おしらせ


アーカイブ:Steinheil Macro-Quinon 55mm F1.9


妥協を許さない企業気質が生んだ銘品
マクロでF1.9。これはただ事ではない


設計主任 「しかし、博士。この仕様では総重量が500gを超えてしまいます」
シュタインハイル博士 「構わん。続けなさい」

今回はドイツの老舗光学機器メーカーSteinheil(シュタインハイル)社が1963年に発売した55mmの標準レンズMACRO-Quinon(マクログィノン)である。Steinheilのレンズには携帯性を追求したものや撮影倍率の高さ重視したものなどコンセプトが明確で強い個性を放つ製品が多い。マクロレンズにはただならぬ拘りがあるようで、単焦点レンズの主力商品であるQuinシリーズ(Auto-D-Quinaron 35mm, Auto-D-Quinon 55mm, Auto-D-Quinar 100mmおよびAuto-D-tele-Quinar 135mm)にはマクロ機能を強化した別バージョン(MACRO-Quinシリーズ)を4種全てに揃える程の熱の入れようである。マクロレンズの設計と言えば、4枚構成のテッサー型か6枚構成のガウス型を採用した製品が多く、MACRO-QUINONは後者のガウス型を採用している。収差の変動が急激な近接領域での撮影に特化しているため、球面収差を抑えシャープネスを高める設計が好まれる。テッサー型にしてもガウス型にしても撮影距離に対する収差の変動幅が他の光学系に比べ小さいので、マクロ撮影用の設計には適しており、近接撮影時の収差の増大(画質の悪化)が起こりにくい。しかし、等倍を超える高い撮影倍率を実現するとなると話は別で、収差そのものを一定のレベル以下に抑えるにはテッサー型では力不足となる。  
SteinheilのMACRO-QUINONは撮影倍率が何と1.4倍もある高倍率レンズである。設計面での自由度が高く収差を効果的にキャンセルできるガウス型を採用したのはごく自然な選択なのである。
本品は2段ヘリコイド機構を持ち、鏡胴は6cmから13.5cmまで伸縮する

MACRO-QUINONのヘリコイド構造は全群繰り出し型の2段式である。1段目のヘリコイドを全て出し切るまで2段目のヘリコイドリングにはロックがかかっている。鏡胴の長さは最も短い状態で約6cm、1段目のヘリコイドを繰り出すと約10cmとなり、2段目をいっぱいまで繰り出した最長の状態では約13.5cmにもなる。近距離補正機構はついておらずマクロエクステンションチューブを装着したに過ぎない単純な構造である。開放絞り値はF1.9と大口径で明るい。マクロレンズに大口径は不要という考え方もあるが、あえて大口径にすることにより、このレンズならではの描写(マクロ領域での極めて薄い被写界深度)が実現可能になる。フィルター径が54mmと特殊なので、フードや保護フィルターを装着する際にはステップアップリングを用てフィルター径を変更するか、純正のものを用意する必要がある。鏡胴はメタル材質でズシリと重く、重量は何と494gもある。迫力のある太い鏡胴とゼブラ柄のデザインが外観の特徴。しっかりと造り込まれた素晴らしいレンズだ。

シュタインハイルのマクロシリーズ純正フード。2段構成になっている。MACRO-Quinaron 35に対しては1段目のみ、MACRO-Quinon 55では2段目まで装着する。フィルター径(内径)は54mmの特殊な規格である

光学系:4群6枚, 焦点距離55mm/絞り値F1.9-F22, フィルター径54mm, 重量(実測) 494g, 最大撮影倍率1.4倍, ワーキングディスタンス:4cm,後玉側のマウント部からは絞り連動ピンが出ている。しかし、こんな高級レンズなのに絞り羽根がたったの5枚とは...

MACRO-QUINONには広角レンズの姉妹品MACRO-QUINARON 35mm/F2.8がある。こちらの最大撮影倍率は何と2倍もあり、単体の一眼レフカメラ用レンズとしては世界最高倍率だと思われる。光学系はレトロフォーカス型なので、よりシンプルな設計となる本品の方が画質面では優位だ。


MACRO-QUINON 55/1.9(左)と姉妹品のMACRO-QUINARON 35/2.8(右)

★入手の経緯
本品は2009年の11月にeBayを介して米国LAのカメラ業者から375㌦の即決価格(送料込みの総額は400㌦)にて落札購入した。出品者は誤ってレンズ名をマクロテレキナーと記して販売していたのだ。マクロキノンは極めてレアなレンズだがマクロテレキナーはMACRO-Quinシリーズの中では比較的入手しやすいので注目度が低かったようである。しかも希少価値の極めて高いM42マウント版である。中古市場に出回っているのは殆どがEXAKTAマウント用のであり、M42マウント用を見るのはこの時が初めてであった。これはラッキーと思い、二度と訪れないチャンスを逃がすまいと即購入を決意した。直ぐにBuy it nowのボタンを押したところ、「あなたがこの商品のページを表示している間に誰か他の購入者が即決価格のボタンを押し購入しようとしている。その購入者は現在商談中なので早く支払った人のものになる(和訳)」とeBayのエージェントが緊急性を示してきた。こんなことは初めてであった!恐らくこの時点でブラウザ上の商品解説ページを閉じてしまうと、二度とBuy it nowボタンは表示されなかったのであろう。一刻を争うので、PayPalの"Pay Now"ボタンを押して直ぐに支払ってしまった。 どうやら、eBayには即決落札のボタンを押した後でも購入の優先権が入れ替わるルールがあるようだ。本レンズの国内中古店相場はexaktaマウント用でも10万円はする。eBay相場はexaktaマウント用で700㌦前後なので、M42マウント用ともなればもっと高いと思われる。商品の解説には「長い間人気のマクロテレキナー。カビなし、へこみ傷もなし。僅かにチリが混入しているが清掃すれば除去は容易だ。レンズはすごくすごく良い状態で、8.5/10ポイントの状態。フードと純正キャップ、ケースが付く。」とあった。解説文で「すごく」を連呼していたので、出品者の商品に対する自信を感じた。しかし、届いた品はレンズ内にチリやゴミの混入が激しく、清掃しなければ撮影はできない程に汚い状態であった。仕方なく、自宅近くのドイツカメラ専門店に持ち込んで清掃してもらったところ、前玉に小さな傷があることが判明した。チリやホコリが多かったので清掃前には気付かなかったのである。撮影結果には影響が出ないし相場よりも大幅に安く手に入れたので、出品者にクレームは出さなかった。

★試写テスト
名門Steinheilの看板レンズというだけあり、QUINONの描写は高い評価を得ている。前モデル(アルミ胴鏡モデル)では発色が淡泊、撮影距離ごとの収差変動が大きいなど幾つかの弱点が指摘されていたが、後継となる本品はカラーフィルム時代の製品なので彩度が高くヌケが良い。たいへん鮮やかな色ノリだ。また、画像周辺部まで破綻のない均質な画質が得られる。ガラス面はモノコートなので逆光には弱いが、ハレ切りをしっかりおこなえばコントラストは充分なレベルを維持している。近接撮影で高いシャープネスを引き出せるよう収差が適切にコントロールされており、ピント面の描写は開放絞りから実にシャープである。破綻のない均質なピント面の結像と相まって画像周辺部まで線の細い繊細な描写を実現している。ただし、この反動でボケ味は硬く、大きくぼかしても結像の輪郭部にエッジが残る。絞り羽根の数が5枚のためハイライト部のボケ味が煩くなることもある。色再現性は高く、癖の無い素直な発色のため、カラーバランスの補正が必要になる事はあまりない。ただし、銀塩カメラで撮影した結果の方が彩度が高くこってりとした発色になる傾向があるように思える(単に気のせいかもしれない)。コッテリ気味の鮮やかな発色と硬いボケ味の相乗効果、さらに絞り羽根が5枚であることによる独特のボケ味によって、アウトフォーカス部がまるで油絵で描いたような不思議な色彩になることがあり面白い。対してデジイチで撮影した結果では幾分彩度が控えめなのか、自然な発色である。収差変動により硬いボケ味は近接撮影になるほど軟化し、マクロ領域では程よいシャープネスとボケ味の柔らかさが同居した優れた描写力を獲得する。本レンズは近接で最高の描写力を発揮できるようにチューニングされているのだろう。
本品を用いて暖かい光源下で人物を撮ると、優しい描写と繊細さが同居した良い結果になるようだ。なかなか個性的かつ優れた描写力を持つレンズのようである。ただし、逆光ではフレアが出やすいとの噂なので、フードは必須。しっかりとハレ切りをしてコントラストの低下を防ぎたい。以下、銀塩カメラとデジタルカメラによる撮影サンプルを示す。


F8 EOS kiss x3 digital,AWB: 銀塩カメラでの撮影よりも色のりは幾分控えめで自然な発色になる。力強い発色はデジイチでも健在である
F8 EOS kiss x3 digital, AWB: 一つ前の作例の花を最大撮影倍率(x1.4倍)で撮るとここまで大きく写る。マクロ領域でのボケ味は柔らかい
F5.6 EOS kiss x3 digital, AWB: こちらも超近接撮影。シャープな描写だ

F1.9 銀塩(FujiColor V100 ) 開放絞りからシャープに結像している。発色はコッテリ気味
 
F1.9 銀塩(Fujicolor V100) 背景のゆるやかな階調変化が実に素晴らしく表現されている。コントラストも高い。周辺部まで均質な結像が得られ噂どうりの高画質である
F2.8(銀塩) 発色はコッテリ鮮やか

左F1.9/右F5.6 EOS kiss x3 digital, AWB:近接撮影であるが開放絞りからこのとおりにシャープ。結像の甘さは全く感じない

F2.8 EOS kiss x3 digital,AWB: ハイキー気味に撮影しカラー彩度の高さ、草花の輪郭部の線の細さを強調してみた

★エクステンションチューブを付けて
最大撮影倍率を2.8倍まで高める
 顕微鏡用レンズとは異なりカメラのレンズは近距離から無限遠方までの撮影距離に渡り一定のクオリティを保たなくてはならない。中距離から無限遠にかけての撮影とは対照に、近接撮影の場合にはレンズを出入りする光線の角度が大きく変化するため、収差の変動幅は近距離になるほど大きくなる。収差のコントロールは近距離になるほどむずかしくなるのだ。このため近接での撮影には画質的な限界があり、その限界値は最短撮影距離としてレンズの設計ごとに異なる仕様になっている。マクロレンズは近接での収差変動が一般的なレンズよりも小さくなるように設計されており、最短撮影距離が大幅に短くなっている。
近接撮影で画質を保つことの難しさはマクロエクステンションチューブを用いて最大撮影倍率を強制的に高め、規格外の倍率で撮影を行ってみるとよくわかる。被写体に寄るにつれ結像が甘くなったり色ずれが起こったりコントラストが低下したりなど、画質のクオリティが急激に下がりはじめる。MACRO-QUINONを用いて、少しだけこの様子を追いかけてみよう。
 MACRO-QUINONは収差変動の少ないガウス型の光学設計を採用し、光学系は近接撮影用にチューニングされていると思われる。規格外の倍率での撮影においても画質的にかなりの耐性があるのではないだろうか。
M42マウント用マクロ・エクステンションチューブ(メーカー不明/ドイツの中古店で購入)。レンズとカメラのマウント部の間に取り付ける。3本全て用いると最大撮影倍率を更に2倍化させることができる

チューブを装着しヘリコイドをいっぱいまで繰り出した様子。なんだか凄い
レンズ単体の最大撮影倍率(1.4倍)にてボールペンの先端を撮影した様子。EOS kiss(APS-C)を用いると約1.67cmの対象物を横幅いっぱいに撮影できる
チューブを付けて最大撮影倍率(2.8倍)にて撮影した様子。さすがに画質の悪化、特にコントラストの低下が顕著だ。シャープネスはまだいけそうに思える。EOS kiss(APS-C)を用いると約0.88cmの対象物を横幅いっぱいに撮影できる

★撮影機材
銀塩カメラ:PENTAX MZ-3 + フジカラーネガフィルム ISO100 +PENTAX マグニファイアー/デジタル一眼レフ:CANON EOS Kiss x3 + シュタインハイル純正メタルフード( フィルター径54mm )

カメラ425g < レンズ494g。バランス悪すぎませんか

カメラとのバランスは二の次にして、他社に無い設計仕様を優先させる企業気質はいかにもシュタインハイルである。良い物を造れば50年後に評価されるという歴史の教訓を知っていたのか、MACRO-Quinシリーズの日本国内における中古店相場はクレイジー!と言いたくなるような額である。

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