おしらせ


MAMIYA-TOMINONのページに写真家・橘ゆうさんからご提供いただいた素晴らしいお写真を掲載しました!
大変感謝しています。是非御覧ください。こちらです。

2014/04/16

Kilfitt Tele-Kilar 105mm F4 (converted M42)

ある日、ウィーンのカメラオークションにMECAFLEX(メカフレックス)という名の美しい一眼レフカメラが登場した。解説によるとカメラはモナコ公国のSEROA(セロア)社という聞き慣れないメーカーが1958年から1965年にかけて生産した製品とのことである。何が目にとまったのかというと、工芸品と言っても過言ではない見事なフォルムである(こちら写真を含む解説)。大きさは手のひらに収まる程度しかなく、本当に一眼レフカメラなのかと目を疑いたくなるようなコンパクトな造りであるが、搭載されていた専用レンズがこれまたデザイン的に素晴らしく、機能性と美しさを融合させた素晴らしい工業製品なのである一瞬にして心を奪われてしまった。早速調べてみたところ、レンズを設計したのはHeintz Kilfitt(ハインツ・キルフィット)であった。Kilfittはスパイカメラの名機Robotや世界初のマクロ撮影用レンズMakro Kilarを設計した人物として知られている。


時計職人のセンスで名声を築いた
ハインツ・キルフィットの望遠レンズ
Kilfitt Tele-Kilar 105mm F4
Heintz Kilfitt(1898–1973)はカメラとレンズの設計者として2足の草鞋(わらじ)で名声を築いたドイツ人技術者である。戦前の1930年代に手がけたRobot(ロボット)というカメラは流線形の美しいデザインもさることながら、少ない部品で効率よく動き、ゼンマイ仕掛けのスプリングモーターによる自動巻上げ機構を内蔵した革新的な製品であった。このカメラの精巧でコンパクトな造りと優れた機構には当時のLeitzも衝撃を受けたといわれている。おそらく彼が若い頃に時計職人として培ったセンスがこのような優れた製品を生み出すアイデアにつながったのであろう。彼はその後、1947年に欧州の小国リヒテンシュタインでKamerabau-Anstalt-Vaduz (KAV)という会社を立ち上げ、レンズや光学製品の生産に乗り出している。KAV社は1955年に世界初のマクロレンズMakro-Kilar 3.5/40を発売、1959年には米国Zoomar社と協力し世界初のスチルカメラ用ズームレンズZoomar 36-82mmをVoigtlanderブランドでOEM生産するなど、新興メーカーながらも著しい活躍をみせている。その後、会社をドイツのミュンヘンに移転し、社名もKAVからKilfittへと変更している。
同社の光学製品にはデザイン的に独特なものが多く、やはり流線形を基調とする他に類をみない外観が持ち味となっている。レンズとして独特なものはZoomar社との共同開発でKilfittが製造を担当したMacro Zoomar 50-125mm F4Zoomar 36-82mm F2.8、自社のみで生産したヒット作のMakro-Kilar 4cm F3.5/F2.8や同90mm F2.8Kilar 150mm F3.5Tele-kilar 300mm F5.6などがあり、いずれもスタイリッシュな製品である。今回紹介するTele-Kilar(テレ・キラー)105mm F4も素晴らしいデザインで、私の中では鏡胴の格好良さで3本の指に入るレンズだと思っている。この製品はKilfittがモナコ公国のSEROA(セロア)社に設計を売り込んで委託生産させたMecaflex(メカフレックス)という超小型一眼レフカメラの交換レンズで、カメラとともに1958年から1965年頃にかけて市場供給された。製造本数は200本程度と極めて少なく、コレクターズアイテムとなっている。
Tele-Kilarと同等の標準的なBis-Telarタイプ(望遠基本タイプ)の設計構成。構成は2群4枚で左が前方で右がカメラ側: Note that the above figure is NOT the optical construction of Tele-Kilar 105mm itself, but the typical Bis-Telar model corresponding approximately to this lens.
レンズの設計は2群4枚のBis-Telar(ビス・テラー)型で、シンプルな構成にもかかわらずアナスチグマートの要件を満たしている。この設計は1905年にドイツのEmil Busch(エミール・ブッシュ)社が発売した望遠レンズのBis-Telar(K.Martin設計)を始祖としている。前群と後群がそれぞれ正と負のパワーを持つレンズ群の組み合わせになっているため、ペッツバール和を抑えるのは容易で、像面湾曲と非点収差の同時補正が可能になっている。このためピント部は四隅まで均一な画質を保持でき、グルグルボケも抑えられている。ただし、望遠比(全長/焦点距離)が極端に小さいと後群の負のパワーが強くなりペッツバール和がマイナス方向に増大するので、この構成のまま焦点距離の極端に長いレンズが設計されることはあまりない。

入手の経緯
本品は2013年12月にebayを介しフランスの個人出品者から競売により落札購入した。商品の解説は「全て正常に動作する。鏡胴はとてもクリーンで経年劣化は軽く、保存状態は素晴らしい。傷やヘコミはない。光学系はクリーンでクリア、傷、クモリ、バルサム剥離はない。ごく僅かにホコリの混入がある程度である。フォーカスリングはスムーズ。オリジナルボックスが付いている」とのこと。オークションは150ドルでスタートし4人が入札、自動入札ソフトを使い最大入札額を490ドルに設定し放置したところ、翌日になって450ドル+送料30ドルで落札していた。届いた品は記述どうりの良好な状態でホコリの混入も殆ど見られず、デットストックに近い状態であった。製造本数が200本程度と極めてレアなため中古相場は不明だが、認知度か低い上にマウントが特殊なので、需要は少なく、市場に出て来れさえすれば入手の難易度は高くない。少し前に同等の品がイギリスのオンライン中古カメラ店に470ドルで出ていた。

フィルター径:35.5mm, 絞り羽: 10枚, 最短撮影距離: 1.5m, 構成:2群4枚(正負|負正)のBis-Telar型(望遠基本型), 単層コーティング, 絞り: F4- F32, MECAFLEX用,  ごく簡単な方法でマウント部にM37-M42ネジを嵌めM42マウントにコンバートしている。後玉が大きく飛び出しているので、一眼レフカメラで使用する場合にはミラーが後玉に干渉する恐れがある。ミラーがスイングバックするMinolta X-700ではミラー干渉はなかった





撮影テスト
このレンズの設計は24x24mmのスクウェアフォーマットに最適化されており、十分な性能を発揮するには本来の母機であるMecaflexで用いるのが一番良い。一方、デジタル撮影で用いる場合の最良の選択は一回り大きなイメージフォーマット(36x24mm)のフルサイズ機にマウントするか、一回り小さなAPS-C機(24x16mm)にマウントするかのどちらかになる。堅実な写りを求めるならAPS-C機で使用するのが良いが、反対に収差を活かした撮影を楽しみたいならフルサイズ機で使用するのもよい。本Blogではフルサイズ機で撮影テストをおこなっており、レンズ本来の描写設計よりもボケ量と収差量がより大きなものになるので、あらかじめ断わっておく必要がある。

★テスト環境
デジタル撮影: SONY A7(AWB)
フィルム撮影: minolta X-700,  フィルム: efke KB100(クロアチア製ネガフィルム)

Tele-Kilar 105mmは線の太い写りを特徴としているレンズである。解像力は抑え気味で平凡であるが、代わりにハロやコマなどの滲みやフレア(収差由来)はキッチリと抑えられており、開放からヌケの良さが際立っている。逆光にはよく耐え、ゴーストやグレア(内面反射光由来のハレーション)は出にくいため、コントラストは良好で発色もよい。カラーバランスに癖はなくノーマルである。階調は軟らかく、なだらかに変化し、絞っても硬くはならない。望遠レンズに特有の糸巻き歪曲はよく補正されており、全く検出できないレベルである。2線ボケはほとんど見られず穏やかで柔らかいボケ味である。ただし、フルサイズ機で使用する場合には近接撮影時に背景にグルグルボケの発生がみられ、解像力も四隅では低下気味になる。本来は写らない領域なので、これはフェアな画質評価ではない。そこで、画像の側部を落とし定格の24x24mmスクウェアフォーマットでの画質を見てやると、グルグルボケは目立たなくなり解像力も良好である。APS-C機で用いれば本来の描写設計を取り戻し、かなり手堅く写るレンズであることがわかる。単純な構成のわりに優れた描写力を備えたレンズのようである。
このレンズは後玉が小さくバックフォーカスも比較的短いことからテレセン特性が厳しいようで、フルサイズフォーマットのデジタルカメラで撮影すると画像周辺部に顕著な光量落ちがみられる。光量落ちが特に著しいのは絞り開放で遠方を撮影する時である。ただし、絞れば改善し、近接撮影では気にならないレベルにおさまる。フィルム撮影(35mm判)の場合には全く検出できなかった。
APS-C機では手堅く写り、フルサイズ機にマウントすれば収差を引き出すことも可能。Tele-Kilarは一度で二度おいしい、とても楽しいレンズだと思う。
F11, 銀塩モノクロフィルム(efke KB100):  焦点距離が105mmともなれば望遠圧縮効果がはたらき、遠方の景色を大きく見せることができる。絞った時の解像力はなかなか秀逸なようで、浜辺で遊ぶ人の姿がはっきり識別できる。和尚も海かな?
F4(全開), sony A7(AWB): 続いてデジタル撮影だ。このレンズは最短撮影距離(1.5m)の付近でグルグルボケが顕著に発生するので、ポートレート撮影に収差を生かすにはもってこいのレンズである。グルグルが目立つのはレンズ本来の規格をこえる一回り大きな撮像面(フルサイズセンサー)で撮影しているためである。側部を落としスクウェアフォーマットにしてみると、ここまで目立つものではないことがわかる
F8, sony A7(AWB): コントラストは良好で発色はノーマル。よく写るレンズだ

F4(開放), sony A7(AWB): デジタルカメラで中遠景を撮影すると、開放では画像周辺部に光量落ちが目立ち始める。これはレンズのテレセン性が低いためである。深く絞れば改善する。開放でもヌケは良く、コントラストも十分に良い


F4(開放), 銀塩モノクロフィルム(efke KB100):  フィルム撮影の場合、周辺光量落ちは全くみられない。なんだか素敵なコロッケ屋だ



 

2014/04/11

Carl Zeiss Jena Pancolar 55mm F1.4 (M42)

ハイテンションな色ノリで世界を華やかに写しとる
温調レンズの決定版 PART2:
Carl Zeiss Jena Pancolar 55mm F1.4
Pancolar(パンコラー)55mm F1.4は旧東ドイツのVEB Carl Zeiss Jena社が1967年から1971年まで生産した高速標準レンズである。同社が誇る最高級一眼レフカメラのPentacon Super(ペンタコン・スーパー)[4579台生産]に標準搭載され、4年間で5101本が製造された。光学系は4群6枚のダブルガウス型レンズをベースとする5群7枚構成の発展型(下図)で、後群の最後尾に凸レンズを1枚追加し正のパワーを強化することでF1.4の明るさを実現している。このタイプの設計(後群分割型ダブルガウス)にはバックフォーカスを確保しやすいといった長所があり、その後、現代に至るまで一眼レフカメラ用に設計された明るいレンズでは、ほぼ例外なくこの設計方式が採用されている(「レンズ設計のすべて」辻定彦著:7章(2)節参考)。
Pancolar 1.4/55の構成図: 左が前群側で右が後群(カメラ)側となっている。「東ドイツカメラの全貌」(朝日ソノラマ)からトレーススケッチした。構成は5群7枚でダブルガウス型レンズの発展型である。正の凸レンズを黄色、負の凹レンズを水色に着色した
ガウス型標準レンズが基本構成(4群6枚)を維持したまま実現できる口径比は、せいぜいのところ明るくてもF2前後までである。仮にこの構成のまま正パワーを強化し、一段明るいF1.5程度のレンズを実現したいなら、レンズエレメントを肉厚に設計し、かつ屈折面のカーブ(曲率)を大きくすることになる。各エレメントに大きなパワーを持たせ、光学系全体のパワーレベルを向上させるというアプローチである。しかし、パワーの大きなレンズエレメントからは大きな収差が発生するため、このアプローチではAngenieux Type-S 1.5/50 (4群6枚)のような滲みやフレアの多い趣味性の強いレンズとなってしまう。そこで、光学系に凸エレメントを一枚追加し、光学系全体のパワーを強化しながら各部のエレメントのパワーは逆に緩めるという手段が選ばれるのである。この場合、レンズを明るくしても諸収差は一定レベルに抑えることができるので、画質的には有利である。凸エレメントを追加する場所として効率的なのは、軸上光線が高い位置を通る前群最前部か後群最後部のどちらかであるが、このうち前群最前部に配置する場合にはバックフォーカスが短くなり、一眼レフカメラへの適合が困難になる。そこで、本レンズ(上図)のような後群最後部に凸エレメントを配置した構成形態が選ばれるのである。
凸レンズの追加はペッツバール和を増大させるので、放っておくと周辺部の画質はさらに厳しいものとなる。そこで、Pancolarでは凸レンズに酸化トリウムを含む高性能な新種ガラス(低分散高屈折率ガラス)を導入し、この増大を最小限に抑え込んでいる。高屈折率ガラスを導入したことにより、直接的な効果としては画像周辺部の解像力の向上とグルグルボケの抑止、間接的には収差全体の補正力を改善させる波及効果が得られる。しかし、後に酸化トリウムが放射するα線がガラスを黄褐色に変色させる先天性の病気の「ブラウニング現象」が発覚、現在では多くの製品固体でこの病気が進行し、ガラスに黄褐色の変色がみられる。この影響が少なからず撮影結果にも出ており、カラーバランスへの影響は無視できない。フィルム撮影時、特にカラーポジフィルムでの撮影時には黄色転びが顕著にみられ、カラーバランスの事後補正が必須となる。しかし、前向きに考えてはどうだろうか。ブラウニング現象がもたらしたカラーバランスへの影響は、歳月を経ることで獲得できたオールドレンズならではの描写特性と言えるもので、実際に使ってみると思いがけないシーンで素晴らしい演出効果を提供してくれる。フツーに写る無着色なガラスのレンズには決して真似のできない、味わい深い写真効果が得られるのである。
 
紫外線照射によるガラス材の修復
Pancolarのガラスが黄色く色づくのは、ガラス材に含まれる酸化トリウムという放射性物質がα線を放射し、ガラス中に格子欠陥(電子正孔対)を生じさせるためである。これはブラウニング現象、あるいはソラリゼーションと呼ばれ、格子欠陥が光を吸収するためガラスは黄褐色に色づいてみえる。これに対し紫外線を一定時間照射しガラス材を熱すると、電子正孔対からトラップ状態の電子を解放させることができる。格子欠陥は消滅し、Pancolarにみられるブラウニング現象は紫外線の照射のみで除去できるのである

入手の経緯
このレンズはブログの読者の方からお借りした。はじめは何とAngenieux 50mm F1.5(中古相場50万!)をお貸しくださるとの申し出で正直驚いたが、あまりにも高価なレンズのため、万が一の事を考え、こちらから丁重にお断りし、その代わりにこのレンズをお借りしたのだ。生産数5101本とレアなレンズのため中古市場での流通量は少なく、現在の中古相場は1000ドルを超える。ちなみに兄弟レンズのPancolar 75mm F1.4(M42)は生産数550本と更にレアで、ここ最近になってeBayで売り出された個体には10000ドル程度(100万円程度)の値段がついていた。既に売れたようである。
Pancolar 55mm F1.4(M42マウント): フィルター径58mm, 絞り値 F1.4-F22, 絞り羽:8枚構成 最短撮影距離0.39m, 重量400g, M42マウント, 製造: 1967-1971年(1963年設計), 設計者はZeissのEduard Hubert (1964年設計)と言われているが、根拠となる文献を掴んでいないので噂と思ってほしい。製造本数:5101本, Pentacon Super用としてM42マウント用のみが市場供給された



撮影テスト
このレンズが発売された1960年代で口径比がF1.5未満の明るさを実現した写真用レンズには、どこか背伸びをしたような危うさがみられるのが普通である。高い技術力を誇ったZeiss Jenaの製品でさえ開放での描写は穏やかではない。Pancolar 55mmも例外ではなく、開放では抑え切れない収差から像がモヤモヤとフレアにつつまれ、解像力とコントラストに明らかな低下がみられる。発色は淡く、ボケは嵐のように激しい。一方、F2まで絞ると画質は改善し解像力は向上、収差を伴いながら線の細い描写となる。F2.8まで絞るとヌケはよくなり、画質的に充実したレベルに達する。階調は驚くほど軟らかく、トーンはなだらかで深く絞り込んでも硬くはならない。ただし、曇天時に開放でフィルム撮影をおこなうと軟らかすぎてメリハリ感の乏しい描写となる事があるので、使い方には注意を要する。デジタル撮影ならば問題はない。変色したガラス材の影響で発色が黄色に引っ張られ、フィルム撮影時、特にカラーポジフィルムでの撮影時にはその影響を顕著にうける。一方、デジタル撮影ではカラーバランスの補正機能が自動で働き、黄色転びはフィルム撮影の時よりも控えめになる。しかし、それでもなお現像時にカラーバランス補正は必須となるであろう。ボケは柔らかく開放付近ではフレアを纏いながら綺麗に拡散している。開放では距離によってグルグルボケがみられるが、Biotar F2ほど激しくはならず、高性能な硝材が導入されたことによる一定の改善効果がみられる。反対に前ボケには距離によって2線ボケ傾向がみられるとの世評がある(ただし、私は確認できなかった)。もしかしたら開放で意図的に球面収差を補正不足にしたレンズなのかもしれない。この種の補正不足型レンズの特徴は開放で像がソフト、後ボケはフレアにつつまれ大きく柔らかくボケる。反対に前ボケはやや硬めで2線ボケが出る。もう少し撮影テストに時間をかければよかったのが残念ではある。Pancolar 55mmの前ボケについてコメントなどでご教示いただけると幸いである。
vF2.8 Nikon D3 digital AWB→Photoshopのカラー補正を適用(補正前の画像はこちら): 純白の花だが黄色っぽい。ここまで絞るとボケは穏やかで綺麗である

F2.8 銀塩撮影(Kodak Profoto XL100/無補正): 今度はフィルム撮影(ネガフィルム)。こういう被写体ならば黄色転びも大して問題にはならない。とてもいい味を出している
F1.4(開放) Nikon D3 digital, AWB :再びデジタル撮影。Photoshopの自動カラー補正を適用した。補正前の画像はこちら。レタッチで人相に手を加えてある。開放ではさらに黄色転びが激しく、カラー補正を入れてもまだ温調気味だ。ボケはやはり激しいが硬くはない。アウトフォーカス部の像の流れを生かし、被写体に動きを与えている
F2.8, Nikon D3, AWB, Photoshopの自動カラー補正を適用(補正前の画像はこちら): 最短撮影距離でのショット。他の一般的なガウス型レンズと同様に近接撮影では球面収差がアンダー方向(補正不足方向)に大きく変化しており、後ボケはフレアをともないながら柔らかく綺麗に拡散している。ピント部は依然スッキリとしていてヌケは良好だ
 当時のF1.5はアナスチグマートを崩壊させる言わば死線ともよべる口径比だったはずである。技術水準から考えればアナスチグマートが5大収差の全てを満足のゆくレベルで封じ、画質的に健全でいられたのは、F2前後までだったのであろう。これを越えてしまった1960年代のPancolarやContarex-Plannarが画質的に厳しいレンズであったのは確かなことである。しかし、当時のユーザーサイドがこれを拒絶しなかったのはとても興味深いことではないだろうか。私の知る限り55mm F1.4が嫌われ者であったという悪い評判はどこにもみられない。むしろ、ユーザーサイドには限界に挑むスーパーレンズを暖かく見守る広い心があったようにも思える。なぜ嫌われ者にはならなかったのか。恐らく人間の感性には収差の嵐すら写真効果のひとつ、表現の可能性の一形態として受け入れてしまう柔軟性と許容力があったからであろう。これより後もF1.4クラスのレンズは各社から次々と登場しており、このクラスの大口径レンズの需要は現代に至るまで途絶えることなく続いてゆくのである。 

2014/03/23

Carl Zeiss Jena Pancolar 50mm F1.8(M42)rev.2



Pancolar(パンコラー)の前期モデルと言えば黄色く変色したガラスを持つことから、いわゆる「放射能レンズ」の代名詞的な存在となっている。カラーフィルムでの撮影時にみられる黄色転びの激しさが容易には受け入れられず、かつては安値で売買される時期もあった。しかし、デジタルカメラの登場が窮地のレンズに救いの手を差し伸べている。カメラの画像処理エンジンに組み込まれているカラーバランスの自動補正機能が発色の癖を強力に補正し、写真の仕上がりが大きく改善したのである。長い間、死蔵品のような扱いを受けてきたレンズの価値はここに到って見直され、もともと温調な発色を好む欧米人からはノスタルジックな写りが素晴らしいと評価は上々である。経年による材質変化を長所に変え、デジタルカメラとのコラボレーションで見事な復活を遂げたのである。


ハイテンションな色ノリで世界を華やかに写しとる

温調レンズの決定版 PART1:

Carl Zeiss Jena Pancolar 50mm F1.8

Pancolar 50mm F1.8は旧東ドイツのVEB Zeiss Jena社が戦前から続くBiotarの後継製品として1965年に投入した高速標準レンズである。高性能な新種ガラスを用いてBiotarのアキレス腱とも言える像面特性の弱さを改善させ、戦後のZeiss Jenaブランドを象徴する看板製品となっている。レンズの設計したのはH.Zöllner (ツェルナー)とW. Dannberg (ダンベルグ)という人物で、Zöllnerは他にもFlektogon 35mm F2.8, Tessar F2.8(戦後型), Biometar F2.8, DannbergはFlektogon 20mmと同25mmの設計開発を手がけている。 Pancolar 1.8/50のルーツは4群6枚構成のFlexon 2/50 (1957-1960年Praktina/Exakta用)および同一設計による後継のPancolar 2/50 (1959-1969年Exakta/M42/Exakta用)である。Pancolarは後の設計変更で口径比がF1.8となり1965-1970年まで製造され、シリアル番号8552600 (1970年生産)あたりで再び設計変更されている。この設計変更では構成を5群6枚とすることで描写性能を維持したまま放射性物質(酸化トリウム)を用いない安価な硝材に置き換えられた。この置き換えにはコストの削減以外にも2つのメリットがあり、1つは後年、F1.8の前期モデルに対して発覚した経年によガラス硝材の黄変(α線の照射が原因でおこるガラスの結晶構造の破壊、格子欠陥でブラウニング現象あるいはソラリゼーションと呼ばれている)を回避できること、もう一つは光の透過率がやや向上するため、画像の中央部から四隅にかけてコントラストの画角特性が均一にできるという点であった。ゼブラ柄のPancolar最後期バージョン(1970-1975年)と黒鏡胴のMC Pancolar (1975-1981年)にガラス材の経年黄変がみられないのはこのためである。なお、誤解してはならない点として強調しておくが、5群6枚構成への設計変更はブラウニング現象が発覚する前から計画されていたことであり、同現象が引き金になったわけではない。台帳の記録では5群6枚の新設計が完成したのは1963年5月とあるが、この時点でZeissはブラウニング現象に気付いておらず、その証拠にZeissは同年12月に同じくブラウニング現象が顕著に見られるPancolar 55mm F1.4をリリースしている。 MC Pancolar 1.8/50の5群6枚設計はMC Prakticar 1.8/50のごく初期のバージョンまで継承されるが、セカンド・サードバージョンでは採用されずPancolarの血統はここで途絶えている。
Pancolar各モデルの生産時期と生産本数をブロック形式で表した。各ブロックの面積は生産本数に比例するよう描いている。Pancolarのルーツはプロ用一眼レフカメラのPraktina、およびExaktaの交換レンズとして供給されたFlexon(フレクソン) 50mm F2で、このレンズは1957年から1960年までの3年間に19400本が生産されている。Flexonは1959年にPancolar 50mm F2へと改称され、その後1969年までの10年間で133500本が生産されている。更に1964年の再設計で口径比F1.8(4群6枚)のモデルも用意され、1965年に登場、本稿ではこのレンズを「前期モデル」と称することにする。前期モデルはM42とExaktaの2種のカメラマウントに対応し、1970年までの5年間で39420本が生産された。しかし、ガラス材に10-30%程度含有させる酸化トリウムが原因で製造時に無色透明だったガラスが後に黄色に変色する進行性の組成変化が発覚し、酸化トリウム不含ガラスを用いた別設計へのモデルチェンジを余儀なくされている。再設計後のシリアル番号8552600以降のモデル(本稿では後期モデルと呼ぶ)でガラス材に黄変がみられないのはこのためである(ちなみにFlexonとPancolar F2でも黄変はみられず、おそらく酸化トリウムは未使用のようである)。この再設計ではガラス材の性能のダウンを補うため、レンズの構成が4群6枚から5群6枚に変更されている。空気と硝子の境界面が1面増えるものの酸化トリウムを含んだガラス材よりも光の透過率がやや向上するため、デメリットはそれほど大きくはない。なお、前期モデルよりも後期モデルの方がボケの拡散が柔らかいとの世評である。これは恐らく空気レンズの導入が球面収差の中間部の膨らみ(輪帯球面収差)を効果的に叩いているためであろう。事実なら解像力も後期モデルの方が向上しているはずである。後期モデルは1970年に市場投入が始まっているが、デザインや仕様の異なる幾つかのバージョンが存在が知られている。これらは大きくわけて1970年から1975年まで生産され174280本が市場供給されたゼブラ柄鏡胴で単層コーティングのバージョンと、1975年から1981年まで生産され171008本が市場供給された黒鏡胴でマルチコーティングのバージョン(MC Pancolar)の2種に区分できる。更にゼブラ柄のバージョンには絞りリングのデザインが異なる2種のバージョンが存在し、また、黒鏡胴のバージョンにも名盤の字体やマルチコーティングの表記が異なる幾つかのバージョンが存在している。後期モデルの5群6枚設計はMC Pancolarを経て、1980年代に生産されたCarl Zeiss Prakticar 1.8/50の初期バージョンに継承されている。ただし、Pancolarの血統はここまでで、Prakticar 1.8/50のセカンド・サードバージョンからは旧Meyerのゲルリッツ工場での生産に切り替わり、設計もMeyer Oreston 1.8/50(4群6枚)のものが採用されている










Pancolar 50mm F1.8の前期モデル(1964年設計)のレンズ構成。「東ドイツカメラの全貌」(朝日ソノラマ)からトレーススケッチした。左が前群で右が後群(カメラ側)。4群6枚の典型的なダブルガウス型である

左はFlexon 50mm F2の構成図(1954年設計)。典型的なダブルガウス型(4群6枚)である。右はPancolar 50mmF1.8の後期モデルの構成図(1967年設計)である。後群に負の空気レンズを持つ5群6枚の構成である。これらの硝材の黄変はみられない



ガラス材の進歩と放射能ガラスの登場
明るく高性能なレンズを開発するには光学系全体として大きな正のパワーを稼ぎながら、同時にペッツバール和を最小にさせることが重要である。そのためには光学系の凸レンズに可能な限り屈折率の高いガラスを用いることが必要になる。こうした要求に対する最初の大きな進歩が1886年に登場したイエナガラス(新ガラス)で、ガラス材の原料にバリウムを加えることで屈折率の大幅な向上に成功したのである。ガラス材の進歩はレンズ設計の可能性を押し広げ、その直後からプロター、ダゴール、プラナー、テッサーなど重要なレンズ構成(アナスチグマート)が次々と登場している。その後、硝材の性能は1930年代に再び飛躍的な進歩をみせる。希土類金属の酸化ランタンを原料とし、低分散ながらも屈折率を大幅に向上させた新種ガラスが登場したのである。このガラスを用いて1946年に再設計されたTessar F2.8(H.ツェルナー設計)では球面収差とコマ収差の補正力が改善し、戦前のイエナガラスで設計されたテッサーF2.8(W.メルテ設計)に対し、解像力とヌケの良さで大幅な性能の向上を遂げている(Jena Review 2/1984 P.78参照)。その後、1950年代には酸化トリウムを10-30%含有させた新しい新種硝子(いわゆる放射能ガラス)が開発され屈折率は更に向上、1965年に新型レンズPancolar 50mm F1.8(前期モデル)を登場させている。しかし、硝材に含まれる酸化トリウムがα線を放射し、ガラス内の含有物の組成を化学変化させることが発覚した。このためZeissは1970年発売の後期モデルから、この種のガラス材の使用を中止し、5群6枚の新設計へと移行している。
ゼブラ柄・前期型(1965-1970年製造39420本): フィルター径 49mm, 絞り F1.8-F22, 最短撮影距離 0.45m, 重量(実測)200g, 絞り羽 8枚, 設計 4群6枚(シリアル番号8552600からの後期型は5群6枚、絞り羽根は6枚に変更), M42マウントとEXAKTAマウントの2種のバージョンが存在する。ガラス面にはZeiss所属のウクライナ人物理学者Olexander Smakula博士が1935年(特許開示は1937年)に発明した光の反射防止膜(Tコーティング)が蒸着されている








入手の経緯
本品は2008年6月にeBayを介し英国の中古カメラ業者から135ドルの即決価格にて落札購入した。商品の状態はエクセレントとの評価で「カビ、クモリ、傷はなく、僅かに若干ホコリの混入がある。絞り羽根はクリーンでスムーズに動作する」とのこと。届いたレンズは大きな問題こそなかったが、ヘリコイドリングがカチコチに重かった。当時のeBayでの相場は100ドル~120ドル程度、ヤフオクでは15000円位であった。現在は相場が若干上がっており、綺麗なものだとeBayでは150-200ドル前後、ヤフオクでは1.5~2万円程度の値段で出ている。

撮影テスト
4年半ぶりにPancolarを使ってみて、とても特徴がつかみやすいレンズだと改めて実感した。コントラストは高く、発色はコッテリと濃厚。ただし、階調には適度な軟らかさがあり絞り込んでも硬くはならない。変色したガラス材の影響で発色が黄色に引っ張られ、フィルム撮影時、特にカラーポジフィルムでの撮影時にはその影響を顕著にうける。一方、デジタル撮影ではカラーバランスの補正機能が自動で働き、発色はやや黄色い程度で許容範囲におさまる。偶然の産物とも言えるこのレンズの温調な発色にはノスタルジックな演出効果があり、ウィスキーの「熟成」にも似た組成変化をうけ完成、製造から長い年月を経ることでオールドレンズならではの描写特性を堪能できる別のレンズに生まれ変わっている。ピント部の解像力は開放から良好で四隅まで実用的な画質である。ただし、1~2段絞っても解像力の向上は限定的で抜群さには欠ける。コマやハロなどの滲みは開放からキッチリと抑えられており、前ボケ側にモヤモヤとしたものがみられる程度で、ピント部と背景はスッキリとしていてヌケが良い。逆光には弱く、撮影条件が悪いとフレア(内面反射由来)が発生し、発色が淡白になったり濁ったりもする。グルグルボケや放射ボケは激しくならず、四隅でも像が僅かに流れる程度である。開放ではポートレート撮影時に後ボケが硬く、像がゴワゴワと騒がしくなり、2線ボケもよく出る。反対に前ボケは滲みを纏いながら柔らかく綺麗に拡散する。他の一般的なガウス型レンズと同様に近接撮影では球面収差がアンダー(補正不足方向)に変化しており、近接撮影時では後ボケが柔らかく綺麗に拡散する。
このレンズは絞った時の画質の立ち上がりが鈍いので、やや大きな輪帯球面収差があるように思える。これが解像力の足を引っ張ると同時にボケ味を硬くしているのであろう。こうした傾向は今回取り上げるパンカラーF1.8の前期バージョンにみられる特徴であるが、後期モデルでは後群に空気レンズが導入され、こうした性質は改善、ポートレート域でも後ボケは柔らかく綺麗に拡散するようになっている。私は前期モデルの温調な発色の方が好みである。以下作例。

撮影機材
デジタル撮影: Sony A7(AWB)
フィルム撮影: Fujicolor SuperPremium 400 (Pentax MZ-3)
2014年3月某日午後、鎌倉・長谷にて 
F1.8(開放), sony A7(AWB): 色褪せた古いプリント写真をみているようなノスタルジックな色合いである

F1.8(開放), sony A7(AWB):  後ボケはゴワゴワと硬いが、反対に前ボケはモヤモヤとしたフレアをまといながら綺麗に拡散している。ピント部に滲みは無くヌケはよい




F4, sony A7(AWB): 2段絞ればボケは綺麗だが、開放ではこちらに示すような2線ボケ






F1.8(開放), sony A7(AWB): 2線ボケも目立つ。ゼブラ柄の後期モデルは設計変更によって導入された空気レンズが球面収差の膨らみを叩いているためか、このあたりに改善がみられ、背後のボケは柔らかいとのことである





F1.8(開放), sony A7(AWB): 開放付近でのこの温調さが気分を高揚させる。日差しの戻った暖かい春先に使うと最高にいい写りだ





F2.8, sony A7(AWB): 少し絞るとボケは大人しくなる。過剰補正型レンズの場合、少し絞ると解像力は急激に向上し素晴らしいキレを見せるのだが、このレンズの場合は可もなく不可もなく

F4, sony A7(AWB): もう少し絞るとカラーバランスはかなりノーマルに近づく






F8, sony A7(AWB):  ここまで絞り込んでも階調は適度に軟らかい
F1.8(開放)  Fujicolor SP400(ネガ): 最後にフィルムでの作例を一枚。デジタル撮影の時とはまた違った発色だ


















2014/03/12

Voigtländer SKOPAGON(スコパゴン) 40mm F2(DKL)

突然ですが留め金を外し岩が落ちます・・・・・・スコパゴン
広角のSkoparex(スコパレクス)から望遠のDynarex(ダイナレクス)まで主要なレンズをほぼ網羅した1960年のVoigtländer (フォクトレンダー)社。同社はここから新たな製品開発に乗り出している。それは、他社がまだ手がけたことのないスーパーレンズを世に送り出すことであった。世界初となる大型ズームレンズのZoomar (ズーマー) 36-85mm F2.8 (1960年にOEMで登場)を皮切りに、翌1961年には大口径・準広角レンズのSkopagon (スコパゴン) 40mm F2、翌1962年には大型望遠レンズのSuper-Dynarex (スーパー・ダイナレクス) 200mm F4、そして1964年には大型超望遠レンズのSuper-Dynarex 350mm F5.6を完成させるのである。こうした採算性の低いレンズを矢継ぎ早に繰り出すことは、やがて同社を経営破たんに追い込む原因の一つとなってしまう。

銘玉の宝庫デッケルマウントのレンズ達
PART6Voigtländer SKOPAGON(スコパゴン) 40mm F2
フォクトレンダーのクラフトマンシップが誕生させた
モンスターレンズ

今回紹介するSkopagonはVoigtländer社が1961年から1968年まで生産したF2の明るさを持つ準広角大口径レンズである。レンズ名の由来はギリシャ語で「見る、観察する」を意味するSkopeoであり、準広角レンズなのでこれにギリシャ語の「角」を意味するGonをつけSkopagonとなった。生産総数は僅か3484本と少なく、コレクターズアイテムとなっている。発売当時の小売価格が440DM(ドイツマルク)とたいへん高価であったことに加え、Septon 50mmとSkoparex 35mmの狭間に位置する微妙な焦点距離を採用していたため、需要は全く伸びなかった。ちなみに発売当初の小売価格は同じカタログ内に掲載されていたSkoparex (215DM)の2.3倍、Color-Skopar X (125DM)の3.5倍、Septon (298DM)の1.5倍である。
このレンズの特徴を知るには下に示す構成図をみるとよい。F2の明るさを持つ短焦点レンズとしては他に類をみない豪華な設計であり、このレンズの製品コンセプトが結像性能を徹底して高めるところにあったことが容易に理解できる。実際にレンズを使ってみると、四隅まで高解像で、ヌケも良く、ボケはよく整っていて美しい。怪物級の設計が傑出した結像性能を実現しており、素晴らしい描写性能の持ち主である。ただし、この時代はコーティング技術が発展途上だったことに加え、ガラス硝材には光の透過性のやや劣る新種硝子が使われていた。9枚もの構成では階調描写が安定せず、撮影条件に大きく左右されコントラストは乱高下、発色も急に淡くなるなど安定しない。このレンズは卓越した結像力を得ることと引き換えにコントロール不能な発作を抱え込んだ、言わば諸刃の剣なのである。こういう危なっかしい気質のレンズを上手く使いこなすには、それ相応の経験と勘が頼りになる。Skopagonは上級者向けのレンズと考えたほうがよさそうである。
レンズを設計したのはNOKTONやULTRONなどを設計したトロニエ博士(A.W.Tronnier)で1958年に焦点距離のやや異なる45mm F2の米国向け特許、1959年にドイツ向け特許が公開されている。

Skopagon 2/40の光学系。フォクトレンダー社のチラシからトレースした。構成は6群9枚の典型的なレトロフォーカス型で、ダブルガウス型レンズをベースとし、最前部1枚目に凹レンズを据えレトロフォーカス化するとともに、その後方の第2群に2枚のレンズをはり合せた色消しユニット(新色消し)を追加した構成である。この色消しユニットで非点収差と倍率色収差を補正し、四隅の画質を補強、焦点距離40mmのやや広い包括画角を実現している。ベースとなったダブルガウスのはり合せ(赤のユニット)が前後逆順になっているが、この方が軸上光線の低い位置に凹レンズが置かれ光学系全体として正のパワーを稼げるので、大口径化には有利なのであろう。実に豪華な設計である

入手の経緯
2013年12月にドイツのユリウスさんがMINTコンディションの品(美品)をフードや純正キャップ、純正フィルターとセットで出品していたが、入札額は何と958ドルまで競り上がり手も足も出ず落札に失敗。改めて入手難易度の高さを実感した。そのことをデッケルマウント愛好家のdymaさんに話したところ、レンズを所持されており快く借してくださった。硝子の状態はたいへん良好である。レアなレンズなので入手難易度は高く、eBayでは700~900ドルもする高級品である。

重量(実測)360g, フィルター径 52mm, 絞り羽 5枚, 構成6群9枚レトロフォーカス型, 1961-1968年製造, 製造本数3484本,  最短撮影距離:0.9m(後期型は0.6mに短縮されている), 焦点距離40mm, 開放F値 F2, デッケルマウント(Bessamatic/Ultramatic用マウント)。フォクトレンダーのパンフレットには同社の製品ラインナップにおけるSkopagonの位置づけがハッキリと述べられており、このレンズは広角レンズではなく大口径標準レンズとして紹介されている



撮影テスト
Skopagonはフォクトレンダーが持てる技術の粋を集め完成させた6群9枚の怪物級レンズである。余裕のある設計が傑出した結像性能と美しいボケを実現している。解像力は四隅まで高く、開放からハロやコマのないスッキリとしたクリアな写りとなっている。ボケは四隅まで乱れることなく開放でも安定しており、やや硬い印象はうけるものの、どのような距離でも良く整っている。発色は短波長光の透過率が悪い新種ガラスの影響からか温調寄り(黄色)に転ぶが、絞ると少しはノーマルになりコントラストも向上する。また、照度が低いと人の肌が赤みがかる傾向がみられる。夕日と同じ効果が硝子を透過する光にも生じているのかもしれない。光学系の構成枚数が多いため内面反射光が蓄積しやすく、階調性能にはコントロール不能な発作を抱え込んでいる。特に曇天時ではコントラストが大きく低下し発色が淡白になったり濁ったりする。一方、晴天時では持ち直し、鮮やかな発色になる。同じ理由で逆光にはたいへん弱く、ゴーストやハレーション(グレア)が出やすい。ただし、ハレーションの出方は限定的(局部的)で、画面全体に大きく拡散するようなことはないので、写真全体が破綻することはない。少し絞ると再びゴーストに戻る面白さがあり、ゴーストの形状をコントロールすることができる。

CAMERA: SONY A3, Nikon D3, EOS 6D (AWB)

F2(左)/F2.8(右), sony A7(AWB): ゴーストはかなり出やすく、絞りを開けるとフレアに発展することもある。しかし、フレアの出方は限定的(局部的)で、画面全体に大きく拡散するようなことはく写真全体が破綻することはない。少し絞ると再びゴーストに戻る面白さがあり、絞りの開閉でフレアの量や発生具合をコントロールすることができる

F2.8, Nikon D3(AWB): 中間部のトーンがよく出ており、逆光気味だが黒つぶれはみられない。やはり解像力は素晴らしい

F2(開放), sony A7 digital, AWB: ボケは滑らかで絵画のように美しく、周辺部までよく整っている。美ボケレンズだ


F4, EOS 6D(AWB): 晴天時のコントラストは良好で発色は鮮やかである。解像力はかなり高く、衣服の質感が緻密に表現されている。オールドレンズであることを忘れてしまいそうだ
Skopagonは冒険的で過激な製品コンセプトを掲げ、採算性を度外視した前代未聞のレンズであるが、それでも造ってしまうVoiogtlanderのクラフトマンシップとフロンティア精神は尊敬に値する。夢を追い求めるメーカーだったのであろう。しかし、残念なのは当時の市場がこれを力強くサポートできなかったことである。やがて、Voiogtlanderは経営難に陥り、怪物レンズSkopagonは1968年に生産を終了。翌1969年、同社はZeiss-Ikonに吸収合併され、創業から213年続いた世界最古の光学機器メーカーはついに幕を下ろしたのである。

2014/02/23

Voigtländer SEPTON 50mm F2(DKL)



銘玉の宝庫デッケルマウントのレンズ達
PART 5: SEPTON 50mm F2
被写体をダイナミックに捉える美しいトーン
ゼプトンの歌声が聞こえるか
Septon(ゼプトン)は旧西ドイツのVoigtlander(フォクトレンダー)社が最高級カメラのUltramatic(ウルトラマチック)に搭載したF2の明るさを持つ準大口径レンズである。写りが良いため1960年の登場直後からたちまち評判となり、1967年までの7年間に約52000本が製造されている。レンズ名の由来は数字の7を意味するラテン語のSeptemであり、光学設計が7枚の構成であることを主張したネーミングである。コーティング技術が今ほど進歩していない1960年代初頭の製品で7枚玉と言えば、本来は一段明るいF1.4のレンズにみられる構成である。一方、SeptonのようなF2クラスの7枚玉はまだ少なく、ライツの高級ブランドに一部みられる程度で、当時は6枚構成のオーソドックスなプラナー型やゾナー型が主流であった。レンズの構成枚数を増やせば収差の補正パラメータが増えワンランク上の結像性能を実現できるが、空気と硝子の境界面が増えるため内面反射光が蓄積しやすく、階調や発色が不安定になりやすいという代償を背負うことになる。合理的な判段を下すならば製造コストのかからない6枚玉であろう。事実、大方のメーカーはF2級レンズを6枚構成で登場させている。これをチャンスと見たフォクトレンダーは社運を賭けたハイスピード・スタンダードレンズに7枚構成を採用する大勝負を仕掛けたのである。この種の選択はハイリスク・ハイリターンを狙うものであり、代償として失うものこそ多いが、タイミングさえ合えば得られる成果には時として何倍もの価値がつくことがある。Septonは時代の一歩先をゆく前衛的なレンズとして登場、6枚玉のダブルガウスタイプにもテッサータイプにも真似のできない写りは、その後「音まで写しとる素晴らしいレンズ」と絶賛され、日本では伝説となるのである。
重量(実測) : 250g , 光学系の構成: 5群7枚ゼプトン型, 絞り羽: 5枚, フィルター径: 52mm, 最短撮影距離: 0.9m(後期型は0.6m), 製造年: 1960-1967年, 製造本数:52000本弱、デッケルマウント(Bessamatic/Ultramatic用マウント)








Septonの製品コンセプトは7枚構成で得た余力を大口径化に費やすのではなく、描写力の向上に充てていることである。発展期のガウス型レンズに共通してみられるモヤモヤとしたコマフレア(サジタルコマフレア)を徹底して低減させ、開放からスッキリとヌケの良い写りを実現した先駆的なレンズなのである。設計は下図のような5群7枚構成で、旧来からのダブルガウス型レンズに大きく湾曲した負の凹メニスカスレンズ(青のエレメント)を内部に組み込んだ独特な形態である。これがコマフレアを抑制するために生み出された合理的な設計であることは、以下の推論から理解できる。
 
Septonの光学系のトレーススケッチ。左が被写体側で右がカメラ側。構成は5群7枚のゼプトン型で旧来からのダブルガウス型レンズに大きく湾曲した負の凹メニスカスレンズ(青のエレメント)を組み込んだ独特な設計形態である。なお、この凹メニスカスで収差の補正とレトロフォーカス効果を同時に実現しており、50mmの焦点距離を維持したまま一眼レフカメラに適合できるようになっている。凹メニスカスを最前部に据えると普通のレトロフォーカスとなるが、Septonの場合には軸上光線が高い位置を通る最前部に凸レンズを据えることで正のパワーを稼ぎ、明るいレンズを実現している。絞りの手前にある凹レンズ(赤のエレメント)が絞りを挟んだ向かい側の凹レンズよりもフラットな形状でありることに、このレンズの設計の秘密が隠れている
 
スッキリとクリアに写るSeptonの描写力はモヤモヤとしたコマフレアを効果的に封じることで実現している。コマフレアは対称型のレンズに生じやすく、ダブルガウス型レンズはその典型である。コマが多く発生するとコントラストが低下しシャープネスを損ねることになる。Tronnier(トロニエ)が1934年に設計したXenon F2はこの性質を逆手に取り、前群のはり合せを外してコマを低減させた。すなわち、コマを抑える一つの方法は前後群の対称性を破ることにある。Septonの設計も対称設計のダブルガウス型レンズがベースとなっているが、上図に示すように前後群の対称性が凹メニスカスの導入によって大きく崩れている。
コマを抑えるもう一つの方法は絞りの手前側にある凹レンズ(図の赤のエレメント)の曲がり具合を緩めることである[伊藤宏1951/Canon 50mm F1.8]。構成図を見ると、この凹レンズのカーブが後群側の凹レンズに比べ遥かに緩やかになっている様子が確認できる。この部分を緩めた結果、球面収差とペッツバール和の変動が起こるが、これらを新たに追加した凹メニスカス(青のエレメント)によって低減させるのである。凹メニスカスの導入が負のパワーを補強しペッツバール和の変動を抑えると同時に、レトロフォーカス効果を生み出し、50mmの焦点距離を保ちながら一眼レフカメラへの適合をサポートするのである。凹メニスカスが「くの字型」に大きく湾曲していることを見逃してはならない。この湾曲により直ぐ後ろの第3レンズとの間に凸形状の空気レンズができており、この部分には球面収差の膨らみをたたく作用がある。新たに導入した7枚目の凹メニスカスが一石二鳥、いや一石四鳥の効果をあげ、コマフレアを合理的に封じているのである。
なお、Septonと同一構成のレンズとしては他にもHasselblad用Planar CF 80mm F2.8(1983)、Rollei SL66用Planar 80mm F2.8(1966)、Rolleiflex 6008 integral Planar 80mm F2.8(1993)などがあり、いずれも定評のあるレンズである。

Septonは1960年に登場後、生産の終了する1967年までの7年間で52000本弱が市場供給されている。これはColor-Skopar(20万本弱)、Skoparex(6万本強)に次ぎ同社のデッケルレンズとしては3番目に多い製造本数である。しかし、残念なことに現在の中古市場に出回っている製品の多くにはバルサム切れ(レンズのはり合せ面に塗布した接着材が劣化し接着面が剥離する現象)が発生し、バルサムの交換修理が必要となっている。バルサム切れが頻発する原因についてフォクトレンダー製品にお詳しい浅草の早田さんは、製造時に人工バルサムの混合比を間違える人為的なミスがあったと述べている。

入手の経緯
今回紹介する製品個体は2012年5月に米国の写真関連業者からeBayを経由し落札購入した。米国内への配送のみに対応すると宣言していたので、事前に連絡を取り日本への上陸許可を得ておいた。私の経験上、配送先を限定している場合には競売相手が減り、安く手に入る可能性があるので狙い目である。商品の状態はMINT(美品)で前後のキャップと保護フィルターが付属しているとの解説である。このレンズはバルサムの剥離した個体が非常に多くコーティングも傷みやすいため、中古市場に出回っている個体の多くがメンテを必要としている。出品者に事前に質問し、バルサム剥離が無いこととコーティングの状態が良いことを確認しておいた。オークションは1ドルスタートで始まり8人が応札、アンドロイドアプリの自動入札ソフトを用いて最大420ドル、締切時刻の7秒前にスナイプ入札するよう設定し放置したところ、翌朝に386ドルで落札されていた。送料+輸入税の41ドルを含めると購入総額は417ドルなので、相場価格よりやや安くてに入れることができた。現在のヤフオクでの相場はバルサム切れなど問題を抱えている品が30000~35000円程度、状態の良い品は45000~55000円程度(eBayでは400-500ドル程度)である。このレンズの中古相場は緩やかに上昇しているようだ。

撮影テスト
Septonの特徴は7枚構成で得た余力を大口径化に費やすのではなく、描写力の安定と向上に充てていることである。発展期のガウス型レンズに共通してみられるモヤモヤとしたコマフレア(サジタルコマフレア)を徹底して低減させ、開放からスッキリとヌケの良い写りを実現した先駆的なレンズなのである。階調描写はコンディションに左右されやすく明らかに軟調であるが、中間部の階調は驚くほど豊富に出ており、フワフワとしたグラディエーションの出方はその場の雰囲気を繊細かつ大きく捉えるのに適している。7枚玉ならではの軟らかく美しいトーンとテッサー同等のクリアな描写力を融合させた異次元の写りに、このレンズが世間から高く評価されてきた理由を感じ取ることが出る。発色は渋く、温調気味で、コンディションによっては赤みを帯びる傾向がある。開放ではこの傾向が特に増すが、絞れば少しはノーマルになる。後ボケには概ね安定感があり、中距離で周辺部の像が僅かに流れるものの、激しいグルグルボケには発展しない。この時代のダブルガウス系レンズにしては比較的穏やかな後ボケといえるだろう。反対に前ボケは中距離でグルグルボケが顕著に目立つことがある。このレンズはコマフレアが殆んど発生しないため、ダブルガウス系統のレンズにしては背景のボケ味がやや硬い印象をうける。おそらくアウトフォーカス部にコマフレアをやや残存させたほうがブワッと拡散し、柔らかく美しいボケに見えるのであろう。開放では四隅に若干の周辺光量落ちがみられるが一段絞れば均一化する。以下作例。

撮影環境: SONY A7,  M42-Nex Camera Mount, M42 Helicoid Tube, 52mm径Metal Hood
F2(開放) Sony A7(AWB):  開放では被写体前方にグルグルボケが発生するので、こういう面白い使い方ができる。発色は渋く温調気味である。やや赤みを帯びる傾向もみられる。シャドー部が潰れず穏やかな階調描写である



F4, SONY A7(AWB):  近接でも解像力はまぁまぁ高くコマも良く補正されている

F2(開放), SONY A7(AWB): 再び開放。これくらいのディテール再現性があれば解像力としては十分と言えるのではないだろうか。中距離では背景に極弱いグルグルボケが出るので、このようなストーリー性のある場面では演出効果の一翼を担っている
F2.8, SONY A7(AWB):  なだらかで美しい階調描写とテッサー同等のヌケの良さを融合させたSeptonならではの空気感である。ヘリコイドアダプターを用いてレンズの最短撮影距離(規格)よりも近接側で撮影している。モヤモヤ感はなく画質に破綻はない。接写側の余力はまだありそうな感触だ









F4, SONY A7(AWB): 近接撮影の場合、後ボケは穏やかで安定感がある。実は私は洞窟探検家で、これはホンモノの人骨。洞穴が風葬に使われている場合もあり、こういう場面に出くわす。こちらに示すように時々語り合い、「生前はどんな人だったのだろうか・・・」などと、想像しながら静かな時間をすごす
F2, SONY A7(AWB): コンディションに左右されやすく、曇天時はコントラストが低下ぎみで発色も渋いが、晴天になるとコントラストが急に良くなり色のりも鮮やかである





 
SEPTON x Fujifilm GFX 100S
レンズを中判イメージセンサーを搭載したFujifilmのGFXシリーズで使用した場合は、遠方撮影時に写真の四隅が僅かにケラれます。
 
F2(開放) Fujifilm GFX100S(WB:日陰 F.S: C.C.)

F2(開放) Fujifilm GFX100S(WB:日光, F.S: C.C.)

F2(開放) Fujifilm GFX100S(WB:日光)


2014/01/31

本能を読み解きレンズを買う

コレクター全般に当てはまることですが、レンズをコレクションする習性は人間の中に宿る「狩猟本能」が形を変えたものであると言われています。特に男性には古来から体に染み付いた狩猟本能があり、反対に女性には「母性本能」が残っているというのです。男性コレクターの数が女性コレクターの数よりも圧倒的に多いのは、この仮説と矛盾しません。恐らく間違いないことでしょう。

「狩猟本能」とは物欲を満たす行動原理の一種ですが、本質は自分の力を誇示するところにあります。力を誇示し、相手を服従させ、自分にとって優位な環境を構築する「闘争本能(支配欲)」の一形態なのです。レンズをコレクションし、ゆくゆくはレンズに囲まれたハーレムのような生活を堪能するのだ!「ムハハハハ・・・」、なんて夢やロマンは、元を辿れば本能に支配された行動なのでしょう。では、推理を更に発展(暴走)させましょう。

女性オールドレンズユーザーは「母性本能」に支配されているかもしれません。入手したレンズは簡単には手放さず我が子のように可愛がるのです。しかし、「母性本能」とはそう単純なものではありません。母性行動は繁殖戦略の一種ですが、霊長類では母親の体調や栄養状態が危機的状況にあるときに、しばしば育児放棄が見られます。母親は現在の子を犠牲にして将来の繁殖の成功に賭ける事があるのです。こうした習性は無視できません。もしかしたら、栄養状態のよくない女性はレンズを放棄しやすく、栄養状態の良い女性はレンズの入手に前向きになるのかもしれないからです。

画期的なアイデアを思いつきました。妻を説得し新しいレンズを手に入れたい男性諸君は、まずはパートナーを食事にでも連れ出してみてはどうでしょうか。

1月は諸事情によりブログ活動を休んでおりましたが、代わりにくだらないコラムを書きました。気が向いた頃に活動を再開したいと思います。