おしらせ


MAMIYA-TOMINONのページに写真家・橘ゆうさんからご提供いただいた素晴らしいお写真を掲載しました!
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2017/01/02

Carl Zeiss Jena Flektogon 20mm F4 (M42) Rev.2

1952年に広角レトロフォーカス型レンズのフレクトゴン 35mmを世に送り出し、この分野を独走していた人民公社カールツァイス・イエナが次に取り組んだのは、焦点距離の更に短い超広角レンズの開発である。包括画角90度を超える超広角レンズの開発はこれまでどのメーカーも成し得なかった未踏の領域への挑戦であった。レンズの設計は極めて複雑で困難になることが予想されたが、ツァイス・イエナは1955年に世界に先駆けレンズ設計用のリレー式コンピュータOPREMAを開発し、技術的なハードルを乗り越えている(文献[1])。
OPREMAが実現させた未踏の超広角レンズ
Carl Zeiss Jena DDR FLEKTOGON 20mm F4
フレクトゴン(Flektogon)は旧東ドイツの人民公社カールツァイス・イエナ(VEB Carl Zeiss Jena)が一眼レフカメラ用に開発した広角レトロフォーカス型レンズのブランドである。その第一弾は1952年に焦点距離35mmで登場し、黎明期のレトロフォーカス型レンズの中においてコマ収差を有効に補正できる唯一無二の存在として注目された(文献[2])。続く1959年には焦点距離を25mmまで短縮させたフレクトゴン25mm F4を開発し、翌1960年のLeipzig Spring Fairで発表、さらに西側の競合他社が送り出したアンジェニュー (Angenieux) R61 3.5/24mmやイスコ社ウエストロゴン (Westrogon)  4/24mmなどの猛追を退けるため、翌1961年10月には焦点距離を20mmまで短縮させた新型モデルを発表している(文献[4])。このレンズが実際に登場したのは発表から2年後の1963年春に開催されたLeipzig Spring Fairからで、市場に出回り始めたのは同年夏からとなっている。その後の1964年11月(シリアル番号7,206,500以降)に光学設計がマイナーチェンジされている。レンズの販売額は487マルクと当時としては高価であったが、焦点距離20mmのレンズでしか撮れない写真が撮れるとあって、たいへんな人気商品となり、世界中の写真家達がフレクトゴン20mmを愛用した。フレクトゴン4/20は1970年代も生産が続き、後継モデルのMC Flektogon 2.8/20(Eberhard DietzschとGudrun Schneiderが設計)と短期間だけ同時供給された時期もあったが、1978年に生産を終了している。
フレクトゴン4/25と4/20を設計したのはZeissのレンズ設計士W.ダンベルグ(Wolf Dannberg)とE.ディーチェ(Eberhard Dietzsch)で、ダンベルグはPancolar 50mm F1.8(1965年登場)とPrakticar 135mm F3.5(1965年設計)、ディーチェはSonnar 180mm F2.8(6x6フォーマット用1959年設計)、Flektogon 20mm F2.8(1971年設計)、Prakticar 50mm F1.4(1979年設計)、Prakticar 28mm F2.8(1976年設計)、Prakticar 200mm F2.8(1979年設計)を手がけた人物でもある。彼らは同社のコンピュータエンジニアW.カメレル(Wilhelm Kämmerer)とH.コルトム(Herbert Kortum)らが率いる技術チームの協力を借り、同チームが1955年に完成させた最新式コンピュータのオプリーマ(Oprema= OPtik-REchen-MAschineの略)を利用することで、それまで人の手による計算では不可能とされてきた超広角レンズの複雑な設計に取り組んだ(文献[5])。オプリーマはレンズの光線軌道計算を主目的とする旧東ドイツ初のリレー式コンピュータ(クロック周波数は約100ヘルツ)であり、一回の和算を120ミリ秒、乗算と除算を800ミリ秒で処理することができる優れた演算処理性能を備えていた。それまで120人ものチームで取り組んでいた光線軌道計算が1台のコンピュータのタスクに置き換わり、正確かつ短時間で結果が出せるようになったのだ。Flektogon 4/25と4/20では前群に据えた2枚の発散性メニスカスにより、レトロフォーカス型レンズで一般的にみられる樽型歪曲の補正に成功している(文献[6])。世界に先駆けレンズ設計にコンピュータを導入したZeiss Jenaは1960年代も光学分野における世界のリーディングカンパニーとして活躍し続ける事になる。西側光学メーカーの猛追を退け、更なる高みへと躍進を遂げたZeiss Jenaの采配の陰には、当時の数学部部長でフレクトゴンの生みの親でもあるH.ツェルナーの尽力があった(文献[7])。
Flektogon 20mm F4の光学系(文献[4]からのトレーススケッチ)。構成は6群10枚のレトロフォーカス型である。Flektogon 20mmにはDannbergらが考案した歪みを抑える新たな設計技法(Pat.GDR No.17177, 22nd Dec.1956)が導入されている。この技法はOpremaの力を借りて実現したものであり、広角レンズでは一般的にみられる樽型歪曲収差を前群に設けた2枚の発散性メニスカスを利用して抑えている。この設計技術ははじめ1955年の広角化アタッチメントの開発に利用された(文献[6])
参考文献
[1]     Marco Kröger Zeissikonveb.de  (2016)
[2] Flektogon 35mm特許 US2793565(May 28,1957/Filed April 1955)
[3] オールドレンズライフ VOL.6 玄光社MOOK 澤村徹 編著(2016)
[4]  Flektogon 20mm特許 DDR Pat.30477 (1963)
[5]  robotrontechnik.de: Computer OPREMA (29.11.2016)
[6] DDR Pat. 23457(1955); Pat.GDR No.17177(1956)
[7]  H. Zollner, The Photo Lens in Practice, Development and Manufacturing, Jenaer Rundschau, 2/56, p.36ff
[8] オールドレンズパラダイス 澤村 徹  (著), 和田 高広 (監修, 監修) 翔泳社(2008)

入手の経緯
レンズはeBayやヤフオクにたくさん流通しており、価格はM42マウントのモデルが30000円~40000円程度、Exaktaマウントのモデルが20000円~30000円程度で取引されている。eBayとヤフオクでの価格に大差はない。今回紹介する製品個体は2013年頃にeBayを介し、米国のカメラ店から350ドル+送料22ドルの即決価格で入手した。自身として2本目で、一度は売却したもののI miss you、後悔の末に買いなおしたレンズだ。オークションでの記述は「新品に近い状態で、光学系はパーフェクトコンディション。絞りの開閉やフォーカスリングの回転はスムーズだ。外観は写真で確認してくれ」とのこと。届いた品はやはり非常に良好なコンディションで、ホコリの混入も極めて少ないクリーンなレンズであった。レンズのマウントネジにスレ跡が全く見られないので、ほぼ未使用の個体だったのであろう。
フレクトゴン20mmとの出会いは澤村徹さんが2008年頃にパソコン雑誌のPC Fanに寄稿していた「吾輩は寫眞機である」の連載記事であった(文献[3])。当時、一眼レフカメラで使用できる「MF仕様の寄れる広角レンズ」を探していた私はジャストミートでこの記事を読み、フレクトゴンのド迫力な前玉とレトロなゼブラ柄デザインの虜になったのだ。さんざん探しeBayを介してウクライナのカメラ屋から入手したのが、最初に手に入れた1本目の個体であった。そうした経緯もあり、澤村さんの1冊目の著書「オールドレンズパラダイス」を発売前に予約で購入し、オールドレンズに対する知識を深めた(文献[8])。何とマウントアダプターよりもフレクトゴンを先に入手してしまったわけで、どうしたものかと困っていたところ、アダプターについて丁寧な解説のあるこの本に救助されたのを今でもよく覚えている。
Carl Zeiss Jena DDR Flektogon 20mm F4(M42マウント): 重量(実測)320g, 絞り F4-F22, 最短撮影距離 0.15m, フィルター径 77mm, 絞り羽根 6枚構成, 対応マウントはM42とExakta (Praktina用は焦点距離25mmのモデルの供給され、20mmのモデルは供給されなかった)。フレクトゴンという名称はラテン語の「曲がる、傾く」を意味するFlectoにギリシャ語の「角」を意味するGonを組み合わせたものを由来としている

撮影テスト
焦点距離20mmのフレクトゴンでしか撮れない写真がある。1960年代当時、487マルクもした高価なレンズが大ヒット商品となるには十分な理由であった。時代的には焦点距離35mmの広角レトロフォーカスがようやく成熟期に達した頃であり、ドイツの光学メーカー各社はやっとの思いでレンジファインダー機用のビオゴン35mmに匹敵するシャープな画質を一眼レフカメラでも実現できるようになったばかりであった。これに対し、ツァイス・イエナは更なる高みを目指し、焦点距離20mmのウルトラワイドレンズを実現させるべく、未踏の領域を突き進んでいたわけだ。
フレクトゴン20mmは開放でも収差が充分にコントロールされており、初期のレトロフォーカス型レンズによくあるモヤモヤとしたフレア(コマフレア)も十分に抑えられている。また、この種のレンズでは一般的に見られる樽型の歪みも非常に小さい。ピント部は開放からヌケがよく、クリアでシャープな像が得られる。解像力はダブルガウスやトリプレットに比べると明らかに見劣りするが、レトロフォーカス型レンズとしては良好な水準である。階調描写は明らかに軟調でオールドレンズらしいなだらかなトーン描写であり、発色も逆光時は淡泊になる。ただし、中間部の階調は豊富で深く絞り込んでも硬くなることはない。ボケはレトロフォーカス型レンズらしく概ね安定感があり、グルグルボケは近接域で極僅かに出る程度で全く目立たない。テレセントリック(光の直進性)を考慮していない広角レンズを大型のイメージセンサーを搭載したミラーレス機で使用する際には、周辺部で色被りの発生が問題となる事があるが、フレクトゴンの場合はバックフォーカスの長い一眼レフカメラ用レンズなので、この点については大きな問題にならない。コントロールできない弱点と言えば、逆光に弱くゴーストやハレーション(ベーリング・グレア)が出やすい点であろう。最短撮影距離が16cmと極めて短いため、パースペクティブを活かしたマクロ撮影により、このレンズならではの迫力のある作品を創出できる。
私にとってフレクトゴン20mmのような超広角(ウルトラワイド)レンズは常用せずに何処かにしまい込み、年に数回程度持ち出す程度でちょうどよい。ときどき飛び道具のように持ち出すと、ある種のショックに近い解放感が得られ、写真を撮ることがますます楽しくなる「リフレッシュ・アイテム」なのだ。極めて広い包括画角、極めて深い被写界深度、極めて短い最短撮影距離まで縦横無尽に活躍できる東欧の大怪獣フレクトゴン。強烈なパースペクティブ(遠近感)とパンフォーカス効果に打ちのめされれば、写真表現に新たなインスピレーションが生まれるに違いない。今回はデジタルカメラのSony A7と35mm銀塩カメラの双方でフレクトゴンの楽しさを思いきり堪能してみた。このレンズを使い始めて8年になるが、今でも持ち出すたびにドキドキとした鼓動の高鳴りを感じる。

デジタル撮影
F8, sony A7(AWB): 




F8, sony A7(AWB): 

F11, sony A7(AWB): 






F8, sony A7(AWB)

F4, sony A7(AWB)








銀塩撮影
F8, 銀塩撮影(Fujifilm 業務用カラーネガISO400)


F11, 銀塩撮影(Fujifilm 業務用カラーネガISO400)
F5.6, 銀塩撮影(Fujifilm 業務用カラーネガISO400)












F5.6, 銀塩撮影(Fujifilm 業務用カラーネガISO400)

2016/12/09

LZOS INDUSTAR 61L/Z-MC 50mm/F2.8 (M42 mount) Rev.2


きらきらと輝く六芒星(ろくぼうせい)
カメラ女子の間で人気沸騰中の星ボケレンズ
LZOS INDUSTAR 61L/Z-MC 50mm/F2.8 (M42 mount)
いまカメラ女子の間でこのレンズがブームとなっており、ブログのアクセス解析にも、その過熱ぶりがハッキリとあらわれている。ロシア(旧ソビエト連邦)のLZOS(リトカリノ光学ガラス工場)が1960年代から2005年頃まで製造したIndustar (インダスター) 61 L/Zである。このレンズはアウトフォーカス部の点光源が星型の形状にボケる、いわゆる「星ボケレンズ」として知られている[文献1]。
去る10月のある日、私はJR山手線のシートに腰かけ、東京駅から上野駅を目指していた。気が付くと目の前に若い2人のカメラ女子が立ち、何やらインダスターの話題になっていた。しばらく耳を傾けていると・・・

「A: ねぇ、メール見た?例の星ボケが出るヤツ(レンズ)なんだけど。」
「B: みたよ。インダスターでしょ?でも、あれってフィルターでも同じことできるんじゃないの?」
「A: うんそうなんだけど、やっぱフィルターとは効果が全然違うんだよねぇ~」
「B: そうなんだ。どこかで試せるといいけど」
「A:ネットにはいっぱい写真出てるから参考になるとおもうよ。スパイラルっていうブログみた?」
「B: あぁ。みたみた。マニアのブログでしょ。なんか難しい事がいっぱい書いてあったわ(←spiral補足:偏差値上げてね)」
「A: ヤフオクに出てるけど、1万円くらいからあるみたい。でもやっぱり現物を見ないと、状態はわからないわ。取引も怖いし。店で試せるといいんだけどね。10月8日の代官山は行ける?」
「B: 即売会だっけ?(←spiral補足:恐らく北村写真機店の体験即売会のことでしょう)。ちょっと予定が入ってるんだよね。友達と映画。何時からやってるの?」

おおよそ、こんな内容のやり取りであった。レンズが少し気になりヤフオクで相場を検索してみると、中古美品が18000~25000万円程度の額で取引されている。ちなみに6年前~1年前の相場は10000~14000円程度で安定していたので、レンズの相場が上昇したのはごく最近になってからのことだ。あるショップの店員によると、レンズを購入するのは主にカメラ女子なのだとか。今になってカメラ女子達がザワつきはじめたのは、紛れもなく写真家・山本まりこさんが9月に出した著書「オールドレンズ撮り方ブック」が発端であろう[文献2]。本ブログもフルサイズ機の普及に合わせ、過去のブログエントリーを刷新している最中なので、これはいい機会である。黒船の放つ波にのり、このレンズを再び取り上げてみることにした。

インダスター61L/Zのルーツは、ロシアの光学研究を統括するGOI(Gosudarstvennyy Opticheskiy InstituteまたはVavilov State Optical Instituteでもある)という研究機関が1958年から1960年まで少量のみ生産したプロトタイプレンズのIndustar-61 5.2cm f2.8(Zorki-M39 mount)である[文献3-5]。レンズを設計したのはG.スリュサレフ(G.G.Sliusarev)とW.ソコロフ(W.Sokolov)という名のエンジニアで、1958年に正のレンズエレメントに希土類のランタンを含む新種光学ガラスSTK-6を用いることで、それまでのインダスターシリーズに比べ、光学性能を飛躍的に高めたとされている。Industar-61は設計の古いFED-2用Industar-26M 50mm F2.8(1955年登場, Zenit-M39マウント)の後継製品として1962年に登場している[文献5]。この頃のIndustar-61は主にFED(ハリコフ機械工場)とMMZ(ミンスク機械工場)が製造し、焦点距離52mmや53mmなどのモデルが供給されていたが、1964年頃からはLZOS(リトカリノ光学ガラス工場)がレンズの生産に参入し、焦点距離を50mmとするIndustar-61Lを生産するようになった。
Industar 61L/Zの光学系(文献4からのトレーススケッチ): 左が前玉で右がカメラ側である。構成は3群4枚のテッサー型で、肉厚ガラスが用いられているのが特徴である。ランタン系の新種ガラスSTK-6が導入され正エレメントの屈折力が旧来からのガラスの倍にまで向上、ペッツバール和と色収差の同時補正が可能になり、F2.8の口径比が無理なく実現されている
Industarというレンズの名は1929年にロシアで始まった工業化5か年計画のIndustrizationから来ており、これにテッサータイプのレンズで共通して用いられる接尾語の"-AR"をつけてIndustarとなったそうである。61はロシア製レンズの中で用いられる通し番号で、テッサータイプの61番目の製品であることを意味している。
1960年代後半にはレンズをZenit-M39/M42マウントの一眼レフカメラに適合させたLZOS製Industar 61L/Z 50mm F2.8が登場し、この頃から絞り羽を閉じたときの形状が六芒星になった。レンズ名の末尾に付いている頭文字Lはガラスに用いられているランタンを差し、ZはZenitカメラ用を意味しているとのこと[文献6]。現在の市場に出回っている製品は大半がM42マウントであるが、比較的少量ながらZenit-M39マウントの個体も流通している。
Industar 61L/Zはガラス面に用いられているコーティングの種類に応じ、3種類のモデルに大別することができる。1つめは初期の1960年代から1970年代に製造されたモデルで、ガラス面には単層コーティングが施されていた。一方で1980年代初頭からはマゼンダ色のマルチコーティングが施されるようになっている。ただし、1980年代後期に製造された一部の個体からはアンバー系のコーティングが施された変則的なモデルもみつかる。Industar 61L/Zがロシアでいつまで生産されていたのか正確なところは定かではないが、市場に出回る製品個体のシリアル番号からは、少なくとも2005年まで生産されていたことが明らかになっている。
 
参考文献
  • 文献1 「OLD LENS PARADISE」 澤村徹著 和田高広監修 翔泳社(2008)
  • 文献2 「山本まりこのオールドレンズ撮り方ブック」 山本まりこ著 玄光社(2016)
  • 文献3 GOI lens catalogue 1963
  • 文献4 A. F. Yakovlev Catalog The objectives: photographic, movie, projection, reproduction, for the magnifying apparatuses, Vol. 1(1970) ロシア製レンズが全て網羅されているカタログ資料
  • 文献5 SovietCams.com
  • 文献6 レンズに付属した取り扱い説明書
入手の経緯
ロシアのカメラ屋から新品(オールドストック)を99ドル(送料込み)で購入した。レンズには純正のプラスティックケースとシリアル番号付きのレシート、ロシア語で書かれたマニュアルが付属していた。このセラーは2004年製の新品をかなりの数保有しているようであった。インダスター61L/Zは絞り羽に油シミの出ている個体が大半であるが、今回入手した2004年製の個体は比較的新しいためか油染みが全くみられなかった。レンズはヤフオクの転売屋が中古品を数多く取り扱っており、流通量も豊富である。ヤフオクでの相場は中古美品が18000~20000円程度、海外では中古美品が6000円~8000円、新品が8000円~10000円程度で取引されている。国内市場で新品はなかなか出ないようだが、出れば20000円~25000円あたりの値が付くのであろう。人気が過熱気味の日本だけの相場なので、現在は送料を加味しても海外から入手したほうがお得であることは間違いない。
最短撮影距離:30cm, 絞り機構 プリセット式,  焦点距離 50mm, 絞り値 F2.8-F16, 撮影倍率1:約3.5, フィルター径 49mm, 重量(実測):212g, 設計構成 3群4枚テッサー型
撮影テスト
50mmの焦点距離を考えると星ボケを効果的に出せるのは被写体に近づいて接写を行う時のみに限定される。撮影方法はバブルボケの時と全く同じで、まずはじめにピカピカ光る光源をみつけ、フォーカスリングを回してボケ具合を決定する。ちなみに星型にボケるのは絞りを少し絞った時である。続いてピント部を飾るメインの被写体を見つけピントを合わせる。このとき被写体へのピント合わせはフォーカスリングを用いるのでなく、手でカメラを前後させて行うのがポイントである。こうすれば一度決定した背後のボケ具合に大きな変化はない。
昼間の撮影は夜間のイルミネーション撮影よりもテクニックが求められる。星ボケを効果的に発生させるには太陽光の反射を利用するわけだが、肝心なのは太陽に対して半逆光の条件で撮影することである。カメラの露出補正は+1EV程度オーバーに設定しておいたほうが、星ボケがクッキリと写るのでおススメである。あと、今回は人に見せられるような作例が見当たらなかったものの、前ボケを利用するのもよい。
レンズはシャープな描写で知られるテッサータイプである。開放でもスッキリとぬけたクリアな像が得られ、解像力こそ平凡だが、鮮やかな発色とメリハリのある高いコントラストを特徴としている。ボケは四隅まで安定しており、グルグルボケや放射ボケは出ない。同じF2.8のテッサー型レンズでも本家ツァイスのテッサーやフォクトレンダーのカラースコパーなどは背後に僅かにグルグルボケがみられるが、このレンズに関しては四隅までボケの乱れが一切みられない。ピント部の画質は四隅まで安定しており、像面も平らで平面性は高いが、そのぶん立体感には乏しい。ゴーストやハレーションは逆光時でも全くと言ってよいほどでない。F2.8のテッサータイプとしては、かなり優秀なレンズである。
F5.6, sony A7(AWB)
F5.6, sony A7(AWB): 

F5.6, sony A7(WB:電球)

F5.6, sony A7(WB:白色電球)

2016/12/04

Meyer-Optik Görlitz Diaplan 100mm F3 (projector lens)




ダイアプランの原点
Meyer-Optik Görlitz DIAPLAN 100mm F3
メイヤー・オプティック(Meyer-Optik)のトリプレット型レンズに対する拘りは強く、同社の看板レンズであるトリオプラン(Trioplan)にはF2.8, F2.9, F3, F3.5, F4.5など口径比の異なる様々なモデルが供給されている。中でも口径比F3はポートレート用のスペシャルモデルに位置づけられた経緯があり、流通している個体数が少ないのもさる事ながら、明るさと画質のバランスが絶妙なため、マニアの間では別格扱いされている。このトリオプランから派生したプロジェクター用レンズのダイアプラン(Diaplan)にも実は口径比F3のモデルが供給されており、描写傾向に対する興味は増すばかりである。100mmF3は140mm F3.5などと共に戦前から供給されてきたダイアプランシリーズの最古のモデルである。ダイアプランはトリオプランよりも安価であることに加え、写真用に改造することでトリオプラン同等のバブルボケを出すことができるため、近年になって人気が急上昇している(参考文献[0])。本ブログでもダイアプラン80mm F2.8や後継モデルのペンタコンAV ( Pentacon AV)100mm F2.8など、関連するレンズをこれまで何本か取り上げてきた。
ダイアプラン100mm F3についてはシリアル番号の独自調査により戦前の1930年よりも前の時代に早くも登場していることが判明しており(参考資料[1])、本ブログで今回取り上げる1本もシリアル番号が19万番の1920年代に製造された個体である。EXAKTA用やLEICA用として3種のTrioplan(10cm F2.8/10.5cm F2.8/12cm F4.5)が登場したのは1936年であるから、Diaplan 100mm f3はこれらよりも前に登場していたことになる。このモデルの生産は戦後もしばらく続き、1950年代にはガラス面にコーティングが施された個体も市場供給されているが、1960年代初頭に口径比が少し明るいダイアプラン100mm F2.8が登場し姿を消している(参考資料[2][3])。なお、メイヤー・オプティックは1968年にペンタコン人民公社(VEB Pentacon)に吸収され、それまでのメイヤーブランドは1971年以降にペンタコンブランドへと置わっており(参考資料[4][5])、ダイアプラン100mm f2.8についても設計構成は同一のままペンタコンAV (Pentacon AV)100mm f2.8へと改称されている。

入手の経緯
ノンコートモデル
2016年11月にeBayを介してドイツのカメラ屋アルパ・フォトグラフィーからレンズヘッドに純正ヘリコイドがついた状態の品を99ユーロ+送料6.5ユーロの即決価格で落札した。オークションの記述は「完全に良好な状態の実用品である。ガラスはクリアでカビはない」とのこと。届いたレンズは後玉が汚れていたので、クリーニングし完全にクリアになった。レンズにはプロジェクター本体に固定するための筒(末端が58mmネジ)が付属していたので、ここにM58中華製ヘリコイドを据え付け、ヘリコイドのカメラ側を58-39mmステップアップリングとM39-M42変換リングで末端処理し、M42レンズとして使用できるようにした。
Diaplan 100mm F3(戦前製), 重量(実測)145g(側部の鏡胴固定ネジは含まず), 設計構成は3群3枚のトリプレット型, ノンコート, シリアル番号197099(製造は1920年代)

コーティング付きモデル
2016年11月にeBayを介して競買の末、レンズヘッドのみをエクサクラウスさんから74ユーロ+送料8.6ユーロで落札した。オークションの記述は「ナイスコンディション。ガラスはちょっとだけクリーニングが必要だろう」とのこと。届いたレンズは中玉にやや汚れとゴミがあったが、構造が単純なので簡単に分解でき、クリーニングしたところクリアになった。ステップアップリングを用いてM52中華製ヘリコイド(17-31mm)に搭載すればM42レンズとして使用できるが、今回はより高伸長なヘリコイド(36-90mm)に搭載しsony A7で使用している。
Diaplan 100mm F3(戦後製):重量(実測) 195g(側部の鏡胴固定ネジは含まず) , 設計構成は3群3枚のトリプレット型, ガラス面にコーティングあり,  シリアル番号2240762(1950年代に生産された製品個体

参考資料
  • [0] レンズの時間 VOL.2 P43-P49 玄光社
  • [1] オークション取引歴の中にシリアル番号167XXXのDiaplan 100mm F3が見つかる。これは戦前の1930年よりも前の時代の製品である。
  • [2] 今回入手した1本はシリアル番号から1950年代後期に生産された個体である。ガラスにはコーティングが施されている。一方、オークションの取引歴には1952年製(シリアル番号130万番)のノンコートの個体もみつかる。メイヤーがコーティング蒸着装置を導入するのは1952年と遅かった。
  • [3] オークション取引歴の中には1960年代初頭に生産されたDiaplan 100mm F2.8(S/N: 2624XXX)がみつかる。参考資料[2]との前後関係から1960年前後にモデルチェンジが行われ、口径比がF3からF2.8に明るくなったものと判断できる。
  • [4]  オークション取引歴の中にDiaplan 100mm F2.8(S/N:6933XXX)が確認できるため、このモデルは少なくても1970年代初頭までは生産されていたと判断できる。1971年にMeyerブランドは全てPentaconブランドに置き換わっている。
  • [5] 東ドイツカメラの全貌(朝日ソノラマ)
M42マウントへの改造例
ダイアプランのレンズヘッドにはプロジェクター用のヘリコイドが付属していることが少なくないので、これを有効活用しM42マウントに改造する事例を示しておく。必要な部品はM52-M42ヘリコイドと、プロジェクター用ヘリコイドの末端を52mm径のネジにするために用いる52-62mmステップアップリングである。ステップアップリングは内側のネジ山をルーターで削り若干広げておく。これをプロジェクター用ヘリコイドの末端に被せ、側面からネジ留めすれば完成だ。無限遠のピントがほぼピタリと出ている。なお、今回はネジ留めではなくエポキシ接着で簡単に済ませた。ガッチリ接着してしまうと力ずくでも取り外すのは困難なので、3点留め位に手加減しておくのがよい。
レンズはダブルヘリコイド仕様になっているので普段はM52ヘリコイドを使い、マクロ撮影の時のみプロジェクター用ヘリコイドを繰り出して用いる。

撮影テスト
過去に本ブログで取り上げた口径比F2.8の後継モデルPentacon AV 100mmはピント部にややフレアが発生するソフトな描写傾向のレンズであったが、今回取り上げるDiaplan F3は、これよりもフレア量が少なくシャープな像が得られている。ただし、解像力は後継モデルの方が良い印象をうける。肝心のボケについては被写体の背後に強い光の集積をともなうハッキリとしたバブルボケを確認できた。コーティングつきモデルとコーティングなしモデルの画質的な差は階調描写性能のみで、コーティングのあるモデルの方がコントラストが良好で色乗りがよく、コーティングなしモデルの方が逆光撮影時にハレーションが出やすく、発色が淡白になる傾向がみられた。淡泊な描写を避けたいならばフードをしっかり装着し、デジカメのセッティングをビビットにすればよい。それ以外の解像力やボケ具合、フレア量などについて、両モデルはほぼ同等である。
コーティング付きモデル + sony A7(AWB): ボケの輪郭部に強が集まり、しっかりとしたバブルボケを形成している

コーティングつきモデル + sony A7(AWB):ピント部は四隅まで安定感のある描写で、滲みはPentacon AV 100mm F2.8に比べると少な目である
ノンコートモデル + sony A7(APS-C crop mode, WB:晴天): バブルの大きさを抑さえたい時にはAPS-Cモードに変え、引いてとるとよい
ノンコートモデル + sony A7(APS-C mode, AWB):こちらもマクロ域。バブルボケが大きくなりすぎるので、APS-Cモードの方がよい
ノンコートモデル + sony A7(APS-C mode, AWB): こういう被写体には軟調なノンコートレンズの描写がよく合う
コーティングつきモデル + sony A7(AWB): 背後の像がバブルボケを伴いながら崩壊している。たっ、楽しい!




コーティング付きモデル + sony A7(WB:晴天, クリエイティブスタイル Vivid): ノンコートレンズで彩度がほしいならデジカメの設定を変えればよい。この作例ではクリエイティブスタイルをノーマルからVIVIDに変更している

ノンコートモデル + sony A7(AWB): ノンコートレンズはもともとコーティング付きよりも軟調なので、長所を生かしハイキー気味に撮影するとライトトーンな写真になる。バブルボケの白さもアップ!













ノンコートモデル + sony A7(Full-frame mode, AWB): Diaplan 100mm F2.8との画質の差はフレア量であろう。モヤモヤとした滲みが苦手な人はDiaplan(Pentacon AV) 100mm F2.8よりもF3のモデルを選ぶ方がよいのかもしれない

2016/11/21

Carl Zeiss Jena Flektogon 35mm F2.8(M42/Exakta mount) 1st(silver), 2nd(zebla) and 3rd(black) Rev.2



1950年代初頭に登場した一眼レフカメラ用の広角レンズはテッサー(Tessar)やトリプレット(Triplet)など既存のレンズ構成をベースに、それら前方に近視補正用の眼鏡に相当する負のメニスカスレンズを配置する「レトロフォーカス化」と呼ばれる設計アプローチで作られた製品が一般的であった。既存のレンズ設計の助けを借りる必要があったのは、当初まだ複雑な構成のレンズを一から組み上げることが容易でなかったためで、これにはコンピュータによるレンズの自動設計法の登場を待たなければならなかった。自動設計法が実用化されるのは1960年代に入ってからの事である。ところが、レトロフォーカス化による当社のレンズはフレア(コマフレア)が多く発生する画質的には厳しいものばかりで、「一眼レフカメラは広角レンズに弱い」という印象が広まりつつあった。ただし、例外的に高い描写性能を発揮できた手本のようなレンズが存在したため、その後の広角レトロフォーカス型レンズの研究開発はこのレンズに追い付く事を一つの目標に、各社で急ピッチに進められた。 カールツァイス・イエナのフレクトゴン(Flektogon)35mm F2.8である。
フレクトゴンは、はじめから広角レンズとしての適正に富むビオメタール(Biometar)をベースに設計されており、フレアは少なく、ヌケの良いシャープな描写を実現できる当時唯一無二の存在であったため、絶大な人気を誇った。このレンズを模倣したロシアのMIR-1(D.S. Volosov, 1954年設計)がTair-11など他のレンズとともに、1958年のベルギー万博でグランプリを獲得したのは有名な話である。
1960年代に入るとNikkor-H 2.8cmF3.5を皮切りにフレアを有効に補正できるレンズが各社から次々と登場し、コンピュータによる自動設計法の普及にも後押しされ、フレクトゴンに対抗できるレンズがようやく登場するようになった。フレクトゴンの登場から8年後のことである。
ビオメタールから生まれた
ドイツ初の広角レトロフォーカス型レンズ
Carl Zeiss Jena Flektogon 35mm F2.8
フレクトゴン35mmはカールツァイス・イエナ人民公社のレンズ設計士ハリー・ツェルナー(Harry Zöllner)とルドルフ・ソリッシ(Rudolf Sorisshi)がレンジファインダー機のコンタックス(Contax)用に供給されていた広角ビオメタール 2.8/35を一眼レフカメラに適合させるという方針で開発し、1952年に登場させたドイツ初の広角レトロフォーカス型レンズである。ツェルナーはビオメタールの他にテッサーF2.8の戦後型やパンコラー F1.8を設計した人物でもある。抜群の描写性能を発揮したため大人気となり、コンタックスSやプラクチカ、エキザクタ、プラクチナ、ヴェラ(Werra)、中判カメラのペンタコンシックスなどに搭載され、その後の広角レトロフォーカス型レンズの地位向上に大きく貢献した。
フレクトゴンの設計構成のルーツはAlvan G.クラークが設計し1889年に登場したダブルガウスである(下図)。クラークのダブルガウスからはツァイスのルドルフによる設計でプラナー(1897年~)が生み出され、1920年代に同社のメルテによる改良でビオター(Biotar)へと発展している。また、1930年代初頭にツァイスのリヒターが設計した超広角レンズのトポゴン(Topogon)もクラークのダブルガウスからの派生レンズである。明るく諸収差をバランスよく補正できる大口径レンズのビオターと、画角特性に優れた広角レンズのトポゴン。ビオターとトポゴンは戦後に手を組みビオメタールへと発展し、それをレトロフォーカス化したフレクトゴンを誕生させている。
フレクトゴンに至る光学系の系譜:プラナーを祖とするビオターは明るく諸収差をバランスよく補正でき、大口径レンズに適した構成であり、一方のトポゴンは画角特性に優れた広角レンズに適した構成であった。ビオメタールは、これらを前後群に配置した混血レンズとして登場し、両親のそれぞれの長所を比較的高い水準で受け継ぐことに成功した優れたレンズ構成であった。ビオメタールにはツァイス・イエナが中版一眼レフカメラのペンタッコン・シックス(Pentacon six)用に供給した80mm f2.8の標準レンズと120mm f2.8の中望遠レンズ、旧西独Zeiss Ikon社がコンタックス用Biogon 35mmを開発するまでの繋ぎとして、旧東独Zeissに供給を依頼し、ごく短期間のみ生産された広角ビオメタール 35mm f2.8が存在している。フレクトゴンはこの広角ビオメタールを一眼レフカメラに適合させるという方針で生み出された。ビオメタールの前方に負の大型メニスカスレンズ(下図の緑のエレメント)を配置し、バックフォーカスを稼ぐことで、一眼レフカメラ用レンズとしての適性を得ている。負のレンズを据え付けた分だけ光学系のバランスが良くなり、ビオメタールで若干みられたグルグルボケはフレクトゴンではすっかりと補正されている


各モデルで若干異なる仕様
フレクトゴン35mmF2.8には鏡胴の素材にアルミ合金を採用した初期モデル、ゼブラ柄の2代目(一部に革巻き鏡胴)、黒鏡胴で1980年代後期まで製造された3代目のモデルが存在する。デザイン以外にも各モデルには絞り羽の構成枚数やコーティングの種類、最短撮影距離、絞りの制御機構若干の差がみられる。
絞り羽の構成枚数は初期モデルが9枚ともっとも多く、2代目が5枚に減り、3代目が6枚になっている。一般的に絞りの枚数が多い方が点光源のボケが真円に近い形状となり、自然なボケ味が得られるとされている。しかし、フレクトゴンの場合は5枚構成でも絞りを閉じたときの開口部が丸みを帯びた形状になるよう工夫されているので、実写による差違は大きくない。最短撮影距離は初期モデルのみ36cmで、2代目と3代目は18cmまで短縮されている。撮影距離18cmはこの手の広角レンズとしては非常に短く、準マクロ的な撮影が可能である。初期モデルには中玉にシアン系コーティングが用いられているのに対し、2代目と3代目には、この部分がマゼンダ系コーティングに置き換えられている。初代よりも2代目、3代目の方がコーティングの性能は高く、ゴーストやハレーションの抑制効果が僅かに高いぶんだけシャープネスやコントラストも若干高い。ただし、実写では初期モデルでもシャープネスはかなり高く、大きな差を感じることはなかった。目で見る限りでは2代目と3代目のコーティング色に差異は認められなかったので、両者の光学系は完全に同一であろう。1960年代になるとコンピュータによる自動設計法の助けを借りて各社レトロフォーカス型レンズの設計を刷新しているが、フレクトゴン35mm f2.8は初代からの設計構成を維持したまま、35年もの長期にわたり生産されていた。
フレクトゴンは「一眼レフカメラは広角レンズに不利」という既成概念を打ち砕き、レトロフォーカス型広角レンズの地位向上に貢献した歴史的にたいへん意義のあるレンズといえる。このレンズの存在がなければ、一眼レフカメラ全盛時代の到来はもっと遅かったのかもしれない。

入手の経緯
Carl Zeiss Jena Flektogon 35mm F2.8(Silver model, 1st version) M42 mount
このレンズは2013年3月にeBayを経由しギリシャのM42レンズ専門業者フォトピック(スチール22)から入手した。商品の状態はMINT(美品)で「シリアル番号が照合する元箱がついている。ガラスはクリアで傷はない。完全動作する」とのこと。フォトピックは業界では有名な優良業者だ。自動入札ソフトで185ドルを設定し放置したところ167ドル+送料16ドルと手頃な値段で落札されていた。届いた品は僅かな拭き傷がみられる程度で、ガラスも鏡胴も良好な状態。ヘリコイドや絞りの開閉もスムーズであった。
重量(実測) 185g, 絞り羽 9枚構成, フィルター径 49mm, 最短撮影距離 0.36m -α, 絞り F2.8-F16(マニュアル),絞りの制御機構はプリセット, 構成 5群6枚レトロフォーカス型, レトロフォーカス型, M42マウント, フレクトゴンという名称はラテン語の「曲がる、傾く」を意味するFlectoにギリシャ語の「角」を意味するGonを組み合わせたものを由来としている

Carl Zeiss Jena Flektogon 35mm F2.8(Zebla Model, 2nd version) M42 mount
このレンズも2013年8月にeBayを経由しギリシャのM42レンズ専門業者フォトピック(スチール22)から入手した。商品の状態はMINT(美品)で「ガラスはクリアで傷はない。完全動作する」とのこと。自動入札ソフトで225ドルを設定し放置したところ、205ドル+送料16ドルで落札できた。届いた品はガラス、鏡胴ともに完璧に近い素晴らしい状態で、ヘリコイドや絞りの開閉もスムーズであった。ほぼ未使用のオールドストック品であろう。

重量(実測) 225g, 絞り羽 5枚構成, フィルター径 49mm, 最短撮影距離 0.18m -α, 絞り F2.8-F22(マニュアル),絞りの制御機構は自動・手動両対応, 構成 5群6枚レトロフォーカス型, M42マウント


Carl Zeiss Jena Flektogon 35mm F2.8(Black  Model,  3nd  version) Exakta mount
2016年9月にドイツの写真機材を専門とするアナログ・ラウンジから107ユーロ+送料8ユーロの即決価格で購入した。レンズは「良好なコンディションで使用感は少な目。クモリ、カビはない。絞りリングやヘリコイドリングはスムーズに回る」とのこと。このセラーはいつも、このような簡単な記述であり博打的な要素が多少あるが、同時配送に追加料金を取らないサービス精神がある。保有している在庫が多く、新品に近い綺麗なレンズを出すことも多い。今回は状態のいいレンズを手にすることができた。
重量(実測) 225g, 絞り羽 6枚構成, フィルター径 49mm, 最短撮影距離 0.18m -α, 絞り F2.8-F22, 絞りの制御は手動, 構成 5群6枚レトロフォーカス型, Exaktaマウント


特許資料:US2793565(May 28,1957/Filed April 1955)

撮影テスト
1950年代に設計された黎明期のレトロフォーカス型広角レンズは多くがフレア(コマ収差)の補正に課題を残しており、モヤモヤとしたソフトな描写傾向が当たり前のように見られる。一方でフレクトゴンの描写を見ると、フレアは開放から充分なレベルに抑えられており、ハイライト部を大きく拡大表示する場合のみ、僅かなレベルで薄っすらと表面を覆うフレアを確認することができる。画質的にはレトロフォーカス型レンズの設計水準が成熟期を迎える1960年代中期以降の製品と同等といってよいだろう。東独Zess Jenaの技術力はこの時代において、他国のメーカーより10年先を歩んでいたのである。コントラストは開放から良好で発色も良い。ただし、絞り込んでもカリカリとした鋭い階調描写になることはなく、適度な残存収差が軟らかくなだらかな階調描写を実現している。ボケはレトロフォーカス型レンズらしく四隅まで乱れずに安定しており、グルグルボケや放射ボケは全くみられず、2線ボケ傾向もない。広角レンズで時々問題となる色滲み(倍率色収差)はデジタル撮影の際に僅かにみられ、写真の端部で被写体の輪郭部が赤みがかるが、拡大表示でもしなければ目立つことはない。解像力はレトロフォーカス型レンズとしては四隅まで良好な水準を維持している。最短撮影距離が極めて短いのは、このレンズの大きな魅力である。特に2ndモデルと3rdモデルは18cmと極めて短く、準マクロレンズとしても使用できる。描写性能はもちろんのこと、ワイドからマクロまでをカバーでき、使い出のあるレンズである。
F8, 3rd black model+ sony A7(WB:日光): 絞っても階調は軟らかい。中間階調がよく出るレンズだからこそできる、繊細な描写表現。フレクトゴンはやっぱり凄いレンズだ

 
1st SILVER Model
 

F5.6(左), F4(右), 1st silver model + sony A7(AWB): オールドレンズ写真学校で評判だった組み写真。撮影距離に依らず描写性能には安定感があり、室内での撮影にはとても使いやすいレンズだ

F4, 1st silver model + sony A7(AWB): 


F2.8(開放), 1st silver model+sony A7(AWB): 初期のレトロフォーカス型レンズの中に口径比F2.8でここまでシャープに写るレンズは恐らく存在しないだろう





F4, 1st silver model+sony A7(AWB)
F3.5, 1st silver model +sony A7(AWB): 開放から半段絞るだけで、ここまでヌケがよくシャープに写る。開放ではこちらに示すように若干のコマフレアが肌を覆い線の細い描写である。解像力はレトロフォーカス型レンズとしては良好なレベルである
F3.5, 1st silver model +sony A7(AWB, +2/3EV):

上段F2.8(開放)/下段F3.5(半段絞った)。開放(上段)ではコマが覆うが、半段絞ればフレアは消失し(下段)、スッキリとヌケの良い描写になる。解像力はレトロフォーカス型レンズとしては四隅まで良好なレベルである






 
2nd ZEBLA Model
 
F4, sony A7(AWB): 最短撮影距離18cm。マクロ域であるが十分な画質だ


F5.6, sony A7(WB:晴天)


F4, sony A7(AWB)

F5.6, sony A7(AWB)



F3.5, sony A7(WB:晴天)



F2.8(開放), sony A7(WB:晴天)


F2.8(開放), sony A7(WB:晴天): レンズマニアのおじ様たちの幸せそうな笑顔が羨ましい!














 
3rd BLACK Model
 
F5.6, sony A7(WB: 日光)
F8、sony A7(WB:日光)

F5.6, sony A7(AWB)