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2014/05/29

LZOS Jupiter-12 35mm F2.8 (L39)




大きく突き出た後玉が
レンズマニアたちの心をグラグラ揺さぶる
ロシア版ビオゴン:
Jupiter-12 35mm F2.8
Jupiter-12(ユピテル12/英語名はジュピター12)はロシアのKMZ(クラスノゴルスク機械工場)が1950年に発売したBiogonタイプの広角レンズである。巷ではZeissのLudwig Bertele (ベルテレ博士)が1936年に設計したContax版Biogon 35mmをそのままコピーしたレンズ(デットコピー)と誤って解釈されることが多いが、厳密にはBiogonの設計を簡略化した新開発のレンズであるBiogonの持つ線の太い描写、高いコントラスト、ヌケが良く色鮮やかな発色、穏やかで安定感のあるボケを受け継ぎ、Berteleが世に送り出したもう一つの名玉Sonnar(ゾナー)を彷彿とさせる描写設計である。BiogonはZeissのBerteleが1931年に設計したContax版Sonnarから発展したレンズである(下図)。Sonnarには画角を広げ過ぎると非点収差が急激に増大するという収差的な弱点があり、標準~中望遠には対応できるものの、広角レンズを実現するには基本設計に大幅な改良を施す必要があった。Sonnarの性質を維持しながら、同時にこのレンズの弱点を克服することがBiogonの開発に至ったBerteleの動機である。Berteleは研究を重ね、Sonnarの最後尾に巨大な後玉を据え付けるという新しい着想に辿りついたのである。
 

 
Sonnar(上段・左)からJupiter-12(下段・右)に至る光学設計の系譜。こうして並べ比べてみると、Jupiter-12は確かにBiogonをベースに造られたレンズであることがよくわかる。我々の良く知るContax版Sonnarは上段・左に示すようの前群側に3枚接合ユニットを持つ設計形態であるが、Jupiter-12やBiogonの大半のモデルでは、この部分がガウスタイプと同じ2枚接合ユニットへと簡略化されている。構成図出展:Biogonの構成図はBerteleが出願した一連の特許資料からトレースした。また、KMZ BK-35は文献[1]からのトレース、Jupiter-12はレンズ購入時に付属していたマニュアル資料からのトレースである

 
Jupiter-12は1950年にKMZ社が発売し、Leicaスクリュー互換のZorki(ゾルキー)用と旧Contaxマウント互換のKiev(キエフ)用の2種が市場供給された。初期のモデルはクローム鏡胴のみで1960年からはブラックカラーも登場している。1958年にはLZOS(ルトカリノ光学硝子工場/Lutkarinskij Zavod Opticheskogo Stekla)とArsenalがレンズの生産に参入し3社による生産体制となるが、3年後の1961年にKMZとARSENALは同レンズの生産から撤退、これ以降はLZOSによる単独生産となっている。現在の中古市場に流通しているレンズはLZOS製の製品個体が大半で、KMZ製はやや少なく、Arsenal製を目にすることは極稀である。市場にはZorki用とKiev用の2つのモデルが流通しており、1950年代~1970年代に生産されたクローム鏡胴のバージョンと1970年代~1980年代に生産された黒鏡胴バージョンの2種に大別できる。最後まで製造が続いたのはLZOS製の黒鏡胴バージョンである。私が市場に流通しているレンズのシリアル番号を片っ端から調査した感触によると、レンズの生産は少なくとも1991年まで続いていた。
なお、記録によるとJupiter-12にはBK-35 (Biogon Krasnogorsk 35/1947-1950年)という前身モデルが存在し、ZeissのBiogonをベースにドイツ産の硝材を用いて設計されたと記されている[1,2]。構成図をみるとBK-35の光学系は後群・第一レンズの曲率が妊婦のお腹のように大きく膨らんでおり、Biogon(1937)からJupiter-12へと移行する過渡的な設計形態になっていることがわかる。

参考文献・WEBサイト
[1] КАТАЛОГ фотообъективов завода № 393(ZenitのHPに掲載)
[2]SovietCams.comJupiter-12 )
[3] Marco Cavina’s wonderful HP: marcocavina.com

入手の経緯
本レンズは2013年8月にeBayを介しポーランドのレンズ専門セラーから110ドル+送料10ドルの即決価格で落札購入した。オークションの解説では「ガラスはMINTコンディション。ミラーレス機でテスト済だ。フォーカスリングと絞りリングの回転はスムーズで、絞り羽に油染みはない。硝子に傷、クリーニングマーク、クモリ、バルサム切れ等の問題はない。前後のキャップとケースが付属する」とのことである。届いた品は鏡胴に少し汚れがあり、前玉にクリーニングマークが1本あった。ホコリは経年相応で清掃が必要なほどでもない。この程度の相違は織り込み済みなので、私には十分な状態であった。eBayでの相場は状態の良い個体で100ドル前後である。未使用と思われるデットストック品が現在でも数多く流通しているので、焦らずにジックリと選び、良いものを手に入れるとよいであろう。なお、Arsenalの製造したモデル(1958-1961年生産)、KMZの製造した黒鏡胴モデル(1960-1961年生産)、および初期のKMZ BK-35(1947-1950年生産)は希少価値が高く、上記の相場価格は当てはまらない。最近はロシアやウクライナの一部のセラーがJupiter-12の名板のみをすげ替えたBK-35の模造品を売り出しているので、注意したほうがよい。ちなみに模造品のeBayでの相場は200~250ドル程度である。
Jupiter-12: 最短撮影 1m, フィルター径 40.5mm, 絞り羽 5枚, 重量(実測) 100g,  焦点距離 35.7mm,  絞り指標 F2.8-F22, 構成 4群6枚 (戦前のBiogon前期型), 63年製, メーカー LZOS(ルトカリノ光学硝子工場), 解像力 36 line/mm (中央) 18 line/mm (コーナー)。なお、レンズ名の由来はローマ神話の最高至上の神の名ユピテル
撮影テスト
Jupiter-12はコントラストが高く、鮮やかな発色とシャープな写りを特徴とするレンズである。解像力は平凡で線は太いものの、開放から滲みやフレア(収差由来)は少なく、スッキリとヌケのよい描写である。ただし、絞っても階調はなだらかで適度な軟らかさを維持している。ボケは四隅で半月状に崩れコマ収差の発生を確認できるが、中間画角までは整っており柔らかく拡散している。グルグルボケ、放射ボケ、2線ボケなどの乱れは検出できない。開放では発色が極僅かに温調気味になることもあるが、絞れば安定し概ねノーマルである。内面反射が少ないようで、逆光にはそこそこ耐え、ゴーストやグレア(内面反射光の蓄積に由来するハレーション)は出にくい。広角レンズには珍しい糸巻き状の歪曲がみられるものの通常の撮影で目立つことはない。全体的にみて、とても安定感のあるレンズといえるだろう。なお、フルサイズセンサーを搭載したミラーレス機(sony A7)で使用すると、画像の端の方にマゼンダ色の色被りが見られることがある。これはカラーシフトと呼ばれるデジタル・ミラーレス機に特有の現象で、バックフォーカスが短かいレンズや後玉径が小さいレンズを用いる際、センサー面に急角度で入射する光に対して赤外線カットフィルターの効きが弱くなるために起こる現象である。バックフォーカスが最も短くなる遠方撮影時において特に顕著になる傾向がある。一回り小さなAPS-Cセンサーのカメラでは目立つことはなく、銀塩フィルム機では全く問題にはならない。

Camera: sony A7
撮影: 伊豆大島(2014年5月3--5日)

タイトル「油断」, F8(上) /F8(下, APS-C crop-mode), sony A7(AWB): 上段の写真では左右の端部に若干のマゼンダ被りがみられる。これはバックフォーカスが短いレンズをフルサイズミラーレス機で用いる際に、赤外線カットフィルターの効きがセンサー周辺部で弱くなるために起こる現象である。APS-Cサイズにクロップした下段の写真では全く目立たなくなる
F2.8(開放), sony A7(AWB): 開放でもスッキリとヌケの良い写りである。後ボケは穏やかで柔らかく、四隅までよく整っている。グルグルボケや放射ボケは見られず2線ボケも検出できない
F4, sony A7(AWB): 滲みはまったく見られず発色はとても鮮やか。シャープなレンズだ
F5.6, Sony A7(AWB): 開放でのショットはこちら。いずれもコントラストは高く発色は鮮やかである。ただし、絞っても階調は適度に軟らかい

F11, Sony A7(AWB): フォーカスポイントを人物にとり、パンフォーカスで撮影している。遠方撮影で空が入ると、やはりマゼンダ被りが目立つようになる。本レンズの場合、後玉が大きく飛び出しているためか、この傾向は絞っても改善しない。四隅では若干の解像力不足を感じるが、引き伸ばさなければ判らない。伊豆大島にある火山灰の堆積でできた地層断面













F8, sony A7(AWB): マゼンダ被りや周辺光量落ちは遠方撮影時に特に顕著にあらわれる現象である。これくらいの撮影距離までなら全く目立たない。うちの娘・・・一体何がしたいのだ


BiogonとSonnarは言わば親戚関係にあるため、写りが似ているのはごく当たり前と考える方も多いかもしれない。しかし、Sonnarだった頃の形質は後群の第一レンズ(構成図の中に黄色く着色した部分)のみであり、もはや別設計のレンズと捉える方が妥当である。むしろ、興味深いのは設計の異なるBiogonとSonnarの写真描写に高い類似性がみられる点である。Berteleの発明した設計というだけで、どうしてここまで写りが似ているのだろうか。我々が目の当たりにしているのは写真レンズの描写に対し設計者ベルテレが貫いた揺るぎない理念なのかもしれない。ロシア版BiogonのJupiter-12にも、こうしたベルテレの描写理念が忠実に受け継がれているのである。

2012/08/21

コンタックス・ゾナーの末裔達2:LZOS MC Jupiter-9 85mm F2 (M42)

ロシア製ポートレートレンズの中で絶大な人気を誇るのが今回取り上げるJupiter-9(ユピテル9/英語名はジュピター9)である。レンズが登場したのは1950年で、Carl ZeissのContax版Sonnar(3群7枚構成・85mm F2)をベースに設計された。巷ではSonnarをそのまんまコピーしたレンズと誤って解釈される事が多いが、厳密にはSonnarを再設計した改良レンズである。記録にはこのレンズの初期のモデルにZK-85というコードネームのプロトタイプが存在し、ドイツ産のガラス硝材が用いられていたと記されている。このプロトタイプはまさにSonnarの完全なコピーであったと推測できる。モスクワ生まれのロシアン・ゾナーがツァイスのオリジナル設計を離れ、独自の進化を遂げ始めたのは、いつの頃だったのであろうか?

安くてよく写るロシア製レンズの魅力を
世に広めた銘玉ユピテル9

第2次世界大戦の戦勝国として旧東ドイツを占領したロシア(旧ソビエト連邦)は、カール・ツァイスの技術力を手に入れ、自国のカメラ産業を発展させた。Zeissが戦前から保有していた発明特許は戦勝国同士の取り決めにより無効化され、戦後のロシアではビオター、ゾナー、ビオゴン、フレクトゴンなどカールツァイスブランドのコピーレンズがロシア製品として次々と生み出されていった。ツァイスのイエナ工場が保有していた設備はマイスター(レンズ設計技師)と共にその一部がモスクワ近郊のKMZ(クラスノゴルスク機械工場/Krasnogorski Mekhanicheskii Zavod)へと移され、マイスター達には原則5年、ロシアでレンズの設計や生産に関わる技術指導の義務が課せられた。それから間もなくのことである。ZeissのW.Merte(メルテ)が設計したBiotarはBTK(Biotar Krasnogorsk)に姿を変え、L.Bertele(ベルテレ)が設計したSonnarとBiogonはそれぞれZK(Sonnar Krasnogorsk)とBK(Biogon Krasnogorsk)、H.Zollnar(ツェルナー)のFlektogonはFK(Flektogon Krasnogorsk)へとロシアの地で造り変えられていった。いわゆるツァイス製品を模したロシア製コピーレンズの原点である。これらの多くは光学系の一部または全部にドイツ産のガラス硝材(Schott社から接収したもの)が用いられており、FKを除き戦前からのイエナガラスに頼る設計であった。そこで、技術指導を受けたロシア人技師達はレンズを次々と再設計し、ロシア国内で量産可能な新種ガラスを用いた設計へと変更していった。その後、BTKはHelios(ヘリオス), BKとZKはJupiter(ユピテル), FKはMIR(ミール)へと改称され、ロシア各地の工場で大量生産されるようになった。今回取り上げるJupiter-9(ユピテル9)もそうした類のレンズで、KMZの設計者M.D.Maltsevが1940年代後半に焦点距離85mmのSonnar(あるいはZK-85)を再設計し、1949年に発売された大口径中望遠レンズである[文献1]。Maltsevは有名なテッサー型パンケーキレンズのIndustar 50を設計した人物でもある。JupiterシリーズにはJupiter-3 1.5/50, jupiter-8 2/50, Jupiter-9 2/85など戦前のコンタックス版ゾナーを起源とする3種のレンズが存在し、設計はいずれもMaltsevと記録されている。生みの親が同じなので「ロシアのユピテル3兄弟」と言ったところであろうか。

参考文献1: KMZ(ZENIT)の公式資料: КАТАЛОГ фотообъективов завода № 393(1949)

ロシアンゾナーのユピテル3兄弟。後列左はJupiter-9 85mm F2(Contax-Kiev mount)でLZOS製, 中央手前はJupiter-3 50mm F1.5(Leica-Fed L39 mount)でValdai製, 後列右はJupiter-8 50mm F2(Leica-Fed L39 mount)でKMZ製となる。なお、レンズ名の由来はローマ神話の最高至上の神の名ユピテルである。



Jupiter-9の光学系のスケッチ(G.O.I. 1970 catalogよりトレースした)。ソビエト製レンズに詳しいSovietCams.COMによると、Jupiter-9の前身はKMZが1948年から1950年まで生産したZK-85というレンズであり、このモデルには光学系の一部あるいは全部にドイツ産のガラスが用いられていたと記されている。硝材が同じなら屈折率が同じになり、Sonnarと同一の設計も実現可能である。こうしたことから、ZK-85はSonnarのオリジナルと同一設計である可能性が高い。一方、現在KMZを傘下に持つZenitのホームページにはショット社から接収したドイツ産の硝材(イエナガラス等)のストックが1953年に枯渇してしまい、Jupiterシリーズにはロシア産のガラス硝材に置き換える再設計(リム形状の変更)が施されているとも記されている。これらの断片情報を統合するならば、ロシア製ゾナーがツァイスのオリジナル設計を離れ独自の進化を遂げ始めたのはZK-85よりも後のJupiter-9リリース時から、あるいは1955年前後のモデルチェンジからということになる

Jupiter-9は1950年にKMZ社が発売し、まずはLeicaスクリュー互換のZorki(ゾルキー)マウント用と旧Contaxマウント互換のKiev(キエフ)マウント用の2種が市場供給された。更に1951年には一眼レフカメラのZenit用(M39マウント)が、やはりKMZから登場している。初期のモデルはどれもシルバーカラーのアルミ鏡胴モデルである。なお、レンジファインダー機向けに造られたZorki用とKiev用のモデルは最短撮影距離が1.15mであるのに対し、Zenit用のモデルでは光学系が同一のまま0.8mに短縮されている。KMZは1950~1957年にJupiter-9を複数回モデルチェンジ(マイナーチェンジ)しているが、1958年にレンズの生産をLZOSとARSENALに引き継ぎ、ムービーカメラ向けのAKS-4マウント用など新モデルを追加投入する場合を除いて基本的にはJupiter-9を造らなくなっている。LZOSからは1958--1988年にZorkiマウント用とKievマウント用が生産され、その後、対応マウントのラインナップはM39マウント用(1960年代)、AKS-4マウント用(1960年代~1970年代)、1970年代からはM42マウント用にまで拡張されている。1980年代半ばからガラス表面にマルチコーティングを施したモデルが従来の単層Pコーティング(Pはprosvetlenijeの意)を施したモデルに混じって造られるようになり、その割合が少しづす増えていった。一方、Arsenalからは1958--1963年にKievマウント用が生産され、その後は1970年代にKiev-10/15マウント用などが生産されている。なお、1963年からは各社ともJupiter-9のカラーバリエーションにブラックを追加し、その後、シルバーカラーは1968年に製造中止となっている。最後まで生産されたモデルは今回紹介するLZOS製のM42マウント用で、ごく最近に製造されたものとしてはeBayで2001年製の個体を確認している。また、Blog読者の方からは2002年製の個体を入手したとの情報もいただいている。この最終モデルも現在は製造中止となっている。MC Jupiter-9の新品を販売していたロシアの通販店(例えばこちら)でもオールドストックの在庫が底をついたようで、現在は中古品のみを販売している。それに連動し、eBay等の中古市場では取引価格が急騰している。
フィルター径:49mm, 絞り羽:15枚, 質量(カタログ公称値):380g, 焦点距離:85mm(精密値84.46mm), 最短撮影距離:0.8m, 解像力:中央33 LINE/mm, 周辺部: 18 LINE/mm, 光透過率: 0.85,マウント規格はM42, 本品はLZOS(ルトカリノ光学硝子工場)が生産したjupiter-9シリーズの後期型である


入手の経緯
今回はJupiter-9の撮り比べをしたいという都合があり、製造年代の異なる3本の個体を入手した。このうちの一本はガラス表面に多層光反射防止膜(マルチコーティング)が施された1993年製のMC Jupiter-9で、2011年11月にウクライナ最大手の中古カメラ業者ペテルズブルグ・ディールから180ドル+送料15ドルの即決価格で購入した。商品についてはMINT ITEM(美品)との触れ込みで「ガラスはクリアでクリーン。傷、カビ、クモリはなく全エレメントがクリア、絞りコントロールとヘリコイドリングは正常。フォーカスは精確」との解説であった。同業者と100件以上の取引歴がある知人によるとNEWと記された商品以外は要注意とのことであったが、手元に届いた品はチリやホコリすらほとんどない極上品であった。MC Jupiter-9は最近になって新品(オールドストック)の在庫が底をつき、人気商品ということもあり、中古相場は急激に上昇してしまった。eBayでは状態の良い品が200ドル弱の値で取引されている。



撮影テスト1:デジタル撮影
カメラ Nikon D3 digital+ハクバ製ラバーフード(補正レンズ無しアダプターを使用)
Jupiter-9の持ち味は美しい階調描写と安定感のある整ったボケであろう。ゾナータイプならではの穏やかで優雅な描写力を大いに堪能できる魅力的なレンズだ。前エントリーで取り上げたContarex版Sonnarは開放絞りからキッチリとシャープに写るレンズであったが、Jupiter-9はこれとは対照的で開放で像がややソフトになるのが特徴である。絞りを開けるとハイライト部の周囲にはハロが発生し、画面全体に薄いベールを一枚被せたようなフレアっぽい写りになるなど、開放では使いこなす場面がやや限られてしまうものの、少し絞るとかなり良く写るレンズへと一変する。1段絞るF2.8ではフレアが消え、ピント部のハロも目立たなくなる。F4まで絞るとアウトフォーカス部のハロも消え、全体にヌケの良い像が得られるようになる。スッキリとした像を望むならばF2.8、あるいはF4からが実用域となるだろう。コントラストは開放で低く、一段絞ると急に高くなり、そこから先は絞るほど緩やかに向上する。ただし、深く絞る場合にも中間階調は依然として豊富で、軟らかい階調描写が損なわれる事はない。発色は開放で淡く、一段絞った辺りから急に鮮やかになり、コントラストの向上と共に濃厚になる。ただし、黄色に転ぶ傾向があり、フィルムで撮る場合には撮影結果が温調な雰囲気に包まれる。デジタルカメラで用いる場合にはAWB(オートホワイトバランス)機能による補正が働くため、カラーバランスはフィルム撮影時よりもノーマルだが、依然として温調寄りの発色傾向は残っている。アウトフォーカス部の像は常に安定しており、グルグルボケや放射ボケ、2線ボケとは無縁の穏やかなボケ方である。ボケ味については前回のコンタレックス版ゾナーにも同様の傾向が見られたが、同クラスのダブルガウス型レンズのようなブワッと力強く拡散するようなものではなく、やや控えめのフワッとしたボケ方となる。例えるなら羽毛のようなボケ方をするダブルガウスに対して、jupiter9では少しボリューム感のある綿のようなボケ方に見える。ゾナー好きの方々はこの辺りをどう捉えているのだろうか。なお、手元にある何冊かの資料本では、Jupiterシリーズ(Jupiter-3/8/9)の描写について、本家ゾナーに比べて結像が柔らかくソフトで、絞り込んだ時の階調も軟らかいと評されている。
F2.8 Nikon D3 digital(補正レンズ無しアダプター使用), AWB: 開放ではハロやフレアが発生し像もソフトでコントラストは低下気味になるが、一段絞るとコントラストが急に上がり、ピント部はシャープになる。こちらに開放絞りとF2.8における比較写真を掲示しておく。ボケも綺麗でゾナーらしい素晴らしい描写力である。定評のあるレンズであることがよくわかる

F4  Nikon D3 digital, AWB: 2段も絞ればハロやフレアは完全に消え、ヌケのよいスッキリとした像になる


F4 Nikon D3 digital, AWB: このレンズは階調描写が大変美しく、濃淡の変化がなだらかだ



F2.8  Nikon D3 digital, AWB:  一段絞ったF2.8でもアウトフォーカス部は依然として滲み、オールドレンズらしい柔らかい描写表現が可能だ




F4  Nikon D3 digital, AWB: マルチコートのレンズらしく、発色は鮮やかで色のりは良好
F2.8, Nikon D3 digital, AWB:  ボケがきれいすぎて絵画に見える。ある意味ですごいレンズだ
F2.8Nikon D3 digital, AWB:  ........。
F2(開放)Nikon D3 digital, AWB:  絞り開放ではコントラストの低下から発色が淡くなりがちだが、ややアンダー気味に撮れば色濃度が上がり、見た目には悪くない画質だ
撮影テスト2:フィルム撮影
カメラ Yashica FX-3 super2000+ハクバ製ラバーフード
フィルム Kodak ProFoto XL100
フィルム撮影での描写とデジタル撮影での描写が、これほどまでに大きく変わるレンズも珍しい。ネガフィルムを用いた撮影の場合、階調描写は総じてデジタルの時よりも軟らかくトーンがやさしくなり、私の思い描いているゾナー系レンズの描写イメージにより近くなる。この美しい階調描写こそがゾナーの真価ではないだろうか。ジュピター9のようなゾナー系レンズの光学系には硝子同士の貼り合わせが3~4面もあり、他のレンズには無い大きな特徴になっている。この大量の貼り合わせ面が光学系全体に弱い内面反射光を緩やかかつ均一に送り届け、豊かな中間階調を生み出しているというのがゾナーに対する私の見方だ(もちろん根拠は無いので突っ込み所ではあるが、敢えて言い切ってしまうのは私の性分からだ)。発色はフィルム撮影の方がデジタル撮影よりも黄色に転びやすく温調である。おそらくフィルム撮影の方が本来の色であり、デジタル撮影ではオート・ホワイトバランスの影響でノーマルな発色に補正されるためであろう。

F2.8 銀塩撮影 Kodak ProFoto XL100: このとおりにフィルム撮影の方が発色はより黄色に転びやすい
F4 銀塩撮影 Kodak ProFoto XL100:うーん。やはり、フィルム撮影時の方が階調描写は軟らかい印象を受けるが、いかがであろう
F4 銀塩撮影 Kodak ProFoto XL100: 結像は柔らかく階調も軟らかいが、ソフトフォーカスレンズのようなエフェクト的なやわらかさではなく、写真レンズとして許容できる最低限の解像力をきちんと備えた上での天然のやわらかさだ。こういう写りを提供できるレンズはこれからますます貴重な存在になるのではないだろうか

描写力に個体差はあるのか?
Jupiter-9の描写力には大きな個体差(当たり外れ)があると噂されている。こうした噂は一人歩きをしながら、これから購入を検討している人々を大いに悩ませる。根拠が示されてない以上は単なる迷惑でしかない。この種の噂はロシア製品の品質に対する偏見から生まれている可能性も大いに考えられるので検証しておく必要がある。以下では製造年代の異なる3本のJupiter-9を用いてシャープネスとコントラストに個体差があるのかどうか、肉眼による検査を試みた。検査に用いた個体は1986年製のシングルコーティング版が1本、1990年製と1993年製のマルチコーティング版がそれぞれ1本ずつである。光学系の状態は1986年製と1993年製の2本が新品同様、1990年のものには前玉の周辺部に写りには影響のない極薄い汚れ(メンテ時の拭きムラ?)がみられた。下に示した作例に対して3本のレンズを絞り開放のまま同一条件で使用し、中央部の拡大画像を比較することで描写力に差があるかどうかを検証してみた。


なお、撮影テストは同一条件で2回実施し、2回のテストはカメラを三脚に再設置し、レンズをマウントし直すところからはじめるなど、多少面倒ではあるが撮影条件に左右されない試験結果を得ることができるよう配慮している。ピント合わせはライブビューの拡大機能を用いてジックリと時間をかけて行っている。3本のレンズの比較から最もメリハリのある結果が得られたのは1993年のマルチコーティング版(最下行)で、2回のテストともコントラスト性能はトップの成績となった。一方、解像力ではシングルコーティングの1986年製と1993年製が2回のテストともに良好な結果を示し、1990年製はややぼんやりとした像になった。興味深いのはハロの出方で、白文字のロゴの滲み方がレンズごとに異なるのである。1986年製と1990年製の2つのモデルでは右斜め上方に滲んでいるのに対し、1993年製は左斜め上方へと滲んでいる。レンズの中央部で撮った像なので、滲み方は等方的になるのが理想だが、3本のレンズはどれも光軸が僅かにずれているのかもしれない。ちなみに、ゾナーのような3枚接合を持つレンズの場合には光軸合わせ(芯だし)に高い精度の製造技術が必要であることが知られている。


上に示した比較検査からJupiter-9の描写力(解像力、コントラスト、ハロの出方)には肉眼でも識別できるハッキリとした個体差(当たり外れ)が検出できた。この個体差からロシア製品の品質について高いだの低いだのを評価することはできない。それには、日本製レンズやドイツ製レンズを用いて相対的に評価する比較検査が必要になるためだ。なお、この滲みは各個体とも一段絞るF2.8で完全に消える。

MC Jupiter-9は値段のわりによく写るコストパフォーマンスの高いレンズだと思う。開放では像が甘く、使い道は限られてしまうが、F2.8からの描写力については個体差なんてなんのその。ゾナーの優れた描写力を充分に楽しむことができる。3群7枚のゾナータイプはドイツ製や日本製なども存在するが、どれも中古市場では高価なので、ゾナーの写りを安く手に入れたいならばMC Jupiter-9はオススメの一本だ。ところで、いつも疑問に思うことだがJupiter-9の9番のように、ロシア製レンズのブランド名の後ろにつく番号はどうやって決まっているのだろうか?どなたかご存じの方がおりましたら、ご教示いただけると幸いです。


2010/10/27

LZOS MC VOLNA-9 50mm/F2.8(M42) ボルナ9


ロシア製マクロレンズの決定版

MC VOLNA-9はロシア(旧ソビエト連邦)が1980年代中ばから1992年頃までモスクワの近郊都市リトカリノにあるLZOS(リトカリノ光学ガラス工場)で製造した50mm/f2.8の単焦点レンズだ。光学系の構成は5群6枚のガウス型であり、近接時において高い描写力(解像力 etc...)が得られるように設計されたマクロ撮影専門のレンズである。近接撮影時の最大倍率は0.5倍(最短撮影距離は24cm)であり、花や虫を大きく写すことのできる。マクロ専門とは言うが、通常の撮影でも普通に使うことができ、普通レンズよりシャープな撮影結果が得られる。eBayでの実売価格は150㌦程度とマクロレンズとしてはかなり手頃な価格で取引されている。設計が新しく良く写く写ると評判であり、コストパフォーマンス抜群のレンズとして高い人気がある。
鏡胴は金属製のため重量感があり、手にとるとズシリと重い。また、バレル径が太くヘリコイドの繰り出し量が長いことから、ピントリングの回転にはかなりのトルク感を感じる。ガラス面に施されている光の反射防止膜はマルチコーティングとなり、内面反射を軽減することでフレアやゴーストなどが発生しにくいハイコントラストな描写力を実現している。5群6枚という設計は過去に取り上げたテッサータイプのマクロレンズ(マクロキラーやインダスター61)よりも豊かな階調変化と緻密な解像力を実現してくれそうだ。似たような構成(ガウス型)のレンズに本ブログで過去に取り上げたSteinheil社のMacro-Quinonという優秀なマクロレンズがあるが、反射防止膜がマルチコーティングである分、このレンズよりもVOLNA-9のほうがハイコントラストな撮影結果が得られるのではないかと思われる。いかにも良く写りそうなレンズだ。
なお、本レンズは星型の絞り羽根を採用したことにより、アウトフォーカス部に置かれた点光源の像が幻想的な星の形に姿を変える有名な星ボケを発生させることができる。


焦点距離 50mm, 絞り値 F2.8--F16, 重量340g   , 最大撮影倍率 0.5 最短撮影距離 0.24m, 絞り羽根の枚数 6, フィルター径 52mm, 光学系 5群6枚で1983年に設計された, 絞り機構はプリセット式。コーティングの色は赤紫。対応マウントはM42に加え、PENTAX Kマウント(レアな限定版)のMC VOLNA-9Kも存在する
焦点距離が50mmで開放絞り値がF2.8という仕様は同じ工場で生産されているテッサー型レンズのINDUSTAR 61L/Z-MC 50mm/F2.8と同一である。両者を並べると後玉径や前玉径はやはりガウス型のVOLNA-9のほうが大きく、光軸方向にも厚みがあるため、鏡胴のサイズはVOLNA-9の方が一回り大きい。INDUSTAR 61L/Z-MCも最大撮影倍率が1/3倍とマクロ的な撮影が可能で、たいへん優れた描写力を持つレンズであるが、近接撮影ともなれば、より高度な収差補正を行う本品の方が解像力(緻密さ)において一枚上手なのであろう。
VOLNA-9のガラス面にはINDUSTAR 61L/Z-MCのガラス面に対し1980年から1985年まで施されていた紫色のコーティング(つまり「お古」)が施されているようで、その証拠にINDUSTAR 61L/Z-MCのコーティングはVOLNA-9の生産が開始された頃の時期を境目に、紫色のタイプからゴールド色の新しいタイプに変更されている。また、VOLNA-9の絞り羽根にはINDUSTAR 61L/Zと同じ6枚構成の星形の羽根が使われており、製造ラインの一部を流用した生産体制だったと思われる。

★入手の経緯
VOLNA-9は海外の中古市場で常時出品されている流通量の多い品である。eBayでの相場は送料を含め150㌦程度のようで、主にウクライナの中古カメラ業者が売りさばいている。本品もウクライナの業者から2010年9月に送料込みの総額141㌦にて購入した。出品時における商品の状態はMINT(新品同様)との解説で、同じ業者がMINTと記し販売していた3本の同一レンズの中で鏡胴やガラス面の状態が最も良さそうに見えた。しかし、届いた品には運悪く中玉に製造時由来の小さな気泡が1つあった。

★撮影テスト
ピント面はたいへんシャープで解像度が高く、開放絞りからスッキリとクリアに写る。単色5収差と色収差は良く補正されているようで、ピント面・アウトフォーカス部ともに良く整った乱れの少ない結像である。色滲みもなく、これはもう現代的な描写力を持つレンズである。絞り羽根の形が星型となるF5.6からF8の間のボケ味は独特で、アウトフォーカス部にガサガサとした細かい濃淡変化がある場合にはその輪郭がザワザワとざわめき面白い作風が得られる。ただし、収差由来の2線ボケとは異なり、輪郭の結像自体が乱れるわけではないので、汚い感じにはならない。発色は癖もなく自然で、赤がビビットに表現される点が好印象だ。やや温調という噂を海外の掲示板で耳にするが、本ブログで検証するまでは至ってない。ガラス面にはマルチコーティングが施されており、シャープでハイコントラストな描写力と個性豊かな表現力を備えた優秀なレンズである。


F5.6  Sony NEX-5 digital, AWB: クセのない自然な発色だ。ガラス面はマルチコートされているので、晴天下でもフレアの発生は滅多にない。すっきりシャープに写るレンズのようだ
F5.6 Sony NEX-5 digital, AWB: 出ました秘技「星ボケ」。絞り値がF5.6-F8で発生する。被写体に近付いて接写撮影することが星を引き出すコツだ。このような星型の絞り羽根を持つレンズとしては本品以外にINDUSTAR 61L/ZやHelios-40がある
F5.6 Sony NEX-5 digital, AWB: 背景にガサガサしたものがあると距離によっては星形の絞り羽根の歪さがザワザワとした独特のボケ味を生む
F8 Sony NEX-5 digital, AWB: アウトフォーカス部がこういったシンプルな場合(普通の場合)には絞りバネの歪さがボケ味に影響することはない

上段/下段ともF8 Sony NEX-5 digital, AWB: マクロレンズの醍醐味はこういうものを大きく写せること。マクロ撮影時は被写界深度が薄くなるので、いつもより深く絞り込むのがポイントだ


F5.6 Sony NEX-5 digital, AWB: 赤はたいへんビビットだ
F8 Sony NEX-5 digital, AWB: 距離によっては絞り羽根の影響でボケ味がトゲトゲするが・・・
F8 Sony NEX-5 digital, AWB: そうかと思うと、このように何ともないケースもある。ピント面から背景の被写体までの距離の問題なのであろう


★撮影機材
sony α NEX-5 + LZOS VOLNA-9 50mm/F2.8
Sony NEXにも良く似合うレンズだ

INDUSTAR 61L/Z-MCを使用して以来、ロシアンレンズの高い描写力にすっかりと魅せられてしまった。今回注目したMC VOLNA-9も期待を裏切らない素晴らしいレンズであることがわかった。安価にマクロ撮影を楽しみたい方には、このレンズはオススメしたい。ついでに星ボケも楽しめるし。

2009/11/16

LZOS INDUSTAR 61L/Z-MC 50mm/F2.8 (M42)
インダスター61L/Z-MC


きらきらと輝く六芒星(ろくぼうせい)
カメラ女子の間で人気沸騰中の星ボケレンズ
LZOS INDUSTAR 61L/Z-MC 50mm/F2.8 (M42 mount)
いまカメラ女子の間でこのレンズがブームとなっており、ブログのアクセス解析にも、その過熱ぶりがハッキリとあらわれている。ロシア(旧ソビエト連邦)のLZOS(リトカリノ光学ガラス工場)が1960年代から2005年頃まで製造したIndustar (インダスター) 61 L/Zである。このレンズはアウトフォーカス部の点光源が星型の形状にボケる、いわゆる「星ボケレンズ」として知られている[文献1]。
去る10月のある日、私はJR山手線のシートに腰かけ、東京駅から上野駅を目指していた。気が付くと目の前に若い2人のカメラ女子が立ち、何やらインダスターの話題になっていた。しばらく耳を傾けていると・・・

「A: ねぇ、メール見た?例の星ボケが出るヤツ(レンズ)なんだけど。」
「B: みたよ。インダスターでしょ?でも、あれってフィルターでも同じことできるんじゃないの?」
「A: うんそうなんだけど、やっぱフィルターとは効果が全然違うんだよねぇ~」
「B: そうなんだ。どこかで試せるといいけど」
「A:ネットにはいっぱい写真出てるから参考になるとおもうよ。スパイラルっていうブログみた?」
「B: あぁ。みたみた。マニアのブログでしょ。なんか難しい事がいっぱい書いてあったわ(←spiral補足:偏差値上げてね)」
「A: ヤフオクに出てるけど、1万円くらいからあるみたい。でもやっぱり現物を見ないと、状態はわからないわ。取引も怖いし。店で試せるといいんだけどね。10月8日の代官山は行ける?」
「B: 即売会だっけ?(←spiral補足:恐らく北村写真機店の体験即売会のことでしょう)。ちょっと予定が入ってるんだよね。友達と映画。何時からやってるの?」

おおよそ、こんな内容のやり取りであった。レンズが少し気になりヤフオクで相場を検索してみると、中古美品が18000~25000万円程度の額で取引されている。ちなみに6年前~1年前の相場は10000~14000円程度で安定していたので、レンズの相場が上昇したのはごく最近になってからのことだ。あるショップの店員によると、レンズを購入するのは主にカメラ女子なのだとか。今になってカメラ女子達がザワつきはじめたのは、紛れもなく写真家・山本まりこさんが9月に出した著書「オールドレンズ撮り方ブック」が発端であろう[文献2]。本ブログもフルサイズ機の普及に合わせ、過去のブログエントリーを刷新している最中なので、これはいい機会である。黒船の放つ波にのり、このレンズを再び取り上げてみることにした。

インダスター61L/Zのルーツは、ロシアの光学研究を統括するGOI(Gosudarstvennyy Opticheskiy InstituteまたはVavilov State Optical Instituteでもある)という研究機関が1958年から1960年まで少量のみ生産したプロトタイプレンズのIndustar-61 5.2cm f2.8(Zorki-M39 mount)である[文献3-5]。レンズを設計したのはG.スリュサレフ(G.G.Sliusarev)とW.ソコロフ(W.Sokolov)という名のエンジニアで、1958年に正のレンズエレメントに希土類のランタンを含む新種光学ガラスSTK-6を用いることで、それまでのインダスターシリーズに比べ、光学性能を飛躍的に高めたとされている。Industar-61は設計の古いFED-2用Industar-26M 50mm F2.8(1955年登場, Zenit-M39マウント)の後継製品として1962年に登場している[文献5]。この頃のIndustar-61は主にFED(ハリコフ機械工場)とMMZ(ミンスク機械工場)が製造し、焦点距離52mmや53mmなどのモデルが供給されていたが、1964年頃からはLZOS(リトカリノ光学ガラス工場)がレンズの生産に参入し、焦点距離を50mmとするIndustar-61Lを生産するようになった。
Industar 61L/Zの光学系(文献4からのトレーススケッチ): 左が前玉で右がカメラ側である。構成は3群4枚のテッサー型で、肉厚ガラスが用いられているのが特徴である。ランタン系の新種ガラスSTK-6が導入され正エレメントの屈折力が旧来からのガラスの倍にまで向上、ペッツバール和と色収差の同時補正が可能になり、F2.8の口径比が無理なく実現されている
Industarというレンズの名は1929年にロシアで始まった工業化5か年計画のIndustrizationから来ており、これにテッサータイプのレンズで共通して用いられる接尾語の"-AR"をつけてIndustarとなったそうである。61はロシア製レンズの中で用いられる通し番号で、テッサータイプの61番目の製品であることを意味している。
1960年代後半にはレンズをZenit-M39/M42マウントの一眼レフカメラに適合させたLZOS製Industar 61L/Z 50mm F2.8が登場し、この頃から絞り羽を閉じたときの形状が六芒星になった。レンズ名の末尾に付いている頭文字Lはガラスに用いられているランタンを差し、ZはZenitカメラ用を意味しているとのこと[文献6]。現在の市場に出回っている製品は大半がM42マウントであるが、比較的少量ながらZenit-M39マウントの個体も流通している。
Industar 61L/Zはガラス面に用いられているコーティングの種類に応じ、3種類のモデルに大別することができる。1つめは初期の1960年代から1970年代に製造されたモデルで、ガラス面には単層コーティングが施されていた。一方で1980年代初頭からはマゼンダ色のマルチコーティングが施されるようになっている。ただし、1980年代後期に製造された一部の個体からはアンバー系のコーティングが施された変則的なモデルもみつかる。Industar 61L/Zがロシアでいつまで生産されていたのか正確なところは定かではないが、市場に出回る製品個体のシリアル番号からは、少なくとも2005年まで生産されていたことが明らかになっている。
 
参考文献
  • 文献1 「OLD LENS PARADISE」 澤村徹著 和田高広監修 翔泳社(2008)
  • 文献2 「山本まりこのオールドレンズ撮り方ブック」 山本まりこ著 玄光社(2016)
  • 文献3 GOI lens catalogue 1963
  • 文献4 A. F. Yakovlev Catalog The objectives: photographic, movie, projection, reproduction, for the magnifying apparatuses, Vol. 1(1970) ロシア製レンズが全て網羅されているカタログ資料
  • 文献5 SovietCams.com
  • 文献6 レンズに付属した取り扱い説明書
入手の経緯
ロシアのカメラ屋から新品(オールドストック)を99ドル(送料込み)で購入した。レンズには純正のプラスティックケースとシリアル番号付きのレシート、ロシア語で書かれたマニュアルが付属していた。このセラーは2004年製の新品をかなりの数保有しているようであった。インダスター61L/Zは絞り羽に油シミの出ている個体が大半であるが、今回入手した2004年製の個体は比較的新しいためか油染みが全くみられなかった。レンズはヤフオクの転売屋が中古品を数多く取り扱っており、流通量も豊富である。ヤフオクでの相場は中古美品が18000~20000円程度、海外では中古美品が6000円~8000円、新品が8000円~10000円程度で取引されている。国内市場で新品はなかなか出ないようだが、出れば20000円~25000円あたりの値が付くのであろう。人気が過熱気味の日本だけの相場なので、現在は送料を加味しても海外から入手したほうがお得であることは間違いない。
最短撮影距離:30cm, 絞り機構 プリセット式,  焦点距離 50mm, 絞り値 F2.8-F16, 撮影倍率1:約3.5, フィルター径 49mm, 重量(実測):212g, 設計構成 3群4枚テッサー型
撮影テスト
50mmの焦点距離を考えると星ボケを効果的に出せるのは被写体に近づいて接写を行う時のみに限定される。撮影方法はバブルボケの時と全く同じで、まずはじめにピカピカ光る光源をみつけ、フォーカスリングを回してボケ具合を決定する。ちなみに星型にボケるのは絞りを少し絞った時である。続いてピント部を飾るメインの被写体を見つけピントを合わせる。このとき被写体へのピント合わせはフォーカスリングを用いるのでなく、手でカメラを前後させて行うのがポイントである。こうすれば一度決定した背後のボケ具合に大きな変化はない。
昼間の撮影は夜間のイルミネーション撮影よりもテクニックが求められる。星ボケを効果的に発生させるには太陽光の反射を利用するわけだが、肝心なのは太陽に対して半逆光の条件で撮影することである。カメラの露出補正は+1EV程度オーバーに設定しておいたほうが、星ボケがクッキリと写るのでおススメである。あと、今回は人に見せられるような作例が見当たらなかったものの、前ボケを利用するのもよい。
レンズはシャープな描写で知られるテッサータイプである。開放でもスッキリとぬけたクリアな像が得られ、解像力こそ平凡だが、鮮やかな発色とメリハリのある高いコントラストを特徴としている。ボケは四隅まで安定しており、グルグルボケや放射ボケは出ない。同じF2.8のテッサー型レンズでも本家ツァイスのテッサーやフォクトレンダーのカラースコパーなどは背後に僅かにグルグルボケがみられるが、このレンズに関しては四隅までボケの乱れが一切みられない。ピント部の画質は四隅まで安定しており、像面も平らで平面性は高いが、そのぶん立体感には乏しい。ゴーストやハレーションは逆光時でも全くと言ってよいほどでない。F2.8のテッサータイプとしては、かなり優秀なレンズである。
F5.6, sony A7(AWB)
F5.6, sony A7(AWB): 

F5.6, sony A7(WB:電球)

F5.6, sony A7(WB:白色電球)