突然ですが留め金を外し岩が落ちます・・・・・・スコパゴン
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広角のSkoparex(スコパレクス)から望遠のDynarex(ダイナレクス)まで主要なレンズをほぼ網羅した1960年のVoigtländer (フォクトレンダー)社。同社はここから新たな製品開発に乗り出している。それは、他社がまだ手がけたことのないスーパーレンズを世に送り出すことであった。世界初となる大型ズームレンズのZoomar (ズーマー) 36-85mm F2.8 (1960年にOEMで登場)を皮切りに、翌1961年には大口径・準広角レンズのSkopagon (スコパゴン) 40mm F2、翌1962年には大型望遠レンズのSuper-Dynarex (スーパー・ダイナレクス) 200mm F4、そして1964年には大型超望遠レンズのSuper-Dynarex 350mm F5.6を完成させるのである。こうした採算性の低いレンズを矢継ぎ早に繰り出すことは、やがて同社を経営破たんに追い込む原因の一つとなってしまう。
銘玉の宝庫デッケルマウントのレンズ達
PART6: Voigtländer SKOPAGON(スコパゴン) 40mm F2
フォクトレンダーのクラフトマンシップが誕生させた
モンスターレンズ
モンスターレンズ
今回紹介するSkopagonはVoigtländer社が1961年から1968年まで生産したF2の明るさを持つ準広角大口径レンズである。レンズ名の由来はギリシャ語で「見る、観察する」を意味するSkopeoであり、準広角レンズなのでこれにギリシャ語の「角」を意味するGonをつけSkopagonとなった。生産総数は僅か3484本と少なく、コレクターズアイテムとなっている。発売当時の小売価格が440DM(ドイツマルク)とたいへん高価であったことに加え、Septon 50mmとSkoparex 35mmの狭間に位置する微妙な焦点距離を採用していたため、需要は全く伸びなかった。ちなみに発売当初の小売価格は同じカタログ内に掲載されていたSkoparex (215DM)の2.3倍、Color-Skopar X (125DM)の3.5倍、Septon (298DM)の1.5倍である。
このレンズの特徴を知るには下に示す構成図をみるとよい。F2の明るさを持つ短焦点レンズとしては他に類をみない豪華な設計であり、このレンズの製品コンセプトが結像性能を徹底して高めるところにあったことが容易に理解できる。実際にレンズを使ってみると、四隅まで高解像で、ヌケも良く、ボケはよく整っていて美しい。怪物級の設計が傑出した結像性能を実現しており、素晴らしい描写性能の持ち主である。ただし、この時代はコーティング技術が発展途上だったことに加え、ガラス硝材には光の透過性のやや劣る新種硝子が使われていた。9枚もの構成では階調描写が安定せず、撮影条件に大きく左右されコントラストは乱高下、発色も急に淡くなるなど安定しない。このレンズは卓越した結像力を得ることと引き換えにコントロール不能な発作を抱え込んだ、言わば諸刃の剣なのである。こういう危なっかしい気質のレンズを上手く使いこなすには、それ相応の経験と勘が頼りになる。Skopagonは上級者向けのレンズと考えたほうがよさそうである。
レンズを設計したのはNOKTONやULTRONなどを設計したトロニエ博士(A.W.Tronnier)で1958年に焦点距離のやや異なる45mm F2の米国向け特許、1959年にドイツ向け特許が公開されている。
★入手の経緯
2013年12月にドイツのユリウスさんがMINTコンディションの品(美品)をフードや純正キャップ、純正フィルターとセットで出品していたが、入札額は何と958ドルまで競り上がり手も足も出ず落札に失敗。改めて入手難易度の高さを実感した。そのことをデッケルマウント愛好家のdymaさんに話したところ、レンズを所持されており快く借してくださった。硝子の状態はたいへん良好である。レアなレンズなので入手難易度は高く、eBayでは700~900ドルもする高級品である。
★撮影テスト
Skopagonはフォクトレンダーが持てる技術の粋を集め完成させた6群9枚の怪物級レンズである。余裕のある設計が傑出した結像性能と美しいボケを実現している。解像力は四隅まで高く、開放からハロやコマのないスッキリとしたクリアな写りとなっている。ボケは四隅まで乱れることなく開放でも安定しており、やや硬い印象はうけるものの、どのような距離でも良く整っている。発色は短波長光の透過率が悪い新種ガラスの影響からか温調寄り(黄色)に転ぶが、絞ると少しはノーマルになりコントラストも向上する。また、照度が低いと人の肌が赤みがかる傾向がみられる。夕日と同じ効果が硝子を透過する光にも生じているのかもしれない。光学系の構成枚数が多いため内面反射光が蓄積しやすく、階調性能にはコントロール不能な発作を抱え込んでいる。特に曇天時ではコントラストが大きく低下し発色が淡白になったり濁ったりする。一方、晴天時では持ち直し、鮮やかな発色になる。同じ理由で逆光にはたいへん弱く、ゴーストやハレーション(グレア)が出やすい。ただし、ハレーションの出方は限定的(局部的)で、画面全体に大きく拡散するようなことはないので、写真全体が破綻することはない。少し絞ると再びゴーストに戻る面白さがあり、ゴーストの形状をコントロールすることができる。
CAMERA: SONY A3, Nikon D3, EOS 6D (AWB)
F2(左)/F2.8(右), sony A7(AWB): ゴーストはかなり出やすく、絞りを開けるとフレアに発展することもある。しかし、フレアの出方は限定的(局部的)で、画面全体に大きく拡散するようなことはく写真全体が破綻することはない。少し絞ると再びゴーストに戻る面白さがあり、絞りの開閉でフレアの量や発生具合をコントロールすることができる |
F2.8, Nikon D3(AWB): 中間部のトーンがよく出ており、逆光気味だが黒つぶれはみられない。やはり解像力は素晴らしい |
F2(開放), sony A7 digital, AWB: ボケは滑らかで絵画のように美しく、周辺部までよく整っている。美ボケレンズだ |
F4, EOS 6D(AWB): 晴天時のコントラストは良好で発色は鮮やかである。解像力はかなり高く、衣服の質感が緻密に表現されている。オールドレンズであることを忘れてしまいそうだ |
Skopagonは冒険的で過激な製品コンセプトを掲げ、採算性を度外視した前代未聞のレンズであるが、それでも造ってしまうVoiogtlanderのクラフトマンシップとフロンティア精神は尊敬に値する。夢を追い求めるメーカーだったのであろう。しかし、残念なのは当時の市場がこれを力強くサポートできなかったことである。やがて、Voiogtlanderは経営難に陥り、怪物レンズSkopagonは1968年に生産を終了。翌1969年、同社はZeiss-Ikonに吸収合併され、創業から213年続いた世界最古の光学機器メーカーはついに幕を下ろしたのである。
このレンズは、先のSepton 50mm F2以上に掴みどころがなく、記事化にご苦心があったのではないでしょうか。お疲れさまでございました。
返信削除> オールドレンズであることを忘れてしまいそうだ。
光源との向き、光量によってはオールドレンズとは思えぬ端正な写りをするのはご指摘のとおりです。
当時の中級カメラ用レンズとしては群を抜いていたことでしょう。
しかし、今日では、いってみれば「どっちつかず」なポジションに...
> Skopagonは上級者向けのレンズと考えたほうがよさそうである。
それで、このような位置づけになるわけですね。
教訓。純粋にクラシックレンズでの撮影を楽しみたかったら、希少性なんておいといて、付き合いやすそうな娘(レンズ)とにしましょう。
どうでもいい注・・・スペイン語で「レンズ」は女性名詞だそうです。
dymaさん
削除blog化が非常に難しいレンズでしたが、どうにかまとめてあります。お力添えありがとうございました。
spiralさん
返信削除非常に興味深い記事でした。
ぼくらクラシックカメラ探検隊「フォクトレンダー」でこのレンズの構成図を見て以来ずっと気になっていましたが当然市場で見かけることもなく調べてもまとまった資料もなくずっともやもやしておりました。
このレンズは謎が多く魅力的ですね。
なぜ40mmなのか。
Skoparex35mmがあるのにあえての40mm。画質を優先するならガウスタイプがいいに決まっているのにほんの少し画角を稼ぐためのレトロフォーカス。
普通に考えて35mmF2(Contarex Distagonのような)を設計したほうがよいように思われるのですが・・・。
本当になぞ多きレンズです。
レンズの写りはすばらしいですね。シャドウの再現性や背景のボケ具合といい少し広角気味のポートレートに最適な気がします。
ゴースト⇔ハレーションは大好物なのでとても気になってしまいます。
本数が少なく価格も高価なので奇跡がなければ手に入りませんが粘り強く探して見たいと思います。
魔性のレンズですね。
そう、魔性なんです。見えないところにこのレンズを活性化させるスイッチがあるといいますか、今回の作例には採用していませんが照度が低いときに素晴らしく写るときがあります。
削除>なぜ40mmなのか。
レンズのコンセプトについてはフォクトレンダーのカタログに広角レンズとしてではなく、標準レンズとして紹介されていました。40mmでF2は当時、他社にない仕様ですので、、何かを狙っていたのかもしれませんよね。
コメントありがとうございました。
初めてこちらを拝見しました。光学を専攻しましたが、仕事でも道楽でもレンズは離れていました。現在は大判でレンズは最新、従ってポジでは良く写るがそれだけ。モノクロでは1960年代のモノコート・レンズの方を好みます。
返信削除さて、
>なぜ40mmなのか。
この年代では、ライツ、ローライ、そしてジャーニーコニカ他も40mmを出していました。
スナップショットでは前の2者を今も愛用しています(軽く小さい)。でもF2ならテッサーでも出来るが(ガラスがまだ無かった?)
ガラス、コーティングの弱点を除けば、写りはゴージャスですね。ブルーニー以上的な穏やかなボケ味。弱点の出にくい室内とか春秋の斜光では、35mmとは思えないリッチな深い写りが出来そうです。
しかし、価格が・・・・。プロでも当時は使用場面が限られるので手が出なかったでしょうね。
張り合わせ3か所は、最新のライツ50mm、f0.95をここまでやるのと感じましたが、フォクトレンダーお前もやっていたのかと執念を感じます。
私は立体感(物の丸み等)と遠景の中の遠近感(立ち木等)が出るレンズを好みます。このレンズは出来そうに見えます(フィルムでないと駄目かも)。何故か最近のは駄目ですね。
古いAgfaの中高級機でも良いのが有ってびっくりしたことがあります。
詳しく調べて下さっているので、非常に勉強になりました。
Linhofanさま
削除コメントありがとうございました。コンパクトなライツやローライの40mmの事を考えると、ここまでデカい設計となったSkopagonには、前の2者とは異なる何か別の狙いがあったと思われます。
Spiralさん、ご無沙汰いたしております。
返信削除各位からポストされたコメントと、Spiralさんのご返事を久しぶりに見て、うむむと思いました。
> レンズのコンセプトについてはフォクトレンダーのカタログに広角レンズとしてではなく、標準レンズとして紹介されていました。40mmでF2は当時、他社にない仕様ですので、、何かを狙っていたのかもしれませんよね。
> コンパクトなライツやローライの40mmの事を考えると、ここまでデカい設計となったSkopagonには、前の2者とは異なる何か別の狙いがあったと思われます。
Skopagonのコスト度外視ぎみの設計と製造維持には、日本への対抗意識が随分あったのではないでしょうか、
状況証拠ですら示せないのですが、少しずつ1950-60年代のレンズ製品の推移を勉強するにつけ、そこにフォクトレンダーの矜持というか、ドイツ人の意地のようなものを感じるのです。
1950年代、レンジファインダー用の50mmレンズで大口径化競争があり、ズイコーとニッコールがF1.1、キャノンSがF0.95までいって、日本勢が表彰台を独占しました。
---そのとき、ときのドイツの工業相がドイツ製品の競争劣勢について辛辣なコメントをした、とどこかで読んだ気がするのですが。
ドイツ人レンズ関係者からすると、日本人の作るレンズは、内部構成はドイツのもののコピー。そして幾らスペックが優れているといっても、絞り開放時には収差が目立つ。
こういう製品でマーケットを席巻されていくのは、さぞかし面白くなかったでしょう。
(大臣が辛辣にコメントしたところで、「開放では使いものにならない、あんなもの」と思っていたかもしれません。)
そして、1960年代、レンジファインダーから一眼レフの時代になり、フランジバックの制約から標準レンズの大口径化競争も再スタートになります。
(ニコンの「ニッコール千夜一夜」の記事などにも書いてありますが)日本のメーカは、フランジバックの制約が大きくなっても、大口径化を果たそうとする。
アプローチは、兎も角 開放 F1.4とか F1.2とかの目標を置いて、それが実現できる焦点距離のものを作っていく。
最初は58mm、55mm そして、時間をかけて何とか50mm。
すこしずつ広角側にシフトしていくわけです。
対するフォクトレンダー Skopagonは、F2だけれども、絞り開放から十分使える。
そして日本のレンズが58mmや55mmというところでゴタゴタやっているのに、こちらはすでに40mm。
Skopagonの存在自体が、「これが『標準レンズ』だよ。出来るもんならここまでおいでよ。」という、当時の日本にあてたメッセージだったとしたらどうでしょう。
・・・・・
初期の製品は、細かな点に少し目をつぶってもカタログスペックのいいものをまず製品化して、次の世代以降で詳細を徐々に改善していく。
こういうやり方は、日本やアメリカの製品(特に過渡期のもの)には(カメラ、レンズに限らず)よくあるアプローチです。
ただ、そのやり方は、職人かたぎのドイツ人は受け入れられないでしょう。
ただし、多数の一般市民にとって、ついていき易い、分かり易いのは、日本式・アメリカ式のほう。
だから、Skopagonのような製品は、その存在意義が分かりにくくなるのではないでしょうか。
・・・・・
来年の遅い春、SkopagonやSeptonを持って、フォクトレンダーのあったブラウンシュバイク(Braunschweig)を訪ねようと思っています。
そこで何かを感じることが出来るのではないか、と思っているのです。
削除> ドイツ人レンズ関係者からすると、日本人の作るレンズは、内部構成は
> ドイツのもののコピー。そして幾らスペックが優れているといっても、
> 絞り開放時には収差が目立つ。
> こういう製品でマーケットを席巻されていくのは、さぞかし面白くなか
> ったでしょう。
なるほどドイツ企業の日本製品への対抗意識は確かにあったと思います。
それがはっきりしてくるのは1965年頃からと認識していましったが、、
dymaさんのお話により、認識が少し変わりました。
> Skopagonの存在自体が、「これが『標準レンズ』だよ。出来るもんな
> らここまでおいでよ。」という、当時の日本にあてたメッセージだっ
> たとしたらどうでしょう。
なるほど面白い!充分あると思います。
> ただ、そのやり方は、職人かたぎのドイツ人は受け入れられな
> いでしょう。ただし、多数の一般市民にとって、ついていき易い、
> 分かり易いのは、日本式・アメリカ式のほう。だから、Skopagon
> のような製品は、その存在意義が分かりにくくなるのではないで
> しょうか。
私も大口径レンズは苦手です。1970年代までのガウスは
F1.8~F2までが画質的に限界だと感じています。
山崎光学の山崎さんもドイツ人の揺るぎない理念や信条について
同じことを力説していました。ズミクロンはF1.5を実現できる
充分な設計を備えていましたが、F2に踏みとどまったのは
彼らの理念のあらわれなのだそうです。
大口径レンズに走るミーハーな消費者層を軽視したことが
やがてドイツカメラ産業の衰退を招くことになります。
悲しい事ではありますが。
ブラウンシュバイクは気候的に一年の大半を濃霧に覆われている
と聞いたことがあります。本当なのか自分の目で確かめたわけではないので
わかりませんが、そうした気候がレンズの描写に影響をあたえてたら
面白いですよね。ノクトンは曇り日に力を発揮すると浅草の早田さんが
おっしゃっていました。