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2011/04/27

トロニエの魔鏡2:不遇の最速レンズ
Leitz Xenon/Summarit 5cm F1.5



Schneider社が1932年に開発したLeitz Xenon 5cm F1.5(写真・上)。稀代の名設計士A.W. Tronnier (トロニエ博士)が世に送り出した2作目のガウス型レンズであり、1936年のレンズの発表当時で写真用レンズとしては最も明るいF1.5を実現していた。下の写真は後継製品として1949年に登場したLeitz Summarit 5cm F1.5である。



トロニエの魔鏡2
不遇の最速レンズ
Leitz XENON 5cm F1.5 and SUMMARIT 5cm F1.5 
1923年にErnemann(エルネマン)社のL.J.Bertele(ベルテレ)とA.Klughardt(クルーグハルト)が発明したErnostar(エルノスター)は世界最高速のレンズとして登場し、光学機器メーカーの各社に衝撃を与えた。1925年に映画用として登場したErnostarは何と開放絞りがF1.0と圧倒的な明るさを誇り、写真用レンズとしても1929年に実用的な画角を40度まで広げたF1.6のモデルが登場、さらにErnostarを大幅に改良した新型レンズのSonnar(ゾナー)F2を発表するなど、1930年代に起こる大口径レンズの開発競争に拍車を掛ける大きな出来事が起こっていた。1926年にErnemann社はBerteleもろともZeiss-Ikon(ツァイス・イコン)社の設立母体としてCarl Zeiss財団に吸収されている。Ernemannの技術を手中に収めたCarl Zeissが自社のカメラに超大口径レンズを搭載する日もそう遠くはなかった。Schneider(シュナイダー)社の首脳陣もこの事態を軽視するわけにはゆかず、1925年にXenon F2を開発したTronnier博士の設計チームに対抗製品となる新型レンズの開発を要請したのである。この新型レンズとは紛れもなく後のSummarit (ズマリット) 5cm F1.5へと改称されるガウス型レンズのLeitz Xenon (クセノン) 5cm F1.5である。
ガウス型レンズは高い収差補正能力を持つ反面、空気境界面の少ないErnostarやSonnarに対し、コントラストで不利な立場にあった。かつて、ガウス型レンズのOpic(1920年Taylor-Hobson社) がErnostarとのシェア争いに敗れ滅んだ経緯を繰り返さないためにはレンズの構成枚数を抑え、口径比でErnostarやSonnarを超える世界最高速の写真用レンズを開発する必要があり、Tronnierの設計チームはこのテーマに全知全能で取り組んだのである。
Schneider社の若いレンズ設計者A.W.Tronnier
の想像図.イラストレーター・Achaさんのスケッチ
Carl Zeissが発表したSonnar F2は3群6枚(9面構成)という驚異的な設計構成を持つレンズであった。それは、8面構成のErnostarよりも収差の補正効果を高めながら、空気とガラスの境界面を減らすことで、本来トレードオフの関係にあるコントラストと解像力の向上を同時に実現してしまったのである。Schneiderの首脳陣はSonnarの口径比が軽くF2を超えてしまったことに相当なプレッシャーを受ていたようである。首脳陣がTronnierに提示した当初の開発方針は6枚のレンズ構成で口径比F1.5を実現するという無理難題であった。仮にこの構成で明るいF1.5のレンズを実現したいならレンズエレメントを肉厚に設計し、かつ屈折面のカーブ(曲率)を大きくすることになるが、各エレメントからは大きな収差が発生する。6枚のレンズ構成では実用的な性能を得ることなど到底困難であり、後に開発方針は7枚の構成(5群7枚・12面)で屈折面のカーブを緩めるアプローチへと見直されている。
新型Xenonは構想から3年の時を経てついに完成した。ErnostarやSonnarに触発されることで生まれた無茶な経緯からも、このレンズの開発はTronnierがそれまで経験したことの無い、極めて難易度の高いミッションとなった。Berteleの発明したSonnarは設計開発に3200ページにも渡る膨大な量の光線追跡計算を要したが、TronnierのXenonは構成面がSonnarより更に2面も多かったのである。Tronnierは収差を徹底的にキャンセルする光学計算を日夜繰り返し、膨大な労力を費やすことで、製品として成立するギリギリの瀬戸際を見極めたのだろう。こうして1932年に完成した新型Xenonは、ダブルガウス型レンズとしては未踏のF1.5の明るさを実現することに成功したのだ。ところが、そこには口径比をF1.5まで高めたZeiss-Ikon社の新型Sonnarが立ちはだかっていたのである。
新型Sonnarの華々しいデビューによって、Xenon F1.5は活躍の機会を奪われてしまった。ようやく量産される機会を掴んだのは発表から4年後の事である。Sonnarを搭載したCONTAXへの対抗心に燃えるライバルのErnst Leitz(エルンスト・ライツ)社がLeica IIIaに搭載する大口径レンズとして、Xenonを指名したのである。こうして、Xenonは1936年からLeitzへのライセンス供給という形で世に出ることになった。しかし、Sonnarとの勝負は最初から見えており、あまり売れることはなかった[注1]。大口径ガウス型レンズがゾナー型レンズに対し、対等の立場を築くには、コーティング技術の普及と新種ガラスの登場が不可欠であり、当時はまだ機が熟していなかったの
左はLeitz Xenon 5cm F1.5(1932年設計/1936年登場)で右はLeitz Summarit 5cm F1.5(1949年登場)。両者を見比べると前群の各エレメントの厚みや曲率に改良のあとがみられ、Summaritの方が第2群が薄く、曲率(カーブ)も小さめに設計されている。レンズ構成は5群7枚であり、4群6枚のスタンダードなダブルガウスタイプの構成の後部に正の凸レンズを一枚追加し、屈折力(パワー)を補強することでF1.5の明るさを実現している






Leitz Xenon 5cm F1.5:フィルター径 41mm, 最短撮影距離 1m, 絞り値(大陸絞り) F1.5 /F1.6 /F2.2 /F3.2 /F4.5 /F6.3 /F9, 重量(実測) 276g, 絞り羽の枚数 6枚, 製造期間 1936-1950, 対応マウントはLeica L,  本品はシリアル番号426495から1938年製の後期モデルである。各エレメントには薄いブルーのコーティングが入っている。ちなみに前期モデル(1936-1937年製造)はノンコートでピントリングまわりのギザギザが2本(後期型は3本)となっている。レンズ名の由来は原子番号54のキセノン原子、あるいはこの原子の語源となったギリシャ語の「未知の」を意味するXenosと言われている

Leitz Summarit 5cm F1.5:フィルター径 41mm, 最短撮影距離 1m, 絞り値 F1.5-F16, 重量(実測) 320g, 絞り羽の枚数 15枚, 製造期間 1949-1957, 製造年1956年 , 製造本数 69000, 対応マウントはLeica L/Mの2種のみで本品はLeica M。レンズ名はラテン語の「最高の」を意味するSummaを由来としている
Leitz Xenonには1936年~1937年頃に生産された前期モデルと1938年から1950年まで生産された後期モデルがある。前期モデルはピントリングに滑り止めのギザギザが2本ありガラスはノンコート、後期モデルはギザギザが3本となり一部コーティングの施されたモデルが存在している。今回紹介する製品個体は1938年に製造された後期モデルで、硝子表面には薄いブルー系のコーティングが施されている。1949年になると光学系の一部に新種ガラスが導入され、絞り羽を閉じた際の開口部がより真円に近い形状になった。名称はXenonからSummaritへと変更されている。Xenonからの名称変更はSchneiderの保有していた特許が切れ、ライセンス契約が不要になったためと言われている。Summaritの初期モデルはXenonと同一設計であるという説もあり、Summaritの製品個体を丹念に調べて行くと、ある時期を境にしてコーティング色が変化していると言われている。また、Xenonのシリアル番号帯が刻印されたSummaritも存在するそうである(世界のライカレンズpart 4参照)。事実ならばXenonとSummaritの初期ロットは全く同一製品であり、ブランド名のリニューアルは設計の変更と無関係だったということになる。この部分には慎重な検証が必要である。なお、Summaritは一部にカナダのMidlandで製造された個体があり、そちらはフィルター枠にErnst Leitz Canada Ldt. Midlandと記されている。

注1・・・Xenon F1.5がシュナイダー社のカタログに初めて登場したのは1935年である。ただし、製造台帳を見る限り、レンズが生産されたのは1936年から1950年までである。総生産数は6190本という説を本やWEBなどで多く見かけるが、シュナイダーの台帳で数えると戦前(1936-1939年)だけで6505本が製造されたことになっている。開戦中は生産ラインがストップしていたが、1943年から生産を再開。ただし、多くても年間トータルで50本止まりの出荷数であった。一方、ライツの台帳によるとSummarit(1949-1957)はその10倍以上の69000本が製造されている。
 

レンズの入手
Leitz Xenonは2015年9月にヤフオクを介し練馬のスマートカメラから送料込みの即決価格60000円で落札購入した。状態の良い個体をリーズナブルな値段で入手するのに時間がかかり、トロニエの魔鏡シリーズは4年もストップしてしまった。でも、悪いことばかりではない。その間にSony A7が発売され、フルサイズセンサーでこのレンズの良さを充分に堪能できる時代が到来している。オークションにおける商品の解説は「超美品。目立つような傷はなくクモリも無い。コンディションは大変良好。絞りの開閉やピント機能も良好でヘリコイドはスムーズ。状態の良いXenonは少なくなってきているのでお見逃しなく」とのこと。リアキャップが付属していた。このレンズはガラス硝材がやわらかいようで、中古市場に出回っている個体は硝子表面にパラパラとキズのあるものが多い。生産数も少ないうえクモリの発生している個体も多いため、状態の良いレンズを見つけだすのは至難の業である。半信半疑で購入してみたところ届いた個体は前玉裏側の周辺部にメンテ液の拭き残しによる小さな汚れがあるのみで、かなり良好な状態であった。eBayでの中古相場はクモリのない個体で80000円~100000円程度で、キズがなく綺麗なら150000円程度で取引されている。届いた製品個体には薄いブルーのコーティングがあった。絞り指標が今とは異なり1.6, 2.2, 3.2, 4.5, 6.3, 9と変則的で、大昔の「大陸絞り」と呼ばれる面白い規格になっている。
Summaritの方は2011年2月にヤフオクを介して札幌の写真機店から落札購入した。このレンズもガラスがやわらかく痛みやすいようで、中古市場に出回っている個体のほぼ大半にクモリが発生している。前玉にパラパラと傷のある品が多く、状態の良いレンズを入手するのはやはり至難の業だ。私は最初からクモリ入りのレンズを安く入手し修理して使うつもりでいた。入手したレンズに対するオークション出品者の解説は「中玉に薄っすらとクモリのあるレンズ。カビや傷はなく、ヘリコイドリングの回転トルクは適正。状態の良い実用品はいかがでしょうか」とのこと。写真を見る限り外観は新品に近い優れた状態で、何よりも傷が無いとのことなので即購入を決めた。入札締め切り10秒前にに35000円でスナイプ入札を試みたところ、私以外には誰も入札しなかったため、出品時の最低価格32000円で手に入れることができた。届いた商品は確かに中玉1面に薄っすらとしたクモリがあり、撮影結果は白っぽかった。オークションの記述にはなかった軽度の小さく薄い傷が前玉に1つあったが、実写への影響は全く心配ないので、これで妥協することにした。ヤフオクでの国内中古相場は状態の良いもので60000円前後、ガラスにクモリや傷のある品では30000円前後となっている。本品は国内中古市場よりも海外市場の方が高値で取引されているようだ。eBayでは状態の良いものに1000ドルを超える値がつく。最近もアクセサリー付の新品同様品が2000ドルという高値で落札されていた。さて、レンズの方は後日メンテナンスに出したところ、クリーニングのみで綺麗になり素晴らしい状態で帰ってきた。傷も前玉周辺部に見られた前述の1本だけで他には拭き傷すらない。ズマリットとしては奇跡のコンディションである。
  
撮影テスト
XenonにせよSummaritにせよ、クモリや傷などガラスの表面に深刻なダメージを抱えている個体が多く、それが原因で描写に対する世評はあまり高くない。しかし、本来は性質の良いレンズであり、状態のよい個体には驚くほどの優れた描写力が備わっている。
大きな特徴としては、絞りを大きく開けた時に発生する美しいコマフレアと軟らかくなだらかな階調表現である。フレアが特に美しいのはピント部から僅かに外れた領域で、ハイライト部が薄い絹のようなベールを纏う。ただし、ピント部にはしっかりと解像力があるので精確に合焦させれば開放絞りでも緻密な結像が得られる。柔らかさの中に緻密さがあり、線の細い繊細で美しい描写を楽しむことができる。
一方、深く絞り込んでゆくとコマフレアが消失しシャープな描写へと豹変する。F2.2~F2.8あたりまで絞るとフレアは消失し、ピント面はスッキリとヌケの良い画質でコントラストや発色は良好になる。またアウトフォーカス部の像も良く整い、ややコマフレアを残存させた穏やかで安定感のあるボケ味となる。F4-F8まで絞るとアウトフォーカス部のコマも消滅しコントラストは更に向上、シャープネスな像が得られる。ただし、中間階調は依然として豊富で、なだらかなトーン変化による丁寧な質感表現が可能である。
ボケは開放でやや硬く、ポートレート域では背景がザワザワと煩くなることがあり2線ボケも出るが、近接域では球面収差の補正がアンダーに変化するため背後のボケ味は柔らかくなる。
注意しなければならない点はハレーション・コントロールとグルグルボケである。特にXenonは逆光に敏感で階調の安定性が弱く、条件が厳しいとコントラストが過度に下がり発色が濁り始める。コントラストの低下自体はライトなトーン描写を実現するための写真表現としてむしろ歓迎できるが、発色の濁りは軽やかなライトトーンと折り合わない事が多い。ただし、F2.2まで一段分絞れば解消される。この点についてはSummaritの方がハレーションに対する耐性が高く、ちょっとやそっとの逆光でも鮮やかな発色を維持でき、開放から写真として破たんのない安定した結果を吐く。また、この時代のダブルガウスレンズには、ほぼ例外なくグルグルボケが顕著に発生する。今回取り上げるXenonとSummaritも例外ではない。レンズの非点収差曲線を見る限りでは、F2よりも深く絞れば目立たないレベルにまで改善し、F2.8まで絞ればボケ味は常に穏やかで素直になる。もちろん効果的に使う分には全く問題ではない。


Leitz Xenon 5cm F1.5+ Sony A7
娘の七五三。アンティーク着物の晴れ着姿をトロニエ設計のLeitz Xenonで撮る・・・。なんて贅沢なことであろう。それにしても、Leitz Xenonは品のある開放描写で本当に良いレンズだ。
XENON @F1.5(開放), Sony A7(AWB):あらら。開放なのに、これは凄い・・・。予想以上の美しく繊細な開放描写である。緻密なピント部を薄い絹のベールのようなコマフレアが覆っている。ライバルのゾナーとは求める描写理念が全く異なる印象をうける。背後のボケ味はかなり特徴的である

XENON @F1.5(開放), Sony A7(AWB): 解像力は充分。素晴らしいレンズだ。前ボケは柔らかく拡散しフレアを纏っている
XENON @F2.2, Sony A7(AWB): ため息が出る。1938年にここまで凄いレンズが登場していた事が驚きなのである。少し絞ればボケは安定しグルグルボケは目立たなくなる

XENON @F1.5(開放), Sony A7(AWB):開放F1.5を積極的につかうべし!。しっとりとした質感を見事に表現できる。線の細い描写だ
XENON @F1.5(開放), Sony A7(AWB): こんどは低めのポジションから逆光を入れ、ハレーションを強めに加える。コマフレアとハレーションで辺りはモヤにつつまれて真っ白に。しかし、ちゃんと写真として成立しているところに、このレンズの懐の深さを感じる
XENON @F2.2, Sony A7(AWB):微妙な光の変化にも対応している
XENON @F3.2, Sony A7(AWB):絞るとコントラストが上がり発色も鮮やかになる。写りは現代的だ

 銀塩撮影
Camera  Bessa-T(Voigtlander by COSINA)
銀塩カラーネガFILM  AGFA VISTA PLUS 200 / KODAK GOLD 200 
XENON @F2.2, 銀塩ネガ(Agfa Vista plus 200): Agfaのフィルムとの相性はとてもいいみたいだ。少し絞ればコントラストは良好である
XENON @F2.2, 銀塩ネガ(Agfa Vista plus 200):
XENON @F3.2, 銀塩ネガ(Agfa Vista plus 200):

XENON @F1.5(開放), 銀塩ネガ(Kodak Gold 200): 開放ではコントラストが少し落ちるが許容範囲だ





Leitz Summarit 5cm F1.5+ Sony NEX-5
Xenonよりもコントラストは良好で発色も鮮やか。フレアの発生レベルはXenonよりも控えめだが、開放ではしっかりと出るので、ハイキーでとると美しい開放描写が得られる。ハレーションはXenonよりも出にくく逆光時でも発色が濁りにくい。作例を撮りためていた2011年頃はまだフルサイズセンサーのデジカメが登場していなかったのでAPS-C機での作例のみとなっている。いずれ機会があればレンズを買い戻し、本来の画角でレンズの写りを堪能してみたいと思う。
 
SUMMARIT@ F2.8, NEX-5 digital(AWB), ピント面の結像は緻密でコントラストも良好、階調変化はなだらかで心地よい。よいレンズではないか!
SUMMARIT @F1.5(開放), NEX-5 digital(AWB),  開放絞りでもピント部にはしっかりと芯があり、髪の毛の一本一本をきっちりと捉えている。解像力のある緻密な描写だ。衣服や頬の辺り(近フォーカス域)には極薄いコマフレアが発生し、美しい写真効果が得られている
SUMMARIT@F1.5 (開放), NEX-5 digital(AWB)  この時代のダブルガウス型レンズは、どれも力強いグルグルボケが出る。このレンズも例外ではない。ただし、F2まで絞ればかなり抑制され素直なボケになる。色のりは開放絞りから大変良好で力強い。F1.5の開放絞りでここまで緻密な描写なのだから、このレンズは大したものだ
ひとつ前の写真の一部を拡大したもの。ハイライト部の白髪が綺麗に滲んでいる。ちなみに被写体はいつもの婆ちゃん。今度、お茶をご馳走してくれることになった
SUMMARIT@F1.5 (開放), NEX-5 digital (AWB) Summaritはハイライト部の階調表現には粘りがないのか、屋外での撮影時には白トビを起こすことがしばしばあった。光を効果的に暴れさせるための表現だと思い、元気良く活用することをおすすめしたい
トロニエの前には、またしても巨人Carl Zeissが立ちはだかっていた。新型Xenonを生み出した彼の技術力が既に当時の世界最高水準に達していたことは、誇り高きライツがシュナイダーにライセンス契約を持ち掛けたことからも明らかであった。しかし、ベルテレの技術力は更にその上をゆくものであった。Sonnarという画期的なレンズを世に送り出した天才設計者ベルテレは後世にその名を轟かせることになる。この形勢を変えるには、それまでの正攻法な設計思想を捨て、常識に囚われない独創的なアイデアをもってレンズ設計に取り組む必要があった。
やがて、第二次世界大戦が勃発し、光学機器メーカーは生産活動をストップ。ドイツは敗戦しCarl Zeissは東西両ドイツの双方に分断されてしまう。戦時中のトロニエは写真用レンズの開発から離れ、ゲッチンゲンの子会社(ISCO)で航空偵察機用レンズや双眼鏡、照準器用の広角アイピースなど軍需品の生産を指揮していたと言われている。終戦間際の1944年にSchneider社を離れフリーとなり、Voigtländer(フォクトレンダー)社と契約を結んでいる。この間のブランクで彼はそれまでの写真レンズの描写設計に欠けていた新しい着想を得ることになる。トロニエは1947年にXenonとは設計の異なる超大口径レンズNokton (ノクトン)を発表[Noktonのスイス特許(1947)]、新型レンズでCarl Zeissに巻き返しを図るのである。

ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー
謝辞
シリーズ1・2を作成するにあたり
ブリコラージュ工房NOCTOのスタッフ皆様方
台湾のCAPSさんから
多大なるご協力をいただきました。
深く御礼申し上げます。




2011/03/10

トロニエの魔鏡1:銘玉の源流
Schneider-Kreuznach Xenon 50mm/F2

上のスケッチはXenonの設計を発表した
1925年当時のA.W.Tronnier。天才っぽい
雰囲気を漂わせ、何かを掴み取ろうとす
るかのような野心的な形相だ。とても
23歳とは思えない。メモを手に煙草をふ
かしながら何やら考え事をしている。目の
隈がひどく、Xenonの設計に過剰なまで
の情熱を費やしていたことがうかがえる。
の後退も年齢の割には早いように
見える
Goerz, Schneider, Voigtländer, 米国Farrand Opticalに籍を置き、写真用レンズの設計者として数多くの銘玉を世に送り出したAlbrecht-Wilhelm Tronnier[トロニエ博士](1902-1982)。レンズ設計の分野では収差を徹底的に取り除く事が良しとされてきたそれまでの基本的な考え方に疑問を抱き、収差を生かし、時には積極的に利用するという逆転の発想によって比類ないレンズを世に送り出してきた。独特な設計思想から生みだされた彼のレンズの描写には妙な迫力、写真の域をこえたリアリティがあり、周辺画質をやや犠牲にしてまで実現した中央部の描写には生命感が宿るとさえいわれている。20世紀最高のレンズ設計者と称えらながらも、自らの著書、技術者としての理念などは伝わっていない。レンズのブランド名とは対照に、それを設計した技士の名が世に出ることは当時から殆ど無かった。人々がTronnierの比類無い功績に気付きはじめたのは、おそらく彼がフォクトレンダーを引退した後、しばらくたってからの事だったに違いない。米国へ移住後も歴史の表舞台に姿を見せることはあまり多くなかった。Tronnierの技術者としての理念や思想を知るには、残された個性豊かなレンズ群と対話し、それらに託された博士からのメッセージを汲取る以外に方法はないのだ。本ブログでは数回のシリーズに分け、Tronnier博士が手掛けたガウス型標準レンズを紹介する。博士の設計思想に触れるとともに、彼の設計したレンズの特異な描写力とその秘密にも迫っていきたい。

今回紹介する一本はTronnierがSchneider在籍時の1934年に開発したXenon (クセノン) 50mm F2である。このレンズは彼が1920年代半ばから手掛る初期の作品であり、Planarの光学系が持つ対称構造を緩やかに崩した非対称な設計を特徴としている。古典的な対称ガウス型(4群6枚プラナー型)からの脱却は当時の最先端の試みとして、後に銘玉と呼ばれるULTRON(ウルトロン)やNOKTON (ノクトン)などの代表作を生みだす源流となった。




再設計によって1935年に5群6枚で登場したXenon 50mmF2。今回入手したのはRetina用Xenon(写真・上段 Sony A7にマウント)とExakta用Xenonの交換レンズ(Eos Kissにマウント)である。このレンズは古典的なPlanar型レンズが持つ張り合わせ構造の前群側をはがした派生物として生み出された。Xenonの開発で確立されたこの種の構造はTronnierが大口径レンズを設計する際の基本形となった

1920年代前半、Xenonの開発に取り組むTronnierはドイツのSchneider社に籍を置く若い技士だった。レンズの設計者として、まだ駆け出しだった彼に課されたのは、ZEISSの Paul Rudolphが1896年に設計したPlanarを改良し、更に優れたレンズを発明することだった。彼がまず注目したのは1920年に英国Taylor-Hobson社のH.W.Leeが発明したOpicである。OpicはPlanarの対称構造を緩やかに崩すという着想から生み出されたレンズであり、旧来の対称ガウス型の設計に比べて球面収差、色収差、像面湾曲収差を良好に補正できるという優れた性質を備えていた。Tronnierは1925年にまずOpicと同等の4群6枚の光学系を持つXenon F2を開発(German Patent #DE439556)、1934年の改良では対称性を更に崩し前群の張り合わせまでをも分離させた5群6枚の2代目Xenonを開発し、この光学系がOpicの長所を引き継ぎながらコマフレアと像面湾曲の同時補正を可能にする優れた設計であることを示したのだ(US.Patent #2627204-#2627205)張り合わせ面の分離は設計に自由度を与え、収差の高度なコントロールを可能にする。トロニエの設計した2代目xenonは像面の平坦性を保ちながら中間画角から周辺画角にかけて発生するコマフレアを抑え、ヌケの良さとコントラスト性能を向上。また、非点分離が従来の対称ガウス型レンズよりも小さく、旧来の設計がピント部の四隅にかかえていた弱点を見事に緩和したのであった。しかし、当時は今とは違いコンピュータによる設計を人の手作業でこなしていた時代。光学系の構造が1群増えるだけでも設計者がチューニングに費やす負担は、はかり知れないほど増大したのである。
光学系の変遷: 左から対称ガウス型のPlanar(1896, Rudolph)、非対称ガウス型のOpic(1920, Lee)とXenon(1925, Tronnier), 変形ガウス型の2代目Xenon(1934/発売は1935年頃, Tronier)。2代目Xenonは第2群の凸レンズと第3群の凹レンズが分離しており、コマ収差の補正が強化されている


Xenonは1930年から一般カメラ用レンズとして供給されるようになった。最初はNagel社のPupilleというカメラに細々と供給されていたが、1931年にNagel社が米国Kodak社に買収されドイツコダックになったのを機に、1934年からは新製品のKodak Retinaシリーズに対しても供給されるようになった。Xenonの生産量はRetina/Retina IIの大ヒットに牽引されて1934年半ばから急増している。また、この頃からExakta用レンズも供給するようになり、レンズ単体の魅力で勝負する交換レンズ市場に打って出ている。当時のライバルはZeissのBiotarと英国Dallmeyer社のSuper Sixである。高度な設計技術により生みだされたXenonはライバル達が抱えていたフレアの問題やグルグルボケの症状が殆ど表れず、ピント部四隅での画質低下の少ない、当時としては大変優秀なレンズであった。おそらくトロニエは収差を徹底的にキャンセルする光学計算を日夜繰り返し、膨大な労力を費やしていたのであろう。しかし、そうした力みは当時まだ殆ど意識される事の無かったアウトフォーカス部の画質(ボケ味)に想定外の影響を生みだしてしまった。Xenonの撮影結果には収差の過剰な補正による強い2線ボケが発生し、先に述べたライバル達からの優位性は殆ど薄れてしまったのである。光学系の構成が複雑でハレーションを生みやすいという弱点もあり、交換レンズ市場ではOpicと同等の設計を持つBiotarに押され、Biotarより2~3割安く売られていたにもかかわらず、シェアを全く伸ばすことができなかったのだ[注1]。当時の写真家たちはXenonよりもBiotarをより高く評価したのである。XenonはBiotar(Opic型)の光学系を起点にTronnierが改良を重ねて完成させたレンズであり、この敗北は設計者Tronnierにとって相当に屈辱的な出来事であったに違いない。戦前のXenonは固定装着用レンズまで含めた総数で見れば、Biotarよりも多く売られた。しかし、それはRetinaの爆発的なヒットによるものであり、Retinaの牽引なしにはありえなかったことを先の敗北は決定的に意味していたのだ。 若い設計技士Tronnierはこの敗北から何を学んだのであろうか。Xenonはトロニエが正攻法で開発し育ててきた初期の代表作であり、設計者人生の原点とも言えるレンズだ。「写真は標準レンズに始まり標準レンズに終わる」なんて格言をよく耳にする。写真に関わる人々にとって標準レンズは基本であり到達点でもあるという意味だが、それは設計者にとっても同じことであろう。Xenonによる苦い体験はTronnierの設計哲学に少なからず影響を与えていたに違いない。そして、いつの頃からか彼は収差を徹底的に封じるというスタイルを改めることになったのである。

注1・・・Xenonは1925年に4群6枚の構成で開発され、翌26年3月にプロトタイプとなるマスターレンズが造られた。20年代後半は製版用など特殊用途向けに若干数が製造されるだけであったが、1934年半ばにはKodak Retinaシリーズ向けに5群6枚構成へと設計が改良され大量生産されるようになった。生産本数だけで見れば戦前に造られたダブルガウス型レンズとしては、最も多く市場供給されたブランドになる。これに対し、交換レンズ市場でのXenonは影の薄い存在であった。たとえばExakta(35mm)用に造られたXenonはライバルのBiotarより2~3割安価に売られていたが、戦前のBiotarの出荷量が5600本強であるのに対しXenonは1300本弱と奮わず、戦後の復興期である1945-1949年にはBiotarが25000本強も出荷されているのに対しXenonは僅か320本であった。高級なナハト・エキザクタの交換レンズ市場においても、XenonはBiotarより安く売られたが、総出荷数はBiotar 80mm/F2が1880本であるのに対しXenon 80mm/F2は僅か27本であった。XenonはKodak Retina用に供給されたものが大半であり、他社との販売競争を繰り広げた交換レンズ市場での需要はあまり高くはなかった(Schneider-Kreuznach band I-III, Hartmut Thiele 2009と、Fabrikationsbuch Photooptik II, Carl Zeiss Jena 1927-1991を参考)。

Xenon 50mm F2(Exaktaマウント用): 重量約190g, 構成 5群6枚(変形ガウス型), フィルター径29.5mm, 絞り値F2-F16, 最短撮影距離約75cm, 絞り羽15枚, 絞り機構は手動。第二次世界大戦前の初期のロットにはガラス面にコーティングが無く、戦後(あるいは戦時中)からの適用となったようだ。本品は1949年に製造された200個体のうちの1本で、ガラス面にはブルーのコーティングが蒸着されている。レンズ名の由来は原子番号54のキセノン原子、あるいはこの原子の語源となったギリシャ語の「未知の」を意味するXenosと言われている
Xenon 5cm F2(Retina用): 重量(実測)80g, 構成は5群6枚(変形ガウス型), フィルター径 29.5mm, 絞り羽 10枚, 絞り F2-F16, マウントネジ径 25mm, シャッター シンクロ・コンパー(1/500s), 本品は1939年の製造個体で薄いコーティングが施されている
 
入手の経緯
Exakta用Xenonは2011年1月にeBayを介して米国カリフォルニアの中古カメラ業者サウスサイドカメラから169㌦の即決価格(送料込の総額は202㌦(1.7万円))で落札購入した。商品の状態はFine conditionで「チリ、カビ、バルサム切れはない。僅かな傷がある。絞り羽根にオイルは回っておらず、しっかり開閉する。鏡胴にはややスレがある。写真を見てくれ」とのこと。Exaktaマウント用のXenonはややレアなレンズであり、状態の良いものはeBayでもなかなか出てこない。届いた商品には確かに前玉に拭き傷が少々あったが、実写には影響の無いレベルでありクモリもなかった。本品にはクモリ玉がたいへん多いので経年を考えた場合の保存状態としては上々。eBayでの落札相場は150-200ドル程度であろう。
Retina-Xenonは知人からブログで使ってくれと頂いた品である。もともとはKodakのレンズ固定式カメラRetina Ⅱ/Ⅲに搭載されていたレンズのためレンズ単体で売られていることはない。いろいろなパーツを組み合わせM42ヘリコイドチューブに搭載しミラーレス機で使用することにした。前玉表面に拭き傷と軽いヤケが見られたが実写には影響のないレベルであった。

撮影テスト
ピント部は解像力が良好で、戦前のガウス型レンズとしてはコマも良好に補正されている。シャープでスッキリとヌケの良い描写である。ただし、ピント面を重視しすぎた過剰な球面収差の補正により背後のボケが硬くなり、開放では2線ボケが顕著に表れる。この場合、コマを少し残存させ背後の2線ボケを覆うことで柔らかいボケ味にするという手段もあるが、若い時代のトロニエのレンズからは収差を利用するというよりも徹底して補正しているという正攻法の設計理念が伝わってくる。開放ではグルグルボケがやや出るものの戦前のガウス型レンズとしてはかなり良好に補正されている。空気境界面が多い設計仕様のた厳しい逆光ではゴーストやハレーションが出る。以下作例
Exakta Xenon @F2(開放),  銀塩撮影(Uxi super100):ヌケがよくピント面は周辺部に至るまでとてもシャープである。コマ収差、非点収差を有効に抑えながら像面湾曲もよく補正されている。開放絞りで撮影すると、ご覧のように距離によっては2線ボケがかなり目立つ結果となる。解像力を重視し球面収差を過剰補正したことによる副作用といえるだろう
Exakta Xenon @F2(開放), 銀塩撮影(UXi super100): グルグルボケは最も激しくてもこんなものでBiotarよりも良好である。前玉のキズのせいか少しハレーションがでた
Exakta Xenon @F8, 銀塩撮影(Uxi super100):絞ればコントラストは高く、シャープだ。味わいのある温調(黄色)気味の発色になっている
Retina-Xenon @F5.6+Sony A7(AWB): こんどはデジタル撮影。マクロ域でも写りはシャープだ
Retna-Xenon @F4+ Sony A7(AWB)  コーティングが入っているとはいえ古い時代のもの。厳しい逆光ではゴーストやハレーションはさけられない
Retina-Xenon @ F2(開放) + Sony A7(AWB): 近接撮影では収差変動のため球面収差がアンダーに変化しボケ味は柔らかい拡散となる
Retina-Xenon @F5.6+Sony A7(AWB):


2代目Xenonによって確立された高度な設計(変形ガウス型レンズ)はコーティング技術やガラス硝材の進歩に援護され、後のSummicron-R (50/2)や新型Planar、現代の日本製レンズにも数多く採用されている。Tronnierは時代の遥か先を行く先駆的な設計を考案していたのだ。開発当時の周辺技術がそれを支える程まで成熟していなかったのは大変不運な事である。なお、1960年代に造られた後継モデルのXenon 50mm/F1.9はBiotarと同じ古典的なPlanar/Opicタイプの設計に退行してしまった[注2]。一方、2代目Xenonの設計は歴代のXenonの中でも異質な存在であり、Ultronタイプと呼ばれることがある。

注2・・・ここで述べているのはXenonの後継品の性能が退化したという意味ではない。ガラス硝材が進歩すれば、わざわざ光学系の設計自体を複雑化させなくとも、同等な性能のレンズを実現させる事が可能だからだ。光学設計による描写力の改善を外科治療に例えるならば、硝材の進歩による描写力の改善は内科治療みたいな関係となる。私自身、後継モデルの大ファンだ。
 
Xenonは若く純粋な技士Tronnierが従来の設計思想を踏襲しながら正攻法で開発したレンズだ。ライバルBiotarが採用したOpic型の設計を高度化し心血を注いで完成させたレンズは、交換レンズ市場におけるBiotarとの勝負に完敗してしまった。世の多くの写真家たちはXenonよりもBiotarの魅力に軍配を上げたのである。苦労して新設計を発明した事に一体どれほどの意義があったか・・・。Tronnierは虚しさのあまり、恐らくこの時にグレちゃったのであろう。そして彼はフォクトレンダー社への移籍後、事も有ろうにXenonの光学系をベースに据えた魔鏡Ultronの設計に着手するのである。