おしらせ


2013/08/12

E.Krauss paris Unar-Zeiss(ウナー・ツァイス) 145mm F4.7 and 136mm F6.3 (改M42)




Carl Zeissブランドのレンズといえば本家以外では現行のコシナに加え、かつては京セラオプテックやシンガポールのローライ、米国のボシュ・ロム、英国のロスなどの製品があり、世界中のメーカーが同ブランドのライセンス生産にのり出していた。その歴史は古く、実は今から約1世紀も昔のフランス製品にもCarl Zeissブランドのレンズが存在していた。パリの光学機器メーカーE.Krauss(E.クラウス)社が1892年から1930年代半ばまでライセンス生産していたCarl Zeissブランドのレンズである。

今回取り上げる2本のレンズ。Unar-Zeiss 145mm F4.7(左)とUnar-Zeiss 136mm F6.3(右)








E.Krauss社が世に送り出した
フランス製Carl Zeissレンズ
19世紀のフランスには光学ガラス会社が数多く存在していた。代表的なメーカーとしては1839年に世界初の市販カメラを供給した老舗Chevalier(シュバリエ)があり、他にもJamin(ジャマン), Darlot(ダルロウ), Derogy(ドロジー), Lerebours(ルルブール), Berthiot(ベルチオ), Hermagis(エルマジ), Soleil(ソレイユ)などの大手メーカーと総数75を超える中小会社や工房がひしめいていた。今回注目するE.Krauss(E.クラウス)社はEugen Krauss(オイゲン・クラウス)という人物が1882年にパリで創業した光学機器メーカーである。創業時は事業規模の小さな会社であったが、1891年にフランス国内とフランス領におけるツァイス製品の正規輸入元として大抜擢されたのを機に事業規模が急速に拡大、翌1892年にはフランスのメーカーとして唯一、ツァイスブランドの光学製品を製造できるライセンスを供与され、20世紀初頭には大手メーカーへと躍進を遂げている。
E.Krauss社に関する情報は極めて少ない。同社が市場供給していた製品や広告媒体、フランスの工業史に関する解説論文[文献1]が数少ない手がかりとなる。確かなことは同社が19世紀末から自社製カメラに加え、ツァイスのライセンスで写真用レンズ、双眼鏡、顕微鏡など製造し、フランス国内とフランス領、およびとロシアで販売していたことである。カメラの生産については1892年に既に蛇腹カメラを市場供給しており、1913年頃にはTykta(ティクタ)という名の蛇腹カメラ(6.5x9cmフォーマット)、1920年にはLE PHOTO-REVOLVER(フォトレボルバー)という小型カメラ(2x3cmフォーマット)、1924年にはEKA(エカ)という名の美しい小型カメラ(3x4.4cmフォーマット)を発売している。同社の製造したZeissブランドのレンズにはProtar, Unar, Tessar, Protarlinse(Double Protar)をはじめ、Planar, Tele-tessar,Tessar Apochromatiqueなどがあり、それ以外には旧ガウス型(4枚玉)のKalloptatやシネマ用のRexylなどがある。またTrianarやQuatrylという名の自社ブランドのレンズも生産していた。これらは名称からして、それぞれ3枚玉(トリプレット型)と4枚玉(テッサー型)であろう。フランスの光学産業は1919年に勃発した第一次世界大戦で壊滅的なダメージを受け19世紀から続く数多くのメーカーがこの時期に倒産している。生き残ったE.Krauss社も甚大なダメージを受け危機的な状態にあったが、ポーランドのPZOから支援を受け傘下のフランスメーカーOPL(ルヴァロワ光学精機社/Société Optique et Précision de Levallois, 1919年パリ郊外に創業)と協力関係を築きながら経営の建て直しをはかった。PZOから経済的な支援を受け、その見返りとして双眼鏡に関する技術支援をおこなったようである[参考サイト]。経営は持ち直し1920年初頭には引き続き写真用レンズや双眼鏡、小型カメラなどの市場供給を再開している。なお、1920年から1930年ごろまでE.Krauss社は東京丸の内に支社を構えていたとのことだ[参考サイト/クラシックカメラ専科]。しかし、10年後に訪れた世界恐慌で再び経営危機に陥り、1934年にフランスの光学メーカーBarbier, Benard et Turenne(BBT)社[1860年創業:注参照]に吸収合併されている。ただし、BBT社の傘下でもレンズや双眼鏡の生産は続いており、1935年前後にKrauss QuantrylやKrauss Tessarが市場供給されたという記録がある[Vade Mecum参照]。また、時期は定かではないが、E.Kraussブランドはその後BBT Kraussに置き換わり(1934年以後)、大判撮影用レンズのBBT-Krauss Apophot 60cm F10やApo-quatry 84cm F10.5、および軍事用双眼鏡などが市場供給されている。同ブランドは第二次世界大戦後も存続し、双眼鏡についてはフランス軍、スウェーデン軍、デンマーク軍などに納入されたものが中古市場に数多く出回っている。ただし、この時代まで大判撮影用レンズの製造が続いていたかどうかは不明だ。コレクターのWEBでは1955年に製造されたというBBT Kraussの双眼鏡や1957年製という顕微鏡用カメラを確認することができる。なお、ドイツのStuttgart(シュトゥットガルト)にあったG.A.Krauss社はEugen Kraussの兄弟が1895年に創業した別会社である。1924年から1934年まで自社製カメラやコンパーシャッター搭載の写真撮影用レンズを製造しており、同社のショップが1991年までStuttgartに存続していた。

[注] Barbier, Benard et Turenne(BBT)社・・・1860年に創業されたフランス企業。この会社は19世紀から照明機器を専門に扱っていたが、その後、写真用レンズの製造にも積極的に参入している。第一次世界大戦中に会社はパラボラ用ミラーとレンズの生産で発展した。1934年にE.KRAUSS社を吸収している。

今回紹介するレンズはE.Krauss社が1900年代初頭に生産したCarl ZeissブランドのUnar(ウナー)である。レンズを設計したのはTessarやPlanarの発明者として名高いCarl ZeissのPaul Rudolph(パウル・ルドルフ)博士で1899年のこと。Rudolphが1890年に開発したProtar(プロター)をベースに開発したレンズである。Unarが登場する前年の1988年にGoerz(ゲルツ)社が新型の大口径レンズCelor(セロール) F4.5/F4.8を先行発売しており、Unarの発売はCelorに対抗する意味があったと考えられる。明るいレンズを実現するためにRudolphがUnarの設計に導入した手段は光線が高い位置を通る第一レンズ(前玉)を正の凸レンズにしたことと(Protarとは正負が逆の配置)、前後群それぞれに屈折作用の異なる空気レンズを導入し、これらのパワーバランスを収差設計の自由度として利用したことである。
Unarの光学系。構成は4群4枚で、前群(上部)は屈折率差の殆ど無い2枚の重バリタ・クラウン硝子を凸形状の空気層をはさんで配置し、後群は2枚のフリント硝子を凹形状の空気層をはさんで配置。前後群とも色消し機構を備えている。前群側の凸状の空気層が光を発散させる凹レンズと同等の作用を持ち、反対に後群側の凹状の空気層が光を集める凸レンズと同等に機能する。これら屈折作用の異なる空気層のパワーバランスを収差設計の自由度として利用し、ペッツバール和を抑え、非点収差の補正を行っている。この設計技法は設計者RudolphがProtar(プロター)の開発(1900年)で発明した最初の技法(ルドルフの原理)を空気レンズによって実現したものである。Unarはその後Tessarを生み出す原型となったレンズであり、このレンズの描写にはTessarの持つ性質のよさを垣間見ることができる
Unarは前群にDialyt型レンズ、後群に旧Gauss型レンズを配置したハイブリットレンズである。前群のDialytユニットにはガラス間に設けられた空気の隙間(空気レンズ)の作用により単体で球面収差とコマ収差を補正する能力があり、ガラス硝材の選択により軸上色収差とペッツバール和も補正可能である。こうした収差設計の自由度の高さは後群の旧Gaussユニットと連携させる場合においても高い効果を発揮する。後群の旧Gaussユニットは単体としてみる場合、ペッツバール和は小さいものの球面収差の膨らみが目立つ[文献3]。この膨らみを前群のDialytユニットが持つ空気レンズの発散作用によって包括的に抑え、なおかつ前群と後群の空気レンズの屈折作用の違いを利用しペッツバール和を打ち消すことで非点収差を補正するのである[参考]。同時代に一世を風靡したDagorやCelorなどのダブル・アナスチグマートは光学系の対称性を利用したシンプルな収差設計を実現していたが、対するUnarは非対称な光学系で、収差設計もたいへん複雑になっている。
Unar-Zeiss 145mm F4.7: 重量(実測) 310g(改造部込み/レンズヘッドのみ), 絞り羽 13枚, 絞り指標(7段) F4.7,F5.6,F8..., シリアル番号 No.39152(1900-1903年頃製造), フィルター径 38.5mm前後, 真鍮鏡胴, ノンコート, 4群4枚構成(Unarタイプ), 大判撮影用。こちらのレンズはプロフェッショナルな改造が施されている




Unar-Zeiss 136mm F6.3: 重量(実測) 135g(レンズヘッドのみ), 絞り羽 11枚, 絞り指標 F6.3から6段, シリアル番号 No.39652(1900-1903年頃), フィルター径 33.5mm前後, 真鍮鏡胴, ノンコート, 4群4枚構成(Unarタイプ), 大判撮影用



E.Kraussへのライセンス供与
E.Krauss社の成功はCarl Zeissとの関わりによるところが大きい。1890年代初頭、フランス国内に存在した数多くの光学機器メーカーの中で、なぜ小規模メーカーのE.Krauss社だけがZeissからのライセンス供与を受ける事ができたのであろうか。全日本クラシックカメラクラブ主催の「フランスカメラ展」において開催された「フランスのレンズ」という題名のシンポジウムで質問してみたところ、座長と講演者の方から素晴らしい回答を得ることができた。それによると、まず創業者Eugen Kraussがドイツ人であったことに加え、ツァイスの経営者E. Abbe(アッベ)博士と親しい交友関係にあったことがKraussを成功に導いた大きな要因であったというのだ。さらに、Abbe自身の気質や懐の深さによるところも大きく関係しており、Abbeは自社の開発した製品で特許をとり利益を独占することが嫌いだったため外国企業にライセンスを供与することに前向きの姿勢であった。その徹底ぶりは自社の主任設計士Rudolph博士に特許をとらせなかったほどで、Zeissは当初自社の開発したレンズに対し一切の特許を出願していなかった。しかし、他社がZeissの開発品と同等の製品で特許を取り始め自社に多額の損害が出始めるとAbbeは考えを一変させたというのである。

参考文献
[1] A History of the Instruments Industry in Britain and France, 1870-1939,  Mari E. W. Williams
[2] A lens collector's vade Mecum, M.Wilkinson and C.Glanfield, Version 07/05/2001
[3] 「レンズ設計のすべて―光学設計の真髄を探る」 辻定彦著

レンズのシリアル番号
E.Krauss社の製品に記されたシリアル番号と製造年の対応記録は私の知る限り何処にも公表されていない。市場に出回っている製品から断片的な手がかりをつかむ以外に方法はないが、幾つか年代推定のヒントになる事例を紹介しよう。
  1. 1894年製造のStereoカメラにシリアル番号No.598xとNo.759xのE.Krauss製レンズAnastigmat Ser.iia f8が搭載されていた[Vade Mecum参照]。
  2. イタリアのコレクターがNo.153XXのレンズに対し1896年3月の製造記録があるとWEBで公表している[こちら]。
  3. カメラオークションに出品された1896-1898年頃のカメラにAnast.-Zeiss 8/136 No.240xxが搭載されている[Vade Mecum参照]。
  4. E.Krauss製Planar(シリアル番号No2892x)が1899年に製造されている[Vade Mecum参照]。
  5. Zeissは1899年から1900年にかけてレンズ名を段階的にAnastigmatシリーズからProtar / Unar等の個別名称に置き換えていった。E.Krauss製レンズの名称もこれに連動して置き換わっている可能性がある。その事を裏付ける情報がVade Mecumに掲載されており、1901年刊行のBritish Journal of Photography Almanac P.1514にはE.Krauss製品でUnarの名称が記されたレンズが登場しているとのこと。一方、カメラ・オークションに出品されたBoulade Stereo Alpineというカメラ(1900年製と記載)にはE.Krauss製のAnastigmat Series IIIa 9/75が搭載されていたという。また、eBayに出品されたシリアル番号No.286XXのレンズにはE.Krauss Anastigmat Zeissの記銘があり、No.329xxのレンズにはE.Krauss Protarの記銘が見られる[spiralが確認]。さらに、オーストリアのLeica Shopが主催するカメラオークションに出品されたE.MAZOというカメラに搭載されていたシリアル番号No.345XXのE.Krauss製レンズはProtar銘であった。オークションではこのカメラの製造年(発売年?)が1900年と記載されている。これらを総合すると、シリアル番号No.29000-32000辺りのロットが1900年台初頭に製造された製品個体であると推測することができる。
  6. 1903年製とみられるE.Krauss製カメラのTakyrにE.Krauss製Tessar 6.3/145 No.551XXが搭載されていた[Vade Mecum参照]。
  7. 1907年から製造されたPhoto-Amateur Photo-AmateurというステレオカメラにE.Krauss製Tessar(No.639XX)が2本装着されている[参照]。
  8. Jumelle Stéréo Panoramiqueというステレオカメラ(1900-1910年製造)にE.Krauss製Tessar(No.6019XとNo.6017X)が装着されている。同じカメラにE.Krauss製Tessar(No.678XXが2本)搭載されていたという別の記録もある。このことからNo.678XXは1910年までに製造されていると考えられる[参照]。
  9. Debrie Parvoという1919年製造のカメラにNo.1163XXのTessarが搭載されている。こちらを参考にした。かなり詳しいサイトのようであるが製造年についての根拠は示されていない。ただし、前後関係に整合性はあるので確かな情報として採用した。
  10. eBayに出品されたコンパーシャッター(No.5001xx/1922年製)つきE.Krauss製tessarのシリアルナンバーがNo.1299XXである。コンパーシャッターのシリアル番号・年代対応表は公開されているので、ほぼ間違いない情報と判断できる。
  11. eBayに出品されたLE PHOTO-REVOLVER (1920年発売)にKrauss Tessar No.1342XXが搭載されていた。上の10下の12との整合性を考慮すると1922年から1924年の間の製造ロットであろう。
  12. 1924年頃製造された小型カメラekaの何台かには、どれも共通してシリアル番号14XXXX台のE.KRAUSS製TESSARが搭載されている。
  13. シリアル番号158XXX台のテッサーにはE.Kraussの社名が記されているが、182XXX台のレンズにはBBT-KRAUSSの社名が使われている。E.KraussがBBT社に吸収されたのは1934年のこと。双眼鏡コレクターの解説ページによると、BBT-Kraussの双眼鏡が登場したのは1935年頃とのことなので、レンズがBBT Kraussのブランドにかわったのもこの時期であろう。
以上の1から13までの断片情報をまとめると、E.KRAUSS/BBT KRAUSSのシリアル番号と製造時期について下記のような対応関係(推測)を得ることができる。
  1. 1894年 No.759X
  2. 1896年 No.153XX
  3. 1896-1898年 No.240XX
  4. 1899年 No.2892X
  5. 1900年 No.29XXX - 32XXX
  6. 1903年 No.551XX
  7. 1907年以後 No.639XX
  8. 1910年以前 No.678XX
  9. 1919年 No.1163XX
  10. 1922年 No.1299XX
  11. 1923年前後 No.1342XX
  12. 1924年 No.142XXX
  13. 1935年前後 No.16XXXX - 18XXXX
上記のデータは確証性の乏しい断片情報の寄せ集めである。整合性に注意を払いまとめているとはいえ、どれほどの精度を実現しているのか全くわからない。あくまでも目安程度の参考資料と考えてほしい。1914-1919年は第一次世界大戦中なので企業活動は停滞していたと思われる。開戦前の1910年前後の情報が非常に少なく、この時期のデータは確証性が乏しい。何か手がかりになる情報があればご教示いただけると幸いである。修正依頼は随時受け付けているので、掲示板に書き込んでいただくかプロフィール欄に公表しているメールアドレスでご連絡いだだきたい。
■幾つかの不整合情報

  • ロンドンの有名なオークションのCHRISTIES'S(こちら)に出品され2720ドルで落札されたフランス大手映画制作会社パテの所有していたシネマ用カメラ(PATHÉ CINEMATOGRAPHIC CAMERA)にE.Krauss tessar #1252XXが搭載されていた。CHRISTIES'Sの鑑定によるとカメラは1910年頃の製品とのことである。ただし、レンズに関しては上記のシリアル番号表に照らし合わせた製造年代と整合しない。おそらくパテ社で酷使され修理等でその後レンズが交換されているのであろう。
  • Leica Shopのカメラオークション(こちら)に出品されたAndre Debrieというカメラ(1908-1913製造レンズ固定式)にE. Krauss Tessar 5cmF3.5 (No. 1391XX)が搭載されていた。こちらも上記のシリアル番号表と整合しない情報なので採用していない。

M42マウントへの変換
大昔の大判撮影用レンズは基本的にヘリコイド機構の省かれたレンズヘッドのみの製品である。一眼レフカメラやミラーレス機の交換レンズとして用いるには簡単な改造を施しフォーカッシング・ヘリコイドに搭載する必要がある。Unar 136mm F6.3はマウント部が39mm径前後のスクリューネジとなっているので、少しきついがM39mm-M42mmステップアップリング(写真の赤の矢印)を強引に装着することで、M42フォーカッシングヘリコイド(中国製の35-90mmタイプ)に搭載している。フランジ長が不足している分はマクロエクステンションチューブを継ぎ足すことで対応し、ほぼ正しく無限遠のフォーカスを拾うことができた。Unar 145mm F4.7の方は入手時に既にプロフェッショナルな改造が施されM42ネジに変換されていたので、このままM42フォーカッシングヘリコイドに搭載し使用した


入手の経緯
今回取り上げる2本はUnarのファンであるlense5151さんからお借りしたレンズである。借用するにあたりlense5151さんからE.Krauss社に関する情報と同社のレンズのシリアル番号について調査してほしいとリクエストされている。借用したレンズはどちらも経年のわりに状態の良好な個体であった。F6.3のモデルの相場は200ドル程度、明るいF4.7のモデルの場合はもっと高価とのことだ。もちろんM42フォーカッシングヘリコイドやステップアップリングなどは別途購入する必要がある。lense5151さんの今回のリクエストはハードルが高く、海外の文献を当たっても同社に関する情報は全くみつからない。大ピンチだ。

撮影テスト
大判撮影用に造られたレンズは大きなイメージフォーマットの全画面を均等に描写する目的で設計されており、中心部の性能(解像力)を落としても全体のバランスを重視するよう最適化されている。小さなイメージフォーマットのカメラで撮影する場合にはレンズの中央部のみを使用するため、一般に中央から四隅にかけて画質の均一性が過剰に高くなるもののセッティングが最適ではないため、レンズによっては中心部の解像力が奮わない。また、大判撮影用レンズはイメージサークルが過剰に大きいため、ミラーボックス内における内面反射光の発生がコントラストや発色などの階調描写性能に少なからず影響を及ぼす。大判撮影用レンズは大判カメラで使ってこそレンズ本来の性能を発揮できるという教訓はこうした意味からきているのであろう。唯一の救いはレンズの中央部のみを使用するため、収差量が絞りを数段閉じた場合と同等になるという点である。大昔の大判撮影用レンズを本来の規格よりも小さなフォーマットのカメラで使用する場合には、こうしたハンデがあることを認識しておいた方がよい。

CAMERA: EOS 6D
ACCESSARY: 望遠メタルフード(フィルター径40.5mm) + ICTT(Image Circle Trimming Tool)

UNAR 145mm F4.7:20世紀初頭に製造されたレンズとは到底思えない素晴らしい描写性能である。ピント部は四隅まで充分な解像力があり、フルサイズ機による限定的な評価になるが、中心部と周辺部の画質差は殆どみられない。ノンコートレンズのためコントラストは高くはないが、かと言って軟調過ぎることはなく曇天時でも適度なコントラストである。晴天時においてもコントラストは強くなり過ぎずシャドーへの落ち方がなだらかで目に優しい描写傾向を維持している。発色はややあっさりしているが淡白すぎず適度な色のりである。カラーバランスはノーマル。ハロやコマは同時代の他のレンズと比べ格段に少なく、開放で中距離以上の遠方を撮影する場合のみハイライト部の周りに薄いコマが出る。ただし拡大しないとわからない絶妙なレベルで、むしろこのくらいの収差を残したほうが柔らかく線の細い繊細な描写を実現できる。面白いことに近接撮影ではコマがほぼ収まり、コントラストやヌケは良好でシャープネスも向上する。やや収差変動(撮影距離に応じた収差の性質変化)が大きいのだろう。反対に風景などの遠距離撮影では絞って撮ることが基本なのでコマとは無縁。コマの影響/効果が顕著に現れるのは中距離のポートレート撮影に限られ、絞りを開放にすると人物などが柔らかく写る。ボケは安定しており後ボケは柔らかく綺麗な拡散である。乱れや崩れはなくグルグルボケの発生も検出できない。
 Unarの描写性能は19世紀初頭のレンズの中でも飛びぬけて優秀である。その後、Tessarが登場することでZeissのラインナップから消滅する運命にあるものの、中距離撮影時に発生するコマを悪者扱いさえしなければ、Tessarと比べ何ら遜色の無い素晴らしい性能のレンズである。
Unar-Zeiss 145mm F4.7 @ F4.7(開放) + EOS 6D(ISO1600 / AWB): 近接撮影で開放絞りにて撮影。コントラストは良好でヌケもよい。中央部を拡大表示したものが次の下の写真である

上の写真の一部を拡大表示させたもの。解像力はかなり高く、コマやハロはほとんどみられない
Unar 145mm F4.7(開放) + EOS 5D2(AWB): マクロ撮影にも使用できる優れた性能だ。近接撮影・開放絞りでここまで写る大昔の古典鏡玉はそう滅多にないのではないか

Unar-Zeiss 145mm F4.7 @ F4.7(開放) + EOS 6D(AWB): 開放で中距離以上の遠方を撮影する場合のみハイライト部の周りに薄いコマが出る。ただし拡大しないとわからない絶妙なセッティングである。メインの被写体を拡大表示したものが次の下の写真である
上の写真の一部を拡大表示させたもの。女性を綺麗に撮るにはコマはむしろ好都合
Unar-Zeiss 145mm F4.7 @ F4.7(開放) + EOS 6D(ISO1600 / AWB): 中距離で開放絞りにて撮影した結果。階調変化はなだらかである。発色はノーマルでコントラストも良好だ。中央部を拡大表示したものが次の下の写真である



上の写真の一部を拡大表示させたもの。やはりハイライト部のまわりにモヤモヤと僅かなコマが出ている様子がわかるが、この程度ならコントラストを顕著に損ねることはない。巧みな収差設計である





Unar 145mm F4.7 @ F11 + EOS 6D(AWB): 今度は遠景をうつしたもの。絞り込んでも階調には適度な軟らかさがある。中央部を拡大表示したものが次の下の写真である


上の写真の一部を拡大表示させたもの。このレンズの高い解像力を垣間見ることができる

Unar 145mm F4.7 @F4.7(開放) + EOS 6D(ISO1600, AWB): 



Unar 136mm F6.3画質は四隅までとても安定しており中央部との差は殆どみられない。ボケにも安定感があり四隅まで乱れは殆ど無い。ただし、先のUnar F4.7とはかなり異なる描写設計のようで解像力はピント部中央でも高くない。大判撮影で使用する分には圧縮効果が働き、このくらいの解像力でも本来は充分な写りなのだろう。中央の解像力をやや犠牲にする代わりに画角特性 (四隅までの画質の均質性)を最重視した設計なのではないだろうか。コマはあまり出ないようだが内面反射に由来するフレアがかなり出やすく、階調描写のコントロールに四苦八苦する。基本的にとても軟調で淡白な発色なので露出をアンダーに設定しシャドー側に引っ張り込むことで色濃度を向上させる。すると今度はハイライト側の階調描写に粘りが足りず、発色が濁ってしまいクリアな画にならない。なかなか使いこなすのが難しく、露出がオーバー過ぎると発色が褪せてしまい、反対にアンダー過ぎると濁りがでてしまうというヒステリックな性質に悶えことがしばしばある。しかし、露出がピタリとはまると、とても不思議な色合いになるのがこのレンズの持ち味のようである。

Unar 136mm F6.3@F8+ICTT + EOS 6D(AWB): 解像力は高くはない。コマはあまり出ないようだ。軟調な写りが持ち味のレンズである

Unar 136mm F6.3@F8 +ICTT+EOS 6D(AWB): 深いフードを装着しイメージサークルもトリミングしているが、それでもフレアっぽく写る。後ボケは綺麗だ

Unar 136mm F6.3@F11+EOS 6D(AWB): シャドー部に濁りが入り、紫がかったような独特の写りになっている














Unar 136mm F6.3@F8 +EOS6D (AWB): 空が入らなければフレアは防げる。不思議な発色だ。人相はレタッチでいじって別人になっているが、ちょっとやり過ぎだ・・・


Unar 145mmは線の細い繊細な描写を実現したレンズであるが、このような特徴をもつレンズが20世紀初頭に既に存在していたのは、とても驚きである。よく知られているように「線の細い描写」とはコマなど僅かな収差の発生を容認することで解像力の極みに至る、言わばオーバードライブ的なチューニング技法の産物である[文献3]。「柔らかいが芯のある描写」など一見矛盾をはらんだ表現で紹介されることもある。収差設計的には球面収差をややプラス側へと過剰に補正し、中間部の膨らみを削ることに相当する。70年代の日本の光学メーカーが好んで採用した描写設計だ。このチューニング法が理論的に認知されるようになったのはMTF曲線によってレンズの特性を表現する方法の広まる20世紀中頃以後だったはずである。解像力を極めるには収差を僅かに残存させなければならない。恐らく元々はレンズ設計者が日々チューニングを繰り返す中、手探りによって突き止めた極意のようなものだったのであろう。

[文献3] アサヒカメラ 2013年4月号 P246 「Q&A:線の細いレンズ、太いレンズとは?」

2013/07/11

Carl Zeiss Jena Triotar 135mm F4(M42)


たかがトリプレット、されどトリプレット
旬のトリプレットを満喫する
僅か3枚のシンプルな構成でサイデルの5収差を全て補正できる合理的なレンズ設計の形態をTriplet(トリプレット)と呼ぶ。元はTaylor, Taylor & Hobson社から発売されたレンズの名称であったが、後に各社が同一構成のレンズを製品化し、この種のレンズ形態を表す一般用語として定着した。レンズの基本構成を発明したのは英国Cooke社のTaylorという人物で1894年のこと。下の図に示すように2枚の高屈折率な凸レンズの間に空気間隔を空け凹レンズを配置しているのが特徴で、レンズの枚数が少ないうえ貼り合せ面を持たないため、製造コストが安く済むという利点があった。しかし、廉価品という製品イメージが先行し、20世紀に入るとDagorやTessar、Sonnarなど他の種類のレンズが派手な活躍をみせる中、一時は影の薄い存在となっている。Triplet型レンズの光学系は各レンズが広い空気層を隔て配置されており、レンズ構成面の曲率をフラットに緩めることができる。このため諸収差が大きくなりにくく高度で複雑な収差設計が必要とならない。構成が単純なため収差を強力に補正することはできないが、構成が単純ゆえに収差をできる限り発生させない性質を持ち合わせているのである。製造コストだけでなく収差的にも生まれながらにしてエコな性格のレンズといえる。また、貼り合わせ面(新色消しレンズ)を持たないTriplet型レンズは硝材の選択幅が広く、戦後に普及しはじめた新種ガラス(1937年登場)にもいち早く適合、描写性能を著しく向上させている。トリプレットタイプのレンズは周辺画質こそ妖しいが、中央部の解像力が抜群に高くヌケも良いため、弱点の目立たない100mm以上の長焦点域において、当時はTessarタイプやGaussタイプのレンズの進出を許さない。事実、1950年代初頭に解像力80LINE/mmを誇り国産最高峰と称えられたのは長焦点のTriplet型レンズであった。Xenotar登場の直前のことである。この頃のTripletは廉価品という位置付けながらも下克上的な描写性能を備え、ある意味で面白い時期を迎えていたのである。
Triotarの光学系(1939年設計)。構成は3群3枚で分厚い2枚の凸レンズの間に広い空気間隔を空け凹レンズを配置している。このおかげで各レンズ構成面の曲率を緩めることができ、収差が大きくなりにくい。エコな性質の際立つ優れた設計構成である。一方、弱点はレンズ構成の釣り合いが悪く凹1枚+凸2枚とバランスを欠いているため、強い屈折力(負のパワー)をもつ凹レンズを用いたとしてもペッツバール和を押さえ込めず、広い画角でレンズを設計すると四隅の解像力が急激に落ち、グルグルボケも出やすいなど周辺部の画質が著しく低下すること。収差を生かす場合はともかく、一般論としては四隅における弱点が露呈しにくい長焦点レンズに適した設計構成とされている
今回取り上げる一本は1947年から1958年までドイツのVEB Carl Zeiss Jena社によって製造された長焦点トリプレットのTriotar(トリオタール/トリオター) 135mm F4である。生産本数は26700本で対応マウントにはM42、EXAKTA、旧CONTAX、LEICAスクリューなどがある。同社の中では廉価ブランドという位置付けにあるものの解像力やコントラストの高さは素晴らしく、ヌケも良いなど、この時代の製品としては最高水準の画質を堪能することのできるコストパフォーマンス抜群のレンズである。なお、Triotarには少し焦点距離の短い85mm F4も存在し、EXAKTA用と旧CONTAX用が市場供給されている。こちらのレンズは1932年のCONTAX発売と同時に登場し、後にEXAKTA用が追加発売された。他にもRollei B35/C35などのレンズ固定式カメラに40mm F3.5、またRolleicordなどの2眼レフカメラに75mm F3.5が供給された。戦前のモデルは重量感のある真鍮削り出しの見事な鏡胴であるが、戦後の1950年前後の製造ロットから軽量なアルミ鏡胴へと置き換わっている。このあたりの素材の変遷はZeissの他のレンズと同じである。

重量(実測) 470g, 最短撮影距離 1.1m, フィルター径 49mm, 絞り羽 15枚, 絞り F4-F22, 構成 3群3枚Triplet型, Tコーティング(単層コート), M42マウントの他に少なくともExaktaマウントやCONTAXマウント、ライカスクリューマウント(希少)が存在する。レンズ銘の由来はラテン語の「3」を意味するTriplexであり、このレンズが3枚玉であることを意味している

入手の経緯
本レンズは2012年12月にギリシャのM42レンズ専門業者Photoptic(旧stil22)から93ドル(71ドル+送料22ドル)で落札購入した。Photoptikは商品の検査がしっかりしており、安心して購入することのできる優良業者だ。いつものようにスマートフォンの自動入札ソフトで締め切り5秒前に入札するよう設定し、入札額を最大125ドルにセットしたところ、71ドルで落札されていた。商品の状態は「15枚の絞り羽を持つ。フロント・リアキャップがつく。完全動作する品だ。光学系はパーフェクトコンディション。製造時由来の気泡はある。これは普通のことで優良ガラスの証拠。イメージクオリティに影響は無い。他のエレメントはクリアでキズはない。M42スクリューである。世界中どこでも22ドルで送る。」とのこと。届いた品は勿論とても良好な状態であった。良く写りすぎるレンズなのでオールドレンズとしての魅力には乏しく、市場での落札相場は100ドル以下とたいへん安い。

撮影テスト
一般的にトリプレットの長所と言えば、中央の解像力が素晴らしく、ヌケ、発色、コントラストが良好なこと。逆に短所と言えば四隅の解像力が弱く、ボケは硬めで像がザワザワと煩くなること、グルグルボケが出やすいことなどであろう。ただし、Triotarのような長焦点レンズは画角が狭いので、四隅で起こる解像力の弱さとグルグルボケが目立つようなことはない。開放絞り値F4を採用したこともこの時代のトリプレットタイプとしては手堅い設計で、ピント部中央から四隅にかけて高い解像力を実現し、開放からハロやコマの無いスッキリとしたヌケの良い写りである。コントラストは開放から良好であるが、階調描写が硬くならないのはモノコートレンズならではの長所と言える。背景のボケが少し硬めでザワザワと煩くなるのはトリプレット型レンズに共通する特徴である。収差の補正パラメータが不足し高次球面収差を補正するだけの余裕が残っていないためであろう。発色にはこの時代のZEISS JENA製品によくある温調寄りの傾向がみられる。色ノリはとてもよい。以下作例。

CAMERA: EOS 6D
HOOD: 金属製望遠メタルフード(焦点距離80mm以上のレンズ用)

F5.6, EOS 6D(AWB): とてもいい描写性能だ。ヌケがよくスッキリと良く写る
F4(開放), EOD 6D(AWB): 開放でもピント部は高解像でヌケも良好だ。長焦点なのでグルグルボケはあまり目立たない

F4(開放), EOS 6D(AWB): 開放絞りでも中央部の解像力は充分に高く、コントラストも良好。高描写である


F5.6, EOS 6D(AWB):発色はこの時期のZeiss Jena製品らしく、やや温調気味である
F4(開放), EOS 6D(AWB): 後ボケは硬めなので、距離や被写体によっては背景がザワザワと煩くなることもある
今回のブログ・エントリーでは長焦点トリプレットの魅力について触れてみたが、実は焦点距離の短い50mm前後のトリプレットにも別の意味での魅力がある。高描写な中央部と、収差の影響をうける周辺部の画質的なギャップが大きく、この種のトリプレット型レンズならではの描写効果を楽しむことができるという。いずれ機会があれば本ブログで取り上げてみたい。

2013/07/02

EXAKTA-EOS mount adapter part2(フルサイズ機)


EXAKTA-EOSアダプター 
PART2(フルサイズ機編)

EXAKTA用レンズをCANON EOSシリーズの一眼レフカメラに装着するためのアダプターがEXAKTA-EOSマウントアダプターである。市場にはわけあって無限遠のフォーカスを拾うことのできる約0.7mm厚モデルと、無限遠に届かない約1mm厚モデルの2種が出回っている。実は無限遠のフォーカスを拾うことのできるモデルは、私の知る限り全ての製品がEOS 5D/6D系のフルサイズ機や銀塩カメラにおいて例外なくミラー干渉を起こす。しかも、ミラーが当たる場所がレンズの後玉ではなくアダプターの裏面もしくはレンズのかぎ爪なのである。ミラーがレンズの後玉に当たる場合には、レンズのヘリコイドを近接側に繰り出すことで引っかかったミラーを解除できるが、アダプターの裏面に引っかかる場合、解除は簡単ではない。ミラーを解除するにはアダプターをカメラから外さなければならず、ミラーを引っ掛けた状態でそれを行うと、最悪の場合にはミラーに大きなダメージを与えてしまう。センサーサイズやミラーサイズの小さいAPS系カメラならばミラーの干渉問題は起こらないが、大きなフルサイズセンサーを搭載したEOS 5D/6D系カメラや銀塩カメラでは、1mm厚の後者のタイプを導入しなければなならない。このタイプのアダプターは無限遠のフォーカスを犠牲にすることでミラー干渉を回避できるように設計されているのである。ちなみに、現在、eBayなどの中古市場に出回っている中国製品では、どちらのモデルにおいても無限遠のフォーカスを拾うことができると記載されている。EXAKTAとEOSのフランジ長の差は0.7mmなので、1mm厚のモデルに関しては「絞れば無限遠点も被写界深度に入りますよ」という意味なのであろう。厳密には嘘の記載である。

0.7mm厚のモデル
このカテゴリーに日本製は存在しないので、eBayなどから中国製品を入手することになる。価格は18ドル(2013年7月の時点)あたりからあり、黒色のアルミ製モデルが多く出回っている(下の写真)。ノギスで厚みを測ると0.65mmとなっており、EOS kiss digitalに装着したところ無限遠のフォーカスを拾うことができた。



1mm厚のモデル
近代インターナショナルの販売する日本製品(宮本製作所製)のrayqual/HANSAブランドと中国製品(下の写真)の2種が入手可能である。ただし、日本製は最近生産終了となってしまい、現在はショップの在庫からのみ入手可能である。いずれも真鍮製であるが、日本製はブラックカラーとなり、メーカー希望小売価格は1.8万円。中国製はシルバー色のみで、eBayでは18ドル辺りから売られている。EOS 5D/6D系のフルサイズ機や銀塩カメラでは、この1mm厚のモデルを使用しなければならない。もちろん、無限遠のフォーカスを拾うことはできないが、焦点距離100mmのレンズで50~100m先辺りまでのフォーカスを拾うことができた。


参考
[1] "An Exakta to Canon EOS Adapter that Allows Infinity Focus", Lens Bubbles, Yu-Lin Chan





2013/06/25

Elgeet opt. MINI-TEL 100mm(4inch) F4.5






シネマ用レンズの専門メーカーとして知られる米国elgeet社。MINII-TELは同社が1950年頃に生産した望遠レンズである。真鍮削りだしの鏡胴はどこから見てもシネマ用にしか見えないが、実はこの製品は同社唯一のスチル撮影用モデル(35mmフルサイズフォーマット)なのである。プロフェッショナル向けの製品規格に準拠した豪華な造りである。

エルジート社唯一のスチル撮影用レンズ
Elgeet光学(現NAVITAR社)は米国ニューヨーク州に拠点を置き、シネマ撮影用レンズ、シネマプロジェクター用レンズ、スライドプロジェクター用レンズ、顕微鏡用レンズ、Ⅹ線撮影用レンズ、ミサイル追尾システム用レンズ(米国海軍向け)などを製造していた光学機器メーカーである。1955年にシネマ用のGolden Navitar 12mm F1.2を発売し、世界で初めて非球面レンズの量産を実現したことで知られている。今回紹介するMINI-TEL(ミニテル) 100mm F4.5はElgeet社が1950年頃に生産したトリプレット型の望遠レンズである。8mm/16mmシネマ用レンズを中心に市場供給していた同社がスチル撮影用(35mmフルサイズフォーマット)に生産した唯一のモデルとなり、ExaktaとClaris MS-35の2種のマウント規格に対応していた。MINI-TELというレンズ名のとおり、望遠レンズにしてはとてもコンパクトな設計となっている。鏡胴は真鍮削りだしの豪華な造りで、採算が取れたのかは不明だが、製造コストはかなりのものだったのであろう。プロフェッショナル向けのレンズばかりを生産していた同社の製品の特徴をよくあらわしている。
重量(フードを含めた実測)230g, 最短撮影距離 1.8m (6feet), 絞り羽 13枚 , フィルター径 34mm(雄ネジと雌ネジの反転した特殊仕様), 純正フード付, 焦点距離 4inch(約100mm), 絞り値 F4.5--F22 , 鏡胴は豪華な真鍮削りだしのクロームメッキ仕上げで、シネレンズ顔負けの造りだ。 EXAKTAマウントとClaris MS-35マウントの2種のモデルが存在する。本品はEXAKTAマウント。Claris MS-35というレンジファインダーカメラは1946-1952年に生産されていた製品なので、このレンズの製造時期は1950年前後であろう

Elgeet光学
Elgeet社は1946年に3人の若者(Mortimer A. London, David L. Goldstein, Peter Terbuska)が意気投合し、ニューヨークのロチェスターに設立した光学機器メーカーである。LondonはKodak出身のエンジニアでレンズの検査が専門、GoldsteinとTerbuskaはシャッターの製造メーカーで知られるIlex社出身。3人は少年時代からの友人で、Elgeetという社名自体も3人の名の頭文字(L+G+T)を組み合わせてつくられた。彼らは1946年にアトランティック通りのロフトに店舗を開き、はじめレンズ研磨装置のリース業者としてスタート、すぐ後にレンズの製造と販売も手がけるようになった。会社は1952年に300人弱の従業員を抱え、数千のシネマ用レンズ(8mm/16mmムービーカメラ用)や光学機器を年単位で出荷する規模にまで成長した。この時点で3人の役職はGlodsteinが社長、Terbuskaが秘書、Londonが財務部長である。プロフェッショナル向けの廉価製品を供給するという隙間産業的なスタイルが成功したのか事業規模は順調に拡大し、1954年には米国海軍(US Navy)にミサイル追尾用レンズNavitarの供給を行うようにもなっている。更に同社は1960年頃からNASAや国防総省との関係を強めてゆくが、この頃から会社の経営はうまくゆかなくなる。同時期に筆頭創設者のLondonが退職し、その2年後に同社は一時ドイツ・ミュンヘンのSteinheil(シュタインハイル)社の所有権を獲得するが直ぐに売却。2年後の1964年には株主総会が会社の再編を勧告し、Goldsteinは社長の座を追われている。株主総会から新社長に任命されたのはAlfred Watsonという人物であるが、それから2年後に会社の資本は株式会社MATI(Management and Technology Inc)に吸収されている。なお、MATI社は1969年まで存続し消滅、Goldsteinはこの時にMATI社が保有していた資産の一部を購入し、D.O.Inc. ( 株式会社Dynamic Optics )を創設している。しかし、この新事業は軌道に乗らず失敗し、新会社は1972年に閉鎖となっている。Goldsteinは1972年に改めてD.O.Industries ( Dynamic Optics工業社 )を設立し、事業を再々スタートしている。同社は1978年にNavitarのブランド名でスライドプロジェクター用レンズを発売し、1994年には顕微鏡用ズーム・ビデオレンズの生産にも乗り出している。会社は1993年に株式会社NAVITARへと改称。1994年にはGoldsteinの2人の息子JulianとJeremyが父Davidから会社を購入し、兄弟で会社の共同経営にのりだしている。2人はどちらも日本在住の経験があり日本語を話すことができる。Jeremyは1984年と1985年に日本のKOWAに出向し、レンズの製造技術と経営技法を学んだ経験を持つ。Navitar社はライフサイエンス関連の光学機器と軍需光学製品を製造・販売するメーカーとして今日も存続している。

参考:
A History of the Photographic Lens(写真レンズの歴史), Kingslake(キングスレーク) 著
NAVITAR社ホームページ:http://www.navitar.com/company/timeline.html


入手の経緯
本レンズは2012年11月にeBayを介して米国の写真機材業者から落札購入した。商品の記述は「ガラスに拭き傷やダメージはない。比較的大きなチリが周辺部に一つある。フォーカスリングと絞りリングはスムーズで良好だ。外観はエクセレント・プラス・コンディション。マウントに問題がありExaktaのボディにキッチリとはまらない。」とのことだ。ややレアなレンズであるが、eBayでの落札相場は100ドル程度であろう。届いたレンズは僅かなホコリの混入程度の良好な状態で、チリと記載されていた部分は製造時由来の気泡であることが判った。マウント部には凹みがありEXAKTA-EOSアダプターが完全には装着できなかった。そこで、マウント部を取っ払い別のマウントに変換することにした。改造用の部品とマウントアダプターが全部で25ドル程度だったので、レンズの送料も入れると総額140ドル程度も費やしてしまった。

マウント部の変換
MINI-TELのマウント改造はとても簡単で、市販品のアダプターリングとエポキシ接着剤があればM42にもNikon Fにも簡単に変換できる。ここでは私が考えた簡単な改造法を紹介する。まずはマイクロドライバーを用いてマウント部周囲にあるイモネジを回し、マウント部を取り外す(写真1)。次にマウントを外した場所にM39-M42ステップアップ・アダプターリングを填め、その上からM42-M39ステップダウンリングを装着する(写真2)。リング装着時には鏡胴の段差がストッパー代わりになるので、光軸ずれが都合良く回避でき、ガタもなくしっかりとはまる。エポキシ接着剤でアダプターリングを鏡胴に固定すれば土台の完成である。この上から更にもう一本M39-M42ステップアップ・アダプターリングを装着し、再び土台をM42ネジに戻す。あとは各種マウントアダプターを装着するだけであるが、このままではフランジバックが短すぎてオーバーインフ仕様になってしまうので、フランジ調整リングを用いてフォーカス距離を調整する必用がある。下の製作例ではM42-Nikon Fアダプターを用いてNikon Fマウントに変換している。0.6mm弱のフランジ調整リングを挟むことで無限遠のフォーカスを、ほぼ正しく拾うことができた。

写真1:マウント部のイモネジをマイクロドライバーで外す
写真2:マウントを外した場所にM39-M42マウント変換リングを装着し土台をつくる。変換リングの鏡胴側にはM39-M42ステップアップリングを装着している












鏡胴の段差部分に変換リングが引っかかりストッパーになるため、ガタもなくピタリとはまる。あとはエポキシ接着剤で固定すれば土台の完成である。カメラ側のM39ネジにM39-M42ステップアップリングをもう一本装着し、M42ネジに変換しておく
最後に好きなカメラのアダプターを装着する。上の写真はNikonFに変換した例。必用に応じてフランジ調整リングを挟み無限遠のフォーカスを微調節する
撮影テスト
100mmの焦点距離とF4.5の口径比は戦後のトリプレット型レンズとしては無理のない手堅い設計であり、中央部の解像力とヌケの良さは大変素晴らしい。コントラストは控え目で中間階調が豊富なため、スッキリとしたヌケの良さとなだらかな階調描写が、まるで澄んだ水底を見ているかのような美しい透明感を与えてくれる。光や影の濃淡をとてもよくとらえる繊細な写りである。カラーバランスはほぼノーマルで、色ノリは良好だがコテコテした色にはならず、とてもいい具合の描写傾向である。贅沢な不満を言えば、開放でもコマやハロの目立たない堅実な収差設計のため、線の細い写りなど、それ以上のものまでは期待できないところである。トリプレットの弱点とされる周辺画質は長焦点のために問題にはならず、開放でも四隅まで良好な画質水準が保たれている。後ボケはやや硬く距離によってはザワザワと煩くなるが、グルグルボケはあまり目立たない。とてもよく写るレンズだ。

F8, EOS 6D(AWB): 古い民家に残されていた馬具; 良く写るレンズだ。トリプレットといえど長焦点レンズなので絞れば四隅まで高描写のようである。解像力は勿論高い。オールドレンズフォトコンテストに応募したうちの一枚だ


F4.5(開放), EOS 6D(AWB):  開放でもこのとおりの優れた描写力である。ヌケがよくスッキリとしている





F5.6, EOS 6D(AWB): この色の出方と階調描写は結構好きだ。ヌケが良いのに少しあっさり気味なところが、どこか透き通ったような印象を与える。濃淡変化をきっちりと拾う繊細な写りも好印象。ボケはやや硬く、トリプレットらしくザワザワとしている。長焦点レンズなのでグルグルボケが気になるほど目立つことはない
F8, EOS 6D(AWB):  階調変化がなだらかで、グラデーションがとても美しい

写りがよくて、造りも素晴らしく、希少性は高いが値段は安い。こんな美味しいレンズにはそう滅多に出会えないであろう。こういう魅力的なレンズをこれからも発掘してゆきたいと思う。


2013/05/24

Meyer Optik Trioplan(トリオプラン) 100mm F2.8 (M42)

Trioplanの素晴らしい描写力に出会ったのはドイツ人が開設しているこちらのWEBサイトである。初めて訪れた時の衝撃を今でもよく覚えている。このレンズを用いれば、ごくありふれた風景が今まで見たことも無いようなファンタスティックな光景に置き換わってしまうのだ。幻覚にも似た素晴らしい写真効果が得られるのである。

東独フーゴ・マイヤーの三羽烏(最終回)
PART3:銘玉TRIOPLAN 100mm F2.8


Meyerの望遠系レンズには端正な写りが評判のTelefogar(テレフォガー)90mm F3.5やボケ・モンスターの異名を持つOrestor(オレストール) 135mm F2.8など注目度の高いレンズが揃っている。中でも最近、圧倒的な人気を誇るのがTrioplan(トリオプラン)100mm F2.8である。設計構成は廉価品扱いの絶えないトリプレットで、焦点距離は100mmとやや不人気のカテゴリーにある。レアな製品と言えるほど流通量が少ないわけでもない。何がそんなに人気なのかというと、このレンズでしか表現できない独特のボケ「バブルボケ」である。このレンズで撮ると被写体の背後に現れる点光源のボケが背景から剥離し、空間を漂うシャボン玉の泡沫(ほうまつ)のように見えるのだ。ユニークなのは大小不揃いのシャボン玉が立体的に浮き上がって見えるところである。シャボン玉の大きさが不揃いなのは望遠レンズ特有の圧縮効果によって近くの点光源と遠くの点光源が空間的に接近して見えることによる。また、立体的に浮き上がって見えるのはシャボン玉の輪郭に光が強く集まる火面(Caustics)と呼ばれる現象のためである。この種のボケは二線ボケやリングボケとともに、球面収差を過剰に補正することで発生する。光学系の能力を超えた無理な大口径化を根本原因とし、収差の脹らみを無理に抑え込んでいるため、絞りを開ける際に起こる急激な反動(高次球面収差の膨張による急激なフォーカスシフト)がシャボン玉の輪郭に光の集積部を生み出すのである[文献1,2]。100mmの焦点距離でF2.8の口径比を実現したTrioplanは、トリプレットタイプとしては異例の超大口径レンズである。画質的に無理な設計であることは明白だが、そのおかげで写真表現に新たな可能性が生み出されている点を見逃してはならない。Trioplanを用いた作例には収差の特性を取り入れたオールドレンズ的な演出効果が分かり易くあらわれている。これからオールドレンズをはじめようと意気込んでいる方にも自信をもってお薦めできる素晴らしいレンズだ。
フィルター径49mm, 重量(実測/純正フード込み)270g, 最短撮影距離 1.1m, 絞り羽 15枚, 3群3枚トリプレット型, プリセット絞り, 絞り指標 F2.8-F22, Vコーティング, 戦後型の35mmフォーマット用としてはM42/Exakta/Praktinaマウントの3種のモデルが存在する。製造期間は1951年から1966年。レンズ銘の由来はラテン語の「3」を意味するTriplexであり、このレンズが3枚玉であることを意味している



Trioplanは1913年から1966年まで生産されたHugo Meyer社の主力ブランドである。今回取り上げた100mm F2.8のトリオプランは戦前にStephen Roeschleinが設計したモデルがベースとなっている。RoeschleinはPrimoplanの初期型を設計した人物でもある。製品名の頭に付くTrioはこのレンズが3枚玉のトリプレットであることを意味している。初期の製品は大判撮影用のモデルが中心であったが、1936年からはEXAKTA用とLEICA用に3種のモデル(10cm F2.8/10.5cm F2.8/12cm F4.5)が登場し、1940年からはEXAKTA用に5cm F2.8の標準レンズも追加発売されている。戦前のモデルは重量感のある真鍮鏡胴であったが、1942年から軽量なアルミ鏡胴に置き換わっている。また、戦後になって光学系が再設計され、解像力と周辺画質が向上している。戦前のモデルと戦後のモデルでは描写傾向がかなり異なるようでバブルボケが発生するようになったのは戦後になってからのようである。戦後の望遠モデルは焦点距離が100mmのみに1本化され、1951年から1966年まで15年間生産された。このモデルの対応マウントはM42/EXAKTA/Praktinaと少なくとも3種存在する。シルバーとブラック(希少)の2種のカラーバリエーションに加え、1958年からEXAKTA用に黒鏡胴ゼブラ柄モデル(Trioplan N)が追加発売されている。なお、確かなエビデンスの無い情報ではあるが、Meyer-OptikブランドがPENTACONブランドに置き換わった後も、Trioplan 100mm F2.8はプロジェクターレンズのDiaplan 100mm F2.8として存続したようである(Mr. Markus Keinathが描写傾向を同定し、海外のオールドレンズ掲示板で情報を広めている)。戦後の35mm判としてはExakta/Praktina/M42/Altix用に50mm F2.9の標準レンズも供給されていた。こちらのレンズは1963年まで生産されDomiplanに置き換わることで同社のラインナップから消滅している。詳細は不明だが他にも7.5cm F2.9や80mm F2.8などの希少モデルが存在していたようである。戦前のTrioplanはバリエーションが豊富にあるので、調べればいろいろでてくる。
 
Trioplan 100mm構成図(文献4からのトレーススケッチ)左が被写体側で右がカメラ側となっている
  
参考文献1:球面収差の過剰補正と2線ボケ,小倉磐夫著, 写真工業別冊 現代のカメラとレンズ技術 P.166
参考文献2:球面収差と前景、背景のボケ味,小倉磐夫著, 写真工業別冊 現代のカメラとレンズ技術 P.171
参考文献3:PAT. No. DE1,805,326(21 October 1959 )
参考文献4:OBJEKTIVE FOR KLEINBILD KAMERAS, MEYER OPTIK 1959パンフレット

入手の経緯
このところ過熱気味なTrioplanのブームには目を見張るものがある。このレンズは過去に雑誌などで取り上げられた経緯がなく、知る人ぞ知る隠れ銘玉として、これまで一部のマニア層が細々と認知してきた。ところが、この数年で海外での再評価が進み、eBayではM42マウントのモデルが500-600ドルとかなりの高値で取引されるようになった。しかも、飛ぶように売れているのだ。いったい誰が買い漁っているのかは分からないが、状態のよい美品クラスの個体には800ドルを超える高値がつくこともある。1年前の2012年6月には200ドル、3年前の2010年には100ドルで取引されていた安価なレンズであったが、中古相場は過去3年間で4倍以上にも跳ね上がっているのだ。描写に特徴があるという理由だけで、ここまで注目されるオールドレンズは稀であろう。
  さて、今回私が入手したTrioplanは2013年1月にeBay(ドイツ版)を介しドイツの古物商から落札購入した個体である。商品の解説は「光学系、駆動系とも非常にコンディションの良いレンズである。ガラスに傷、クモリ、カビはない。前後のキャップがつく。100%オリジナルである」とのこと。出品者がカメラの専門業者ではなく単なる古物商であることが懸念材料であったが、返品に応じる規定を宣言していたので、思い切って入札することにした。競売による落札価格は460ドルで送料18ドルとまぁまぁの値段になってしまったが、届いた品は概観のスレとホコリの混入のみで、良好な状態であった。

撮影テスト
銀塩撮影: Kodak Gold 100(ネガ), YASHICA FX-3 Super 2000
デジタル撮影: EOS 6D

Trioplanは典型的な「球面収差の過剰補正型レンズ」である。開放ではハロを纏う線の細い描写となり、1~2段絞るとハロが消失し解像力とコントラストが向上、カミソリのような高いシャープネスが得られる。ただし、階調描写は絞り込んでも軟らかい。開放からヌケがよく、発色はほぼノーマルで色のりは良好である。トリプレット型レンズの弱点である周辺画質とグルグルボケは長焦点のために目立たず、四隅まで良好な画質が維持されている。背景にリングボケや2線ボケの傾向がみられ距離によってはザワザワと煩いボケ味となるが、反対に前ボケはフレアを纏う美しい拡散を示す。リング状のボケを防止するには高次の球面収差を補正すればよいが、シンプルなトリプレットの構成ではパラメータ不足のため不可能。Trioplanの独特のボケ味はこうして誕生している。
このレンズでバブルボケを効果的に発生させるには少しコツを掴む必要がある。まず、絞りは開放に設定し、フルサイズ機またはフィルムカメラ(35mm判)に搭載して撮影することが前提である。次に遠景にシャボン玉の生成原因となる光源を用意する。やや逆光気味のアングルで、カメラマンから10~15m位はなれた場所にテカテカと光る被写体をとらえればよい。遠景にはシャドー部をとらえ、シャボン玉の存在を強く引き立てると更に効果的である。撮影距離は2m~3mあたりが一番良く、これよりも近接側だと後ボケが綺麗に拡散しシャボン玉の輪郭が保たれないし、反対に遠方側ではボケが小さくなりすぎてしまう。以下作例。

F2.8(開放),  銀塩撮影(Kodak Gold 100): いきない出ました。シャボン玉ボケ。開放ではアウトフォーカス部のハイライト域にハロ(滲み)が発生するが、フォーカス部ではハロがピシャリとおさまる。このレンズの収差の入り方は絶妙だ


F2.8(開放), EOS 6D(AWB): ボケ玉の外周部にエッジが残り、このレンズならではの独特の光強度分布が得られている
F2.8(開放), EOS 6D(AWB): このシャボン玉ボケを効果的に発生させるには、絞りを開放にしたまま撮影距離が2~3mのところで撮影し、遠景にキラキラと光る光源を入れればよい

F2.8(開放), EOS 6D(AWB): シャツを照らす木漏れ日。階調は軟らかく目に優しい描写だ

F2.8(開放), EOS 6D(AWB): 開放からヌケはよい
F2.8(開放): カラーネガ(Kodak Gold 100): 僕はこのTrioplanの描写が基本的にとても好きだ


F2.8(開放) 銀塩撮影(Kodak Gold 100): シャボン玉はフィルム撮影においても発生する


F2.8(開放),銀塩撮影(Kodak Gold 100): こちらもフィルム撮影による作例だ。大小大きさの異なるシャボン玉が浮き上がってみえる



F5.6, EOS 6D(AWB):少し絞るとハロは消え、解像力とコントラストは急激に改善する。驚くほどシャープである。まったく絞りのよく効くレンズだ。1950年代に製造された長焦点のTriplet型レンズは同時代の数ある構成の中でも解像力が突出して高い。そのことを裏付ける写りだ

F4, EOS 6D(AWB): 前ボケは柔らかく拡散しとても綺麗である
F5.6, EOS 6D(AWB): 発色なノーマルで色ノリもよい。絞って使えばヌケの良い優等生レンズに変身する


本エントリーでHugo Meyer特集は最終回となる。同社のレンズには他にもKino PlasmatやMacro Plasmat, Ariststigmat、Telefogar, Bis-Telarタイプの構成をもつTelemegorなど気になる製品が数多くある。これらについても、いつか入手し取り上げてみたいと思う。


2013/05/10

Meyer-Optik Gorlitz Primoplan(プリモプラン) 58mm F1.9 (M42)


1937年から1950年代後期まで生産されたPrimoplan(プリモプラン)58mm F1.9。中古市場では時々見かける一見何の変哲も無い標準レンズである。しかし、構成図を見た途端に「何じゃコレは」と衝撃をうける人もいるのではないだかろうか[下図]。Tessar(テッサー)タイプでもGauss(ガウス)タイプでもない別の種類の何かであり、このクラスの一眼レフカメラ用レンズにはおよそ似つかわしくない異様な骨格である。このエイリアンの正体は実は1920年代に現れたErnostar(エルノスター)と呼ばれる古典鏡玉の一派で、Ernostarは後に銘玉Sonnar(ゾナー)を生み出す設計ベースにもなっている。運命の悪戯かSonnarはその後、バックフォーカスの関係から一眼レフカメラに適合せず、ほぼ絶滅してしまうが、Primoplanは標準画角のまま一眼レフカメラにも適合している。

Primoplanの光学系。構成は4群5枚でエルノスターの発展型である。中央に絞りをあらわす縦棒があり、これを挟んで左側が前群、右側が後群(カメラの側)となる

東独フーゴ・マイヤーの三羽烏
PART2:PRIMOPLAN 58mm F1.9

一眼レフカメラの明るい標準レンズと言えば、各社Gauss(Planar)タイプの構成を採用するのが定石である。これはミラー干渉を回避するために必用なバックフォーカスを確保しながら、広い画角と明るい口径比を両立させる事が一般にはたいへん困難なためである。広い画角を諦めるならSonnarタイプのレンズで要求を充たすことができるし、少しぐらい暗くてもよいならTessarタイプやTriplet(トリプレット)タイプ、Xenotar(クセノタール)タイプで充分である。しかし、両立させるとなると簡単にはゆかず、Gaussタイプに頼る以外にほぼ選択の余地は無い。Ernostarの発展タイプであるPrimoplanはGaussタイプ以外では唯一、明るさと画角に対する要求を両立させ一眼レフカメラにも適合できた珍種なのである。

ErnostarはCooke社のDannis Taylor(テイラー)が1894年に開発したTriplet(上図・左)を原型に据え、その最前部第1レンズを2枚に分割することで大口径化を実現したレンズである。今回紹介するPrimoplanは更にErnostarの第2群を2枚の接合レンズに置き換えた進化形態である
Primoplanシリーズは1930年代半ばにHugo Meyer社のStephan Roeschlein(シュテファン・ロシュライン)とPaul Schäfter(ポール・シェーファー)により開発された大口径レンズである。その原点となったのは1922年にErneman(エルネマン)社のBertele(ベルテレ)とKlughardt(クルーグハルト)がTripletをベースに発明し、世界で最も明るいレンズということで話題となったErnostar 100mm F2である(上図中央)。PRIMOPLANはErnostarの第2群を2枚接合の「旧色消しレンズ」に置き換え色収差の補正機能を追加するとともに、張り合わせ面の屈折作用によって球面収差の補正効果を改善させたレンズであると考えられる。旧来のErnostarに対してヌケの良さと解像力を向上させているというわけである。ただし、Ernostar同様に凸レンズ過多の設計構成であることからペッツバール和が大きく、第3群の凹レンズに強い硝材を用いても非点隔差による周辺画質の悪さ(四隅の解像力やグルグルボケ)を充分に改善することができない。また、旧色消しレンズは非点収差の補正に全く寄与しないので、何の対策もないまま包括画角を標準レンズ並に拡大させてしまったPrimoplanは、四隅の画質にかなりの無理を抱えている。Ernostarよりも更に一歩先をゆく、強烈な癖玉の予感である。

Stephan Roeschlein:Hugo Meyer社に1936年まで在籍しPrimoplan以外にもTelemegor(テレメゴール)シリーズの設計やAriststigmat(アリストスティグマート)の広角モデルの再設計に関与した人物である。その後、クロイツナッハのSchneider(シュナイダー)社にテクニカルディレクターとして移籍している。第二次世界大戦後は自身のレンズ専門会社Roeschlein-Kreuznachを設立している。Roeschlein社では自社ブランドのLuxonシリーズを生産し、Schneider社へレンズのOEM供給も行っていた。同社は1964年にSill Opticsに買収され消滅、現在に至っている。(参考:Camera Pedia)。

製品ラインナップ
Primoplanはまず1934年に5cmの焦点距離でLeica用とContax用、8cmの焦点距離でVP Exakta(ナハト・エキザクタ)用が供給され、1936年には75mmの焦点距離でExakta用(35mm判)とLeica用(Contax用は不明)が追加発売された。Exakta用の標準レンズはバックフォーカスの関係から焦点距離5cmのモデルを流用することができず発売が遅れていたが、1937年にやや焦点距離の長い58mmのモデルが登場したことで、ようやくExaktaに適合するようになった。このモデルは戦後になってM42マウント用モデルが追加発売されている。1938年~1939年には100mmの焦点距離のモデルがPrimareflex用として追加発売された。他にも焦点距離30mmと180mmのスチル撮影モデル(F1.9)や、焦点距離25mmと50mmのシネ用モデル(F1.5, 16mm判)が市場供給されている(Vade Mecum参照)。戦前のモデルは真鍮削り出しの鏡胴で重量感のある素晴らしい造りであるが、シリアル番号1,000,000番付近(1942年頃)からアルミ鏡胴に置き換わり軽量化されている。1960年発売にダブルガウス型レンズのDomiron 50mm F2が発売されたことで、Primoplanは同社のラインナップから消滅している。なお、米国向に輸出された製品個体には商標権の問題を回避するため、PrimoplanではなくA-Traplanの名称が使われていた。この名称の製品個体もごく僅かだがeBayで流通している。
 
Primoplanの設計特許:焦点距離75mmのモデルについてはRoeschleinの米国特許(1936年)、一眼レフカメラのExakta用とM42用に再設計された58mmのモデルはSchäfterの米国特許(1937年)がそれぞれ見つかる。おそらく基本設計はRoeschleinだが1936年にシュナイダー社へ移籍してしまったため、後任のSchäfterがEXAKTAへの適合をおこなったという経緯であろう。

重量(実測)175g, フィルター径 49mm, 構成 4群5枚(Ernostarからの発展型), 製造期間(戦後型) 1952-1950年代後半, 絞り F1.9-F22(プリセット方式), 絞り羽 14枚, 最短撮影距離 0.75m, 対応マウント M42,EXAKTA。設計特許はPatent DE1387593(1936年)。レンズ名はラテン語の「第一の、最初の」を意味するPrimoにドイツ語の「平坦な」を意味するPlan(ラテン語ではPlanus)を組み合わせPrimoplanとしたのが由来。Primoはドイツ語では「優秀な、最良の」を意味するPrimaと関連があるので、この意味を掛けているとも考えられる。後玉が飛び出しているので一部のフルサイズ機では後玉のミラー干渉が起こるが、Sony A99やミノルタX-700(銀塩カメラ)では干渉の問題はない。私は干渉を回避するためEOS 6Dに装着後、ミラーアップモードで撮影している
入手の経緯
本品は2012年8月に欧州最大の中古カメラ業者フォトホビー(UV1962)がeBayにて235ドル(送料込)の即決価格で売っていたものを200ドルでどうだと値切り交渉の末に手に入れた。オークションの記述は「傷、カビ、バルサム切れ、クモリなし。外観は写真で判断してね」といつものように簡素である。外観には古いアルミ鏡胴のレンズらしく劣化がみられたが、写真で見る限り光学系に問題はなさそうであった。このレンズはコーティングが痛みやすいことが知られており、前玉にパラパラと傷があったりクモリの発生している個体が多く、状態の良いレンズに出会えるチャンスは滅多に無い。届いた品には描写に影響の無いレベルで僅かなホコリの混入が見られるのみでガラスはたいへん良好、プリモプランにしてはとても状態の良い個体であった。フォトホビーは魅力的な商品を大量に扱う業者であるがバクチ的な要素が大きいことでも有名なので、商品を購入する際には事前によく質問し商品の状態について確認を取っておいた方がよい。落札者に落ち度がなければ、きちんと返金してくれる業者だ。

撮影テスト
Primoplanの弱点はアンバランスなレンズ構成に由来する大きな非点収差である。この収差はピント部四隅の解像力を低下させ、アウトフォーカス部に強烈なグルグルボケを生み出す。本来はもっと画角の狭い長焦点の望遠レンズに使わなければならない構成なのである。しかし、オールドレンズという観点でみるならば、こんなに面白い癖玉はそう多くない。開放では僅かにコマが発生しハイライト部の周りがやや滲む。画面全体もややモヤッとしており、薄いベールがかかったような描写傾向である。コントラストは明らかに低く、発色はあっさりしていて、階調も軟らかい。解像力はごく中央部のみ良好で線の細い描写になるが、四隅に向かうにつれて急激に悪くなる。1段絞れば良像域は四隅に向かって拡大し、滲み(コマ)は消えヌケも良くなるが、依然としてコントラストは低く、発色はあっさり気味でグルグルボケも目立つ。周辺画質を安定させるには2段以上絞る必要がある。なお、グルグルボケの事を除けばボケ自体は柔らかく綺麗に拡散している。

EOS 6D(AWB): ミラーアップモードによる撮影
フード: 焦点距離55mm用のラバーフード(Kenko製3段折畳み式)を使用

F4, EOS 6D(AWB): 前ボケ、後ボケとも柔らかく綺麗な拡散である。コントラストが低いレンズなので曇り空の日には発色があっさり気味になる
F1.9(開放), EOS 6D(AWB): ビューンと突風。しかし、この日は無風。グルグルボケを生かした演出効果だ。開放ではコマの影響からややヌケが悪い


F1.9(開放), EOS 6D(AWB): 中央の桜の花びらを見るとコマが発生しややモヤッとしている様子がわかる。高解像域はごく中央部のみであるが、一段絞るF2.8ではこちらに示すように良像域が四隅に向かって拡大し、コマは消えシャープな像となる

F2.8, EOS 6D(AWB): 春の嵐を表現している。繰り返すが、この時は無風だ

F1.9(開放), sony A7II: (Photo by Y.Takemura): とても繊細な階調表現だ。プリモプランは綺麗な玉ボケが出る事でも知られている
F1.9(開放), sony A7II: (Photo by Y.Takemura): プリモプランらしい崩壊気味の2線ボケである
開放付近で荒れ狂うPrimoplanの性質は「レンズの味」などと表現されるような生易しいものではない。レンズを使いこなすにはそれなりの覚悟が必要だし、暴れ馬なので振り落とされないよう常に気を配る必用がある。このレンズの強烈な癖がオールドレンズの真髄へと通じるものであるのかどうか正直言って私にはよく分からない。しかし、使いこなす事を一つの遊びと捉えるならば、Primoplanは間違いなく楽しいレンズである。大人しくZeissやLeitzあたりの名馬で満足するのもよいが、たまにはロディオに興じるのも悪くはない。