何しろこのレンズを設計したのは、復刻版が出るほど有名な収差レンズのPrimoplan(プリモプラン)を設計した人物ですから、凄まじい個性が宿っているに違いありません。旧西ドイツのレンズ専業メーカーのRoeschlein(ロシュライン)社が1950年代中半に供給したLUXON(ルクソン) 50mm F2です。
レンズ専業メーカーの交換レンズ 前編
Roeschlein Kreuznach LUXON 50mm F2 (Paxette mount)
Roeschlein社は第二次世界大戦の終戦直後にドイツのバート・クロイツナッハでStephan Roeschlein(シュテファン・ロシュライン)[1888 - 1971]が興したレンズ専業メーカーです。創業者のStephanは会社設立に至るまで英国ロチェスターの光学メーカー、ドイツ・ラーテノーの光学メーカー(おそらくEmil Bushでしょう)、ゲルリッツのHugo-Meyer社、バート・クロイツナッハのScheider社に在籍し、数多くのレンズを設計した人物です。Hugo-Meyer社ではPrimoplan(初期型)5cm f1.5、望遠レンズのTelemegor(テレメゴール)シリーズ、広角レンズのAriststigmat(アリストスティグマート)などの設計を手掛けています。自身の会社を立ち上げた後は準広角レンズのLUXAR 38mm F2.9、POINTAR 45mm F2.8、COLOR ARRETAR 45mm F2.8、標準レンズのLUXON 50mm F2、POINTAR 75mm F3.5、望遠レンズのTELENAR 90mm F3.8、LUXON 105mm F4.5, TELENAR 135mm F5.6などを設計、また、プロジェクター用レンズや工業用レンズも手掛けており、同じBad Kreuznachに本社を置く古巣のSchneider社に望遠レンズのOEM供給もおこないました。本ブログでは2回にわたる記事でRoeschlein社の標準レンズLUXON 50mm F2と望遠レンズTELENAR 90mm F3.8を取り上げ紹介します。
1回目の今回は同社が供給した最も明るいレンズのLUXNON(ルクソン) 50mm F2です。このレンズは1950年代初頭に登場し1960年代中半まで作られたBraun(ブラウン)社のPaxette(パクセッテ)というレンジファインダー機に搭載する交換レンズとして市場供給されました。
レンズの設計構成は公開されていませんが、Paxetteのカタログに5枚構成と記されており、ガウスタイプではないことが判断できます。正体を明らかにするため前群と後群を鏡胴から取り外し(←光学系を分解せずとも簡単にscrew offできます)、光を通して反射面の様子を丁寧に調べてみました。すると、前群側が正負正の3枚構成で2枚目と3枚目の間に暗い反射(張り合わせ)が確認でき、後群側は負正の2枚構成になっています。明らかにLUXONは4群5枚のプリモプラン型なのです(下図)。ロシュラインは戦後に自分の会社を興し、別所でコッソリとプリモプラン初期型の改良版モデルを供給していたのです。マニアならビックリして跳びあがるところでしょう!。
LUXONと同一構成であるPrimoplanタイプのレンズ構成図。左が前方(被写体側)で右がカメラ側 |
★創業者シュテファン・ロシュライン
参考:Wikipedia:Stephan Roeschlein
シュテファン・ロシュラインは1988年6月にドイツ・バイエルン州の南部で生を受けます。不幸にも彼の誕生時に母親が死去し、彼は1つ上の兄ウィリーとミュンヘンの孤児院に預けられます。孤児院で彼は中等科を卒業し、初めミュンヘンの保険会社でアクチュアリーとして働きはじめます。しかし、直ぐに英国ロチェスターの光学メーカーに転職し、レンズ設計士の道に進みます。ここでは約10年勤務しますが、ドイツ人であった彼は第一次世界大戦勃発間際の1914年に退職し、英国を離れることを余儀なくされます。ドイツに帰国後はブランデンブルク州ラーテノーの光学メーカー(おそらくEmil Bushでしょう)にレンズ設計士として再就職します。その後はゲルリッツのHugo
Meyer(ヒューゴ・メイヤー)社に移籍、更に1936年にはBad
KreuznachのSchneider(シュナイダー)社に移籍しA.W. Tronnier(トロニエ)の後継者としてテクニカルディレクターの座についています。第二次世界大戦の終戦後はシュナイダー社を離れ、レンズ専業メーカーのRoeschlein社を興します。ただし、会社は短命に終わり、1964年に光学メーカーJulius Ernst Sill(現Sill Optics/ジル・オプティクス)に買収され消滅しています。Stephanは1971年1月、最初の孫が誕生する直前に82年の生涯を閉じています。
ROESCHLEIN LUXON 50mm F2 (Paxette M39マウント): フィルター径 40.5mm, 重量(実測)85g , 絞り羽 15枚, 絞り値 F2-F16, 最短撮影距離(規格) 1m, 設計構成 4群5枚プリモプラン型, フランジバック44mm |
★レンズの取引相場
流通量の少ないレンズですから、まともなコンディションの個体に出会う機会は極めて少ないとおもいます。希少価値がある一方で、もともとは安価な大衆機に搭載されていたレンズですので取引相場は安定していません。ただし、プリモプラン型であるという情報が広まれば、今後は現在のプリモプラン58mm並みの値段(50000円程度)かそれ以上の値で取引される事になるでしょう。ちなみにロシュラインが設計した5cm f1.5のプリモプラン初期型(ライカ/コンタックス用)にはとんでもない値段がつきます。
レンズはBraun(ブラウン)社のPaxette(パクセッテ)というカメラ(上の写真)に搭載する交換レンズとして供給されました。Paxetteには独自のM39スクリューマウント(ねじピッチ1mm)が採用されており、フランジバックは44mmです。eBayにはマウントアダプターの市販品が流通していますので、これを用いればLUXONのようなpaxetteマウントのレンズをデジタルミラーレス機で使用することができます。アダプターは市販部品の組み合わせのみでも簡単に自作できますのでレシピを披露しておきましょう。高性能なヘリコイド付アダプターですので、近接撮影も可能です。
左がPaxette - Leica Lアダプター、右がPaxette - Sony Eアダプターの制作例。アダプターはヘリコイド付きなので、レンズ本体のヘリコイドとともにダブルヘリコイド仕様となります。最短撮影距離はライカLマウントの側が約0.3m、SONY Eマウントの側が約0.2mです |
★撮影テスト
プリモプラン同様に個性の強いレンズで、設計構成がレンズの性格を決める大きな要因であることを改めて実感させられます。奥行きのある場所で撮るとレンズの真価が発揮でき、被写体の背後にグルグルボケが発生するとともに、四隅に向かって像が崩壊しながらボケてゆきます。不思議な立体感を楽しむことのできるレンズです。絞り羽根が何と15枚もあり、アウトフォーカス部の点光源はどの絞りでも綺麗な真円になります。非点収差がかなり大きいようで像面が大きく分離しており、開放では良像域が写真中央部の狭い区域に限られています。中央でピントを合わせても周辺では大きく外れてしまいます。ただし、通常は平面を撮るわけではないので、これで普段使う分には不満もなければ問題もありません。少し絞ればピント部の良像域は四隅に向かって拡大します。被写体の配置を中央から外す場合は何段か絞ったほうがいいでしょう。ピント部は開放からヌケの良いスッキリとした描写で、滲みはなく、シャープネスやコントラストは程よいレベルです。開放でのヌケの良さは兄弟レンズのプリモプランより良い印象です。一方、遠方撮影時とは対照的に、近接撮影時ではソフトな描写に変わります。逆光ではハレーションが出やすく写真がモヤモヤと白濁しますので、コントラストや鮮やかな色ノリを維持したいのでしたらフードは必須です。
プリモプラン同様に初めのうちは激しい収差に振り回されて、あたふたするかもしれませんが、とても遊び甲斐のある面白いレンズだとおもいます。良い子はこんな魔性のレンズではなく、もっと大人しいレンズで撮りましょう!
F2(開放) sony A7R2(WB:日光) |
F2(開放) sony A7R2(WB:日光) |
F2(開放) sony A7R2(WB:日光) |
撮影機材 SONY A7R2(フードの装着は無し)
F2(開放) sony A7R2(WB:日陰) かなり強烈なグルグルボケが出ています。中央はシャープでヌケがよい |
F2(開放) sony A7R2(WB:日陰)ボケはかなり妖しく、いかも崩壊気味です |
F2(開放) sony A7R2(WB:日光) |
F2(開放) sony A7R2(WB:曇天) 開放でピントが合うのはごく中央部のみで、四隅ではピントが外れてしまいます。像面が曲がっているようで、このレンズの描写には妙な立体感があります |
F2(開放) sony A7R2(WB:曇天) |
F2.8 sony A7R2(WB:曇天) |
F4 sony A7R2(WB:曇天) |
F2(開放) sony A7R2(WB:曇天) |
F2(開放) sony A7R2(WB:曇天) |