おしらせ


MAMIYA-TOMINONのページに写真家・橘ゆうさんからご提供いただいた素晴らしいお写真を掲載しました!
大変感謝しています。是非御覧ください。こちらです。

2014/06/16

KMZ Orion-15 2.8cm F6(L39)




広い画角にわたり均一な画質を維持することのできる球形状のレンズは、広角レンズに適した設計とされている。このことはレンズの形状が完全に球であると仮定することで、光軸がどの方角にも定義できないことから容易に理解できる。一般にレンズの描写力は光軸の近く(写真中央)が良好で、そこから外れるほど(周辺部ほど)悪くなる。ならば、レンズが光軸の概念を捨てたとき、写真には一体何が写るのであろうか。無収差の世界か。それとも完全に破綻した世界か。おそらくそれは、この種の球形レンズを使った人にしかわからない。

左はCarl ZeissのTopogon(R.Richter設計)で米国特許Pat 2031792(1933)に掲載されていた構成図からのトレース・スケッチ、中央はKMZ製Orion-15の構成でthe 1st Soviet Camera Catalogue (1958)に掲載されていたものからのトレース・スケッチ、右はZOMZ製Orion-15の構成で同社のレンズカタログからトレースである
軸外光よ。どこからでもかかってきなさい!
KMZ Orion-15 2.8cm F6
Orion(オリオン)シリーズは旧ソビエト連邦(現ロシア)で光学技術の研究を統括するGOI (Gosudarstvennyy Optical Institute )という機関が1930年代から開発をすすめてきたTopogon(トポゴン)タイプの広角レンズである。Topogonと言えばZeissのRobert Richter(ロベルト リヒテル)が1930年代初頭に開発した4群4枚の対称型広角レンズで、優れた広角描写と歪み(歪曲収差)を極限まで抑えることのできる性質から、航空測量用カメラに搭載するレンズとして活躍した。GOIはロシアとドイツの国交が盛んだったドイツ・ワイマール共和国時代(1919~1933年)に両国間の技術協力の一環として、ドイツからTopogon F6.3の設計に関する技術支援をうけており、1930年代後半にはOrion-1A 20cm F6.3(30 x 30cm大判フォーマット)、Orion-2 150mm F6.3(18 x 18cm大判フォーマット, 1937年登場)の開発に至っている。両レンズとも航空測量に用いられた。
今回入手した一本はGOIが1944年に開発したOrion-15(オリオン15) 28mm F6である。レンズ名の由来はギリシャ神話の巨身美貌の狩人オリオンである。発売当初はKievマウント(旧Contax互換)のみに対応し、1944年から1949年にかけてごく少量のみが生産された。レンズの生産が本格化したのは1951年からで、KMZ(クラスノゴルスク機械工場; Krasnogorsk Mekanicheski Zavod)がOrion-15の生産をGOIから引き継ぎ、Kiev用(旧Contax互換)とFED用(Leica M39互換)の2種を再リリースしている。このレンズは登場後、建造物の撮影やパノラマ撮影の分野で活躍し、1959年に開催された第2回ソビエト連邦国民経済成果展示会(the 2nd degree diploma of the Exhibition of Achievements of the National Economy of the USSR)で優れた工業製品として表彰された。1963年頃からはZOMZ(ザゴルスク光学機械工場; Zagorsky Optiko-Mechanichesy Zavod)がレンズの生産を引き継いでいる。ZOMZによる生産がいつまで続いたのかは明らかになっていないが、中古市場に出回る製品個体のシリアル番号を私が調査した限りでは、少なくとも1978年まで製造されていた。なお、市場に流通している製品個体の多くはクローム鏡胴であるが、1966-1967年に生産されたブラックカラーモデルも少量ながら流通している。

参考: SovietCams.com
Topogonの米国特許: Pat 2031792(1933) by Robert Richter

重量(実測)62g, フィルター径 40.5mm, 絞り値 F6-F22, 絞り羽 7枚(開放でも絞り羽根が完全に開ききらないが、これで正常なのである), 最短撮影距離 1m, 対応マウント Fed(Leica L39互換)/Zorki(旧Contax互換),本品はFed用(L39), 構成 4群4枚Topogon型, 焦点距離 2.8cm, GOI製/KMZ製/ZOMZ製が存在する。解像力(フィルム中央点から0mm /10mm /20mm): 55 /35 /26 lpmm, 仕様書の公式記載解像力(中央/周辺):45/18 lpmm, 光透過係数:0.8, けられ(周辺光量落ち):67%






入手の経緯
本品は2014年5月5日にeBayを介しウクライナのセラーから即決価格249ドルで購入した。オークションの解説は「EXC++。硝子はパーフェクトのOrion-15。外観は9/10点、光学系は前玉・後玉とも10/10点のパーフェクトな状態」とのこと。ベークライト製のケースと前後のキャップが付属していた。商品は当初24980円のスタート価格でヤフオクに出品されており「ウクライナからの発送」とあった。私を含む3人がこの商品に対し入札したが30500円で競り負けた。仕方なしにeBayで同一品を探したところ、なんとシリアル番号と写真が全く同一の商品が250ドルの即決価格で出ていた。そこで、こちらを落札したわけだ。出品者には発送前にシリアルを確認するようにと釘をさすことにした。1週間後に届いた品は写真と同一のシリアル番号をもつ個体で、記述どおりにガラスはとてもいい状態であった。eBayでの中古相場は250ドル前後、ヤフオクでの相場は3万円程度であろう。この手の転売屋がどういうシステムで動いているのか気になるところだが、おそらくヤフオクでの落札者の元には異なるシリアルの製品個体が届くなど何らかの影響があったに違いない。誰が犠牲になったのかはわからないが、一歩間違えればそれは自分であった。

撮影テスト
Orion-15の描写の特徴は四隅まで解像力が良好で、歪みはほぼなく、色収差、像面湾曲、非点収差が十分に補正されていることである。口径比がF6と控えめなため球面収差とコマ収差は無理なく補正でき、開放でも滲みは見られずにスッキリとヌケのよい写りである。階調描写は軟調系で絞ってもコントラストは控えめであるが、そのぶん中間階調は豊富にでており、逆光時においてもシャドーは潰れにくい。周辺光量落ちが顕著にみられるという事前情報を得ていたが、実写に影響がでるほど光量落ちが気になるようなことはなかった。カタログスペックでも中央部に対し四隅で67%の光量落ちと解説されている程度なので、あまり心配する程の事でもなさそうだ。逆光にはそこそこ耐え条件が悪いとゴーストはでるものの、フレア(グレア)まで発展することはない。絞りに対する画質の変化は殆どなく、正直に言ってしまえば面白みに欠けるが、レンズグルメなら一度は体験してみたい類のレンズではないだろうか。以下作例。Camera: Sony A7(AWB)
F11, sony A7(AWB): 逆光にはそこそこ耐え、グレア(内面反射由来のフレア)は出にくい。おもいきり逆光での撮影だが、シャドーは潰れず中間階調は依然として豊富に出ている


F11, sony A7(AWB): あぁ困った。四隅までキッチリ写っている。ヌケは良い。やはり、このタイプのTopogon型レンズは建造物を撮るのに適している。よくわかった




F6(開放),sony A7(AWB): ヘリコイドアダプターにて最短撮影距離を強制的に短縮させた。ボケは安定している

F6(開放), sony A7(AWB): 球体鏡を写しているので、さすがにこれでは像が歪む








2014/05/29

LZOS Jupiter-12 35mm F2.8 (L39)




大きく突き出た後玉が
レンズマニアたちの心をグラグラ揺さぶる
ロシア版ビオゴン:
Jupiter-12 35mm F2.8
Jupiter-12(ユピテル12/英語名はジュピター12)はロシアのKMZ(クラスノゴルスク機械工場)が1950年に発売したBiogonタイプの広角レンズである。巷ではZeissのLudwig Bertele (ベルテレ博士)が1936年に設計したContax版Biogon 35mmをそのままコピーしたレンズ(デットコピー)と誤って解釈されることが多いが、厳密にはBiogonの設計を簡略化した新開発のレンズであるBiogonの持つ線の太い描写、高いコントラスト、ヌケが良く色鮮やかな発色、穏やかで安定感のあるボケを受け継ぎ、Berteleが世に送り出したもう一つの名玉Sonnar(ゾナー)を彷彿とさせる描写設計である。BiogonはZeissのBerteleが1931年に設計したContax版Sonnarから発展したレンズである(下図)。Sonnarには画角を広げ過ぎると非点収差が急激に増大するという収差的な弱点があり、標準~中望遠には対応できるものの、広角レンズを実現するには基本設計に大幅な改良を施す必要があった。Sonnarの性質を維持しながら、同時にこのレンズの弱点を克服することがBiogonの開発に至ったBerteleの動機である。Berteleは研究を重ね、Sonnarの最後尾に巨大な後玉を据え付けるという新しい着想に辿りついたのである。
 

 
Sonnar(上段・左)からJupiter-12(下段・右)に至る光学設計の系譜。こうして並べ比べてみると、Jupiter-12は確かにBiogonをベースに造られたレンズであることがよくわかる。我々の良く知るContax版Sonnarは上段・左に示すようの前群側に3枚接合ユニットを持つ設計形態であるが、Jupiter-12やBiogonの大半のモデルでは、この部分がガウスタイプと同じ2枚接合ユニットへと簡略化されている。構成図出展:Biogonの構成図はBerteleが出願した一連の特許資料からトレースした。また、KMZ BK-35は文献[1]からのトレース、Jupiter-12はレンズ購入時に付属していたマニュアル資料からのトレースである

 
Jupiter-12は1950年にKMZ社が発売し、Leicaスクリュー互換のZorki(ゾルキー)用と旧Contaxマウント互換のKiev(キエフ)用の2種が市場供給された。初期のモデルはクローム鏡胴のみで1960年からはブラックカラーも登場している。1958年にはLZOS(ルトカリノ光学硝子工場/Lutkarinskij Zavod Opticheskogo Stekla)とArsenalがレンズの生産に参入し3社による生産体制となるが、3年後の1961年にKMZとARSENALは同レンズの生産から撤退、これ以降はLZOSによる単独生産となっている。現在の中古市場に流通しているレンズはLZOS製の製品個体が大半で、KMZ製はやや少なく、Arsenal製を目にすることは極稀である。市場にはZorki用とKiev用の2つのモデルが流通しており、1950年代~1970年代に生産されたクローム鏡胴のバージョンと1970年代~1980年代に生産された黒鏡胴バージョンの2種に大別できる。最後まで製造が続いたのはLZOS製の黒鏡胴バージョンである。私が市場に流通しているレンズのシリアル番号を片っ端から調査した感触によると、レンズの生産は少なくとも1991年まで続いていた。
なお、記録によるとJupiter-12にはBK-35 (Biogon Krasnogorsk 35/1947-1950年)という前身モデルが存在し、ZeissのBiogonをベースにドイツ産の硝材を用いて設計されたと記されている[1,2]。構成図をみるとBK-35の光学系は後群・第一レンズの曲率が妊婦のお腹のように大きく膨らんでおり、Biogon(1937)からJupiter-12へと移行する過渡的な設計形態になっていることがわかる。

参考文献・WEBサイト
[1] КАТАЛОГ фотообъективов завода № 393(ZenitのHPに掲載)
[2]SovietCams.comJupiter-12 )
[3] Marco Cavina’s wonderful HP: marcocavina.com

入手の経緯
本レンズは2013年8月にeBayを介しポーランドのレンズ専門セラーから110ドル+送料10ドルの即決価格で落札購入した。オークションの解説では「ガラスはMINTコンディション。ミラーレス機でテスト済だ。フォーカスリングと絞りリングの回転はスムーズで、絞り羽に油染みはない。硝子に傷、クリーニングマーク、クモリ、バルサム切れ等の問題はない。前後のキャップとケースが付属する」とのことである。届いた品は鏡胴に少し汚れがあり、前玉にクリーニングマークが1本あった。ホコリは経年相応で清掃が必要なほどでもない。この程度の相違は織り込み済みなので、私には十分な状態であった。eBayでの相場は状態の良い個体で100ドル前後である。未使用と思われるデットストック品が現在でも数多く流通しているので、焦らずにジックリと選び、良いものを手に入れるとよいであろう。なお、Arsenalの製造したモデル(1958-1961年生産)、KMZの製造した黒鏡胴モデル(1960-1961年生産)、および初期のKMZ BK-35(1947-1950年生産)は希少価値が高く、上記の相場価格は当てはまらない。最近はロシアやウクライナの一部のセラーがJupiter-12の名板のみをすげ替えたBK-35の模造品を売り出しているので、注意したほうがよい。ちなみに模造品のeBayでの相場は200~250ドル程度である。
Jupiter-12: 最短撮影 1m, フィルター径 40.5mm, 絞り羽 5枚, 重量(実測) 100g,  焦点距離 35.7mm,  絞り指標 F2.8-F22, 構成 4群6枚 (戦前のBiogon前期型), 63年製, メーカー LZOS(ルトカリノ光学硝子工場), 解像力 36 line/mm (中央) 18 line/mm (コーナー)。なお、レンズ名の由来はローマ神話の最高至上の神の名ユピテル
撮影テスト
Jupiter-12はコントラストが高く、鮮やかな発色とシャープな写りを特徴とするレンズである。解像力は平凡で線は太いものの、開放から滲みやフレア(収差由来)は少なく、スッキリとヌケのよい描写である。ただし、絞っても階調はなだらかで適度な軟らかさを維持している。ボケは四隅で半月状に崩れコマ収差の発生を確認できるが、中間画角までは整っており柔らかく拡散している。グルグルボケ、放射ボケ、2線ボケなどの乱れは検出できない。開放では発色が極僅かに温調気味になることもあるが、絞れば安定し概ねノーマルである。内面反射が少ないようで、逆光にはそこそこ耐え、ゴーストやグレア(内面反射光の蓄積に由来するハレーション)は出にくい。広角レンズには珍しい糸巻き状の歪曲がみられるものの通常の撮影で目立つことはない。全体的にみて、とても安定感のあるレンズといえるだろう。なお、フルサイズセンサーを搭載したミラーレス機(sony A7)で使用すると、画像の端の方にマゼンダ色の色被りが見られることがある。これはカラーシフトと呼ばれるデジタル・ミラーレス機に特有の現象で、バックフォーカスが短かいレンズや後玉径が小さいレンズを用いる際、センサー面に急角度で入射する光に対して赤外線カットフィルターの効きが弱くなるために起こる現象である。バックフォーカスが最も短くなる遠方撮影時において特に顕著になる傾向がある。一回り小さなAPS-Cセンサーのカメラでは目立つことはなく、銀塩フィルム機では全く問題にはならない。

Camera: sony A7
撮影: 伊豆大島(2014年5月3--5日)

タイトル「油断」, F8(上) /F8(下, APS-C crop-mode), sony A7(AWB): 上段の写真では左右の端部に若干のマゼンダ被りがみられる。これはバックフォーカスが短いレンズをフルサイズミラーレス機で用いる際に、赤外線カットフィルターの効きがセンサー周辺部で弱くなるために起こる現象である。APS-Cサイズにクロップした下段の写真では全く目立たなくなる
F2.8(開放), sony A7(AWB): 開放でもスッキリとヌケの良い写りである。後ボケは穏やかで柔らかく、四隅までよく整っている。グルグルボケや放射ボケは見られず2線ボケも検出できない
F4, sony A7(AWB): 滲みはまったく見られず発色はとても鮮やか。シャープなレンズだ
F5.6, Sony A7(AWB): 開放でのショットはこちら。いずれもコントラストは高く発色は鮮やかである。ただし、絞っても階調は適度に軟らかい

F11, Sony A7(AWB): フォーカスポイントを人物にとり、パンフォーカスで撮影している。遠方撮影で空が入ると、やはりマゼンダ被りが目立つようになる。本レンズの場合、後玉が大きく飛び出しているためか、この傾向は絞っても改善しない。四隅では若干の解像力不足を感じるが、引き伸ばさなければ判らない。伊豆大島にある火山灰の堆積でできた地層断面













F8, sony A7(AWB): マゼンダ被りや周辺光量落ちは遠方撮影時に特に顕著にあらわれる現象である。これくらいの撮影距離までなら全く目立たない。うちの娘・・・一体何がしたいのだ


BiogonとSonnarは言わば親戚関係にあるため、写りが似ているのはごく当たり前と考える方も多いかもしれない。しかし、Sonnarだった頃の形質は後群の第一レンズ(構成図の中に黄色く着色した部分)のみであり、もはや別設計のレンズと捉える方が妥当である。むしろ、興味深いのは設計の異なるBiogonとSonnarの写真描写に高い類似性がみられる点である。Berteleの発明した設計というだけで、どうしてここまで写りが似ているのだろうか。我々が目の当たりにしているのは写真レンズの描写に対し設計者ベルテレが貫いた揺るぎない理念なのかもしれない。ロシア版BiogonのJupiter-12にも、こうしたベルテレの描写理念が忠実に受け継がれているのである。

2014/04/16

Kilfitt Tele-Kilar 105mm F4 (converted M42)

ある日、ウィーンのカメラオークションにMECAFLEX(メカフレックス)という名の美しい一眼レフカメラが登場した。解説によるとカメラはモナコ公国のSEROA(セロア)社という聞き慣れないメーカーが1958年から1965年にかけて生産した製品とのことである。何が目にとまったのかというと、工芸品と言っても過言ではない見事なフォルムである(こちら写真を含む解説)。大きさは手のひらに収まる程度しかなく、本当に一眼レフカメラなのかと目を疑いたくなるようなコンパクトな造りであるが、搭載されていた専用レンズがこれまたデザイン的に素晴らしく、機能性と美しさを融合させた素晴らしい工業製品なのである一瞬にして心を奪われてしまった。早速調べてみたところ、レンズを設計したのはHeintz Kilfitt(ハインツ・キルフィット)であった。Kilfittはスパイカメラの名機Robotや世界初のマクロ撮影用レンズMakro Kilarを設計した人物として知られている。


時計職人のセンスで名声を築いた
ハインツ・キルフィットの望遠レンズ
Kilfitt Tele-Kilar 105mm F4
Heintz Kilfitt(1898–1973)はカメラとレンズの設計者として2足の草鞋(わらじ)で名声を築いたドイツ人技術者である。戦前の1930年代に手がけたRobot(ロボット)というカメラは流線形の美しいデザインもさることながら、少ない部品で効率よく動き、ゼンマイ仕掛けのスプリングモーターによる自動巻上げ機構を内蔵した革新的な製品であった。このカメラの精巧でコンパクトな造りと優れた機構には当時のLeitzも衝撃を受けたといわれている。おそらく彼が若い頃に時計職人として培ったセンスがこのような優れた製品を生み出すアイデアにつながったのであろう。彼はその後、1947年に欧州の小国リヒテンシュタインでKamerabau-Anstalt-Vaduz (KAV)という会社を立ち上げ、レンズや光学製品の生産に乗り出している。KAV社は1955年に世界初のマクロレンズMakro-Kilar 3.5/40を発売、1959年には米国Zoomar社と協力し世界初のスチルカメラ用ズームレンズZoomar 36-82mmをVoigtlanderブランドでOEM生産するなど、新興メーカーながらも著しい活躍をみせている。その後、会社をドイツのミュンヘンに移転し、社名もKAVからKilfittへと変更している。
同社の光学製品にはデザイン的に独特なものが多く、やはり流線形を基調とする他に類をみない外観が持ち味となっている。レンズとして独特なものはZoomar社との共同開発でKilfittが製造を担当したMacro Zoomar 50-125mm F4Zoomar 36-82mm F2.8、自社のみで生産したヒット作のMakro-Kilar 4cm F3.5/F2.8や同90mm F2.8Kilar 150mm F3.5Tele-kilar 300mm F5.6などがあり、いずれもスタイリッシュな製品である。今回紹介するTele-Kilar(テレ・キラー)105mm F4も素晴らしいデザインで、私の中では鏡胴の格好良さで3本の指に入るレンズだと思っている。この製品はKilfittがモナコ公国のSEROA(セロア)社に設計を売り込んで委託生産させたMecaflex(メカフレックス)という超小型一眼レフカメラの交換レンズで、カメラとともに1958年から1965年頃にかけて市場供給された。製造本数は200本程度と極めて少なく、コレクターズアイテムとなっている。
Tele-Kilarと同等の標準的なBis-Telarタイプ(望遠基本タイプ)の設計構成。構成は2群4枚で左が前方で右がカメラ側: Note that the above figure is NOT the optical construction of Tele-Kilar 105mm itself, but the typical Bis-Telar model corresponding approximately to this lens.
レンズの設計は2群4枚のBis-Telar(ビス・テラー)型で、シンプルな構成にもかかわらずアナスチグマートの要件を満たしている。この設計は1905年にドイツのEmil Busch(エミール・ブッシュ)社が発売した望遠レンズのBis-Telar(K.Martin設計)を始祖としている。前群と後群がそれぞれ正と負のパワーを持つレンズ群の組み合わせになっているため、ペッツバール和を抑えるのは容易で、像面湾曲と非点収差の同時補正が可能になっている。このためピント部は四隅まで均一な画質を保持でき、グルグルボケも抑えられている。ただし、望遠比(全長/焦点距離)が極端に小さいと後群の負のパワーが強くなりペッツバール和がマイナス方向に増大するので、この構成のまま焦点距離の極端に長いレンズが設計されることはあまりない。

入手の経緯
本品は2013年12月にebayを介しフランスの個人出品者から競売により落札購入した。商品の解説は「全て正常に動作する。鏡胴はとてもクリーンで経年劣化は軽く、保存状態は素晴らしい。傷やヘコミはない。光学系はクリーンでクリア、傷、クモリ、バルサム剥離はない。ごく僅かにホコリの混入がある程度である。フォーカスリングはスムーズ。オリジナルボックスが付いている」とのこと。オークションは150ドルでスタートし4人が入札、自動入札ソフトを使い最大入札額を490ドルに設定し放置したところ、翌日になって450ドル+送料30ドルで落札していた。届いた品は記述どうりの良好な状態でホコリの混入も殆ど見られず、デットストックに近い状態であった。製造本数が200本程度と極めてレアなため中古相場は不明だが、認知度か低い上にマウントが特殊なので、需要は少なく、市場に出て来れさえすれば入手の難易度は高くない。少し前に同等の品がイギリスのオンライン中古カメラ店に470ドルで出ていた。

フィルター径:35.5mm, 絞り羽: 10枚, 最短撮影距離: 1.5m, 構成:2群4枚(正負|負正)のBis-Telar型(望遠基本型), 単層コーティング, 絞り: F4- F32, MECAFLEX用,  ごく簡単な方法でマウント部にM37-M42ネジを嵌めM42マウントにコンバートしている。後玉が大きく飛び出しているので、一眼レフカメラで使用する場合にはミラーが後玉に干渉する恐れがある。ミラーがスイングバックするMinolta X-700ではミラー干渉はなかった





撮影テスト
このレンズの設計は24x24mmのスクウェアフォーマットに最適化されており、十分な性能を発揮するには本来の母機であるMecaflexで用いるのが一番良い。一方、デジタル撮影で用いる場合の最良の選択は一回り大きなイメージフォーマット(36x24mm)のフルサイズ機にマウントするか、一回り小さなAPS-C機(24x16mm)にマウントするかのどちらかになる。堅実な写りを求めるならAPS-C機で使用するのが良いが、反対に収差を活かした撮影を楽しみたいならフルサイズ機で使用するのもよい。本Blogではフルサイズ機で撮影テストをおこなっており、レンズ本来の描写設計よりもボケ量と収差量がより大きなものになるので、あらかじめ断わっておく必要がある。

★テスト環境
デジタル撮影: SONY A7(AWB)
フィルム撮影: minolta X-700,  フィルム: efke KB100(クロアチア製ネガフィルム)

Tele-Kilar 105mmは線の太い写りを特徴としているレンズである。解像力は抑え気味で平凡であるが、代わりにハロやコマなどの滲みやフレア(収差由来)はキッチリと抑えられており、開放からヌケの良さが際立っている。逆光にはよく耐え、ゴーストやグレア(内面反射光由来のハレーション)は出にくいため、コントラストは良好で発色もよい。カラーバランスに癖はなくノーマルである。階調は軟らかく、なだらかに変化し、絞っても硬くはならない。望遠レンズに特有の糸巻き歪曲はよく補正されており、全く検出できないレベルである。2線ボケはほとんど見られず穏やかで柔らかいボケ味である。ただし、フルサイズ機で使用する場合には近接撮影時に背景にグルグルボケの発生がみられ、解像力も四隅では低下気味になる。本来は写らない領域なので、これはフェアな画質評価ではない。そこで、画像の側部を落とし定格の24x24mmスクウェアフォーマットでの画質を見てやると、グルグルボケは目立たなくなり解像力も良好である。APS-C機で用いれば本来の描写設計を取り戻し、かなり手堅く写るレンズであることがわかる。単純な構成のわりに優れた描写力を備えたレンズのようである。
このレンズは後玉が小さくバックフォーカスも比較的短いことからテレセン特性が厳しいようで、フルサイズフォーマットのデジタルカメラで撮影すると画像周辺部に顕著な光量落ちがみられる。光量落ちが特に著しいのは絞り開放で遠方を撮影する時である。ただし、絞れば改善し、近接撮影では気にならないレベルにおさまる。フィルム撮影(35mm判)の場合には全く検出できなかった。
APS-C機では手堅く写り、フルサイズ機にマウントすれば収差を引き出すことも可能。Tele-Kilarは一度で二度おいしい、とても楽しいレンズだと思う。
F11, 銀塩モノクロフィルム(efke KB100):  焦点距離が105mmともなれば望遠圧縮効果がはたらき、遠方の景色を大きく見せることができる。絞った時の解像力はなかなか秀逸なようで、浜辺で遊ぶ人の姿がはっきり識別できる。和尚も海かな?
F4(全開), sony A7(AWB): 続いてデジタル撮影だ。このレンズは最短撮影距離(1.5m)の付近でグルグルボケが顕著に発生するので、ポートレート撮影に収差を生かすにはもってこいのレンズである。グルグルが目立つのはレンズ本来の規格をこえる一回り大きな撮像面(フルサイズセンサー)で撮影しているためである。側部を落としスクウェアフォーマットにしてみると、ここまで目立つものではないことがわかる
F8, sony A7(AWB): コントラストは良好で発色はノーマル。よく写るレンズだ

F4(開放), sony A7(AWB): デジタルカメラで中遠景を撮影すると、開放では画像周辺部に光量落ちが目立ち始める。これはレンズのテレセン性が低いためである。深く絞れば改善する。開放でもヌケは良く、コントラストも十分に良い


F4(開放), 銀塩モノクロフィルム(efke KB100):  フィルム撮影の場合、周辺光量落ちは全くみられない。なんだか素敵なコロッケ屋だ



 

2014/04/11

Carl Zeiss Jena Pancolar 55mm F1.4 (M42)

ハイテンションな色ノリで世界を華やかに写しとる
温調レンズの決定版 PART2:
Carl Zeiss Jena Pancolar 55mm F1.4
Pancolar(パンコラー)55mm F1.4は旧東ドイツのVEB Carl Zeiss Jena社が1967年から1971年まで生産した高速標準レンズである。同社が誇る最高級一眼レフカメラのPentacon Super(ペンタコン・スーパー)[4579台生産]に標準搭載され、4年間で5101本が製造された。光学系は4群6枚のダブルガウス型レンズをベースとする5群7枚構成の発展型(下図)で、後群の最後尾に凸レンズを1枚追加し正のパワーを強化することでF1.4の明るさを実現している。このタイプの設計(後群分割型ダブルガウス)にはバックフォーカスを確保しやすいといった長所があり、その後、現代に至るまで一眼レフカメラ用に設計された明るいレンズでは、ほぼ例外なくこの設計方式が採用されている(「レンズ設計のすべて」辻定彦著:7章(2)節参考)。
Pancolar 1.4/55の構成図: 左が前群側で右が後群(カメラ)側となっている。「東ドイツカメラの全貌」(朝日ソノラマ)からトレーススケッチした。構成は5群7枚でダブルガウス型レンズの発展型である。正の凸レンズを黄色、負の凹レンズを水色に着色した
ガウス型標準レンズが基本構成(4群6枚)を維持したまま実現できる口径比は、せいぜいのところ明るくてもF2前後までである。仮にこの構成のまま正パワーを強化し、一段明るいF1.5程度のレンズを実現したいなら、レンズエレメントを肉厚に設計し、かつ屈折面のカーブ(曲率)を大きくすることになる。各エレメントに大きなパワーを持たせ、光学系全体のパワーレベルを向上させるというアプローチである。しかし、パワーの大きなレンズエレメントからは大きな収差が発生するため、このアプローチではAngenieux Type-S 1.5/50 (4群6枚)のような滲みやフレアの多い趣味性の強いレンズとなってしまう。そこで、光学系に凸エレメントを一枚追加し、光学系全体のパワーを強化しながら各部のエレメントのパワーは逆に緩めるという手段が選ばれるのである。この場合、レンズを明るくしても諸収差は一定レベルに抑えることができるので、画質的には有利である。凸エレメントを追加する場所として効率的なのは、軸上光線が高い位置を通る前群最前部か後群最後部のどちらかであるが、このうち前群最前部に配置する場合にはバックフォーカスが短くなり、一眼レフカメラへの適合が困難になる。そこで、本レンズ(上図)のような後群最後部に凸エレメントを配置した構成形態が選ばれるのである。
凸レンズの追加はペッツバール和を増大させるので、放っておくと周辺部の画質はさらに厳しいものとなる。そこで、Pancolarでは凸レンズに酸化トリウムを含む高性能な新種ガラス(低分散高屈折率ガラス)を導入し、この増大を最小限に抑え込んでいる。高屈折率ガラスを導入したことにより、直接的な効果としては画像周辺部の解像力の向上とグルグルボケの抑止、間接的には収差全体の補正力を改善させる波及効果が得られる。しかし、後に酸化トリウムが放射するα線がガラスを黄褐色に変色させる先天性の病気の「ブラウニング現象」が発覚、現在では多くの製品固体でこの病気が進行し、ガラスに黄褐色の変色がみられる。この影響が少なからず撮影結果にも出ており、カラーバランスへの影響は無視できない。フィルム撮影時、特にカラーポジフィルムでの撮影時には黄色転びが顕著にみられ、カラーバランスの事後補正が必須となる。しかし、前向きに考えてはどうだろうか。ブラウニング現象がもたらしたカラーバランスへの影響は、歳月を経ることで獲得できたオールドレンズならではの描写特性と言えるもので、実際に使ってみると思いがけないシーンで素晴らしい演出効果を提供してくれる。フツーに写る無着色なガラスのレンズには決して真似のできない、味わい深い写真効果が得られるのである。
 
紫外線照射によるガラス材の修復
Pancolarのガラスが黄色く色づくのは、ガラス材に含まれる酸化トリウムという放射性物質がα線を放射し、ガラス中に格子欠陥(電子正孔対)を生じさせるためである。これはブラウニング現象、あるいはソラリゼーションと呼ばれ、格子欠陥が光を吸収するためガラスは黄褐色に色づいてみえる。これに対し紫外線を一定時間照射しガラス材を熱すると、電子正孔対からトラップ状態の電子を解放させることができる。格子欠陥は消滅し、Pancolarにみられるブラウニング現象は紫外線の照射のみで除去できるのである

入手の経緯
このレンズはブログの読者の方からお借りした。はじめは何とAngenieux 50mm F1.5(中古相場50万!)をお貸しくださるとの申し出で正直驚いたが、あまりにも高価なレンズのため、万が一の事を考え、こちらから丁重にお断りし、その代わりにこのレンズをお借りしたのだ。生産数5101本とレアなレンズのため中古市場での流通量は少なく、現在の中古相場は1000ドルを超える。ちなみに兄弟レンズのPancolar 75mm F1.4(M42)は生産数550本と更にレアで、ここ最近になってeBayで売り出された個体には10000ドル程度(100万円程度)の値段がついていた。既に売れたようである。
Pancolar 55mm F1.4(M42マウント): フィルター径58mm, 絞り値 F1.4-F22, 絞り羽:8枚構成 最短撮影距離0.39m, 重量400g, M42マウント, 製造: 1967-1971年(1963年設計), 設計者はZeissのEduard Hubert (1964年設計)と言われているが、根拠となる文献を掴んでいないので噂と思ってほしい。製造本数:5101本, Pentacon Super用としてM42マウント用のみが市場供給された



撮影テスト
このレンズが発売された1960年代で口径比がF1.5未満の明るさを実現した写真用レンズには、どこか背伸びをしたような危うさがみられるのが普通である。高い技術力を誇ったZeiss Jenaの製品でさえ開放での描写は穏やかではない。Pancolar 55mmも例外ではなく、開放では抑え切れない収差から像がモヤモヤとフレアにつつまれ、解像力とコントラストに明らかな低下がみられる。発色は淡く、ボケは嵐のように激しい。一方、F2まで絞ると画質は改善し解像力は向上、収差を伴いながら線の細い描写となる。F2.8まで絞るとヌケはよくなり、画質的に充実したレベルに達する。階調は驚くほど軟らかく、トーンはなだらかで深く絞り込んでも硬くはならない。ただし、曇天時に開放でフィルム撮影をおこなうと軟らかすぎてメリハリ感の乏しい描写となる事があるので、使い方には注意を要する。デジタル撮影ならば問題はない。変色したガラス材の影響で発色が黄色に引っ張られ、フィルム撮影時、特にカラーポジフィルムでの撮影時にはその影響を顕著にうける。一方、デジタル撮影ではカラーバランスの補正機能が自動で働き、黄色転びはフィルム撮影の時よりも控えめになる。しかし、それでもなお現像時にカラーバランス補正は必須となるであろう。ボケは柔らかく開放付近ではフレアを纏いながら綺麗に拡散している。開放では距離によってグルグルボケがみられるが、Biotar F2ほど激しくはならず、高性能な硝材が導入されたことによる一定の改善効果がみられる。反対に前ボケには距離によって2線ボケ傾向がみられるとの世評がある(ただし、私は確認できなかった)。もしかしたら開放で意図的に球面収差を補正不足にしたレンズなのかもしれない。この種の補正不足型レンズの特徴は開放で像がソフト、後ボケはフレアにつつまれ大きく柔らかくボケる。反対に前ボケはやや硬めで2線ボケが出る。もう少し撮影テストに時間をかければよかったのが残念ではある。Pancolar 55mmの前ボケについてコメントなどでご教示いただけると幸いである。
vF2.8 Nikon D3 digital AWB→Photoshopのカラー補正を適用(補正前の画像はこちら): 純白の花だが黄色っぽい。ここまで絞るとボケは穏やかで綺麗である

F2.8 銀塩撮影(Kodak Profoto XL100/無補正): 今度はフィルム撮影(ネガフィルム)。こういう被写体ならば黄色転びも大して問題にはならない。とてもいい味を出している
F1.4(開放) Nikon D3 digital, AWB :再びデジタル撮影。Photoshopの自動カラー補正を適用した。補正前の画像はこちら。レタッチで人相に手を加えてある。開放ではさらに黄色転びが激しく、カラー補正を入れてもまだ温調気味だ。ボケはやはり激しいが硬くはない。アウトフォーカス部の像の流れを生かし、被写体に動きを与えている
F2.8, Nikon D3, AWB, Photoshopの自動カラー補正を適用(補正前の画像はこちら): 最短撮影距離でのショット。他の一般的なガウス型レンズと同様に近接撮影では球面収差がアンダー方向(補正不足方向)に大きく変化しており、後ボケはフレアをともないながら柔らかく綺麗に拡散している。ピント部は依然スッキリとしていてヌケは良好だ
 当時のF1.5はアナスチグマートを崩壊させる言わば死線ともよべる口径比だったはずである。技術水準から考えればアナスチグマートが5大収差の全てを満足のゆくレベルで封じ、画質的に健全でいられたのは、F2前後までだったのであろう。これを越えてしまった1960年代のPancolarやContarex-Plannarが画質的に厳しいレンズであったのは確かなことである。しかし、当時のユーザーサイドがこれを拒絶しなかったのはとても興味深いことではないだろうか。私の知る限り55mm F1.4が嫌われ者であったという悪い評判はどこにもみられない。むしろ、ユーザーサイドには限界に挑むスーパーレンズを暖かく見守る広い心があったようにも思える。なぜ嫌われ者にはならなかったのか。恐らく人間の感性には収差の嵐すら写真効果のひとつ、表現の可能性の一形態として受け入れてしまう柔軟性と許容力があったからであろう。これより後もF1.4クラスのレンズは各社から次々と登場しており、このクラスの大口径レンズの需要は現代に至るまで途絶えることなく続いてゆくのである。 

2014/03/23

Carl Zeiss Jena Pancolar 50mm F1.8(M42)rev.2



Pancolar(パンコラー)の前期モデルと言えば黄色く変色したガラスを持つことから、いわゆる「放射能レンズ」の代名詞的な存在となっている。カラーフィルムでの撮影時にみられる黄色転びの激しさが容易には受け入れられず、かつては安値で売買される時期もあった。しかし、デジタルカメラの登場が窮地のレンズに救いの手を差し伸べている。カメラの画像処理エンジンに組み込まれているカラーバランスの自動補正機能が発色の癖を強力に補正し、写真の仕上がりが大きく改善したのである。長い間、死蔵品のような扱いを受けてきたレンズの価値はここに到って見直され、もともと温調な発色を好む欧米人からはノスタルジックな写りが素晴らしいと評価は上々である。経年による材質変化を長所に変え、デジタルカメラとのコラボレーションで見事な復活を遂げたのである。


ハイテンションな色ノリで世界を華やかに写しとる

温調レンズの決定版 PART1:

Carl Zeiss Jena Pancolar 50mm F1.8

Pancolar 50mm F1.8は旧東ドイツのVEB Zeiss Jena社が戦前から続くBiotarの後継製品として1965年に投入した高速標準レンズである。高性能な新種ガラスを用いてBiotarのアキレス腱とも言える像面特性の弱さを改善させ、戦後のZeiss Jenaブランドを象徴する看板製品となっている。レンズの設計したのはH.Zöllner (ツェルナー)とW. Dannberg (ダンベルグ)という人物で、Zöllnerは他にもFlektogon 35mm F2.8, Tessar F2.8(戦後型), Biometar F2.8, DannbergはFlektogon 20mmと同25mmの設計開発を手がけている。 Pancolar 1.8/50のルーツは4群6枚構成のFlexon 2/50 (1957-1960年Praktina/Exakta用)および同一設計による後継のPancolar 2/50 (1959-1969年Exakta/M42/Exakta用)である。Pancolarは後の設計変更で口径比がF1.8となり1965-1970年まで製造され、シリアル番号8552600 (1970年生産)あたりで再び設計変更されている。この設計変更では構成を5群6枚とすることで描写性能を維持したまま放射性物質(酸化トリウム)を用いない安価な硝材に置き換えられた。この置き換えにはコストの削減以外にも2つのメリットがあり、1つは後年、F1.8の前期モデルに対して発覚した経年によガラス硝材の黄変(α線の照射が原因でおこるガラスの結晶構造の破壊、格子欠陥でブラウニング現象あるいはソラリゼーションと呼ばれている)を回避できること、もう一つは光の透過率がやや向上するため、画像の中央部から四隅にかけてコントラストの画角特性が均一にできるという点であった。ゼブラ柄のPancolar最後期バージョン(1970-1975年)と黒鏡胴のMC Pancolar (1975-1981年)にガラス材の経年黄変がみられないのはこのためである。なお、誤解してはならない点として強調しておくが、5群6枚構成への設計変更はブラウニング現象が発覚する前から計画されていたことであり、同現象が引き金になったわけではない。台帳の記録では5群6枚の新設計が完成したのは1963年5月とあるが、この時点でZeissはブラウニング現象に気付いておらず、その証拠にZeissは同年12月に同じくブラウニング現象が顕著に見られるPancolar 55mm F1.4をリリースしている。 MC Pancolar 1.8/50の5群6枚設計はMC Prakticar 1.8/50のごく初期のバージョンまで継承されるが、セカンド・サードバージョンでは採用されずPancolarの血統はここで途絶えている。
Pancolar各モデルの生産時期と生産本数をブロック形式で表した。各ブロックの面積は生産本数に比例するよう描いている。Pancolarのルーツはプロ用一眼レフカメラのPraktina、およびExaktaの交換レンズとして供給されたFlexon(フレクソン) 50mm F2で、このレンズは1957年から1960年までの3年間に19400本が生産されている。Flexonは1959年にPancolar 50mm F2へと改称され、その後1969年までの10年間で133500本が生産されている。更に1964年の再設計で口径比F1.8(4群6枚)のモデルも用意され、1965年に登場、本稿ではこのレンズを「前期モデル」と称することにする。前期モデルはM42とExaktaの2種のカメラマウントに対応し、1970年までの5年間で39420本が生産された。しかし、ガラス材に10-30%程度含有させる酸化トリウムが原因で製造時に無色透明だったガラスが後に黄色に変色する進行性の組成変化が発覚し、酸化トリウム不含ガラスを用いた別設計へのモデルチェンジを余儀なくされている。再設計後のシリアル番号8552600以降のモデル(本稿では後期モデルと呼ぶ)でガラス材に黄変がみられないのはこのためである(ちなみにFlexonとPancolar F2でも黄変はみられず、おそらく酸化トリウムは未使用のようである)。この再設計ではガラス材の性能のダウンを補うため、レンズの構成が4群6枚から5群6枚に変更されている。空気と硝子の境界面が1面増えるものの酸化トリウムを含んだガラス材よりも光の透過率がやや向上するため、デメリットはそれほど大きくはない。なお、前期モデルよりも後期モデルの方がボケの拡散が柔らかいとの世評である。これは恐らく空気レンズの導入が球面収差の中間部の膨らみ(輪帯球面収差)を効果的に叩いているためであろう。事実なら解像力も後期モデルの方が向上しているはずである。後期モデルは1970年に市場投入が始まっているが、デザインや仕様の異なる幾つかのバージョンが存在が知られている。これらは大きくわけて1970年から1975年まで生産され174280本が市場供給されたゼブラ柄鏡胴で単層コーティングのバージョンと、1975年から1981年まで生産され171008本が市場供給された黒鏡胴でマルチコーティングのバージョン(MC Pancolar)の2種に区分できる。更にゼブラ柄のバージョンには絞りリングのデザインが異なる2種のバージョンが存在し、また、黒鏡胴のバージョンにも名盤の字体やマルチコーティングの表記が異なる幾つかのバージョンが存在している。後期モデルの5群6枚設計はMC Pancolarを経て、1980年代に生産されたCarl Zeiss Prakticar 1.8/50の初期バージョンに継承されている。ただし、Pancolarの血統はここまでで、Prakticar 1.8/50のセカンド・サードバージョンからは旧Meyerのゲルリッツ工場での生産に切り替わり、設計もMeyer Oreston 1.8/50(4群6枚)のものが採用されている










Pancolar 50mm F1.8の前期モデル(1964年設計)のレンズ構成。「東ドイツカメラの全貌」(朝日ソノラマ)からトレーススケッチした。左が前群で右が後群(カメラ側)。4群6枚の典型的なダブルガウス型である

左はFlexon 50mm F2の構成図(1954年設計)。典型的なダブルガウス型(4群6枚)である。右はPancolar 50mmF1.8の後期モデルの構成図(1967年設計)である。後群に負の空気レンズを持つ5群6枚の構成である。これらの硝材の黄変はみられない



ガラス材の進歩と放射能ガラスの登場
明るく高性能なレンズを開発するには光学系全体として大きな正のパワーを稼ぎながら、同時にペッツバール和を最小にさせることが重要である。そのためには光学系の凸レンズに可能な限り屈折率の高いガラスを用いることが必要になる。こうした要求に対する最初の大きな進歩が1886年に登場したイエナガラス(新ガラス)で、ガラス材の原料にバリウムを加えることで屈折率の大幅な向上に成功したのである。ガラス材の進歩はレンズ設計の可能性を押し広げ、その直後からプロター、ダゴール、プラナー、テッサーなど重要なレンズ構成(アナスチグマート)が次々と登場している。その後、硝材の性能は1930年代に再び飛躍的な進歩をみせる。希土類金属の酸化ランタンを原料とし、低分散ながらも屈折率を大幅に向上させた新種ガラスが登場したのである。このガラスを用いて1946年に再設計されたTessar F2.8(H.ツェルナー設計)では球面収差とコマ収差の補正力が改善し、戦前のイエナガラスで設計されたテッサーF2.8(W.メルテ設計)に対し、解像力とヌケの良さで大幅な性能の向上を遂げている(Jena Review 2/1984 P.78参照)。その後、1950年代には酸化トリウムを10-30%含有させた新しい新種硝子(いわゆる放射能ガラス)が開発され屈折率は更に向上、1965年に新型レンズPancolar 50mm F1.8(前期モデル)を登場させている。しかし、硝材に含まれる酸化トリウムがα線を放射し、ガラス内の含有物の組成を化学変化させることが発覚した。このためZeissは1970年発売の後期モデルから、この種のガラス材の使用を中止し、5群6枚の新設計へと移行している。
ゼブラ柄・前期型(1965-1970年製造39420本): フィルター径 49mm, 絞り F1.8-F22, 最短撮影距離 0.45m, 重量(実測)200g, 絞り羽 8枚, 設計 4群6枚(シリアル番号8552600からの後期型は5群6枚、絞り羽根は6枚に変更), M42マウントとEXAKTAマウントの2種のバージョンが存在する。ガラス面にはZeiss所属のウクライナ人物理学者Olexander Smakula博士が1935年(特許開示は1937年)に発明した光の反射防止膜(Tコーティング)が蒸着されている








入手の経緯
本品は2008年6月にeBayを介し英国の中古カメラ業者から135ドルの即決価格にて落札購入した。商品の状態はエクセレントとの評価で「カビ、クモリ、傷はなく、僅かに若干ホコリの混入がある。絞り羽根はクリーンでスムーズに動作する」とのこと。届いたレンズは大きな問題こそなかったが、ヘリコイドリングがカチコチに重かった。当時のeBayでの相場は100ドル~120ドル程度、ヤフオクでは15000円位であった。現在は相場が若干上がっており、綺麗なものだとeBayでは150-200ドル前後、ヤフオクでは1.5~2万円程度の値段で出ている。

撮影テスト
4年半ぶりにPancolarを使ってみて、とても特徴がつかみやすいレンズだと改めて実感した。コントラストは高く、発色はコッテリと濃厚。ただし、階調には適度な軟らかさがあり絞り込んでも硬くはならない。変色したガラス材の影響で発色が黄色に引っ張られ、フィルム撮影時、特にカラーポジフィルムでの撮影時にはその影響を顕著にうける。一方、デジタル撮影ではカラーバランスの補正機能が自動で働き、発色はやや黄色い程度で許容範囲におさまる。偶然の産物とも言えるこのレンズの温調な発色にはノスタルジックな演出効果があり、ウィスキーの「熟成」にも似た組成変化をうけ完成、製造から長い年月を経ることでオールドレンズならではの描写特性を堪能できる別のレンズに生まれ変わっている。ピント部の解像力は開放から良好で四隅まで実用的な画質である。ただし、1~2段絞っても解像力の向上は限定的で抜群さには欠ける。コマやハロなどの滲みは開放からキッチリと抑えられており、前ボケ側にモヤモヤとしたものがみられる程度で、ピント部と背景はスッキリとしていてヌケが良い。逆光には弱く、撮影条件が悪いとフレア(内面反射由来)が発生し、発色が淡白になったり濁ったりもする。グルグルボケや放射ボケは激しくならず、四隅でも像が僅かに流れる程度である。開放ではポートレート撮影時に後ボケが硬く、像がゴワゴワと騒がしくなり、2線ボケもよく出る。反対に前ボケは滲みを纏いながら柔らかく綺麗に拡散する。他の一般的なガウス型レンズと同様に近接撮影では球面収差がアンダー(補正不足方向)に変化しており、近接撮影時では後ボケが柔らかく綺麗に拡散する。
このレンズは絞った時の画質の立ち上がりが鈍いので、やや大きな輪帯球面収差があるように思える。これが解像力の足を引っ張ると同時にボケ味を硬くしているのであろう。こうした傾向は今回取り上げるパンカラーF1.8の前期バージョンにみられる特徴であるが、後期モデルでは後群に空気レンズが導入され、こうした性質は改善、ポートレート域でも後ボケは柔らかく綺麗に拡散するようになっている。私は前期モデルの温調な発色の方が好みである。以下作例。

撮影機材
デジタル撮影: Sony A7(AWB)
フィルム撮影: Fujicolor SuperPremium 400 (Pentax MZ-3)
2014年3月某日午後、鎌倉・長谷にて 
F1.8(開放), sony A7(AWB): 色褪せた古いプリント写真をみているようなノスタルジックな色合いである

F1.8(開放), sony A7(AWB):  後ボケはゴワゴワと硬いが、反対に前ボケはモヤモヤとしたフレアをまといながら綺麗に拡散している。ピント部に滲みは無くヌケはよい




F4, sony A7(AWB): 2段絞ればボケは綺麗だが、開放ではこちらに示すような2線ボケ






F1.8(開放), sony A7(AWB): 2線ボケも目立つ。ゼブラ柄の後期モデルは設計変更によって導入された空気レンズが球面収差の膨らみを叩いているためか、このあたりに改善がみられ、背後のボケは柔らかいとのことである





F1.8(開放), sony A7(AWB): 開放付近でのこの温調さが気分を高揚させる。日差しの戻った暖かい春先に使うと最高にいい写りだ





F2.8, sony A7(AWB): 少し絞るとボケは大人しくなる。過剰補正型レンズの場合、少し絞ると解像力は急激に向上し素晴らしいキレを見せるのだが、このレンズの場合は可もなく不可もなく

F4, sony A7(AWB): もう少し絞るとカラーバランスはかなりノーマルに近づく






F8, sony A7(AWB):  ここまで絞り込んでも階調は適度に軟らかい
F1.8(開放)  Fujicolor SP400(ネガ): 最後にフィルムでの作例を一枚。デジタル撮影の時とはまた違った発色だ