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2012/10/22

コンタックス・ゾナーの末裔達3:Valdai Jupiter-3 50mm F1.5(LTM) and KMZ Jupiter-8 50mm F2(LTM)


結像が柔らかく、階調が軟らかいレンズと言えば、ハロやコマの影響で大抵はコントラストが低く発色は淡泊になりがちである。しかし、Jupiterシリーズはどうもこの典型には当てはまらないという印象をうける。コントラストの基本水準が高いためなのであろうか。開放付近でボンヤリとしたソフトな性格を示しながらも、コッテリとしたパンチ力のある色ノリが効き、頼りなさというものを全く感じさせないのである。

やわらかくも力強い
オールド・ゾナーの写りを手軽に楽しめる
ロシア製レンズ

シリーズ第3回はロシア製ゾナー型レンズのJupiter-3 50mm F1.5とJupiter-8 50mm F2である。これらは戦前にCarl Zeissによって開発されたSonnar 50mm F1.5(3群7枚構成)とSonnar 50mm F2(3群6枚構成)を始祖とする改良レンズである。戦前のSonnarには補正の難しい球面収差があり、開放付近では解像力の低下やハロの発生が顕著にみられたが、戦後のSonnarシリーズではガラス硝材の高性能化によって球面収差が効果的に補正できるようになり、解像力が向上、ハロも減少しコントラストが向上したことで、ヌケの良いシャープに写るレンズへと変貌を遂げている。一方、Sonnarとは腹違いの兄弟にあたるJupiterシリーズの描写には戦後のSonnarシリーズほどの洗練感はなく、そのおかげで階調描写には軟らかさが残っている。この性質は絞り込んでも失われることが無く、戦前のSonnarに近い豊饒な性格を引き継いでいるのである。シャープネスを向上させようと思えばできたはずであるが、ロシア人の美意識がそれを拒んだのか、あるいはベルテレ無き戦後の東独ツァイスから的確な支援が得られず、技術情報の不足と試行錯誤の過程によって偶然にもこのような特徴が導かれたのかもしれない。何はともあれ、やわらかい描写を優先させたことで本家Sonnarとの差別化を図ることができたのは、Jupiterにとって幸運だったに違いない。


Jupiterシリーズの兄弟レンズ達:左奥はJupiter-9, 中央手前はJupitere-3, 右奥はJupiter-8である。なお、レンズ名の由来はローマ神話の最高至上の神の名ユピテル
Jupiter-3とJupiter-8が登場したのは1950年で、設計者はKMZ(クラスノゴルスク機械工場)のロシア人技士M.D.Moltsevである。MoltsevはIndustar 50やJupiter-9の設計者としても知られている。初期のモデルは開発元のKMZが生産し、Leicaスクリュー互換のZorki(ゾルキー)マウント用と、旧Contax互換のKiev(キエフ)マウント用の2種が市場供給された。その後はZOMZ(ザゴルスク光学機械工場)やArsenal, Valdaiなどもレンズの生産に参入している。Jupiter-3は1988年、Jupiter-8は1992年以降まで生産されていた。
ロシアのカメラやレンズに詳しいSovietCamera.COMによると、Jupiter-3とJupiter-8には、それぞれ前身となるZK 50mm F1.5およびZK 50mm F2と呼ばれるモデルが存在し、1947年から1949年までKMZによって生産されていた。この頃までの光学系はSonnarのフルコピーだったという見方が強い。一方、現在KMZを傘下に持つZenitのホームページにはJupiter-3に関する貴重な記述がある。そこには、ツァイスから接収したガラスのストックが1953年に枯渇したため、Jupiter-3はロシア産の硝材に適合するようロシア国内で1954年に再設計され、リムの形状(レンズの曲率)が修正されたのだと記されている。Jupiter-3は翌1955年のモデルチェンジを境にシリアル番号がリセットされており、この時に新しい光学系へと置き換えられたものと考えられている。ただし、1949年に発効されたKMZの公式資料[1]には既にJUPITERシリーズの名称がついたレンズが登場している。これらの情報から総合的に判断すると、ZKと初期のJUPITERにはドイツ産ガラスが使われており、JUPITERシリーズは1953年に国産ガラスに適合させる再設計が施されたという判断になる。ZKからJUPITERへの名称変更は、国産ガラスを用いた再設計とはリンクしていないのだ。


[1] KMZ(ZENIT)の公式資料: КАТАЛОГ фотообъективов завода № 393(1949)





  

Jupiter-3: 光学系の構成 3群7枚, 絞り羽 13枚, 最短撮影距離 1m, 絞り F1.5-F22, フィルター径 40.5mm,重量(実測) 135g,  対応マウントはライカスクリュー(L39)互換のZorkiマウントと旧コンタックス互換のKievマウントの2種、シングルコーティング
Jupiter-3生産年表
  • 1947-1950:KMZがゾナーをベースにJupiter-3の前身となるZK 50mm F1.5を開発。Zorki用とKiev用が市場供給される
  • 1950:レンズの名称をJupiter-3に改称しKMZが生産を継続する
  • 1953: ツァイスから接収したJupiter-3用の硝材が枯渇する
  • 1954: ロシア国内で再設計される
  • 1955: シリアル番号がリセットされる。恐らく新しい光学系に変更
  • 1955-1956: KMZが生産
  • 1956-1975: ZOMZが生産を引き継ぐ
  • 1975-1988: Valdaiが生産を引き継ぐ
Jupiter-8: 光学系の構成 3群6枚, 絞り羽 9枚, 最短撮影距離 1m, 絞り F2-F22, フィルター径 40.5mm,重量(実測) 130g, 対応マウントはライカスクリュー(L39)互換のZorkiマウントと旧コンタックス互換のKievマウントの2種、シングルコーティング
Jupiter-8生産年表
  • 1947-1950:KMZがゾナーをベースにJupiter-8の前身となるZK 50mm F2を開発。Zorki用とKiev用が市場供給される
  • 1950:レンズの名称をJupiter-8に改称
  • 1950-1956: KMZがKievマウント用を生産
  • 1954-1981: ArsenalがKievマウント用モデルの生産をKMZから引き継ぐ
  • 1951-1990年代: KMZがZorkiマウント用を生産
なお、1970年代半ばにArsenalも少数だがZorkiマウント用モデルJupiter-8H(希少)を市場供給している。

入手先
Jupiter-3は2011年2月にウクライナの大手中古カメラ業者ペテルズブルグ・ディールから250㌦(送料込みの総額260㌦)の即決価格にて落札購入した。この業者は取り扱う商品の当たり外れが大きく、MINT(美品)と格付けされた商品でさえ全く油断できないことで知られている。購入した商品ついては同業者の付与する最高ランクのNEW ITEM(新品同様品)であったため、相場より高めだが迷わず購入した。JUPITER-3は劣化してしまった製品が多いので状態の良い品にはなかなか出会えない。カラーバリエーションにはブラックとシルバーの2種がありブラックモデルの方が流通量が少なく希少性が高い。製造年度が87年と記されており、88年まで製造されていた最後期の製造ロットである。現在のeBayにおける中古相場はシルバーモデルの劣化品で150㌦程度、状態の良好な品の場合には200~250ドル程度であろう。届いたレンズはガラスや外観こそ非常に綺麗な状態であったが、ヘリコイドリングの回転が重たかった。
続くJupiter-8は2012年5月にeBayを介してロシアのRUSSCAMERAから66ドルの即決価格(送料込みの合計86ドル)で入手した。状態は「新品」とのことで、レンズキャップとプラスティックケースが付いてきた。届いた個体は前玉に僅かなクリーンングマーク(拭き傷)が見られたものの、程度の良い綺麗なレンズであった。eBayでの取引相場は状態の良いもので50-70ドル程度であろう。

撮影テスト
Jupiterシリーズの特徴は何と言っても開放付近でみられる柔らかい結像、絞っても失われることのない軟らかい階調描写、そして、コッテリとした力強い色ノリではないだろうか。しっとりとした雰囲気の中にパンチ力の効いた高発色な性質が同居し、オールド・ゾナーならではの独特な描写表現を生み出すのである。
 
Jupiter-3 50mm F1.5: 開放絞り付近では解像力が低く、たいへんソフトな性格である。ハイライト部からは綺麗な滲み(ハロ)が発生し、画面全体としても薄い絹のベールを一枚被せたようなフレアっぽい写りとなる。一方、F2.8まで絞ると解像力とコントラストが向上し、スッキリとしたヌケの良い像が得られる。発色は開放付近で黄色(黄緑色?)に転ぶ傾向がみられ、絞るとノーマルになる。色ノリは開放から良好で、フレアが出るにも関わらず淡泊になることはない。絞れば濃度が増し、更に鮮やかになる。ただし、フィルム撮影では絞り込んだ際に色飽和を起こすケースがしばしばみられた。 ネガフィルム(フジカラー)との相性はとても良く、発色はノーマルである。開放付近でみられるボンヤリとしながらも色ノリのよい描写がとても印象的だ。背景のボケは穏やかで安定感があり、グルグルボケや放射ボケには無縁である。
 
Jupiter-8 50mm F2: 開放からスッキリとヌケが良く、コントラスト、色ノリともに良好だ。ハロはアウトフォーカス部にハイライト域がある場合でのみ僅かに発生する。深く絞れば解像力も向上し、シャープな像が得られる。背景のボケは僅かにグルグルと回るが、これは光学系の凹凸レンズの構成比から見ればごくあたりまえで、6枚玉のJupiter-8は凸レンズがやや過多となるため非点収差の影響が出やすいのだ。発色についてはJupiter-3と良く似た傾向を示す。


撮影機材
レンズ JUPITER-3  50mm F1.5 / JUPITER-8 50mm F2
デジタル撮影 Fujicolor X-Pro1


JUPITER-3@F1.5(開放)+ Fujifilm X-Pro1,AWB:  モヤモヤ、フワッとやわらかい結像だ。ボケも綺麗だ




Jupiter-3@F2.8 +Fujifilm X-Pro1, AWB: 少し絞ってもアウトフォーカス部のハイライト域は依然として綺麗に滲んでくれる。階調変化がなだらかなので後ボケが煩くなりすぎることはないようだ。色ノリはとても良いが、この作例では色飽和気味になっている

Jupiter-3@F1.5 +Fujifilm X-Pro1,AWB: こちらも開放でのフレアっぽい作例だが色ノリは充分によい



Jupiter-3@F1.5 +Fujifilm X-Pro1,AWB: カラーバランスが黄色に転んでいる。ちなみに室内灯は白色蛍光灯だ。アウトフォーカス部がフレアに包まれモヤモヤとしている。前ボケはとろけるように柔らかい




Jupiter-8@F2(開放)+Fujifilm X-Pro1,AWB: こんどはJupiter-8。線は細くないが開放からそこそこシャープに写る。色ノリも良好だ。フレアは開放でアウトフォーカス部にハイライトがある場合のみ僅かにでる


Jupiter-8@F2.8+Fujifilm X-Pro1,AWB: 一段絞るとコントラストが向上し、発色は更に鮮やかになる。炎天下という悪条件でも階調は硬くならないようだ

Jupiter-3@F5.6 +Fujifilm X-Pro1, AWB:  再びJpiter-3。絞ると発色はさらに鮮やかになる


Jupiter-3@F2 +Fujifilm X-Pro1, AWB: 僅かにピントを外すと柔らかく印象的に写る。今の場合、ピント部は赤ちゃんの側に置いている。階調がなだらかで美しい

Jupiter-3@F1.5 +Fujifilm X-Pro1, AWB:




Jupiter-8@F5.6+Fujifilm X-Pro1、AWB: Jupiter-8も絞り込めばこの様に高解像な写りである







「ソフトで色鮮やか」。やはり、この特徴こそがオールド・ゾナーの長所ではないだろうか。マイルドなやさしいフレアの中からガツンとインパクトのある高発色な被写体が浮かび上がる様子は、空気との境界面が少ないシンプルな設計のゾナーだからこそ実現できる大技だ。古いダブルガウス型レンズもコマ収差によってソフトな味を引き出せるが、こんなにも高発色にはならないし、現代のダブルガウス型レンズでは高発色な性質と引き換えに、フレアっぽいソフトな結像が得難くなっている。

2012/08/21

コンタックス・ゾナーの末裔達2:LZOS MC Jupiter-9 85mm F2 (M42)

ロシア製ポートレートレンズの中で絶大な人気を誇るのが今回取り上げるJupiter-9(ユピテル9/英語名はジュピター9)である。レンズが登場したのは1950年で、Carl ZeissのContax版Sonnar(3群7枚構成・85mm F2)をベースに設計された。巷ではSonnarをそのまんまコピーしたレンズと誤って解釈される事が多いが、厳密にはSonnarを再設計した改良レンズである。記録にはこのレンズの初期のモデルにZK-85というコードネームのプロトタイプが存在し、ドイツ産のガラス硝材が用いられていたと記されている。このプロトタイプはまさにSonnarの完全なコピーであったと推測できる。モスクワ生まれのロシアン・ゾナーがツァイスのオリジナル設計を離れ、独自の進化を遂げ始めたのは、いつの頃だったのであろうか?

安くてよく写るロシア製レンズの魅力を
世に広めた銘玉ユピテル9

第2次世界大戦の戦勝国として旧東ドイツを占領したロシア(旧ソビエト連邦)は、カール・ツァイスの技術力を手に入れ、自国のカメラ産業を発展させた。Zeissが戦前から保有していた発明特許は戦勝国同士の取り決めにより無効化され、戦後のロシアではビオター、ゾナー、ビオゴン、フレクトゴンなどカールツァイスブランドのコピーレンズがロシア製品として次々と生み出されていった。ツァイスのイエナ工場が保有していた設備はマイスター(レンズ設計技師)と共にその一部がモスクワ近郊のKMZ(クラスノゴルスク機械工場/Krasnogorski Mekhanicheskii Zavod)へと移され、マイスター達には原則5年、ロシアでレンズの設計や生産に関わる技術指導の義務が課せられた。それから間もなくのことである。ZeissのW.Merte(メルテ)が設計したBiotarはBTK(Biotar Krasnogorsk)に姿を変え、L.Bertele(ベルテレ)が設計したSonnarとBiogonはそれぞれZK(Sonnar Krasnogorsk)とBK(Biogon Krasnogorsk)、H.Zollnar(ツェルナー)のFlektogonはFK(Flektogon Krasnogorsk)へとロシアの地で造り変えられていった。いわゆるツァイス製品を模したロシア製コピーレンズの原点である。これらの多くは光学系の一部または全部にドイツ産のガラス硝材(Schott社から接収したもの)が用いられており、FKを除き戦前からのイエナガラスに頼る設計であった。そこで、技術指導を受けたロシア人技師達はレンズを次々と再設計し、ロシア国内で量産可能な新種ガラスを用いた設計へと変更していった。その後、BTKはHelios(ヘリオス), BKとZKはJupiter(ユピテル), FKはMIR(ミール)へと改称され、ロシア各地の工場で大量生産されるようになった。今回取り上げるJupiter-9(ユピテル9)もそうした類のレンズで、KMZの設計者M.D.Maltsevが1940年代後半に焦点距離85mmのSonnar(あるいはZK-85)を再設計し、1949年に発売された大口径中望遠レンズである[文献1]。Maltsevは有名なテッサー型パンケーキレンズのIndustar 50を設計した人物でもある。JupiterシリーズにはJupiter-3 1.5/50, jupiter-8 2/50, Jupiter-9 2/85など戦前のコンタックス版ゾナーを起源とする3種のレンズが存在し、設計はいずれもMaltsevと記録されている。生みの親が同じなので「ロシアのユピテル3兄弟」と言ったところであろうか。

参考文献1: KMZ(ZENIT)の公式資料: КАТАЛОГ фотообъективов завода № 393(1949)

ロシアンゾナーのユピテル3兄弟。後列左はJupiter-9 85mm F2(Contax-Kiev mount)でLZOS製, 中央手前はJupiter-3 50mm F1.5(Leica-Fed L39 mount)でValdai製, 後列右はJupiter-8 50mm F2(Leica-Fed L39 mount)でKMZ製となる。なお、レンズ名の由来はローマ神話の最高至上の神の名ユピテルである。



Jupiter-9の光学系のスケッチ(G.O.I. 1970 catalogよりトレースした)。ソビエト製レンズに詳しいSovietCams.COMによると、Jupiter-9の前身はKMZが1948年から1950年まで生産したZK-85というレンズであり、このモデルには光学系の一部あるいは全部にドイツ産のガラスが用いられていたと記されている。硝材が同じなら屈折率が同じになり、Sonnarと同一の設計も実現可能である。こうしたことから、ZK-85はSonnarのオリジナルと同一設計である可能性が高い。一方、現在KMZを傘下に持つZenitのホームページにはショット社から接収したドイツ産の硝材(イエナガラス等)のストックが1953年に枯渇してしまい、Jupiterシリーズにはロシア産のガラス硝材に置き換える再設計(リム形状の変更)が施されているとも記されている。これらの断片情報を統合するならば、ロシア製ゾナーがツァイスのオリジナル設計を離れ独自の進化を遂げ始めたのはZK-85よりも後のJupiter-9リリース時から、あるいは1955年前後のモデルチェンジからということになる

Jupiter-9は1950年にKMZ社が発売し、まずはLeicaスクリュー互換のZorki(ゾルキー)マウント用と旧Contaxマウント互換のKiev(キエフ)マウント用の2種が市場供給された。更に1951年には一眼レフカメラのZenit用(M39マウント)が、やはりKMZから登場している。初期のモデルはどれもシルバーカラーのアルミ鏡胴モデルである。なお、レンジファインダー機向けに造られたZorki用とKiev用のモデルは最短撮影距離が1.15mであるのに対し、Zenit用のモデルでは光学系が同一のまま0.8mに短縮されている。KMZは1950~1957年にJupiter-9を複数回モデルチェンジ(マイナーチェンジ)しているが、1958年にレンズの生産をLZOSとARSENALに引き継ぎ、ムービーカメラ向けのAKS-4マウント用など新モデルを追加投入する場合を除いて基本的にはJupiter-9を造らなくなっている。LZOSからは1958--1988年にZorkiマウント用とKievマウント用が生産され、その後、対応マウントのラインナップはM39マウント用(1960年代)、AKS-4マウント用(1960年代~1970年代)、1970年代からはM42マウント用にまで拡張されている。1980年代半ばからガラス表面にマルチコーティングを施したモデルが従来の単層Pコーティング(Pはprosvetlenijeの意)を施したモデルに混じって造られるようになり、その割合が少しづす増えていった。一方、Arsenalからは1958--1963年にKievマウント用が生産され、その後は1970年代にKiev-10/15マウント用などが生産されている。なお、1963年からは各社ともJupiter-9のカラーバリエーションにブラックを追加し、その後、シルバーカラーは1968年に製造中止となっている。最後まで生産されたモデルは今回紹介するLZOS製のM42マウント用で、ごく最近に製造されたものとしてはeBayで2001年製の個体を確認している。また、Blog読者の方からは2002年製の個体を入手したとの情報もいただいている。この最終モデルも現在は製造中止となっている。MC Jupiter-9の新品を販売していたロシアの通販店(例えばこちら)でもオールドストックの在庫が底をついたようで、現在は中古品のみを販売している。それに連動し、eBay等の中古市場では取引価格が急騰している。
フィルター径:49mm, 絞り羽:15枚, 質量(カタログ公称値):380g, 焦点距離:85mm(精密値84.46mm), 最短撮影距離:0.8m, 解像力:中央33 LINE/mm, 周辺部: 18 LINE/mm, 光透過率: 0.85,マウント規格はM42, 本品はLZOS(ルトカリノ光学硝子工場)が生産したjupiter-9シリーズの後期型である


入手の経緯
今回はJupiter-9の撮り比べをしたいという都合があり、製造年代の異なる3本の個体を入手した。このうちの一本はガラス表面に多層光反射防止膜(マルチコーティング)が施された1993年製のMC Jupiter-9で、2011年11月にウクライナ最大手の中古カメラ業者ペテルズブルグ・ディールから180ドル+送料15ドルの即決価格で購入した。商品についてはMINT ITEM(美品)との触れ込みで「ガラスはクリアでクリーン。傷、カビ、クモリはなく全エレメントがクリア、絞りコントロールとヘリコイドリングは正常。フォーカスは精確」との解説であった。同業者と100件以上の取引歴がある知人によるとNEWと記された商品以外は要注意とのことであったが、手元に届いた品はチリやホコリすらほとんどない極上品であった。MC Jupiter-9は最近になって新品(オールドストック)の在庫が底をつき、人気商品ということもあり、中古相場は急激に上昇してしまった。eBayでは状態の良い品が200ドル弱の値で取引されている。



撮影テスト1:デジタル撮影
カメラ Nikon D3 digital+ハクバ製ラバーフード(補正レンズ無しアダプターを使用)
Jupiter-9の持ち味は美しい階調描写と安定感のある整ったボケであろう。ゾナータイプならではの穏やかで優雅な描写力を大いに堪能できる魅力的なレンズだ。前エントリーで取り上げたContarex版Sonnarは開放絞りからキッチリとシャープに写るレンズであったが、Jupiter-9はこれとは対照的で開放で像がややソフトになるのが特徴である。絞りを開けるとハイライト部の周囲にはハロが発生し、画面全体に薄いベールを一枚被せたようなフレアっぽい写りになるなど、開放では使いこなす場面がやや限られてしまうものの、少し絞るとかなり良く写るレンズへと一変する。1段絞るF2.8ではフレアが消え、ピント部のハロも目立たなくなる。F4まで絞るとアウトフォーカス部のハロも消え、全体にヌケの良い像が得られるようになる。スッキリとした像を望むならばF2.8、あるいはF4からが実用域となるだろう。コントラストは開放で低く、一段絞ると急に高くなり、そこから先は絞るほど緩やかに向上する。ただし、深く絞る場合にも中間階調は依然として豊富で、軟らかい階調描写が損なわれる事はない。発色は開放で淡く、一段絞った辺りから急に鮮やかになり、コントラストの向上と共に濃厚になる。ただし、黄色に転ぶ傾向があり、フィルムで撮る場合には撮影結果が温調な雰囲気に包まれる。デジタルカメラで用いる場合にはAWB(オートホワイトバランス)機能による補正が働くため、カラーバランスはフィルム撮影時よりもノーマルだが、依然として温調寄りの発色傾向は残っている。アウトフォーカス部の像は常に安定しており、グルグルボケや放射ボケ、2線ボケとは無縁の穏やかなボケ方である。ボケ味については前回のコンタレックス版ゾナーにも同様の傾向が見られたが、同クラスのダブルガウス型レンズのようなブワッと力強く拡散するようなものではなく、やや控えめのフワッとしたボケ方となる。例えるなら羽毛のようなボケ方をするダブルガウスに対して、jupiter9では少しボリューム感のある綿のようなボケ方に見える。ゾナー好きの方々はこの辺りをどう捉えているのだろうか。なお、手元にある何冊かの資料本では、Jupiterシリーズ(Jupiter-3/8/9)の描写について、本家ゾナーに比べて結像が柔らかくソフトで、絞り込んだ時の階調も軟らかいと評されている。
F2.8 Nikon D3 digital(補正レンズ無しアダプター使用), AWB: 開放ではハロやフレアが発生し像もソフトでコントラストは低下気味になるが、一段絞るとコントラストが急に上がり、ピント部はシャープになる。こちらに開放絞りとF2.8における比較写真を掲示しておく。ボケも綺麗でゾナーらしい素晴らしい描写力である。定評のあるレンズであることがよくわかる

F4  Nikon D3 digital, AWB: 2段も絞ればハロやフレアは完全に消え、ヌケのよいスッキリとした像になる


F4 Nikon D3 digital, AWB: このレンズは階調描写が大変美しく、濃淡の変化がなだらかだ



F2.8  Nikon D3 digital, AWB:  一段絞ったF2.8でもアウトフォーカス部は依然として滲み、オールドレンズらしい柔らかい描写表現が可能だ




F4  Nikon D3 digital, AWB: マルチコートのレンズらしく、発色は鮮やかで色のりは良好
F2.8, Nikon D3 digital, AWB:  ボケがきれいすぎて絵画に見える。ある意味ですごいレンズだ
F2.8Nikon D3 digital, AWB:  ........。
F2(開放)Nikon D3 digital, AWB:  絞り開放ではコントラストの低下から発色が淡くなりがちだが、ややアンダー気味に撮れば色濃度が上がり、見た目には悪くない画質だ
撮影テスト2:フィルム撮影
カメラ Yashica FX-3 super2000+ハクバ製ラバーフード
フィルム Kodak ProFoto XL100
フィルム撮影での描写とデジタル撮影での描写が、これほどまでに大きく変わるレンズも珍しい。ネガフィルムを用いた撮影の場合、階調描写は総じてデジタルの時よりも軟らかくトーンがやさしくなり、私の思い描いているゾナー系レンズの描写イメージにより近くなる。この美しい階調描写こそがゾナーの真価ではないだろうか。ジュピター9のようなゾナー系レンズの光学系には硝子同士の貼り合わせが3~4面もあり、他のレンズには無い大きな特徴になっている。この大量の貼り合わせ面が光学系全体に弱い内面反射光を緩やかかつ均一に送り届け、豊かな中間階調を生み出しているというのがゾナーに対する私の見方だ(もちろん根拠は無いので突っ込み所ではあるが、敢えて言い切ってしまうのは私の性分からだ)。発色はフィルム撮影の方がデジタル撮影よりも黄色に転びやすく温調である。おそらくフィルム撮影の方が本来の色であり、デジタル撮影ではオート・ホワイトバランスの影響でノーマルな発色に補正されるためであろう。

F2.8 銀塩撮影 Kodak ProFoto XL100: このとおりにフィルム撮影の方が発色はより黄色に転びやすい
F4 銀塩撮影 Kodak ProFoto XL100:うーん。やはり、フィルム撮影時の方が階調描写は軟らかい印象を受けるが、いかがであろう
F4 銀塩撮影 Kodak ProFoto XL100: 結像は柔らかく階調も軟らかいが、ソフトフォーカスレンズのようなエフェクト的なやわらかさではなく、写真レンズとして許容できる最低限の解像力をきちんと備えた上での天然のやわらかさだ。こういう写りを提供できるレンズはこれからますます貴重な存在になるのではないだろうか

描写力に個体差はあるのか?
Jupiter-9の描写力には大きな個体差(当たり外れ)があると噂されている。こうした噂は一人歩きをしながら、これから購入を検討している人々を大いに悩ませる。根拠が示されてない以上は単なる迷惑でしかない。この種の噂はロシア製品の品質に対する偏見から生まれている可能性も大いに考えられるので検証しておく必要がある。以下では製造年代の異なる3本のJupiter-9を用いてシャープネスとコントラストに個体差があるのかどうか、肉眼による検査を試みた。検査に用いた個体は1986年製のシングルコーティング版が1本、1990年製と1993年製のマルチコーティング版がそれぞれ1本ずつである。光学系の状態は1986年製と1993年製の2本が新品同様、1990年のものには前玉の周辺部に写りには影響のない極薄い汚れ(メンテ時の拭きムラ?)がみられた。下に示した作例に対して3本のレンズを絞り開放のまま同一条件で使用し、中央部の拡大画像を比較することで描写力に差があるかどうかを検証してみた。


なお、撮影テストは同一条件で2回実施し、2回のテストはカメラを三脚に再設置し、レンズをマウントし直すところからはじめるなど、多少面倒ではあるが撮影条件に左右されない試験結果を得ることができるよう配慮している。ピント合わせはライブビューの拡大機能を用いてジックリと時間をかけて行っている。3本のレンズの比較から最もメリハリのある結果が得られたのは1993年のマルチコーティング版(最下行)で、2回のテストともコントラスト性能はトップの成績となった。一方、解像力ではシングルコーティングの1986年製と1993年製が2回のテストともに良好な結果を示し、1990年製はややぼんやりとした像になった。興味深いのはハロの出方で、白文字のロゴの滲み方がレンズごとに異なるのである。1986年製と1990年製の2つのモデルでは右斜め上方に滲んでいるのに対し、1993年製は左斜め上方へと滲んでいる。レンズの中央部で撮った像なので、滲み方は等方的になるのが理想だが、3本のレンズはどれも光軸が僅かにずれているのかもしれない。ちなみに、ゾナーのような3枚接合を持つレンズの場合には光軸合わせ(芯だし)に高い精度の製造技術が必要であることが知られている。


上に示した比較検査からJupiter-9の描写力(解像力、コントラスト、ハロの出方)には肉眼でも識別できるハッキリとした個体差(当たり外れ)が検出できた。この個体差からロシア製品の品質について高いだの低いだのを評価することはできない。それには、日本製レンズやドイツ製レンズを用いて相対的に評価する比較検査が必要になるためだ。なお、この滲みは各個体とも一段絞るF2.8で完全に消える。

MC Jupiter-9は値段のわりによく写るコストパフォーマンスの高いレンズだと思う。開放では像が甘く、使い道は限られてしまうが、F2.8からの描写力については個体差なんてなんのその。ゾナーの優れた描写力を充分に楽しむことができる。3群7枚のゾナータイプはドイツ製や日本製なども存在するが、どれも中古市場では高価なので、ゾナーの写りを安く手に入れたいならばMC Jupiter-9はオススメの一本だ。ところで、いつも疑問に思うことだがJupiter-9の9番のように、ロシア製レンズのブランド名の後ろにつく番号はどうやって決まっているのだろうか?どなたかご存じの方がおりましたら、ご教示いただけると幸いです。


2012/07/26

コンタックス・ゾナーの末裔達1: Zeiss Ikon, Carl Zeiss Sonnar 85mm F2(Contarex version) modified M42


収差を使って収差を封じる。そんな反則な!

ツァイス・イコン最後の怪物

コンタレックスの眼玉

Zeiss Ikon社のルードビッヒ・ベルテレ(Ludwig Jakob Bertele)[1900-1985]が戦前に発明したSonnar (ゾナー)は、コーティング技術が実用化されていかった時代に、空気境界面を徹底的に減らすことで内面反射光を抑さえ、高コントラストな画像を得ることを可能にした画期的なレンズであった。レンズは光学系に貼り合わせ面を多く持つのが特徴で、トリプレットを設計の原点に据え僅か3群の構成を貫きながら、大口径を実現している。数あるSonnarシリーズの中でも旧西ドイツのZeiss Ikon社が戦後に開発した85mm F2のモデルは戦前にBerteleが設計したオリジナルの流れを汲み、一眼レフカメラの時代にも生き残った特別な存在で、同シリーズの中で最大の口径を誇るKing of Sonnar(キング・オブ・ゾナー)といった位置づけである。このレンズは1958年に登場した旧西独Zeiss Ikon社の超高級一眼レフカメラContarex(コンタレックス)に搭載され、1958年から1973年までの15年間で7585本が生産されている。しかし、Contarexがあまりにも高価なカメラであったため実用性に乏しく、カメラもろともプロフェッショナルユーザーには広まらなかった。
今回取り上げるContarex用Sonnar 85mm F2は旧西ドイツで戦後に再建された新生Zeiss Ikon社が総力を挙げて開発した最高級の大口径中望遠レンズである。新種ガラスを用いて戦前のコンタックス版Sonnarを再設計し、解像力とヌケの良さを向上させている。高いコントラスト性能と鮮やかな発色、開放付近でのなだらかな階調描写、絞った時の高いシャープネス、安定感のある美しいボケなど、非の打ち所ない優れた描写力に対して「コンタレックス・ゾナーこそ史上最高のレンズ」と今も称賛の声は絶えない。製造から半世紀もの年月が経過しているというのに・・・。

ゾナーというレンズの名称が何を由来としているのか実のところハッキリとはしていない。ドイツ語のSONNE(太陽)を由来にしているという説とZeiss Ikon社の設立母体となったコンテッサ・ネッテル社で既に生産されていたSonnarの工場がSonthofen(ゾントホーフェン)市の郊外にあった事に由来にしているという2つの説が有力視されている(「プロ並みに撮る写真術II」日沖宗弘著勁草書房1993年








TripletからSonnarへと続く進化の経緯
SonnarはZeiss Ikon社のBerteleが改良を重ね、ほぼ1人で発明したレンズである。その原点となったのはCooke社のDannis Taylorが1894年に開発したTriplet(上図の最左列)である。Tripletは僅か3枚の構成でサイデルの5収差を全て補正できることから世に広まったが、光学系のバランスが凹1枚+凸2枚と悪く、強い凹レンズを用いても非点隔差による周辺画質の悪さ(広角部の解像力やグルグルボケ)を十分に改善できないため、画角を広げるには限界があった。しかし、新色消しレンズとは無縁であることが幸いし、中央部の解像力はテッサーよりも高く、画角の小さな長焦点レンズには依然として有用な設計であったため、後に様々な改良が試みられた。その一つがTripletの最前部(第一レンズ)を2枚に分割し大口径化を実現したErnostar 100mm F2(上図の左から2列目)である。このレンズは1922年に当時Erneman(エルネマン)社に在籍していたBerteleとKlughardt (クルーグハルト)が発明し、世界で最も明るいレンズということで話題となった。Ernostar(エルノスター)というレンズの名称には「エルネマンの星」という意味が込められている。このレンズもTriplet同様、周辺画質に大きな課題をかかえていたため、Berteleらは引き続きErnostarrの改良を重ね、様々な設計バリエーションを開発している。中でも1924年に開発したErnostar 100mm F1.8(上図の左から3列目)はイエナガラスを用いて第2レンズを3枚の接合レンズに置き換えた異様な姿をもつ進化形で、後にBerteleが発明するSonnar(上図・最右列)の直接の祖先と言われている。この種の3枚接合を持つレンズは芯出しの難しさから高い精度の製造技術が要求されるなど、当時としては難易度の高い設計であったが、空気境界面を減らしコントラスト性能を向上させながら、同時に広角部の画質(ペッツバール和)を改善することもできたため、効果は絶大であった。この後にBerteleは3枚接合部を前群のみならず後群にまで配置した過激なレンズ構成を考案し、Sonnarとして世に送り出している。Sonnarはまず1931年に後群を2枚接合にした50mm F2のモデルがContax用として発売され、翌1932年には後群を3枚接合にした大口径版の50mm F1.5、更に翌1933年には後群が2枚接合で画角を85mmに抑えたF2モデルの高描写版で、最大口径を誇る85mm F2のモデルが追加発売されている。85mm F2のモデルは戦時中の再設計で後群がF1.5のモデルと同じ3枚接合へと変更され、画角的にも口径比的にもSONNARシリーズの高描写版という位置づけで再リリースされている。コーティング技術がまだ実用化されておらず、レンズの設計に自由度が乏しかった時代に、このような巧みな貼り合わせを組み込んで設計に独自性が発揮されていることで、ベルテレは天才的な設計者と評されている。今回ブログで取り上げるContarex用ゾナーは、Berteleがイエナガラスを用いて戦時中に設計した85mm F2のモデルを戦後の1951年に新種ガラスを用いて再設計した改良レンズである(特許の開示は1952年1月)。なお、Erneman社は1926年にBerteleもろともZeiss Ikon社の設立母体として吸収合併されている。

重量(改造品の実測)465g, 最短撮影距離 約0.7m, フィルターはバヨネット方式(特殊規格), 絞り羽 9枚構成, 絞り値 F2-F22, 光学系の構成は3群7枚, カラーバリエーションはシルバーとブラックの2種がある。ebayでのレンズの相場(2012年)はおよそエクセレントコンディションの個体で1200ドルから1300ドル。MINTコンディション(美品)の個体では1500ドル以上で取引されている。

Contarex用Sonnar 85mm F2の設計。凹レンズを赤、凸レンズを黄緑で着色している。光学系は一見すると凸レンズが凹レンズよりも1個分多く、バランスが少し崩れているようにも見えるが、実は第2群の真ん中に挟まれている凸レンズは前後のガラスよりも屈折率の低いガラスなので、実質弱い凹レンズとなる。この点までも考慮すると、ゾナーは凹凸成分のパワーバランスが非常に良い設計である事が理解できる。光学系は3群7枚構成で、空気とガラスの境界が僅か6面しかなく、硝子同士の貼り合わせが4面もある異様な姿をしている。この光学設計に萌えるユーザーも多く、3群構成のゾナーは今も絶大な人気を誇る

撮影テスト
キャノンのレンズ設計者が書いた「レンズ設計のすべて」(辻定彦著、電波新聞社発行 2006年)には3群構成のゾナーについて詳細に記された一説がある。著者はゾナーの光学系について、同一仕様のダブルガウス型レンズに比べコントラスト性能では凌駕するが、解像力では一歩及ばないと述べている。
ゾナーの光学系には空気とガラスの境界が6面しかなく、これは高いコントラスト性能を誇るテッサーと同数である。コントラストを低下させる原因であるゴーストやハレーションは主に空気とガラスの境界面で多く発生するが、ゾナーにはこの境界面が少ないうえダブルガウス型レンズと比べてコマフレア(サジタルコマ)が出にくい特性を持つことから、コントラスト性能は非常に高く、発色は鮮やかである。テッサーとの格の違いを感じるのは開放絞りの付近(F2-F5.6)でみられるなだらかな階調描写であろう。光学系の構成図から明らかなように、ゾナーにはレンズ同士の貼り合わせ面が4面もあり、これらで発生する弱い内面反射光が光学系の隅々へと緩やかかつ均一に蓄積される。この独特の機構が絞りを開けた際には活発に機能し、豊富な中間階調を生み出すとともに階調の硬化を防止し、高コントラストでありながらも軟らかい表現を維持できるゾナーならではの特異な描写力を実現させている。一方、F5.6よりも深く絞り込むと内面反射光の減少により階調の硬化がすすみ、テッサー同様に鋭くシャープな描写へと変貌する。
解像力は同クラスのダブルガウス型レンズに一歩及ばない。これは、ゾナーに特有の補正の難しい球面収差(5次の球面収差)があるためである。この難易度の高い収差を攻略するために、Berteleは自らあみ出した独創的な収差補正法を実践している。それは、後群に大きく湾曲したストッパー面と呼ばれる貼り合わせ面(上図参照)を設け、ここから負の球面収差を故意に発生させて、先の5次の球面収差と相殺消去させるというものである。「毒をもって毒を制す」とまで評されたこの過激な補正法は、ろくにレンズ設計の教育を受けないままErnostarを開発してしまったBerteleだからこそ成し得た、型破りな設計技法だった。この補正法によりSonnarの画質は更に向上している。球面収差に球面収差をぶつけることで、ゾナーの描写力は高いところでバランスしてしまったのである。
なお、古いイエナガラスを用いて設計された戦前のゾナーは開放付近でハロやフレアが発生しやすく、色収差も目立っていたが、戦後に新種硝子を用いて再設計されたコンタレックス・ゾナーでは非点収差が大幅に改善し、球面収差もやや改善。ハロはほぼ完全に抑制され、ヌケがよくなり、解像力も向上している。コンタレックス・ゾナーは設計構成のバランスが良好で包括画角にも無理がないことから、大口径レンズによくあるグルグルボケや放射ボケとは全く無縁であり、周辺部まで安定した穏やかで美しいボケが得られている。ボケ味はダブルガウス型レンズのようなブワッと拡散する羽毛のようなボケではなく、どこかウェットで重量感のある綿のようなボケ方だ。発色はノーマルで癖などはない。
ゾナーは元々、近距離における収差変動が大きい設計のため、マクロ域の近接撮影は苦手なレンズのはずである。しかし、本レンズは最短撮影距離が0.8mと普通に寄れる設定になっている。これはどういうことなのかと開放絞りで近接撮影によるテストを多数試みたが、像が乱れたりハロがでたりということは一切なく、描写は常に安定していた。光学系の性能的に本来は50mm F1.5を狙えるレンズなので、新種ガラスを導入しながら設計仕様を85㎜ F2と控えめに抑えたContarex Sonnarは、画角的にも口径比的にもかなり余裕があるレンズなのであろう。こうした設計面での余裕が近接域での高い描写力につながっているだろうと思われるが、裏を返せば描写設計にこれくらいの余裕がなければZeissの最高級レンズとしては失格だったとも解釈できる。以下作例。

撮影機材
カメラ:Nikon D3 digital
レンズ:Carl Zeiss Sonnar 85mm F2(改M42 modified from Contarex mount)

F2  Nikon D3 digital AWB: ハロやフレアが全く出ない!。戦前のゾナー、ジュピター9 etc・・・。私の知っている他のゾナー型レンズ(85mm F2)には開放でここまでキッチリと写るレンズは無い。見事としかいいようがない 
F4 Nikon D3 digital, AWB: ギラギラとした晴天下での撮影にもかかわらず階調描写はとてもなだらかで黒潰れはない。コントラストは高く、発色は鮮やかで色のりは大変良い
F4 Nikon D3 digital AWB: 逆光でのショット。フードは装着していないもののハレーションやゴーストが出る気配は全く無い。逆光に強いレンズという印象を持った
F2 Nikon D3 digital AWB: 中間階調が豊富でシャドー部のねばりやハイライト部ののびが素晴らしい
F2.8 Nikon D3 digital AWB: こちらも背景の濃淡がなだらかに変化している 
 F2(開放) Nikon D3 digital こういうシーンを戦前設計のゾナーで撮影すると、ハイライト部からは必ずフレアがでるのだが、改良版のコンタレックス・ゾナーではそういうことが一切ない
F8 Nikon D3 digital AWB:  絞り込めば硬階調となり、近接撮影においてもメリハリのあるシャープな像が得られる

F8 Nikon D3 digital, AWB: こちらは最短撮影距離での作例。コンタレックス・ゾナーは非点収差がポートレート域で最小になるようチューニングされている。ならばボケ味が乱れるのは近接域以外には考えられないと待ち構えていたが、結果は前ボケ・後ボケともに良く整っており、像の乱れは全く見られなかった
少し前に取り上げたCarl Zeiss JenaのCardinarは本ブログでは初めてのゾナー型レンズ(3群構成)となりました。このレンズを手にして以来、ゾナーの描写力、特に階調描写の素晴らしさに魅了されてしまいました。これからもゾナー型レンズを紹介していこうと思いますので、とりあえずはロシアのJupiter-3/ 8/ 9を入手してあります。これ以外にも是非これはというゾナータイプ(3群構成)のレンズがありましたら、ご紹介いただければ幸いです。

2012/03/15

Carl Zeiss Jena Cardinar 85mm F2.8 M42改(converted from Pentina mount)

悩ましいPentinaマウント
デジタル時代の未踏峰
Zeiss Jenaでも造られていたゾナー85mmの末裔
Carl Zeiss Jena Cardinar 85mm F2.8
Zeiss Ikon社のルードビッヒ・ベルテレが戦前に発明したSonnar(ゾナー)は、コーティング技術が実用化されていなかった時代に空気境界面を徹底的に減らすことで、内面反射光の蓄積を抑え、高コントラストな画像を得ることを可能にした画期的なレンズであった。レンズの光学系は貼り合わせ面を多く持つのが特徴で、トリプレットを設計の原点に据え、僅か3群の光学構成を貫きながら大口径を実現している。数あるSonnarシリーズの中でも旧西ドイツのCarl Zeissが戦後に開発した85mm F2のタイプはベルテレのオリジナル設計であるContax用Sonnarの流れを汲み、戦後の一眼レフカメラの時代にも生き残った特別な存在で、同シリーズの中で最大の口径サイズを誇るKing of Sonnar(キング・オブ・ゾナー)といった位置づけである。このレンズは1958年に登場した旧西独Zeiss Ikon社の超高級一眼レフカメラであるContarex(コンタレックス)に搭載されている。高いコントラスト性能と鮮やかな発色、バランスの良い設計構成から生み出される美しいボケなど、Sonnar 85mmは非常に優れた描写力を持つことで知られる。このContarex用Sonnarに兄弟レンズがあることを知る人は、Zeissのマニアにも数少ないのではないだろうか。旧東ドイツに拠点を構えていたもう一つのZeiss(人民公社Carl Zeiss Jena)が1960年に世に送り出したCardinar 85mm F2.8である。まずはレンズの構成図を見ていただきたい。
Cardinar 85mm F2.8の光学系: 「東ドイツカメラの全貌」(朝日ソノラマ)に掲載されていた構成図をトレーススケッチした。構成は3群6枚となる。空気と硝子の境界面が少なく、内面反射光が蓄積しにくい優れた設計を持つ。コントラスト性能で押しまくる、ガツンとインパクトのあるシャープネスが期待できそうだ。凹レンズと凸レンズの構成比は2:4で凸が過多となり、一見バランスが大きく崩れているようにも見えるが、3枚接合の中央部のエレメントには低屈折率の硝子が用いられバランスを改善させる働きがあるので実質的なバランスはこれよりも良いはずで、凸レンズに高屈折率のランタン系新種ガラスを用いれば非点収差はそれほど深刻にはならないと思われる(レンズに貼り合わせ面がある場合のペッツバール和は、どうやってもとめるのだろう?)。85mmの長焦点レンズであることを考慮すれば周辺画質はむしろ良好で、グルグルボケも僅かで済むと思われる
かの有名な3群Sonnarの末裔であることは誰の目にも明らかであろう。光学系の設計図を眺めニヤニヤと過ごす私にはヨダレが出るほど魅力的な構成である。Cardinarシリーズを設計したのはErich Finckeという設計者で特許も出ている(参考文献[1-2])。King of Sonnar同様、新種硝子を導入し、戦前のSonnar 85mm F2を改良、弱点を大幅に克服しているはずだ。こんなレンズが共産圏でちゃっかりと世に送り出されていたのかと思うと、ムラムラと情熱が込み上がってきた。天下のCarl Zeissの名を冠し、非常に魅力的な設計構成を持つ大口径レンズでありながら、今日まで完全にノーマーク。まるで足下をすくわれたかのような悔しい気分にさせられた。このレンズはVEB PENTACON社のPentinaというマイナーなレンズシャッター式一眼レフカメラに搭載する交換レンズとして、1960年から1965年の間に3000本が計画生産された。フランジバックが長いため、どうにかしてやれば物理的には一眼レフカメラにフィットさせることができる。しかし、かなり特殊なマウント規格であり、マウント部の隅には光の漏れ込む穴も空いている。また、絞り羽の開閉もカメラの側から連動ピンで制御するという特殊な機構のため、レンズ側の絞り冠が省かれている。こうした事情により、アダプターによるマウント変換が絶望視されていたのである。現在までの所、デジタルカメラによる作例はWeb上をくまなく探しても見つからない。しかも、一つも見つからないのである。デジタル一眼カメラの時代が到来し10年以上の歳月が経過した。CardinarはZeiss系列のレンズの中で、現在まで全く手つかずのまま取り残されていた、デジタル時代最後の処女峰となるであろう。そこに山があるから登るのさ・・・
どうしても私のデジカメにマウントしてみたい!!!(←誰か!この人、変態です)

気づいたらeBayでポチッと購入していた。どうしましょう。


やけくそ
Zeissの信者でもない私が、どうしてこんな人柱みたいな行為に走らなきゃならんのか自分でも理解に苦しむが、手に入れてしまったのだから改造するしかない。レンズのマウント部を観察していると、改めてアダプターの流用が不可能であることを思い知らされた。こうなったら、マウント部を全て取っ払い、何とかするしかない。以下、手探りによる改造手順だ。
1 ネジ(赤の矢印3か所)を外しマウント部を取っ払う
2  絞りを制御するためのバネを除去する。バネを抑えているネジをドライバーで外せばよい


Cardinarは絞りの開閉制御をカメラの側から行う連動機構を持ち、絞り冠が省かれている。マウント部の近くにはカメラの側から絞り値の情報を伝えるフックがついている。これを取っ払いフックの代わりとなる新たな制御機構を用意する必要がある。さんざん試行錯誤した結果、DKL-M42マウントアダプターを流用するという挑戦的なアイデア(?)を思いついた。 このアダプターは絞り冠を内蔵しており、これに連動させるというアイデアだ。そんなことできるのだろうか・・・。やってみなけりゃわからない。

 市販のステップアップリングを被せ新たなマウントを造る(この部材はヤフオクの八仙堂でしか手に入らない。感謝感謝)
4 絞りを制御するためのコの字型の部材を自作する。部材の丈の寸法は手探りである。この部材は比較的どこにでもある、あるものからの流用である。ネジ穴を3つあけ、タップでネジ切りし、3つのネジ穴にM1.7ネジを装着する(ネジの長さも手探り)。3本のネジには部材の固定を強化する役割と、絞りリングの動きを制限させるという2つの役割を担わせている

DKL-M42マウントアダプタの絞り制御ネジに部材を装着し、緩まないようエポキシ接着剤で仮止めする

6 ステップアップリングで造ったマウントの上からアダプターを固定する。アダプターの装着はネジによる固定が理想だが、私にはこの種の内部構造を持つアダプターにネジ穴を空けるだけの技術がないので、エポキシ合体で済ませた。接着剤の硬化前に芯だしも済ませておく。

7  エポキシが硬化したら絞りの動作確認。うん、いいようだ。うまくいった

8  前玉側の二重リングでヘリコイドずらしを行い無限遠のフォーカスを微調整して完成

以上、手さぐりによる改造だが、思っていた以上にレンズの構造がシンプルだったため、素人の私でも何とかなった。

★参考文献
[1] New Zeiss Photo Lenses from Jena" in "Photography" [Heft 3/1960, S.] 83f.
[2] GDR No.23651 of 17 November 1958

入手の経緯
このレンズは2011年12月にドイツ版ebayを介し、ドレスデンにある写真関係の古物商から送料込みの98ユーロで即決価格にて落札購入した。クリスマスセールとのことで本来110ユーロだったところが値下げされていたのだ。商品の状態は鏡胴が5段階評価の1~2と非常に良く、光学系が1(傷のない極めて良い状態)とのことであった。送料はドイツポストによりたったの9.5ユーロ(950円位)である。届いた品は前玉表面にクリーニングマークが少しと、後玉にもクリーニングマーク1本、中玉最端部にはメンテ時についた汚れのようなものが僅かに見える。描写には影響ないレベルではあるが記述との相違は明らかなので少々ガッカリ。今回は試作用の個体(零号機)なので、まぁ良しとした。
M42改造Cardinar:  フィルター径49mm, 絞り F2.8-F22, 絞り羽 6枚構成,最短撮影距離 1m, 重量(改造後) 268g, 焦点距離85mm, 光学系の構成 3群6枚(Sonnar type)。CardinarブランドはPentina用の85mm F2.8とWerra用の100mm F4の2種のみが存在している

撮影テスト
ここでの作例が恐らくデジタル撮影による本レンズの最初のサンプルとなるであろう。未知の領域への第一歩だ。その前に、戦前から続くSonnar(3群構成)の特徴をまとめておこう。
  1. 空気とガラスの境界が少なく、内面反射光が蓄積しにくい。またコマフレア(サジタルコマ)が発生しにくいことから、コントラストの低下が少なく、発色は鮮やか。
  2. 開放付近での階調描写は軟らかくなだらかに変化する。一方、絞り込むと階調が硬化し、コントラスト主導による鋭いシャープネスが得られる。
  3. 戦前に設計された初期のSonnarは長くライツ社のズミタールと比較され、さんざん欠点が暴露されてきた。概ねズミタールよりも優位な性能であったが、Sonnarには糸巻き状の歪曲収差が発生するという欠点が指摘されている。ただし、あまり気になるほどではない。
  4. イエナ硝子を用いた戦前のSonnar型レンズは補正の難しい特有の球面収差(5次の球面収差)があり、開放ではハロやフレアが顕著に表れていたが、戦後の新硝材を用いた製品には改善がみられ、解像力やヌケの良さが向上している。新硝材を用いながらも、F2.8と控えめな口径比で設計されているCardinarならば全く問題はない。
  5. イエナ硝子を用いた戦前のSonnar 50mm F2には大きな非点収差があり、広角部の画質(解像力と像面の平坦性)が良くないという弱点があったが、戦後の新硝材を用いたSonnarでは大幅に改善している。85mmの控えめな画角設計で造られたCardinarならば、収差の補正効果は非常に高く、四隅まで優れた画質が実現している。
新硝材の導入と設計の改良によって解像力とヌケの良さを改善したものが戦後型Sonnarであり、高いコントラスト性能と鮮やかな発色、開放でのなだらかな階調描写と絞った時の鋭いシャープネス、破綻の少ない安定したボケなど優れた特徴に磨きをかけている。Cardinar 85mm F2.8は戦前から続くSonnar 50mm F2と同一構成の光学系であり、新硝材が使われていることを考慮すると、画角的にも口径比的にも全く無理の無い、非常に余裕のある設計であると判断できる。開放から高描写が期待できそうだ。レンズは口径比だけでみるとF2.8とややおとなしい印象を受けるが、焦点距離が85mmある事を見逃してはならない。50mmの標準レンズ換算にするとF1.65相当とかなりの大口径レンズであり、その分だけボケが大きく表現力は高い。それでは、もう一つの3群Sonnarの末裔、Cardinarの描写をテストしていこう。以下に無補正の作例を示す。

まずはフィルム撮影での作例
Camera: Pentax MX
Film: Fujicolor Superior200 カラーネガ
F2.8 銀塩撮影(Fujicolor Superior200): ありゃりゃ。綺麗に撮れる!とてもシャープなうえにハイライト部のトーン変化が丁寧で美しい。どうやら素晴らしく良く写るレンズのようだ
続いてデジタル撮影
Camera:Nikon D3 digital
Adapter: M42-Nikonアダプター(補正レンズ無し)
F2.8 Nikon D3 digital, AWB:  階調表現が丁寧で、ボケが美しい。やはり非点隔差の補正効果は高いようで、グルグルボケはそれほど深刻化しない。近接撮影でも解像力は十分に高いようだ
F2.8 Nikon D3 digital, AWB: こちらも階調描写がたいへん軟らく、特にシャドー部のトーン変化が素晴らしい
F2.8 Nikon D3 digital, AWB: 開放絞りでも甘い感じにはならず、ピント部の画質はなかなか良さそうだ 
F4.0 Nikon D3 digital, AWB: 絞り冠に精確な絞り指標を記さなかったので、絞り値はおおよその値。他のレンズの羽根の出具合を参考に、だいたいの絞り具合を探り当てている。ボケがとても綺麗だ
F4.0 Nikon D3 digital,AWB, 細かなところまで目を向ける場合には一段絞った当たりからが実用画質という印象だ
F4  Nikon D3 digital, AWB: 透明感のある美しい描写だ
F4 Nikon D3 digital,AWB: 色ののり具合は大変良い
F2.8 Nikon D3 digital, AWB:いかにもオールドツァイスらしく、開放では発色が一層温調になる
F5.6 Nikon D3 digital, AWB: だが、少し絞るとノーマルな発色になるところもツァイスらしく、Flektogonなどと同じ発色傾向だ
F5.6 Nikon D3 digital, AWB: バリ島のウルワツ寺院で突然、サルに背後からメガネを奪われた。すると、すぐに現地の人が現れサルから取り返してくれた。私からはチップを受け取り、サルには褒美の食べ物を与える。こうしてサルを介した一つの経済が成り立っていたのだ。サルも観光客から奪ったものには興味が無く、褒美の食べ物欲しさに物を奪うとのことだ
このレンズの特徴は濃淡のトーンがなだらかに変化し美しい階調描写が得られところだ。ピント部はシャープで発色も鮮やかで申し分ない。面白いレンズを発掘でき今回は大満足である。マウントの改造についても想像していた以上に楽しいことがわかり、これはもう病みつきになるかもしれない。