おしらせ


2013/07/11

Carl Zeiss Jena Triotar 135mm F4(M42)


たかがトリプレット、されどトリプレット
旬のトリプレットを満喫する
僅か3枚のシンプルな構成でサイデルの5収差を全て補正できる合理的なレンズ設計の形態をTriplet(トリプレット)と呼ぶ。元はTaylor, Taylor & Hobson社から発売されたレンズの名称であったが、後に各社が同一構成のレンズを製品化し、この種のレンズ形態を表す一般用語として定着した。レンズの基本構成を発明したのは英国Cooke社のTaylorという人物で1894年のこと。下の図に示すように2枚の高屈折率な凸レンズの間に空気間隔を空け凹レンズを配置しているのが特徴で、レンズの枚数が少ないうえ貼り合せ面を持たないため、製造コストが安く済むという利点があった。しかし、廉価品という製品イメージが先行し、20世紀に入るとDagorやTessar、Sonnarなど他の種類のレンズが派手な活躍をみせる中、一時は影の薄い存在となっている。Triplet型レンズの光学系は各レンズが広い空気層を隔て配置されており、レンズ構成面の曲率をフラットに緩めることができる。このため諸収差が大きくなりにくく高度で複雑な収差設計が必要とならない。構成が単純なため収差を強力に補正することはできないが、構成が単純ゆえに収差をできる限り発生させない性質を持ち合わせているのである。製造コストだけでなく収差的にも生まれながらにしてエコな性格のレンズといえる。また、貼り合わせ面(新色消しレンズ)を持たないTriplet型レンズは硝材の選択幅が広く、戦後に普及しはじめた新種ガラス(1937年登場)にもいち早く適合、描写性能を著しく向上させている。トリプレットタイプのレンズは周辺画質こそ妖しいが、中央部の解像力が抜群に高くヌケも良いため、弱点の目立たない100mm以上の長焦点域において、当時はTessarタイプやGaussタイプのレンズの進出を許さない。事実、1950年代初頭に解像力80LINE/mmを誇り国産最高峰と称えられたのは長焦点のTriplet型レンズであった。Xenotar登場の直前のことである。この頃のTripletは廉価品という位置付けながらも下克上的な描写性能を備え、ある意味で面白い時期を迎えていたのである。
Triotarの光学系(1939年設計)。構成は3群3枚で分厚い2枚の凸レンズの間に広い空気間隔を空け凹レンズを配置している。このおかげで各レンズ構成面の曲率を緩めることができ、収差が大きくなりにくい。エコな性質の際立つ優れた設計構成である。一方、弱点はレンズ構成の釣り合いが悪く凹1枚+凸2枚とバランスを欠いているため、強い屈折力(負のパワー)をもつ凹レンズを用いたとしてもペッツバール和を押さえ込めず、広い画角でレンズを設計すると四隅の解像力が急激に落ち、グルグルボケも出やすいなど周辺部の画質が著しく低下すること。収差を生かす場合はともかく、一般論としては四隅における弱点が露呈しにくい長焦点レンズに適した設計構成とされている
今回取り上げる一本は1947年から1958年までドイツのVEB Carl Zeiss Jena社によって製造された長焦点トリプレットのTriotar(トリオタール/トリオター) 135mm F4である。生産本数は26700本で対応マウントにはM42、EXAKTA、旧CONTAX、LEICAスクリューなどがある。同社の中では廉価ブランドという位置付けにあるものの解像力やコントラストの高さは素晴らしく、ヌケも良いなど、この時代の製品としては最高水準の画質を堪能することのできるコストパフォーマンス抜群のレンズである。なお、Triotarには少し焦点距離の短い85mm F4も存在し、EXAKTA用と旧CONTAX用が市場供給されている。こちらのレンズは1932年のCONTAX発売と同時に登場し、後にEXAKTA用が追加発売された。他にもRollei B35/C35などのレンズ固定式カメラに40mm F3.5、またRolleicordなどの2眼レフカメラに75mm F3.5が供給された。戦前のモデルは重量感のある真鍮削り出しの見事な鏡胴であるが、戦後の1950年前後の製造ロットから軽量なアルミ鏡胴へと置き換わっている。このあたりの素材の変遷はZeissの他のレンズと同じである。

重量(実測) 470g, 最短撮影距離 1.1m, フィルター径 49mm, 絞り羽 15枚, 絞り F4-F22, 構成 3群3枚Triplet型, Tコーティング(単層コート), M42マウントの他に少なくともExaktaマウントやCONTAXマウント、ライカスクリューマウント(希少)が存在する。レンズ銘の由来はラテン語の「3」を意味するTriplexであり、このレンズが3枚玉であることを意味している

入手の経緯
本レンズは2012年12月にギリシャのM42レンズ専門業者Photoptic(旧stil22)から93ドル(71ドル+送料22ドル)で落札購入した。Photoptikは商品の検査がしっかりしており、安心して購入することのできる優良業者だ。いつものようにスマートフォンの自動入札ソフトで締め切り5秒前に入札するよう設定し、入札額を最大125ドルにセットしたところ、71ドルで落札されていた。商品の状態は「15枚の絞り羽を持つ。フロント・リアキャップがつく。完全動作する品だ。光学系はパーフェクトコンディション。製造時由来の気泡はある。これは普通のことで優良ガラスの証拠。イメージクオリティに影響は無い。他のエレメントはクリアでキズはない。M42スクリューである。世界中どこでも22ドルで送る。」とのこと。届いた品は勿論とても良好な状態であった。良く写りすぎるレンズなのでオールドレンズとしての魅力には乏しく、市場での落札相場は100ドル以下とたいへん安い。

撮影テスト
一般的にトリプレットの長所と言えば、中央の解像力が素晴らしく、ヌケ、発色、コントラストが良好なこと。逆に短所と言えば四隅の解像力が弱く、ボケは硬めで像がザワザワと煩くなること、グルグルボケが出やすいことなどであろう。ただし、Triotarのような長焦点レンズは画角が狭いので、四隅で起こる解像力の弱さとグルグルボケが目立つようなことはない。開放絞り値F4を採用したこともこの時代のトリプレットタイプとしては手堅い設計で、ピント部中央から四隅にかけて高い解像力を実現し、開放からハロやコマの無いスッキリとしたヌケの良い写りである。コントラストは開放から良好であるが、階調描写が硬くならないのはモノコートレンズならではの長所と言える。背景のボケが少し硬めでザワザワと煩くなるのはトリプレット型レンズに共通する特徴である。収差の補正パラメータが不足し高次球面収差を補正するだけの余裕が残っていないためであろう。発色にはこの時代のZEISS JENA製品によくある温調寄りの傾向がみられる。色ノリはとてもよい。以下作例。

CAMERA: EOS 6D
HOOD: 金属製望遠メタルフード(焦点距離80mm以上のレンズ用)

F5.6, EOS 6D(AWB): とてもいい描写性能だ。ヌケがよくスッキリと良く写る
F4(開放), EOD 6D(AWB): 開放でもピント部は高解像でヌケも良好だ。長焦点なのでグルグルボケはあまり目立たない

F4(開放), EOS 6D(AWB): 開放絞りでも中央部の解像力は充分に高く、コントラストも良好。高描写である


F5.6, EOS 6D(AWB):発色はこの時期のZeiss Jena製品らしく、やや温調気味である
F4(開放), EOS 6D(AWB): 後ボケは硬めなので、距離や被写体によっては背景がザワザワと煩くなることもある
今回のブログ・エントリーでは長焦点トリプレットの魅力について触れてみたが、実は焦点距離の短い50mm前後のトリプレットにも別の意味での魅力がある。高描写な中央部と、収差の影響をうける周辺部の画質的なギャップが大きく、この種のトリプレット型レンズならではの描写効果を楽しむことができるという。いずれ機会があれば本ブログで取り上げてみたい。

2013/07/02

EXAKTA-EOS mount adapter part2(フルサイズ機)


EXAKTA-EOSアダプター 
PART2(フルサイズ機編)

EXAKTA用レンズをCANON EOSシリーズの一眼レフカメラに装着するためのアダプターがEXAKTA-EOSマウントアダプターである。市場にはわけあって無限遠のフォーカスを拾うことのできる約0.7mm厚モデルと、無限遠に届かない約1mm厚モデルの2種が出回っている。実は無限遠のフォーカスを拾うことのできるモデルは、私の知る限り全ての製品がEOS 5D/6D系のフルサイズ機や銀塩カメラにおいて例外なくミラー干渉を起こす。しかも、ミラーが当たる場所がレンズの後玉ではなくアダプターの裏面もしくはレンズのかぎ爪なのである。ミラーがレンズの後玉に当たる場合には、レンズのヘリコイドを近接側に繰り出すことで引っかかったミラーを解除できるが、アダプターの裏面に引っかかる場合、解除は簡単ではない。ミラーを解除するにはアダプターをカメラから外さなければならず、ミラーを引っ掛けた状態でそれを行うと、最悪の場合にはミラーに大きなダメージを与えてしまう。センサーサイズやミラーサイズの小さいAPS系カメラならばミラーの干渉問題は起こらないが、大きなフルサイズセンサーを搭載したEOS 5D/6D系カメラや銀塩カメラでは、1mm厚の後者のタイプを導入しなければなならない。このタイプのアダプターは無限遠のフォーカスを犠牲にすることでミラー干渉を回避できるように設計されているのである。ちなみに、現在、eBayなどの中古市場に出回っている中国製品では、どちらのモデルにおいても無限遠のフォーカスを拾うことができると記載されている。EXAKTAとEOSのフランジ長の差は0.7mmなので、1mm厚のモデルに関しては「絞れば無限遠点も被写界深度に入りますよ」という意味なのであろう。厳密には嘘の記載である。

0.7mm厚のモデル
このカテゴリーに日本製は存在しないので、eBayなどから中国製品を入手することになる。価格は18ドル(2013年7月の時点)あたりからあり、黒色のアルミ製モデルが多く出回っている(下の写真)。ノギスで厚みを測ると0.65mmとなっており、EOS kiss digitalに装着したところ無限遠のフォーカスを拾うことができた。



1mm厚のモデル
近代インターナショナルの販売する日本製品(宮本製作所製)のrayqual/HANSAブランドと中国製品(下の写真)の2種が入手可能である。ただし、日本製は最近生産終了となってしまい、現在はショップの在庫からのみ入手可能である。いずれも真鍮製であるが、日本製はブラックカラーとなり、メーカー希望小売価格は1.8万円。中国製はシルバー色のみで、eBayでは18ドル辺りから売られている。EOS 5D/6D系のフルサイズ機や銀塩カメラでは、この1mm厚のモデルを使用しなければならない。もちろん、無限遠のフォーカスを拾うことはできないが、焦点距離100mmのレンズで50~100m先辺りまでのフォーカスを拾うことができた。


参考
[1] "An Exakta to Canon EOS Adapter that Allows Infinity Focus", Lens Bubbles, Yu-Lin Chan





2013/06/25

Elgeet opt. MINI-TEL 100mm(4inch) F4.5






シネマ用レンズの専門メーカーとして知られる米国elgeet社。MINII-TELは同社が1950年頃に生産した望遠レンズである。真鍮削りだしの鏡胴はどこから見てもシネマ用にしか見えないが、実はこの製品は同社唯一のスチル撮影用モデル(35mmフルサイズフォーマット)なのである。プロフェッショナル向けの製品規格に準拠した豪華な造りである。

エルジート社唯一のスチル撮影用レンズ
Elgeet光学(現NAVITAR社)は米国ニューヨーク州に拠点を置き、シネマ撮影用レンズ、シネマプロジェクター用レンズ、スライドプロジェクター用レンズ、顕微鏡用レンズ、Ⅹ線撮影用レンズ、ミサイル追尾システム用レンズ(米国海軍向け)などを製造していた光学機器メーカーである。1955年にシネマ用のGolden Navitar 12mm F1.2を発売し、世界で初めて非球面レンズの量産を実現したことで知られている。今回紹介するMINI-TEL(ミニテル) 100mm F4.5はElgeet社が1950年頃に生産したトリプレット型の望遠レンズである。8mm/16mmシネマ用レンズを中心に市場供給していた同社がスチル撮影用(35mmフルサイズフォーマット)に生産した唯一のモデルとなり、ExaktaとClaris MS-35の2種のマウント規格に対応していた。MINI-TELというレンズ名のとおり、望遠レンズにしてはとてもコンパクトな設計となっている。鏡胴は真鍮削りだしの豪華な造りで、採算が取れたのかは不明だが、製造コストはかなりのものだったのであろう。プロフェッショナル向けのレンズばかりを生産していた同社の製品の特徴をよくあらわしている。
重量(フードを含めた実測)230g, 最短撮影距離 1.8m (6feet), 絞り羽 13枚 , フィルター径 34mm(雄ネジと雌ネジの反転した特殊仕様), 純正フード付, 焦点距離 4inch(約100mm), 絞り値 F4.5--F22 , 鏡胴は豪華な真鍮削りだしのクロームメッキ仕上げで、シネレンズ顔負けの造りだ。 EXAKTAマウントとClaris MS-35マウントの2種のモデルが存在する。本品はEXAKTAマウント。Claris MS-35というレンジファインダーカメラは1946-1952年に生産されていた製品なので、このレンズの製造時期は1950年前後であろう

Elgeet光学
Elgeet社は1946年に3人の若者(Mortimer A. London, David L. Goldstein, Peter Terbuska)が意気投合し、ニューヨークのロチェスターに設立した光学機器メーカーである。LondonはKodak出身のエンジニアでレンズの検査が専門、GoldsteinとTerbuskaはシャッターの製造メーカーで知られるIlex社出身。3人は少年時代からの友人で、Elgeetという社名自体も3人の名の頭文字(L+G+T)を組み合わせてつくられた。彼らは1946年にアトランティック通りのロフトに店舗を開き、はじめレンズ研磨装置のリース業者としてスタート、すぐ後にレンズの製造と販売も手がけるようになった。会社は1952年に300人弱の従業員を抱え、数千のシネマ用レンズ(8mm/16mmムービーカメラ用)や光学機器を年単位で出荷する規模にまで成長した。この時点で3人の役職はGlodsteinが社長、Terbuskaが秘書、Londonが財務部長である。プロフェッショナル向けの廉価製品を供給するという隙間産業的なスタイルが成功したのか事業規模は順調に拡大し、1954年には米国海軍(US Navy)にミサイル追尾用レンズNavitarの供給を行うようにもなっている。更に同社は1960年頃からNASAや国防総省との関係を強めてゆくが、この頃から会社の経営はうまくゆかなくなる。同時期に筆頭創設者のLondonが退職し、その2年後に同社は一時ドイツ・ミュンヘンのSteinheil(シュタインハイル)社の所有権を獲得するが直ぐに売却。2年後の1964年には株主総会が会社の再編を勧告し、Goldsteinは社長の座を追われている。株主総会から新社長に任命されたのはAlfred Watsonという人物であるが、それから2年後に会社の資本は株式会社MATI(Management and Technology Inc)に吸収されている。なお、MATI社は1969年まで存続し消滅、Goldsteinはこの時にMATI社が保有していた資産の一部を購入し、D.O.Inc. ( 株式会社Dynamic Optics )を創設している。しかし、この新事業は軌道に乗らず失敗し、新会社は1972年に閉鎖となっている。Goldsteinは1972年に改めてD.O.Industries ( Dynamic Optics工業社 )を設立し、事業を再々スタートしている。同社は1978年にNavitarのブランド名でスライドプロジェクター用レンズを発売し、1994年には顕微鏡用ズーム・ビデオレンズの生産にも乗り出している。会社は1993年に株式会社NAVITARへと改称。1994年にはGoldsteinの2人の息子JulianとJeremyが父Davidから会社を購入し、兄弟で会社の共同経営にのりだしている。2人はどちらも日本在住の経験があり日本語を話すことができる。Jeremyは1984年と1985年に日本のKOWAに出向し、レンズの製造技術と経営技法を学んだ経験を持つ。Navitar社はライフサイエンス関連の光学機器と軍需光学製品を製造・販売するメーカーとして今日も存続している。

参考:
A History of the Photographic Lens(写真レンズの歴史), Kingslake(キングスレーク) 著
NAVITAR社ホームページ:http://www.navitar.com/company/timeline.html


入手の経緯
本レンズは2012年11月にeBayを介して米国の写真機材業者から落札購入した。商品の記述は「ガラスに拭き傷やダメージはない。比較的大きなチリが周辺部に一つある。フォーカスリングと絞りリングはスムーズで良好だ。外観はエクセレント・プラス・コンディション。マウントに問題がありExaktaのボディにキッチリとはまらない。」とのことだ。ややレアなレンズであるが、eBayでの落札相場は100ドル程度であろう。届いたレンズは僅かなホコリの混入程度の良好な状態で、チリと記載されていた部分は製造時由来の気泡であることが判った。マウント部には凹みがありEXAKTA-EOSアダプターが完全には装着できなかった。そこで、マウント部を取っ払い別のマウントに変換することにした。改造用の部品とマウントアダプターが全部で25ドル程度だったので、レンズの送料も入れると総額140ドル程度も費やしてしまった。

マウント部の変換
MINI-TELのマウント改造はとても簡単で、市販品のアダプターリングとエポキシ接着剤があればM42にもNikon Fにも簡単に変換できる。ここでは私が考えた簡単な改造法を紹介する。まずはマイクロドライバーを用いてマウント部周囲にあるイモネジを回し、マウント部を取り外す(写真1)。次にマウントを外した場所にM39-M42ステップアップ・アダプターリングを填め、その上からM42-M39ステップダウンリングを装着する(写真2)。リング装着時には鏡胴の段差がストッパー代わりになるので、光軸ずれが都合良く回避でき、ガタもなくしっかりとはまる。エポキシ接着剤でアダプターリングを鏡胴に固定すれば土台の完成である。この上から更にもう一本M39-M42ステップアップ・アダプターリングを装着し、再び土台をM42ネジに戻す。あとは各種マウントアダプターを装着するだけであるが、このままではフランジバックが短すぎてオーバーインフ仕様になってしまうので、フランジ調整リングを用いてフォーカス距離を調整する必用がある。下の製作例ではM42-Nikon Fアダプターを用いてNikon Fマウントに変換している。0.6mm弱のフランジ調整リングを挟むことで無限遠のフォーカスを、ほぼ正しく拾うことができた。

写真1:マウント部のイモネジをマイクロドライバーで外す
写真2:マウントを外した場所にM39-M42マウント変換リングを装着し土台をつくる。変換リングの鏡胴側にはM39-M42ステップアップリングを装着している












鏡胴の段差部分に変換リングが引っかかりストッパーになるため、ガタもなくピタリとはまる。あとはエポキシ接着剤で固定すれば土台の完成である。カメラ側のM39ネジにM39-M42ステップアップリングをもう一本装着し、M42ネジに変換しておく
最後に好きなカメラのアダプターを装着する。上の写真はNikonFに変換した例。必用に応じてフランジ調整リングを挟み無限遠のフォーカスを微調節する
撮影テスト
100mmの焦点距離とF4.5の口径比は戦後のトリプレット型レンズとしては無理のない手堅い設計であり、中央部の解像力とヌケの良さは大変素晴らしい。コントラストは控え目で中間階調が豊富なため、スッキリとしたヌケの良さとなだらかな階調描写が、まるで澄んだ水底を見ているかのような美しい透明感を与えてくれる。光や影の濃淡をとてもよくとらえる繊細な写りである。カラーバランスはほぼノーマルで、色ノリは良好だがコテコテした色にはならず、とてもいい具合の描写傾向である。贅沢な不満を言えば、開放でもコマやハロの目立たない堅実な収差設計のため、線の細い写りなど、それ以上のものまでは期待できないところである。トリプレットの弱点とされる周辺画質は長焦点のために問題にはならず、開放でも四隅まで良好な画質水準が保たれている。後ボケはやや硬く距離によってはザワザワと煩くなるが、グルグルボケはあまり目立たない。とてもよく写るレンズだ。

F8, EOS 6D(AWB): 古い民家に残されていた馬具; 良く写るレンズだ。トリプレットといえど長焦点レンズなので絞れば四隅まで高描写のようである。解像力は勿論高い。オールドレンズフォトコンテストに応募したうちの一枚だ


F4.5(開放), EOS 6D(AWB):  開放でもこのとおりの優れた描写力である。ヌケがよくスッキリとしている





F5.6, EOS 6D(AWB): この色の出方と階調描写は結構好きだ。ヌケが良いのに少しあっさり気味なところが、どこか透き通ったような印象を与える。濃淡変化をきっちりと拾う繊細な写りも好印象。ボケはやや硬く、トリプレットらしくザワザワとしている。長焦点レンズなのでグルグルボケが気になるほど目立つことはない
F8, EOS 6D(AWB):  階調変化がなだらかで、グラデーションがとても美しい

写りがよくて、造りも素晴らしく、希少性は高いが値段は安い。こんな美味しいレンズにはそう滅多に出会えないであろう。こういう魅力的なレンズをこれからも発掘してゆきたいと思う。


2013/05/24

Meyer Optik Trioplan(トリオプラン) 100mm F2.8 (M42)

Trioplanの素晴らしい描写力に出会ったのはドイツ人が開設しているこちらのWEBサイトである。初めて訪れた時の衝撃を今でもよく覚えている。このレンズを用いれば、ごくありふれた風景が今まで見たことも無いようなファンタスティックな光景に置き換わってしまうのだ。幻覚にも似た素晴らしい写真効果が得られるのである。

東独フーゴ・マイヤーの三羽烏(最終回)
PART3:銘玉TRIOPLAN 100mm F2.8


Meyerの望遠系レンズには端正な写りが評判のTelefogar(テレフォガー)90mm F3.5やボケ・モンスターの異名を持つOrestor(オレストール) 135mm F2.8など注目度の高いレンズが揃っている。中でも最近、圧倒的な人気を誇るのがTrioplan(トリオプラン)100mm F2.8である。設計構成は廉価品扱いの絶えないトリプレットで、焦点距離は100mmとやや不人気のカテゴリーにある。レアな製品と言えるほど流通量が少ないわけでもない。何がそんなに人気なのかというと、このレンズでしか表現できない独特のボケ「バブルボケ」である。このレンズで撮ると被写体の背後に現れる点光源のボケが背景から剥離し、空間を漂うシャボン玉の泡沫(ほうまつ)のように見えるのだ。ユニークなのは大小不揃いのシャボン玉が立体的に浮き上がって見えるところである。シャボン玉の大きさが不揃いなのは望遠レンズ特有の圧縮効果によって近くの点光源と遠くの点光源が空間的に接近して見えることによる。また、立体的に浮き上がって見えるのはシャボン玉の輪郭に光が強く集まる火面(Caustics)と呼ばれる現象のためである。この種のボケは二線ボケやリングボケとともに、球面収差を過剰に補正することで発生する。光学系の能力を超えた無理な大口径化を根本原因とし、収差の脹らみを無理に抑え込んでいるため、絞りを開ける際に起こる急激な反動(高次球面収差の膨張による急激なフォーカスシフト)がシャボン玉の輪郭に光の集積部を生み出すのである[文献1,2]。100mmの焦点距離でF2.8の口径比を実現したTrioplanは、トリプレットタイプとしては異例の超大口径レンズである。画質的に無理な設計であることは明白だが、そのおかげで写真表現に新たな可能性が生み出されている点を見逃してはならない。Trioplanを用いた作例には収差の特性を取り入れたオールドレンズ的な演出効果が分かり易くあらわれている。これからオールドレンズをはじめようと意気込んでいる方にも自信をもってお薦めできる素晴らしいレンズだ。
フィルター径49mm, 重量(実測/純正フード込み)270g, 最短撮影距離 1.1m, 絞り羽 15枚, 3群3枚トリプレット型, プリセット絞り, 絞り指標 F2.8-F22, Vコーティング, 戦後型の35mmフォーマット用としてはM42/Exakta/Praktinaマウントの3種のモデルが存在する。製造期間は1951年から1966年。レンズ銘の由来はラテン語の「3」を意味するTriplexであり、このレンズが3枚玉であることを意味している



Trioplanは1913年から1966年まで生産されたHugo Meyer社の主力ブランドである。今回取り上げた100mm F2.8のトリオプランは戦前にStephen Roeschleinが設計したモデルがベースとなっている。RoeschleinはPrimoplanの初期型を設計した人物でもある。製品名の頭に付くTrioはこのレンズが3枚玉のトリプレットであることを意味している。初期の製品は大判撮影用のモデルが中心であったが、1936年からはEXAKTA用とLEICA用に3種のモデル(10cm F2.8/10.5cm F2.8/12cm F4.5)が登場し、1940年からはEXAKTA用に5cm F2.8の標準レンズも追加発売されている。戦前のモデルは重量感のある真鍮鏡胴であったが、1942年から軽量なアルミ鏡胴に置き換わっている。また、戦後になって光学系が再設計され、解像力と周辺画質が向上している。戦前のモデルと戦後のモデルでは描写傾向がかなり異なるようでバブルボケが発生するようになったのは戦後になってからのようである。戦後の望遠モデルは焦点距離が100mmのみに1本化され、1951年から1966年まで15年間生産された。このモデルの対応マウントはM42/EXAKTA/Praktinaと少なくとも3種存在する。シルバーとブラック(希少)の2種のカラーバリエーションに加え、1958年からEXAKTA用に黒鏡胴ゼブラ柄モデル(Trioplan N)が追加発売されている。なお、確かなエビデンスの無い情報ではあるが、Meyer-OptikブランドがPENTACONブランドに置き換わった後も、Trioplan 100mm F2.8はプロジェクターレンズのDiaplan 100mm F2.8として存続したようである(Mr. Markus Keinathが描写傾向を同定し、海外のオールドレンズ掲示板で情報を広めている)。戦後の35mm判としてはExakta/Praktina/M42/Altix用に50mm F2.9の標準レンズも供給されていた。こちらのレンズは1963年まで生産されDomiplanに置き換わることで同社のラインナップから消滅している。詳細は不明だが他にも7.5cm F2.9や80mm F2.8などの希少モデルが存在していたようである。戦前のTrioplanはバリエーションが豊富にあるので、調べればいろいろでてくる。
 
Trioplan 100mm構成図(文献4からのトレーススケッチ)左が被写体側で右がカメラ側となっている
  
参考文献1:球面収差の過剰補正と2線ボケ,小倉磐夫著, 写真工業別冊 現代のカメラとレンズ技術 P.166
参考文献2:球面収差と前景、背景のボケ味,小倉磐夫著, 写真工業別冊 現代のカメラとレンズ技術 P.171
参考文献3:PAT. No. DE1,805,326(21 October 1959 )
参考文献4:OBJEKTIVE FOR KLEINBILD KAMERAS, MEYER OPTIK 1959パンフレット

入手の経緯
このところ過熱気味なTrioplanのブームには目を見張るものがある。このレンズは過去に雑誌などで取り上げられた経緯がなく、知る人ぞ知る隠れ銘玉として、これまで一部のマニア層が細々と認知してきた。ところが、この数年で海外での再評価が進み、eBayではM42マウントのモデルが500-600ドルとかなりの高値で取引されるようになった。しかも、飛ぶように売れているのだ。いったい誰が買い漁っているのかは分からないが、状態のよい美品クラスの個体には800ドルを超える高値がつくこともある。1年前の2012年6月には200ドル、3年前の2010年には100ドルで取引されていた安価なレンズであったが、中古相場は過去3年間で4倍以上にも跳ね上がっているのだ。描写に特徴があるという理由だけで、ここまで注目されるオールドレンズは稀であろう。
  さて、今回私が入手したTrioplanは2013年1月にeBay(ドイツ版)を介しドイツの古物商から落札購入した個体である。商品の解説は「光学系、駆動系とも非常にコンディションの良いレンズである。ガラスに傷、クモリ、カビはない。前後のキャップがつく。100%オリジナルである」とのこと。出品者がカメラの専門業者ではなく単なる古物商であることが懸念材料であったが、返品に応じる規定を宣言していたので、思い切って入札することにした。競売による落札価格は460ドルで送料18ドルとまぁまぁの値段になってしまったが、届いた品は概観のスレとホコリの混入のみで、良好な状態であった。

撮影テスト
銀塩撮影: Kodak Gold 100(ネガ), YASHICA FX-3 Super 2000
デジタル撮影: EOS 6D

Trioplanは典型的な「球面収差の過剰補正型レンズ」である。開放ではハロを纏う線の細い描写となり、1~2段絞るとハロが消失し解像力とコントラストが向上、カミソリのような高いシャープネスが得られる。ただし、階調描写は絞り込んでも軟らかい。開放からヌケがよく、発色はほぼノーマルで色のりは良好である。トリプレット型レンズの弱点である周辺画質とグルグルボケは長焦点のために目立たず、四隅まで良好な画質が維持されている。背景にリングボケや2線ボケの傾向がみられ距離によってはザワザワと煩いボケ味となるが、反対に前ボケはフレアを纏う美しい拡散を示す。リング状のボケを防止するには高次の球面収差を補正すればよいが、シンプルなトリプレットの構成ではパラメータ不足のため不可能。Trioplanの独特のボケ味はこうして誕生している。
このレンズでバブルボケを効果的に発生させるには少しコツを掴む必要がある。まず、絞りは開放に設定し、フルサイズ機またはフィルムカメラ(35mm判)に搭載して撮影することが前提である。次に遠景にシャボン玉の生成原因となる光源を用意する。やや逆光気味のアングルで、カメラマンから10~15m位はなれた場所にテカテカと光る被写体をとらえればよい。遠景にはシャドー部をとらえ、シャボン玉の存在を強く引き立てると更に効果的である。撮影距離は2m~3mあたりが一番良く、これよりも近接側だと後ボケが綺麗に拡散しシャボン玉の輪郭が保たれないし、反対に遠方側ではボケが小さくなりすぎてしまう。以下作例。

F2.8(開放),  銀塩撮影(Kodak Gold 100): いきない出ました。シャボン玉ボケ。開放ではアウトフォーカス部のハイライト域にハロ(滲み)が発生するが、フォーカス部ではハロがピシャリとおさまる。このレンズの収差の入り方は絶妙だ


F2.8(開放), EOS 6D(AWB): ボケ玉の外周部にエッジが残り、このレンズならではの独特の光強度分布が得られている
F2.8(開放), EOS 6D(AWB): このシャボン玉ボケを効果的に発生させるには、絞りを開放にしたまま撮影距離が2~3mのところで撮影し、遠景にキラキラと光る光源を入れればよい

F2.8(開放), EOS 6D(AWB): シャツを照らす木漏れ日。階調は軟らかく目に優しい描写だ

F2.8(開放), EOS 6D(AWB): 開放からヌケはよい
F2.8(開放): カラーネガ(Kodak Gold 100): 僕はこのTrioplanの描写が基本的にとても好きだ


F2.8(開放) 銀塩撮影(Kodak Gold 100): シャボン玉はフィルム撮影においても発生する


F2.8(開放),銀塩撮影(Kodak Gold 100): こちらもフィルム撮影による作例だ。大小大きさの異なるシャボン玉が浮き上がってみえる



F5.6, EOS 6D(AWB):少し絞るとハロは消え、解像力とコントラストは急激に改善する。驚くほどシャープである。まったく絞りのよく効くレンズだ。1950年代に製造された長焦点のTriplet型レンズは同時代の数ある構成の中でも解像力が突出して高い。そのことを裏付ける写りだ

F4, EOS 6D(AWB): 前ボケは柔らかく拡散しとても綺麗である
F5.6, EOS 6D(AWB): 発色なノーマルで色ノリもよい。絞って使えばヌケの良い優等生レンズに変身する


本エントリーでHugo Meyer特集は最終回となる。同社のレンズには他にもKino PlasmatやMacro Plasmat, Ariststigmat、Telefogar, Bis-Telarタイプの構成をもつTelemegorなど気になる製品が数多くある。これらについても、いつか入手し取り上げてみたいと思う。


2013/05/10

Meyer-Optik Gorlitz Primoplan(プリモプラン) 58mm F1.9 (M42)


1937年から1950年代後期まで生産されたPrimoplan(プリモプラン)58mm F1.9。中古市場では時々見かける一見何の変哲も無い標準レンズである。しかし、構成図を見た途端に「何じゃコレは」と衝撃をうける人もいるのではないだかろうか[下図]。Tessar(テッサー)タイプでもGauss(ガウス)タイプでもない別の種類の何かであり、このクラスの一眼レフカメラ用レンズにはおよそ似つかわしくない異様な骨格である。このエイリアンの正体は実は1920年代に現れたErnostar(エルノスター)と呼ばれる古典鏡玉の一派で、Ernostarは後に銘玉Sonnar(ゾナー)を生み出す設計ベースにもなっている。運命の悪戯かSonnarはその後、バックフォーカスの関係から一眼レフカメラに適合せず、ほぼ絶滅してしまうが、Primoplanは標準画角のまま一眼レフカメラにも適合している。

Primoplanの光学系。構成は4群5枚でエルノスターの発展型である。中央に絞りをあらわす縦棒があり、これを挟んで左側が前群、右側が後群(カメラの側)となる

東独フーゴ・マイヤーの三羽烏
PART2:PRIMOPLAN 58mm F1.9

一眼レフカメラの明るい標準レンズと言えば、各社Gauss(Planar)タイプの構成を採用するのが定石である。これはミラー干渉を回避するために必用なバックフォーカスを確保しながら、広い画角と明るい口径比を両立させる事が一般にはたいへん困難なためである。広い画角を諦めるならSonnarタイプのレンズで要求を充たすことができるし、少しぐらい暗くてもよいならTessarタイプやTriplet(トリプレット)タイプ、Xenotar(クセノタール)タイプで充分である。しかし、両立させるとなると簡単にはゆかず、Gaussタイプに頼る以外にほぼ選択の余地は無い。Ernostarの発展タイプであるPrimoplanはGaussタイプ以外では唯一、明るさと画角に対する要求を両立させ一眼レフカメラにも適合できた珍種なのである。

ErnostarはCooke社のDannis Taylor(テイラー)が1894年に開発したTriplet(上図・左)を原型に据え、その最前部第1レンズを2枚に分割することで大口径化を実現したレンズである。今回紹介するPrimoplanは更にErnostarの第2群を2枚の接合レンズに置き換えた進化形態である
Primoplanシリーズは1930年代半ばにHugo Meyer社のStephan Roeschlein(シュテファン・ロシュライン)とPaul Schäfter(ポール・シェーファー)により開発された大口径レンズである。その原点となったのは1922年にErneman(エルネマン)社のBertele(ベルテレ)とKlughardt(クルーグハルト)がTripletをベースに発明し、世界で最も明るいレンズということで話題となったErnostar 100mm F2である(上図中央)。PRIMOPLANはErnostarの第2群を2枚接合の「旧色消しレンズ」に置き換え色収差の補正機能を追加するとともに、張り合わせ面の屈折作用によって球面収差の補正効果を改善させたレンズであると考えられる。旧来のErnostarに対してヌケの良さと解像力を向上させているというわけである。ただし、Ernostar同様に凸レンズ過多の設計構成であることからペッツバール和が大きく、第3群の凹レンズに強い硝材を用いても非点隔差による周辺画質の悪さ(四隅の解像力やグルグルボケ)を充分に改善することができない。また、旧色消しレンズは非点収差の補正に全く寄与しないので、何の対策もないまま包括画角を標準レンズ並に拡大させてしまったPrimoplanは、四隅の画質にかなりの無理を抱えている。Ernostarよりも更に一歩先をゆく、強烈な癖玉の予感である。

Stephan Roeschlein:Hugo Meyer社に1936年まで在籍しPrimoplan以外にもTelemegor(テレメゴール)シリーズの設計やAriststigmat(アリストスティグマート)の広角モデルの再設計に関与した人物である。その後、クロイツナッハのSchneider(シュナイダー)社にテクニカルディレクターとして移籍している。第二次世界大戦後は自身のレンズ専門会社Roeschlein-Kreuznachを設立している。Roeschlein社では自社ブランドのLuxonシリーズを生産し、Schneider社へレンズのOEM供給も行っていた。同社は1964年にSill Opticsに買収され消滅、現在に至っている。(参考:Camera Pedia)。

製品ラインナップ
Primoplanはまず1934年に5cmの焦点距離でLeica用とContax用、8cmの焦点距離でVP Exakta(ナハト・エキザクタ)用が供給され、1936年には75mmの焦点距離でExakta用(35mm判)とLeica用(Contax用は不明)が追加発売された。Exakta用の標準レンズはバックフォーカスの関係から焦点距離5cmのモデルを流用することができず発売が遅れていたが、1937年にやや焦点距離の長い58mmのモデルが登場したことで、ようやくExaktaに適合するようになった。このモデルは戦後になってM42マウント用モデルが追加発売されている。1938年~1939年には100mmの焦点距離のモデルがPrimareflex用として追加発売された。他にも焦点距離30mmと180mmのスチル撮影モデル(F1.9)や、焦点距離25mmと50mmのシネ用モデル(F1.5, 16mm判)が市場供給されている(Vade Mecum参照)。戦前のモデルは真鍮削り出しの鏡胴で重量感のある素晴らしい造りであるが、シリアル番号1,000,000番付近(1942年頃)からアルミ鏡胴に置き換わり軽量化されている。1960年発売にダブルガウス型レンズのDomiron 50mm F2が発売されたことで、Primoplanは同社のラインナップから消滅している。なお、米国向に輸出された製品個体には商標権の問題を回避するため、PrimoplanではなくA-Traplanの名称が使われていた。この名称の製品個体もごく僅かだがeBayで流通している。
 
Primoplanの設計特許:焦点距離75mmのモデルについてはRoeschleinの米国特許(1936年)、一眼レフカメラのExakta用とM42用に再設計された58mmのモデルはSchäfterの米国特許(1937年)がそれぞれ見つかる。おそらく基本設計はRoeschleinだが1936年にシュナイダー社へ移籍してしまったため、後任のSchäfterがEXAKTAへの適合をおこなったという経緯であろう。

重量(実測)175g, フィルター径 49mm, 構成 4群5枚(Ernostarからの発展型), 製造期間(戦後型) 1952-1950年代後半, 絞り F1.9-F22(プリセット方式), 絞り羽 14枚, 最短撮影距離 0.75m, 対応マウント M42,EXAKTA。設計特許はPatent DE1387593(1936年)。レンズ名はラテン語の「第一の、最初の」を意味するPrimoにドイツ語の「平坦な」を意味するPlan(ラテン語ではPlanus)を組み合わせPrimoplanとしたのが由来。Primoはドイツ語では「優秀な、最良の」を意味するPrimaと関連があるので、この意味を掛けているとも考えられる。後玉が飛び出しているので一部のフルサイズ機では後玉のミラー干渉が起こるが、Sony A99やミノルタX-700(銀塩カメラ)では干渉の問題はない。私は干渉を回避するためEOS 6Dに装着後、ミラーアップモードで撮影している
入手の経緯
本品は2012年8月に欧州最大の中古カメラ業者フォトホビー(UV1962)がeBayにて235ドル(送料込)の即決価格で売っていたものを200ドルでどうだと値切り交渉の末に手に入れた。オークションの記述は「傷、カビ、バルサム切れ、クモリなし。外観は写真で判断してね」といつものように簡素である。外観には古いアルミ鏡胴のレンズらしく劣化がみられたが、写真で見る限り光学系に問題はなさそうであった。このレンズはコーティングが痛みやすいことが知られており、前玉にパラパラと傷があったりクモリの発生している個体が多く、状態の良いレンズに出会えるチャンスは滅多に無い。届いた品には描写に影響の無いレベルで僅かなホコリの混入が見られるのみでガラスはたいへん良好、プリモプランにしてはとても状態の良い個体であった。フォトホビーは魅力的な商品を大量に扱う業者であるがバクチ的な要素が大きいことでも有名なので、商品を購入する際には事前によく質問し商品の状態について確認を取っておいた方がよい。落札者に落ち度がなければ、きちんと返金してくれる業者だ。

撮影テスト
Primoplanの弱点はアンバランスなレンズ構成に由来する大きな非点収差である。この収差はピント部四隅の解像力を低下させ、アウトフォーカス部に強烈なグルグルボケを生み出す。本来はもっと画角の狭い長焦点の望遠レンズに使わなければならない構成なのである。しかし、オールドレンズという観点でみるならば、こんなに面白い癖玉はそう多くない。開放では僅かにコマが発生しハイライト部の周りがやや滲む。画面全体もややモヤッとしており、薄いベールがかかったような描写傾向である。コントラストは明らかに低く、発色はあっさりしていて、階調も軟らかい。解像力はごく中央部のみ良好で線の細い描写になるが、四隅に向かうにつれて急激に悪くなる。1段絞れば良像域は四隅に向かって拡大し、滲み(コマ)は消えヌケも良くなるが、依然としてコントラストは低く、発色はあっさり気味でグルグルボケも目立つ。周辺画質を安定させるには2段以上絞る必要がある。なお、グルグルボケの事を除けばボケ自体は柔らかく綺麗に拡散している。

EOS 6D(AWB): ミラーアップモードによる撮影
フード: 焦点距離55mm用のラバーフード(Kenko製3段折畳み式)を使用

F4, EOS 6D(AWB): 前ボケ、後ボケとも柔らかく綺麗な拡散である。コントラストが低いレンズなので曇り空の日には発色があっさり気味になる
F1.9(開放), EOS 6D(AWB): ビューンと突風。しかし、この日は無風。グルグルボケを生かした演出効果だ。開放ではコマの影響からややヌケが悪い


F1.9(開放), EOS 6D(AWB): 中央の桜の花びらを見るとコマが発生しややモヤッとしている様子がわかる。高解像域はごく中央部のみであるが、一段絞るF2.8ではこちらに示すように良像域が四隅に向かって拡大し、コマは消えシャープな像となる

F2.8, EOS 6D(AWB): 春の嵐を表現している。繰り返すが、この時は無風だ

F1.9(開放), sony A7II: (Photo by Y.Takemura): とても繊細な階調表現だ。プリモプランは綺麗な玉ボケが出る事でも知られている
F1.9(開放), sony A7II: (Photo by Y.Takemura): プリモプランらしい崩壊気味の2線ボケである
開放付近で荒れ狂うPrimoplanの性質は「レンズの味」などと表現されるような生易しいものではない。レンズを使いこなすにはそれなりの覚悟が必要だし、暴れ馬なので振り落とされないよう常に気を配る必用がある。このレンズの強烈な癖がオールドレンズの真髄へと通じるものであるのかどうか正直言って私にはよく分からない。しかし、使いこなす事を一つの遊びと捉えるならば、Primoplanは間違いなく楽しいレンズである。大人しくZeissやLeitzあたりの名馬で満足するのもよいが、たまにはロディオに興じるのも悪くはない。

2013/04/28

Meyer-Optik HELIOPLAN(ヘリオプラン) 75mm F4.5(M42改)

1950年代に生産されたHugo Meyer社のレンズ:Helioplan 4.5/75(前), Trioplan 2.8/100(奥), Primotar 3.5/80(左), Primoplan 1.9/58(右)
東独フーゴ・マイヤーの三羽烏
PART1:HELIOPLAN 75mm F4.5
戦前から個性溢れるレンズを世に送り出してきたHugo Meyer(フーゴ・マイヤー)社。ブランド志向の強い日本人にはCarl Zeissの影に隠れ馴染みの薄いメーカーであるが、マニア層からは今も根強い人気を得ている。大方のレンズメーカーが主力製品の構成にTessarタイプ、明るいレンズにPlanarタイプを据える中、同社が採用したのは広角レンズにDialytタイプとAriststigmat(旧ガウス)タイプ、明るい標準レンズと中望遠レンズにErnostarの発展タイプ、望遠レンズにはBis-TelarタイプのTelemegor、マクロレンズとシネレンズにはPlasmatシリーズなどCarl Zeiss的な発想とは一線を画する独特な製品ラインナップである。他社との競合を避ける徹底した姿勢を貫くことで中堅規模ながらも強い企業を目指そうとしていたようである。本ブログでは数回にわたり1950年頃に生産されたHugo Meyer社(VEB Feinoptisches Werk Görlitz社)の3本の主力レンズ(広角Helioplan/標準Primoplan/望遠Trioplan)を取り上げる。レンズ名の末尾にPLANがつく共通ルールで結ばれたHugo Meyer社の三羽烏である。

Hugo Meyer(フーゴ・マイアー)社
Hugo Meyer社(Hugo Meyer & Co.)は1896年1月5日にドイツのドレスデン近郊都市ゲルリッツにてHeinrich treasures社のビジネスマンだった光学技術者Hugo Meyer(1963-1905)が実業家Heinrich Schätzeと共に創業した光学機器メーカーである。ドイツ版ウィキペディアには創業者Hugoの青年期の肖像写真が掲載されており、かなりハンサムな人物のようである。彼らはドレスデン近郊都市のゲルリッツLöbauer通りにあるカメラメーカーのひしめくビルの一角に最初の工房を構えた。1903年にアプラナート型レンズのAriststigmat(アリストスチグマート)を発売し最初のヒット商品となるが、Hugoは42歳の若さで1905年に死去してしまう。ただし、同社にはHugo以外にもレンズ設計士が在籍していたようで、1908年にDagor型レンズ、続く1911年にはAriststigmatの広角モデルを発売するなど新製品を絶えず世に送り出している。Hugoの死去により会社の経営権は妻Eliseと息子に引き継がれているが、企業活動は衰えず、1911年にEuryplan(オイリプラン)のレンズで知られるSchultz and Biller-beck社を買収しレンズの生産ラインを補強、1913年からは主力レンズTrioplanの生産を開始している。SB社のEuryplanは後に加入するルドルフ博士の手で再設計されPlasmatに置き換わっている。ブランド名としてはこちらの方が有名なのであろう。なお、1918年にはプロジェクター用レンズの生産にも乗り出している。
  1919年、第一次世界大戦が終結しハイパーインフレに苦しむドイツ帝国はどん底の経済状態にあった。この時Hugo Meyer社に大きな転機が訪れる。かつてCarl Zeissに籍を置きTessar, Planar, Protarの発明で名を馳せたPaul Rudolph博士(当時61歳)が同社に再就職したのである。博士はすぐに新型レンズの特許を取り、1920年代に有名なPlasmat(プラズマート)シリーズの生産に乗り出している。Rudolphの加入は中小メーカーだったHugo Meyer社がブランド力を獲得し、事業規模を急速に拡大させる大きな転機となった。Rudolphは1933年に退職しているが同社の事業規模はその後も拡大を続け、1936年には100,000個のカメラやレンズを年単位で出荷する大会社へと成長している。
  1930年代のHugo Meyer社はルドルフ博士監修の高級レンズPlasmatシリーズに加え、主力製品となるレンズのラインナップを幅広く展開し、それらをZeissよりもやや安価に販売していた。この頃に同社の主任設計士の座についていたのはStephan Roeschlein(シュテファン・ロシュライン)という人物である。Roeschleinは1936年にSchneider社に移籍するが、それまでの間Primoplan シリーズやTelemegorシリーズの設計、Ariststigmat(広角モデル)の再設計など主幹レンズの開発を手がけている。 Roeschleinが去った後はPaul Schäfterという人物が同社の主任設計士となり1937年にPrimoplan 1.9/58を開発している。
  1939年に第二次世界大戦が勃発すると同社は軍需メーカーとしての性格を強め、照準器などを造るようになる。ドイツ敗戦の1945年、Hugo Meyer社は連合国によって解体され、工場の設備は賠償金の代わりとしてソビエト連邦に持ち出されてしまう。しかし、翌1946年には会社の再建が始まり、566個と少量ながらも写真用レンズの生産を再開、ドアの除き穴に取り付けるレンズなど民生品も製造するようになる。1947年には大判レンズの生産も再開、翌1948年に会社は東ドイツ政府によって国営化され、同社の正式名称はVEB Feinoptisches Werk Görlitzへと改称されている。ただし、レンズの方はその後もMeyer-Optikの商標名で売られていた。やがて戦後の復興景気が訪れ同社も本調子を取り戻すと、1952年にCarl Zeiss Jenaからコーティングの蒸着設備を導入し、それ以後は全てのレンズにコーティングを施すようになっている[注1]。Hugo Meyer社のこの時代の製品はまだ造りも良く、技術的に高い水準を維持していたが、その後1960年代に入るとTessarタイプやGaussタイプなど中核ブランドにCarl Zeiss的なレンズを据えるなど製品ラインナップの独自性が薄れてゆく。ブランドイメージは失墜し、Zeiss Jenaの廉価品を出すメーカーとして認知されるようになる。同社は1968年にVEB Pentaconに吸収されるが、レンズの方はMeyer-Optikの商標で1969年まで売られていた。VEB Pentaconは1990年のドイツ統一後、Schneiderグループの傘下に入っている。

[注1] Meyerのレンズにコーティングが施されるようになったのは第二次世界大戦終結の数年後からである。ZeissのTコーティングを模したV(=Vergütung)コーティングというものを採用していた。ただし、当初は全てのレンズにコーティングを施していたわけではなく、1952年にZeissからコーティングの蒸着設備を導入するまでコーティングの無いレンズも出荷していた。下記の文献によると、コーティング名の頭文字となったVergütung(直訳では「報酬」の意の語)には「ドイツ製(国産)のコーティング」という意味が込められているらしい。Vコーティングを採用した光学機器メーカーには旧東ドイツのルードビッヒ社やVEBフェインメス社、旧西ドイツのウィル・ウェツラー社やピエスカー社などがある。Tコーティングに対するサードパーティという位置付けだったのかもしれない。

参考:Large Format Lenses from the Eastern Bloc Countries 1945-1991, Arne Cröll 2011-2012



Hugo Meyer特集の第1回は1950年代に同社の主力製品の一翼を担った準広角レンズのHelioplanである。このレンズはもともとHugo Meyer社が1911年に買収したSchulze & Billerbeck社のブランドであった(Vade Mecum参照)。設計構成は4群4枚のDialyt(ダイアリート)タイプと呼ばれるもので、本ブログの前エントリーで取り上げたGoerz(ゲルツ)社のCelor(セロール)やArtar(アーター)、Dogmar(ドグマー)の系譜を受け継いでいる(下図)。Dialyt型レンズは収差の補正力が高く、特に色滲み(軸上色収差)と歪み(歪曲収差)に対する補正力が抜群に高いことから、第二次世界大戦後も製版や複写の分野で長く活躍していた。また、一般撮影においても高性能で幾つかのメーカーが戦前からレンズを供給しているが、その後Tessarとの競合関係により陶太され現在はこの分野から姿を消している。「レンズ設計のすべて」(辻定彦著)にはDialyte型レンズについてコンピュータシミュレーションの分析データに基づく詳しい解説があり、戦後に普及した新種ガラスを用いてこのタイプのレンズを再設計すると、収差的にはTessarに迫るたいへん優秀なレンズになると絶賛している。一度こういう評価を見てしまうとDialyt型レンズの実力がどこまで練り上げられていたのか自分の目で確かめてみたくなってしまうもので、さっそく戦後に開発された同型レンズを当たってみたところ、今回取り上げるHelioplanが1949年に再設計されたDialyteタイプのレンズであることを突き止めたのだ。

製品の箱に刻印されていたHelioplanの構成図をトレーススケッチしたもの。設計は4群4枚のDialyte型である。この構成は前群(左側)と後群(右側)のそれぞれが空気層を挟んだ新色消しレンズとなっているのが特徴で、絞りを中心に対称あるいはほぼ対称な構造になっている。空気層(空気レンズ)を利用して球面収差を強力に補正することにより高い解像力を実現している。凸レンズが2枚、凹レンズが2枚と数が釣り合いバランスが良好のため、ペッツバール和を容易に小さくできることから、四隅まで安定感のある画質を実現できる。一般撮影用に設計されたレンズでは遠方撮影時に発生するコマを抑えるために前・後群が非対称な構造になっており、HelioplanやGoerz社のDogmar F4.5がこの種の代表的な製品である。一方、製版用に設計されたレンズでは収差の補正基準が等倍撮影に設定されており、この時に歪曲が0%になるよう前・後群が完全対称な設計構成となっている。この種の代表的なモデルにはGoerz社のArtarがある。Dialytタイプの構成をTripletの発展型と捉える考え方もあるが、レンズの曲率を緩めるために空気層を大きく空けるTripletとは空気層の利用方法(したがって設計理念)が大きく異なる。収差図を見ると球面収差、色収差はほぼ皆無のレベルで歪曲も大変小さいので、このタイプの構成が引き伸ばし用レンズに用いられることが多いのもうなずける。像面湾曲の膨らみが少しあるが、非点収差は良好に補正されている。コマ収差も悪くない(「レンズ設計のすべて」 辻定彦著 参考)
重量(レンズヘッドのみ)38g, 絞り羽 14枚, 焦点距離75mm, 絞り値F4.5-F22, フィルター径 25.5mm, 光学系の構成 4群4枚(Dialyt型),  ノンコートレンズ, 本レンズは6x6cmの中判イメージフォーマットをカバーし35mm判換算で41mmの焦点距離に相当する準広角レンズである。レンズ名はギリシャ語の「太陽」を意味するHeliosとドイツ語の「平坦」を意味するPlanを組み合わせたのが由来とされている。

Helioplanは1920年代の中頃から1952年まで生産されたHugo Meyer社の主力ブランドである。戦前に造られた前期型と1949年に再設計された後期型に大別される。前期型としてはダイヤルコンパーシャッター搭載の一般撮影用のモデル(中・大判撮影用)と真鍮製バーレルレンズ(エンラージングレンズ)の2種が供給されていた。この時代の製品名はHugo Meyer Doppel Anastigmat Helioplanと表記されている。その後、1949年の再設計で後期型にモデルチェンジし、新しいガラス硝材の導入によって描写性能が向上している。私の把握している範囲であるが、戦後に販売された後期型のHelioplanには40mm 55mm 75mm 105mm 135mm 210mmの6種類の焦点距離のモデルが存在している。このうち焦点距離40mmのモデルは35mmフルサイズ用(M42マウントとExaktaマウント)、75mmのモデルは中判用(メントールなどの中判カメラ)、135mmと210mmは大判用として市場供給された。なお、焦点距離40mmのモデルは戦後に短期間だけMeyer Gorlitz Weitwinkel Doppel Anastigmatの名称で売られていた時期がある。Exakta用広角レンズという位置付けで一定の需要が見込まれていたのであろう。

入手の経緯
本レンズはeBayを介し2012年11月にロシアのカメラ屋から200ドルの即決価格(送料込みの総額215ドル)で落札購入した。このセラーは過去の取引件数が2060件でポジティブ・フィードバック100%(ニュートラルな評価すらない)と極めて優秀だ。商品の状態はエクセレントコンディションで「絞りはスムーズに動く。ガラスにキズ、拭き傷、カビ、ホコリの混入はない。純正キャップが付く。」とのこと。クモリとバルサム切れについて触れていないが、このセラーの他の商品を見る限りいつもの事のようなので問題なしと判断した。写真で見る限り概観は非常に良好で新品同様。デッドストックの未使用品のようにも見える。2週間後に届いた品はやはり記述以上に素晴らしく、僅かなホコリの混入と絞り羽の油染みを除けば新品同様と言っても過言では無い素晴らしい状態であった。ホコリはブロアーで簡単に除去できたので新品同様の状態である。eBayの中古相場は50-150ユーロくらいであろう。

M42マウントへの変換
私が入手した75mmのHelioplanはヘリコイド機構の省かれたレンズヘッドのみの製品である。元々は蛇腹カメラなどに搭載され用いられていたレンズなのであろう。一眼レフカメラやミラーレス機の交換レンズとして用いるには簡単な改造を施しフォーカッシング・ヘリコイドに搭載する必要がある。本品はマウント部がM32のスクリューネジになっているので35mm-37mmステップアップリングで土台をつくり、その上からM42リバースリングアダプターを被せることでM42フォーカッシングヘリコイド(BORGのM42ヘリコイド【7842】)に搭載することにした。ステップアップリングの内径がM32のスクリューネジよりも極僅かに小さいようで、そのままではきつくて装着できない。棒ヤスリなどでステップアップリングの内側を削り、内径を僅かに広げておくとよいであろう。

ステップアップリング(35-37mm)で土台をつくり、その上からM42リバースリングアダプターを填める。これでM42スクリューネジに変換できる

M42に変換後はそのままOASYS M42 HELICOID【7842】に搭載して完成

撮影テスト
HelioplanはDialytタイプとしては極稀な戦後設計のレンズである。ガラス硝材の改良により安定感のある高い描写性能を実現している。ピント部は四隅まで充分な解像力があり、ハロやコマ、色収差は極僅かでヌケが良い。ノンコートレンズのためコントラストは高くはなく、曇天時ではとても軟らかい階調描写になる。晴天時においてもコントラストは強くなり過ぎずシャドーへの落ち方がなだらかで目に優しい描写傾向を維持している。発色はノーマルで淡泊過ぎず適度な色ノリである。前エントリーで取り上げた同型レンズのDogmarに比べるとボケ味がやや異なるようで、Dogmarは後ボケが硬くザワザワと煩くなり2線ボケ傾向もみられたが、Helioplanではボケが比較的滑らかで2線ボケも目立たない。ただし、距離によっては開放で僅かにグルグルボケが出る。私個人としてはかなり好きな写りである。以下作例。

CAMERA: EOS 6D
LENS HOOD: 内径20mm程度の自作フード(フィルター径25.5mm)
F6.3, EOS 6D(AWB): ピーカンの天気だがコントラストの低いレンズのためか階調が硬くならず、シャドー部はなだらかさをキープしている。コマがよく補正されておりスッキリとヌケの良い写りだ
F6.3, EOS 6D, AWB: こんどは曇天時での作例。中間階調が豊富で目に優しい軟らかい描写が好印象である

F4.5(開放), EOS 6D(AWB): 開放でもピント部はシャープだ。カラーバランスはノーマルで色のりもヌケもよい。距離によっては四隅にややグルグルボケが出る事もあるが、一段絞ればボケ味は常に穏やかである


F11,  EOS 6D(AWB): 近接撮影でも、このとおりに高解像でしっかりと写る

独特の製品ラインナップを展開し他社との競合を避ける徹底した企業理念を貫いた戦前および戦後間もない頃のHugo Meyer社。このような経営方針に至ったのは1919年から同社に14年間在籍したRudolph博士の影響からだったのではないだろうか。博士はかつてCarl Zeissに在籍し、同社の企業戦略や製品開発に関わった経験から、大企業との戦い方や中小メーカーの取るべき立ち位置を深く理解していた人物である。Zeissの経営方針(不況時に傘下のパルモス・バウを切り捨てた)に反発し同社を退職したと言われており、後に自分は大会社よりも中小メーカーに向いていると61歳でHugo Meyer社へ再就職を遂げた経緯がある。戦前のHugo Meyer社はTessarタイプやPlanarタイプなどCarl Zeiss的な定番レンズの構成に頼る事なく、特色ある製品を展開することで一定の成功を収めていた。TessarやPlanarを発明した張本人であるRudolph博士がHugo Meyer社に在籍し、同社の経営方針に一定の影響を与えていたからであるに違いない。