おしらせ


MAMIYA-TOMINONのページに写真家・橘ゆうさんからご提供いただいた素晴らしいお写真を掲載しました!
大変感謝しています。是非御覧ください。こちらです。

2018/10/22

LENKINAP(LOMO) PO59-1 /RO59-1 50mm F2


ロシアの映画用レンズであるPOシリーズを片っ端から巡る旅にお付き合いいただき、ありがとうございました。今回でPOシリーズは最終回となります。そして、PO59という正体のはっきりしない謎のレンズが最後に手元に残りました。このレンズについて私たちが知り得る数少ない情報は焦点距離と開放F値がPO3と同じ50mm F2であり、シネマ用レンズであることと、設計構成もPO3と同じオーソドックスなガウスタイプ(4群6枚)であること。そして、レニングラードのLENKINAPファクトリーだけが製造し、モスクワのKMZは製造しなかったことです。KMZのPO3と同一仕様のこのレンズが、何故、どういう意図で開発されたのかなど謎は深まるばかりですが、更なる手掛かりを得るべく、今回はPOシリーズと後に台頭する後継モデルのOKCシリーズの関係を整理してみました。すると、新たな事実関係が浮き彫りになってきたのです。

レニングラード生まれ、クラスノゴルスク育ちの
35mmシネマムービー用レンズ  PART 10(最終回)
POのモデルナンバー59は
LOMOのエース級レンズへと脱皮するプロトタイプか!?
LENKINAP PO59(RO59) 50mm F2
ロシアのシネマ用レンズの生産拠点は1960年代に再びレニングラードに戻りますが、その際に主導的な役割を果たした工場が、後に合併と再編を繰り返しLOMOへと統合されるLENKINAPとGOMZ(国立光学機械工場)でした。このうちLENKINAPからは映画用カメラのKONVAS-1MやAKS-1に搭載する交換レンズが、1950年代半ばから1963年頃までの期間にPOシリーズとして多数供給されています。中でもPOシリーズのモデルナンバー56以上の製品については、後のLOMOの時代(1965年ー)にOKCシリーズとして再リリースされる前身モデルとなります。POシリーズとOKCシリーズの関係をGOIのカタログに掲載されているデータシートや設計構成を頼りに結んでみると、以下のような対応が得られます。ただし、プロジェクター用レンズは除外しました。
 
LENKINAP PO56-5 2/35LENKINAP OKC1-35-1 2/35LOMO OKC1-35-1
LENKINAP PO59-1 2/50→?LENKINAP OKC1-50-1 2/50LOMO OKC1-50-1
LENKINAP PO60-1 2/75LENKINAP OKC1-75-1 2/75LOMO OKC1-75-1
LENKINAP PO61-5 2.5/28LENKINAP PO61-5LOMO PO61-5(1970年製造終了)
LENKINAP PO62-2 2.5/40LENKINAP OKC1-40-1 2.5/40LOMO OKC1-40-1
LENKINAP PO63-1 2/80LENKINAP OKC1-80-1 2/80LOMO OKC1-80-1
LENKINAP PO70-1 2.8/22LENKINAP OKC1-22-1 2.8/22LOMO OKC1-22-1
LENKINAP PO71-1 2.8/18LENKINAP OKC1-18-1 2.8/18LOMO OKC1-18-1

POシリーズからOKCシリーズへのモデルチェンジには設計面で若干の改良が施されています。GOIのカタログで個々のモデルのスペックを確認すると、POシリーズとOKCシリーズでは光学系の各部の寸法が若干異なるうえ解像力などの基本性能に向上が見られます。ロシアの光学技術を監督するGOIはOKCシリーズの開発に際し、解像度が写真の中心で50本/mm、四隅で25本/mmをクリアするよう求めていました。フィルムの性能を活かしきる最低基準が25本/mmあたりなので、これは十分な性能と言えます。
今回紹介するPO59-1はこれまで情報が極めて少なく、海外のレンズマニアの間では正体不明のレンズとして扱われてきました。しかし、今回のようにPOシリーズとOKCシリーズの対応関係をモデルナンバーごとに整理してみると、このレンズはOKC1-50-1の前身モデルであったと捉えるのが妥当です。インターネット上には映画用カメラのAKS-1(ロシア版アイモ)のために製造された製品個体(PO59-1とPO59-2)と映画用カメラのKONVAS(ロシア版アリフレックス35)のために製造された製品個体(PO59-5)の写真が見つかり、レンズの名板からは、これらがいずれもLENKINAP製であることが確認できます。こうした情報を踏まえると、モデルナンバーの後ろについている「-1」や「-5」などの識別コードは本製品の場合には製造工場を表しているのでなく、改良モデルのバージョンを表していると考えるのが妥当です。市場に流通している個体量が極めて少ないうえシリアル番号も変則的なため、正式にリリースされたわけではなく、試作止まりのモデルだったのでしょう。
PO59-1の構成図はGOIのカタログにも収録がなく、どこにも公開されていませんが、光を通し反射面を観測すると明らかに4群6枚のオーソドックスなダブルガウス型です。ただし、後玉径はOKC1-50-1と大きく異なり、各部の寸法はむしろLENKINAP PO3やKMZ PO3に近いものとなっています。バージョンアップされたPO59-5の方がOKC1-50-1に近い設計となっている可能性がありますので、今後、機会があれば検証してみたいと思います。
 
PO59-1のベースとなったと予想されるLENKINAP PO3-3(写真・左)と、PO59をベースに開発されたと考えられるLENKINAP OKC1-50-1の最初期モデル(写真・右)



入手の経緯

流通量が極めて少ないレンズのため、本製品に対する決まった相場はありません。今回紹介するレンズは2018年4月にeBayを介しレンズを専門に扱うロシアのセラーから即決価格250ドル+送料で入手しました。オークションの記載は「カビ、クモリ、キズはない。フォーカスリング、絞りリングはスムーズに回転する。絞り羽に油シミはない」とのこと。レンズはインダスター22の鏡胴にぶち込む改造が施され、ライカL39マウントの状態で売られていました。ところが、届いた品をよく見ると杜撰な改造により光軸が傾いていました。このまま返品する事もできましたが何しろ珍しいレンズですし、何よりも光学系は無傷でしたので、鏡胴からレンズヘッドを取り外しPO3の鏡胴に入れ、マウント部をライカMに改造して使う事にしました。譲ってほしいという知人も既にいましたので、しばらく手元に残す十分な理由となりました。

LENKINAP PO59-1 50mm F2: フィルター径 32mm, 絞り F2-F22, 構成 4群6枚ガウスタイプ, 製造メーカー LENKINAP(LOMO), 推奨イメージフォーマット 35mmシネマフォーマット(APS-C相当)




撮影テスト
シネマ用レンズらしく、開放で高い解像感が得られるのはピント部中央の狭い領域のみです。これは、静止画ではなく動きのある動画を撮るという用途のためで、シネマ用レンズにはこのような画質設計のものが多くみられます。絞ると良像域は中央から写真の四隅に向かって広がり、ピント部の広い領域でシャープな像が得られます。コントラストは開放から良好で、スッキリとしたヌケの良い画質です。PO3は開放で僅かに滲みのある味付けでしたが、本レンズの場合は細部を拡大しても滲みはほぼ見られません。グルグルボケや放射ボケは全くみられず、開放での後ボケはPO3ほど硬くはないので、バブルボケっぽくなることもほぼありません。逆光時はハレーションが出やすいのでフードは必須だと思います。薄めの色のコーティングが施されており、発色はごく自然で癖はありません。

SONY A7R2(APS-C mode)


F2.8 SONY A7R2(APS-C mode, WB:日光)


F2.8  SONY A7R2(APS-C mode, WB:日光)
F2.8  SONY A7R2(APS-C mode, WB:日光)

FUJIFILM X-T20

F2.8  FUJIFILM X-T20(WB:日光)











F2(開放)  FUJIFILM X-T20(WB:日光)
F2(開放)FUJIFILM X-T20(WB;日光)



F4 FUJIFILM X-T20(WB;日光)

F2.8  FUJIFILM X-T20(WB:日光)



F2.8 FUJIFILM X-T20(WB:日光)





F2(開放)FUJIFILM X-T20(WB: 日光)
F2(開放) FUJIFILM X-T20(WB:日光)
F4  FUJIFILM X-T20(WB:日光)
F2(開放) FUJIFILM X-T20(WB;日光)

試写記録:Schneider Kreuznach REOMAR 45mm F2.8 改Leica-L

F2.8(開放)sosny A7R2(WB:auto)  開放ではピント部全体を薄いフレアが纏い、柔らかい描写傾向となります

F4  sony A7R2(WB:auto) 1段絞ればフレアは消え、スッキリとヌケがよく、コントラストは素晴らしいレベルで





F5.6 sony A7R2(WB:日光)  やや青みののったクールトーンな色味で、美しく仕上がります

F2.8(開放) sony A7R2(WB:日光) 再び開放。やはりピント部を薄いベールの様なフレアを纏いますが、中央はしっかりと解像しており線の細い繊細な描写です

F4  sony A7R2(WB:日光)もう一度絞ったショット。シャープでスッキリと写るレンズです


Camera SONY A7R2
Lens Schneider Kreuznach REOMAR 45mm F2.8







知人に代わってオークションで購入(代行落札)したレンズが数日間だけ我が家に転がり込んできましたので、軽く試写結果をリポートしてみたいともいます。ドイツのSchneider(シュナイダー)社がKodak(コダック)社のRetinette IA/IBというレンジファインダーカメラに搭載する固定式レンズとして1958年頃から1966年まで供給したReomar(レオマー)です。Reomarにはこれ以前の旧式のRetinetteに搭載されたモデルもありますが、開放F値がF4.5やF3.5とやや暗かったり、焦点距離が50mmであったりと、少し仕様が異なります。
今回紹介するReomar(後期型)にはSchneider社製の個体に加え、Rodenstock(ローデンストック)社製の個体があります。大衆機のRetinettiがヒットしたことで生産供給が追い付かず、Rodenstock社にOEM供給を依頼したためだという話を誰かに教えてもらったことがありますが、確かな情報ではありません。どなたか信ぴょう性の高い情報をお持ちの方は教えていただけると幸いです。


レンズのデザインが面白く、シャッターの部分に人物の上半身のイラストや集合写真、風景などが刻まれています。一体何だろうとよく見てみると、何とシャッターユニットにヘリコイドを内蔵しておりピント合わせができます。レンズシャッターなので、これにはビックリ。レンズ構成は3群3枚のトリプレットです。
絞り羽 5枚構成, 絞り指標 F2.8-F22,  設計 3群3枚(トリプレット), フィルター径 29.5mm, PRONTOR 250Sシャターに搭載, ヘリコイド内蔵



オークションに出品されていた段階で既にカメラから取り出され、ライカLマウントに改造されていましたので、アダプターを介してSONY A7R2で使用することにしました。スッキリとヌケのよいクリアな写りで、開放からコントラストの高いレンズです。細部に目を向けると写真の中央は開放で線の細い繊細な描写となり、滲みをまといながらもしっかりと解像しています。1段絞れば滲みは消えシャープネスが向上、カリッとした解像感の強い仕上がりとなります。カラーバランスはやや青みが強くなる傾向があり、白が引き立つクールトーンな描写です。クリアでヌケの良い性質と相まって、とても清楚で品のある味付けになります。

2018/10/13

Sankyo Kohki KOMURA 100mm F1.8



ブランド志向の強い日本ではマイナーな存在でありながら、海外で高く評価されている国産オールドレンズがあります。三協光機(株式会社コムラーレンズ)がかつて製造した大口径望遠レンズのKOMURA(コムラー)、タパック・インターナショナルが設計、KOMINE(コミネ)が製造したElicar(エリカ―)、キノ精機のKIRON(キロン)がその代表例です。本ブログではこれら3本のレンズにスポットライトを当ててゆきたいと思います。 

海外で絶賛された国産マイナーレンズ PART 1
キング・エルノスターの称号で知られる
大口径ポートレートレンズ
三協光機(Sankyo Kohki)KOMURA 100mm F1.8
三協光機(コムラーレンズ)は小島満という人物が中心となり東京都台東区に設立した三協光機研究所を前進とするレンズ専業メーカーです[3,5]。文献に記録されている創設年は曖昧で何か事情があったのでしょう。正式には1954年[3](実際には1951年[2])と記されています。設立当初は下請けの製造メーカーとしてChibanon(チバノン)というブランドの引き延ばしレンズと8mm用のシネレンズを市場供給していました[1]。1955年に会社名を三協光機株式会社へと改称、Chibanonブランドを廃止し、自社ブランドであるKOMURAの供給を開始しています。会社名の「三協」には技術、営業、資本の三部門の協力と均衡を保つ意味が込められていたそうです[2]。この頃からのレンズのラインナップには引き伸ばし用レンズのKOMURANON-E、ライカマウントや一眼レフカメラ用などの35mm判レンズ、ブロニカ用(6x6フォーマット)や6x9フォーマットなどの中判用レンズ、そして4x5フォーマットの大判用レンズなどがありました[5,6]。写真用レンズの製品展開は広角レンズと望遠レンズが中心で、カメラとセットで売られることの多かった標準レンズは殆ど作りませんでした。KOMURAというブランド名は社長の小島(KO-jima)と専務の稲村(Ina-MURA)の苗字から一字づつとって組み合わせたのだそうです[1,3]。ただし、なぜか日本では「コムラー」と語尾を伸ばした呼び名で通っており、この呼び名は1969年に改称される会社の正式名称(株式会社コムラーレンズ)にも使われています英語の綴りだけみると「コムラ」と読めるわけですから、外国人に「コムラー」と言っても全く通じないはずです。文献[3]によると同社は1980年頃まで存続していました
重量(実測)530g, 絞り羽 16枚,  絞り F1.8-F16, 最短撮影距離 1.4m, 設計構成 4群5枚エルノスター2型(1-2-1-1), フィルター 62mm、プリセット絞り、発売時価格15800円

三協光機がかつて製造したコムラーブランドの高速望遠レンズには、ドイツのERNEMAN (エルネマン)社が戦前に開発した銘玉ERNOSTAR(エルノスター)の設計を採用したモデルが多くみられます。同社のレンズを用いて写真家達が数多くの印象的な作品を創出しており、大口径望遠レンズは海外のレンズマニアの間で「キング・エルノスター」と呼ばれ高く評価されています。今回は同社が1960年代に市場供給した高速望遠レンズ[4]の中からKOMURA (コムラー)100mm F1.8を取り上げ紹介します。
レンズ構成は下図に示すような4群5枚で、戦前にエルネマン社が生産していたF1.8のエルノスターと同一構成の、俗にいうエルノスター2型です。新種ガラスを1枚使用し戦前のエルノスターを高性能にしているのが特徴です。マウント部は独自の58mmネジマウントになっており、純正アダプター( Interchangeable adapter for Komura uni mount )を介して各社のカメラに対応していました[5]。手に取るとズシリと重く造りの良い鏡胴のため、今になって海外で再評価されている理由もよくわかります。
KOUMRA 100mm F1.8の構成図(トレーススケッチ)。設計は4群5枚のエルノスター2型です
[1]朝日カメラ 1955年1月号 広告
[2]戦後日本カメラ発展史 日本写真工業会編(1971)
[3]カメラ年鑑 日本カメラ(1957)
[4]「コムラーレンズと三協光機」粟野幹男 クラシックカメラ専科No.50(1999)
[5] Komura Product ctalog for 4x5 Large format, 6x9 format and 35mm format camera(Feb.1970). 
[6] "Lenses? Lenses?", Australian Photography Photo Directory 1975, (1975) pp.20-21
  
入手の経緯
レンズは2018年8月に大阪のカメラ屋にて、店頭価格45000円にて購入しました。コンディションはABで、ゴミの混入や剥離したチリ(コバ落ち)が少しみられましたがカビやクモリはなく、実用的には問題のないコンディションでした。KOMURAは現在も基本的には安値で取引されている製品ブランドであることに変わりはありませんが、F1.8~F2クラスの明るい望遠系だけは別格扱いされており、85mm F1.4には130000円~150000円、85mm F1.8、100mm F1.8、135mm F2には100000円前後、105mm F2でも50000円前後もの値が付きます。ただし、F2.8クラスはまだ数千円で取引されており、例えばエルノスター2型(1-2-1-1)の135mm F2.8はまだリーズナブルな値段で入手することができます。レンズをできるだけ安い値段で手に入れたい場合には、海外よりも国内市場をあたるほうが有利でしょう。
 
撮影テスト
定評のあるレンズだけに描写はやはり素晴らしく、オールドレンズらしい雰囲気のある写真が撮れます。特に発色は独特で、コッテリ感が強調されやすい現代のデジカメにおいていい感じにバランスし、自然な色味にまとまります。ピント部の質感表現は繊細で、中心解像度は高く、開放では四隅に軽微なコマフレアが出るものの光を敏感にとらえることができます。少し絞ると全域均等なシャープなピント部となります。階調は軟らかくトーンがとてもなだらかに出ます。背後のボケは軟らかく、どのような条件でも乱れることなく安定しており、ガウスタイプにもゾナータイプにもみられない独特なボケ味の美しさがあります。

F2, sony A7R2(WB:日陰)






F2, sony A7R2(WB:日陰)




F1.8(開放) sony A7R2 (WB:日陰) ボケ味は独特です




F2.8, sony A7R2(WB:日陰)

2018/09/29

KMZ PO61(RO61) 28mm F2.5 KONVAS-1M OCT-18 mount




レニングラード生まれ、クラスノゴルスク育ちの
35mmシネマムービー用レンズ  PART 9
高性能なシネマ用準広角レンズ
クラスノゴルスク機械工場 PO61(RO61) 28mm F2.5
1950年代はまだF2クラスの明るい広角レンズを実現するには技術的に困難な時代でした。同時代の代表的な広角シネマ用レンズにテーラー・ホブソン社のSpeed Panchro(スピードパンクロ)25mmF2がありますが、開放ではコマ収差に由来するフレアが多く発生し、とても柔らかく軟調な開放描写でした。ロシアでも1946年前後とかなり早い時期にレニングラードのKINOOPTIKAファクトリーでPO13-1  28mm F2が試作されましたが、ついに普及版が出ることはありませんでした。本レンズの場合には口径比をF2.5に抑え、焦点距離を28mmとすることで、開放でもシャープな画質が得られるよう絶妙な落しどころで設計されてます。しかし、そうは言ってもやはり本品はシネマ用レンズですから、開放絞り値を他のレンズと同じF2に揃えることがフィルムのロールスピードを一定に保つ観点からみても重要であったと思います。
レンズが市場供給されたのは1950年代中頃からで、当初はモスクワのKMZが製造したブラックカラーのモデルとレニングラードのLENKINAPファクトリー(LOMOの前身組織の一つ)が製造したシルバーカラーのモデルの2種類が存在しました。後者は1960年代に鏡胴がブラックカラーとなります。POシリーズの多くは1960年前後(LENKINAP/LOOMP時代)に改良されLOMOのOKCシリーズへと姿を変えてゆきます。PO61も最終的にはOKC(OKS)1-28-1 28mm F2.5へとモデルチェンジを果たしますが、改良モデルの登場はだいぶ遅く、LOMOの時代(1965年~)に入ってもしばらくはPO61として市場供給が続きました。PO61の製造は1970年までで、開放絞り値をF2まで明るくした上位モデル(OKC4-28-1)が登場すると同時にGOIのカタログから削除されています。
eBayなどの市場では下の写真に示すような4種類のバージョンを目にすることができます。いずれも35mm映画用カメラのKONVAS-1Mとその後継モデルに供給された交換レンズで、一番左は1950年代半ばから1960年代にかけてモスクワのクラスノゴルスク機械工場(KMZ)で製造された個体です。残る右側3本はレニングラードで製造されたLOMO(ロモ)系列の個体で、時代毎にメーカー名こそ異なりますがPO61-5という名称から同じ工場で製造された個体であることがわかります。じつは、LENKINAP製にはPO61-1、PO61-2、PO61-5の3種類の個体が存在します。途中で製造工場(or 生産ライン)が変わったのでしょうか。
PO61の各バージョン。一番左は1950年代半ばから1960年代にかけて、モスクワのクラスノゴルスク機械工場(KMZ)で製造された個体、2番目は後にGOMZなどと合併しLOOMPおよびLOMOの一部となるLENKINAPファクトリーが1950年代半ばから1960年代初頭にかけて製造した個体、3番目はLOMOの前身団体である LOOMP(レニングラード光学器械工業企業体連合 )が1962年から1965年に製造した個体、一番右はそれ以降の時代にLOMOが製造した個体です。他にもeBbayでLENKINAP製(1955年製)のPO61-2を確認しています








PO61の構成図(Catalog Objectiv 1970 (GOI)からトレーススケッチした見取り図)構成は4群6枚のオーソドックスなガウスタイプ
重量(実測)108g, 最短撮影距離(規格) 1m, 絞り羽 8枚, 絞り F2.5(T3)-F22, 35mm映画用カメラKONVAS-1M用, 設計構成 4群6枚ガウスタイプ,  





入手の経緯
コンディションに問題のない個体ならeBayで150~200ドル(送料別)程度の値で入手できます。私は2018年8月にレンズを専門に扱うロシアのセラーから145ドル+送料15ドル(合計160ドル)で購入しました。オークションの記載は「新品同様:映画用カメラのカンバス35mmに供給されたレンズ。全く未使用のとても素晴らしいコンディション」とのこと。レンズは豊富に流通しており100ドル以下でも見つかりますが、いずれもコンディションには問題があります。状態のよいものが直ぐに欲しいなら200ドル用意する必要があります。
 
デジタルミラーレス機で使用するには 
レンズのマウントは映画用カメラのカンバス前期型に採用されていたOCT-18マウントです。eBayではOCT-18をライカMやソニーEなどに変換するためマウントアダプターが市販されており、レンズをデジタルミラーレス機で使用することができます。アダプターは5000円~10000円程度の値段で入手できます。ただし、OCT-18はスピゴットマウントと呼ばれる少し厄介な機構を持つマウント規格なので、市販のアダプターとはいえ、よほど良くできたものでない限り、ピント合わせに少し不便を感じるかもしれません。ピント合わせはレンズ本体のヘリコイドに頼らず、外部の補助ヘリコイドに頼るのがオススメの使い方です。アダプターを使いレンズをいったんライカMマウントに変換してから、補助ヘリコイド付のライカM→ミラーレス機アダプターを使ってデジタルミラーレス機に搭載するのがよいでしょう。簡単な改造ができる人なら、マグロエクステンションリングとステップアップリングを組み合わせれば、ライカMマウントに難なく変換(改造)できると思います。  




撮影テスト
PO61は35mmシネマフォーマットのレンズですので、APS-C機で使用するのが最も相性の良い組み合わせです。この場合、35mm判換算で焦点距離42mm相当の準広角レンズとなり、スナップ撮影には大変使いやすい画角です。写真の中央は開放からたいへんシャープで、スッキリとヌケがよく、コントラストも良好なうえ、1~2段絞るとカリカリの描写になります。これとは対照的に四隅ではフレアが目立ちますので、メインの被写体を四隅に配置する場合には少し絞る必要があります。中央と四隅でシャープネスに大きな差のあるレンズです。
背後のボケに乱れはなく、素直で穏やかなボケ味で、グルグルボケとは一切無縁です。逆光には比較的強く、太陽を入れてもハレーシヨンは少な目で、ゴーストはほぼ出ず、発色が濁ることもありません。
 
今回の撮影地は晩夏の寂しさ漂う昭和記念公園です。
 
F4 WB:日陰
F4 WB:日陰











F4 WB:日陰


POシリーズも今回でPART 9まできました。次回の最終回はpo59を取り上げます。

2018/09/12

KMZ Industar-22 50cm F3.5 (Leica L mount)




エルマーの仮面をかぶったロシアン・テッサーで
素朴な写りを堪能する
KMZ INDUSTAR-22 50mm F3.5(Leica-L mount)
テッサータイプと言わば、かつては「鷲(わし)の目」などと呼ばれ、シャープなレンズの象徴みたいな扱いをうけてきた時期もありました。でも、それは大昔の話で、現代のレンズの基準からみればごく平凡なシャープネスでしかありません。むしろ、古い時代のテッサータイプの写りには軟らかく素朴な印象を受けることが多くあります。かく言う私もテッサータイプは古いものが大好きで、古いとは言ってもテッサー誕生の20世紀初頭までさかのぼるわけではなく、1940年代後半から1950年代辺りの製品です。この頃のテッサータイプのレンズにはトーンのつなぎ目を感じさせない軟らかい描写のものが多くみられます。また、製品によっては新種ガラスが導入され描写性能の大幅な向上を果たしていますが、新種ガラスが経年とともに茶色く色付いてしまう「ブラウニング現象」のため、結果としていい味を出してくれます。序文が長くなりましたが、今回は1940年代末からロシア版コピーライカのFEDに搭載され活躍したテッサータイプのインダスター22(INDUSTAR-22)というレンズを紹介してみたいと思います。

レンズの誕生は1945年でロシアのレンズ設計士M.D.Moltsevという人物が光学系を設計、試作レンズが作られました[1,2]。Moltosevは後のJupiterシリーズの再設計でも知られるようになる人物で、1948年からはKMZ光学設計局の局長に就任しています[1]。レンズの市場供給が始まったのは1948年でレンズはモスクワのクラスノゴルスク機械工場(KMZ)の393番プラントで生産されました[3]。初期のモデルはガラス面にコーティングのないノンコート仕様でしたが、1949年には薄いブルー系のコーティング(初期のP コーティング)が施されたモデルが登場しています。1949年から1950年にかけて一時はカザン光学機械工場(KOMZ)も生産に乗り出していますが、市場で見かける製品個体の数はごく僅かです[1]。レンズの外観がライツのエルマーにそっくりなため、エルマーのコピー製品と呼ばれることもありますが、光学系の形態はエルマーよりもテッサーに近いものとなっています。



このレンズにはライカの名玉エルマーに採用されていた「沈胴式」とよばれる機構が採用されています。撮影を行うとき以外は上の写真のようにレンズがカメラの内部に引っ込んでコンパクトになり、撮影時には下の写真のように引き出して使うのです。古い沈胴式レンズは憧れでしたので、デジカメにマウントすると、「どう、マニアみたいでしょ?」とばかりに、ちょっと得意気な顔ができます。


☆★カメラへのマウント時の注意点★☆


マウントアダプター経由でデジタル一眼カメラに搭載する場合、沈胴には十分に注意してください。SONYのA7(初代機)では沈胴時にレンズの鏡胴がボディ内部と干渉するようです。他の機種でも干渉の恐れがあります。沈胴させたままシャッターを切るとシャッター幕が破損する可能性もあります。沈胴させる場合には事前に十分に調べ、十分に注意してください。

重量(実測)106.7g, 絞り羽 8枚, F2.3-F16, 最短撮影距離(規定)1.2m, ライカL39マウント, フィルター径 23mm





INDUSTAR-22の構成図:文献[4]に掲載されているものをトレーススケッチした見取り図です。左が被写体側で右がカメラの側となっています。設計構成は3群4枚の典型的なテッサータイプです


入手の経緯
2018年2月にeBayを介してロシアのカメラ屋から45ドルの即決価格で入手しました。オークションの記載は「ガラスはクリーンで傷、チリ、汚れなどはない。エクセレント+++コンディションだ」とのこと。同じセラーが5~6本レンズを出しており、コンディションなどの記載はどれも同じでしたので、写真で一番まともそうにみえるものをチョイス。届いた品はフロントガラスに拭き傷1本と製造時由来の気泡がガラス内に1個ありましたが、良好なコンディションでした。
レンズはネットオークションで豊富に流通しており、中古店にも豊富にあります。沢山あるなかから、いかにして状態の良いものを選び出すかがポイントです。eBayでの相場は送料込みの総額で45ドル(約5000円)くらい、国内ではヤフオク!にて7500円前後の売値でした。
 
参考文献
[1] ZENIT Home page: http://www.zenitcamera.com
[2] Soviet Cams.com: http://www.sovietcams.com/index.php?553745048
[3] КАТАЛОГ фотообъективов завода № 393 (The catalog of photographic lenses of the plant № 393) 1949年
[4] Catalog Objectiv 1963 (GOI): A. F. Yakovlev Catalog

撮影テスト
重厚かつ落ち着いた発色で、少しくすんだようにも見えます。軟調なのかと言えばそうなのですが、あっさり感はなく、味わい深い画作りができます。階調はシャドーに向かってなだらかに変化しており、トーンがとても丁寧に出ています。画質は開放から実用的で、スッキリとヌケがよく、中心から四隅までの広い範囲で乱れることのない均一な画質を維持しています。ボケも四隅まで乱れることはなく、とても安定感のあるレンズだとおもいます。
後になって気づいた事ですが、私が手に入れた製品個体はシリアル番号から1980年に製造されたもののようで、古いテッサーを紹介したいという本記事の趣旨には合いません。まぁ、設計は古いままなので問題ないでしょうが、はたしてどんなもんでしょう。作例どうぞ。開放でも十分な画質なので全部開放です。

2018年9月 漢字練習

F3.5(開放)sonyA7R2(WB:日光 )



F3.5(開放)sonyA7R2(WB:日光 )


F3.5(開放)sonyA7R2(WB:日光 )

F3.5(開放)sonyA7R2(WB:日光 )

F3.5(開放)sonyA7R2(WB:日光 )



F3.5(開放) sony A7R2(WB:日光)




F3.5(開放) sony A7R2(WB:日光)



F3.5(開放) SONY A7R2(WB:日陰)

F3.5(開放) sony A7R2(WB:日光)