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2025/10/18

Ernst Leitz Wetzlar SUMMARON 3.5cm F3.5 (Leica L39)




階調描写と空間構成で魅せる
モノクロ・スナップの定番レンズ

Leitz Wetzlar SUMMARON 3.5cm F3.5

ズマロンは、ライカの歴史の中で「手軽に扱える優秀な広角レンズ」として、多くの写真家に親しまれてきました。とりわけモノクロフィルムとの相性に優れ、195060年代のスナップ写真家たちにとっては、日常を切り取るための定番レンズでした。

色彩を排したモノクロ写真では、白と黒の間に広がる階調変化が表現の核となります。色を排した制約は、むしろ構図や質感といった他の要素を際立たせる契機となり、写真に深みを与えます。ズマロンは決してコントラストの強いレンズではありません。しかしその真価は、中間調のトーンを繊細に拾い上げる描写力にあります。つなぎ目のない滑らかな階調が、レンズ本来の高い解像感と相まって、平面性を超えた立体的な像を生み出します。カラー写真が主流となった現代においても、ズマロンは私たちを美しい階調描写の世界へと誘います。

さらに、広角レンズならではのパースペクティブもズマロンの魅力のひとつと言えるでしょう。

時間の流れを持たない静止画の世界では、空間の構成力こそが重要です。広角レンズが得意とする視線誘導や遠近感を活かした構図は、動きのない一枚の画に動的な変化をもたらし、写真表現に意味深さと物語性を生み出します。

スペックは控えめながらも、ズマロンには静止画に求められる基本的な性能がしっかりと備わっています。階調描写力と空間構成力に優れ、スナップシューターの意図に的確に応えてくれる頼もしい存在なのです。





ズマロンの登場とその背景

ズマロン3.5cm F3.5は、広角エルマー3.5cm F3.5(1930年登場)の後継製品として開発され、1949年(1945年説もあり)にバルナックライカ用の広角レンズとして発売されました[1]。設計構成は4群6枚のガウスタイプで、資料は乏しいものの、戦後にショット社から供給された重クラウンガラスなどの高屈折・低分散硝材が導入されていたと考えられます。エルマーに比べて収差補正が強化され、画面全体にわたって画質の改善が図られました。設計を手がけたのは、エルマーやズマールを開発したライツのレンズ設計士マックス・ベレーク(Max Berek)。製造本数は122021本と非常に多く、その人気の高さがうかがえます[1,2]。ラインナップには、初期型のスクリューマウントモデルに加え、1954年にはバヨネット式Mマウントモデルも登場しました。

1958年に上位モデルのズミクロンM35mm F2が登場し、さらにSUMMARON 35mm F2.8の改良モデルが続いたことで、1959年に生産を終了しました。


 

ガウスタイプ vs ゾナータイプ —描写思想の対峙とその余韻

1930年代、標準レンズの分野において、ライツ社のズマールとツァイス・イコン社のゾナーが市場を巡って激しく競い合いました。表向きには、レンズの明るさや商業的な優位性をめぐる争いとして語られることが多いこの競合ですが、一部の愛好家たちは、より本質的な視点からこの対立を捉えています。すなわち、ガウスタイプとゾナータイプという異なる光学設計がもたらす描写特性の違いに対する、世間の嗜好を問う思想的な対峙であったという見解です。実は、この対立をなぞるようなライバル両社の小競り合い(場外乱闘)が、戦後に広角レンズの分野でもありました。

ガウスタイプは微かなフレアを伴いながらも高い解像力と線の細い描写を特徴とし、繊細で詩的な表現を得意とする設計思想です。一方、ゾナータイプはシャープネスとコントラストの強さ、ヌケの良さを武器に、力強く明快な描写を志向します。両者はそれぞれに他にはない長所と短所を備えた、対極的な存在でした。当時の世論は、ゾナーの描写傾向に軍配を上げたかのように見えます。しかし、この描写思想の火種は戦後も燻り続け、やがて広角レンズの分野へと飛び火し、再び対立の炎を巻き起こします。

戦後、ゾナータイプの構成を基盤としたツァイス・イコン社のビオゴンが広角レンズ界で大きな影響力を持つ中、1949年にはガウスタイプの構成を踏襲したライツ社のズマロンが登場。12万本の販売を記録する人気商品となり、ガウスタイプの思想がリベンジを果たすこととなります。この大ヒットを後押ししたのは、戦後に進化したガラス硝材の性能向上と、コーティング技術の成熟です。これらの技術的進歩が、ガウスタイプの弱点を補い、その描写思想に有利な時代背景を形成したのです。 


参考文献・資料

[1] Camera wiki forum: Summaron f= 3.5 cm 1:3.5

[2] kenrockwell.com: LEICA 35mm f/2.8, Leica SUMMARON

[3]  Serial Number data set, Puts Pocket Pod.pdf

[4] 郷愁のアンティークカメラ III・レンズ編 アサヒカメラ増刊号 朝日新聞社 1993

[5] アサヒカメラ ニューフェース診断室『ライカの20世紀』朝日新聞社

Leitz SUMMARON 3.5cm F3.5(1st) : 右はSUMMARON/ ELMAR用純正フードFOOKH, 絞り F3.5-F22, 最短撮影距離 3.5feet, フィルターねじはない, 絞り羽 10枚構成, 設計構成 4群6枚ガウスタイプ, 発売 1949年 , 重量 147g, ライカL39マウント

 

 

入手の経緯

このレンズは、20257月にヤフーオークションを通じて福岡の古物商から5万円強で入手しました。ズマロンはガラスにクモリが生じやすいことで知られており、状態の良い個体を見つけるのは容易ではありません。実際、中古市場に流通している多くの個体には何らかの問題が見受けられますが、時間をかけて丁寧に探せば、現実的な価格で良好なコンディションの個体を見つけることも可能です。

購入に際しては、販売者の信頼性を見極めることが何より重要です。私の場合、商品の状態に対して適切な検査を行っていること、過去のフィードバックに大きな問題がないこと、そして記載内容と実物に大きな乖離があった場合に、返品対応に応じてくれることを取引相手の選定条件として重視しています。今回取引した販売者はオーディオ機器とカメラ用品を専門に扱っており、ビンテージ品を扱う専門性の高さが好印象でした。さらに、常時、複数のレンズを出品しており、強い光を用いた検査を行っていること、カビやクモリの有無を明確に記載している点からも、信頼に足る相手と判断できました。レンズは競買を経て最終的に、49500円で落札することができました。中古市場における本レンズの取引相場は、ネットオークションの場合に、クモリのある個体が4万円〜5万円程度、クモリのない良好な状態の個体では6万円〜8万円程度が目安です。ショップで購入する場合は、これらの価格に2万円程度を上乗せした額を現在の相場と見ています。

中判デジタル機GFXとの相性

ズマロンには中判イメージセンサーをカバーできる広大なイメージサークルが備わっています。Fujifilm GFXシリーズやHASSELBLADの中判デジタル機で用いた場合は、35mm判換算で焦点距離27mm、開放F値F2.7相当の広角レンズとして使用でき、パースペクティブもそれなりに大きくなりますが、ケラレはありません。ただし、四隅では光量落ちが少し目立つようになります。これを避けたいならば、カメラの設定でアスペクト比を変更し、対角線画角を少し狭くしてやればよいです。おすすめは16:9, 65:24あたりですが、中でも65:24は対角線画角がレンズの定格である35mm判の対角線画角とほぼ同じであるため、規格外の画質の乱れや光量落ちの心配が全くありません。

写真サンプル

開放から滲みの無いシャープな像が得られるレンズで、歪みも良く補正されています。イメージサークルに余裕があるためか、四隅の光量落ちは目立たないレベルです。ただし、モノクロ撮影用に最適化されており、中間階調は豊富に出るものの、カラー写真での鮮やかな発色は期待できません。コントラストは低いため、彩度が抜けたくすんだ様な色味となり、力強い発色を求めるシーンには不向きであることが分かります。しかし、こうした特性こそが「オールドレンズの味」と言われるものの正体ですので、使い方次第では現代レンズにはない表現力となります。毒も使い方一つというわけですね。もちろん、モノクロ専用レンズとして活用すれば、その真価が最大限に発揮されるでしょう。

カラーであれモノクロであれ、レンズの特性を理解し、それに即した撮影を心がけることで、より魅力的な写真表現が可能になります。

F8, Fujifilm GFX100S(Aspect Ratio 16:9)


F4, Fujifilm GFX100S



F5.6, Fujifilm GFX100S




F3.5(開放) F4, Fujifilm GFX100S(Aspect Ratio 16:9)




F3.5(開放) F4, Fujifilm GFX100S(Aspect Ratio 16:9)


F3.5(開放) F4, Fujifilm GFX100S(Aspect Ratio 16:9)


F3.5(開放) F4, Fujifilm GFX100S(Aspect Ratio 16:9)


F3.5(開放) F4, Fujifilm GFX100S(Aspect Ratio 16:9)
Fujifilm GFX100S(Aspect Ratio 65:26)
Fujifilm GFX100S(Aspect Ratio 65:26)
Fujifilm GFX100S(Aspect Ratio 65:26)






Fujifilm GFX100S(Aspect Ratio 65:26)


Fujifilm GFX100S(Aspect Ratio 65:26)



2025/04/27

Leitz Canada SUMMICRON 90mm F2(2nd), LEICA SUMMICRON-M E55 90mm F2(3rd) and Leitz Canada Summicron-R 90mm F2

解像力優先からコントラスト優先の時代へ

設計理念の変遷を3本のズミクロンが駆け抜ける

Leitz Canada SUMMICRON 90mm F2(2nd); LEICA SUMMICRON-M E55 90mm F2(3rd); Leitz Canada SUMMICRON-R 90mm F2

カラー写真時代の幕開け

1970年はカラー写真がモノクロ写真に代わって写真の主役となる転換点の年でした。同年に大阪で開催された万国博覧会(大阪万博EXPO'70)では記録映画の制作にカラーフィルムが積極的に使用され、宣伝キャンペーンが展開されています。その効果もあって、この年を境にカラーフィルムがモノクロフィルムの販売数を超え、写真と言えばカラー写真をさすまでになります[1]。1972年には米国のイーストマン・コダック社がカラー・ネガフィルムの現像処理方式であるC-41プロセスを採用し、現像処理における世界標準として広まりました。日本の富士フィルムもこの方式と互換性のあるCN-16プロセスを採用、現像処理の統一規格が定まったことで全国各地にカラー写真の現像所が整備され、カラーフィルムの急速な普及を後押ししたのです。写真撮影の中でカラー写真の占める割合は1965年に10%前後でしたが、1970年には40%を超え、1970年代半ばには80%近くまで達しています[1]。この動向はモノクロ写真が中心であったそれまでの写真業界に地殻変動とも言える大きな変化をもたらしたのでした。カメラメーカー各社はカラー写真に最適化された製品を作るようになり、特に写真用レンズにおいては、この時期に設計理念を根本から見直す機運がうみだされます。こうした変化の煽りを最も強く食らったレンズの一つが、ライカのズミクロンでした。

設計理念の変化

モノクロ写真からカラー写真への移行で大きく変わった点として、まず挙げられるのは、フィルムの解像度です。モノクロフィルムはカラーフィルムよりも粒子が細かく、記録密度が高く、3倍程度の高い解像度を持ちます。カラーフィルムの急速な普及により写真用レンズの解像力に対する性能要件は大きく低下し、代わりに発色の良し悪しを決めるコントラストが重視されるようになります。レンズの描写設計で言うならば、多少の解像力は抑えてでもフレアの抑制が優先されるバランス型の描写が求められるようになったわけです。もう少し言い換えると、解像力を重視し球面収差を僅かに過剰補正とするそれまでのトレンドから脱却し、コントラストにも配慮した完全補正または弱補正不足が好まれ、かつ色収差にも配慮した収差設計にする方が時代にニーズにあったレンズになるというわけです。解像力を活かし切ることのできない時代が後から到来してしまったわけですから、さぁたいへん。このような動向の中で、かつて高解像レンズの象徴とまで言われ称賛されたズミクロンに対しても、設計理念の見直しが行われていったのです。

高解像レンズの絶対王者

ズミクロンといえば標準レンズが有名です。特に1959年にライカM2用として発売された初期型の固定鏡筒タイプは、モノクロ写真全盛時代に設計されていることもあり、解像力に偏重した特徴のある画質設計となっています。このレンズの解像力をアサヒカメラのニューフェース診断室検査したところ、測定器の限界である280本(LP/mm)を超え計測不能と診断されてしまいます[2]。この記録はニューフェース診断室34年間の最高レコードとなり、日本におけるズミクロンの存在を特別なものとしていますただし、カラー写真時代の幕開けとともに1969年に登場したズミクロン第2世代ではコントラストにも配慮したバランス型の描写設計となり、解像力も180本程度とここまで高いものは作られませんでした[2]。今回取り上げる望遠タイプのズミクロンにおいても、このような設計理念の変遷を見ることができます。


ズミクロンの中望遠モデル

ライカはある時期からズマール、ズミタールなどの名称を改め、口径比F2のレンズをズミクロンで統一しています。ズミクロン・ファミリーには標準レンズに加え広角モデルと中望遠モデルがあり、今回取り上げる焦点距離90mmの中望遠レンズも口径比はF2ですのでズミクロンです。

ズミクロン90mmが登場したのは標準レンズの初期型と同じ1953年でした。度重なるモデルチェンジを繰り返し、現在も第5世代のAPO SUMMICRON-M 90mm F2が市場供給され現役モデルとして活躍しています。各世代の主な特徴は上の表のとおりです。

第1世代と第2世代はいずれも5群6枚の拡張ガウスタイプで、おそらく同一設計です(上図)。このクラスの長焦点モデルにわざわざ望遠比の大きなガウスタイプを導入したのは、ポータビリティよりも画質を重視したためであると考えられています。望遠比と収差量は反比例の関係にありますので、鏡胴を短縮するためパワー配置を前群側に移動して望遠比を小さく抑えると、球面収差の膨らみが増し、解像力が犠牲になります。これは言い方を変えればポータビリティと解像力がトレードオフの関係にあるということです。第1・第2世代は大きく重いレンズですが、画質最優先で設計されたモデルだったわけです。また、この世代のモデルには「空気レンズ」を導入し球面収差の膨らみを抑える工夫が施されており、加えて非点収差もほぼ完璧に補正されています。その結果、解像力は写真の中心部で140本(LP/mm)と長焦点レンズにしては非常に高く、画面平均でも100本と均一性においても優れています[2]。当時のモノクロフィルムの解像度が90本(LP/mm)程度でしたので、これはフィルムの記録密度をほぼ全面にわたり活かす事のできる性能といえます。ただし、カラーフィルムの急速な普及が始まった1970年前後からはMTF曲線にも配慮したコントラスト重視の描写設計に方針転換されており、第3世代・第4世代では基本設計が望遠比の小さなエルノスタータイプ(4群5枚)に変更、前世代よりも鏡胴は格段に短くコンパクトなレンズとなっています。エルノスタータイプといえば線の太い力強い画作りに加え、スッキリとした抜けの良い描写、安定感のある綺麗なボケが特徴で、解像力よりもコントラストで押すタイプの典型です。ズミクロンにおいても第3・第4世代ではMTF曲線が全画面で80%以上を維持しており、明らかにコントラストを重視した設計となっています[2]解像線の本数は写真の中心部で112本(LP/mm)、画面平均で80本と、やはり第1・第2世代には及びませんが、エルノスター・ベースのレンズとしては、かなり優秀な水準をキープしています。まぁ、当時のカラーフィルムの解像度は30本程度と言われていますので、これでもカラー写真で用いるには過剰な性能であったわけです。画面全体の平均解像度をみてやると、第1・第2世代は100本でしたが、第3・第4世代では80本に落ちています。これをマニアにはおなじみのKatzの公式[4]に当てはめ試算しますと、カラーネガフィルムに記録される像の解像度としては24本が21本に落ちる程度で済んでおり、たいした問題ではなかったようです。

AIが描いたマンドラー博士

今回取り上げる3本のレンズはいずれもライツのマンドラー博士(Walter Mandler, 1922-2005年)による設計です。マンドラー博士はマックス・ベレークから直接指導を受けた最後の弟子と言われています。ライカ在籍時に45を超えるレンズを設計し、ライカM/Rマウント交換レンズシステムの構築に大きく貢献した名設計者として知られています。博士の設計したレンズのデザインは総じてどれもマンドラー・デサインなどと呼ばれることがあるようですが、博士自身はコンピューターを援用したガウスタイプレンズの設計法で学位論文を書いていますので、やはりマンドラーらしさを象徴するレンズは今回のレンズの中では第1世・第2世代であろうと思います。ちなみに、博士自身にお気に入りの1本はどれかと尋ねたインタビュー記事があり、ズミルックス75mm F1.4であると答えています[5]。性能とポータビリティのバランスが絶妙だからとのこと。

 

Leitz Canada SUMMICRON 90mm F2(2nd, M-mount) : フィルター径 49mm, 重量 685g, 最短撮影距離 1m, 絞り F2-F22, 絞り羽 12枚, 設計構成 5群6枚(拡張ガウスタイプ), ライカMマウント, 組み込みフード, 販売期間 1963-1980年

Leitz Canada SUMMICRON-R 90mm F2(3rd, R-mount for Leicaflex): フィルター径 55mm, 重量 560g, 最短撮影距離 0.7m, 絞り F2-F16, 絞り羽 8枚, 設計構成 4群5枚(拡張エルノスター), ライカRマウント, 組み込みフード, 販売期間 1970-2000年

Leica SUMMICRON-M 90mm F2 E55(4th, M-mount) : フィルター径 55mm, 重量 695g, 最短撮影距離 1m, 絞り羽 11枚, 設計構成 4群5枚(拡張エルノスター型)  販売期間 1980-1998年, ライカMマウント, フード組み込み

参考文献

[1]「アマチュアカラー写真市場の拡大」富士フィルム50年のあゆみ

[2] アサヒカメラ ニューフェース診断室『ライカの20世紀』朝日新聞社

[3] Serial Number data set, Puts Pocket Pod.pdf

[4]  郷愁のアンティークカメラ III・レンズ編 アサヒカメラ増刊号 朝日新聞社 1993

[5] Viewfinder Magazine, Vol. 38, No. 2

[6] Leica M-Lenses: Their soul and secrets  by Erwin Puts

 

入手の経緯

今回取り上げた3本のレンズは2024年11月から2025年3月にかけて、いずれも国内のネットオークションで入手した状態の良い個体です。オークションでの取引相場はMマウントの第2世代が7万円〜9万円、Rマウントの第3世代が7万円〜9万円、Mマウントのモデルが13万円〜15万円程度です。私自身は第2世代を81000円、第3世代を91000円、第4世代を140000円で手に入れました。ライカのレンズは比較的高価であることに加えブランド力が高いため、ネットオークションには転売屋による取り扱い品が多く出回っており、値段の割に検査が甘い傾向にあります。また、初期不良など出品側の原因による返品であっても出品手数料を例外なく落札側に負担させるケースが横行しており、地雷を踏むと手数料だけで1万円も取られてしまいます。オークションの記載はしっかり読んでおくことをお勧めします。また、レンズは流通量が豊富なので、急がないのであれば中古店を回って探すのも良い手です。

撮影テスト

スペックデータから言ってしまえば、解像力は中央部・四隅ともに第1・2世代の方が第3・4世代よりも良く、非点収差も驚異的に小さいのでグルグルボケは全く出ないと考えられます。逆にコントラストや発色は第3・4世代の方が優れています。事前情報では第1・第2世代の方に何らかのクセがあり、第3・第4世代の方が現代的で大人しい描写という意見が多くありました。ここはガウスタイプとエルノスタータイプの性格の差なのかなと漠然と思い信じ込んでいましたが、実際に使ってみますと、いずれのモデルも開放からスッキリとしたクリアな描写でヌケがよく、解像力・解像感ともに満足のゆくレベルで、クセらしいクセはありません。第2世代は発色が若干落ち着いておりオールドレンズらしさを残しているのに対して、第3・4世代の方がコッテリと色が乗りコントラストの良い現代レンズ的な描写です。ボケはどのモデルも充分に綺麗で距離によらず安定しています。ただし、口径食は明るい望遠レンズ相応に出ており、四隅で点光源からの玉ボケが扁平しています。歪みは第1・第2世代が樽型、第3・第4世代が糸巻き型で、どちらも非常に少ないレベルです。デジタルカメラで使用すると色収差(軸上)がある程度目立ちます。これは第2世代のみならず、第3・4世代でも同様です。

SUMMICRON-M(2nd)+Nikon Zf
 
SUMMICRON-M(2nd) F2(開放) Nikon Zf(WB: 日陰)

SUMMICRON-M(2nd)  F2(開放) Nikon Zf(WB: 日陰)
SUMMICRON-M(2nd)  F2(開放) Nikon Zf(WB: 日陰)








SUMMICRON-M(2nd)  F2(開放) Nikon Zf(WB: 日陰)
F2(開放) Nikon Zf(WB: 日光A)

SUMMICRON-M(2nd)  F2(開放) Nikon Zf(WB: 日光A)

SUMMICRON-M(2nd)  F2(開放) Nikon Zf(WB: 日光A)

F2(開放) Nikon Zf(WB: 日光)

F2(開放) Nikon Zf(WB: 日光)

F2(開放) Nikon Zf(WB: 日光)
SUMMICRON-M(4th)+ Nikon Zf
 
F5.6  SUMMICRON-M (4th)  F4  Nikon Zf(WB:日陰)

SUMMICRON-M (4th) F2(開放) Nikon Zf(WB:日光A)
SUMMICRON-M (4th) F2(開放) Nikon Zf(WB:日光A)



SUMMICRON-R(3rd) + Nikon Zf

 
SUMMICRON-R(3rd) F2(開放) Nikon Zf(日光A)

SUMMICRON-R(3rd)  Nikon Zf(日光A)

SUMMICRON-R(3rd) F2(開放) Nikon Zf(日光A)






2023/06/20

Ernst Leitz Wetzlar SUMMAR 5cm F2



ライカF2級レンズの始祖

Ernst Leitz SUMMAR 5cm F2


現代のレンズでは得難い独特な描写表現は、オールドレンズの真骨頂です。であればこそ、これからオールドレンズの世界に足を踏み入れようとするエントリーユーザにはそうした描写表現が際立つレンズを勧めたい。ライツの標準レンズで言えば、ズマールこそがその代表格といえる製品です。

オールドレンズの伝道者

ズマールの描写は、現代のレンズの基準から見ると決して良いものとは言えません。軟調で淡白、逆光撮影に著しく弱く、紗が入ったような開放描写など、表現はあくまで「緩め」です。しかし、オールドレンズが工業製品としての市民権を得た今なら、ズマールはその価値を昇華させてくれる最高に優れた製品と言えます。解像力は高く、線の細い緻密な描写表現が可能なうえ、画像中央から四隅にかけての良像域がとても広いなど、上級者から見てもハッとする要素を備えています。お世辞抜きでライツ製品の格の違いを実感させてくれる一面を持ち合わせてもいるのです。

一方、「ズマールではハードルが高すぎる」「エントリー層にはもう少し大人し目のズミクロンやズミタールのほうがとっつきやすいのでは」といった正反対の意見もあります。実に興味深い事です。物事は多面的に見ることで本質に至るわけですから、どちらも正論なのかもしれません。手にするユーザの気質を考慮する必要がありそうです。ズマールはオールドレンズのエントリーユーザを容赦なく振り回し、「どうだ、わかったか。これがオールドレンズだ!」と力強く諭してくれる頼もしい存在です。これを素晴らしいと喜び評価する人もいれば、私には手に負えないとこのレンズの元を去ってゆく人もいる、というのが実情でしょう。

ズマールの登場と背景

ズマールを開発したのはライツのレンズ設計士マックス・ベレーク(Max Berek)で、レンズは1933年発売のLeica DIII(ライカIII型)に搭載する交換レンズとしてカメラと共に世に出ました。この前年の1932年にライバルのツァイスがコンタックスと共にゾナー 50mm F1.5と50mm F2を発売していますが、これを迎え撃つライツにはヘクトール50mm F2.5しかなく、ライツは劣勢に立たされていました。ズマールはライツが巻き返しを図るべく市場投入した、まさに社運をかけた製品だったわけです。レンズは1933年から1940年までの8年間で12万7950本弱というかなりの数が製造されました[1]。その後は後継製品のズミタール50mm F2にバトンを渡し、生産終了となっています。

レンズ構成は下図に示すようなオーソドックスな準対称ガウスタイプ(4群6枚)で、前玉にやわらかい軟質ガラスが用いられています。このため残存する製品個体には前玉に無数の傷やクモリのあるものが多く見られます。わざわざ耐久性を度外視してまで実現したかったものは一体何だったのか。一刻も早くゾナーに追いつき、ゾナーとタイマンを張るためだったのでしょうか。いずれにしても、ズマールが当時のガウスタイプで実現しうる精一杯の描写性能を垣間見ることのできる重要なレンズであることに、疑いの余地はありません。

SUMMAR 5CM f2の構成図(文献[1]からのトレーススケッチ)設計構成は4群6枚の準対称ガウス型です

 
ズマール vs ゾナー
1930年代に繰り広げられたライツとツァイスのシェア争いは、表向きレンズの明るさと商業的な優位性をかけた争いとして紹介されることが多いわけですが、一部のマニアはこの争いに少し異なる見解を与えており、ガウスタイプとゾナータイプの描写特性の本質的な違いに対する世間の嗜好を問う争いであったと捉えています。微かなフレアをまといながらも解像力の高さ、線の細い描写で勝負する繊細な性格のガウスタイプに対し、シャープネスとコントラスト、ヌケの良さと発色の鮮やかさで押す力強い性格のゾナータイプ。両者はお互いに他者にない長所と短所を持ち合わせた対極的な存在でした。ゾナーの方がより現代的なレンズに近い描写傾向であることは言うまでもありません。当時の世論はゾナータイプを支持したかのように思えます。

参考文献
[1]"SUMMAR 50mm, f/2 1933-1940", LEICA COLLECTOR'S GUIDE

[2]「ライカのレンズ」写真工業出版社 2000年7月

[3] 郷愁のアンティークカメラ III・レンズ編 アサヒカメラ増刊号 朝日新聞社 1993年


中古市場での相場

12万本を超える製造本数ですので流通量は今でも多く、中古市場での相場は他のレンズに比べると安定しています。国内のネットオークションでの相場は状態により最低4~5万円から上は7~8万円前後と幅があり、海外での相場も似たような動向です。中古店では下が5~6万円で上は10~15万円程度とやはり幅があります。下の価格帯では前玉が傷だらけでクモリ入りの個体です。あるいは、ガラスが研磨されている場合もあります。傷のない個体は極めて少ないのですが、探せば見つかります。ただし、それでもクモリのある場合が大半といいますか、ほぼ全部です(笑)。湿気に加えてコーティング層による表面保護がないことが、クモリの主要因であるアルカリ劣化を促進させてしまうのかもしれません、研磨されている個体はオリジナルの性能とは少し異なり、焦点距離が僅かに変化しているとともに、諸収差の補正パラメータに若干の変化があります。補正パラメータに配慮した修理が行われていればよいのですが、そうでない業者の手にかかる場合には、解像力の低下や収差の増大がみられる事態が容易に想像できます。私は約3年間もの時間をかけ充分に実用的と思えるレンズを探しました。その間、100本以上の個体を見て回りましたが、結論として傷が少なくクモリがなく、磨かれた痕跡のない個体を探し当てるのは困難と判断しました。そこで、描写への影響が最小限に留められるレベルで傷とクモリを容認することとし、在庫を多く抱える前橋の中古カメラ店から6万5千円で状態の最も良さそうな個体を入手しました。拭き傷は少なく、クモリも前玉にごく薄いものが見られましたが、このコンディションが3年間かけて得られた精一杯の結果です。

Ernst Leitz SUMMAR 5cm F2:  重量(実測) 177g, 絞り F2-F12.5, 最短撮影距離 1m, フィルター径 内径34mm 外径36mm(被せ式), 設計構成 4群6枚ガウスタイプ 

 

撮影テスト

ズマールの描写は、現代のレンズの基準から見ると決して良いものとは言えません。軟調で淡白、逆光撮影に著しく弱く、紗が入ったような描写など、表現はあくまで「緩め」です。開放ではコマ収差に由来するフレアがピント部に見られ、拡大像が滲んで見えますが、持ち前の高い解像力と相まって。線の細い緻密な描写表現が可能です。また、画像中央から四隅にかけての良像域が広く、四隅に被写体をおいても十分に緻密な像が得られます。背後のボケは安定しており、グルグルボケが顕著化することはありません。繊細な結像描写と淡く軟調な階調描写を持ち味とするズマールは、オールドレンズの価値を昇華させてくれる、たいへん優れた製品であると言えます。

今回は定格のフルサイズ機SONY A7R2と、規格よりも一回り画大きな中判センサーを持つFUJIFILM GFX100Sでの作例をお見せします。

F4 SONY A7R2(WB:日陰)


F2(開放) SONY A7R2(WB:日陰)

F2(開放) SONY A7R2(WB:日陰)

F2(開放) SONY A7R2(WB:日陰)
F2(開放) SONY A7R2(WB:日陰)

F2(開放) SONY A7R2(WB:日陰)



Fujifilm GFX100Sでの写真作例

Summarのイメージサークルには余裕があり、中判デジタルカメラのGFXシリーズで使用する場合にも暗角(ケラレ)は発生しません。GFXで使用する場合の換算焦点距離は38.5mmで換算F値はF1.54です。Fujifilmのデジタルカメラに搭載されているフィルムシミュレーションのノスタルジックネガやクラシッククロームが、このレンズの性格とよくマッチすると思います。

F2(開放) Fujifilm GFX100S(WB:日光, FS: ノスタルジックネガ)

F2(開放) Fujifilm GFX100S(WB:日光, FS: ノスタルジックネガ)
F2(開放) Fujifilm GFX100S(WB:Auto, FS: クラシッククローム)

F2(開放) Fujifilm GFX100S(WB: ノスタルジックネガ, Color:-2)

F2(開放)  Fujifilm GFX100S(WB: ノスタルジックネガ, Color:-2)