おしらせ


2012/05/29

P. Angenieux Retrofocus Type R1 2.5/35(M42) Rev.2 改訂版
 アンジェニュー・レトロフォーカス


熱狂的なファンがつく

オールドレンズ界のマジシャン

Angenieux(アンジェニュー)社(現Thales Angenieux社)はシネマ用ズームレンズや一眼レフカメラ用広角レンズのパイオニアとして名を馳せたフランスを代表する光学機器メーカーである。創業者のPierre Angenieux(ピエール・アンジェニュー)は若い頃に大手映画製作会社のPathe(パテ)に勤務していた経歴を持ち、生涯を通じてシネマ界との交流を続けた。撮影監督などレンズを使用するエンドユーザーの声に耳を傾け、緊密な協力関係を保ちながらフランス映画産業の発展に貢献してきた大変模範的なエンジニアである。今回再び紹介するAngenieux社のRetrofocus type R1は今日の一眼レフカメラ用広角レンズの設計の基礎となるレトロフォーカスと呼ばれる技法をスチル撮影の分野に持ち込んだ初めてのレンズである。最前部に大きく湾曲した凹レンズを据え、バックフォーカスを長くとることで、一眼レフカメラにおいて問題視されていた後玉のミラー干渉を回避できる画期的なレンズとして注目された[注1]。光学系は5群6枚で、テッサー型を起点に前群側に凸レンズと凹レンズを1枚づつ加えた構成を持つ。レンズの描写にも特徴があり、ノスタルジックな演出効果に通じる温調で淡白な発色傾向に加え、ハロやフレアを自在にコントロールし、このレンズならではの特異な描写表現を可能にできる個性豊かなレンズである。
Angenieux Type R1の光学系(左)とCarl Zeiss Flektogon 35mm F2.8の光学系(右)。双方とも初期のスチル撮影用レトロフォーカス型レンズである。光学系は双方とも5群6枚で、Angeieux R1はテッサー(左図の黄色の部分)を起点として前群側に凸レンズと凹レンズ(赤で着色した部分)を1枚づつ加えた構成を持つ。前群に2枚のレンズが加わったのは凹凸成分の構成バランスを維持するためであり、凹レンズ3枚、凸レンズ3枚と屈折率パワーが釣り合う結果、テッサー同様に無理のないプロポーションが維持されている。これにより、非点収差と像面湾曲が効果的に補正され画角特性(四隅の画質)が向上するとともにグルグルボケや放射ボケにも無縁の穏やかなボケが実現される。対するFlektogonはビオメタール(右図の黄色の部分)を起点として、最前部に赤で着色した凹レンズを1枚加えた構成となる。こちらは一枚加えるだけで、凹凸レンズの構成がバランスしている
[注1] レトロフォーカスとは焦点(フォーカス)を後退(レトロ)させるという意味で、広角レンズの最前面に大型の凹レンズを取り付けレンズの後玉から撮像面までの距離(バックフォーカス)を長くする設計技法の事をいう。この方法を用いれば焦点距離の短い広角レンズを一眼レフカメラで用いる際にも、ミラーの可動域を確保することができる。元々はAngenieux社の広角レンズについた商標であったが、同種の広角レンズを「レトロフォーカスタイプ」などと呼び、広く用いられるようになった。一般的な望遠レンズでは、これとは逆に最前部に凸レンズを配置しバックフォーカスを切り詰めるという正反対の立場がとられるため、レトロフォーカス型レンズのことを「逆望遠レンズ」と呼ぶことがある。レトロフォーカスに相当する設計は戦前から既に存在しており、英国テーラーホブソン社のH.W.Leeが映画用レンズに開発した技法および関連する英国特許(British Pat. 355452,1931年)が世界初とされている。いわゆるレトロ(復古調)とは全く関係ないが、Angenieuxのノスタルジックな描写を見ていると、いかにも関係ありそうに思えてしまう方々は、もはやアンジェニュー中毒者の仲間入りである(更生不能かも)。

創設者Pierre Angénieux(ピエール・アンジェニュー)

Pierre Angénieux(1907-1998)は1907年にフランス南東部の小さな町Saint-Heandに生まれた。学生時代の彼はパリの名門工業学校に通い、ワイドスクリーン・システムに対するアナモルフィックレンズの発明者Henri Chrétienの元で学んでいた。1928年に同校で工業エンジニアの学位を取得し、更に翌1929年には光学エンジニアの学位を得ている。卒業後はフランス大手映画製作会社のPathéに就職しシネマの世界に身を置いた後、1935年にパリでシネマ用品を専門とする自身の会社Angenieux Establishmentsを設立、これが現在まで続くAngenieux社の原点となった。彼は会社設立後も「鉄路の白薔薇(しろばら)」や「ナポレオン」などの名作映画で知られるフランスの映画監督Abel Gance(ガンス)や、「大いなる幻影」「フレンチ・カンカン」「草の上の昼食」などで知られる巨匠映画監督Jean Renoir(父は印象派絵画のルノワール)らと交流を続けた。大戦中のAngenieux Establishments社は経営的に苦境に立たされ、戦災やドイツ軍の進駐による影響で一時はパリを離れ故郷の町Saint-Heandに移転、事業規模を縮小させる時期もあった。しかし、終戦後は意欲的な製品を次々と世に送り出し経営体質が改善、事業規模は拡大を続け世界的な光学機器メーカーへと成長した。その記念すべき最初の成功は50年代の幕開けとともに始まった。Pierre自身による設計で1950年に製品化された世界初のスチルカメラ用レトロフォーカス型レンズP.Angenieux Retrofocus Type R1 35mm F2.5である。Type R1はスチル撮影用に設計された製品だが、レンズの開発には彼と交流のあったシネマカメラマンのリクエストが盛り込まれていると言われている。
Pierre Angenieux
(実写真からのトレース)
続く1953年には当時世界で最も明るい口径比F0.95のシネマ用レンズを開発した。このレンズは登場から35年もの間、Bell & Howell社の70-seriesというムービーカメラに搭載されている。これ以降、彼はシネマ用ズームレンズの開発に力を注ぐようになり、1956年には17-68mm F2のズーム、1958年には10xズームの10-120mmなど当時としては革新的な性能のレンズを次々と世に送り出している。
  60年代になると、Angenieux社のレンズはNASAアメリカ航空宇宙局の宇宙開発事業に積極的に登用され、人類史に残る歴史的な場面で活躍するようになる。こうした経緯が後発メーカーだったAngenieux社の知名度を更に高めてゆく。1964年7月31日、同社が開発した超大口径レンズAngenieux 25mm F0.95は宇宙探査機Ranger VIIに搭載され、人類史上初となる月の裏側の撮影に使用された。最初の1枚は月の上空2500kmの位置から用いられ、最後の1枚は上空500mの高さから30cmの分解能で月の表面を詳細に撮影している。全世界がAngenieuxのレンズを通して送られてくる映像に釘付けになったのである。その後もGemini計画やApollo計画でNASAとの協力関係は続き、1969年のApollo XI計画ではNASA宇宙飛行士が月面に降り立つ世紀の瞬間を同社のレンズがとらえている。そういえばPierreの顔も、どことなくお月様に見えるではないか。
   70年代もSkylab計画やApollo計画などNASAとの協力関係は絶えることがなく、Angenieux社の超広角ズームレンズはスペースシャトルにも配備されている。また同社は1973年に世界で最も広範囲のズーム域をカバーする42倍ズーム(最短撮影距離0.6m)を開発している。Pierreは1975年に第一線を退き、その後は自社のズームレンズの開発に取り組む若いエンジニアの指導に専念している。
  彼は革新的なシネマ用ズームレンズを開発した功績により、生涯を通じて映画芸術科学アカデミー(米国)から権威あるAMPAS賞を2度授与され、さらに1989年には映画撮影用ズームレンズと広角レンズの開発、およびAbel Ganceら多くの映画監督らとの緊密な交流が映画産業の発展に貢献したとのことで、同アカデミーのゴードン・E・ソーヤー(Gordon E. Sawyer)賞を受賞している。
   Angenieux社は1993年にThomson CSF(現Thales Group[注1])に買収され現在はThales Angénieuxに改称、2008年時点で世界50ヶ国に68000名の社員を抱え、現在もナイトビジョン、航空・軍事用の各種監視装置、映画用ズームレンズ、TV用ズームレンズ、内視鏡などの生産を手がける巨大メーカーとして存続している。

入手の経緯
  本レンズは2009年2月にeBayを介して米国の大手中古カメラ業者ケビンカメラから購入した。状態はMINT(美品)ということで700ドルの値がついていたが、値下げ交渉を受け付けていたので525ドルでどうかと提案したところ600ドルならいいぞと返してきたので交渉が成立し、私のものとなった。現在は相場価格が少し上昇し、EXAKTAマウントの品の場合には600-900ドル程度、M42マウントの品の場合には900-1200ドル程度で取引されている。国内でもEXAKTAマウントの品で6万円から8万円、M42マウントの場合にはそこから更に2万円程度上乗せした辺りの額であろう。届いた品には中玉周辺部に吹き傷1本、前玉にも顕微鏡レベルの極薄いクリーニングマークがあり、後玉には針の先でつついたようなピンポイント状のコーティングの劣化が2個、マウント部には極僅かにガタがあるという内容で、MINT表記で売るには無理のある状態であったが、ガラスにクモリはなく、いずれも実用上は影響のない小さな問題であった。Angenieuxは何かと光学系が痛みやすいようで、中古市場に出回っている品にはガラス面にクモリが発生していたり、前玉に傷が多かったり、コバ(レンズ内の黒い塗装)が剥がれてたりと傷んでいる個体が大半である。私がこれまで中古店で見てきた個体も、描写に影響の出るような大きな問題を抱えた品ばかりであったが、手に入れた品は実用主義の私にとって充分な状態を維持していた。なお、コレクターレベルの個体に出会う機会は実際のところ滅多にないので、コレクションを目的に入手するのであれば、多少高額でもショップからの入手をすすめたい。
  Angenieux R1が手元に届いた日、試しに自宅の部屋に飾ってあった雛人形を撮ってみた。わずかに微笑んでいる綺麗な顔のお雛様。その白い顔の輪郭付近に青白い光の滲みが発生し、なんとも不気味な面持ちに腰を抜かした。このレンズ、いったい何なんだ。
フィルター径 51.5mm, 最短撮影距離 0.8m, 重量 275g, 絞り値 F2.5-F22, 光学系は5群6枚,  M42マウント純正品の場合はEOS 5Dのようなフルサイズセンサー機でもミラー干渉がない

撮影テスト
  Angenieux R1の描写の特徴は独特な発色とコマフレアである。minoltaのレンズ設計者が書いた本「写真レンズの基礎と発展」(小倉敏布著)の中には、このレンズの描写について述べられた一説がある。著者はこのレンズを用いた作例に共通して見られる薄い絹のベールを被せたような写りの正体をコマフレアと断定し、黎明期のレトロフォーカス型レンズはコマフレアの出せる特異な設計構成を配していると述べている。なんでも、光学系の3群目と4群目の凹レンズと凸レンズの配し方にその秘密があるようで、これ以降のレトロフォーカスレンズはこの配置を逆転させることによりコマフレアを劇的に抑えることに成功したのだという。その結果、Angenieux R1のような最も初期のレンズのみが技術的に取り残され、特別な存在になれたというのだ。コマフレアは普通のフレアとは異なり、逆光でなくともハイライト部が存在すれば容易に発生し、軟調で低コントラスト、淡泊な発色など、このレンズに特有の描写特性を生み出す要因となる。また、Angenieux R1でピント合わせが困難なのもコマフレアを原因とする階調の軟らかさが合焦時の輪郭部検出を困難にしているためなのであろう。しかし、逆光撮影時の普通のフレアでみられるような発色の濁りはなく、あくまでも軽やかさがある。実際にレンズを撮影に用いてみると、開放絞りの時にはハイライト部のまわりにコマフレアが盛大に発生し、ピンポイントで薄い絹のベールを被せたような素晴らしい写真効果が得られる。絞りを1/2段から1段閉じると、コマフレアはハイライト部とその輪郭にそって収縮し、明るさを増しながらハロを形成、被写体が美しい光の滲みを纏う。開放から2段絞るとコマフレア(ハロ)は消失しコントラストが向上、シャドー部には締まりが生まれる。
  発色はやや黄色に転ぶ傾向があり温調気味である。低コントラストで淡泊になりがちな性質もあることから、経年変化によって焼け褪せてしまった古いプリント写真を見ているようなノスタルジックな雰囲気が得られる。また、このレンズは赤に特徴があるという雑誌などの記事をよく目にする。しかし、多くの記事では、それがどういう意味なのかまでは明確に述べられていない。私自身レンズを使ってみて感じたのは、赤が実際よりも朱色っぽく写るということだ。本来、赤はきつめの強烈な色だが、このレンズを通した赤はコントラストが低いためなのか、淡く軽やかに見えることがあるのだ。もう一つ気になる事は、このレンズでよく語られるハッとするような新鮮な赤だ。この種の共通認識がどこから来るのかにも興味がある。私自身はこれが「赤」自体による効果では無く、コントラストが低いことにより他の多くの色が淡白になる中で、赤だけが最後まで孤軍奮闘するためではないかと思っている。モノクロやセピア色の風景の中に赤だけがピンポイントで入ると物凄く栄えて見えることがあるが、あの感覚ではないだろうか。原理はおそらく「夕焼け」と同じもので、大気(or ガラス)を通過する可視光のうち短波長の青系統の光がガラスの表面やガラス内で散乱されたり吸収されるためであろう。これとは反対に赤系統の光は青系統よりもガラス内を透過しやすく、レンズに入る光が何枚ものレンズエレメントを通過し、撮像部に届く段階では赤系統の成分に大きく偏るのである。Angenieux R1がハレーションやグレアの出やすいレンズである事も、この議論と整合している。ボケの特徴についてオールドレンズに精通している横浜のNOCTO工房に尋ねたところ「前ボケは綺麗に拡散し、後ボケはやや2線ボケの傾向がある」とのことであった。
  「オールドレンズパラダイス」(2008年澤村 徹 (著) 和田 高広 (監修) 翔泳社)の中にはこのレンズのボケ味に関する興味深い解説があり、軟調さからくる「フワフワした軽さ」「浮遊感」「ボケの浅い感覚」などが紹介されている。私はこれらの特徴に加え、このレンズでピントを合わせが困難な性質も、全てコマフレアに由来にしているのではないかと考えている。
  ドイツや日本の光学機器メーカーの多くのブランド製品は高解像で高コントラスト、鮮やかな発色を理想的な描写理念として、レンズの設計技術を日々進歩させてきた。一方、高解像でありながらも軟階調で淡泊な発色を特徴とするAngenieux Type Rシリーズは、これらとは異質の独自路線をゆくレンズであり、描写力の優劣を同一の尺度で計ることができない。例えば「シャープネス」は解像力と硬階調性(=見かけの解像力または解像感)を組み合わせた描写表現として今もレンズの優劣を計る際にもてはやされているが、この尺度を用いてAngenieux Type Rシリーズの画質の優劣を計ることは、もはや無意味であろう。個性豊かなAngenieuxの世界に触れることは、オールドレンズの描写表現に多様な価値観を見いだす新境地へと通じている。私がAngenieux Type Rシリーズの描写に惹かれるのは、このレンズがそうした別次元の扉を開いているからなのである。

 
銀塩撮影
CAMETA: Pentax MX+ Film: Kodak Pro XL100 / Fujicolor Superior 200
デジタル撮影
Camera:  Fujifilm X-Pro1 / Nikon D3
F8 Fujifilm X-Pro1 digital, AWB: このレンズではお馴染みの温調な発色傾向がデジタル撮影でもしっかり出ている
F8 銀塩撮影(Kodak ProFoto XL100): このレンズによる作例で度々お目にかかれる淡泊な発色。褪せた古いプリント写真を見ているようなノスタルジックな雰囲気を醸し出している。絞り込んでもこのレンズの個性は失われないようだ
F2.5(開放絞り) Fujifilm X-Pro1 digital, AWB: 開放絞りではハイライト部からコマフレアがブアッと噴出し、周辺部に向かって尾をひくように滲む。これが低コントラストで軟階調なAngenieuxの特有の描写特性を生み出している
F4 銀塩撮影(Fujicolor Superior 200): 階調がなだらかでシャドーはよくねばっている軟調レンズはこういうシーンに強い
F4 銀塩撮影(Fujicolor Superior 200): 一段絞った時のフレアはこのくらいで、白い衣服や帽子の輪郭部が綺麗に滲んでいる。作例はインドネシアの石鹸工場の工員
F8 銀塩撮影(Fujicolor Superior 200):  絞ればパンフォーカス撮影もギリギリこなせる。人がいればよかった・・・。
F8 銀塩撮影 (Fujicolor Superior 200): Angenieuxは雰囲気を大きく取り込むレンズと評されているが、いかがであろうか
F5.6 銀塩撮影(Kodal Gold100) 2段絞ればコマフレアは消失しすっきりとする。深く絞り込んでいるわけではないが解像力はそこそこ高く、木の枝が繊細に描かれている。青がシャドー側に沈みハイライト部が全体的に黄色っぽい発色となる
F8 Fujifilm X-Pro1 digital, AWB: このレンズ特有のゆるい描写は深く絞り込んでも失われることがない。炎天下での撮影だが、暗部が焦げ付くことはないようだ
F5.6 Nikon D3 digital, AWB: Angemeux Type Rシリーズの描写はソフトであるという評価がWEB上には多くみられるが、これはクモリ玉が多いためであろう。このType R1の写りは上の作例のように近接でも高解像だ。Angenieuxにしてはシャドー部に締まりのある撮影結果となっている。ハイライト部が少なくコマフレアが目立たないためであろう。このレンズの軟調な描写特性はコマフレアが原因であることを間接的に裏付ける作例だ

F8 銀塩撮影(Kodak ProFoto XL100) こちらは銀閣寺。晴天下での撮影結果。コントラスト性能の高い「高性能レンズ」ならばシャドー部が目玉焼きのようにカリカリと焦げ付くところだが、本レンズは深く絞り込んでもこのとおりに大丈夫

山崎光学の山崎和夫さんから「Angenieuxが多くの人に支持されるのは何故なんでしょうかね?」と質問されたことがある。ベンチマーク的な性能だけで語るならば、Angenieuxに誇れるところは無いと山崎さんはそう付け加えている。山崎さんは自分なりの答えを持っており、私に疑問をぶつけながら、同時に自らの解釈も示していた。「人が見て良いと感じる描写の特徴は数値や言葉だけでは表しきれないんじゃないでしょうか」とおっしゃるのだ。山崎さんが私に伝えたかったことは、レンズの描写に人間の感性と直結する何かがあるということなのである。私には少なくともその事だけは理解できたが、その先の核心部に自力で辿りつくことは今回も出来なかった。このレンズに対する理解が私にはまだ足りないのである。まぁ、楽しみは将来にとっておくことにしたい。

2012/04/24

GENERAL SCIENTIFIC CORP. MILTAR(ミルター) 75mm F2, M42(Eyemoマウントからの改造) modified from Eyemo mount

MILTAR MADE BY GENERAL SCIENTIFIC CORP. CHICAGO U.S.A. FOR BELL and HOWELL CO.
ELF 3INCH (75mm) T2.2 (F/2) 35mm CAMERA LENS TYPE VNo.G1070
USE 2" FILTER Bell and Howell CO.SIZE 7
M氏「いいものがあるんだ(ゴソゴソ)。どうだ凄いだろう。ケケケ
Spiral 「こいつはMILTARじゃねえか。軍の払下品か何かか?」
M氏「ケーッ、ケッケッケ。驚いたか。出所は口外するなよ」

シカゴ生まれのミリタリーレンズ

GSC Miltar 75mm F2

MILTAR(ミルター) 75mm F2は米国BELL & HOWELL社が米軍に納入したミリター仕様の35mm版ムービーカメラ(EYEMOマウント)に搭載されていた大口径中望遠レンズだ。Miltarという名称はMilitaryが由来のようである。このレンズの生産時期について定かな情報はないが、EYEMOマウントの需要から考えると1955年頃までに製造された品であろうと思われる。レンズをBell & HOWELL社に供給したのは米国のシカゴに拠点を置いていたGSC(GENERAL SCIENTIFIC CORP.)というメーカーである。聞き慣れないメーカー名だが、戦前に生産された一部のカメラにこの企業名が出てくることがある。同一名で1987年創業の米国軍需企業が存在するが、この企業とは無関係のようだ。レンズの構成に関する資料は一切手に入らない。ガラスに光を通して反射面の数を数える限りではダブルガウスタイプで間違いなさそうだ。レンズの口径は50mmの標準レンズに換算するとF1.33相当とかなり大きく、被写界深度の非常に浅い表現力豊かな描写設計といえる。Miltarには焦点距離の異なる幾つかの姉妹モデルが存在しており、今回のF2/75mmに加えF2/25.5mm, F2/50mm, F2/100mm,  F2.8/128mm, F3.5/152mmなど全部で6種類を確認している。基本的にはどれもEYEMOマウントだが、LEICA-Rマウントの個体が存在するようである。今回手にした製品個体は元々EYEMOマウントであったものをPENTAXのヘリコイド・エクステンションチューブに組み込んでM42マウントに変換した改造品である。
絞り F2-F22, 絞り羽 15枚, フィルター径 55mm弱(特殊径), 重量(改造後の実測) 350g, コーティングは単層マゼンダ系。イメージサークルはフルサイズセンサー(35mm版銀塩フォーマット)をカバーしている

入手の経緯
ある日、オーナーであるM氏から「面白いレンズがあるぞ」と言われお借りしたのが今回取り上げるMiltarだ。M氏はレンズを私に貸す直前に何か意味深な事を語っていた。彼のメールの内容を一部引用しよう。

M氏 「このレンズを用いた時の感覚はAngenieux 1.8/90を試写した時のそれに似ている。レンズの事は特別意識せず何かに取り憑かれたように被写体へと集中できる。吐き出す画には何かあるような印象だ。」

う~ん怖い。恐らく彼の本心はレンズを私に預け、そこに宿る米兵の残留思念について調べてくれと言いたいのだ。間もなくレンズは元払いで私のもとに届いた。私はただのオールドレンズグルメであって霊媒師でもなければ霊感もない。レンズの出所については極秘ルートを経由しており、絶対に秘密にしてくれとM氏から口止めされている。鏡胴に彫り込まれたコードは米軍の部隊内で横流しを防止するためなのだとか。「ケーッ、ケッケッケ。

撮影テスト
心霊写真を撮るつもりなど一切ないので、実写テストは短期間でさっさと終わらせた。このレンズの特徴はコマフレアとグルグルボケである。ゴーストは出ない(笑)。
開放絞りでは被写体に極薄い綺麗なコマフレアが発生しフワッと柔らかい像になる。近接撮影ではこれが更に顕著化し、ハイライト部が薄い絹のベールをまとう。この性質をうまく利用すれば、花見や結婚式などで美しい写真効果が得られるだろう。解像力は開放絞りでやや落ちるが、細部に目を向けない限り近接撮影においても気になる程像は甘くない。1段絞ればコマフレアが消えコントラストとシャープネスがともに向上、ビシッとシャープな写りに変わる。この時代の大口径ガウス型レンズは開放から絞る時のシャープネスの向上が驚くほど急激である。他の種類のレンズではこうはならない。こうしたガウス型レンズの豹変性については「一度で二度おいしい」という表現がピッタリと当てはまる。コントラストが低いため発色はややあっさりとしているが、カラーバランスは悪くない。また、階調描写は柔らかく、深く絞り込んでも硬くなる事は無い。距離によっては被写体の背後にグルグルボケが発生し、ボケ味に妖しさを添えてくれる。M氏の感じていた残留思念とはこのことなのであろうが、これも1段絞れば大人しくなる(すっこんでいなさい)。以下作例。


F4 Fujifilm X-Pro1 digital, AWB: 階調描写はたいへん軟らかい。実際よりも少し白っぽくクリーミーに見えるのは薄いコマフレアが発生しているためだ

F2 EOS 5D2 digital AWB: 開放絞りで近接撮影をおこなうとハイライト部からコマフレアが盛大に出る(M氏ご提供)

F2.8 銀塩撮影 Pentax MX/Kodak Pro XL100: 1段絞っただけだがピント部はここまでシャープに写る。いぃ(吐息ブハー)

F2  EOS 5D2 digital, AWB: 古いダブルガウス型レンズならではの妖しいボケ。背後で何かがザワザワと走り回っているぞ(M氏ご提供)

F4 銀塩撮影 Pentax MX/Kodak Pro XL100: しっかりと写る良いレンズではないか。どこに残留思念なんかあるのだ・・・

世の中には星の数ほどレンズのブランドが存在する。Miltarのような表に出ないブランドまで含めオールドレンズグルメ達の興味は尽きることがない。しかし、これらを一つ一つ集めていったのでは、財布の中身が先に尽きてしまう。リッチなセレブならばともかく、レンズをコレクションするという営みはレンズグルメ達にとって、本来はあるまじき姿なのだ。所有欲から解放され、かわりに経済的な自由を得る。オールドレンズグルメ達がハッピーになるためには、レンズを長期間所有しない姿勢(買ってもすぐに売る事)に徹することが重要なようである。あ~、セレブになりたい。
お知らせ
焦点距離についてのアンケート調査を右側のサイドメニューに1件追加しました。
楽しんでください。

2012/04/02

Nikon New Micro Nikkor 55mm F3.5(Nikon F mount)


四隅までカリッと写る驚異の5枚玉:PART5(最終回)
小穴教授のDNAを受け継いだ
日本製Xenotar型レンズ

1954年春、Schneider(シュナイダー)社の新型レンズXenotar(クセノタール)は東京大学の小穴教授によって日本の光学機器メーカーのエンジニア達に紹介され、アサヒカメラ1954年7月号にはレンズを絶賛する同氏の記事が掲載された。これ以降、Xenotarは光学機器メーカーによって徹底研究され、メーカー各社から同型製品が数多くリリースされている。アサヒカメラの記事の中で小穴教授はXenotarの設計で口径比をF3.5にとどめるならば、新種ガラスを使うまでもなく、Xenotar F2.8を凌駕する更に優秀なレンズができることを世のレンズ設計者達に唱えている。小穴教授は日本光学工業株式会社(現Nikon)設計部エンジニアの東秀雄氏と脇本善司氏にF3.5の口径比を持つXenotar型レンズの開発を依頼していた。東氏は小穴教授と東大時代の同窓であり、脇本氏は小穴教授の研究室を出ているという親しい間柄である。
1954年3月初旬、依頼を受け開発に取り掛かっていた東・脇本両氏はF3.5で設計したXenotar型レンズの優れた描写力、特に開放からのずば抜けた性能にひどく熱中していた。その数か月後にはアサヒカメラに記事が掲載されるが、その頃にはレンズの試作品が完成、1956年10月には製品化に至っている。Nikonのマクロ撮影用レンズの原点Micro-Nikkor 5cm F3.5である。このレンズは同社のレンジファインダー機Nikon S用に開発されたものであるが、発売から5年後の1961年に脇本氏によって一眼レフカメラに適合させるための修正設計が施され、焦点距離を5mm伸ばしたMicro-Nikkor 55mm F3.5(Nikon Fマウント)として再リリースされている。
左はXenotarで右はMicro-Nikkor 3.5/55の光学系。個々のレンズエレメントの厚みに差はあるが基本設計は大変良く似ている
Xenotar/Biometar型レンズのシリーズ第5回(最終回)は小穴教授のDNAを受け継ぎ、Nikonの脇本善司氏が再設計した日本版XenotarのMicro-Nikkor 55mm F3.5である。1961年に登場した初期の製品は等倍の最大撮影倍率を実現した手動絞り機構のレンズであるが、その2年後には最大撮影倍率を1/2倍に抑えた自動絞りのMicro-Nikkor Auto 55mm F3.5も発売されている。このレンズは1961年の登場後、19年に渡る生産期間で12回ものマイナーチェンジが繰り返され、13種が存在、後半に造られたAiタイプだけでも5種類の存在が確認されている。細かい仕様変更を除けば以下の6モデルに大別される。

1961 Micro-Nikkor 等倍撮影可能 手動絞り
1963 Micro Nikkor Auto 最大撮影倍率が0.5に変更、自動絞り導入
1970 Micro Nikkor Auto-P 金属ヘリコイドリング(後にゴム巻きへ)
1973 Micro Nikkor Auto-PC マルチコーティングの導入
1975 New Micro Nikkor ヘリコイドはゴム巻きのデザインへ
1977 Ai Micro Nikkor Aiに対応

ただし、光学系は脇本氏による再設計以降、一貫して同じものが使われ続けた。1980年にガウスタイプのAiS Micro-Nikkor 55mm F2.8が発売され生産中止となっている。
今回入手したモデルはMicro-Nikkorシリーズの5代目として1975年に登場したNew Micro Nikkor 55mm F3.5である。ガラス面にはマルチコーティングが施され、コントラスト性能をさらに向上させた製品である。描写設計はマクロ撮影に特化されており、近接撮影時に最高の画質が得られるようチューニングされている。Xenotar型レンズには収差変動が比較的小さいという優れた光学特性があるため、このような位置づけの商品が誕生するのはごく自然なことなのであろう。後に富岡光学も同型のマクロ撮影用レンズを開発している。
NEW MICRO-NIKKOR 55mm F3.5: フィルター径 52mm, 最短撮影距離24.1cm, 最大撮影倍率0.5倍, 絞り値 F3.5-F32, 構成 4群5枚クセノタール型, 重量(実測)242g, 基準倍率 0.1倍(被写体からフィルムまでの距離が66.55cm),Nikon Fマウント, ガラス面にはマルチコーティングが施されている

★入手の経緯
このレンズは今でも流通量が多く、中古店やヤフオクでは在庫が絶えることはない。今回の品は2011年12月にヤフオクを通じて前橋のハローカメラから落札購入した。商品には12000円の即決価格が設定されており、私を含めて8人が入札、4904円+送料別途で私が競り落とした。商品の状態は「ピントは正常、レンズ内には少なめのゴミあり。外観は少なめの使用感あり。」とのことでUVフィルターとキャップが付属していた。このショップは清掃を施していない全ての中古レンズに対して、「ゴミあり」と記すのが慣例のようである。ホコリの無い中古品なんて皆無なので、程度の幅を考慮した上での記述のようだ。届いた品は極僅かにホコリの混入があるのみの上等品であった。同品の中古相場は非Ai版で5000-7000円、Ai版とAi改造版では8000-10000円程度とロシアのVega-12Bよりも安い。世界で最も安いXenotar型レンズなのではないだろうか。

 

★撮影テスト
高解像で硬諧調な描写設計はXenotarを模範とする本レンズにも受け継がれており、ピント部はF3.5の開放絞りから高いシャープネスを実現している。手元の資料によると解像力は0.1倍の基準倍率(撮影距離66.5cm)における近接撮影時でさえ100線/mm以上と非常に好成績だ。F3.5の口径比は一般撮影の用途にはやや物足りないが、マクロ域での撮影には充分な表現力を提供してくれる。ガラス面にはマルチコーティングが施されており、高コントラストで発色は鮮やか。写りは現代的である。ただし、弊害もあり、晴天時に屋外で使用する際には階調変化が硬くなりすぎてしまい、シャドー部に向かって階調がストンと落ちる傾向があるので、黒潰れを回避するためには絞りすぎに注意し、コントラストの暴走にブレーキをかけなければならない。このレンズを使いこなすにはカメラマンの腕が問われるところだ。
レンズの設計はマクロ撮影に特化されており、球面収差は無限遠方の撮影時に過剰補正となっている。レンズの事に詳しいマイヨジョンヌさんを介してNikonの技術者の方にうかがった情報によると、このレンズは撮影倍率が1/30となる辺りを境にして、遠方側の撮影時では過剰補正により後ボケが硬くなり、逆にそれよりも近接の撮影では補正アンダー(補正不足)により、なだらかで柔らかいボケが得られるとのことだ。また近接撮影では像面湾曲もアンダーとなり、グルグルボケなどに無縁な穏やかな後ボケになるとのことで、近接でのブツ撮りに適したレンズといえそうだ。
F3.5 銀塩撮影(Fujicolor Superior200): 開放からスッキリとしてシャープ。コントラストは高い
F5.6 銀塩写真(Kodak SG100): こちらも近接撮影。四隅まで均一性は高い
F3.5 銀塩撮影(Fujicolor Superior200): 近接での作例。収差変動により後ボケは大変柔らかくなる。思い切って開放で撮ってみたが、ピント部は依然として四隅までシャープ。優れたレンズだ
F5.6 銀塩撮影(Kodak SG100): マルチコーティングのおかげで発色はかなり鮮やか。現代的な描写だ

F5.6  銀塩撮影(Fujicolor Superior200): ・・・これは笑える

F3.5 銀塩写真(Fujicolor Superior200) 階調はこのとうりに、かなり硬めだ
上段F3.5(開放)/下段F8: 銀塩撮影(Fujicolor Superior200): 手元の資料によると、このレンズはフィルム面から被写体までの距離が66.5cmのところ(基準倍率点)で最高の画質が得られるよう設計されている。この作例はちょうどその辺りの距離で被写体を映したものだ。ピント部は開放から高解像で、ボケも硬くなりすぎずに穏やかだ。ただし、被写体までの距離がこれ以上離れると、いわゆる球面収差の過剰補正域となり、ボケが硬くなってしまう。このあたりが良くも悪くもマクロレンズの宿命なのであろう

F5.6 銀塩撮影(Fujicolor Superior 200): 背後からパシャリとしてみたが、実はこちらを見ている・・・怖いよ~
F11 銀塩撮影(Kodak SG100): 黒つぶれ!このレンズを晴天時に屋外で使用する際は絞り過ぎに注意した方がよい。この作例のように階調がシャドー部に向かってストンと落ち、容易に黒つぶれを起こすからだ。とは申してみても、近接撮影時にはどうしても絞りたい。どう注意すればよいのだろう・・・。そうか、こういう時にこそ、シングルコーティングのオールドレンズを使いコントラストを圧縮すればよいのだ。マルチコーティングが一概によいとは言えない反例を提供している
シャープネスやコントラストなど典型的な描写力だけで比べるならば、Micro-Nikkorは銘玉Xenotarに勝るとも劣らない素晴らしいレンズである。しかし、中古市場における両者の相場には10倍以上の開きがある。この相場の差はレンズの実力ではなくブランド力の差なのだ。いつの時代も、その分野を開拓したパイオニア製品には最高の支持がつく。そのことは銘玉Sonnarと、そのロシア製コピーレンズであるJupiterの関係を見ても明らかである。Micro-Nikkor F3.5はニコンの高い技術力によって生み出された優秀なレンズであるが、やはりXenotarの模倣品である事に変わりはない。仮に実力でXenotarを凌駕していたとしても、高いブランド力を得ることはないだろう。

謝辞
Biometar/Xenotar型レンズのみをひたすら取り上げる5枚玉特集は今回のPART5で最終回となります。ようやくこの企画に一区切りをつけることができました。多くの方からアドバイスをいただき、回を重ねるたびに、この種のレンズに共通する描写の特徴が少しずつわかってきました。個人のBlogなので時々は誤った事も平気で書くことがありますが、私はレンズの専門家ではなく単なるオールドレンズユーザーなので、これからも思いきりの良さだけは大事にしていきたいと思っています。どうか暖かく見守ってください。また、発展途上の私に、どうか正しいレンズの知識をご教示ください。本特集でやりのこした事がひとつだけあります。ローライフレックスの時代から続くPlanar 80mm F2.8とXenotar 80mm F2.8の両横綱の一騎打ちです。Planarは既に入手しています。しかし、このレンズは厳密にはXenotarタイプではありませんので、これは別の機会とすることにしましょう。有意義な機会を与えてくださった諸氏に心から感謝いたします。

2012/04/01

Neo-Topogon regenerated from rear parts of 2 Xenotar




5枚玉特集・番外篇:XenotarをTopogonに戻す
マッドサイエンティストとでも何とでも言え!

Xenotarは前群にガウス、後群にトポゴンの構成を持つ混血レンズである。前・後群は絞り羽を挟んで鏡胴の前方と後方の両側から同一のスクリューネジで据え付けられている。これらが同一規格のネジで据えつけられている事を見落としてはならない。2本のXenotarから取り出した2つの後群を1本の鏡胴の前後双方向から付けると、何とTopogonが再生されるのである。はたして撮影に使用できるのであろうか。「こんなのは自然の摂理に反する」。「おのれ、SPIRALめ。気でも狂ったか!」などXenotarファンからヤジが飛んできそうだ。ひとまずヤジはかわし、この先祖帰りを果たした新種のTopogonを"Neo-Topogon"と称する事にする。マッドサイエンティストとでも何とでも言え!フハハハハ・・・。

手順1:Xenotar-1 の前群を外す

手順2:Xenotar-2 の後群を外す(左)。これをXenotar-1の前群として装着する(右)。
こうしてNeo-Topogonが完成
Neo-Topogonは本家Topogon同様にバックフォーカスが短いので、ヘリコイドユニットを介して一眼レフカメラに装着した場合にはマクロ域での使用のみに制限されてしまう。実際に丈の短いOASYS 7840ヘリコイドユニットを用いてPentax MXにマウントしてみたが、フォーカスを拾うことのできる最長撮影距離は約50cm程度と短いことがわかった。もう少し遠くのピントが拾いたいならば、M42-L39ステップアップリングを用いてライカスクリューマウントに変換し、ミラーレス機に装着するのがよいであろう。以下に一眼レフカメラによる近接撮影の結果を示す。

F8  銀塩撮影(Kodak SG400): アレレ。普通に写った!

F8 銀塩撮影(Kodak SG400): 絞れば中央はかなりシャープなようだ
 
F5.6  銀塩撮影(Kodak SG400):この絞り値では周辺がかなりソフトだ

銀塩撮影(Kodak SG400): 開放ではフレアがビシバシ発生し、かすんでしまう。このレンズはF8以上に絞って使うのが前提のようだ





絞れば、しっかりと写るではないか。アハハ。

2012/03/15

Carl Zeiss Jena Cardinar 85mm F2.8 M42改(converted from Pentina mount)

悩ましいPentinaマウント
デジタル時代の未踏峰
Zeiss Jenaでも造られていたゾナー85mmの末裔
Carl Zeiss Jena Cardinar 85mm F2.8
Zeiss Ikon社のルードビッヒ・ベルテレが戦前に発明したSonnar(ゾナー)は、コーティング技術が実用化されていなかった時代に空気境界面を徹底的に減らすことで、内面反射光の蓄積を抑え、高コントラストな画像を得ることを可能にした画期的なレンズであった。レンズの光学系は貼り合わせ面を多く持つのが特徴で、トリプレットを設計の原点に据え、僅か3群の光学構成を貫きながら大口径を実現している。数あるSonnarシリーズの中でも旧西ドイツのCarl Zeissが戦後に開発した85mm F2のタイプはベルテレのオリジナル設計であるContax用Sonnarの流れを汲み、戦後の一眼レフカメラの時代にも生き残った特別な存在で、同シリーズの中で最大の口径サイズを誇るKing of Sonnar(キング・オブ・ゾナー)といった位置づけである。このレンズは1958年に登場した旧西独Zeiss Ikon社の超高級一眼レフカメラであるContarex(コンタレックス)に搭載されている。高いコントラスト性能と鮮やかな発色、バランスの良い設計構成から生み出される美しいボケなど、Sonnar 85mmは非常に優れた描写力を持つことで知られる。このContarex用Sonnarに兄弟レンズがあることを知る人は、Zeissのマニアにも数少ないのではないだろうか。旧東ドイツに拠点を構えていたもう一つのZeiss(人民公社Carl Zeiss Jena)が1960年に世に送り出したCardinar 85mm F2.8である。まずはレンズの構成図を見ていただきたい。
Cardinar 85mm F2.8の光学系: 「東ドイツカメラの全貌」(朝日ソノラマ)に掲載されていた構成図をトレーススケッチした。構成は3群6枚となる。空気と硝子の境界面が少なく、内面反射光が蓄積しにくい優れた設計を持つ。コントラスト性能で押しまくる、ガツンとインパクトのあるシャープネスが期待できそうだ。凹レンズと凸レンズの構成比は2:4で凸が過多となり、一見バランスが大きく崩れているようにも見えるが、3枚接合の中央部のエレメントには低屈折率の硝子が用いられバランスを改善させる働きがあるので実質的なバランスはこれよりも良いはずで、凸レンズに高屈折率のランタン系新種ガラスを用いれば非点収差はそれほど深刻にはならないと思われる(レンズに貼り合わせ面がある場合のペッツバール和は、どうやってもとめるのだろう?)。85mmの長焦点レンズであることを考慮すれば周辺画質はむしろ良好で、グルグルボケも僅かで済むと思われる
かの有名な3群Sonnarの末裔であることは誰の目にも明らかであろう。光学系の設計図を眺めニヤニヤと過ごす私にはヨダレが出るほど魅力的な構成である。Cardinarシリーズを設計したのはErich Finckeという設計者で特許も出ている(参考文献[1-2])。King of Sonnar同様、新種硝子を導入し、戦前のSonnar 85mm F2を改良、弱点を大幅に克服しているはずだ。こんなレンズが共産圏でちゃっかりと世に送り出されていたのかと思うと、ムラムラと情熱が込み上がってきた。天下のCarl Zeissの名を冠し、非常に魅力的な設計構成を持つ大口径レンズでありながら、今日まで完全にノーマーク。まるで足下をすくわれたかのような悔しい気分にさせられた。このレンズはVEB PENTACON社のPentinaというマイナーなレンズシャッター式一眼レフカメラに搭載する交換レンズとして、1960年から1965年の間に3000本が計画生産された。フランジバックが長いため、どうにかしてやれば物理的には一眼レフカメラにフィットさせることができる。しかし、かなり特殊なマウント規格であり、マウント部の隅には光の漏れ込む穴も空いている。また、絞り羽の開閉もカメラの側から連動ピンで制御するという特殊な機構のため、レンズ側の絞り冠が省かれている。こうした事情により、アダプターによるマウント変換が絶望視されていたのである。現在までの所、デジタルカメラによる作例はWeb上をくまなく探しても見つからない。しかも、一つも見つからないのである。デジタル一眼カメラの時代が到来し10年以上の歳月が経過した。CardinarはZeiss系列のレンズの中で、現在まで全く手つかずのまま取り残されていた、デジタル時代最後の処女峰となるであろう。そこに山があるから登るのさ・・・
どうしても私のデジカメにマウントしてみたい!!!(←誰か!この人、変態です)

気づいたらeBayでポチッと購入していた。どうしましょう。


やけくそ
Zeissの信者でもない私が、どうしてこんな人柱みたいな行為に走らなきゃならんのか自分でも理解に苦しむが、手に入れてしまったのだから改造するしかない。レンズのマウント部を観察していると、改めてアダプターの流用が不可能であることを思い知らされた。こうなったら、マウント部を全て取っ払い、何とかするしかない。以下、手探りによる改造手順だ。
1 ネジ(赤の矢印3か所)を外しマウント部を取っ払う
2  絞りを制御するためのバネを除去する。バネを抑えているネジをドライバーで外せばよい


Cardinarは絞りの開閉制御をカメラの側から行う連動機構を持ち、絞り冠が省かれている。マウント部の近くにはカメラの側から絞り値の情報を伝えるフックがついている。これを取っ払いフックの代わりとなる新たな制御機構を用意する必要がある。さんざん試行錯誤した結果、DKL-M42マウントアダプターを流用するという挑戦的なアイデア(?)を思いついた。 このアダプターは絞り冠を内蔵しており、これに連動させるというアイデアだ。そんなことできるのだろうか・・・。やってみなけりゃわからない。

 市販のステップアップリングを被せ新たなマウントを造る(この部材はヤフオクの八仙堂でしか手に入らない。感謝感謝)
4 絞りを制御するためのコの字型の部材を自作する。部材の丈の寸法は手探りである。この部材は比較的どこにでもある、あるものからの流用である。ネジ穴を3つあけ、タップでネジ切りし、3つのネジ穴にM1.7ネジを装着する(ネジの長さも手探り)。3本のネジには部材の固定を強化する役割と、絞りリングの動きを制限させるという2つの役割を担わせている

DKL-M42マウントアダプタの絞り制御ネジに部材を装着し、緩まないようエポキシ接着剤で仮止めする

6 ステップアップリングで造ったマウントの上からアダプターを固定する。アダプターの装着はネジによる固定が理想だが、私にはこの種の内部構造を持つアダプターにネジ穴を空けるだけの技術がないので、エポキシ合体で済ませた。接着剤の硬化前に芯だしも済ませておく。

7  エポキシが硬化したら絞りの動作確認。うん、いいようだ。うまくいった

8  前玉側の二重リングでヘリコイドずらしを行い無限遠のフォーカスを微調整して完成

以上、手さぐりによる改造だが、思っていた以上にレンズの構造がシンプルだったため、素人の私でも何とかなった。

★参考文献
[1] New Zeiss Photo Lenses from Jena" in "Photography" [Heft 3/1960, S.] 83f.
[2] GDR No.23651 of 17 November 1958

入手の経緯
このレンズは2011年12月にドイツ版ebayを介し、ドレスデンにある写真関係の古物商から送料込みの98ユーロで即決価格にて落札購入した。クリスマスセールとのことで本来110ユーロだったところが値下げされていたのだ。商品の状態は鏡胴が5段階評価の1~2と非常に良く、光学系が1(傷のない極めて良い状態)とのことであった。送料はドイツポストによりたったの9.5ユーロ(950円位)である。届いた品は前玉表面にクリーニングマークが少しと、後玉にもクリーニングマーク1本、中玉最端部にはメンテ時についた汚れのようなものが僅かに見える。描写には影響ないレベルではあるが記述との相違は明らかなので少々ガッカリ。今回は試作用の個体(零号機)なので、まぁ良しとした。
M42改造Cardinar:  フィルター径49mm, 絞り F2.8-F22, 絞り羽 6枚構成,最短撮影距離 1m, 重量(改造後) 268g, 焦点距離85mm, 光学系の構成 3群6枚(Sonnar type)。CardinarブランドはPentina用の85mm F2.8とWerra用の100mm F4の2種のみが存在している

撮影テスト
ここでの作例が恐らくデジタル撮影による本レンズの最初のサンプルとなるであろう。未知の領域への第一歩だ。その前に、戦前から続くSonnar(3群構成)の特徴をまとめておこう。
  1. 空気とガラスの境界が少なく、内面反射光が蓄積しにくい。またコマフレア(サジタルコマ)が発生しにくいことから、コントラストの低下が少なく、発色は鮮やか。
  2. 開放付近での階調描写は軟らかくなだらかに変化する。一方、絞り込むと階調が硬化し、コントラスト主導による鋭いシャープネスが得られる。
  3. 戦前に設計された初期のSonnarは長くライツ社のズミタールと比較され、さんざん欠点が暴露されてきた。概ねズミタールよりも優位な性能であったが、Sonnarには糸巻き状の歪曲収差が発生するという欠点が指摘されている。ただし、あまり気になるほどではない。
  4. イエナ硝子を用いた戦前のSonnar型レンズは補正の難しい特有の球面収差(5次の球面収差)があり、開放ではハロやフレアが顕著に表れていたが、戦後の新硝材を用いた製品には改善がみられ、解像力やヌケの良さが向上している。新硝材を用いながらも、F2.8と控えめな口径比で設計されているCardinarならば全く問題はない。
  5. イエナ硝子を用いた戦前のSonnar 50mm F2には大きな非点収差があり、広角部の画質(解像力と像面の平坦性)が良くないという弱点があったが、戦後の新硝材を用いたSonnarでは大幅に改善している。85mmの控えめな画角設計で造られたCardinarならば、収差の補正効果は非常に高く、四隅まで優れた画質が実現している。
新硝材の導入と設計の改良によって解像力とヌケの良さを改善したものが戦後型Sonnarであり、高いコントラスト性能と鮮やかな発色、開放でのなだらかな階調描写と絞った時の鋭いシャープネス、破綻の少ない安定したボケなど優れた特徴に磨きをかけている。Cardinar 85mm F2.8は戦前から続くSonnar 50mm F2と同一構成の光学系であり、新硝材が使われていることを考慮すると、画角的にも口径比的にも全く無理の無い、非常に余裕のある設計であると判断できる。開放から高描写が期待できそうだ。レンズは口径比だけでみるとF2.8とややおとなしい印象を受けるが、焦点距離が85mmある事を見逃してはならない。50mmの標準レンズ換算にするとF1.65相当とかなりの大口径レンズであり、その分だけボケが大きく表現力は高い。それでは、もう一つの3群Sonnarの末裔、Cardinarの描写をテストしていこう。以下に無補正の作例を示す。

まずはフィルム撮影での作例
Camera: Pentax MX
Film: Fujicolor Superior200 カラーネガ
F2.8 銀塩撮影(Fujicolor Superior200): ありゃりゃ。綺麗に撮れる!とてもシャープなうえにハイライト部のトーン変化が丁寧で美しい。どうやら素晴らしく良く写るレンズのようだ
続いてデジタル撮影
Camera:Nikon D3 digital
Adapter: M42-Nikonアダプター(補正レンズ無し)
F2.8 Nikon D3 digital, AWB:  階調表現が丁寧で、ボケが美しい。やはり非点隔差の補正効果は高いようで、グルグルボケはそれほど深刻化しない。近接撮影でも解像力は十分に高いようだ
F2.8 Nikon D3 digital, AWB: こちらも階調描写がたいへん軟らく、特にシャドー部のトーン変化が素晴らしい
F2.8 Nikon D3 digital, AWB: 開放絞りでも甘い感じにはならず、ピント部の画質はなかなか良さそうだ 
F4.0 Nikon D3 digital, AWB: 絞り冠に精確な絞り指標を記さなかったので、絞り値はおおよその値。他のレンズの羽根の出具合を参考に、だいたいの絞り具合を探り当てている。ボケがとても綺麗だ
F4.0 Nikon D3 digital,AWB, 細かなところまで目を向ける場合には一段絞った当たりからが実用画質という印象だ
F4  Nikon D3 digital, AWB: 透明感のある美しい描写だ
F4 Nikon D3 digital,AWB: 色ののり具合は大変良い
F2.8 Nikon D3 digital, AWB:いかにもオールドツァイスらしく、開放では発色が一層温調になる
F5.6 Nikon D3 digital, AWB: だが、少し絞るとノーマルな発色になるところもツァイスらしく、Flektogonなどと同じ発色傾向だ
F5.6 Nikon D3 digital, AWB: バリ島のウルワツ寺院で突然、サルに背後からメガネを奪われた。すると、すぐに現地の人が現れサルから取り返してくれた。私からはチップを受け取り、サルには褒美の食べ物を与える。こうしてサルを介した一つの経済が成り立っていたのだ。サルも観光客から奪ったものには興味が無く、褒美の食べ物欲しさに物を奪うとのことだ
このレンズの特徴は濃淡のトーンがなだらかに変化し美しい階調描写が得られところだ。ピント部はシャープで発色も鮮やかで申し分ない。面白いレンズを発掘でき今回は大満足である。マウントの改造についても想像していた以上に楽しいことがわかり、これはもう病みつきになるかもしれない。