「うーっ。うーっ・・・」。ある夜、私は唸っていました。妻に腹でも痛いのかと尋ねられたが、そうではありません。このレンズの凄まじい描写力にショックをうけていたのです。「カシャ」「あり得ない」。「カシャ」「反則だ!」。シャッター音とともに呟くわたし。「カシャ」「信じられん」。「うーっ。うーっ・・・」。ブツブツと独り言を吐いていると、私の異変に気づいて娘が起きてきました。しばらく部屋の戸口で何も言わずに私の事をじーっと観察していましたが、いつの間にかまた寝に入ってゆきました。
海外で絶賛された国産マイナーレンズ PART 3(最終回)
伝説の望遠マクロレンズ
KINO PRECISION(KIRON CORPORATION) KIRON 105mm F2.8 MACRO 1:1 MC
ソーシャルメディアネットワークのMFlensesでかつて実施された公開ファン投票の望遠マクロ部門において、ニコンの名玉AI Micro-Nikkor 105mm F2.8を抑え堂々のベストレンズに輝いたのが、キノ精密工業のマクロレンズKIRON(キロン) 105mm F2.8です。海外の写真誌FOTO[1](1985年)でも、このレンズがMicro-Nikkor 105mm やTokina 90mm F2.5を凌ぐ抜群の性能であると紹介され絶賛されました。私もかつてMicro-Nikkor 105mmを手にしたことがありますが、これは本当に高性能なレンズです。そして、比較テストにこの最強の刺客が送り込まれたのは、KIRONに途方もない実力が備わっていたからに他なりません。KIRON 105mmはこうして、マクロレンズ界の伝説となったのです。
キノ精密工業(KINO PRECISION/現・メレスグリオ株式会社)は埼玉県比企郡ときがわ町に拠点を置く光学メーカーです。創業は1954年で、設立当初は8mmムービーカメラ用レンズ(米国ではKINOTELのブランド名)をOEM供給していました。1965年に同社は35mm判スチールカメラ用レンズの分野に進出し、Ponder and Best(後のVivitar)にレンズをOEM供給を開始しました。1970年代にキノ精密工業が供給したVIVITARシリーズ1は控えめな価格設定とクオリティの高さで消費者からの大きな反響を獲得、キノはビビターブランドを世に広める立役者となります。当時のキノ精密工業のクオリティの高さは日本のOEMレンズメーカーの中で飛び抜けており、他社よりも品質の高い製品を市場に供給することが同社アイデンティティであったことは間違いないと思います。ところがビビターブランドの同じ製品カテゴリーに日本の他のメーカーが参入したため、キノ精密工業に対する評価とビビターブランドに対する評価が一意ではなくなってしまいます。同社は1980年にカリフォルニアのカーソンに米国子会社のKiron Corporationを設立、他社へのOEM供給を続けながらも自社ブランドのKIRONでレンズの供給を開始します。
KIRONブランドは品質の高さと性能の良さで、直ぐにサードパーティ市場での頭角を現してゆきます。特に評判が良かったレンズは28mm F2、105mm F2.8 MACRO、28-210mm F4-F5.6, 28-210mm F3.8-F5.6 varifocal zoom, 28-85mm F2.8-3.8 varifocal zoomの5製品で、解像力の高さとシャープネス、クオリティの高さにより、海外では各方面の雑誌レビューで絶賛されています[3]。Kironブランドの5つの広告のうち4つが米国で広告賞を受賞したこともKIRONの認知度を高める切っ掛けとなりました。1980年代当時のKIRONブランドの販売価格はメーカー純正レンズよりも僅かに安い程度でしたが、販売店や消費者から廉価品扱いされることがありませんでした。Kiron立ち上げから僅か12か月、同ブランドの売上高は米国内で当時64あったレンズブランドの4位をマークしています[8]。
Kironブランドのレンズはすべて日本国内で製造され、品質絶対主義を貫いていました。しかし、1985年のプラザ合意で為替相場が急激な円高に転じると、国外に生産拠点を移したカメラメーカーの純正レンズと同等の価格設定ではレンズが製造できなくなります。また、1980年代後半はオートフォーカスへの移行が進むなどマーケットは流動的になり、1988年に同社は35mm版カメラ用のレンズの生産から撤退、以後は工業用レンズに注力することになります。
1989年にキノ精密工業は光学部品専業メーカーMelles Griot社(米国)の日本法人であるメレスグリオ・ジャパンと合併し、Kino-Melles Griot社となります。1995年に会社はMelles Griot Ltdへと改称、2007年にはメレスグリオ株式会社の一部となっています。さらに、2016年に今度は京セラが同社の全株式を取得し[4]、メレスグリオを完全子会社化します。同社は現在も産業用光学機器の専業メーカー(従業員54名/2016年7月時点)として埼玉県ときがわ町に存続しています。
1989年にキノ精密工業は光学部品専業メーカーMelles Griot社(米国)の日本法人であるメレスグリオ・ジャパンと合併し、Kino-Melles Griot社となります。1995年に会社はMelles Griot Ltdへと改称、2007年にはメレスグリオ株式会社の一部となっています。さらに、2016年に今度は京セラが同社の全株式を取得し[4]、メレスグリオを完全子会社化します。同社は現在も産業用光学機器の専業メーカー(従業員54名/2016年7月時点)として埼玉県ときがわ町に存続しています。
今回で本特集の最終回ですが、紹介するレンズは望遠マクロの名品Kiron 105mm F2.8 MACRO MCです。このレンズは繰り出し量が驚くほど少なく、撮影倍率を1:1(等倍)まで持って行っても、鏡胴の全長は元の長さの1.5~1.8倍程度にしかなりません。例えば前の記事で扱った同じ等倍マクロレンズのELICAR 90mmでは元の長さの3倍にもなりました。KIRONの方が焦点距離は長いわけですから、これは驚異的なことです。ヘリコイドが伸びバックフォーカスが長くなると、その分だけ実行F値は暗くなりますが、Kironはマクロ撮影時にも高速シャッターを切ることができるのです。こういう見えないところに工夫があるのも、このレンズの素晴らしい長所だとおもいます。一体どういうカラクリなのかとよく観察してみると、ヘリコイドを近接側に回す際に前群は普通に繰り出されていますが、後玉は全く動いていません。つまり、光学系はフローティング機構になっているのです。フローティングとは光学系内部のいくつかのレンズ群をそれぞれ異なる繰出し量でフォーカシングさせ、マクロ撮影時の性能劣化を抑えたり、総繰り出し量を小さくする機構です。光学系はコンピュータで設計されました。
私が入手した個体はCanon FDマウントですが、他にもMinolta MD/SR, Pentax K, Nikon F, Contax/Yashica, Olympus OM, Konica ARになど国産一眼レフカメラの主要マウント規格に対応していました。ブランド名もVivitar, Lester A Dine, Rikohなど複数の名称でOEM販売されています。光沢感のある美しい鏡胴で、手に取るとクオリティの高さが伝わってきます。前玉のフィルター枠のあたりに内蔵ビルトインフードを隠し持っており、必要に応じて繰り出すことができる凝った仕掛けになっています。設計は6群6枚の固有形態で、前群側にKino-plasmatや凹Ultronを連想させる凹メニスカスが用いられているのが目を引きます。レンズ単体での最大撮影倍率は等倍1:1なので35mm判フィルムと同じ大きさのサイズの被写体を画面いっぱいの大きさで撮ることができます。純正テレコンバータのKIRON MC7 x2を用いれば最大撮影倍率を更に上げることができるとカタログに記載されています[2]。
国内と海外の中古相場には天と地ほどの開きがあり、国内外での評価の差を反映しています。国内では7000円~15000円、eBayでの取引額の相場は40000~50000円です。レンズのクオリティを考えると海外での評価のほうがマトモですが、今探すならもちろん国内です。海外のブローカーに買い漁られ国内マーケットからは蒸発しかけています。私が入手した個体はCanon FDマウントですが、他にもMinolta MD/SR, Pentax K, Nikon F, Contax/Yashica, Olympus OM, Konica ARになど国産一眼レフカメラの主要マウント規格に対応していました。ブランド名もVivitar, Lester A Dine, Rikohなど複数の名称でOEM販売されています。光沢感のある美しい鏡胴で、手に取るとクオリティの高さが伝わってきます。前玉のフィルター枠のあたりに内蔵ビルトインフードを隠し持っており、必要に応じて繰り出すことができる凝った仕掛けになっています。設計は6群6枚の固有形態で、前群側にKino-plasmatや凹Ultronを連想させる凹メニスカスが用いられているのが目を引きます。レンズ単体での最大撮影倍率は等倍1:1なので35mm判フィルムと同じ大きさのサイズの被写体を画面いっぱいの大きさで撮ることができます。純正テレコンバータのKIRON MC7 x2を用いれば最大撮影倍率を更に上げることができるとカタログに記載されています[2]。
★入手の経緯
本品はヤフオク経由で2014年1月に山形のコレクターから15000円で落札購入しました。オークションの記述は「レンズの外観は綺麗。ピントリングにほんの少しのスレ。光沢のある鏡胴は綺麗。レンズ面にキズ、汚れ、カビなく良好。内部にほんのわずかなホコリの混入はあると思われるが描写に影響は無いレベル。NEXと組み合わせ使用していた」とのこと。充分なコンディションの製品個体が届きました。
参考文献・資料
[1] FOTO (March 1985) 16-20pages: 100mm近辺のマクロレンズの特集でNikkor 105mm F2.8とTokina 90mm F2.5に比べKiron 105mm F2.8の方が性能が上回ると紹介された
[2] Kiron 105mmm F2.8 Macro Lens Instruction(4pages)
[3] Wikipedia: Kiron lenses
[4] Kyocera ニュースリリース(2016年8月1日)
[5] Modern Photography, Kiron 28-85mm Varifocal Macro Zoom Review, March 1981
[6]Keppler, Herbert, Super Stretch Zooms, Do you Lose Picture Quality?, Modern Photography (June 1986), pp. 34-35,74
[7] Shutterfinger, A Look Back At Lenses, 11 April 2009
[8] Camera-wiki: Kino Precison Industries[5] Modern Photography, Kiron 28-85mm Varifocal Macro Zoom Review, March 1981
[6]Keppler, Herbert, Super Stretch Zooms, Do you Lose Picture Quality?, Modern Photography (June 1986), pp. 34-35,74
[7] Shutterfinger, A Look Back At Lenses, 11 April 2009
★撮影テスト
解像力・シャープネスともに素晴らしく、開放から滲むことないスッキリとしたヌケの良い描写性能を維持しています。マルチコーティングのためコントラストは良好で、鮮やかな発色が目を引きます。この種のマクロレンズは近接で最高のパフォーマンスが得られるよう収差(球面収差)を意図的に過剰補正にした製品が多く、その反動のためポートレート域では背後のボケがザワザワと硬くなるのが常ですが、本品はフローティング機構のおかげで拡散は適度に柔らかく自然なボケ味が得られます。通常のレンズはF16 、F22と深く絞り込むと回折によりハレーションが発生し、シャープネスが落ちることが多いのですが、本品はそのようなことが全くありません。おかげで、最短撮影距離でも気兼ねなく深く絞り込むことができます。ヘリコイドのトルク感や繰り出す際のヘリコイドピッチがマクロ撮影に最適化されており、取り回の良さは素晴らしいと思います。日本で評価されることはありませんでしたが、世界では大きく評価されたマクロレンズ界の名品です。
F8 sony A7R2(WB:日光) 逆光にも強いレンズで、ハレーションやゴーストは殆ど出ません |
F8 sony A7R2(wb:日光) |
F2.8(開放) sony A7R2(WB:日陰)開放からシャープネス、コントラストは良好で滲みも全く見られません。驚異的な性能のレンズです |
F5.6 sony A7R2(WB:日陰) 2段絞っても画質は安定しており、開放との差は被写界深度が変化したくらいです |
F8 sony A7R2(WB:日陰) マクロレンズなので絞って使うのが基本です。マクロレンズは絞った時の回折をどう抑えるかが課題ですが、このレンズにはそうした問題が全く見られません。とても高性能なレンズだとおもいます |
F8 (等倍 1:1) sony A7R2(WB:日陰) 上の被写体を最大倍率(等倍)で撮影したもの。ピントは中央より下側にとっています。シャープネス、解像力は最大倍率でも十分に高いレベルをキープしています |
F8 sony A7R2(WB:日光) 木の根に赤い小さな蜘蛛がとまっていました。最大倍率で蜘蛛を狙ったのが次の写真です |
F16 (等倍) sony A7R2(WB:日光) 深く絞り込んでもコントラストは落ちません |