おしらせ


2018/04/08

KMZ PO(RO)-series cinema movie lenses part 2:KMZ PO3-3M(RO3-3M) 50mm F2










1961年4月、ロシア(旧ソビエト連邦)の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンは宇宙船ボストーク1号に乗り人類初の有人宇宙飛行に成功、大気圏外の地球周回軌道から「地球は青かった」という名言を残します。地球を撮影することはありませんでした。ガガーリンはカメラを持っていなかったのです。

レニングラード生まれ、クラスノゴルスク育ちの
35mmシネマムービー用レンズ  PART 2
史上初めて地球の自撮りに成功したシネレンズ
クラスノゴルスク機械工場 PO3-3(RO3-3) 50mm F2
世界で初めて宇宙にカメラを持ち出したのは、史上4人目の宇宙飛行士となったロシアのゲルマン・チトフでした[1]。チトフが乗り込んだ宇宙船ボストーク2号は1961年8月にバイコヌール宇宙基地から打ち上げられ、大気圏外の地球周回軌道に到達しました。チトフの任務は無重力状態が人体にどのような影響を及ぼすのかを調査することと、地球や宇宙空間の記録撮影でした。宇宙船に映画用カメラのKONVAS(コンバス)を持ち込んだチトフは、地球の姿をカメラで撮影した最初の人物となりました。
KONVASにマウントされていたレンズが何であったのかを示す記録はありませんが、チトフか船内活動で使用したKONVASの現物が2015年9月にロンドンのTINCTURE of Museumで開催された企画展Cosmonauts – Birth of the Space Age -に展示されました[2]。カメラには、何と日本でいま密かなブームをよんでいるシネマ用レンズのPO3-3Mが搭載されていたのです。

KMZ製の初期型PO3-3(1948-1950年製造):重量(実測) 148g, フィルター径 32mm, 絞り F2-F22, 絞り羽根 14枚構成, 設計構成4群6枚準対称ガウス型, 鏡胴は真鍮製で、薄いブルーのコーティングが入ったバージョンと、ノンコートバージョンの2種類が存在する。写真はコーティング付きモデル
PO3-3Mは35mmシネマフォーマット(APS-Cセンサー相当)に準拠した焦点距離50mmの映画用レンズです。もともとはレニングラードのKINOOPTIKAファクトリーが1945年に発売したのがはじまりで、当初のレンズの製造には第二次世界大戦の賠償としてドイツから接収したガラス硝材が使用されました[3,4,8]。その後、レニングラードの生産ラインはモスクワのKMZ(クラスノゴルスク機械工場)の393番プラントに移され、国産ガラスを用いた製造に切り替わります[5]。KMZでは、望遠レンズのPO2-2や準広角レンズのPO4-1などと共に、映画用カメラのKS-50BやAKS-1(アイモのロシア版コピー)、KONVAS(アリフレックス35のロシア版コピー)に搭載する交換レンズとして生産されました。製造年は不明ですが、後にLOMOの傘下に入るレニングラードのLENKINAPファクトリーでも極僅かに生産されています(写真・下)。

LENKINAP(LOMO)製PO3-3(製造年不明S/N: 2500):重量(実測)128g, 絞り指標なし, 絞り羽 10枚構成, 設計構成 4群6枚準対称ガウス型, フィルター径 32mm, 鏡胴は真鍮製, 本個体は銘板にPコーティングのマーク(P=prosvetlenijeの意)が入っているもののノンコートのようだ。LOMOが製造したPO3はこれ1本しか見たことがない

PO3-3M の魅力は、何と言ってもオールド・シネレンズならではの写りを手頃な値段で手に入れる事ができる所です。ピント部の優れた質感表現や、絞った時にみられる圧倒的な解像感は、シネプラナーやスピードパンクロなどマニア垂涎の品と肩を並べるレベルですが、購入価格はこれらの1/5から1/10程度で済みます。階調には厚みがあり、暗部から中間部にかけて階調が豊富にでるため、コッテリと色が出るうえ、濃淡の微妙な変化をダイナミックに捉えることができます。また、ガラスの経年劣化に原因があるのかコーティングに原因があるのか定かではありませんが、発色が温調(茶色っぽい色)に転ぶ傾向があります。これが高い色濃度と相まって、味わい深い描写表現を生み出しています。シャープで高性能とはいえ、オールドレンズとしての自覚を失うことはありません。フルサイズ機で用いると近接撮影時に強い立体感がでるのも、このレンズの大きな特徴です。
なお、PO3にはガラス面に赤茶色のアンバー系コーディングが蒸着されているモデルと、青紫色のコーディングが蒸着されているモデルがあり、どちらを選択するかにより色味が変わるようです。レンズを入手する際には、コーティングの違いについて留意する必用があります。私が今回入手したのはアンバー系コーディングのモデルですが、青紫系のコーティングの個体もあります。撮影環境により、黄色や青への発色のこけ方に差があります。

KMZ製PO3-3M: 写真1:左はKONVAS用(OCT-18マウント)の前期モデル、中央はAKS-1用でライカLマウントに改造されているモデル、右はKONVAS用(OCT-19マウント)の後期モデル。チトフが大気圏外での撮影に用いたレンズは右のモデルです

1948年の資料[5]に掲載されていたPO3-3(KMZ製初期型)の構成図(上図・左)と1971年の資料[6]に掲載されていたPO3-3Mの構成図(上図・右)のトレーススケッチ(見取り図):上方が被写体側で下方がカメラの側となっています。両者は前玉の形状や空気間隔の距離、各面の曲率が若干異なっており完全一致ではありません。どこかの時点で設計に改良が加えられているようです。初期型の方がスピードパンクロのシリーズIにより近い設計構成であることがわかります [7]



レンズの設計構成は4群6枚の準対称ガウスタイプです(上図・右)。シネレンズで撮影した影像は映画館の巨大なスクリーンに投影されるわけですから、解像度をおろそかにするわけにはいきません。一方でデリケートにチューニングしすぎると、レンズの特性でフレア量が多くなり、コントラストやシャープネスが落ちてしまいます。スペック重視のスチル撮影用レンズとは異なり、シネマ用レンズでは画質を最優先に据えた設計思想が貫かれており、口径比は無理のないF2に設定されました。フレアの発生をギリギリまで許容し、解像力を高める。この落しどころの巧妙さこそが、シネマ用レンズの優れた質感表現につながっているのでしょう。

各モデルとデジカメでの使用例
PO3-3Mにはロシア版アイモのAKS-1やKS50Bの交換レンズとして市場供給されたモデル(写真2)と、後継製品のAKS-4Mに搭載する交換レンズとして市場供給されたモデル(写真3)、ロシア版アリフレックスのKONVASに搭載する交換レンズとして市場供給されたモデル(写真4・写真5)の3種があります。イメージサークルは35mmシネマフォーマットに準拠しており、APS-Cセンサーを搭載したデジタルミラーレス機で使用するのが、最も相性のよい組み合わせです。ただし、イメージサークルには余裕があるので、写真の四隅がややケラれることを許容できるなら、フルサイズミラーレス機で使用することも可能です。なお、フードを外したほうがケラレは小さくなります。このケラレの発生源はフードのツバの部分ではなくフィルターネジ近くの土手ですので、フードの深さを変えても改善することはありません。

写真2 KMZ PO3-3M for AKS-1: 最短撮影距離(規格) 1m, フィルター径 32mm,  絞り羽 14枚構成, 絞り F2-F22, ロシア版アイモのAKS-1用として市場供給された個体で、ライカLマウントに改造されている 
写真3 KMZ PO3-3M for AKS-4M:最短撮影距離(規格) 1m, フィルター径 50mm(外側),  絞り羽 14枚構成, 絞り F2-F22, 

写真4 KMZ PO3-3M for KONVAS:重量 195g (フード込215g), 最短撮影距離(規格) 1m, フィルター径 45mm,  絞り羽 14枚構成, 絞り F2-F22, ロシア版アリフレックス35のKONVAS前期型用(OCT-18マウント)として市場供給された個体 

写真5 KMZ PO3-3M for KONVAS: 最短撮影距離(規格) 1m, フィルター径 45mm,  絞り羽 14枚構成,  絞り F2-F22,  ロシア版アリフレックス35のKONVAS後期用(OCT-18マウント)として市場供給された個体。ゲルマン・チトフが宇宙船ポストーク2号に持ち込んだモデルと同じである




3種類あるPO3-3Mの中で最も多く流通しているのは、AKS-1用のモデルです。これをインダスター61L/Dの鏡胴にぶち込んでライカLマウントに改造した個体が、中古市場には一定数出回っており、私が今回手に入れた一本もこのタイプです。ライカLマウントなら、アダプター経由でデジタル・ミラーレス機で使用できます。このモデルは最短撮影距離が1mと長めなので、ライカLMアダプターを用いてライカMマウントに変換し、ヘリコイド付きアダプターに載せるのがオススメの使い方です。最短撮影距離は0.4〜0.5mあたりまで短縮され、近接撮影にも対応できるようになります。なお、改造品の中にはジュピター8の鏡胴を利用したものもありますが、PO3のレンズヘッドとの間には微妙な相性問題があるようです(無限遠の指標位置までヘリコイドが回らない)。また、インダスター50の鏡胴を利用した改造品も出回っていますが、鏡胴とレンズヘッドとのつなぎ目に大きな隙間があり不格好です。

参考文献
[1]ゲルマン・チトフの関連記事(地球の写真もあります): Tony Reichhardt, The First Photographer in Space, Airspacemag.com (August 5, 2011)
[2]Cosmonauts – Birth of the Space Age – Science Museum, September 2015
[3] Luiz Paracampo, LOMO-100 Years of Glory book (2011)
[4] Belokon Andrey (Ukraine, Odessa)、AllPhotoLenses, Date of publication: 25.12.2011
[5] PO2-2, PO3-3, PO4-1に関するKMZ(ZENIT)の公式資料: КАТАЛОГ фотообъективов завода № 393 (The catalog of photographic lenses of the plant № 393) 1949年
[6] Catalog Objectiv 1970 (GOI): A. F. Yakovlev Catalog,  The objectives: photographic, movie,projection,reproduction, for the magnifying apparatuses  Vol. 1, 1970
[7] Speed Panchro Ser.1 米国特許 US Pat.1,955,591
[8]Kinooptika LENKINAP製PO3-3(S/N:555)が2020年3月19日にeBayに出品されました

写真・左はジュピター8の鏡胴を利用して改造されているモデル。デザインはよく合うが、レンズヘッドとの間に相性問題があるので、おすすめはできません。写真・右はレンズヘッドのみの状態です。青紫色のコーティングが施されたモデルです

KONVAS用のモデルに対してはeBayに出回っている市販のマウントアダプター(OCT-18用)を使い、デジタル・ミラーレス機で使用する事が可能です。ただし、スピゴットマウントなので、ヘリコイドを近接側に回しすぎるとレンズユニットが鏡胴から抜けおちてしまいます。これを避けるため、私はRafカメラのアダプータを介して、レンズを直進ヘリコイド上で使うことにしています。直進ヘリコイドだけでも最短撮影距離は0.4mと短く実用十分で、更に寄りたい場合のみレンズ本体のヘリコイドを緊急的に使用します。なお、部品を少し変えることになりますが、これに近い部品構成でFujifilmのミラーレス機やマイクロフォーサイズ機に対応させることも可能ですので、いろいろ試行錯誤してみてください。
 
AKS版PO3の改造のヒント:改造は高度なものではないので、ヒントを写真で示しておきます。上の部品を用いてレンズヘッドにM42ネジに据え付け、そのまま適当な丈のM42ヘリコイドに搭載するだけです。
中古市場での相場
PO3-3はロシア国内で大量に生産されましたので、今でもオールドストックの美品が、海外のネットオークションで豊富に流通しています。状態の良いレンズを安く手に入れるには、ロシアやウクライナのセラーがeBayに出品している製品を狙うとよいでしょう。新品に近いコンディションのものが、ライカLマウントに改造された状態で、220~250ドルあたりで売られています。KONVAS用(OCT-18マウント)のモデルも、ほぼ同じ価格帯で取引されています。国内で入手する場合には、オールドレンズを専門に扱う中古店や、ヤフオクやメルカリなどのネットオークションを利用することになります。ただし、流通量は多くはありません。国内のショップ価格は中古品の実用コンディションのものが40000円~50000円、オークションでは35000円あたりからです。秋葉原の2nd Baseは常時、在庫の用意があるようです。

撮影テスト
開放ではピント部中央の狭い領域しか解像しません。これは、静止画ではなく動きのある動画を撮るという用途のためで、シネマ用レンズには、このような画質設計のものが多くみられます。開放からコントラストは良好で、ポートレート撮影として使う分には充分な画質です。一方で細部に目を向けると、ピント部表面を微かなフレアが覆っています。ただし、輪郭が滲む程ではなく、品のある質感表現を提供しています。絞ると良像域は中央から写真の四隅に向かって広がり、ピント部の広い領域で、密度感のある素晴らしい画質が得られます。PO3を含むシネレンズの人気は、微かな柔らかさと密度感を高いレベルで共存させた、優れた質感表現にあるのかもしれません。
発色には個性(癖)があり、私の手に入れたアンバーコーティングの個体では、温調(茶色っぽい色)に転ぶ傾向みられました。階調は中間部からシャドーにかけてが豊富に出ており、このため色濃度が高めに出ます。温調にコケる発色とも相まって、味わい深い描写表現を楽しむことができます。ボケは距離によってザワザワと硬めの像を結びますが、グルグルボケや2線ボケなどはなく、どのような場面でも使いやすいレンズだと思います。ポートレートでは開放、集合写真や引き画ではF2.8からF4あたりを基点とするのが、このレンズの上手な使い方でははないでしょうか。
なお、規格外ではありますが、レンズをフルサイズ・ミラーレス機で使用する事も可能です。その場合には四隅で画質が破綻気味になり、いわゆるケラレ(暗角)も出るため、近接域から3m辺りまでの撮影距離で、立体感に富んだ画作りができます。こうした副産物を巧みに利用し、PO3-3Mでポートレート撮影を行うプロのフォトグラファーがいます。

F2.8 sony A7R2(WB:Auto/APS-C mode)  中間階調が豊富に出ており解像感も良好、素晴らしい性能のレンズです。ほぼ中央部近くを切り出した拡大写真を下に提示します


上の写真のクロップ。もはやヤバい性能であること確定です。発色はご覧の通りで、オートホワイトバランスの補正をかけても明らかに温調側に転びます





F2(開放), sony A7R2(AWB/ APS-C mode) 開放で中心部から外れた場合の解像力はせいぜいこの程度ですが、質感表現は素晴らしい!。ポートレートで活躍できそうなレンズです


F2(開放)  sony A7R2(WB: 曇天/ FF mode)  続いてフルサイズフォーマットでのテストショット。絞りは開放。四隅はこの通りに少し暗くなり収差もともなうため、立体感の強調された画作りができます。フードは外したほうがよいです
f2.8 sony A7R2(AWB/ APS-C mode)  近接域でも画質は安定しています

F2.8  sony A7R2(FF mode)
F2(開放) Fujifilm X-T20(AWB):  こちらも開放。絶妙な柔らかさを維持しています
F2.8 Fujifilm X-T20(AWB): 続いてフジフィルムのミラーレス機でのテストショットです。背景の色味は温調でクラシカルな雰囲気が漂っています。一方でピント部は現代のレンズをみているような素晴らしい解像感です

F2(開放) Fujifilm X-T20(AWB):  開放でのショットも見てみましょう。ピント部は微かなフレアを纏っていますが、解像感が損なわれることはありません


F2(開放) Fujifilm X-T20(AWB):  開放で中心部の性能に注目してみました。ごく狭い領域ですが、充分な解像力があります

 

PO3初期型(1949年製)の撮影結果
CAMERA: SONY A7R2
F2.(開放) sony A7R2(APS-C mode, WB:曇天)
F2.(開放) sony A7R2(FF mode, WB:曇天)
F2.8 sony A7R2(FF mode, WB:曇天)
F2.8 sony A7R2(FF mode, WB:曇天)
F2.8 sony A7R2(FF mode, WB:曇天)

F2(開放) sony A7R2(APS-C mode, AWB)
F2.8 sony A7R2(FF mode, WB:曇天)

2018/03/20

KMZ PO(RO)-series cinema movie lenses part 1:KMZ PO2-2(RO2-2) 75mm F2



レニングラード生まれ、クラスノゴルスク育ちの
35mmシネマムービー用レンズ  PART 1
ロシア版アイモに搭載された望遠シネレンズ
クラスノゴルスク機械工場 PO2-2(RO2-2) 75mm F2
PO2-2 75mm F2はモスクワのKMZ(クラスノゴルスク機械工場)が1948年に映画用カメラのAKS-1やKS50Bに搭載する望遠レンズとして発売しました。もともとはレニングラードのKINOOPTIKAファクトリーが1945年~1947年の3年間に1000本のレンズを生産したのがはじまりで、レンズの製造には第二次世界大戦の賠償としてドイツから接収したガラス硝材が使用されました[1]。その後、レニングラードの生産ラインはKMZの393番プラントに移され、国産ガラスを用いた製造に切り替わります[2,3]。このプラントではPO2-2と共にモスクワへとやってきた兄弟レンズのPO3-3 2/50やPO4-1 2/35も一緒に製造されました。また、ゾナーのデットコピーであるZK-50シリーズやビオゴンのデットコピーであるBK-35(ジュピター12  2.8/35の前身)、ロシアン・エルマーのインダスター22、ドイツ・ワイマール時代にツァイスから技術協力を受けて開発されたオリオンシリーズ(トポゴンのコピー)なども製造されています[2]。393番プラントは言わばクローンレンズ製造所だったのです。
KINOOPTIKAファクトリーでPO2-2を設計した人物は明らかになっていませんし、KMZにて国産ガラスを用いた再設計を誰が行ったのかも不明です。KMZで当時の光学システム設計局を率いていたのはインダスター22の設計やジュピターシリーズの再設計を手がけたM.D. Moltsevという人物で、Moltsevは1948年から同局の局長に就任しています[2]ロシア製レンズの場合、設計者不明のレンズは他国の有名メーカーを模した製品である可能性が高くなります(BK-35, BTK-58, FK-35, ZK-50などがいい例です)。PO2-2は構成図を重ねることでPO3-3 2/50と同一設計であることがわかり、前玉径・後玉径・焦点距離はそれぞれPO3の1.5倍です[4]。明らかにPO3-3と相似光学系もしくは準相似になっており、両レンズはセットで設計されました。
近年、日本ではPO3-3が英国Taylor-Hobson(テーラー・ホブソン)社のSpeed Panchro(スピードパンクロ)という有名なシネレンズを模倣した製品であるという説が広まり、ちょっとしたしたブームが沸き起こっています。そのことを初めて見出したのは「オールドレンズx美少女」の著者である写真家の上野由日路氏です[6]。上野氏の仮説にはエビデンスがないことを彼自身が認めていますが、実は仮説を唱えるだけの十分な根拠があります。今回はそのあたりを少し紐解いてみましょう。

COOKE SPEED PANCHRO(SERIES I)50mm F2: コレクターでもない私が積極的に買うはずもないレンズですが、縁あって有名な写真家のもとから我が家に養子としてやってきました


まず、POシリーズを搭載したKS-50BやAKS-1という映画用カメラは米国Bell & Howell(ベル・ハウエル)社が開発したEyemo(アイモ)という映画用カメラをコピーした模造品であることをKMZ (現ゼニット社)が公式ホームページ[9]で認めています。戦前のアイモにはスピードパンクロが正式採用され、1940年代のハリウッド映画では、撮影に使われたアイモの半数以上にスピードパンクロが搭載されました[7]。ならば、ロシア版アイモに搭載されたPOシリーズがカメラ同様にスピード・バンクロから作られたと考えるのは、きわめて自然な発想です。仮説を支える根拠はここからです。上野氏は戦前に設計された同一構成のシネレンズを片っ端からしらべ、PO3-3の第2群にみられる特徴的な構成がスピードパンクロのシリーズ1にしかみられないことを突き止めました。これは消去法的な検証手段でしかありませんが、後にPO3-3とスピードパンクロの各部の寸法を図面で照らし合わせてみると、両者の寸法は前玉径や全長、実焦点距離などの主要部が1mm以内の差で合致していたのです[4,8]。ただし、両レンズの硝材まで比較したわけではありません。
今回取り上げるPO2-2 75mm F2についても、スピードパンクロ・シリーズ1 50mm F2をベースに設計されたと考えるのは無理のない仮説です。ちなみにスピードパンクロのシリーズ1には75mmF2のモデルが存在しますので、PO2-2はこれを参考にしたと考える方も多いのではないかと思います。しかし、構成図の形態は明かにPO2-2とは異なるものです。どうしてなんでしょう。

KMZ PO2-2 75mm F2構成図(トレーススケッチ) :文献[2]に掲載されている構成図を参考に作成した。設計構成は4群6枚の準対称ガウスタイプ

KMZが1948年に発売したPO2-2の最初のバージョンは真鍮鏡胴で、ガラス面にコーティングのないノンコートモデルと、ブルーのコーティングが施された2種のモデルが用意されました。生産本数はノンコートモデルが500本、コーティング付モデルが1500本です[1]。1951年になるとガラス面にマゼンダ色のPコーティング(Pはprosvetlenijeの意)が施された新しい製品へとモデルチェンジされます。また、1952年からはアリフレックス35のロシア版コピーであるKONVAS (OCT-18マウント)に対してもレンズの供給が始まります。レンズの設計構成は4群6枚のスタンダードな準対称ガウスタイプで(上図)[2,4]、第2群の張り合わせレンズがこの時代のガウスタイプによくみられる両凸レンズと両凹レンズの接合ではなく、凸メニスカスと凹メニスカスの接合になっているという大きな特徴を持っていました。この特徴は戦後間もなく登場したフレクソンやパンカラーあたりからよく見られるようになりますが、戦前のレンズでこの形態を採用したものは極僅かでした。上野氏もこの点に着目していたはずです。張り合わせレンズの凸部自体も非常に分厚く作られており、球面収差を徹底して除去する構造となっています[5]。また、映画用レンズで求められる高い画質基準をクリアするため、口径比は無理のないF2に設定されました。

KMZ PO2-2(KMZ初期型 シリアル番号N0032) 1948年製造, 絞り羽根 16枚, 絞りF2-F32, 重量(カタログ値)345g, フィルター径 45mm, 有効焦点距離75.1mm, 画角22°44', 真鍮鏡胴, 光学系4群6枚(準対称ダブルガウス型), この製品個体の名板にはKMZが1945年から1948年まで使用した古いマーク(台形のマーク)が刻印されています

 
入手経緯
レンズは2017年9月にeBay経由でウクライナのレンズセラーから650ドル(送料込み)で購入しました。オークションの記載は「PO2-2の初期型でコンディションはエクセレント++。絞り羽に油染みはない。ガラスにはわずかにクリーニングマークと気泡がみられるが十分に良好。絞りのコントロールはスムーズでソフトである。レンズはコリメーターでチェックし適正な性能が出ている。フロントキャップ、リアキャップ、純正フードが付属している」とのこと。届いたレンズはガラスに僅かな拭き傷こそ見られましたが、とても良好な状態でした。フランジバックに余裕があるので、私は下の写真に示すとおりライカMマウントとソニーEマウントに改造して使用することにしました。
PO2を入手する場合はもっと後に作られたコーティングの付いたモデルの方が流通量が多く、eBayで50000円前後、国内では80000円前後からの値段で手に入ります。ロシア版アリフレックスのKONVAS(コンバス)に供給されたモデルならマウントアダプター(マウント規格はOCT-18とOCT-19の2種)の市販品が存在し、ミラーレス機や一眼レフカメラ(EOSのAPS-C機)で使用できます。ちなみに、OCT-18はスピゴットマウントでOCT-19はバイヨネットマウントです。現代のデジカメで使うにはOCT-19の方が扱いやすいかもしれません。入手にはeBayをあたってみてください。
Leica Mマウントへの改造例:フードを外した際の重量は505gなのでTECHART LM-EA7に搭載するには1%の重量オーバーですが許容範囲では?。ヘリコイドを少し安いタイプ(M52-M42 25-55mm)に交換するとリミット500gの計量をパスでます。ボクサーみたい


左は改造前のレンズヘッド(純正フードを装着しています)、右はSONY Eマウントへの改造例です




参考文献
[1] Belokon Andrey (Ukraine, Odessa)、AllPhotoLenses, Date of publication: 25.12.2011
[2] PO2-2, PO3-3, PO4-1に関するKMZ(ZENIT)の公式資料: КАТАЛОГ фотообъективов завода № 393 (The catalog of photographic lenses of the plant № 393) 1949年
[3] Luiz Paracampo, LOMO-100 Years of Glory book (2011)
[4] Catalog Objectiv 1970 (GOI): A. F. Yakovlev Catalog,  The objectives: photographic, movie,projection,reproduction, for the magnifying apparatuses  Vol. 1, 1970
[5] レンズ設計のすべて―光学設計の真髄を探る 辻定彦著  電波新聞社
[6] オールドレンズ×美少女 (玄光社MOOK) 上野由日路著 玄光社MOOK
[7] "History of Cooke Lenses" (cooke公式HP)
[8] Speed Panchro Ser.1 米国特許 US Pat.1,955,591
[9] Zenit公式ホームページのAKCシリーズに関する記述
 
撮影テスト
イメージサークルはフルサイズセンサーをジャストサイズでカバーしており、写真の四角が暗くなることもなければ、逆に広すぎるということもありません。ピント部は開放からシャープで十分に解像感があり、スッキリとしたヌケの良い描写です。今回手に入れたモデルはガラス面にコーディングのないノンコートレンズですので、癖のない素直な発色が得られます。ただし、屋外での使用時には条件が悪いとコントラストが低下し発色も淡くなりますので、適切な長さのフードを装着し、フードの内側に植毛紙を張り付けるなど万全なハレ切り対策を施すことをおススメします。コントラストや色ノリは植毛を使わないときに比べ劇的に改善し、この時代のシネレンズらしい濃密な色味を堪能することができます。望遠シネレンズは一般に後玉側にハレーションカッターを装着することでシャープネスやコントラストが著しく改善しますが、今回のレンズにはそこまでは手を加えていません。
背後のボケは距離に依らず素直で柔らかく、綺麗なボケが得られます。グルグルボケが目立つことはありません。逆光時に綺麗なハレーションが出るのも、このレンズならではの特徴でしょう。しかも、派手にハレーションが出ているにも関わらず、画質が大きく破たんすることはありません。とてもロバスト性の高いレンズです。
このレンズはピント面がたいへん薄く、精密なピント合わせには苦労するかもしれません。他の75mm F2クラスのシネレンズと比べると判ることですが、ピントの薄さは群を抜いています[注]。また、背後のボケが大きく見えるのも大きな特徴で、開放から1~2段絞った程度では依然としてボケが深く、絞りの効き具合をあまり実感できません。F8あたりまで深く絞ると絞りの効果が急にわかるようになります。ちょうど凹ウルトロンが似たようなハンドリングのレンズでした。

注:バルター75mm F2, スピードパンクロ(シリーズ2)75mm F2と描写の比較テストをおこないました。バルター75mmやパンクロ75mmには開放で微かなフレアが出ますので、球面収差が少し過剰気味に補正されていることがわかりました。対するPO2-2はボケが大きく柔らかく拡散していることや開放でもピント部にフレアが出ないなど完全補正型レンズの特徴がみられました

F2(開放) sony A7R2(WB:日光)


F2(開放) sony A7R2(WB:日光)


F2.8 sony A7R2(WB:日光)

F2.8 sony A7R2(WB:日光)


F2(開放) sony A7R2(WB:日光)
F2.8  sony A7R2(WB:日光)
F5 sony A7R2(WB:日光) だいぶ絞っているが依然としてよくボケている。絞り値F5は珍しいのではないだろうか
F2.8 SONY A7R2(WB:日陰)
F2(開放) sony A7R2(WB:日光)
F2(開放) sony A7R2(WB:日光)



F2(開放) SONY A7R2(WB:日光) ド逆光でのワンショット。盛大なハレーションが出ているにもかかわらず写真には破綻がない



F2.8 sony A7R2(WB:日光)

F2.8  sony A7R2(WB:日光)




F8 sony A7R2(WB:日光)


F2.8   sony A7R2(WB:日光)











パンクロからのコピーという噂が大きく独り歩きすることの無いよう、最後に釘を刺さなければなりません。この噂が流布しているのは日本国内だけです。PO3-3やPO2-2が戦前のスピードパンクロを原型に開発されたという仮説には何一つエビデンスがありません。しかし、構成図は極めてよく似ており、スピードパンクロを模範とした可能性は充分にあります。ぜひ戦前のガウスタイプのレンズ構成をご自身でも調べてみてください。反例を徹底的に探した人だけが辿り着くことのできる手応えのようなものが得られ、最後には「コレ、よく気付いたな!」と仮説の提唱者に共感することができるはずです。PO3-3がスピードパンクロ50mm(シリーズ1)を手本に開発されたというアイデアには私も賛成です。