おしらせ


2017/01/02

Carl Zeiss Jena Flektogon 20mm F4 (M42) Rev.2

1952年に広角レトロフォーカス型レンズのフレクトゴン 35mmを世に送り出し、この分野を独走していた人民公社カールツァイス・イエナが次に取り組んだのは、焦点距離の更に短い超広角レンズの開発である。包括画角90度を超える超広角レンズの開発はこれまでどのメーカーも成し得なかった未踏の領域への挑戦であった。レンズの設計は極めて複雑で困難になることが予想されたが、ツァイス・イエナは1955年に世界に先駆けレンズ設計用のリレー式コンピュータOPREMAを開発し、技術的なハードルを乗り越えている(文献[1])。
OPREMAが実現させた未踏の超広角レンズ
Carl Zeiss Jena DDR FLEKTOGON 20mm F4
フレクトゴン(Flektogon)は旧東ドイツの人民公社カールツァイス・イエナ(VEB Carl Zeiss Jena)が一眼レフカメラ用に開発した広角レトロフォーカス型レンズのブランドである。その第一弾は1952年に焦点距離35mmで登場し、黎明期のレトロフォーカス型レンズの中においてコマ収差を有効に補正できる唯一無二の存在として注目された(文献[2])。続く1959年には焦点距離を25mmまで短縮させたフレクトゴン25mm F4を開発し、翌1960年のLeipzig Spring Fairで発表、さらに西側の競合他社が送り出したアンジェニュー (Angenieux) R61 3.5/24mmやイスコ社ウエストロゴン (Westrogon)  4/24mmなどの猛追を退けるため、翌1961年10月には焦点距離を20mmまで短縮させた新型モデルを発表している(文献[4])。このレンズが実際に登場したのは発表から2年後の1963年春に開催されたLeipzig Spring Fairからで、市場に出回り始めたのは同年夏からとなっている。その後の1964年11月(シリアル番号7,206,500以降)に光学設計がマイナーチェンジされている。レンズの販売額は487マルクと当時としては高価であったが、焦点距離20mmのレンズでしか撮れない写真が撮れるとあって、たいへんな人気商品となり、世界中の写真家達がフレクトゴン20mmを愛用した。フレクトゴン4/20は1970年代も生産が続き、後継モデルのMC Flektogon 2.8/20(Eberhard DietzschとGudrun Schneiderが設計)と短期間だけ同時供給された時期もあったが、1978年に生産を終了している。
フレクトゴン4/25と4/20を設計したのはZeissのレンズ設計士W.ダンベルグ(Wolf Dannberg)とE.ディーチェ(Eberhard Dietzsch)で、ダンベルグはPancolar 50mm F1.8(1965年登場)とPrakticar 135mm F3.5(1965年設計)、ディーチェはSonnar 180mm F2.8(6x6フォーマット用1959年設計)、Flektogon 20mm F2.8(1971年設計)、Prakticar 50mm F1.4(1979年設計)、Prakticar 28mm F2.8(1976年設計)、Prakticar 200mm F2.8(1979年設計)を手がけた人物でもある。彼らは同社のコンピュータエンジニアW.カメレル(Wilhelm Kämmerer)とH.コルトム(Herbert Kortum)らが率いる技術チームの協力を借り、同チームが1955年に完成させた最新式コンピュータのオプリーマ(Oprema= OPtik-REchen-MAschineの略)を利用することで、それまで人の手による計算では不可能とされてきた超広角レンズの複雑な設計に取り組んだ(文献[5])。オプリーマはレンズの光線軌道計算を主目的とする旧東ドイツ初のリレー式コンピュータ(クロック周波数は約100ヘルツ)であり、一回の和算を120ミリ秒、乗算と除算を800ミリ秒で処理することができる優れた演算処理性能を備えていた。それまで120人ものチームで取り組んでいた光線軌道計算が1台のコンピュータのタスクに置き換わり、正確かつ短時間で結果が出せるようになったのだ。Flektogon 4/25と4/20では前群に据えた2枚の発散性メニスカスにより、レトロフォーカス型レンズで一般的にみられる樽型歪曲の補正に成功している(文献[6])。世界に先駆けレンズ設計にコンピュータを導入したZeiss Jenaは1960年代も光学分野における世界のリーディングカンパニーとして活躍し続ける事になる。西側光学メーカーの猛追を退け、更なる高みへと躍進を遂げたZeiss Jenaの采配の陰には、当時の数学部部長でフレクトゴンの生みの親でもあるH.ツェルナーの尽力があった(文献[7])。
Flektogon 20mm F4の光学系(文献[4]からのトレーススケッチ)。構成は6群10枚のレトロフォーカス型である。Flektogon 20mmにはDannbergらが考案した歪みを抑える新たな設計技法(Pat.GDR No.17177, 22nd Dec.1956)が導入されている。この技法はOpremaの力を借りて実現したものであり、広角レンズでは一般的にみられる樽型歪曲収差を前群に設けた2枚の発散性メニスカスを利用して抑えている。この設計技術ははじめ1955年の広角化アタッチメントの開発に利用された(文献[6])
参考文献
[1]     Marco Kröger Zeissikonveb.de  (2016)
[2] Flektogon 35mm特許 US2793565(May 28,1957/Filed April 1955)
[3] オールドレンズライフ VOL.6 玄光社MOOK 澤村徹 編著(2016)
[4]  Flektogon 20mm特許 DDR Pat.30477 (1963)
[5]  robotrontechnik.de: Computer OPREMA (29.11.2016)
[6] DDR Pat. 23457(1955); Pat.GDR No.17177(1956)
[7]  H. Zollner, The Photo Lens in Practice, Development and Manufacturing, Jenaer Rundschau, 2/56, p.36ff
[8] オールドレンズパラダイス 澤村 徹  (著), 和田 高広 (監修, 監修) 翔泳社(2008)

入手の経緯
レンズはeBayやヤフオクにたくさん流通しており、価格はM42マウントのモデルが30000円~40000円程度、Exaktaマウントのモデルが20000円~30000円程度で取引されている。eBayとヤフオクでの価格に大差はない。今回紹介する製品個体は2013年頃にeBayを介し、米国のカメラ店から350ドル+送料22ドルの即決価格で入手した。自身として2本目で、一度は売却したもののI miss you、後悔の末に買いなおしたレンズだ。オークションでの記述は「新品に近い状態で、光学系はパーフェクトコンディション。絞りの開閉やフォーカスリングの回転はスムーズだ。外観は写真で確認してくれ」とのこと。届いた品はやはり非常に良好なコンディションで、ホコリの混入も極めて少ないクリーンなレンズであった。レンズのマウントネジにスレ跡が全く見られないので、ほぼ未使用の個体だったのであろう。
フレクトゴン20mmとの出会いは澤村徹さんが2008年頃にパソコン雑誌のPC Fanに寄稿していた「吾輩は寫眞機である」の連載記事であった(文献[3])。当時、一眼レフカメラで使用できる「MF仕様の寄れる広角レンズ」を探していた私はジャストミートでこの記事を読み、フレクトゴンのド迫力な前玉とレトロなゼブラ柄デザインの虜になったのだ。さんざん探しeBayを介してウクライナのカメラ屋から入手したのが、最初に手に入れた1本目の個体であった。そうした経緯もあり、澤村さんの1冊目の著書「オールドレンズパラダイス」を発売前に予約で購入し、オールドレンズに対する知識を深めた(文献[8])。何とマウントアダプターよりもフレクトゴンを先に入手してしまったわけで、どうしたものかと困っていたところ、アダプターについて丁寧な解説のあるこの本に救助されたのを今でもよく覚えている。
Carl Zeiss Jena DDR Flektogon 20mm F4(M42マウント): 重量(実測)320g, 絞り F4-F22, 最短撮影距離 0.15m, フィルター径 77mm, 絞り羽根 6枚構成, 対応マウントはM42とExakta (Praktina用は焦点距離25mmのモデルの供給され、20mmのモデルは供給されなかった)。フレクトゴンという名称はラテン語の「曲がる、傾く」を意味するFlectoにギリシャ語の「角」を意味するGonを組み合わせたものを由来としている

撮影テスト
焦点距離20mmのフレクトゴンでしか撮れない写真がある。1960年代当時、487マルクもした高価なレンズが大ヒット商品となるには十分な理由であった。時代的には焦点距離35mmの広角レトロフォーカスがようやく成熟期に達した頃であり、ドイツの光学メーカー各社はやっとの思いでレンジファインダー機用のビオゴン35mmに匹敵するシャープな画質を一眼レフカメラでも実現できるようになったばかりであった。これに対し、ツァイス・イエナは更なる高みを目指し、焦点距離20mmのウルトラワイドレンズを実現させるべく、未踏の領域を突き進んでいたわけだ。
フレクトゴン20mmは開放でも収差が充分にコントロールされており、初期のレトロフォーカス型レンズによくあるモヤモヤとしたフレア(コマフレア)も十分に抑えられている。また、この種のレンズでは一般的に見られる樽型の歪みも非常に小さい。ピント部は開放からヌケがよく、クリアでシャープな像が得られる。解像力はダブルガウスやトリプレットに比べると明らかに見劣りするが、レトロフォーカス型レンズとしては良好な水準である。階調描写は明らかに軟調でオールドレンズらしいなだらかなトーン描写であり、発色も逆光時は淡泊になる。ただし、中間部の階調は豊富で深く絞り込んでも硬くなることはない。ボケはレトロフォーカス型レンズらしく概ね安定感があり、グルグルボケは近接域で極僅かに出る程度で全く目立たない。テレセントリック(光の直進性)を考慮していない広角レンズを大型のイメージセンサーを搭載したミラーレス機で使用する際には、周辺部で色被りの発生が問題となる事があるが、フレクトゴンの場合はバックフォーカスの長い一眼レフカメラ用レンズなので、この点については大きな問題にならない。コントロールできない弱点と言えば、逆光に弱くゴーストやハレーション(ベーリング・グレア)が出やすい点であろう。最短撮影距離が16cmと極めて短いため、パースペクティブを活かしたマクロ撮影により、このレンズならではの迫力のある作品を創出できる。
私にとってフレクトゴン20mmのような超広角(ウルトラワイド)レンズは常用せずに何処かにしまい込み、年に数回程度持ち出す程度でちょうどよい。ときどき飛び道具のように持ち出すと、ある種のショックに近い解放感が得られ、写真を撮ることがますます楽しくなる「リフレッシュ・アイテム」なのだ。極めて広い包括画角、極めて深い被写界深度、極めて短い最短撮影距離まで縦横無尽に活躍できる東欧の大怪獣フレクトゴン。強烈なパースペクティブ(遠近感)とパンフォーカス効果に打ちのめされれば、写真表現に新たなインスピレーションが生まれるに違いない。今回はデジタルカメラのSony A7と35mm銀塩カメラの双方でフレクトゴンの楽しさを思いきり堪能してみた。このレンズを使い始めて8年になるが、今でも持ち出すたびにドキドキとした鼓動の高鳴りを感じる。

デジタル撮影
F8, sony A7(AWB): 




F8, sony A7(AWB): 

F11, sony A7(AWB): 






F8, sony A7(AWB)

F4, sony A7(AWB)








銀塩撮影
F8, 銀塩撮影(Fujifilm 業務用カラーネガISO400)


F11, 銀塩撮影(Fujifilm 業務用カラーネガISO400)
F5.6, 銀塩撮影(Fujifilm 業務用カラーネガISO400)












F5.6, 銀塩撮影(Fujifilm 業務用カラーネガISO400)

2016/12/09

LZOS INDUSTAR 61L/Z-MC 50mm/F2.8 (M42 mount) Rev.2


きらきらと輝く六芒星(ろくぼうせい)
カメラ女子の間で人気沸騰中の星ボケレンズ
LZOS INDUSTAR 61L/Z-MC 50mm/F2.8 (M42 mount)
いまカメラ女子の間でこのレンズがブームとなっており、ブログのアクセス解析にも、その過熱ぶりがハッキリとあらわれている。ロシア(旧ソビエト連邦)のLZOS(リトカリノ光学ガラス工場)が1960年代から2005年頃まで製造したIndustar (インダスター) 61 L/Zである。このレンズはアウトフォーカス部の点光源が星型の形状にボケる、いわゆる「星ボケレンズ」として知られている[文献1]。
去る10月のある日、私はJR山手線のシートに腰かけ、東京駅から上野駅を目指していた。気が付くと目の前に若い2人のカメラ女子が立ち、何やらインダスターの話題になっていた。しばらく耳を傾けていると・・・

「A: ねぇ、メール見た?例の星ボケが出るヤツ(レンズ)なんだけど。」
「B: みたよ。インダスターでしょ?でも、あれってフィルターでも同じことできるんじゃないの?」
「A: うんそうなんだけど、やっぱフィルターとは効果が全然違うんだよねぇ~」
「B: そうなんだ。どこかで試せるといいけど」
「A:ネットにはいっぱい写真出てるから参考になるとおもうよ。スパイラルっていうブログみた?」
「B: あぁ。みたみた。マニアのブログでしょ。なんか難しい事がいっぱい書いてあったわ(←spiral補足:偏差値上げてね)」
「A: ヤフオクに出てるけど、1万円くらいからあるみたい。でもやっぱり現物を見ないと、状態はわからないわ。取引も怖いし。店で試せるといいんだけどね。10月8日の代官山は行ける?」
「B: 即売会だっけ?(←spiral補足:恐らく北村写真機店の体験即売会のことでしょう)。ちょっと予定が入ってるんだよね。友達と映画。何時からやってるの?」

おおよそ、こんな内容のやり取りであった。レンズが少し気になりヤフオクで相場を検索してみると、中古美品が18000~25000万円程度の額で取引されている。ちなみに6年前~1年前の相場は10000~14000円程度で安定していたので、レンズの相場が上昇したのはごく最近になってからのことだ。あるショップの店員によると、レンズを購入するのは主にカメラ女子なのだとか。今になってカメラ女子達がザワつきはじめたのは、紛れもなく写真家・山本まりこさんが9月に出した著書「オールドレンズ撮り方ブック」が発端であろう[文献2]。本ブログもフルサイズ機の普及に合わせ、過去のブログエントリーを刷新している最中なので、これはいい機会である。黒船の放つ波にのり、このレンズを再び取り上げてみることにした。

インダスター61L/Zのルーツは、ロシアの光学研究を統括するGOI(Gosudarstvennyy Opticheskiy InstituteまたはVavilov State Optical Instituteでもある)という研究機関が1958年から1960年まで少量のみ生産したプロトタイプレンズのIndustar-61 5.2cm f2.8(Zorki-M39 mount)である[文献3-5]。レンズを設計したのはG.スリュサレフ(G.G.Sliusarev)とW.ソコロフ(W.Sokolov)という名のエンジニアで、1958年に正のレンズエレメントに希土類のランタンを含む新種光学ガラスSTK-6を用いることで、それまでのインダスターシリーズに比べ、光学性能を飛躍的に高めたとされている。Industar-61は設計の古いFED-2用Industar-26M 50mm F2.8(1955年登場, Zenit-M39マウント)の後継製品として1962年に登場している[文献5]。この頃のIndustar-61は主にFED(ハリコフ機械工場)とMMZ(ミンスク機械工場)が製造し、焦点距離52mmや53mmなどのモデルが供給されていたが、1964年頃からはLZOS(リトカリノ光学ガラス工場)がレンズの生産に参入し、焦点距離を50mmとするIndustar-61Lを生産するようになった。
Industar 61L/Zの光学系(文献4からのトレーススケッチ): 左が前玉で右がカメラ側である。構成は3群4枚のテッサー型で、肉厚ガラスが用いられているのが特徴である。ランタン系の新種ガラスSTK-6が導入され正エレメントの屈折力が旧来からのガラスの倍にまで向上、ペッツバール和と色収差の同時補正が可能になり、F2.8の口径比が無理なく実現されている
Industarというレンズの名は1929年にロシアで始まった工業化5か年計画のIndustrizationから来ており、これにテッサータイプのレンズで共通して用いられる接尾語の"-AR"をつけてIndustarとなったそうである。61はロシア製レンズの中で用いられる通し番号で、テッサータイプの61番目の製品であることを意味している。
1960年代後半にはレンズをZenit-M39/M42マウントの一眼レフカメラに適合させたLZOS製Industar 61L/Z 50mm F2.8が登場し、この頃から絞り羽を閉じたときの形状が六芒星になった。レンズ名の末尾に付いている頭文字Lはガラスに用いられているランタンを差し、ZはZenitカメラ用を意味しているとのこと[文献6]。現在の市場に出回っている製品は大半がM42マウントであるが、比較的少量ながらZenit-M39マウントの個体も流通している。
Industar 61L/Zはガラス面に用いられているコーティングの種類に応じ、3種類のモデルに大別することができる。1つめは初期の1960年代から1970年代に製造されたモデルで、ガラス面には単層コーティングが施されていた。一方で1980年代初頭からはマゼンダ色のマルチコーティングが施されるようになっている。ただし、1980年代後期に製造された一部の個体からはアンバー系のコーティングが施された変則的なモデルもみつかる。Industar 61L/Zがロシアでいつまで生産されていたのか正確なところは定かではないが、市場に出回る製品個体のシリアル番号からは、少なくとも2005年まで生産されていたことが明らかになっている。
 
参考文献
  • 文献1 「OLD LENS PARADISE」 澤村徹著 和田高広監修 翔泳社(2008)
  • 文献2 「山本まりこのオールドレンズ撮り方ブック」 山本まりこ著 玄光社(2016)
  • 文献3 GOI lens catalogue 1963
  • 文献4 A. F. Yakovlev Catalog The objectives: photographic, movie, projection, reproduction, for the magnifying apparatuses, Vol. 1(1970) ロシア製レンズが全て網羅されているカタログ資料
  • 文献5 SovietCams.com
  • 文献6 レンズに付属した取り扱い説明書
入手の経緯
ロシアのカメラ屋から新品(オールドストック)を99ドル(送料込み)で購入した。レンズには純正のプラスティックケースとシリアル番号付きのレシート、ロシア語で書かれたマニュアルが付属していた。このセラーは2004年製の新品をかなりの数保有しているようであった。インダスター61L/Zは絞り羽に油シミの出ている個体が大半であるが、今回入手した2004年製の個体は比較的新しいためか油染みが全くみられなかった。レンズはヤフオクの転売屋が中古品を数多く取り扱っており、流通量も豊富である。ヤフオクでの相場は中古美品が18000~20000円程度、海外では中古美品が6000円~8000円、新品が8000円~10000円程度で取引されている。国内市場で新品はなかなか出ないようだが、出れば20000円~25000円あたりの値が付くのであろう。人気が過熱気味の日本だけの相場なので、現在は送料を加味しても海外から入手したほうがお得であることは間違いない。
最短撮影距離:30cm, 絞り機構 プリセット式,  焦点距離 50mm, 絞り値 F2.8-F16, 撮影倍率1:約3.5, フィルター径 49mm, 重量(実測):212g, 設計構成 3群4枚テッサー型
撮影テスト
50mmの焦点距離を考えると星ボケを効果的に出せるのは被写体に近づいて接写を行う時のみに限定される。撮影方法はバブルボケの時と全く同じで、まずはじめにピカピカ光る光源をみつけ、フォーカスリングを回してボケ具合を決定する。ちなみに星型にボケるのは絞りを少し絞った時である。続いてピント部を飾るメインの被写体を見つけピントを合わせる。このとき被写体へのピント合わせはフォーカスリングを用いるのでなく、手でカメラを前後させて行うのがポイントである。こうすれば一度決定した背後のボケ具合に大きな変化はない。
昼間の撮影は夜間のイルミネーション撮影よりもテクニックが求められる。星ボケを効果的に発生させるには太陽光の反射を利用するわけだが、肝心なのは太陽に対して半逆光の条件で撮影することである。カメラの露出補正は+1EV程度オーバーに設定しておいたほうが、星ボケがクッキリと写るのでおススメである。あと、今回は人に見せられるような作例が見当たらなかったものの、前ボケを利用するのもよい。
レンズはシャープな描写で知られるテッサータイプである。開放でもスッキリとぬけたクリアな像が得られ、解像力こそ平凡だが、鮮やかな発色とメリハリのある高いコントラストを特徴としている。ボケは四隅まで安定しており、グルグルボケや放射ボケは出ない。同じF2.8のテッサー型レンズでも本家ツァイスのテッサーやフォクトレンダーのカラースコパーなどは背後に僅かにグルグルボケがみられるが、このレンズに関しては四隅までボケの乱れが一切みられない。ピント部の画質は四隅まで安定しており、像面も平らで平面性は高いが、そのぶん立体感には乏しい。ゴーストやハレーションは逆光時でも全くと言ってよいほどでない。F2.8のテッサータイプとしては、かなり優秀なレンズである。
F5.6, sony A7(AWB)
F5.6, sony A7(AWB): 

F5.6, sony A7(WB:電球)

F5.6, sony A7(WB:白色電球)