おしらせ


2021/04/29

Angénieux Paris Type P1 90mm F1.8


オールドレンズならではの「味わい深い描写」が、現代のレンズにはない光学性能の弱さから来ていることは、疑いようのない事実です。これを素直に受け止めるなら、光学性能の弱さをあ~だこ〜だと追求する営みは、粗探しをしているわけではなく、その先の深淵をくぐり抜け、美しい田園風景へと我々を導く旅路、ある種の暗号プロトコルを探し出す旅みたいなものなのでしょう。アンジェニューはどんな田園風景を描いてくれるのでしょうか。

フランス製ポートレートレンズの名玉

Angénieux Paris Type P1 90mm F1.8(後期型)
 
レトロフォーカス型広角レンズや映画用ズームレンズの開発で世界をリードしたフランスの光学メーカーAngénieux(アンジェニュー)。同社が35mm判スチル用レンズに初参入したのは1938年で、スイス・ピニオン社の一眼レフカメラALPAFLEXに交換レンズを供給したのがはじまりです。1942年からはライカマウント、1948年からはレクタフレックスマウントで標準レンズ(Type S1)や望遠レンズ(Type Y1)の供給を開始、1950年に画期的なレトロフォーカス型広角レンズを発売したのを皮切りに一眼レフ用交換レンズの生産にも本腰を入れて取り組むようになります。

今回紹介するTYPE P1 90mm F1.8は同社から1950年に登場した望遠レンズの大口径モデルで、有名な広角レンズのType R1 35mm F2.5と同時期に発売されました。アンジェニューならではの軟調描写と色味、優雅なボケが相まって、現代のレンズでは決して味わうことにできない独特な雰囲気を漂わせるのが、このレンズの特徴です。決して万人受けするものではありませんが、ハマると癖になるレンズです。対応マウントのバリエーションにはエキザクタ、プラクチカ、コンタックスS、レクタフレックス、アルパ、ライカなどがあります。なお、1955年のモデルチェンジで光学系に改良を施した後期型に置き換わっており、今回紹介するのは、こちらのモデルです。前期型はピントリング周りのローレット加工(ギザギザ)が細かいのが特徴で、背後のボケが激しく乱れるなど気性の粗い性格です。一方で後期型は距離によらず穏やかで優雅なボケが得られます。レンズは1961年まで製造されました。

設計構成は明るい望遠レンズではお馴染みのエルノスタータイプで、このクラスの大口径レンズとしては比較的少ない構成枚数ですが、諸収差を合理的に補正できるのが特徴です(下図)。望遠系レンズによく見られる糸巻き状の歪みもよく補正されています。

Angenieux Type P1 90mm F1.8の構成図(カタログからのトレーススケッチ):設計構成は4群5枚でエルノスター型からの発展形態です。エルノスター型のレンズは正パワーが前方に偏っている事に由来する糸巻き型歪曲収差を補正するため、後群を後方の少し離れた位置に据えています。望遠レンズは多くの場合、後群全体を負のパワーにすることでテレフォト性(光学系全長を焦点距離より短くする性質)を実現していますが、このレンズの場合には変則的に弱い正レンズを据えています。ここを負にしない方が光学系全体として正パワーが強化され明るいレンズにできるうえ、糸巻き状になりがちな歪曲収差を多少なりとも軽減できるメリットがあるためです。ただし、その代償としてペッツバール和は大きくなるので画角を広げることは困難になります。この構成は望遠レンズには良さそうですね。後群を正エレメントにしたことでテレフォト性が消滅してしまうのではと心配される方もいるかもしれませんが、実は前群が強い正パワーを持つため、後群の正パワーが比較的弱いことのみでも全体として十分なテレフォト性が得られるそうです

Type P1にはライカマウントのモデルもあります。女性ポートレートの名手とうたわれライカをこよなく愛した
写真家の木村伊兵衛さんが、このレンズを好んで用いたという話を知人から教えてもらい、真偽もわからずに納得したのを憶えています。

入手の経緯

レンズは知人の所有物でしたが、売却を手伝う代わりに、買い手が見つかるまで私が自由に使ってよいというお約束で、しばらく私が預かっていました。ニコンFマウントに改造されていましたので、知人が一眼レフカメラの時代に入手した個体のようです。国内の中古市場での取引相場は6年前の2015年に中古カメラ市で見かけたコンディションABの個体が25~30万円です。現在はもっと値上がりしており、品薄ということもあり、eBayでは35万円~50万円程度(クモリ入りでも25~30万円)で取引されています。国内市場では見かけることがたいへん少なくなりました。最高額のType S21に至っては100万円の大台を超え、いまや150万円が相場になりつつあります。

Angenieux Type P1 90mm F1.8: フィルター径 56mm, 絞り羽 12枚, 絞り F1.8-F22, 最短撮影距離 約1m, 重量 約450g, 構成 4群5枚エルノスター発展型, 製造期間 1950-1961年, 本品はNikon Fマウントに改造されています

 

撮影テスト

ガウスタイプやトリプレットのような高解像でヌケが良く、やや破綻が見え隠れする描写(やや神経質で前のめりな性格のレンズ)とはある意味で対極にあるのが、このAngenieux P1(後期型)の描写です。ガウスタイプというよりはゾナータイプに近い安定感があり、緻密な画作りはできませんが、軟らかく穏やかなトーン、四隅まで破綻のない美しいボケ、開放ではハイライト部に微かなフレアを纏い、細部まで写り過ぎない柔らかい画作りができます。逆光時では光が乱反射し、紗をかけたように薄っすらと白みがかった感じにぼやけて見えることがあり、アンジェニューに共通する独特な軟調描写が際立ちますが、深いフードをつけ乱反射(ハレーション)をカットしても、この軟調傾向は維持されており、依然として雰囲気のある写真が撮れます。

Angenieux P1 + Sony A7R2

F1.8(開放) sony A7R2(WB:日陰)背後のボケには安定感があります

F1.8(開放) sony A7R2(WB:日陰)ピントのはずれたところが、柔らかくとろけています

F1.8(開放) sony A7R2(WB:日陰)

F1.8(開放) sony A7R2(WB:日陰)

F1.8(開放) sony A7R2(WB:日陰)

F1.8(開放) sony A7R2(WB:日陰)

F2.8  sony A7R2(WB:日陰)
F2.8 sony A7R2(WB:日陰)

 

 

 

 ★Angenieux P1 + Fujifilm GFX100S

Film Simulation:NN, WB:Auto (R:+2 B:-3), Tone Curve H:0 S:-2, Color:-2
 
F1.8(開放) Fujifilm GFX100S(Film Simulation:NN, WB:Auto)


F1.8(開放) Fujifilm GFX100S(Film Simulation:NN, WB:Auto)

F1.8(開放) Fujifilm GFX100S(Film Simulation:NN, WB:Auto) フードなし

F1.8(開放) Fujifilm GFX100S(Film Simulation:NN, WB:Auto)

F1.8(開放) Fujifilm GFX100S(Film Simulation:NN, WB:Auto)

F1.8(開放) Fujifilm GFX100S(Film Simulation:NN, WB:Auto) フードがないと、逆光では光に敏感に反応します

F1.8(開放) Fujifilm GFX100S(Film Simulation:NN, WB:Auto)

 

 ★Angenieux P1 + Sony A7R2

model 莉樺さん

F1.8(開放) sony A7R2(AWB)フードなし。ハレーションが派手に出ます

F1.8(開放) sony A7R2(AWB)

F1.8(開放) sony A7R2(AWB)

F1.8(開放),  sony A7R2(AWB)


2021/04/16

Seiki-Kougaku(Canon) Camera Co. R-Serenar














1937年7月、北京郊外の盧溝橋(ろこうきょう)にて日本軍駐屯兵の一人が夜間演習中に何者かの銃撃を受け死傷します。これが引き金となり日中両軍が衝突、銃撃の首謀者が解明されないまま、この動乱はやがて日中戦争へと拡大し、国内のカメラ産業に大きな影を落とします。

キャノン初の市販レンズ
精機光学 R-Serenar 5cm F1.5

盧溝橋事件の前年、精機光学(現キャノン)は日本光学(現ニコン)から交換レンズ(Nikkor 50mm F3.5)の供給を受け、国内市場にむけライカII型の国産コピーであるハンザキャノンを販売していました。創業当時の精機光学は小さな町工場に始まり、カメラの製造にあたってはシチズンの時計学校の出身者を集めスタートしました。同社はカメラのボディのみを生産する精密機械メーカーでしたので、光学設計の技術は持ち合わせていませんでした[1]。一方の日本光学は軍需品の生産を中心とする光学兵器メーカーでしたが、民生品への進出を計画していましたので、ハンザキャノンは両者の思惑が一致して誕生したカメラでした[2]。そのような最中、盧溝橋事件が勃発します。開戦ムードの中、軍からの日本光学に対する注文が殺到すると、次第に交換レンズの供給が滞りはじめ、精機光学は思うようにカメラを販売できなくなります。カメラの市場供給を続けるには同社がレンズの自社生産に乗り出さなくてはならず、精機光学代表の内田三郎氏は日本光学にレンズの製造技術の移転を要望、見返りとして同社は日本光学の下請けを担うことになるのです[1]。
レンズ製造技術の移転は1939年に実施され、日本光学の開発部からレンズ設計士の古川良三氏と光線追跡計算手2名が移籍、レンズ荒磨り機、レンズ研磨機、芯取り機などの機材の提供も行われました。そして、移籍後の古川氏が手がけ、精機光学から発売された市販レンズの第一号が今回取り上げるR-Serenar 5cm F1.5なのです[3]。Serenar(セレナ―)というレンズ名は精機光学の社内公募によって選ばれたもので、セレン=澄んだという意味が込められているとももに、月面にある海の名称に由来していました[2]。

このレンズは頭文字のRが示すようにレントゲン用カメラに使われ、徴兵検査の結核診断に用いられました。当時は戦時下でしたので大きな需要があり、R-Serenarは精機光学にかなりの利益をもたらしました[3]。レンズ設計の手本となったのはCarl ZeissのBiotar 4.25㎝ F2でしたが、Biotarと同じ6枚玉(4群6枚)のままF1.5まで明るくしたうえ、ガラス硝材もBiotarに使われたような高性能なものではなかったことから、設計には無理のあるレンズでした[1]。R-Serenarではガラスの屈折力の不足を大きな曲率で補わなければならず、屈折面からは補正しきれない大きな収差が発生しました。宮崎貞安氏による光学干渉測定の結果によると、球面収差の膨らみは現在の同じ仕様のレンズの4倍程度にも達したそうです[1]。言うまでもなく「収差レンズ」としてはたいへん面白いレンズなのだと思います。
左は今回、TORUNOからお借りした精機光学R-Serenar 5cm F1.5の改造品で直進ヘリコイドに搭載されライカスクリューマウントになっていました。右は文献[1]からトレーススケッチしたレンズの構成図(見取り図)です。設計構成は4群6枚のガウスタイプ。構成図は各面の曲率が大きく、ここから補正しきれない大きな収差が発生しました
 参考文献・資料
[1]「1930~40年代における日本の35ミリ精密カメラ開発」森 亮資 著, 技術と文明 18巻号(160)
[2] Canon Camera Museum 歴史館
[3] 「内田三郎回顧録」内田三郎 (1992)50頁

入手の経緯
オールドレンズ・レンタルサービスのTORUNOから改造品をお借りしました。この個体はマウント部のネジを利用して直進ヘリコイドに搭載されており、ライカスクリュー(L39)マウントのレンズとして使用できるようになていました。レンズの状態は大変良好でカビやクモリ、傷などはなく戦前の個体とは思えないクリーンでクリアなコンディションでした。
撮影テスト
球面収差が通常のレンズの4倍もあるため、被写体のハイライト部をモヤモヤとしたフレアが纏い、ソフトな描写傾向が強まります。少し暖色方向に振ってやると白がとてもいい味をだし、雰囲気の良く出るノスタルジックな描写を堪能できます。レンズには絞りがありませんので常時開放での撮影となります。そうは言ってもソフトな描写が持ち味なので、ずっと開放で撮っていたいレンズです。コマ収差が多く、中心に比べ、四隅の画質はかなり妖しくなります。通常の写真用レンズとは異なりレントゲン線(1pm - 10nm程度の電磁波)で使用するレンズのため、一般撮影に転用した場合の画質は、本来のものではありません。

SONY A7R2(WB:日陰)このくらいソフトだと、なんだかお洒落な写真が期待できそうです

SONY A7R2(WB:曇天)壁面の白が美しく、うねっています
SONY A7R2(WB:日陰)




SONY A7R2(WB:日陰)

SONY A7R2(WB:日陰)
SONY A7R2(WB:曇天)