おしらせ


2024/09/11

KOWA Optical Works photographic lenses

 

想像の斜め先を行く光学機器メーカー
興和光器の写真用レンズ
KOWA Optical Works photographic lenses 

興和といえば昭和時代のテレビコマーシャルの影響からか、コルゲンコーワ、キューピーコーワ、バンテリン、キャベジンコーワ、ウナコーワなど医薬品を扱うメーカーとして認知されています[1]。その一方で、かつては光学機器メーカーとしてカメラ事業に力を注ぎ、幅広く製品展開していた時期がありました。1977-78年に円相場が急騰したのをうけ同78年に一般向けのカメラ事業から撤退していますが、現在も子会社の興和オプトロニクスが業務用光学製品(医療光学機器や業務用双眼鏡、産業用カメラとレンズ、シネマ用レンズ)やバードウォッチング等に使われるスポッティングスコープ、双眼鏡などの生産を続けています[1]。2014年にはカメラ事業への一部復帰を果たし、マイクロフォーサーズ機用レンズを発売しました。
近年、海外の映画業界では同社のシネマ用レンズが大変人気で、業界のプロカメラマンから熱い視線を向けられています[3]。同社のシネレンズは控え気味の適度なコントラストに加え、ゴールド色の単層コーティングから生み出されるクールな色味か特徴のようで、ここを起点に適度にホワイトバランスを整える事で色味かアンバー側に振れ、唯一無二の美しい描写が生み出されるのだそうです。興味深いのはアジアではなく欧米からの人気が顕著な点で、こうしたコーワ人気が影響しているのか、海外では同社の写真用オールドレンズにも人気が集まり値上がり傾向にあります。古いシネプロミナーには現在びっくりするような値がつきます。撤退前の興和光器株式会社(以降はこちらをコーワと略称)については文献・資料[2,4,5]に詳しい解説があります。本解説はここからの要約を多く含むことをあらかじめ断っておきます。
興和光器株式会社は1946年に現・興和株式会社の前身である興服産業(愛知県名古屋市で1894年創業)の子会社として、愛知県蒲郡市(大成兵器跡地を拠点に創業しました[2]。興服産業は第二次世界大戦の終戦まで繊維品の輸出入で成長してきた会社ですが、戦後復興の中で事業を多角化させるため、戦時中に取引のあった大成兵器の人脈を活かし、帝国海軍・豊川海軍工廠(航空機や艦船が装備する機銃と弾丸、照準器などの生産工場)と帝国陸軍・陸軍衛生材料廠(いわゆる医療器具などの調達、保管、補給などを担当する部署)から光学技術者と医療技術者5名をスカウトします。このスカウトが以降に光学技術と医薬品で大きく発展する同社の礎となったわけです[1,2]。1945年10月にGHQから光学産業の民事転用の許可が降り、1945年12月に海軍技術者が入社、翌1946年6月より愛知県蒲郡市の工場にて眼鏡用レンズの生産をスタートさせます。その後、オペラグラス(1946年11月~)、映写機用投影レンズ(1947年2月~)、双眼鏡(1948年6月~)、ライフルスコープ(1951年11月~)、スポティングスコープ(1952年8月~)になどを発売し、事業は拡大、1950年代に同社の映写機投影レンズは国内シェアの90%を占めていたとのことです。 1954年2月に中判二眼レフカメラのカロフレックスを発売することでカメラ事業への参入も果たし、1955年11月には広角レンズを固定装着した35mmレンジファインダー機のカロワイドを発売します。
ところで、「興和」という社名には「平和を興す」という意味が込められていたそうです。敗戦後の日本が復興に向かう中、平和で豊かな社会を築く事が同社の企業理念となったわけです。
本ブログではこれ以降数回にわたり、コーワの写真用レンズを取り上げ紹介します。取り上げるレンズはKOWA 28mm F3.2, PROMINAR 35mm F2.8, PROMINAR 50mm F1.4, PROMINAR 50mm F2, KOWA 50mm F1.9, KOWA 50mm F1.8, KOWA 135mm F4を予定しています。

参考文献
[1] 興和株式会社 オフィシャルページ コーワブランドサイト : 興和オプト二クス株式会社  オフィシャルページ
[2]興和百年史(1994)
[3] レビューサイト一例 oldfastglass.com
[4] カメラレビュー クラシックカメラ専科 No.40
[5] デジカメwatch 「コーワPROMINARの世界 高画質マイクロフォーサーズレンズの秘密を探る」中村文夫(2015)
[6] 興和株式会社 prominar.com
[7] JCAA研究会報告「興和の秘密とワルツの悲劇」小松輝之(2017)

2024/07/07

TOMIOKA MAMIYA-TOMINON 32mm F1.7 converted to Leica M


富岡光学ハーフカメラ用レンズ
TOMIOKA MAMIYA-TOMINON 32mm F1.7
カメラ屋のジャンクコーナーで目にしたハーフサイズカメラにトミノンが付いているのを見つけ、こんな富岡製レンズもあるのかと胸が熱くなりました。マミヤが1965年に発売したMYRAPIDというカメラの固定レンズとして供給されたMAMIYA-TOMINON 32mm F1.7です。レンズ自体に内蔵絞りはなく、カメラのシャッターを半空きにすることで絞りを兼ねるというコスト重視のシンプルな設計になっています。カメラからレンズを取り出すのは機能欠如を招きますので、あまり好ましくないのですが、今回はカメラが修理不能レベルでしたので、気にせず摘出、下の写真のようにライカMマウントに改造して用いることとしました。定格イメージフォーマットから考えるとAPS-Cセンサーを搭載したデジタルカメラで用いるのが相性のよい組み合わせです。ちなみにフルサイズ機ではしっかりとトンネル状にケラれました。
 
MAMIYA MYRAPID
TOMIOKA MAMIYA-TOMINON 32mm F1.7:  レンズ構成 5群6枚拡張ガウス型(ULTRON型),  定格イメージフォーマット  ハーフサイズ(APS-C相当)
  
レンズ構成は5群6枚のULTRON型で、前玉(G1)と2枚目(G2)に曲率の大きな分厚い正レンズが使われています。反対に後群側は小さく、前・後群のアンバランスが著しいのが特徴です。レンズを設計したのが誰なのか確かな情報はありません。ただし、この時代ですと富岡光学の木下三郎氏であった可能性が濃厚です。ネットでは同時代に販売されていたYASHICA HALF17搭載のYASHINON 3.2cm F1.7と同一設計のレンズではないかという噂もありましたが、手元に両レンズがありましたので比較してみたところ、前玉の曲率やレンズ径などが明らかに異なっており、両者は別設計でした。この時代、ヤシカと関係の深かった富岡光学は1961年に開設されたばかりのヤシカのレンズ設計部門と、ある意味でライバル関係にありました。HALF17に自社設計のレンズが採用された代わりに、富岡光学の同等モデルが、これまたヤシカと協力関連のあったマミヤのカメラに供給された事に何か深い背後関係を感じます。

撮影テスト
開放からシャープな描写で、滲みは遠景撮影時に拡大像で微かにわかる程度です。近接域からポートレート域にかけてはスッキリと抜けが良く、完全にシャープな像になります。解像力は中庸ですがコントラストは良好で発色も鮮やか。富岡光学の優秀さがよく伝わってきます。背後のボケは距離によらず安定しており、ポートレート域でも適度に柔らかく綺麗にボケてくれます。グルグルボケや放射ボケが大きく目立つことはありませんでした。逆光撮影時には虹の形のゴーストが出ることがあります。カメラと光源の位置関係(角度)によって出るときと出なくなる時がありますので、試行錯誤してみてください。

CAMERA:  Fujifilm X-PRO-1, Nikon Zf (APS-C mode)

F1.7(開放)   Fujifilm X-PRO1(WB: auto, St)

F1.7 (開放)  Nikon Zf(APS-C mode, WB: 日光Auto)
F1.7 (開放)  Nikon Zf(APS-C mode, WB: 日光Auto)



F1.7 (開放)  Nikon Zf(APS-C mode, WB: 日光Auto

F1.7(開放)  Fujifilm X-PRO1
F1.7 (開放)  Nikon Zf(APS-C mode, WB: 日光Auto) aac
F1.7(開放) Fujifilm X-PRO1(WB 曇り空)aab
F1.7(開放) Fujifilm X-PRO1(WB 曇り空)
F1.7(開放) Fujifilm X-PRO1(WB 曇り空)

F1.7(開放) Fujifilm X-PRO1(WB 曇り空)


F1.7(開放) Fujifilm X-PRO1(WB 曇り空)
F1.7(開放) Fujifilm X-PRO1(WB 曇り空)

F1.7(開放) Fujifilm X-PRO1(WB 曇り空)

F1.7(開放) Fujifilm X-PRO1(WB 曇り空)








F1.7(開放) Fujifilm X-PRO1(WB 曇り空) 夜でも虹が出る不思議