おしらせ


2011/09/29

PZO/WZFO JANPOL COLOR 80mm F5.6(M42, Enlarging Lens)


カラーフィルターで遊べる
ポーランド生まれの引き伸ばし用レンズ
 今回の一本はポーランドのWarsaw Photo-Optical Plantが1963年に設計し、同国のPZO(WZFO)社が生産したテッサー型の引き延ばし用レンズのJANPOL COLOR(ジャンポール・カラー) 80mm F5.6である。引き伸ばし用レンズとはフィルムの像を拡大して印画紙に焼き付ける行程の中で、引き伸ばし機の先端に装着して用いられるレンズである。焼き付けの際にカラーバランスの補正が必要になると、かつてはレンズの先端にカラーフィルターをあてて調整していた。ところが、暗室内でそれを行うのは大変困難な作業。そこで、本品のように鏡胴内に3色のカラーフィルターを内蔵させ左右のノブを回すだけで手軽にカラー補正を行える便利な機構が登場したのだ。なお、現在の引き伸ばし機にはダイクロイックフィルターを用いた高度な補正機構が普及している。
 初期のモデルは同国のWZFO社がJantar Color(ジャンタール・カラー)という名で生産していたが、1964年にPZO社がWZFO社を吸収合併し名称をJanpol COLORへと変更した。ただし、その後も一部個体にはWZFOの企業名が記されている。これはどういう事なのかと調べていたところ、WZFO製のJanpolにはポーランド語で記されたマニュアルが付属している事に気付いた。恐らくポーランド国内向けの製品には、2社の合併後も引き続きWZFOの企業名が使われたのだろうと思われる。本品には焦点距離の異なる姉妹品JANPOL COLOR 55mm F5.6も存在している。レンズにはヘリコイド機構がついていないので、一眼カメラで使用するにはM42マウントのヘリコイドユニットを別途用意する必要がある。


PZO(Polskie Zakłady Optyczne)社
 同社は1921年に4人 の実業家によってポーランドのワルシャワに設立された光学機器メーカーである。初期の会社名はFabryka Aparatów Optycznychであり、現在のPZOへと改称されたのは1931年からとなる。戦前の主力製品は顕微鏡、双眼鏡、ルーペ、引き伸ばしレンズ、航空撮影用カメラ(軍需向け)などであった。1939年に第二次世界大戦が勃発しポーランドがナチスドイツに併合されると、同社はカールツァイス・イエナによる経営支配をうけた。その間、PZO社の多くの工員はナチス政権への抵抗としてサボタージュ行為を繰り返し生産ラインを破壊、アウシュビッツの死の収容所へと送られた。1944年9月にポーランドはドイツによる支配から開放されるが、工場は終戦前にドイツ軍によって徹底的に破壊され、終戦後しばらくの間は再建の目処が立たなかった。1951年にポーランドの重工業省が発表した工場の再建計画と西側諸国への新製品の輸出拡充計画により同社の生産力は回復し、顕微鏡、双眼鏡、ルーペ、偏光ガラス、インターフェイス、測量用光学機器、レーザー計測装置、光電子機器など手広く生産するようになった。同社は共産主義政権下における産業界の再編によってカメラメーカーのWZFO社と1964年頃に合併、その後は二眼レフカメラやトイカメラの生産にも乗り出している。1989年、PZO社の軍事機器部門に対する国家予算の削減は経営の弱体化を招き、同社は二眼レフカメラSTART 66Sの生産を最後に写真産業から完全撤退している。1997年にドイツのB&Mオプティック社へ2大工場の一つ(Zaczernie工場)を売却して経営の合理化を推し進め、現在は顕微鏡、ルーペ、フィルター、望遠鏡のみに生産を集約させている。

WZFO(Warszawskie Zaklady Foto-optyczne)社
同社は戦後の1951年にポーランドのワルシャワに設立されたカメラメーカーである。戦後初のポーランド製カメラ(二眼レフカメラ)のSTARTシリーズ(1953~1970年代初期)や、中判カメラのDRUH(1956年~)、ポーランド初の35mm版カメラのFENIX(1958年~)、トイカメラ(6cm×6cmフォーマット)のAmi(ALFA)シリーズ(1962年~)などの生産を手掛けた。1964年にPZOと合併するが、その後もPZO傘下でSTARTの後継製品START66シリーズ(1967~1985年)やAmiシリーズの後継製品を世に送り出している。

重量(実測値) 305g, 焦点距離 80mm, 開放絞り値 F5.6-F16, 私が入手したポーランド語の特許書類によると、光学系の構成は鋭い階調表現を特徴とするテッサー型(3群4枚)とのこと。フィルター枠にはネジ切りが無く、装着できるフードは被せ式のタイプのみとなる
BORGのOASYS 7842ヘリコイド(左)を装着すると右のような姿になる。BORGのヘリコイドにはフランジバック微調整用の板が付いており、これを使って無限遠のフォーカスをピッタリと拾う事ができるように調整可能だ
入手の経緯
本品は2011年6月にeBayを介してロシアの大手中古カメラ業者から即決価格35㌦+送料で落札購入した。商品の状態はエクセレントコンディションで、純正のプラスティックケースが付属するとのこと。同じ業者が同時に3本のJANPOLを同一価格で出品していたので、その中で最も状態の良さそうな個体を選んだ。届いた個体にはホコリの混入がみられたが、カビやクモリ等の大きな問題はなく、解説どうりのエクセレントコンディションであった。eBayでの海外相場は30ドル~50ドル程度と大変安く、BORGのヘリコイドユニットの方が高価だ。

JANPOLは鏡銅内に黄、青、赤の3色のカラーフィルターを内臓している。左右に着いている銀色のノブを回すことにより各フィルターをスライドインさせ、色の調整や調合を無段階で行えるというユニークな機能を持つ。上の写真は青、黄、赤のフィルターを50%スライドインさせた状態と、赤75%+黄75%で混色を行った状態(右下)を示している
撮影テスト
本品に限らず引き延ばし用レンズは業務用のプロ仕様ということもあり、一般的には控えめな口径比で無理のない設計を採用している。色収差が小さく解像力が高いなど良く写るものが多い。光学系を設計する際の収差の補正基準点は無限遠でなく近接点なので近距離撮影では高い描写力を示す。アウトフォーカス部の像はザワザワと煩く綺麗なボケ味とは言えないが、2線ボケやグルグルボケなど大きな破綻はみられない。発色については流石にカラーフィルム時代のレンズらしく、癖の無い自然な仕上がりとなる。ただし、逆光にはめっぽう弱く、屋外での使用時はコントラストの低下が顕著なのでフードの装着は必修となる。このレンズにはフィルター用のネジ切りが無いので被せ式フードで合うものを探すしかない。私は黒のボール紙を巻いて、ゴムでパッチンと留める即席フードを用いることにした。内蔵カラーフィルターを上手く利用すれば、雰囲気のある面白い作例を生み出せるであろう。



F5.6, Nikon D3 digital(AWB,/Picture Mode= Standard); イエローフィルターの使用例。上段はColor Balance Neutral(ニュートラル)で下段はYellow filterをスライドインさせた場合の撮影結果だ。イエローフィルターを用いると、ノスタルジックな雰囲気になる
F5.6, Nikon D3 digital(AWB,/Picture Mode= Standard); こんどはブルーフィルターを用いた作例。上段はColor Balance Neutral(ニュートラル)で、下段はBlue filterをスライドインさせた場合の撮影結果だ。青の光はフレアを生みやすい性質があるので、光源の光はポワーンと綺麗に滲んでいる。ブルーフィルターでは不気味な夜の光景を演出できた
F5.6 Nikon D3(AWB,ISO800) フィルターを使わない場合は、普通に良く写るシャープなテッサー型レンズである
F5.6 Nikon D3(AWB, ISO1600) このレンズは安いのに良く写る。ずっと開放絞り値で撮り続けていたが、近接撮影でも像はシャープだ上の作例は料亭厨房の天井付近に糸で吊るされ干されていたヒラメの骨煎餅。暗闇から何かが触手を出しているようにも見え、何ともグロテスクな光景だ
F5.6 Nikon D3(AWB) ISO4000(フォトショップで自動コントラスト補正をかけている)  こういった作例の場合、暗電流ノイズは全く気にならず、むしろ好都合だ
撮影機材
Nikon D3 digital +ゴムパッチンの手製ボール紙フード
じつはレッドフィルターを用いてピンク映画風の作例を狙っていたのだが、被写体にするつもりでいた妻に逃げられてしまった。そこで仕方なく私がモデルになってみたものの、何度試してみても見苦しい作例しか撮れない。被写体選びは重要である事を痛感し、レッドの作例は気持ち悪いので割愛した。JANPOLのみならず、この種の引き延ばしレンズはどれも値段が安いわりによく写るので、そのうちまた流行るかもしれない。

2011/09/14

Rodenstock Eurygon 30mm F2.8(M42) Rev.2 改訂版


クールトーンな西独のレンズ達 3:
無骨なデザインを纏った
青の伝道
私が初めて手に入れたオールドレンズは焦点距離35mmのFlektogonとAngenieuxで、どちらも温調な発色特性を持ち味とするレンズであった。ところが次に手に入れた本レンズの描写は、これらとはまるで異なっていた。はじめて試写した時の印象を今でもはっきりと覚えている。レンズをデジカメにマウントし恵比寿や代官山の町をぶらつきながら家族の姿を撮っていたところ、写るもの全てがクールトーンであっさりと上品に見え、「このレンズには何かあるな」という強い感触を得た。人の肌はやや白っぽく、地面やビルのコンクリートがやや青っぽく変色するのだ。それはツァイスのコッテリとした温調で華やかな色彩とは明らかに異なり、なおかつコントラストが低い事に由来する淡白な発色傾向とも異なっていた。その後、SchneiderやSchachtなど他の西独製レンズにおいても同様の性質があることに気付き、この種のレンズに対する興味はますます高まっていった。ある時、地元横浜市でオールドレンズの改造を手掛けるNOCTO工房でSchneiderのレンズが持つ青の魅力(シュナイダーブルー)の事を聞かされ、西独レンズ達のクールな発色特性に対する認識は揺るぎないものとなった。

今回再び紹介するEurygon(オイリゴン)30mm/F2.8はドイツ・ミュンヘンに拠点を置くG.Rodenstock(ローデンストック)社が35mm一眼レフカメラ用として少量だけ生産した焦点距離30mmの広角レンズだ。レンズ名は「広い」を意味するギリシャ語のEurysと、「角」を意味するGonを組み合わせたのが由来で、そのまま「広角」という意味になる。Rodenstockといえば1877年に行商人のヨーゼフ・ローデンストックが起業し、眼鏡造りで名を馳せた光学機器メーカーである。カメラ用レンズも1890年代に生産を始め、2000年までプロ向けの大判用レンズを造り続けていた。現在は企業活動を眼鏡の生産のみに一本化することで写真用レンズの生産から撤退している。Rodenstock社の製造台帳によるとM42マウントやEXAKTAマウントのEurygonが生産されたのは1956年から1960年にかけてであり、2本のマスターレンズに加えExaktaマウント用が1300本、M42マウント用が1400本製造されたと記録されている。光学系は6群7枚のレトロフォーカス型で、対応マウントは少なくともM42、EXAKTA、DKL(デッケル)の3種が存在していた。鏡胴の造りが良く、ラッパ型の独特な形状と無骨なゼブラ柄のデザインには強いインパクトを受ける。
Eurygonのレンズ構成は6群7枚のレトロフォーカス型である。上記の構成図は1959年の米国向けパンフレットに掲載されていた図をトレースしたものだ。1939年に生みだされた重金属を含む新種ガラスは青の短波長光に対する透過が悪いという欠点を持っており、青と黄のカラーバランスに深刻な影響を及ぼした。この欠点を補うためにアンバー系のコーティングが導入されカラーバランスの適正化が図られた(カメラマンのための写真レンズの科学:吉田 正太郎著)。硝材とコーティングの連携によるカラーバランスの適正化は、どのような撮影条件においても破たんなく安定でいられるのだろうか。おそらく、このあたりにクールトン軍団のレンズ達が持つ個性豊かな色彩の秘密が隠されているのだろう。
最短撮影距離 0.4m, 重量 305g, フィルター径 58mm, 焦点距離 30mm, 開放F値 F2.8, 絞り機構は手動。焦点距離の異なるゼブラ柄の姉妹品には50mm/F1.9の標準レンズHeligon(4群6枚)、100mm/F4(4群5枚)、135mm/F4(4群5枚)、180mm/F4.5(5枚構成)の3種の望遠レンズRotelar(ロテラー)、135mm/F3.5のYonar(イロナー)などがある。1959年当時の米国版カタログとドイツ版カタログには各レンズの価格が掲載されており、Eurygonが179.5ドル(425マルク)、Heligonが169.5ドル(405マルク)、Rotelar3種 144.5/144.5/139.5ドル(340/375/355マルク)、Yonar 285マルクと記されている。レンズの構成枚数から考えればEurygonの製造コストが一番高く、そのぶん値段も高かったのであろう
入手の経緯
私が以前に所持していたEurygonは一度売却してしまったので、今回のEurygonは買い戻した品となる。本品は2009年にeBayを介して米国大手中古カメラ業者のケビンカメラから入手した。商品ははじめ756ドルの即決価格で売り出されていたが、値切り交渉を持ちかけたところ680ドルで私のものとなった。商品の解説はMINTYで状態の良いレンズとの触れ込みだったが、届いた商品はマウント部にガタがあった。仕方なく修理に出して改善したのはいいが、最近になって後玉の外周部に薄いカビの除去跡を発見(カビではなく確かなカビの除去跡)、それを見た瞬間、思わず「しまった!見なければよかった。」とぼやいてしまった。気付かなければ幸せなことだってある。ケビンカメラからは前にも一度、明らかにクモリのあるレンズをMINTYとの触れ込みで購入したことがあった。米国の超有名店とはいえ説明不足は明らかで、この時以来、同店に対する私の信頼はガタ落ちである。なお、カビの除去跡は描写に全く影響の出ないレベルであった。私はコレクターではないので、手に入れたレンズを手放す日もそう遠くないが、このレンズを再び手放すとなれば安くなってしまうんだろうな~。やっぱり売却は無理か・・・。

撮影テスト
西独クールトーン軍団の描写に共通する独特の色彩については、以前から繰り返し紹介してきた。日光照度の高い撮影条件で青とその補色関係にある黄色のバランスが不安定化し、シャドー部が青、ハイライト部が黄色に引っ張られることで素晴らしい色彩が生みだされる。また、やや照度低い状況においても、白い壁や灰色のコンクリートが青に引っ張られて変色することもあり、これらは条件次第でさわやかな青にもなれば、病的な青にもなる。また、緑が照度に応じて青緑に転んだり黄緑に転んだり、コロコロと不連続に変色するのも面白い。Eurygonもこの種のレンズの性質を備えており、簡単に言ってしまえば制御不能なのだ。しかし、辛抱強く付き合っているといいこともある。このレンズでしか撮れない不思議な色彩に出会う事ができる。
Eurygonの撮影結果にはピント面に解像力があり、近接撮影でも開放絞りからスッキリと写る。周辺画質に歪みや像の流れなど大きな破たんはなく、画質の均一さという意味では良くまとまった優秀なレンズといえる。近接撮影時に開放絞りでグルグルボケが発生するが、1段絞れば治まり、2線ボケの無い穏やかで綺麗なボケ味となる。深く絞り込んでもシャドー部がカリカリと焦げ付くことは無く、階調は暗部に向かって緩やかに変化する。焦点距離30mmのレンズともなれば深い被写界深度を利用したパンフォーカス撮影も可能だ。以下では銀塩撮影(ネガフィルム)とデジタル撮影(Sony NEX-5)による作例を示す。
F4 銀塩撮影 FujiColor Reala 100(ISO100): ブルドックの前足や体毛、瞳などが青味がかっている。不思議な色彩が出ている
F2.8 Fujicolor SP400(ISO400): 葉の緑の色が照度に応じて不連続に変化する。日向では黄色に転び、日陰では青に転んでいる

F4 銀塩撮影 FujiColor Reala100(ISO100):   地面のコンクリートや背後のいろいろなものが青味を帯びている
F4 銀塩撮影 FujiColor  Reala100(ISO100): このように近接撮影でもスッキリとシャープに撮れる。多くの作例で画面全体に青の薄いベールがかかったような不思議な色が出る
F5.6 銀塩撮影 FujiColor Reala100(ISO100): そうかと思えば、この作例のようにノーマルな発色の時もある。緑の背景が絵のように綺麗だ
F4 NEX-5 digital, AWB: 写真用レンズとは球面ガラスを使って光線を屈折させ平面像を得る変換機構だ。この変換による画質の破たん(収差)はEurygonのような広い画角を持つレンズになるほど深刻であり、像が流れたり歪んだりと周辺画質に大きな影響が表れる。しかし、このレンズの場合はよく補正されており大きな破たんはないようだ
★撮影機材
銀塩撮影 Canon EOS kiss + M42-EOS adapter(中国製) + 八仙堂広角レンズ用メタルフード
デジタル撮影 Sony NEX-5 +kipon M42-NEX adapter + 八仙堂広角レンズ用メタルフード

Schneiderのレンズにおいて見出されている独特な青の発色はシュナイダーブルー(Schneider Blue)と呼ばれることがある。オールドレンズの描写力が持つ、現代のレンズにはない「味」を明確に指した表現だ。こういう表現が増えてゆけば、オールドレンズに対する価値認識は今よりもずっと向上するのであろう。EurygonやHeligonのようなRodenstockのレンズも、シュナイダーのレンズに良く似た発色傾向を示し、素晴らしい色彩を生み出すことができる。近いうちにシュナイダーブルーの発案者であるNOCTOの岡村代表がシュナイダー製レンズの描写に関する特集記事を発表される予定なので、是非ご覧いただきたい。

2011/08/26

Kamerabau-Anstalt-Vaduz Kilfitt-Makro-Kilar E(APO)
4cm F2.8 (M42) Rev.2 改訂版

マクロキラーは今日のマクロレンズの原型となるレンズである。フィルター枠にある赤・青・黄色の3色の刻印は本品が高級なアポクロマートレンズであることを印している。アポクロマートとは特殊な硝材で作られた3枚のレンズを組み合わせによって色収差を補正する仕組み
鋭い描写と色のりの良いクッキリとした発色、軽く小さなボディが魅力。熱狂的なファンがいる

カメラとレンズの設計者で知られるHeintz Kilfitt[ハインツ・キルフィット] (1898–1973)は1898年にドイツのHöntropという町に時計メーカーの息子として誕生した。若いころの彼は時計の修理工であったが、写真機やレンズにも興味を持ち、後にカメラ産業に乗り出していった。彼の最初の成功は1933年で学生の頃に設計した超小型カメラである。このカメラはスプリングモーターによる自動巻上げの機能を内蔵し、24x24mmの小型フレームフォーマットを持つというもので、後の1934年に発売されるRobot Iというカメラのプロトタイプとなった。彼が考案したRobot Iの優れた機構やコンパクトな設計には当時のLeitzも衝撃を受けたといわれている。彼は1941年にドイツ・ミュンヘンの小さい工場を買収し光学・精密機器の生産を開始、1947年には欧州の小国リヒテンシュタインでKamerabau-Anstalt-Vaduz(KAV)という会社を創設すると、レンズやカメラの生産を本格化させるようになった。KAV社は後発の光学機器メーカーであったが、1955年に世界初のマクロレンズMakro-Kilar 3.5/40を開発、1959年には米国Zoomar社と協力し、世界初のスチルカメラ用ズームレンズとなるフォクトレンダー社Zoomar 36-82mmをOEM生産するなど前衛的な製品を世に送り出し一躍有名企業へと成長した。その後、会社はドイツのミュンヘンへと移転され、社名もKAVからKilfittへと変更されている。Heintz Kilfittは1968年に70歳で引退を決意し、会社を米国のZOOMAR社へと売却、その5年後に死去している。
今回、再び紹介するのはKAV社がKilfitt-Makro-Kilar 40mm F3.5/の改良モデルとして1958年にリヒテンシュタインにて製造した同ブランド2代目のKilfitt-Makro-Kilar 40mm F2.8である。F3.5の初期モデル同様、リヒテンシュタインで製造されており、フィルター枠には当時の社名であるKamerabau-Anstalt-Vaduzのロゴが刻まれている。F2.8の2代目は後に会社がドイツ・ミュンヘンに移転した頃を境にデザインが変わり、さらにKilfitt社がZoomar社へ買収された後は、Zoomar社製マクロズーマター銘に変わるなどマイナーチェンジにを繰り返し、複数のモデルが存在している。ただし、レンズの製造は一貫してミュンヘンのkilfitt工場が担い、zoomar社傘下においても生産ラインは1971年まで続いた。
2代目Kilfitt-Makro-Kilar 2.8/40には最大撮影倍率が0.5倍となるシングルヘリコイド仕様のモデルEと、等倍でダブルヘリコイド仕様のモデルDの2種が存在する。モデルEとモデルDの差異はヘリコイドの繰り出し長のみであり光学系は同一(3群4枚のテッサータイプ)である。フィルター枠に刻まれた極小のロゴがいかにもマクロ撮影用レンズらしい雰囲気を醸し出し、まるでミクロの世界にカメラマンを誘っているかのようにみえる。カラーバリエーションには黒と銀の2タイプが存在し、流線型の美しい鏡胴には、とても50年前のものとは思えないモダンなデザインセンスを感じる。対応マウントはM42以外に少なくともエキザクタ、アルパ、コンタレックス、レクタフレックスがある。これらのマウントをM42用に変更できる交換改造マウントが存在し、これを用いた改造品が中古市場に多く流通している。なお、マクロキラーには中望遠の90mmの製品も存在し、こちらは40mmのレンズよりもお値段がだいぶ高い。
最大撮影倍率 x0.5(model E), x1.0(model D), フィルター径 29.5mm, 重量(実測値) 144g, 焦点距離40mm , 開放絞り値 F2.8, 最短撮影距離 10cm, プリセット絞り(絞り値:2.8-22), プリセット後は無段階での絞り設定となる。マウント部に絞り連動ピンはついていないので、ピン押しタイプのマウントアダプターを用いる必要性はない。カラーバリエーションは銀と黒, 本品はリヒテンシュタイン製で純正M42マウント用。左の写真は回転ヘリコイドを最大まで繰り出したところ。本品はType-Eなのでシングルヘリコイド仕様だが、Type-Dの場合はヘリコイドが2段構造(ダブルヘリコイド)であり鏡胴はさらに延びる。左の写真のように後玉がせり出しているので、銀塩カメラやフルサイズセンサー機で使用する場合の多くでは、遠方撮影時にミラー干渉を起こすので要注意。ミラーの動作がパラレルリンク方式のα900やミラーの小さいPENTAX SVなどでは、ひょっとしたらセーフかもしれない
★入手の経緯
Makro-kilar 40mmは後玉が大きく飛び出しているため、APS-Cセンサー機やミラーレス機の登場までまともに使えるカメラが無く、安値で取引されていたが、最近は相場も人気も急上昇し高値で安定している。私が手に入れた個体は2009年9月29日にeBayを介してドイツの中古レンズ専門業者から落札した。商品の解説は「エクセレントコンディションのマクロキラー。ガラスは少しの吹き傷がある程度で綺麗。絞りとフォーカスリングの動作はパーフェクト」。出品者紹介には二枚目の若いお兄ちゃんの写真が写っている。フィードバックスコア1900件中99.8%のポジティブ評価なので、この出品者を信頼することにした。いつものようにストップウォッチを片手に持ちながら締め切り数秒前に250ユーロを投じたところ、206ユーロ(2.7万円弱)にて落札できた。送料・手数料込みの総額は216ユーロ(2.82万円)である。なお本品のヤフオク相場は3万円前後、海外相場(eBay)は300-400㌦(2.7-3.6万円)。商品は落札から10日で手元に届いた。恐る恐る状態を精査すると、中玉端部のコーティング表面にヤケ(コーティングの経年劣化)がある。他にもレンズ内にチリがパラパラとあり、お約束どうり薄っすらとヘアライン状の吹き傷もある。年代物とはいえ説明不足は明らかで、本来ならば完全に返品となる状況だが、今回はこれが欲しかったので、返品は避けオーバーホールに出すことにした。ガラスの不具合が改善しますようにと近所の神社にお参りしたのが効いたのか、2週間後に修理業者から返ってきたレンズはかなり改善し、チリも除去され、実力を見るには十分なレベルとなっていた。

★撮影テスト
Makro-Kilar 40mmの撮影テストは今回で2回目となる。オールドレンズは発色に癖のあるものが多いが、本レンズは1950年代に造られた製品とは到底思えない実にニュートラルな発色特性を示す。テッサー型レンズらしく、コントラストの高さと階調変化の鋭さ、色彩の鮮やかさと色のりの良さが際立っている。黒潰れに強いデジカメの特性にも助けられ、シャドー部がカリカリに焦げ付くことはなく良好な階調表現が得られる。黒潰れが避けられないケースは真夏日の晴天下でF11以上深く絞る場合のみであった。本品も含めテッサータイプのレンズでは銀塩カメラよりもデジタルカメラの方が相性が良いのかもしれない。解像力はテッサータイプ相応であり、お世辞にも類似スペックのガウス型マクロ撮影用レンズと肩を並べる性能とは言い難い。開放絞りの場合、中遠方はスッキリと写るが近接ではやや像が甘く、ポワーンとした柔らかい描写を楽しむことができる。1~2段絞れば被写体の輪郭が締まり、近接撮影でもスッキリと写るようになる。絞りこんだときの解像力はF11まで向上し、回折効果による画質の低下はF16以上深く絞ったところでようやく表れる。最小絞りがF22まで用意されているのは、単なる飾りではないようだ。グルグルボケや四隅の流れなどはなくアウトフォーカス部の像は概ね安定している。球面収差の補正が過剰気味なのか中距離域で2線ボケに遭遇することがあったが、近接撮影では収差の増大に助けられ柔らかく綺麗なボケ味が得られている。前評判どうりに欠点の大変少ない優れた描写力を備えたレンズのようで、これなら人気があるのもうなずける。解像力よりも鋭い階調表現で勝負するレンズといえるのだろう。
F8 NEX-5 digital:近接撮影時のボケ味には不安材料は全く無い。`色のりもよいしボケも綺麗だ
F5.6  NEX-5 digital: テッサータイプらしい安定した描写だ
F5.6 NEX-5 digital, AWB: 真夏日の強い日差しであるが、シャドー部が黒つぶれせずに階調がよく残っている

F11, -1.7EV EOS Kilss x3, AWB:  深く絞るときの像の鋭さは流石にマクロレンズ。ただし、絞りが深いと、少し階調表現が硬めになる

上段F2.8/ 下段F8, EOS kiss x3, AWB: マクロレンズとはいえ開放絞りでは像がやや甘くなるので柔らかい描写表現が可能。1度で2度おいしい類のレンズだ

F5.6  EOS kiss x3, AWB これくらい絞れば最短撮影距離でもスッキリと写る
★2011年8月に洞窟遺跡の調査に同行しspiralが撮影係を担当した。以下は、その中からの作例。洞窟内は背景が暗闇に支配されているため「ボケ味」が表現しにくい。多くの場合、深く絞りこんで撮影することになる。
F11 NEX-5digital, AWB, BULB撮影モード: 調査で見つかった祭壇のような構造物(鍾乳石)。長い年月が経ち、床面と一体化している。手前に転がっているのは12世紀頃に造られたとみられる土器の破片。この場面では絞り値F8でも撮影したが、F11の方が像がシャープな結果となった。本レンズの場合、回折による解像力の低下はF16よりも深い絞り値で起るようだ

F11 NEX-5 digital AWB, BULB撮影モード: 土器の破片群。一つの土器が砕け斜面を流れるように砕け散っている。この場面では2方向からLEDライトを照射し、バルブ撮影で写している。


F5.6 NEX-5 digital AWB: カタツムリやキセル貝等の死骸の堆積。こちらも三脚を立てて撮影している。照度が低く階調表現が軟らかい場合、解像力の高低がはっきりと視認できるようになる。やはりこのレンズには解像力が高いという印象を持つことができない
★撮影機材
KAV Kilfitt-Makro-Kilar E 2.8/40(M42) + Sony NEX-5 / EOS kiss x3


KilfittがMecaflex用に生産したTele-Kilar 4/105という名の美しい望遠レンズがある。デザインセンスの良いkilfitt社ならではの製品であり、私にとって喉から手が出るほど欲しい憧れの一本である。このレンズを手に取るチャンスにいつか巡り合うことはあるのだろうか・・・。

2011/08/03

ZOOMAR München Macro Zoomar 50-125mm F4 (M42)







ズームレンズの発明者Back博士の開発した
世界初のマクロ撮影用ズームレンズ
 ZOOMAR(ズーマー)社はオーストリア出身のDr F.G.Back(バック博士)という人物が1940年代半ばに創設した米国ニューヨークに拠点を置く光学機器メーカーである。バック博士は1946年に世界初のズームレンズとなるZOOMAR 2.9/17-53(16mmのシネカメラ用)を発明した人物として知られている。1959年にはスチルカメラ用にZoomar 2.8/36-82を開発し(こちらも世界初)、Voigtlanderのブランド名でOEM供給した。写真用語として定着したズームレンズの「ズーム」は彼が創設したZOOMAR社の社名から来た派生語である。同社はレンズの生産を委託していたミュンヘンのKilfitt(キルフィット)社を1968年に買収し、1971年までレンズの生産を継続した。
 今回紹介する一本はZOOMAR社のBack博士が設計し、ミュンヘンのkilfitt工場で1960年代後半に生産されたMACRO ZOOMAR 50-125mm F4である。設計があまりにも高度なため、製品化は到底困難とされていたマクロ撮影用ズームレンズを世界で初めて実現した銘玉であり、史上初のマクロレンズとズームレンズをそれぞれ世に送り出したドイツkilfitt社と米国Zoomar社が手を組んで生み出した意欲作である。レンズの構成は不明だがコンピュータ設計による複雑な光学系を持ち、光を通すとかなりの数の構成レンズを内蔵していることがわかる。最大撮影倍率は125mmの望遠撮影時で0.5倍に達する。被写体からレンズ先端までの距離(ワーキングディスタンス)を長くとることができるので、カメラを三脚に固定したまま、あらゆる撮影シーンに対応することができる。対応マウントはM42に加え、少なくともNikon, EXAKTA, Leica-Rを確認できる。レンズの外観に対する第一印象は、まるでコケシ・・・。ズームができる黒コケシだ!。美しいラインを持つ鏡胴形状やピントリングと絞りリングの側面についたゴムのヒダ、黒地の金属鏡胴をとりまくシルバーの太いラインなど個性的なデザインが目を引く。鏡胴の前方にはスライド式の金属フードがビルトインされており、たいへん凝った造りだ。
★F.G.Back博士
 Dr Frank Gerhard Back(バック博士)は1902年8月25日にオーストリアのウィーンに生まれ、ウィーン工科大学で工学修士(1925年)と理学博士(1931年)の学位を取得した。卒業後はウィーンで自営のコンサルティングエンジニアとして7年間働き、1938年9月から1年弱をフランスで過ごした後に米国へと移住している。ニューヨークではエンジニアとして数社を巡り渡り、1944年にResearch and Development Laboratoryという名の会社を設立している。その数年後にZOOMAR社を設立、同社の社長兼技術顧問に就いた。博士が現在のズームレンズの原形となる画期的なアイデアを考案したのは1946年のことである。
 Back博士は単なる技術者ではなく、科学者としての精神を持ち合わせていた。彼は20世紀最高の科学者Dr. Albert Einstein(アルバート・アインシュタイン博士)と深い親交があり、アインシュタイン博士の相対性理論が予言する重力レンズ効果の決定的な証拠を1955年の皆既日蝕中の天体観測によって捉えようと試みたのである。Back博士は太陽の重力によって引き起こされる星の光の光学的歪を写真に収めるため、観測用の特別なZOOMARレンズを開発し、1年がかりの準備期間を経た後にフィリピン諸島へと旅立った。このあたりの詳細はBack博士の1955年の著書「HAS THE EARTH A RING AROUND IT?」に詳しく記されている。残念なことに観測の2か月前、バック博士がフィリピン滞在中にアインシュタイン博士は他界している。
 Back博士は生涯を通じて光デバイス機器やズームレンズ技術に関する幾つかの重要な発明を行い、光学機器産業や写真産業の分野に大きな功績を残した。また天文、医療、産業、軍需など関連分野の発展にも寄与し、英国王立写真協会、映画テレビ技術者協会、米軍技術者協会などから名誉ある賞を受賞している。博士は1970年にZOOMAR社を退き、1983年7月にカリフォルニア州サンディエゴで死去している。

★入手の経緯

 本レンズは2011年2月にドイツのクラシックカメラ専門業者Photo Arsenalのオンラインショップから購入した。商品の解説ページに記されていたランクはAB(near mint)で、軽度の使用感はあるが状態の良い完動品とのこと。商品はドイツからの空輸され、購入手続きを経てからたったの3日で私の手元に届いた。クレイジーな速さである。このレンズは生産本数が僅か1000本と稀少性が高いため、eBayでは1000ドルを超える値で売り出されていることも珍しくない。僅かなホコリの混入はあったが、ガラスに拭き傷やカビ等の問題はなく状態は良好、たいへんラッキーなショッピングであった。

フィルター径 52mm, 絞り羽根 7枚, 重量(実測) 615g,焦点距離 50-125mm,最大撮影倍率 1:2(125mmの望遠時に0.5倍で最大となる) 絞り値 F4-F32,絞り機構 自動/手動切り替え式, 鏡胴の中央部にはZoomar社のロゴである。Zの文字の中央部にkilfittのマークが記されているフィルタ枠に記されたメーカー名もKilfittではなくZoomar Münchenとなっているので、 この個体が製造された時期は1968年~1971年頃だったに違いない。ズーマー社の社名でもありレンズ名でもあるZoomarは、ズームレンズの語源にもなっていりが、元来はブーンという音を表す擬声音で飛行機が急角度で上昇する意味
本体にビルトインされているスライド式フード
★撮影テスト
 収差を徹底して抑え込み解像力を高めたマクロ撮影用レンズと、全ての焦点距離で画質を均一に安定させる高度な補正機能を備えたズームレンズ。これら2種のレンズの設計を「攻め」と「守り」に例えるならば、マクロ撮影用ズームレンズを実現するとは、1本で攻守の双方に秀でた万能レンズを生みだすようなものである。それがいかに困難な開発であるのかは私のような一般ユーザにも容易に想像することができる。この種のレンズを製品化する事など1960年代には到底困難とされていたに違いない。それを実現可能にしたのはコンピュータによる設計技法の進歩とガラス硝材の高性能化である。こうした機運の到来によって1960年代後半に生みだされた世界初のマクロ撮影用ズームレンズが今回紹介するMACRO ZOOMARというわけだ。
 MACRO ZOOMARの描写力を卑しくも単焦点マクロレンズやズームレンズと比べ、良いだの悪いだのと厳しく評価することに大した意味はない。本レンズの長所はそれ以外のところにあるからである。以下にレンズの描写について気づいた点を列記しておく。
  • 開放絞りにおける解像力は高くない。望遠側では甘くソフトな像になり、高倍率撮影を行うと被写体の輪郭部に薄らとハロが発生することがある。マクロ撮影を行う場合は絞って使うことが前提のようだ。
  • フィルム撮影では問題視されることのなかった色収差(軸上色収差)が、デジタル撮影では顕著に表れる。被写体の輪郭部が色づいて見える事がある。
  • ボケ味は悪くない。2線ボケやグルグルボケによって背景の像が乱れることはない。
  • 発色は癖もなくノーマルだが、開放絞り付近で黄色に転び温調なカラートーンになることがある。
  • 階調表現はなだらかで良好。真夏日の条件下でも暗部は良く粘り、黒潰れが回避される。
  • 姉妹品のVoigtlander Zoomar 2.8/36-82mmは画像端部で像が流れるが、本レンズではこの点が改善されている。
 以下、順を追ってフィルム撮影とデジタル撮影による作例を示す。もちろん無修正・無加工だ。

★フィルム撮影
Canon EOS kiss + M42-EOSアダプター
F11 銀塩撮影 FujiColor Super Premium 400: 真夏日の高照度な条件下においても暗部がよく粘り、階調表現が焦げ付くことはなかった
F8 銀塩撮影 Euro Print 400(イタリア製): このフィルムを用いた作例の多くでノイズが顕著に出てしまった。マクロ撮影では手ぶれ防止のために高感度フィルムを用いるケースが多くなるのでフィルム選びは重要
★デジタル撮影
Nikon D3 + M42-Nikonアダプター(補正レンズの無い薄型タイプ)
フランジバックの規格によりNikonでは無限遠のピントを拾うことはできないが、5m先程度までなら合焦は可能なので実用的にはこれで充分だ
左はF4で右はF8。Nikon D3(AWB, ISO1250), 焦点距離 75mm: 開放絞りでは結像が甘い
F5.6, Focal Length 50mm(上段)/125mm(下段), Nikon D3(AWB, ISO800)  :この通りにボケ味は悪くない。この作例では発色が黄色に転び、実際よりも温調カラートーンになっている。トマトなのに人参みたい
F11 Nikon D3 digital(AWB,ISO800):  焦点距離50mmの広角側では、このくらいの最大撮影倍率となる。花びらの輪郭に色収差がはっきりと見える

 MACRO ZOOMARを皮切りにマクロズームレンズが次々と登場したことで、ズームレンズの持つ利便性をマクロ撮影の分野でも享受できるようになった。焦点距離が固定されてしまう単焦点レンズを用いた撮影では、画角調整の必要が生じる際の対応を三脚の位置決めからやり直さなくてはならないが、ズームレンズではこの過程が省略されるため、微調整を速やかに終えることができる。このレンズはプロ向けに造られたのであろう。

2011/07/13

Schneider-Kreuznach Jsogon (Isogon) アイソゴン 40mm F4.5(M42) Rev.2







クールトーンな西独のレンズ達 2:
シュナイダー・ファンにも知る人は少ない
小さなヴィンテージレンズ

今回はいよいよ「シュナイダー・ブルー」の発色特性で知られるSchneider-Kreuznach社のレンズが登場だ。青に特徴のあるこの種の発色特性を好まない人は恐らくこんな体験をしたのであろう。「シュナイダーのレンズをカメラにつけて森林に分け入り風景を撮る。すると、撮影結果の中の草木の緑が、どうもいつもとは違う発色であることに気付く。光の当たる部分は黄緑に転び影の部分は青緑になるなど緑の発色に連続性が無く、照度に応じて色彩が不安定にコロコロと変化するのだ。あまり気にせずに撮影を続けると、今度は木々の隙間の奥深くにあるシャドー部がどうもおかしく見えてくる。やや青味がかったようにも見え、薄暗い辺りに何かあるような気味悪い感覚に陥るのだ。もう風景撮りはいやだと人を撮影することに。すると、今度は肌が青白く美しい死体のように血色感がない。背景もろとも、まるで映像の中のテレビ画面を見ているような感覚になり・・・。ひゃ~、こんなレンズもういやだ!」とまぁ、こんなふうになるわけだ。しかし、使い方を心得れば良い部分もいっぱいあるので、第2弾では、そこらあたりを伝えたい。
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今回再び紹介するJsogon(アイソゴン[注1])はドイツのSchneider(シュナイダー)社が1950年代初頭に生産した一眼レフカメラ用の準広角レンズである。生産総数は僅か725本であり、1950年9月29日に最初の製造ロット125本の一部、もしくは全てがM42マウントとして生産された。残る600本は全てExaktaマウントとして生産されている。入手した個体は希少価値の非常に高い初期ロット125本の中の1本である。Exaktaマウント用のJsogonは本ブログで過去に取り上げているが、残念ながらその時の個体にはガラスに薄らとクモリが入っていたため、100%の描写性能を紹介することができなかった。今回のJsogonは状態がよく、本来備わっている実力を紹介できる。
Jsogonの光学系は4群4枚の珍しいDialyt型で、対称な設計構成ならではの高い平面性が得られる点を長所にしている[文献1]。JsogonはTessar 40mmに次ぐ一眼レフ用広角レンズの第二号といわれている。面白そうなレンズだ。
レンズの鏡胴は真鍮ベースのクロームメッキ仕上げで造りが非常によい。鏡胴のメッキに傷の入った部分からは地金の真鍮ゴールドが露出し、これがたまらなく良い味をだしている。前玉がフィルター枠よりもだいぶ奥まったところに位置しているので、鏡筒がフードとしての役割を兼ねているようだ(このレンズにはフィルター用のネジ切りが無い)。40mmという焦点距離はAPS-Cセンサーで使用してもフルサイズ機や銀塩カメラで使用しても標準レンズに近い使いやすい画角が得られ万能だ。本ブログで過去に扱ったJsogonとは鏡胴のデザインが少し事なり、本品の方が全長が少し短く、重量も100g弱軽いなど軽量でコンパクトにできている。何か差別化する理由でもあったのであろうか。

[注1] JSOGONとかいてアイソゴンと読むそうだ。ドイツ語では単語の先頭にあるJとIの読みが入れ替わることがあり、例えばエキザクタで有名なイハゲー社はJHAGEEと記される。

文献[1] Photographic Optics, by Arthur Cox.( 1979 Spanish edition )

★入手の経緯
2011年6月にドイツ版eBayを介して個人の出品者から送料込みの総額165.5ユーロで購入した。商品出品時の解説は「シュナイダー・クロイツナッハ社が製造したM42マウントの品。レンズは経年にしてはとてもよい状態だ。絞りはグッド。ピントリングの回転もグッド。ガラスもグッド。少しホコリがあるようだ。キャップが付属する」とのこと。この出品者はビックリするようなレアなレンズをポツリ・ポツリと出す人物なので個人的にマークしている。たぶん大物コレクターではないかと勝手に想像している。商品は初め175ユーロ+送料5.5ユーロで発売されていたが、値切り交渉を受け付けていたので、160ユーロでどうかと交渉したところ、私の物になった。1週間後に出品者から届いた個体には解説どうりに軽度のホコリの混入が見られたが、この程度なら描写には全く影響はない。今回は良い買い物であったと思う。
本品は珍しいレンズなのでEXAKTA版でも相場価格はやや高く、米国版eBayではケビンカメラがプライスリーダーとなり400ドル~500ドル程度で出品している。このJsogonにM42マウントの個体がある事を今回の出品で初めて知ったので目にした瞬間は驚いた。シュナイダーの製造台帳で確認を取ると、Jsogonの生産が始まった1950年9月の最初の製造ロット(125本)の中の1本であることがわかった。マウント規格の表記が空欄になっているので、この時にM42を含む複数のマウント規格の個体が試作的に生産されたのではないだろうか。

絞り値 F4.5-F22, 手動絞り, 焦点距離 40mm, フィルター径 ねじ切り無し, 最短撮影距離 0.5m, 絞り羽枚数 8枚, 重量(実測) 180g, 光学系は4群4枚Dyalyt型[1]。本品にはM42マウントとExaktaマウントの2種が存在する

★撮影テスト
このレンズには、味のある優れた描写力が備わっている事がわかった。解像力はあまり高くないため拡大すると像の甘さが出るもののバリッと鋭く張りのある撮影結果が得られる。ボケ味は硬めで背景にゴチャゴチャしたものが入ると距離によってはザワザワ煩くなるが大きく乱れることは無い。F4.5という控えめな設計が功を奏したのか周辺画質の低下が目立つことはなく、開放撮影時においても像の流れや歪みが気になることはなかった。シュナイダーらしく冒険のない手堅い描写設計といえる。注目の発色特性については色温度が高くクールトーンな仕上がりとなる。黄色がレモン色、レモン色が白、白が青白く変色する様子が確認できる。また、照度に応じて緑が黄緑や青緑にコロコロ不安定に変色し、撮り方次第でとても面白い作例になる。暗部が青みを帯びる傾向が強く、他のシュナイダー製レンズと比較しても、Jsogonは青転びの特性をかなり強く示すレンズのようだ。以下、作例。
★銀塩撮影(Pentax MZ-3 + Euro Print 100)

F5.6 銀塩撮影(EuroPrint100): 日光のあたる部分で竹林の葉の緑の色が黄緑に転び、まるで燃え盛る炎のように見える。このレンズの特性をうまくいかせた作例だ。竹林の奥のあたりを見てほしい。森林のシャドー部が薄気味悪いとは、こういうことなのだ。だが、涼しげにも見える

F8 銀塩撮影(EuroPrint100): あれれ凄いな!夕日の逆光で黄色を補色してみたが、結構いい味だすレンズではないか!光の滲みかたといい、石畳の雰囲気といい、奥の樹木の発色など・・・素晴らしい。もしかして、このレンズは久々の大当たりであろうか・・・。
上段・下段ともF4.5 銀塩撮影(EuroPrint100): 袖口から肩にかけての質感が素晴らしい。描写はかなり鋭くボケ味は硬めのようだが大きな乱れはない。周辺画質の低下も少ない
F8  銀塩撮影(EuroPrint100): 最短撮影距離は0.5cm弱なので近接撮影も難無くこなす。ハイライトの飛び方がとてもいい。やはり表現力の豊かなレンズだ


F11  銀塩撮影(EuroPrint100): 変な色が出たケース(その1)。こちらも逆光撮影だがシャドー部が真っ青だ!根元のあたりに青緑の深みがしっかり残り穂の部分と好対照。ある種のメリハリを生んでいる

撮影条件が夏の晴天日だったのでコントラストが高く、フィルム撮影ではシャドー部の黒潰れが顕著に出てしまった。こういうコンディションではデジタルカメラの方が有利だ。 以下はデジタル撮影による作例。

★デジタル撮影(Sony NEX-5 digital, AWB)

F4.5 NEX-5 digital(AWB): 玉ボケが青(水色)に変色している。緑の発色が照度に応じて黄緑や青緑へとコロコロと変化し綺麗だ
F5.6  NEX-5 digital(AWB): デジタル撮影の柔らかな階調表現では明確に識別できる。やはりこのレンズは絞りを開けたときの解像力があまり高くない。ボケ味は硬いが大きな乱れもなく良好だ
F8  NEX-5 digital(AWB): 絞るとスッキリと写りシャープだ。左下の影の部分が青に転んでいる

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Jsogonは味のある描写で勝負するタイプのレンズといえるだろう。理由は分からないが、デジタル撮影よりもフィルム撮影の方が表現力が滲み出ているように感じた。しっかりと自己主張をする優れたレンズのようだ。