おしらせ


2014/09/12

Spiral-733 ( 放射温度計MINOLTA IR630用レンズ ) converted M42

放射温度計とは物体から出ている熱放射(赤外光や可視光)の強度を測定し、そこから物体の温度を求める非接触型の温度計です。温度を求める原理には物理学のシュテファン=ボルツマンの法則とプランクの法則を利用しています
ミラーレス機があれば
何だって写真用レンズになる
Minolta放射温度計IR-630用レンズ Spiral-733 2.8/85
研究棟のごみ置き場で壊れた放射温度計のMINOLTA IR-630を拾いました。見るとレンズがついています。一応は大学のプロフェッサーの身分ですから、ゴミあさりなんて品格のない行為はいけません。キョロキョロとまわりを見回しサッと回収。ゴキブリ並みの行動力で獲物を確保しダッシュで立ち去りました。部屋に戻りこの子に電池を入れ自分の体温を測定してみると、何と733℃と表示されます。本体が完全にイカれているか、私がイカれた赤外発光体であるかのどちらかです。このまま墓場送りにするのはもったいないので、レンズのみを救出することにしました。分解すると綺麗なレンズではありませんか。構成はトリプレットで、イメージサークルはフルサイズセンサーを余裕でカバーしています。焦点距離は85mm前後で、絞りはついていませんが、口径比はF2.8あたりです。フランジバックは一眼レフでも十分に使える長さになっており、ヘリコイドもついています。M42マウントに変換し写真用レンズとして第二の人生を歩ませることにしました。この手のレンズを改造し流用することについてはミラーレス機が登場したおかげで、ずいぶんと度胸がつきました。
ヘリコイドを近接側いっぱいまで回し軽く力をいれると、カチッという音がして光学ユニットがヘリコイドから外れます。マウント部は3本のビスでネジ止めされており、これを外せばヘリコイドがマウントごと本体から外れます






放射温度計の本体からレンズをとりはずしたところ。本体は故障しているのでこのまま廃棄しました

レンズを外すには上の写真のようにマウント部のビス3本をマイクロドライバーで外します。すると、マウント部がヘリコイドごと本体から取り外せます。続いてM42マウントへの変換ですが、M42リバースリングとステップアップリングを用意します。リバースリングはeBayで9ドル(送料込み)、ステップアップリングはヤフオクにて500円程度で手に入ります。今回は43.5mm-49mmのステップアップリングを用いて解説していますが、据え付けがきついので、ひとつ上のサイズ(43.5mm-52mm)の方がよいでしょう。また、リバースリングもこれにあわせ、M42-52mmとなります。
 
M42リバースリング(左)とステップアップリング(右)。どちらも市販品として手に入れることができます


ンズのマウント部に鏡胴側からステップアップリングを逆さに被せ、反対側(カメラ側)からM42リバースリングをはめ、ネジで合体させます。マウント部に対し2枚のリングで包み込むように固定するのです。あとは光学ユニットを取り付け、下方からフランジ調整用のM42マクロチューブ(2.7cm丈)を取り付ければ完成となります
の写真のようにステップアップリングをレンズのマウントに対して鏡胴側から逆さに被せ、その反対側(カメラの側)からリバースリングを据え付け固定します。マウント部を包み込むように2枚のリングを前後からはめるのです。こうして無改造のままマウント部をM42ネジに変換することができました。あとはフランジバックの調整ですが、M42レンズとして使用する場合には27mm丈のM42マクロチューブを継ぎ足せばピタリと無限遠のフォーカスを拾うことができます。簡単な改造ですがこれで完成です。無名のレンズなのでSpiral-733と命名することにしました。
焦点距離(推定) 85mm, 口径比(推定) F2.8, フィルター径 40.5mm, 構成 3群3枚トリプレット(推定), MINOLTA IR-630専用レンズ, ガラス表面にはコーティングが施されています

ヘリコイドを近接側に繰り出すと、中からレンズ名とスペックが表れるようにしました.

撮影テスト
camera SONY A7
Spiral-733の写りに何を期待したらよいのでしょうか。愚問かもしれませんが、勿論それはシュールな世界を描き出す破綻した描写特性です。このレンズは写真撮影用ではないので、その期待に応える可能性は大いにあると考えられます。
イメージサークルはかなり大きく設計されており、中判カメラの6x6フォーマットにもケラれることなく対応できます。ただし、画質的な破綻が大きいので、おすすめはできません。今回はフルサイズセンサーを搭載したSONY A7で使用することにしました。しかし、それでも四隅における画質的な破綻は大きなものです。
Spiral-733はトリプレット型レンズですので写真中央部の解像力は高く、ハロやコマの少ないスッキリとヌケの良い写りとなります。コーティングの性能がよいためかゴーストやハレーションは出ず、階調こそ軟調ですが発色が濁ることはありません。像面が四隅に向かって近接寄りに大きく曲がっており、画面中央でピントを拾いながら画面いっぱいに被写体を捉えると、四隅ではピンボケを起こします。この手の像面湾曲レンズの特徴は後ボケが柔らかく綺麗に拡散することとフォーカス部の近くで放射ボケがみられることです。また、近接側ではグルグルボケもみられます。被写界深度が浅く見えるのも大きな特徴で、これは言わば写真の四隅に向かってティルトシフト(アオリ効果)が効いているのと同じことです。以下作例。
Sony A7(AWB)やりました!激しい像面湾曲と放射ボケが発生し、なんだか凄い写りです




Sony A7(AWB): 基本的に日の丸構図になります。周辺部の像の流れを活かせば迫力のある演出効果が得られます

Sony A7(AWB): ピントは中央にとっています。像面が大きく曲がっているため、中央から外れると直ぐにピンボケを起こします

Sony A7(AWB): さすがにトリプレット。ピント部中央には高い解像力があります









Sony A7(AWB): 後ボケは柔らかくとろけるように拡散しています

Sony A7(AWB): このレンズの手にかかれば、玉ボケも放射状に流れてゆきます














Sony A7(AWB): 収差設計の基準点が近接域なのかと思っていたら、遠方でもご覧のとおり高解像です



 
酔いそうになるような激しい作例たちでしたが、最後までご覧いただきありがとうございました。レンズは写真仲間の「ぽんちゃん」にプレゼントしました。ぽんちゃんによる写真もこちらに掲示しましたので、ご覧ください。カメラはオリンパスPen(デジタル)です。
 

2014/07/14

Carl Zeiss Jena Biotessar 10cm F2.9 :「Zeissの古典鏡玉」特集PART 1 ビオテッサー




Zeissの古典鏡玉 Part 1
過剰性能のため絶滅した
テッサーの進化形態
Biotessar 10cm F2.9
Biotessar(ビオテッサー)はZeissのE. Wandersleb (エルンスト・ヴァンデルスレプ)とW.W.Merte (ウィリー・ウォルター・メルテ)がTessar(テッサー)からの改良モデルとして1925年に設計した大口径標準レンズである[文献 1,2]。WanderslebはP.Rudolph (パウル・ルドルフ) と共に1902年にTessar F6.3を発明した人物で、一方のMerteはBiotar (ビオター)やOrthometar (オルソメタール)、Tele-Tessar (テレ・テッサー)の設計者として知られている。Biotessar が開発された時代背景には手持ち撮影のできるハンドカメラに搭載し、野生生物の記録撮影に用いることのできる明るいレンズを提供して欲しいという学術分野からの要望があった[文献3]。これに応じるためWanderslebとMerteははじめTessarの再設計に着手し、1925年にTessar F2.7(シネマ用から大判撮影用4x5インチまでに対応)を開発している[文献4]。しかし、旧来からのイエナガラスによる設計では収差的に無理があり、当時この明るさと硝材では大きなイメージフォーマットにおいて充分な性能を得ることができなかった[文献5]。そこで、基本設計はTessarのままレンズの構成を4枚から6枚(下図参照)に変更、収差の補正パラメータを増やすことでF2.8でも充分な性能が得られるようにした上位モデルのBiotessarを新開発したのである。Biotessarは1929年に量産が始まりZeiss Ikon社の中・大判カメラMiroflexに搭載する交換レンズとして市場供給されている。一方、Tessarは1930年に再びMerteの手で改良されF2.8で再登場している[文献6]。しかし、硝材の進歩なくしてTessarがF2.8の明るさに対応するのは、この時代では無理があった。1931年のB.J.A紙[文献7]にはBiotessarがTessarの後継モデルであると紹介されており、開放F2.8から非常にシャープな像が得られ性能的にはTessar F2.7よりも明らかに優位、F3.5やF4.5まで絞ってもこれらを開放値とするTessarに勝るとも劣らない優れた描写性能であると解説されている。Tessar F2.8は戦後の1947-1948年に新種ガラスを用いた再設計で飛躍的な進歩を遂げ、球面収差と非点収差の補正効果を大幅に改善させている[文献8]。一方、収差図をみるとBiotessarはこの改良されたTessar(戦後型)に対してさえ球面収差の補正効果では同等、軸上色収差では勝り、非点収差も肉薄する素晴しい性能をたたき出している[文献5]。Sonnarもまだ登場していない1920年代半ばに旧来からのイエナガラスのみに頼る設計で、これほどまでに優秀なレンズが実現されていたのは、たいへんな驚きである。
Biotessarの光学系:左が前方被写体の側で右がカメラの側となる。構成は3群6枚のBiotessar型である。Tessarをベースに改良され、球面収差と非点収差、軸上色収差の補正効果が大幅に強化されている。当時のTessarと比べ解像力と周辺画質が改善されておりシャープネスも高く、F2.8/F2.9の明るさに無理なく対応している。はり合わせ面を多く持つのが特徴である
重量(実測): 252g, 絞り羽: 15枚, 絞り: F2.9/3.1/4.5/6.3/9/12/18/25, フィルター径: 39mm, 推奨イメージフォーマット(推測値):対角長8.1cm(中判6x6の対角長7.9cmをカバー), 構成: 3群6枚ビオテッサー型, Serial number: 691209
Biotessarは1925年に構成図の特許[文献2]がドイツ、米国、英国で一斉に開示され、翌1926年には最初の試作レンズ(プロトタイプ)が造られている。Zeiss Jenaの台帳[文献10]によると1926年にまず18cm F2.7と17cm F2.9が造られ(本数不明)、続いて5cm F2.2が2本、10cm F2.2が1本、8.5 /10 /12 /14 /17cmがF2.9で各5本、20/25cm F2.9が各1本、1927年に1.5cmF2.2が1本、1928年に4cmと17cmがF2.7で各1本、1929年に4 /5 /13 /5 /16 /5 /17cmがF2.8で各1本、5cm F2.8が英国用に1本、1931年に26cm F2.9が1本試作されている。まとまった数のレンズが量産されるようになったのは1929年からで、Zeiss Ikon社製の中判カメラMiroflex A型の交換レンズとして13.5cm F2.8のモデルが225本、大判カメラのMIROFLEX B型の交換レンズとして16.5cm F2.8が600本供給された[文献9,10]。また、カメラは不明だが5cm F2.8が同年に200本製造されており、その少し前にマスターレンズ1本が英国に納品されていることから、英国製カメラのいずれかに供給されたものと思われる。量産された上記の3種のうち、焦点距離13.5cmのモデルは中判カメラ(Miroflex A型)の6.5x9cmフォーマットをカバーし、規格どおり用いれば35mm判換算で54mmF1.1相当のレンズとなる。一方、焦点距離16.5cmのモデルは大判カメラ(Miroflex B型)の9x12cmフォーマットをカバーし54mm F0.9相当のレンズとなる。どちらも強烈な超大口径レンズで、標準レンズ並みの撮影画角をカバーしている。ただし、発売当時は使用できるカメラが限られ、フィルムの性能もこのレンズの性能を活かしきれるほど高くはなかったため、製造コストの高いBiotessarがTessarに置き換わる新たな看板ブランドになることはなかった。1942年になるとZeissは非公式ながらHasselblad(ハッセルブラッド)がスウェーデン軍に納入した中判カメラHK7に搭載する交換レンズとしてTコーティング入りのBiotessar 13.5cm F2.8を供給している。しかし、HK7の生産台数は342台と少なく、レンズの安定供給までには至っていない。その後、新種ガラスの普及とともにTessar F2.8の性能が大幅に向上したことでBiotessarの存在意義は薄れ、新種ガラスへの対応が進まないまま生産終了となっている。戦後は全く造られていない。Tessarを超える優れた性能を実現しながらも普及のチャンスを掴みとることができなかった不遇のレンズである。

文献1:Rudolf Kingslake, "A History of the Photographic Lens"
文献2:Brit Pat 256586(1925), DRP 451194(1925), US Pat 1697670(1925)
文献3:「カメラマンのための写真レンズの科学」 吉田正太郎(地人書館)
文献4:British Pat 273274(1926);  B.J.A. 1926, p324
文献5:「レンズ設計のすべて―光学設計の真髄を探る」 辻定彦(電波新聞社)
文献6:British Pat 369833(1930)
文献7:B.J.A紙 No.304(1931)
文献8:H. Zollnar設計, Jena review (2/1984)
文献9:Zeiss Photo Lenses Catalog 1933
文献10:ZEISS台帳;Carl Zeiss Jena Fabrikationsbuch Photooptik I,II-Hartmut Thiele

入手の経緯
BIOTESSARの存在を知ったのは海外の掲示板仲間と既に絶滅してしまった優秀なレンズについて談議している最中に「こんなものがあるぞ」と紹介してもらったのがきっかけである。さっそくeBayでレンズを探したところ、焦点距離13.5cmF2.8のモデルと16.5cmF2.8のモデルの2種が流通していることがわかった。スナップ撮影が中心の私にとって大判カメラは大きすぎるので、ここは中判カメラでの使用を前提に焦点距離13.5cmのモデルを探すことにした。ところが中古市場に流通している製品個体は16.5cmのモデルばかりで、いつまで待っても13.5cmのモデルを見つけることができない。運よく見つけられたとしてもバルサム剥離がみられたりクモリがあるなど、何らかの重大な問題をかかえていた。こうしてほとんど諦めかけていたところ、2013年6月にオーストリアのライカショップが出している商品リストの中に今まで聞いたこともない焦点距離のBiotessarを見つけることができた。その個体はZeissのカタログ(1933年)に記載のない焦点距離10cmのモデルで、開放F値がF2.8ではなくF2.9となっているのである。念のためZiess Jenaの台帳でシリアル番号を照合したところ確かに10cmF2.9でBiotessarと記録されている。ライカショップのホームページで解説文を読むと、「カールツァイスのアーカイブに眠っていたプロトタイプ(試作品)の5本の内の1本で、黒色にペイントされた真鍮鏡胴のビオテッサー。ガラスはクリーンでコンディションは大変に良い」とのこと。レンズの値段は13万円である。ちなみに13.5cmのモデルのeBayでの相場は700-500ドル程度。購入資金をつくるため手元にあったレンズを何本か売却し、レンズの入手に踏み切った。届いた品は中玉にクリーニング時のものと思われる拭きむら(水垢の汚れ)が僅かにみられたが、ガラス自体は拭き傷も無く、アーカイブに安置されていただけのことはありとても良い状態である。いい買い物ができた。残る問題は使用するカメラをどうするかである。Zeissの1933年のカタログに掲載されている焦点距離13.5 cmと16.5 cmのモデルの製品仕様から割り出したBiotessar 10cmの推奨イメージフォーマットは中判6x6相当である。使用できるカメラはフォーカルブレーン機に限られるので、BRONICA、HASSELBLAD、ROLLEI SL66、KIEV 88を候補にあげ多角的に検討した。どのカメラにも市販でマウントアダプターが供給されておりマウント部をM42ネジに変換することができる。悩んだ末にバックフォーカスの短いレンズにも対応できるBRONICA S2を導入することにした。

レンズをBRONICA S2にマウントする
BRONICA S2は中判の6x6フォーマットに対応した一眼レフカメラである。普通の一眼レフカメラでは撮影時にミラーが前方に跳ね上がる仕組みとなっているが、このカメラでは何とミラーが後方に倒れる仕組みになっている。このためバックフォーカスの短いレンズにも難なく対応でき、レンズをマウントさえできればミラーが後玉に干渉する恐れはない。カメラとしての合理性よりもレンズとの互換性を重視している点がこのカメラの著しい特徴で、オールドレンズの母機として運用する際に高い自由度を提供してくれる頼もしい存在である。ただし、Biotessarのフランジバック長は90mm前後とBronicaマウントのフランジバックより10mmほど短いため、このままカメラにマウントできても無限遠までピントを拾うことはできない。そこで、創意工夫しレンズをカメラの内部へと沈胴させて使用することにした。バックフォーカスを短縮させピントを無限遠まで拾えるようにするのが狙いである。試行錯誤の末、下の写真に示すような部品構成で実現できることがわかった。用いた部品は全て市販品なので、以下で述べる解説は誰にでもできる方法である。
レンズをBronica S2にマウントするために集めた部品:(A)Bronica M57用M42アダプターリング; eBayにて香港のLens-Workshopから80ドルで購入した。(B)M42マクロ・リバースリング; eBayにて中国製を8ドル(送料込)で入手した。(C)ステップアップリング; ヤフオクやeBay、量販店、八仙堂などで入手可能で値段は数百円~1000円程度である。(D)レンズ本体(フィルター径39mm)。(E)Bronica用M57マクロチューブ;ヤフオクでは3000円前後で入手可能(中古品)。Bronicaの純正品もある。私は2400円で非純正の品を手に入れた

    まずは3枚のアダプターリング(A)(B)(C)をつなぎ土台を製作する。Bronica M57-M42アダプターリング(A)の後方背面側からM42リバースリング(B)をはめ、M42マウントのメスネジをフィルター用のオスネジへと変換する。続いて、このオスネジにステップアップリング(C)を装着してネジ径をレンズ本体のフィルターネジと同じ39mm径に変換する。こうして3枚のリング(A)(B)(C)で組み上げた土台をレンズ本体(D)の前玉フィルター枠(フィルター径39mm)に装着する(下の写真)。最後にBronica用M57マクロエクステンションチューブ(E)を覆い被せ、土台最下部のM57-M42アダプターリング(A)のM57ネジに固定すれば完成となる。

    3つのリング(A)+(B)+(C)で土台(写真の下部)をつくり、レンズ(D)をフィルター側から装着する。最後にマクロエクステンションチューブ(E)を被せ、(A)のM57ネジに固定すれば完成である
    Bronica M57マウントにマウント改造したBiotessar。レンズは前玉側のフィルターネジからマウントされており、後玉側はカメラの内部に宙吊りの状態で沈胴させる。サーカスみたいだ

    M57エクステンションチューブ(E)のマウント側は57mm径(P1)の雄ネジとなっており、下の写真に示すようにBronica本体のヘリコイド部に設けられたM57ネジに装着できる。レンズ本体(D)は土台(A)(B)(C)を介し、カメラに対してフロント側(フィルターネジの側)からマウントされ、カメラ本体の内部に宙吊り状態で据えつけらる。これは言わば沈胴している状態なので、バックフォーカスが短縮され無限遠のフォーカスを拾うことができるというわけだ。前玉側はM42ネジとなっているので、ここにM42マクロ・エクステンションチューブを装着すればレンズフードの代わりとすることができる。また、レンズキャップの代わりにはM42ボディキャップを利用すればよい。この場合、M42ボディキャップはフードの先端に装着することもできる。
    一つ不便なのは絞りの制御を行うごとにレンズをカメラ本体から取り外さなくてはならないことである。今のところ、この手間を避ける良い方法が思い当たらない。鏡胴外部から磁石で引っ張るか、モーターを内蔵させ内側から絞りリングを遠隔制御するなど、アイデアと言えばそのくらいである。



    35mm判カメラで使用する
    Biotessar 10cm F2.9の推奨イメージフォーマットは中判の6x6サイズなので、一回り小さな35mmフォーマットのカメラで使用しても画質的にそれほど無理なことではない。ここでは簡単な改造により35mm判カメラで使用する方法を解説する。
    大昔の中・大判レンズは一般にヘリコイドが省かれており、35mm判以下の一眼レフカメラやミラーレス機の交換レンズ(M42レンズ)として用いるには、別途用意したヘリコイドユニットに搭載することが前提となる。一番簡単な方法は後玉側のトリムリング用ネジにM42リバースリングを装着し、そのままM42ヘリコイドに搭載することである。カメラへの装着は市販のM42レンズ用マウントアダプターを使えばよい。部品構成は下の写真に示す通りで、いずれも市販品として手に入るものばかりである。
    M42マウントに変換するために用いた部品構成;(A)ステップアップリング (39mm→46mm):ヤフオクやeBayで数百円程度から入手できる。(B)M42リバースリング (M42/P1→ 46mm):eBayで中国製が8ドル程度(送料込み)で入手可能。(C)レンズ本体。(D)M42ヘリコイドチューブ(25-55mm): ヤフオクやeBayで中国製が手に入る。値段は4500円~6000円程度である。BORGブランドの日本製もあるが、今回の組み合わせでは長さの規格にやや無理がある

    まずはステップアップリング(A)とM42リバースリング(B)をつなぎ合わせ、レンズ本体をM42ヘリコイドチューブに固定するための土台をつくり、これをレンズ(C)の後玉側に設けられたトリムリングのネジ(39mmP0.75)に装着する。あとは、レンズを土台(A)(B)の側からM42ヘリコイドチューブ(D)に装着すれば完成である(下の写真)。市販のマウントアダプターを用いることでM42レンズと同様に様々な一眼カメラで使用することができる。ただし、この部品の組み合わせではフォーカスがオーバーインフ気味になるため、ピッタリ無限遠を出したいならスペーサー等を用いてバックフォーカスの微調整が必要となる。ここで用いているヘリコイドチューブは伸縮率が非常に高く、最短撮影距離に不満がでるような事はない。
    これで完成状態となりM42レンズとして一眼レフカメラ等で使用することができる。ややオーバーインフの設定になるので、M42-Nikonアダプター(補正レンズなし)を用いてNikon Fマウントのカメラでも無限遠のピントを拾うことが可能だ。上の写真ではレンズに元々ついていたマウント座金をつけたままにしているが、これは勿論外してしまってかまわない

    M42レンズとして使用した場合の一眼レフカメラへの装着例。レンズが長すぎることはなく、なかなか格好の良い仕上がりだ

    撮影テスト
    BiotessarはTessarをベースに球面収差と非点収差、軸上色収差の補正効果を向上させ、旧来からのイエナガラスに頼る設計のままF2.8(F2.9)の明るさに充分対応できるよう改良したレンズである。レンズの構成枚数はテッサーの4枚から6枚へと増えている分、内面反射量の増加が心配になるが、空気と硝子の境界面はテッサーと同じ6面なので、ノンコートレンズのわりにコントラストは悪くない。光の透過性がやや劣る新種硝子には頼らないぶん、ハレーション(グレア)の発生量は深刻にならない。解像力は開放から高く、四隅まで破たんのない画質が維持されている。ただし、開放ではややコマ収差が目立ち、撮影条件によってはハイライト部の周辺に美しいコマフレアが発生、薄いベールに包まれたような素晴らしい写真効果が得られる。よく言われる「芯のある柔らかさ」とは、まさにこのことなのであろう。一段絞ればフレアはおさまり、スッキリとヌケの良い描写になる。階調はノンコートレンズのためか、さすがに軟らかく、絞っても中間階調は豊富にでる。発色はやや地味で、落ち着いた雰囲気を持ち味としている。パーティや結婚式などで用いれば上品な写りになるのではないだろうか。ボケは穏やかで安定感があり前後とも柔らかく拡散している。グルグルボケ、放射ボケ、2線ボケなどの乱れはみられない。立体感には欠けるが平坦性が高く、安定感のある描写は、やはりテッサーのDNAからきているのであろう。収差図によると樽状歪曲収差が周辺部に1%程度出ているようだが、実写ではよく判らない。

    撮影機材(フィルム撮影)
    カメラ Bronica S2;  フィルム Fujifijmカラーネガ Pro400H/ Pro160,  Kodakカラーネガ Protra 160l; 
    M42エクステンションチューブ(フードの代わり); セコニック露出計 スタジオデラックスL-398
    F2.9(開放), Bronica S2 + Kodak Protra160(銀塩ネガ): 開放でのショット。ハイライト部の周囲にフレアが纏わりつき、モヤモヤと綺麗に滲んでいる。ただし、コントラストは悪くはない。花瓶の周りに出ているボケ玉の形が遊泳するクラゲのように非対称に崩れており、コマ収差がやや強めに出ているようすがわかる。フレアの原因はこれであろう
    F2.9(開放), Bronica S2 + Fujifilm PRO400H(銀塩カラーネガ):開放&近接でも解像力は良好である

    F2.9(開放), Bronica S2 + Kodak Protra160(銀塩ネガ): 発色はやや地味だが悪くない

    F4.5, Bronica S2+  Fujicolor Pro400H(銀塩ネガ): 少し絞ればスッキリとヌケのよい写りである。ピントは人物ではなく背後にとってみたが、もう少し人物の方がピンぼけしてほしかった


    F4.5, Bronica S2+  Fujicolor Pro160(銀塩ネガ):一段絞るとコントラストはアップする。後ボケはなかなか綺麗だ

    F4.5, Bronica S2+Fujicolor Pro400H(ネガ); 綺麗で優しいハレーション。オールドレンズらしさが滲み出ており、今回撮った中ではお気に入りの一枚だ

    F4.5, Bronica S2+  Fujicolor Pro160(銀塩ネガ): ノンコートレンズなので調子に乗っていると、やはりハレーションがわんさかと出る。ただし、画像全体を破綻させることはなく、このレンズにはある程度の逆光耐性があることがわかる。発色は濁らず、地味だが良好だ


    F2.9(開放), Bronica S2+  Fujicolor Pro160(銀塩ネガ):開放での適度なフレアが心地よい。柔らかく綺麗に写るレンズだ




    上段・下段ともF2.9(開放), Bronica S2 + Fujicolor Pro160(銀塩ネガ): こちらも開放。ヌケは良いとはいえないが、軟らかく美しい写りである















    F4.5, Bronica S2 + Kodak Protra160(銀塩ネガ):: クモリの日に用いるとコントラストが急に下がり発色が地味になる。これはこのレンズの持ち味であるが、一方で鮮やかな色表現を求める被写体には向かない



    以前から「芯のある柔らかい写り」という描写表現を耳にすることがあり理解に困っていたが、その意味に対する自分なりの解釈にやっと辿りつくことができた。嬉しい。すなわち軸上収差(球面収差)はよく補正されており写真の中央は高解像だが、軸外(すなわち写真の周辺部)からの光線による横収差(コマ収差)が比較的多く残存しているレンズに対して使われる表現のことなのだろう。先人達が用いてきた描写表現には、まだまだ難解なものが多くある。彼らの観察力の深さに驚くと共に、発見が尽きることのないオールドレンズの世界の奥の深さを今回のビオテッサーのブログエントリーで改めて実感することができた。
     
    デジタルカメラによる撮影テストの続編
    こちらからどうぞ。


    2014/07/08

    Zeissの古典鏡玉PART 0(Prologue): 数奇な運命をたどったZeissブランドのフラッグシップレンズ達

    左はKrauss Planar-Zeiss 60mm F3.5, 中央はBiotessar 10cm F2.9, 右はDoppel-Protar 147mm F7である



    光学系の構成図:左はPlanar, 中央はBiotessar, 右はDoppel-Protarである
    Carl Zeissの古典鏡玉 Part 0
    数奇な運命をたどった
    Zeissブランドのフラッグシップレンズ達
    1886年にZeissErnst Abbe(エルンスト・アッベ)Otto Schott(オットー・ショット)は後のレンズ設計の分野に革命的な進歩をもたらす新しいガラス硝材の開発に成功した。その硝材は原料にバリウムを加えることで透過光の分散(色滲み)を抑え、しかもレンズの屈折率を大幅に向上させるというもので、イエナガラス(新ガラス)と呼ばれるようになっている。イエナガラスを光学系の凸レンズに用いれば像面特性を規定するペッツバール和の増大を抑えることができ、従来のクラウンガラスとフリントガラスでは困難とされてきたアナスチグマートの実現が、いよいよ現実味を帯びてきたのである。4年後の1890年にZeissPaul Rudolph(パウル・ルフドルフ)は最初のアナスチグマートProtar(プロター)を完成させている[注1]。イエナガラスの登場はレンズ設計の分野に大きなインパクトを与え、波及効果は直ぐに広まった。それはまるで生物界に急激な多様化をもたらしたカンブリア爆発のような出来事であった。Protarを皮切りにDagor(ダゴール;1892), Triplet (トリプレット;1893), Protarlinse/ Doppel-protar (プロターリンゼ;1895), Planar (プラナー; 1897), Dialyt (ダイアリート; 1899)など高性能なアナスチグマートが次々と誕生し、19世紀末から20世紀初頭にかけてレンズ設計の分野は黄金期とも言える彩色豊かな素晴らしい時期を迎えたのである。そして、1902年に後の光学産業の縮図を塗り替えたと言っても過言ではないたいへん高性能なレンズが開発される。ZeissErnst Wandersleb(エルンスト・ヴァンデルスレプ)とPaul Rudolphが世に送り出したTessar(テッサー)である。
    Tessar34枚という比較的少ない構成にもかかわらず諸収差を強力に補正することのできる合理的なアナスチグマートであった。これより半世紀もの間、Tessarタイプのレンズはあらゆるカメラのメインストリームレンズに採用され、コストパフォーマンスの高さで市場を席巻、数多くのレンズ構成を絶滅の淵に追いやっている。本ブログでは数回にわたりイエナガラスの時代に登場し、優れた性能を持ちながらも不遇な運命を歩んだZeissブランドの高級レンズ達を紹介してゆく。取り上げるレンズはDoppel-Protar(ドッペル・プロター; 1893年登場)Planar (1897登場)Tessar (テッサー;1902年登場)、Biotessar(ビオテッサー; 1929年登場)の4本である。

    注1・・・Anastigmatとは非点収差の攻略によって5大収差の補正全てを合理的に完了できたレンズである。イエナガラスを用いて非点収差を補正したレンズとしてはProtarよりも先の1888年にH. L. Hugo Schroeder, Moritz Mittenzwei, and Adolph Mietherらが設計した2群4枚のレンズがあり、見方によってはこちらが世界初のAnastigmatとも呼べる。しかし、非点収差が補正されているだけで他の残存収差は多く、このレンズは不成功に終わっている。こうした事情がありProtarを最初のAnastigmatとする見解が世間一般では優位なようである。

    Carl Zeiss Jena Planar 10cm F4.5(初期型)

    2014/07/02

    アンケートの集計結果(3) オールドレンズユーザーが好むレンズの描写特性に迫る

    オールドレンズ愛好家達はレンズのもつ描写特性のどの部分に惹かれているのでしょうか?本ブログでは2014年3月1日から同年月5月22日までの約80日間、ブログを訪れた方々に対し投票式の公開アンケートを実施し、449人から回答を得ました。アンケートの内容は下図に示すような14の選択肢から好みの描写特性を最大4件まで選択回答するというものです。

    [設問] オールドレンズの好きな描写特性をお選びください。複数回答が可能ですが4つまででお願いします。

    横軸には回答件数(および回答率%)を提示しました。446人がアンケートに回答し、全14項目の中から一人当たり平均3.1件(最大4件に制限)を選択回答していただきました。集計結果の再下段にある「その他(リストにはないもの)」にも26件(回答率5%)の回答が寄せられています。ここには例えば「立体感」のような感覚的には把握されているものの理論的によくわからない描写特性を望むオールドレンズ愛好家達の残留思念が漂っているものと思われます


    この集計結果からわかる「万人受けするオールドレンズ」とは、
    • ①発色がノーマルではなく、固有の特徴があり、
    • ②階調が軟らかく、
    • ③収差(ハロやコマ)に由来するモヤモヤとしたフレアや滲みが発生し、
    • ④解像力があり、
    • ⑤グルグルボケや放射ボケがみられる
    というレンズです。③の「フレアや滲みを伴うソフトな描写」と④の「高解像」は一見矛盾するように思われますが、実は両立しており「線の細い描写」という意味に集約されます。①から⑤までの全てを満足するレンズが実在すれば欲張りなユーザーも大満足のはずです。はたしてそんなレンズはあるのでしょうか。参考までに Angenieux Type R1は①が〇、②が〇、③も〇、④も〇、しかし・・・⑤は残念ながら×となり総合評価がとても良いことになります。Xenotarは①が〇、②は×、③は×、④は〇、⑤は△です。

    アンケートにご協力いただきました皆様に心より感謝いたします。

    2013年度に実施したアンケートはこちら
    2012年度のアンケートはこちらです。

    2014/06/16

    KMZ Orion-15 2.8cm F6(L39)




    広い画角にわたり均一な画質を維持することのできる球形状のレンズは、広角レンズに適した設計とされている。このことはレンズの形状が完全に球であると仮定することで、光軸がどの方角にも定義できないことから容易に理解できる。一般にレンズの描写力は光軸の近く(写真中央)が良好で、そこから外れるほど(周辺部ほど)悪くなる。ならば、レンズが光軸の概念を捨てたとき、写真には一体何が写るのであろうか。無収差の世界か。それとも完全に破綻した世界か。おそらくそれは、この種の球形レンズを使った人にしかわからない。

    左はCarl ZeissのTopogon(R.Richter設計)で米国特許Pat 2031792(1933)に掲載されていた構成図からのトレース・スケッチ、中央はKMZ製Orion-15の構成でthe 1st Soviet Camera Catalogue (1958)に掲載されていたものからのトレース・スケッチ、右はZOMZ製Orion-15の構成で同社のレンズカタログからトレースである
    軸外光よ。どこからでもかかってきなさい!
    KMZ Orion-15 2.8cm F6
    Orion(オリオン)シリーズは旧ソビエト連邦(現ロシア)で光学技術の研究を統括するGOI (Gosudarstvennyy Optical Institute )という機関が1930年代から開発をすすめてきたTopogon(トポゴン)タイプの広角レンズである。Topogonと言えばZeissのRobert Richter(ロベルト リヒテル)が1930年代初頭に開発した4群4枚の対称型広角レンズで、優れた広角描写と歪み(歪曲収差)を極限まで抑えることのできる性質から、航空測量用カメラに搭載するレンズとして活躍した。GOIはロシアとドイツの国交が盛んだったドイツ・ワイマール共和国時代(1919~1933年)に両国間の技術協力の一環として、ドイツからTopogon F6.3の設計に関する技術支援をうけており、1930年代後半にはOrion-1A 20cm F6.3(30 x 30cm大判フォーマット)、Orion-2 150mm F6.3(18 x 18cm大判フォーマット, 1937年登場)の開発に至っている。両レンズとも航空測量に用いられた。
    今回入手した一本はGOIが1944年に開発したOrion-15(オリオン15) 28mm F6である。レンズ名の由来はギリシャ神話の巨身美貌の狩人オリオンである。発売当初はKievマウント(旧Contax互換)のみに対応し、1944年から1949年にかけてごく少量のみが生産された。レンズの生産が本格化したのは1951年からで、KMZ(クラスノゴルスク機械工場; Krasnogorsk Mekanicheski Zavod)がOrion-15の生産をGOIから引き継ぎ、Kiev用(旧Contax互換)とFED用(Leica M39互換)の2種を再リリースしている。このレンズは登場後、建造物の撮影やパノラマ撮影の分野で活躍し、1959年に開催された第2回ソビエト連邦国民経済成果展示会(the 2nd degree diploma of the Exhibition of Achievements of the National Economy of the USSR)で優れた工業製品として表彰された。1963年頃からはZOMZ(ザゴルスク光学機械工場; Zagorsky Optiko-Mechanichesy Zavod)がレンズの生産を引き継いでいる。ZOMZによる生産がいつまで続いたのかは明らかになっていないが、中古市場に出回る製品個体のシリアル番号を私が調査した限りでは、少なくとも1978年まで製造されていた。なお、市場に流通している製品個体の多くはクローム鏡胴であるが、1966-1967年に生産されたブラックカラーモデルも少量ながら流通している。

    参考: SovietCams.com
    Topogonの米国特許: Pat 2031792(1933) by Robert Richter

    重量(実測)62g, フィルター径 40.5mm, 絞り値 F6-F22, 絞り羽 7枚(開放でも絞り羽根が完全に開ききらないが、これで正常なのである), 最短撮影距離 1m, 対応マウント Fed(Leica L39互換)/Zorki(旧Contax互換),本品はFed用(L39), 構成 4群4枚Topogon型, 焦点距離 2.8cm, GOI製/KMZ製/ZOMZ製が存在する。解像力(フィルム中央点から0mm /10mm /20mm): 55 /35 /26 lpmm, 仕様書の公式記載解像力(中央/周辺):45/18 lpmm, 光透過係数:0.8, けられ(周辺光量落ち):67%






    入手の経緯
    本品は2014年5月5日にeBayを介しウクライナのセラーから即決価格249ドルで購入した。オークションの解説は「EXC++。硝子はパーフェクトのOrion-15。外観は9/10点、光学系は前玉・後玉とも10/10点のパーフェクトな状態」とのこと。ベークライト製のケースと前後のキャップが付属していた。商品は当初24980円のスタート価格でヤフオクに出品されており「ウクライナからの発送」とあった。私を含む3人がこの商品に対し入札したが30500円で競り負けた。仕方なしにeBayで同一品を探したところ、なんとシリアル番号と写真が全く同一の商品が250ドルの即決価格で出ていた。そこで、こちらを落札したわけだ。出品者には発送前にシリアルを確認するようにと釘をさすことにした。1週間後に届いた品は写真と同一のシリアル番号をもつ個体で、記述どおりにガラスはとてもいい状態であった。eBayでの中古相場は250ドル前後、ヤフオクでの相場は3万円程度であろう。この手の転売屋がどういうシステムで動いているのか気になるところだが、おそらくヤフオクでの落札者の元には異なるシリアルの製品個体が届くなど何らかの影響があったに違いない。誰が犠牲になったのかはわからないが、一歩間違えればそれは自分であった。

    撮影テスト
    Orion-15の描写の特徴は四隅まで解像力が良好で、歪みはほぼなく、色収差、像面湾曲、非点収差が十分に補正されていることである。口径比がF6と控えめなため球面収差とコマ収差は無理なく補正でき、開放でも滲みは見られずにスッキリとヌケのよい写りである。階調描写は軟調系で絞ってもコントラストは控えめであるが、そのぶん中間階調は豊富にでており、逆光時においてもシャドーは潰れにくい。周辺光量落ちが顕著にみられるという事前情報を得ていたが、実写に影響がでるほど光量落ちが気になるようなことはなかった。カタログスペックでも中央部に対し四隅で67%の光量落ちと解説されている程度なので、あまり心配する程の事でもなさそうだ。逆光にはそこそこ耐え条件が悪いとゴーストはでるものの、フレア(グレア)まで発展することはない。絞りに対する画質の変化は殆どなく、正直に言ってしまえば面白みに欠けるが、レンズグルメなら一度は体験してみたい類のレンズではないだろうか。以下作例。Camera: Sony A7(AWB)
    F11, sony A7(AWB): 逆光にはそこそこ耐え、グレア(内面反射由来のフレア)は出にくい。おもいきり逆光での撮影だが、シャドーは潰れず中間階調は依然として豊富に出ている


    F11, sony A7(AWB): あぁ困った。四隅までキッチリ写っている。ヌケは良い。やはり、このタイプのTopogon型レンズは建造物を撮るのに適している。よくわかった




    F6(開放),sony A7(AWB): ヘリコイドアダプターにて最短撮影距離を強制的に短縮させた。ボケは安定している

    F6(開放), sony A7(AWB): 球体鏡を写しているので、さすがにこれでは像が歪む








    2014/05/29

    LZOS Jupiter-12 35mm F2.8 (L39)




    大きく突き出た後玉が
    レンズマニアたちの心をグラグラ揺さぶる
    ロシア版ビオゴン:
    Jupiter-12 35mm F2.8
    Jupiter-12(ユピテル12/英語名はジュピター12)はロシアのKMZ(クラスノゴルスク機械工場)が1950年に発売したBiogonタイプの広角レンズである。巷ではZeissのLudwig Bertele (ベルテレ博士)が1936年に設計したContax版Biogon 35mmをそのままコピーしたレンズ(デットコピー)と誤って解釈されることが多いが、厳密にはBiogonの設計を簡略化した新開発のレンズであるBiogonの持つ線の太い描写、高いコントラスト、ヌケが良く色鮮やかな発色、穏やかで安定感のあるボケを受け継ぎ、Berteleが世に送り出したもう一つの名玉Sonnar(ゾナー)を彷彿とさせる描写設計である。BiogonはZeissのBerteleが1931年に設計したContax版Sonnarから発展したレンズである(下図)。Sonnarには画角を広げ過ぎると非点収差が急激に増大するという収差的な弱点があり、標準~中望遠には対応できるものの、広角レンズを実現するには基本設計に大幅な改良を施す必要があった。Sonnarの性質を維持しながら、同時にこのレンズの弱点を克服することがBiogonの開発に至ったBerteleの動機である。Berteleは研究を重ね、Sonnarの最後尾に巨大な後玉を据え付けるという新しい着想に辿りついたのである。
     

     
    Sonnar(上段・左)からJupiter-12(下段・右)に至る光学設計の系譜。こうして並べ比べてみると、Jupiter-12は確かにBiogonをベースに造られたレンズであることがよくわかる。我々の良く知るContax版Sonnarは上段・左に示すようの前群側に3枚接合ユニットを持つ設計形態であるが、Jupiter-12やBiogonの大半のモデルでは、この部分がガウスタイプと同じ2枚接合ユニットへと簡略化されている。構成図出展:Biogonの構成図はBerteleが出願した一連の特許資料からトレースした。また、KMZ BK-35は文献[1]からのトレース、Jupiter-12はレンズ購入時に付属していたマニュアル資料からのトレースである

     
    Jupiter-12は1950年にKMZ社が発売し、Leicaスクリュー互換のZorki(ゾルキー)用と旧Contaxマウント互換のKiev(キエフ)用の2種が市場供給された。初期のモデルはクローム鏡胴のみで1960年からはブラックカラーも登場している。1958年にはLZOS(ルトカリノ光学硝子工場/Lutkarinskij Zavod Opticheskogo Stekla)とArsenalがレンズの生産に参入し3社による生産体制となるが、3年後の1961年にKMZとARSENALは同レンズの生産から撤退、これ以降はLZOSによる単独生産となっている。現在の中古市場に流通しているレンズはLZOS製の製品個体が大半で、KMZ製はやや少なく、Arsenal製を目にすることは極稀である。市場にはZorki用とKiev用の2つのモデルが流通しており、1950年代~1970年代に生産されたクローム鏡胴のバージョンと1970年代~1980年代に生産された黒鏡胴バージョンの2種に大別できる。最後まで製造が続いたのはLZOS製の黒鏡胴バージョンである。私が市場に流通しているレンズのシリアル番号を片っ端から調査した感触によると、レンズの生産は少なくとも1991年まで続いていた。
    なお、記録によるとJupiter-12にはBK-35 (Biogon Krasnogorsk 35/1947-1950年)という前身モデルが存在し、ZeissのBiogonをベースにドイツ産の硝材を用いて設計されたと記されている[1,2]。構成図をみるとBK-35の光学系は後群・第一レンズの曲率が妊婦のお腹のように大きく膨らんでおり、Biogon(1937)からJupiter-12へと移行する過渡的な設計形態になっていることがわかる。

    参考文献・WEBサイト
    [1] КАТАЛОГ фотообъективов завода № 393(ZenitのHPに掲載)
    [2]SovietCams.comJupiter-12 )
    [3] Marco Cavina’s wonderful HP: marcocavina.com

    入手の経緯
    本レンズは2013年8月にeBayを介しポーランドのレンズ専門セラーから110ドル+送料10ドルの即決価格で落札購入した。オークションの解説では「ガラスはMINTコンディション。ミラーレス機でテスト済だ。フォーカスリングと絞りリングの回転はスムーズで、絞り羽に油染みはない。硝子に傷、クリーニングマーク、クモリ、バルサム切れ等の問題はない。前後のキャップとケースが付属する」とのことである。届いた品は鏡胴に少し汚れがあり、前玉にクリーニングマークが1本あった。ホコリは経年相応で清掃が必要なほどでもない。この程度の相違は織り込み済みなので、私には十分な状態であった。eBayでの相場は状態の良い個体で100ドル前後である。未使用と思われるデットストック品が現在でも数多く流通しているので、焦らずにジックリと選び、良いものを手に入れるとよいであろう。なお、Arsenalの製造したモデル(1958-1961年生産)、KMZの製造した黒鏡胴モデル(1960-1961年生産)、および初期のKMZ BK-35(1947-1950年生産)は希少価値が高く、上記の相場価格は当てはまらない。最近はロシアやウクライナの一部のセラーがJupiter-12の名板のみをすげ替えたBK-35の模造品を売り出しているので、注意したほうがよい。ちなみに模造品のeBayでの相場は200~250ドル程度である。
    Jupiter-12: 最短撮影 1m, フィルター径 40.5mm, 絞り羽 5枚, 重量(実測) 100g,  焦点距離 35.7mm,  絞り指標 F2.8-F22, 構成 4群6枚 (戦前のBiogon前期型), 63年製, メーカー LZOS(ルトカリノ光学硝子工場), 解像力 36 line/mm (中央) 18 line/mm (コーナー)。なお、レンズ名の由来はローマ神話の最高至上の神の名ユピテル
    撮影テスト
    Jupiter-12はコントラストが高く、鮮やかな発色とシャープな写りを特徴とするレンズである。解像力は平凡で線は太いものの、開放から滲みやフレア(収差由来)は少なく、スッキリとヌケのよい描写である。ただし、絞っても階調はなだらかで適度な軟らかさを維持している。ボケは四隅で半月状に崩れコマ収差の発生を確認できるが、中間画角までは整っており柔らかく拡散している。グルグルボケ、放射ボケ、2線ボケなどの乱れは検出できない。開放では発色が極僅かに温調気味になることもあるが、絞れば安定し概ねノーマルである。内面反射が少ないようで、逆光にはそこそこ耐え、ゴーストやグレア(内面反射光の蓄積に由来するハレーション)は出にくい。広角レンズには珍しい糸巻き状の歪曲がみられるものの通常の撮影で目立つことはない。全体的にみて、とても安定感のあるレンズといえるだろう。なお、フルサイズセンサーを搭載したミラーレス機(sony A7)で使用すると、画像の端の方にマゼンダ色の色被りが見られることがある。これはカラーシフトと呼ばれるデジタル・ミラーレス機に特有の現象で、バックフォーカスが短かいレンズや後玉径が小さいレンズを用いる際、センサー面に急角度で入射する光に対して赤外線カットフィルターの効きが弱くなるために起こる現象である。バックフォーカスが最も短くなる遠方撮影時において特に顕著になる傾向がある。一回り小さなAPS-Cセンサーのカメラでは目立つことはなく、銀塩フィルム機では全く問題にはならない。

    Camera: sony A7
    撮影: 伊豆大島(2014年5月3--5日)

    タイトル「油断」, F8(上) /F8(下, APS-C crop-mode), sony A7(AWB): 上段の写真では左右の端部に若干のマゼンダ被りがみられる。これはバックフォーカスが短いレンズをフルサイズミラーレス機で用いる際に、赤外線カットフィルターの効きがセンサー周辺部で弱くなるために起こる現象である。APS-Cサイズにクロップした下段の写真では全く目立たなくなる
    F2.8(開放), sony A7(AWB): 開放でもスッキリとヌケの良い写りである。後ボケは穏やかで柔らかく、四隅までよく整っている。グルグルボケや放射ボケは見られず2線ボケも検出できない
    F4, sony A7(AWB): 滲みはまったく見られず発色はとても鮮やか。シャープなレンズだ
    F5.6, Sony A7(AWB): 開放でのショットはこちら。いずれもコントラストは高く発色は鮮やかである。ただし、絞っても階調は適度に軟らかい

    F11, Sony A7(AWB): フォーカスポイントを人物にとり、パンフォーカスで撮影している。遠方撮影で空が入ると、やはりマゼンダ被りが目立つようになる。本レンズの場合、後玉が大きく飛び出しているためか、この傾向は絞っても改善しない。四隅では若干の解像力不足を感じるが、引き伸ばさなければ判らない。伊豆大島にある火山灰の堆積でできた地層断面













    F8, sony A7(AWB): マゼンダ被りや周辺光量落ちは遠方撮影時に特に顕著にあらわれる現象である。これくらいの撮影距離までなら全く目立たない。うちの娘・・・一体何がしたいのだ


    BiogonとSonnarは言わば親戚関係にあるため、写りが似ているのはごく当たり前と考える方も多いかもしれない。しかし、Sonnarだった頃の形質は後群の第一レンズ(構成図の中に黄色く着色した部分)のみであり、もはや別設計のレンズと捉える方が妥当である。むしろ、興味深いのは設計の異なるBiogonとSonnarの写真描写に高い類似性がみられる点である。Berteleの発明した設計というだけで、どうしてここまで写りが似ているのだろうか。我々が目の当たりにしているのは写真レンズの描写に対し設計者ベルテレが貫いた揺るぎない理念なのかもしれない。ロシア版BiogonのJupiter-12にも、こうしたベルテレの描写理念が忠実に受け継がれているのである。