おしらせ


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2016/08/08

Carl Zeiss Pro-Tessar 35mm F3.2, 85mm F3.2, 115mm F4 and Tessar 50mm F2.8(Prologue)


特集コンタフレックスのプロ・テッサー(プロローグ)
肉厚ガラスで奏でる美しい旋律
プロテッサー(Pro-Tessar)は旧西ドイツのツァイス・イコン(Zeiss-Ikon)社が1957年から1975年まで生産した一眼レフカメラのコンタフレックスIII型以降のモデル(Contaflex III、IV、Rapid、Super、Super(new)、Super B、Super BC、S)に供給したコンバージョンレンズ群である。米国をはじめとする西側諸国への広告戦略がうまくゆき、コンタフレックスシリーズは人気商品となった。カメラにははじめからテッサー(Tessar) 50mm F2.8が標準搭載されており、テッサーの前玉をPro-Tessarの各モデルに交換することで広角35mm、中望遠85mm、望遠115mm、等倍マクロ撮影、ステレオ撮影などに対応することができた。レンズのラインナップは下記のとおりである。
  • Pro-Tessar 35mm F4およびF3.2(改良型)
  • Pro-Tessar 85mm F4およびF3.2(改良型)
  • Pro-Tessar 115mm F4
  • Pro-Tessar M1:1 50mm F5.6(マクロ専用)
  • Steritar B(ステレオ撮影用)
焦点距離35mmと85mmのモデルははじめF4の口径比で登場したが、1962年に同一構成のまま口径比をF3.2まで明るくした新モデルに置き換わっている。レンズを設計したのは名玉ローライフレックス版プラナーの設計者として知られるギュンター・ランゲ(Günther Lange)で、1955年と1956年に出願した本レンズの米国特許の記録がみつかる[文献1,2]。
Pro-Tessarファミリーの構成図(文献[3]からのトレーススケッチ(見取り図))。上方の青で着色した部分が前群側(コンバージョンレンズの側)で、黄色に着色した部分が後群側(カメラの側)という位置関係になっている。青で示したコンバージョンレンズ群を交換することで様々な焦点距離や用途に対応させることができた



プロ・テッサーの魅力は何と言っても肉厚ガラスを用いた異様な設計形態であろう(上図)。焦点距離35mmのモデルにもかなりの肉厚ガラスが備わっているが、85mmや115mmのモデルに至っては、もう見事としか言いようがない。このような設計形態はレンズをコンパーシャッターに無理やり適合させるところから来ており、シャッターの狭い開口部に光を通すため、前群側で屈折力を大いに稼ぐ必要があった。シャッターの制限から来るハードルを高い技術力で突破してしまうあたりは、いかにもツァイスらしい製品と言える。なお、Zeiss-Ikon社がこうまでしてシャッターへの適合に拘ったのは、同社が二大シャッターメーカーのコンパー(Compur)とプロンター(Prontar)を傘下に入れてしまったためであると言われている。シャッターの生産量を維持するという経営面での事情と、何でも作れてしまうZeissの技術力が重なり、このような異様な設計形態を生み出す原動力になった。これは驚くべき事例である。
 
プロテッサーをデジタルカメラで用いる
プロ・テッサーはコンタフレックス用テッサー50mm F2.8の後群側をマスターレンズとするコンバージョンレンズ群である。テッサーの前玉はバヨネット方式になっており、これを外してプロ・テッサーに取り換える仕組みになっている(下・写真参照)。レンズを現代のデジタルカメラで用いるにはコンタフレックスの本体に固定されているマスターレンズをシャッターユニットごとカメラから取り出し、デジカメ用のマウントに改造すればよい。私は手元にあったPK-NEXアダプターを使いSony Eマウントに変換することにした。これさえあれば、プロ・テッサーシリーズ全てをデジタルカメラで用いることができる。肉厚ガラスを通り、狭いトンネルをくぐり抜けた光はデジタルカメラのセンサーにどんな像を結ぶのか。興味は増すばかりである。
PK-NEXアダプターに搭載したコンタフレックス用テッサー。前玉はバヨネット方式で据え付けられており、これを外してプロ・テッサーと交換する仕組みになっている



プロ・テッサーを設計したGランゲは同時代にJベルガー(J.Bergar)らと共にマスターレンズをガウスタイプ(Satz-Planar 50mm f2)とする別バージョンのコンバージョンレンズ群を設計しており、製品化はされなかったものの、1957年に広角レンズのプラナー・ゴン(Planar-Gon)35mm f4と望遠レンズのプラナー・テル(Planar-Tel)85mm f4を開発し試作品の段階まで漕ぎ着けている[4]。やはり、これらも肉厚の光学エレメントを多用したレンズであった。
 
参考文献
[1] 焦点距離85mmと50mmのモデルの米国特許:G.Labge, US Pat.2816482(Filed in 1956)
[2] 焦点距離35mmnのモデルの米国特許:G.Lange, US Pat.2835168(Filed in Aug.1955),  US.Pat 2844997(Filed in Nov.1956)。なお、115mmについてはG.Langeとの関連を示す記録がない
[3] 構成図:PHOTO-REVUE(French Magazine), Nov.1956, pp.284
[4] Walter Owens, Vintage Camera Lenses

2015/11/12

Carl Zeiss Jena Tessar 12cm f6.3(初期型 Bテッサー)*



Zeissの古典鏡玉 part 4〔最終回・番外編〕
1886年にZeissのErnst Abbe(エルンスト・アッベ)とOtto Schott(オットー・ショット)は後のレンズ設計に革新的な進歩をもたらす新しいガラス硝材の開発に成功した。その硝材は原料にバリウムを加えることで透過光の分散(色滲み)を抑え、しかもレンズの屈折率を大幅に向上させるというもので、イエナガラス(新ガラス)と呼ばれるようになっている。イエナガラスを光学系の凸レンズに用いれば像面特性を規定するペッツバール和の増大を抑えることができ、従来のクラウンガラスとフリントガラスでは困難とされてきたアナスチグマートの実現が、いよいよ現実味を帯びてきたのである。4年後の1890年にZeissのPaul Rudolph(パウル・ルフドルフ)は最初のアナスチグマートProtar(プロター)を完成させている[注1]。イエナガラスの登場はレンズ設計の分野に大きなインパクトを与え、波及効果は直ぐに広まった。それはまるで生物界に急激な多様化をもたらしたカンブリア爆発のような出来事であった。Protarを皮切りにDagor(ダゴール;1892年), Triplet (トリプレット;1893年), Doppel-protar (ドッペル・プロター;1895年), Planar (プラナー; 1897年), Dialyt (ダイアリート; 1899年)など高性能なアナスチグマートが次々と誕生し、19世紀末から20世紀初頭にかけてレンズ設計の分野は黄金期とも言える彩色豊かな素晴らしい時期を迎えたのである。そして、1902年に後の光学産業の縮図を塗り替えたと言っても過言ではないたいへん高性能なレンズが登場する。ZeissのWandersleb (ヴァンデルスレプ)とRudolphが世に送り出したTessar (テッサー)である。
Tessarは3群4枚という比較的少ない構成にもかかわらず諸収差をバランスよく補正することのできる合理的なアナスチグマートであった。準広角から望遠まで幅広い画角に対応することができ、撮影距離に対する収差変動が小さい特徴をもつため無限遠から近接域まであらゆる用途の撮影に順応できる万能性を備えていた。口径比も登場時はF6.3であったが後にF4.5やF3.5、F2.7にまで対応し、大・中判カメラが主流の時代としては充分な明るさを実現していた。登場から半世紀もの間、Tessarタイプのレンズはあらゆるカメラのメインストリームレンズに採用され、高いコストパフォーマンスで市場を席巻、数多くのレンズ構成を絶滅の淵に追いやっている。その影響はレンズを供給したZeiss自身のラインナップにも及んでおり、ZeissがTessarの上位に据えていた歴代のフラッグシップレンズ達はTessarの圧倒的な人気に押され、活躍の場を奪われている。テッサーの登場はテクノロジーギャップとしてレンズ設計の分野に重くのしかかり、これ以降20年もの間、レンズ設計の分野は目新しい進歩のみられない暗黒時代へと突入してしまうのである。

鷲(わし)の目の異名を持つテッサー
それはドイツ・カメラ産業の救世主なのか?
それとも死神の化身か?
Carl Zeiss Jena TESSAR 12cm F6.3 初期型
TessarはProtarやPlanarを開発したCarl Zeiss社45才の設計士パウル・ルドルフ(Paul Rudolph)と、彼の助手で24才のエルンスト・ヴァンデルスレプ(Ernst Wandersleb)が設計し1902年に登場させた3群4枚構成の単焦点レンズである[文献1]。1893年に英国のH.D.テーラーが開発した3枚玉のTriplet(下図・左)を起点に最後群を新色消しの貼り合わせレンズに置き換えることでペッツバール和を減少させ、画角特性を向上させているのが特徴である[注2, 文献9]。新色消しの導入は球面収差の補正に不利に働くため写真中心部の解像力に限って言えばTripletの方が有利となるが、代わりに包括画角を広げても無理なく非点収差を抑えることを可能にするため、写真の四隅まで均一な画質を実現できる点ではTessarの方が有利な立場にあった[文献2]。後群で増大する球面収差は前群の助けを借りれば補正できる。わずか4枚のシンプルな構成で全ての収差が良好に補正できることからTessarの人気は非常に高く、シャープでハイコントラストな描写性能に対しては後に「鷲(わし)の目」という愛称がついたほどである。1920年にツァイスの特許が切れると光学メーカー各社からコピーレンズが続々と登場している[文献2]。Leitz Elmar, Schneider Xenar, Kilfitt Makro-Kilar, Schacht Travenar, Isco Westar, KMZ Industar, Agfa Solinar, Rodenstock Ysar, Kodak Ektar, Leidolf Lordnar, Meyer Primotarなど例を挙げだしたらきりがない。Tessarタイプのレンズブランドには、語尾に"-AR"がつくという暗黙の共通ルールがあった。ただし、逆に"-AR"がつくからと言って、それが必ずしもTessarタイプであるとは限らず、エルノスター型やゾナー型であるケースもみられる。
左はTriplet, 右はTessarの光学系。双方とも左側が前方(被写体側)である。TessarはTripletの後玉を屈折率の異なる2種の硝子をはり合わせた新色消しレンズ(緑色のエレメント)に置き換えた構成になっている。この置き換えにより非点収差の補正効果を向上させ包括画角を広くとることが可能になっている。新色消しは球面収差の補正ができずこのままでは解像力を損ねる結果に繋がるが、テッサーの場合は前群の助けを借りることで光学系全体でこれを包括的に補正しているので、うまく設計すれば解像力はそれほど悪いものにはならない。ただし、初期のTessarについては、はり合わせる2枚のガラスに分散の差が殆どなく、この部分に色消しレンズとしての効果はほぼ無かった[注2]。当時は硝材の選択肢が限られていたためであろうか?
重量(実測)105g, フィルター径 23.5mm前後, 絞り F6.3-F32, 絞り羽 10枚構成, コンパー 1/250s (MAX), 構成 3群4枚, 焦点距離12cmのモデルの推奨イメージフォーマットは中判6x9cm







Tessarは1902年の登場時にF10, F6.3, F4.5, F2.7の4種類のモデルが試作されており、このうちF6.3のモデルだけが量産に至った[文献3]。おそらくこれはテッサーを明るくすることに反対したルドルフの意向が働いたたためであろう。しかし、1907年になると小型カメラ用にF4.5とF3.5の2種のモデルが登場、これ以降はF6.3をシリーズIIB、F4.5とF3.5をシリーズIIC, 製版用のApo-TessarをシリーズVIIIと呼ぶようになっている。1925年になるとWanderslebとW.Merte(W.メルテ)がワンランク明るいF2.7のモデルを再開発している[文献7]。ただし、性能的に充分ではなかったのか、2人は同年F2.8/F2.9の明るさを持つ6枚構成のBiotessarを別途開発している[文献8]。WanderslebとMerteは1930年に再びテッサーをF2.8の明るさで再設計(ブラッシュアップ)している。この時代のTessarはZeissにとって最も重要な看板レンズだったようで、ツァイスが「THE EAGLE EYE OF YOUR CAMERA/あなたのカメラの鷲(わし)の目」というキャッチコピーで広告を始めたのも、ちょうどこの頃からである[文献4]。鷲は強さ、勇気、遠眼、不死などの象徴として当時のドイツ・ワイマール共和国(1919-1933)では政府旗や軍艦旗にも用いられていた。これをTessarの広告に用いたZeissには、このレンズに対する特別な思いがあったに違いない。Tessar F2.8は1947-1948年にH.Zollner(ツェルナー)が新種ガラスを用いた再設計によって球面収差とコマ収差の補正効果を大幅に改善させた後継モデルを完成させており、この功績は新種ガラスの導入による最も著しい成功事例としてZeissの社報に大きく取り上げられている[文献5]。戦後はゾナータイプやガウスタイプの台頭により高級レンズとしての地位を追われるが、バックフォーカスを比較的長く取れる利点から一眼レフカメラの全盛時代にも生き残り、Tessarは中口径・廉価カメラの定番レンズとして相変わらず高いシェアを維持していた。しぶといレンズである。
今となっては設計こそ古いが、シンプルでコンパクトな設計上の利点からWEBカメラやコンパクトカメラ、スマートフォン搭載用カメラなどでテッサー型レンズが採用されている。2002年にはTessar誕生100周年の記念モデルとしてContax RTS用の45mm F2.8が限定生産された。

参考文献
文献1 Pat. DE142294(1902), US.Pat.660202
文献2 Kingslake, A History of the Photographic Lens(写真レンズの歴史)
文献3 Carl Zeiss Jena台帳:Carl Zeiss Jena Fabrikationsbuch Photooptik I,II-Hartmut Thiele
文献4 Zeiss Objective(Zeiss Photo Lens Catalog) 1933
文献5 Jena review (2/1984) カルツァイス機関紙
文献6 Pat. DE603325, US1849681, Brit.369833(1930)
文献7 British Pat 273274(1926);  B.J.A. 1926, p324
文献8 Brit Pat 256586(1925), DRP 451194(1925), US Pat 1697670(1925)
文献9 写真レンズの基礎と発展(朝日ソノラマ)小倉敏布著

注1・・・アナスチグマートとは補正難度の高い非点収差の攻略によって5大収差の全ての補正を合理的に達成できたレンズである。イエナガラスを用いて非点収差を補正したレンズとしてはProtarよりも先の1888年にH. L. Hugo Schroeder, Moritz Mittenzwei, and Adolph Mietherらが設計した2群4枚のレンズがあり、見方によってはこちらを世界初のAnastigmatと呼ぶこともできる。しかし、非点収差が補正されているだけで他の残存収差は多く、このレンズは不成功に終わっている。こうした事情から一般にはProtarを最初のAnastigmatとする見解が優位なようである。

注2・・・テッサーの初期型では後群の張り合わせレンズに色消しの作用はなく、第3凹レンズに屈折率の低い硝子硝材KF(n=1.52)、第4凸レンズにはショットの新しいイエナガラスSK(n=1.61)が用いられていた[文献9]。両者には分散の差が殆どないので色消しレンズとしての効果はなく、非点収差(ペッツバール和)の補正のみに力がそそがれていたとのことである。

入手の経緯
2015年6月にebayを介し英国のセラー(カメラ屋)から12.5ポンド(2500円)+送料8.5ポンド(1700円)のお手頃価格で落札した。商品の解説は「カールツァイスのビンテージ・レンズ。外観は良好な状態で、マウンティング・リングが付属している。光学系はクリアでカビはないがチリは少々ある。絞り羽は綺麗で完全に作動する。シャッターは作動するが速度は精確ではなく、低速側が粘る。マウント部のネジ径は約33mmで、箱詰め前の重量は0.135kgである」とのこと。届いたレンズは実用レベルとして全く問題のない品であった。

撮影テスト
今回取り上げるF6.3系列のSeries IIBは発売当初より写りが良いことで評判が高く、Bテッサーと呼ばれ多くの写真家に愛用されてきたモデルである。解像力は控えめだが開放から滲みやフレアはなく、線の太いクッキリとした階調描写とスッキリとしたヌケの良さを持ち味としている。ピント部の画質には安定感があり、四隅まで均一性が高く、近接域から遠景まで距離によらずに良く写る。この時代のテッサーはノンコートのため戦後のテッサーに比べると階調は軟らかく発色も若干淡いが、晴天下の撮影でも階調が硬くならず中間部の階調もよく出ている。ボケは開放でもよく整っており、グルグルボケ、2線ボケは全く見られない。安定感がありよく写るレンズである。強いて不満を言えば描写傾向が平面的で立体感に乏しく面白味に欠けるところだ。
テッサーというレンズ名はギリシャ語の「4」を意味するTessaresを由来としており、このレンズが4枚玉であることを意味している。20世紀初頭にテッサーの登場を目の当たりにした世の写真家達はここまでキチンと写るレンズに出会い「なんだ。4枚の構成で充分ではないか!」と、さぞ驚いたことであろう。それまで一世を風靡していた6枚玉のダゴールや8枚玉のドッペル・プロターも高い万能性と素晴らしい描写を誇るレンズであったが、テッサーはこれらと比べ何ら遜色のない高い描写性能を僅か4枚のレンズ構成で実現していたのである。

撮影機材
Camera Bronica S2(6x6cm), Graflex Pacemaker Speed Graphic+ Horseman rollfilm back (6x9cm,6x7cm)
f8, 銀塩ネガ撮影(Fujifilm Pro160NS, 6x6 medium format ), Bronica S2

F8, 銀塩ネガ撮影(kodak portra 400, 6x6 medium format ), Bronica S2, Scan EPSON GT-X820

f11, 銀塩ネガ撮影(Fujifilm Pro160NS, 6x7 medium format ), Speed-Graphic pacemaker + 6x7 rollfilm holder


F6.3(開放), 銀塩ネガ撮影(Fujifilm Pro160NS, 6x9 medium format),  Speed Graphic pacemaker+ 6x9 rollfilm holder
f8, 銀塩ネガ撮影(kodak portra 400, 6x6 medium format ), Bronica S2, Scan EPSON GT-X820

数々のレンズ構成を絶滅させレンズ設計の進化を停滞させた「TESSARの呪縛」は1920年代半ばまで続いた。この呪縛を解き放ったのは後にSONNAR(ゾナー)へと進化するERNOSTAR(エルノスター)タイプやGAUSS(ガウス)タイプなど次世代にその存在を開花させる明るいレンズ達であった。TESSARは20世紀後半まで売れまくるが、Sonnarタイプ、Xenotarタイプ、Gaussタイプなどの高級新型レンズの猛追により徐々にトップスターの座から廉価版レンズという位置づけにシフトしてゆく。20世紀前半から後半にかけて世界中のあらゆるカメラに搭載されたテッサータイプのレンズは、史上最も多く生産されたレンズ構成だったに違いない。
 
Part 1:Biotessar, Part:2: Doppel-Protar, Part 3: Planarと続いた特集「Zeissの古典鏡玉」は今回でおしまいです。ありがとうございました。

2015/07/27

Carl Zeiss Planar 80mm F2.8 for Graflex XL (グラフレックス・プラナー)




Planar(プラナー)と言えばRolleiflex (ローライフレックス)やHasselblad (ハッセルブラッド)に供給されたレンズがその後のプラナーの評価と人気を決定付けたモデルとして有名であるが、Linhof Technica (リンホフ・テヒニカ)やGraflex XL(グラフレックスXL)に搭載され商業写真や報道写真の分野で活躍したモデルも忘れてはならない存在である。線が細く軽やかでエネルギッシュな描写傾向は戦後のオールドプラナーに度々みられる持ち味の一つであるが、こうした描写傾向はグラフレックス版プラナーにおいてもみられるのであろうか。

駆け足プチ・レポート2
Carl Zeiss Planar 80mm F2.8(Graflex XL)
報道用カメラのSPEED GRAPHIC (通称スピグラ)で名を馳せた米国Graflex(グラフレックス)社。今回取り上げるレンズは同社が1965年から1973年にかけて生産したGraflex XLという中判カメラに対し、旧西ドイツのCarl Zeissから供給された交換レンズである。このカメラに対してはG. Rodenstock (ローデンストック)社からもHeligon (ヘリゴン) 80mm F2.8が供給されており、Planar 80mmとHeligon 80mmがメインストリームレンズという扱いでカメラのカタログに並んで収録されていた。カタログではHeligonについて「求めやすい価格で驚くほど高い性能を備えたレンズ」「ブライダルフォトグラファーの最初の1本に最適」と紹介した上で、Planarについては上位のモデルという位置づけで「色再現・解像力・コントラストにおいて最高画質を求めるならばベストな選択だ」と絶賛している。今回のレンズは何だかとても良く写りそうな予感がする。

レンズの設計構成はGraflex XLの1967年のカタログ[文献1]に5枚と記載があるのみで詳しいことは明らかにされていない。さっそくガラスに光を通すと前群側には明るい反射が4つ、後群側には明るい反射が4つと暗い反射が1つあり、4群5枚の逆ユニライト(逆クセノタール)タイプであると判断できる。このタイプのレンズについてがはZeissのJ.Berger(ベルガー)とG.Lange(ランゲ)による1950年代初頭の研究があり、構成図の米国特許が複数公開されている[文献2-4]。

左はレンズを前玉側からみたところで4つの明るい反射がみられるので構成は2群2枚、右はレンズを後玉側からみたところで4つの明るい反射①②③⑤と1つの暗い反射④がみられるので2群3枚である。構成は明らかに4群5枚の逆Uniliteまたは逆Xenotarであると判断できる


Graflex XL Planarの特徴は後玉が前玉よりも大きい事と包括画角(対角線画角)が58°とやや広い事である。こうした条件にあう構成図を探すと、ZeissのG.Langeによる1954年の米国特許[3]の中の1本が当てはまる(下図)。Langeは有名なRolleiflex 2.8C用Planar (1954年登場)を設計した人物でもあり、J.Bergerと共にHasselbrad 500C用のPlanar 80mm F2.8(1957年登場)の設計にも取り組むなど、プラナーブランドの育ての親と呼べる設計者である。Graflex XL Planarと同一構成で後玉の大きいモデルとしては他にもLinhof TechnicaのPlanarがある。Linhof用とGraflex XL用は生産された時期が近く、イメージサークルやレンズ構成の一致に加え、ラインナップの共通性、前・後玉のサイズや曲率の類似性など共通項は多い。おそらく両者の設計は同一であろう。

G. Lange, US Pat 2799207(1957), FIG.1からのトレーススケッチ。Graflex Planar 80mm F2.8と100mm F2.8の設計構成の原型と考えられる。前玉外側と後玉外側の2面の曲率操作のみでコマの補正をおこなうことができる
Graflex XL用レンズのラインナップには95mmや100mmの焦点距離を持つモデルもある。これらは中判6x7フォーマットでライカ判の標準画角に相当するレンズであり、本来ならばメインストリームレンズになるところだ。しかし、実際には80mmの準広角モデル(ライカ版の焦点距離39mmに相当)の方が多く出ていた。理由は80mmのレンズの方が丈が短く、それまで主流だったフォールディングカメラにギリギリ内蔵できたためである。また、被写体までの距離を詰めることでフラッシュ光を効果的に利用できるというメリットもあった。中判カメラを用いる写真家達の間では80mmの焦点距離が当時の定番となっていたようだ。
 
入手の経緯
レンズは20119月にヤフオクを介してrakringjpさんから落札購入した。商品の解説は「目立つキズはなく美品。些少のスレはあるが打撲キズはない。レンズに目立つキズ、クモリ、カビなどはない。前玉裏側中央に気泡、中玉に僅かにホコリがある。いろいろな部品を組み合わせM42マウントに改造している」とのこと。グラフレックスXLPlanarは後玉径がとても大きく改造の難度は高いはず。どうやってM42マウントに変換しているのかにも興味があった。見ると改造に用いられているパーツやヘリコイドは全て日本製のBORGブランドであり、部品点数も多い。重量級のレンズなので高耐久な部品で固められているのであろう。改造は技巧に富んでおり、相当なアイデアと製作コストが費やされているように感じられた。オークションは予想どうり数人による激しい争奪戦になったが、最後は43800円で自分のものとなった。届いたレンズを改めてみると巨大な後玉を通すために太いヘリコイド(BORG 7757, M57 Helicoid S)が用いられており、ヘリコイドの内径が大きく広げられているなど手の込んだ改造が施されている。貴重なレンズが手頃な価格で手に入り、とてもいい買い物であった。
 
フィルター径: 49mm, 絞り指標: F2.8-F22, 構成: 4群5枚, コンパーシャッター(1/400s),  最短撮影距離 0.75mm, 推奨イメージフォーマット: 中判6x7cm(カタログ値), 重量(実測): 460g (改造品のため部品込), 写真の左と中央ではマウント部の部品を外し後玉を露出させている。右はすべての部品を装着しM42マウントにしたところ




参考文献
[1] Graflex XL (1967) Graflex Inc.; グラフレックスXLカタログ
[2] Rudolf Kingslake, A History of the Photographic Lens; ルドルフ・キングスレーク「写真レンズの歴史」 朝日ソノラマ
[3] Gunther Lange, US 2799207 (1954)
[4] Gunther Lange, Johannes Berger, US 2744447 A (1953)
[5] 「オールドレンズレジェンド」澤村徹 著、和田高広 監修 翔泳社 2011年

撮影テスト
軟調系レンズなのにスッキリとヌケが良く発色も力強い。こうした反則的な性質はグラフレックス版プラナーの大きな魅力である。
開放ではピント部を僅かなフレアが纏い、線の細い繊細な描写となる。このためコントラストが低下しシャドーが浮き気味になるが、中間階調は豊富に出ており、発色が淡泊になったり濁ったりすることはない。ハイライトの階調には粘りがあり、露出をハイキーに振っても白とびを起こしにくいため、気持ち良く伸び上るダイナミックなトーンを捉えれば力強く鮮やかな発色と相まって、このレンズならではの素晴らしい描写表現が可能である。良く晴れた日に屋外で用いれば、軽やかでエネルギッシュな写真表現に出会うことができるであろう。
解像力は充分なレベルであるが、補正をチューンし過ぎていないあたりが特徴のようで、背後のボケは適度に柔らかく2線ボケ傾向にも陥らない。「質感の細密描写に偏重しすぎず、あくまでも叙情性を残す」。Graflex Planarはオールドプラナーの描写理念を正しく受け継いだツァイスの正統派レンズである[文献5]。

デジタルカメラ(35mm版フルサイズ機)での写真作例
Camera: Sony A7 / Canon EOS 6D
Image circle trimming tool
F2.8(開放), Sony A7(AWB)+イメージサークルトリミングツール: 近接では線が細く軽やかでエネルギッシュな描写傾向だ
F2.8(開放), sony A7(AWB)+イメージサークルトリミングツール:階調がなだらかなうえハイキーに振っても白とびを起こさずに階調が粘ってくれる
F2.8(開放), EOS 6D(AWB)+イメージサークルトリミングツール:ピント部は四隅まで安定しておりヌケも良い。ここまで開放で3枚撮ったが不安材料は全くない。開放でポートレート域を撮ると距離によっては極稀にグルグルボケがみられることがある

F4, EOS 6D(AWB)+イメージサークルトリミングツール:晴れた日に持ち出し少しハイキー気味に撮ると、雰囲気良く写る

中判6x7フォーマットの銀塩カラーネガフィルムによる撮影
Camera:  Graflex Pacemaker Speed Graphic(4x5) +Horseman Rollfilm holder 6x7cm
Film: Fujifilm Pro160NS (120 rollfilm)

続いてカラーネガフィルムによる撮影結果を示す。レンズの推奨イメージフォーマットは中判6x7cmである。スピグラに中判120フィルム用のロールフィルムバックを装着し定格イメージフォーマットで撮影した。
F8,  銀塩撮影(Fujifilm Pro160NS カラーネガ, 6x7 medium format ) 伸び上がるハイライト部のグラデーションを大きくとらえることで、エネルギッシュな描写表現が可能である
F8,  銀塩撮影(Fujifilm Pro160NS カラーネガ, 6x7 medium format )
F2.8(開放), 銀塩撮影(Fujifilm Pro160NS カラーネガ, 6x7 medium format)
F2.8(開放), 銀塩撮影(Fujifilm Pro160NS カラーネガ, 6x7 medium format) 開放でこれだけ写れば充分ではないだろうか
F4  銀塩ネガ撮影(Fujifilm Pro160NS, 6x7 medium format ) ボケは概ねどのような距離でも安定しており、適度に柔らかい


 銀塩カラーネガフィルム(35mm判)での写真作例
Camera: Yashica FX-3 super 2000(M42マウント仕様)
Film: Fujifilm Superia Venus 800 and Kodak Ultra Max 400

今回入手したPlanarはM42マウントに改造されているので、一眼レフカメラでも使用することができる。せっかくなので35mmのカラーフィルムで撮影した結果も提示しておく。もともと中判用のレンズではあるが、35mmフォーマットで用いても画質的に無理はなく、撮影結果は良好である。やはりハイライト部が美しいレンズであるという印象に変わりはない。
F4,銀塩カラーネガ( Fujifilm Superia Venus 800/35mm判) 



F4, 銀塩カラーネガ (Kodak Ultramax 400/35mm判)












2015/06/13

Zeissの古典鏡玉PART 3: Carl Zeiss Jena Planar 10cm F4.5, 75mm F4.5, E.Krauss Paris Planar-Zeiss 60mm F3.6, 40mm F3.6




世界中にあるさまざまなタイプのレンズの多くは、その起源をCarl Zeissに求めることができる。現代の明るいレンズの基本構成もその例外ではない。19世紀末にClark(クラーク)のガウス型レンズの発展形として登場したPlanar(プラナー)である。
 
Zeissの古典鏡玉 Part 3
高速レンズのマイルストーン
Planar F3.6 and F4.5
1895年に密着型アナスティグマートの最高峰Doppel-Protar (ドッペル・プロター) を完成させたCarl Zeissのレンズ設計士Paul Rudolph(パウル・ルドルフ) [1858-1935]はアナスティグマートの要件を満たしながらPetzval (ペッツバール) やTriplet (トリプレット) 並の明るさを実現できる新たなレンズの設計に取り組んだ。これは当時広がりつつあったシネマ用レンズやハンドカメラ用レンズの需要に応えるため、光学メーカー各社が掲げた急務の課題でもあった。当時のレンズ設計の主流は密着方式といいレンズ同士を接着し空気境界面を積極的に減らす方式で、Protar (プロター)やDagor (ダゴール)などがその代表格である。しかし、この方式では分厚いガラスを用いても充分な屈折力 (パワー)を得ることはできず、レンズの明るさはF4.5にも届かなかった。Rudolphは新型レンズの構想をいち早く密着方式から分離方式に転換し、1895年にPlanar (Zeiss Anastigmat Ia)を完成させている。
PlanarはClarkのガウス型レンズが持つ内側2枚の凹メニスカスをダブレット(2枚を貼り合わせレンズ)に置き換えた構成となっている(下図)。第1・第2レンズ間、および第5・第6レンズ間に空気間隔を設けるとともに、主光線が高い位置を通過する場所に正の凸レンズ、低い位置に負の凹レンズを配置することで強大なパワーを引き出し明るいレンズを実現している。コマ収差への対応に課題を残しながらも他の主要な収差をいっぺんに補正することができ、充分な明るさと広い実用画角を両立させることのできる画期的なレンズであった。ハンドカメラに必要な高速性に加え、歪みや像面湾曲、倍率色収差が少ない対称設計ならではの長所が生かされ、絞った際の焦点移動が小さいという優れた特徴もあることから、縮写用レンズや引き伸ばし用レンズとしての適正を備えていた。Planarというブランド名はこうした像面の平坦性を由来にしており、ドイツ語の「平坦な」を意味するPlan (ラテン語ではPlanus) を語源にしている[文献5,参考資料6]。プラナーが設計された時代は各社から口径比F4.5の明るい分離型アナスチグマートが登場しようとしていた頃であるが、いきなりF3.6で登場したプラナーは当時としては最も明るいクラスのレンズであった。
19世紀末にClarkのガウス型レンズの発展形として登場したPlanar。左はPlanarの元になったClarkのガウスレンズ F8(1888年)で、右はその発展形として登場したPlanar F4.5の初期型である。Planarの設計で注目すべき点は、まず曲率やガラス厚みを操作し主要な5収差を補正、最後にガラスの選択により色収差を補正するというRudolphならではの手順である[文献2]。Planarには前群と後群の焦点距離が同じ対称型と焦点距離に差のある非対称型の2種が存在する[参考資料1]。対称型は引き延ばし用や縮写用として設計されたモデルであり近接撮影に強く、非対称型はポートレート写真や集合写真など一般撮影に適したモデルである







Planarは1895年に設計され、1896年にレンズの特許がドイツと英国で開示されている[文献1]。翌1897年には最初の試作レンズ(プロトタイプ)が造られた。レンズの製品ラインナップについては1901年の桑田写真要覧や浅沼商会のカタログ、1907年の上田写真機店や浅沼商会のカタログ、Rokuoh-Shaからの資料、Zeissの公式カタログ(1907年)などが参考になり、縮写・引き伸ばし用(一部は顕微鏡用)に設計されたモデル(Series Ia No.1-No.5)と一般撮影用(一部は製版用)に設計されたモデル(Series Ia No.6-No.19)、色収差の補正に重点を置いたモデル(Series Ia No.22-29)、3色カラーによる複写や製版に適したアポクロマート仕様のモデル(Series VIII Apochromar-Planar No.11-15)に大別されている[文献2-4, 参考資料1]。このうち一般撮影用モデルの方は1897年の登場からラインナップを着実に広げ、一時は30mmから840mmまで15種類の焦点距離を揃えていた。しかし、1906年頃から登場したTessarの明るい新型モデル(F3.5とF4.5)にシェアを奪われ、翌1907年に生産量が激減、1912年には生産中止へと追い込まれている[文献6]。ここまでの製造本数として台帳に記録が残っているものは僅か559本+αである。当時のZeissはPlanarを万能レンズとはせず風景撮影や室内(スタジオ)撮影にはUnarやTessarを推奨していたため、Planarが一般撮影用レンズとして脚光を浴びることはなかった。

Series Ia (Planar)
No.1からNo.5は縮写・引き延ばし用に最適で、No.1-No.3は顕微鏡用にも適している。また、ZeissのカタログにはNo.1-4がシネマ用に適しているとも解説されている[文献2]。これらのモデルは近接域で用いることを前提に設計されており、ポートレート域で用いると明らかにソフトな描写傾向になる。シネマではこれが返って雰囲気を表現するのに向いていると判断されたのでろう。設計は前群と後群が同一の焦点距離をもつ均斎式(対称型)である。近接撮影に強く、光学系の対称性を利用して歪みと像面湾曲、色収差を良好に補正している。撮像面の推奨サイズはCarl Zeissのカタログを参考にした[文献2]。


Carl Zeiss Jena, Planar No.5 10cm F4.5(Black): 重量(実測) 166g, Serial number 48XXXX(1922年製造),  絞り羽 13枚, フィルター径 33.5mm前後, 絞り指標 4.5/6.3/9/12/18/25, マウントネジ M39/L39(M39-M42ステップアップリングとM42ヘリコイドを用いて一眼レフカメラで使用可能), 構成 4群6枚ダブルガウス型




Carl Zeiss Jena, Planar No.5 100mm F4.5(Gold): 重量(実測)112g, serial number 51XXX(1900年代初頭の製造), 絞り羽 13枚, フィルター径 33.5mm前後, 絞り指標 4.5-23, 構成 4群6枚ダブルガウス型, マウントネジはM39/L39なのでM39-M42ステップアップリングとM42ヘリコイドを用いて一眼レフカメラで使用可能となる
Carl Zeiss Jena, Planar No.4  75mm F4.5: 重量(改造のため不明), Serial number 62XXX(1924年製造),  構成 4群6枚ダブルガウス型, マウントネジはM39/L39なのでM39-M42ステップアップリングとM42ヘリコイドを用いて一眼レフカメラで使用可能となる
一方、No.6からNo.19は前群と後群の焦点距離に差がある半均斎式である。設計を非対称にすることで遠方撮影時に問題となるコマを抑え、一般撮影への適正を高めたものと考えられる。No.6からNo.11はポートレート写真(ハンドカメラ搭載)に最適で集合写真にも適している。ポートレート域ではNo.1-No.5よりもシャープネスが高く、ヌケもよい。マクロ域での性能もNo.1-No.5には一歩及ばないものの優れている[文献2]。ただし、風景(無限遠撮影)には対応していない。撮像面の推奨サイズは上田写真機店の1907年のカタログ[文献3]を参考にした。



E. Krauss (Eクラウス) Paris, Planar-Zeiss No.7 6cm F3.6: 重量(実測) 124g, 絞り羽 10枚構成, フィルター径 29.5mm前後, 絞り F3.6-F23, 構成 4群6枚ダブルガウス型, SN:628XX(1905年前後の製造),マウントネジはM39/L39なのでM39-M42ステップアップリングとM42ヘリコイドを用いて一眼レフカメラで使用可能となる
E. Krauss (Eクラウス) Paris, Planar-Zeiss No.6 4cm F3.6: こちらは知人からお借りした個体で、シリアル番号は583XXなので1903~1907年頃に製造されたと推測される。構成は4群6枚のダブルガウルス型

No.12からNo.19は撮像面の大きさが大判カメラに適合しており、集合写真に最適である。このうち、No.16からNo.19までは複写や製版にも適している。撮像面の推奨サイズは上田写真機店の1907年のカタログを参考にした。



No.22からNo.28は開放F値がF6.3と控えめに設定されている。Zeissのカタログでは「アポクロマート的に補正されたレンズ」と紹介され「自然な発色を求める写真に向いている」とのことで、色収差の補正に重点をおいたレンズ(アポクロマート未満)のようである。構成が均斎式であるか半均斎式であるかは情報不足のため判断できないが、カタログではNo.1-No.5を均斎式であるとしNo.22-No.28が半均斎式であることを暗示するような表現になっている。撮像面の推奨サイズはZeissのカタログを参考にした。






Series VIII No.11-15 (Apochromat-Planar)
3色カラーによる複写・製版用レンズとしてZeissは3色に対して色消しとしたSeries VIII Apochromat-Planar No.11-No.15を用意している[文献2]。このモデルが均斎式であるか半均斎式であるかは不明だ。ちなみにSeries VIIIのNo.0-No.5はApochromat-Tessarである。No.6-No.10はZeissの1907年のカタログにも記載がない。Apochromat-Unarだったのであろうか?


各モデルの生産量 
下の表はZeissの台帳[文献6]で確認のとれる一般撮影用モデル(No.5-19)の生産本数である。比較的多く生産されたモデルは60mm F3.6(30本)、130mm F3.8(43本)、160mm F3.8(60本)、205mm F4(129本)、250mm F4(215本)であり、205mmと250mmの生産量が飛び抜けて多いのは当時主流だったカメラが5x7インチの大判用だったためである。一方、60mmのモデルは24mmx24mmフォーマットのステレオカメラ、130mmと160mmのモデルはNewman and Guardia社のHigh Speed PatternやUniversal Special Bという中・大判カメラ(一般撮影用)に搭載するレンズとして、比較的まとまった量が供給されている[参考資料2,3]



これに対し、縮写・引き延ばし用モデルNo.1-5(F4.5/2cm-10cm)は1897年から1932年まで長期にわたり生産され、Zeissの台帳[文献6]に記載されている分だけでも3667本が市場に供給された。解像力の高さ、色収差と歪みの少なさ、絞った時の焦点移動の少なさでPlanarはTessarの追従を許さなかったかったため、特殊用途向けには需要が続き、長く生き残ったのである。台帳で確認のとれる製品モデル毎の生産量は下の表のとおりである。ただし、Series VIIIのApochromat-Planarはリストに入れていない。どのモデルも戦時中の期間を除きコンスタントに生産されていたことがわかる。
台帳をながめていると1896年に早くもPlanarと思われるレンズの製造記録があることに気づく。レンズはAnastigmat F4.5と記載されているが、Unar F4.5(1899年設計)の登場はまだだいぶ先のことである。これがPlanarならば1897年に登場したとする大方の見解よりも1年早いことになり、Planar誕生年が定説よりも早まる。もちろん、現物が出てくること以外に検証手段はない。











Planarの誕生とともに切り拓かれた4群6枚の光学設計(ダブルガウス)は一眼レフカメラの時代の到来とともに明るいレンズの基本構成となり、レンズ設計の潮流は1960年代を境に20世紀初頭から続くテッサータイプの時代からダブルガウスタイプの時代へと大きく転換していった。プラナーの名もその元祖としての歴史的意義から偉大なマイルストーンとして語られるようになっている。ポートレート用PlanarはTessarの登場により活躍の場を奪われ1911年に姿を消してしまうが、42年後の1953年に西独Zeissが2眼レフカメラのRolleiflex 2.8Cに供給したモデルとして復活を遂げる。また、ルドルフのプラナーを祖とするダブルガウスタイプの構成としても1959年にContarex I型に搭載する交換レンズとしてPlanar 50mm F2(設計は1952年)が登場している[参考資料4]。Rolleiflex用Planarはルドルフのプラナーとは設計の異なる5枚構成であったが「プラナーの中のプラナー」とまで呼ばれ、このモデルを用いた写真家達が印象的な写真を数多く残したことで絶大な人気を得るようになる[文献7]。その後のプラナーに対する人々の熱狂ぶりは「プラナー信仰」という象徴的な言葉を生み出したほどである。かつてのプラナーがもっていた「特殊なレンズ」というブランドイメージはRolleiflex用Planarの目覚ましい活躍により、跡形もなく吹き飛んでしまったのである。
Planarの本格的な活躍は戦後になってからのことである。戦前のPlanarは明るいSonnarやコストパフォーマンスの高いTessarのもと影の薄い存在であった。例えるならばジュラ紀や白亜紀の哺乳類であろう。恐竜が地上の覇者として君臨していた時代をひっそりと生き抜いたネズミのような存在だったのである。

参考文献
  • 文献1: Carl Zeiss Jena: German Pat. Spec. No.92313(1896), Brit. Pat. No.27635(1896)
  • 文献2: Zeiss Photo Lenses Catalog 1907
  • 文献3: MODERN CAMERA 1907 T.Ueda, Manufacturer, Importer and Explrters of Photographic Objectives and Photo Accessories, No.244 Osaka Japan;  上田写真機店「最新写真機」(1907年, 明治40年) P.32  
  • 文献4: 桑田写真要鑑 桑田商店出版 桑田正三郎著(1901年, 明治34年)
  • 文献4A: 寫真機材目録 浅沼商会 1907年,Photo supplies Catalogue Asanuma & Co. 1907
  • 文献4B: 写真機械及薬品写真版及石版器具図解目録 浅沼商会 浅沼藤吉 編 1901年
  • 文献5: 「カメラ名の語源散歩」(新見嘉兵衛著・写真工業出版社)
  • 文献6: Zeissの台帳;Carl Zeiss Jena Fabrikationsbuch Photooptik I,II-Hartmut Thiele 
  • 文献7: 写真工業2006/06, ツァイスレンズの研究 p33
  • 参考資料1: Rokuoh-Sha; Zeiss Anastigmatic Lens, Sereis, Ⅰa. (Planar) 
  • 参考資料2: Early Photography; "Newman and Guardia"
  • 参考資料3: Early Photography; "Universal Special B" 
  • 参考資料4: Marco Cavina's Page; Zeiss Planar 50mm History
  • 参考資料5: E.Kraussシリアル番号; M42 MOUNT SPIRAL(2013年8月12日記事)
  • 参考資料6: 「レンズ史に名を刻むツァイスの真価 Carl Zeiss Lens」 Sony Zeissレンズ公式HP
入手の経緯
Planar 4.5/100(2本)4.5/75は古典レンズ愛好家lense5151さんからの借用品である。どのモデルも経年を考えると素晴らしいコンディションで、75mmの方も鏡胴こそボロボロだが光学系は良好な状態であった。縮写・引き伸ばし用のモデル(F4.5)は35年間もの長期にわたり製造されたロングセラーである。3667本という生産量を考えると著しくレアな製品とは考えにくいが、その割には中古市場に出回る機会が少なく、入手難易度は高い。誰かがどこかで大量に保有しているのかもしれない。あるいは戦火で失われてしまったのだろうか。


E.Krauss Planar-Zeiss 60mm F3.6は2014年6月に東京の代官山に店舗を構えるphoto:mutoriの店頭にて78000円で購入した。当初は店のホームページに掲載されていたステレオカメラ用のHeliar (ヘリアー)に興味があり実物を見るため訪店したのであったが、店主にこれからホームページに掲載するPlanarがあるとのことで紹介してもらったのだ。見た瞬間に鼻血が出そうになった。なんと口径比F3.6のポートレート撮影用である。実物を見るのはこれが初めてであった。レンズにはオーダーメードの真鍮製アダプターが付いており、M42に変換され無限遠のピントも精確に調整されていた。ガラスの状態は素晴らしくホコリもほぼ皆無に近い。シリアル番号からはレンズが1905年前後に生産された個体であることがわかった[参考資料5]。店頭でカメラにマウントさせてもらいファインダーを覗いたところ、ピントの山が驚くほど良く見える。解像力が高くシャープなレンズであることは明らかであった。F3.6のモデルは希少性が極めて高く探し出すのは絶望的であろう。しかも、本家のZeiss製ではなくフランスのE.Krauss製である。以前、私はE.Krauss製レンズのシリアル番号を調査するためE.Kraussと名のつくカメラやレンズを片っ端から調べたことがあり、このPlanarの希少性がどれほど高いものであるのか身をもって知っていた。中古相場は全く不明であるが、CollectiBlendには一般撮影用として供給された本家Zeiss 370mm F4.5(No.15)のeBayでの落札記録が残っており、需要の細い大判カメラ用にも関わらず1000ドルを超える値がついていた。直ぐに店主に連絡を取り「明日、購入に伺います」と伝え取り置いてもらった。レンズはその日の晩に店のホームページに掲載されたが、さっそく問い合わせが来ていたようで、まさにタッチの差である。コンディションが良いうえに見れば見るほどウットリしてしまう素晴らしいデザイン。素晴らしい出会いである。
 
撮影テスト
私が入手したプラナーは縮写・引き伸ばし用に設計された口径比F4.5のモデル(No.4: 75mmとNo5: 100mm)と、ポートレート撮影用に設計された口径比F3.6のモデル(No.7: 60mm)の2種である。前者は用途から考えると近接域でのマクロ撮影を専門としており、後者は中距離までをカバーし人物の肖像写真や集合写真までを専門とするレンズである。これらは万能レンズではないため、例えば風景(遠方もしくは無限遠方)で使用する場合には本来の性能が発揮されないことになる。この点には注意しなければならない。
 
Planar 100mm F4.5 and 10cm F4.5 (No.5):近接撮影用
近接域:開放では若干コマによる滲みとフレアがみられコントラストも低いが、1段(F6.3まで)絞るとスッキリとヌケが良くなりコントラストやシャープネスが向上、解像力も良好で線の細い繊細な描写となる。球面収差特性が近接でもなかなかアンダーにシフトせず背後のボケは依然としてザワザワと硬いなど、本レンズがはじめから近接域での撮影に重点をおいた設計になっていることを感じることができる。反対に前ボケは柔らかい。基本的には軟調で発色は淡泊である。

ポートレート域から風景:フレアが目立ちソフトフォーカスレンズに近い描写傾向となる。コントラストも低い。ヌケのよい像を得るには開放から2段~3段 (F9以上)深く絞る必要がある。背景のボケは硬くザワザワと騒がしいうえ解像力も低下気味である。近接域での性能を重視したことによる反動で、この距離では球面収差がかなりオーバーコレクション(過剰補正)の側にシフトしているのだろうと思われる。四隅の近くでは点光源の像が彗星状に尾をひくコマ収差特有の滲みを確認することができる。

Planar 75mm F4.5 (No.4):近接撮影用
描写傾向はNo.5(100mm)と良く似ている。開放描写はソフトで、シャープな像を得るには開放から絞りを1~2段、遠方を撮影する場合は更にもう1段深く絞らなければならない。背後のボケは近接域でも硬くザワザワとしている。やはり軟調なレンズで発色も淡白である。

Planar 60mm F3.6  (No.7, E. Krauss paris製) :ポートレート撮影用
近接域からポートレート域まで開放からシャープでスッキリとヌケの良い写りである。風景など遠方撮影時にはやや解像力が落ち、開放ではコマによる滲みやフレアがみられることもあるが、少し絞れば収差的に良好な撮影結果となる。コントラストは良好で発色もよい。背後のボケは近接用ほど硬くはならず、ポートレート域で若干ざわつく程度で、近接域では柔らかい拡散に変わる。


Planar 40mm F3.6  (No.6, E. Krauss paris製) :ポートレート撮影用
こちらは知人からお借りした個体。ポートレート用なので近接から中望遠にかけてが良像域で、コマ収差による滲みは最小限で、1段絞ればシャープに写る。
EOS 6Dに搭載したPlanar 100mm F4.5
Planar 100mm F4.5(Gold barrel) and 10cm F4.5(Black barrel)No.4 近接撮影用
CZJ Planar 4.5/10cm@ f4.5(開放)+ EOS 6D(AWB) デジタル: 開放ではコマが多く残存しソフトな描写傾向である。フレアの入り方がとても美しいレンズだ
CZJ Planar 4.5/10cm@F6.3 銀塩カラーネガ(Fujifilm C200): ところが、被写体にこのくらいの距離まで近づけば1段絞るだけでスッキリとヌケの良い撮影結果が得られるようになる。やはり近接撮影用にチューニングされたレンズであることがわかる
CZJ Planar 4.5/10cm@F9 銀塩カラーネガ(Fujifilm C200): 遠方をシャープに撮りたいならば2段以上絞り込む
CZJ Planar 4.5/100mm@ F4.5(開放)+ EOS 6D(AWB) デジタル:再び開放。ポートレート域ではやはりソフトなテイストだ。ボケ味も硬くバブル気味。これはこれでよい
CZJ Planar 4.5/100mmF4.5(開放) + EOS 6D(AWB): 開放でのマクロ撮影。コマはポートレート域よりもむしろ少なく、解像力もある。ど真ん中のストライクゾーンは高解像で、蜘蛛の巣や手すりの質感を良好に解像しているが、中心から少し外れるとピント部でもモヤモヤとしてくる。ボケは2線ボケ気味である

CZJ Planar 4.5/10cm@F4.5(開放) + EOS 6D(AWB) デジタル:でも、少し離れると開放では全体的にモヤモヤとする。こういう被写体にはPlanar F4.5の出番である
CZJ planar 4.5/100mm @F9 銀塩カラーネガ(Fujifilm C200):3通りの絞り値に対する近接撮影での写りの違いを提示・比較した。F4.5(開放)での描写はこちら、F6.3 (一段絞り)での描写はこちら。開放F4.5ではモヤモヤとした滲みが発生しているが、1段絞るF6.3で滲みは消えコントラストが向上している。通常はこの位の近接域になると背景のボケは柔らかく拡散するが、このレンズの場合は近接設計のためか依然として硬いボケ味だ
CZJ planar 4.5/10cm @F9+ Bronica S2(カラーネガ Fujicolor Pro160NS): このレンズの場合は中判機で使用するのが最も相性の良い組み合わせである
CZJ planar 4.5/10cm @F6.3+ Bronica S2(カラーネガ Fujicolor Pro160NS): こちらもブロニカでの撮影結果だ。この位の近接域なら一段絞るF6.3でも十分な画質である

CZJ planar 4.5/10cm @F4.5(開放)+ Bronica S2(カラーネガ Fujicolor Pro160NS): 前ボケは柔らかく拡散する

CZJ planar 4.5/10cm @F6.3+ Bronica S2(カラーネガ Fujicolor Pro160NS): ポートレート域の場合、一段絞った程度では依然としてモヤモヤしたコマフレアがみられる
Yashica FX-3 Superに搭載したPlanar 75mm F4.5

Planar 75mm F4.5 No.4 近接撮影用
Carl Zeiss Jena Planar 4.5/75mm@F4.5(開放)+ EOS 6D(AWB): 開放ではピント部にモヤモヤとした滲みが入る 。背後のボケは硬い。ボケた点光源の輪郭にできる光の集積部のことを専門用語で「火面(または火線)」とよぶらしい。英語ではcaustics
Carl Zeiss Jena Planar 4.5/75mm@F6.3+ EOS 6D(AWB): 一段絞れば滲みは消える


Carl Zeiss Jena Planar 4.5/75mm@F4.5(開放)+  EOS 6D(AWB): 夏の夜の幻想を追い求めるならば本レンズの出番である

Sony Alpha 7に搭載したKrauss Planar-Zeiss 60mm F3.6
Krauss Planar-Zeiss 60mm F3.6 
 No.7 ポートレート撮影用
F3.6(開放), sony A7(AWB): あれれと思うほど艶やかなな写りである。開放でこれだけ写れば十分であろう。コントラストも良好だ。初期型Planarの底知れぬポテンシャルを感じる
F4.5, sony A7(AWB):半段絞れば解像力、シャープネス、コントラストともに更に向上し、素晴らしいレベルに到達する
F4, sony A7(AWB)
F3.6(開放), Sony A7(AWB): 柔らかく繊細な開放描写だ
F3.6(開放), sony A7(WB:曇天): 開放でも中心は高解像である。前ボケはフレアにつつまれ美しい
F5.6, sony A7(AWB): 
F5.6, sony A7(AWB): 逆光にもある程度は耐えてくれる
F5.6, sony A7(AWB):どうも遠方撮影では解像力が落ちる
F5.6, sony A7 (AWB): やはり、このレンズはこれくらいの距離で用いるのがツボのようである
上段F3.6(開放)/下段F5.6, sony A7(AWB): 近接撮影時のボケは縮写・製版用(No.5)よりも柔らかい
F3.6(開放), 銀塩ネガ撮影(Fujifilm SuperPremium 400, 35mm判): 開放で遠景を撮る場合、この距離くらいまでが限界のようで既にモヤモヤとしたコマが出始めている。これより遠方では絞り込んで撮らなければならない

E.Krauss Paris Planar-Zeiss 40mm F3.6: 極めて珍しい40mmのプラナー。シャッターユニットは新しいものに置き換えられているようだ
Krauss Planar-Zeiss 40mm F3.6 
No.6 ポートレート撮影用
F3.6(開放) sony A7R2(WB:日陰)  
F3.6(開放) sony A7R2(WB:日陰) 

F3.6(開放) sony A7R2(WB:日陰) 

F3.6(開放) sony A7R2(WB:日陰) 

F3.6(開放) sony A7R2(WB:日陰) 

F3.6(開放) sony A7R2(WB:auto)ポートレート用ということもあり、このくらいの距離ではコマフレアがよく抑えられています
F3.6(開放) sony A7R2(WB:auto)
F3.6(開放) sony A7R2(WB:auto)近接域はシャープにうつります
F3.6'(開放) sony A7R2(WB:曇天)フルサイズセンサーをケラレなくカバーできるが、暗い場所で撮影するとやや光量落ちが目立ち雰囲気が出る。


プラナー初期型のポートレート用が1911年に絶滅したのは、このレンズがテッサーよりも劣っていたからではなく、当時はまだ「万能鏡玉」にはなれなかったためであろう。プラナーに備わった高い潜在力を目の当たりにするにつれ、そのような考えがだんだんと自分の中に芽生えてきた。万能鏡玉(万能レンズ)とは被写体までの距離に対する収差変動が小さく、マクロ域からポートレート域、風景までをマルチにこなせる総合力の高いレンズのことである。改めてプラナーのラインナップを眺めてみると、近接用とポートレート用が別設計で供給されており、ポートレート用においては風景(遠距離)までカバーすることができないなど、一つの光学系で対応できる撮影距離の守備範囲がテッサーに比べると狭いことに気付かされる。初期のダブルガウスは遠方撮影時に問題となるコマ収差への対応に大きな課題を残しており、「使用上の注意」を守らなければ満足のいく撮影結果を得ることはできなかったのである。この問題に対しては後に前群のはり合わせを分離する新たな設計法が考案されることで解決の道が切り拓かれるが、それにはTronnier (トロニエ)のXenonの登場(1934年)を待たなければならなかった。