広角レンズを大型のイメージセンサーを搭載したミラーレス機で使用する際には、周辺部で色被りの発生が問題となる事があるが、フレクトゴンの場合はバックフォーカスの長い一眼レフカメラ用レンズなので、この点については大きな問題にならない。コントロールできない弱点と言えば、逆光に弱くゴーストやハレーション(ベーリング・グレア)が出やすい点であろう。最短撮影距離が16cmと極めて短いため、パースペクティブを活かしたマクロ撮影により、このレンズならではの迫力のある作品を創出できる。
私にとってフレクトゴン20mmのような超広角(ウルトラワイド)レンズは常用せずに何処かにしまい込み、年に数回程度持ち出す程度でちょうどよい。ときどき飛び道具のように持ち出すと、ある種のショックに近い解放感が得られ、写真を撮ることがますます楽しくなる「リフレッシュ・アイテム」なのだ。極めて広い包括画角、極めて深い被写界深度、極めて短い最短撮影距離まで縦横無尽に活躍できる東欧の大怪獣フレクトゴン。強烈なパースペクティブ(遠近感)とパンフォーカス効果に打ちのめされれば、写真表現に新たなインスピレーションが生まれるに違いない。今回はデジタルカメラのSony A7と35mm銀塩カメラの双方でフレクトゴンの楽しさを思いきり堪能してみた。このレンズを使い始めて8年になるが、今でも持ち出すたびにドキドキとした鼓動の高鳴りを感じる。
★デジタル撮影★
F8, sony A7(AWB): |
F8, sony A7(AWB): |
F11, sony A7(AWB): |
F8, sony A7(AWB) |
F4, sony A7(AWB) |
★銀塩撮影★
F8, 銀塩撮影(Fujifilm 業務用カラーネガISO400) |
F11, 銀塩撮影(Fujifilm 業務用カラーネガISO400) |
F5.6, 銀塩撮影(Fujifilm 業務用カラーネガISO400) |
F5.6, 銀塩撮影(Fujifilm 業務用カラーネガISO400) |