おしらせ


2011/05/20

Carl Zeiss Jena Biotar 75mm F1.5 (M42, 2nd model)


戦後に登場した2代目のBiotar 75mm

被写体の背後で渦を巻く
プラナーという名の先祖の呪縛
Carl Zeiss Jena BIOTAR 75mm F1.5

Biotar 75mm F1.5はZeissが戦前の1939年から1969年まで製造していた高速中望遠レンズだ。戦後に2度のモデルチェンジがおこなわれ、戦前のものまで含めると3世代にわたるモデルが存在する。温調のあたたかい発色と収差の効いた物凄いボケ味により、製造から半世紀以上が経過した今も、オールドレンズファンを魅了し続ける個性豊かなレンズとして知られている。光学系の構成は4群6枚のダブルガウス型で、Zeissの技術者のDr. Willy Walter Merte(メルテ博士) [1889--1948]により設計された。MerteはBiotarの他にも数多くのレンズの設計を手掛けている。Biotarには焦点距離の異なる58mmの姉妹品もあり、本ブログの過去のエントリーにおいてもやや詳しく取り上げている。

Biotar 75mmの光学系の断面(トレーススケッチ)。構成は4群6枚ダブルガウス型である。最後部のレンズエレメントを分厚くし正のパワーを稼ぐことで6枚構成のままF1.5の明るさを実現している
Biotarが物凄いボケ癖を備えるに至った経緯には、このレンズの始祖にあたるPlanar(プラナー)の設計思想や、ツァイスの写真描写に対する理念が深く関わっている。ダブルガウス型レンズの原形であるツァイスのPlanar(1896年発明)は名称の由来から分かるように、像面の高い平坦性と画質の均一性を実現するという設計思想から生み出された。しかし、無理な平坦化は非点収差の増大を招き、被写体の背後のあたりに回転する像の流れ(Planarの呪い)を生んでしまったのだ。これがお馴染みのグルグルボケと呼ばれるもので、この種のダブルガウス型レンズにおいて、オールドレンズファンを狂喜させる原因となっている。グルグルボケの影響を緩和するには像面湾曲を僅かに残すという手もあったが、Planarという名の呪縛にとり憑かれたツァイスはBiotarの開発時においてもその手段をとらなかった。像面湾曲があってはPlanar型と呼ぶわけにはゆかず、「ほぼプラナー型」とか「かなりプラナー型」みたいになってしまう。まぁ、それは冗談であるが、要するにBiotarはPlanarの思想を正しく受け継いだ正統な後継製品なのである。
1939年に登場したBiotarの最初のモデルは重量感のある真鍮製クロームメッキ仕上げの鏡胴で、ボディカラーはシルバー、対応マウントはExaktaと旧CONTAXマウント、絞り機構はフルマニュアル(手動絞り)、最小絞り値はF16という構成であった。初期のロットにはガラス面に光の反射防止膜(コーティング)が無く、逆光撮影時にはフレアが豪快に発生していたようである。コーティングが施されるようになったのは戦時中からである。製造本数は僅か1411本と希少性の高い製品であった。
戦後間もなくモデルチェンジが行われ、後継品として18枚もの絞り羽根を持つ豪華な2代目のモデルが登場した。このモデルからは鏡胴にアルミ素材が採用され、軽量化が図られている。また、最小絞りがF22までとれるように変更された。鏡胴にはまるでユダヤ経の燭台のような被写界深度目盛が大きく刻印され、見やすさとデザイン性を上手く融合させた美しい外観を実現している。2代目では対応マウントにM42、Leica(L39)、PRACTINA用が追加され、EXAKTA用、旧CONTAX用までを含め、少なくとも5種のマウントに対応していた。M42マウント用のものは1948年から1954年までの間に合計数2320本が製造されたと記されている。
1950年代中盤に再びモデルチェンジが行われ、後継品となる3代目のBIOTARが登場した。鏡胴の素材は前モデルと同じアルミ合金であるが、3代目ではデザインが大きく変わり、鏡胴径もかなり大きくなっている。カラーバリエーションはシルバーに加えブラック(希少)の2種が用意された。本モデルでは絞り機構がプリセットに変わり、最小絞りがF16に戻っている。また、絞り羽根の構成枚数が10枚と少なくなっている。M42マウント用の品は1954年から1964年の間に3050本が製造された。Zeissの台帳にはExaktaマウント用の製品が1969年まで製造されたと記録されている。実に息の長いモデルだ。
Biotarにはガラス内に気泡がパラパラと含まれている製品個体が多い。これは製造時の品質管理が悪かったからではなく、均質な加工が難しい高性能なガラス硝材を使っていたためだ。悪い気はしないが、できれば気泡は少ない方がいい。
ちなみに、私が今回入手したモデルは派手なデザインを纏った2代目である。
今回入手した2代目のBIOTAR 75mm F1.5で本品はM42マウント用となる。重量(実測) 398g, フィルター径 55mm, 絞り値 F1.5--F22, 最短撮影距離 1m, 絞り羽18枚.対応マウントは少なくともM42, EXAKTA, 旧CONTAX, Leica(L), PRACTINAの5種がある
入手の経緯
本品は2010年のクリスマスにチェコの中古カメラ専門業者のカメラメイトから1068㌦、送料込みの総額1100㌦で購入した。商品は当初、箱付きで1200㌦にて販売されていた。出品者は値段交渉を受け付けていたので1050㌦でどうかと持ちかけたところ、1150㌦なら良いと返してきた。そこで、ここはと強気になって、送料込みで1100㌦ならどうかとカウンターオファーを返してみたところ、しばらく沈黙。こりゃ、他者の手に渡るかなと諦めかけたところ、次の日の夕方に連絡があり、私のレンズとなった。他にも7件程交渉履歴があったようだが、円高パワーの波に乗り、自分が最高額の交渉をしたようである。ちなみにカメラメイトは店のWEBから即決価格で注文する方が1割程度安く購入できる。カメラメイトのカウンターオファーを呑むくらいなら最初から店のWEBで購入するわい。商品の状態は「A+(Like New)/使用感なし」。この状態で、しかもM42マウントの製品はなかなか出てこない。カメラメイトはそこそこ名の通った店だし、何か問題があれば返品対応も確実なので(実は過去に数回返品した経緯がある)、安心して購入することができた。流通している品の多くがEXAKTAマウントで相場は800㌦から1000㌦位である。M42マウントの品は希少性が高いので、本来はもう少し値が張ると思われるが、流通量が少ないので相場は不明だ。

補足:その後、相場はかなり上昇し、2014年10月現在で状態の良いM42マウントのモデルにはebayで1900ドル(20万円程度)の値がついている。


撮影テスト
本品の描写の特徴はオールドツァイスらしい温調な発色と、後方アウトフォーカス部で顕著に発生する名物のグルグルボケだ。これを如何に生かすかが、このレンズを使いこなす際のポイントになる。ピント部には芯がしっかりとあり、フォーカスがスッと合うところは如何にもツァイスらしい。球面収差の補正タイプが完全補正型のようで緻密で結像に甘さは無い。ハロやコマはよく補正されており、開放からスッキリとヌケの良い画質である。階調描写は軟らかく、夕方の海岸などで使用すると実に美しいトーンがでる。ピント面後方のグルグルボケに加え像面の平坦性が高いので、前方では放射ボケが出るはずであるが、今回の撮影結果からは検出できなかった。
私的には、このレンズは高スペック(大口径)すぎて使いづらい印象を持っている。被写体との距離によっては像の破たんが大きく、リアリティに欠ける写真になってしまうからだ。大口径レンズには現実空間の一部を非現実な要素によって置き換える強い力(魔力)があり、そこが最大の魅力なのだが、写真である以上は人に理解できるレベルをキープし越えてはいけないラインの内側にいなければならない。ところが、ビオターはそのラインを簡単に越えてしまう。半分現実、半分非現実くらいならまだ理解(共感)できるが、ビオターで撮ると現実空間の大半を非現実の世界に持ってかれてしまうのだ。このレンズには強い魔物がすんでるのであろう。踏みとどまれるかどうかは使い手の力量にかかっているわけで、開放では被写体との距離が問題になる。撮影の際は被写体から一定の距離を保ち続けなければ、かんたんにとり憑かれてしまうだろう。ビオター75mmは明らかに上級者向けのオールドレンズといえる。
F8 sony A7 digital(AWB)階調は軟らかく、こういうシーンにはとてもいいレンズだ
F1.5(開放) Nikon D3 digital 今度はグルグル花。友人達から「なにこれ!凄い!」と言われ、注目度満点だった
F1.5(開放) sony A7 digital(AWB) この壊れっぷりは、超大口径レンズならではの開放描写だ

F4 Nikon D3 digital (AWB) もともと温調な発色なので白熱灯光源下で撮影すると温かみが更に引き立つ
F1.5(開放) Nikon D3 digital 開放絞りでもピント部は緻密で甘さはなく、高い要求さえなければ充分に実用的な画質だ
F1.5(開放) sony A7 digital(AWB) 開放でも中央は高解像で良く写る
F2 sony A7 digital(AWB) ヌケも良い。でも私的には何か違和感が残る。大口径過ぎるとリアリティが欠け始めるのであろうか・・・

F?  Nikon D3 digital(AWB)  Biotarのボケ味(グルグルボケ)を利用した作例。木の葉の隙間を通ってこちら側に漏れてきた光が、グルグルボケの効果で変形し、木の葉の様な形の浮遊体を生みだしている。オモロイので下に拡大写真も示す
木の葉状の浮遊体を拡大したもの。緑と白は色の相性の良い組合せなので、こういう使い方ができるとわかったのは一つの成果だ。


F1.5(開放) sony A7 digital(AWB) もうピントなんて合わなくったっていい

F1.5 Nikon D3 gidital (AWB)  開放絞りで前方の暗い枝葉をボカしてみた。森の小道を抜けるような作例にしたかったのだが、上手くゆかずにこうなった


F2? sony A7(AWB) 軟らかい階調描写がたいへん美しい

撮影機材
Nikon D3 + Biotar 75mm F1.5
フード: B&W 55mm T メタルフード
 
 Biotarの描写から明らかなように、ツァイスはグルグルボケを深刻化させてまで像面の平坦化に拘った。これはある意味でボケ味を軽視していたか、あるいは全く認識していなかったと思われても仕方のない設計方針であった。かつてのヤシカの技術者はこの点を見逃さなかったようである。
ヤシカは1973年から1974年にかけて、ツァイスとの業務提携に向けた最終交渉を進めていた。ヤシカのエンジニアはツァイスから、MTF特性に基礎を置く新しい設計技法など、最先端の技術を伝授されていた。しかし、それらの大半はピント面の画質に偏重したものであったため、ヤシカのエンジニアは「ボケ味」に対してツァイスがどういう認識を持っているのかと詰め寄ったのだ。ツァイスの側は「ボケ味」という得体のしれない観点に困惑し、苦悶の返答を余儀なくされたと言われている。
この出来事が何故、日本のカメラファンの間で今でも語り継がれているのかと言うと、音楽にしても芸術にしても「余白」や「間」という副産物を虚無として恐れ、原稿用紙には余白を設けないといった欧米文化の人々が、アウトフォーカス部にどれだけ強い認識を持っていたのかを問う、一つの象徴的な出来事だったからである。「ボケ」の英語訳はBokehであり、日本発祥の英単語である事はよく知られている。裏を返せば、それに相当する適切な言葉や表現が欧米文化には生まれなかったわけで、かつて欧州で発展した写真工学においても、「ボケ味」に対する配慮が欠落していたのは極自然なことなのであろう。
現在の写真用レンズは高級品から廉価品にいたるまで、穏やかなボケ味を普通のことであるかのように実現している。幸か不幸かわからないが、Biotarの力強いボケ味は現代のレンズには備わっていない個性豊かな描写特性となってしまったようである。

2011/04/27

トロニエの魔鏡2:不遇の最速レンズ
Leitz Xenon/Summarit 5cm F1.5



Schneider社が1932年に開発したLeitz Xenon 5cm F1.5(写真・上)。稀代の名設計士A.W. Tronnier (トロニエ博士)が世に送り出した2作目のガウス型レンズであり、1936年のレンズの発表当時で写真用レンズとしては最も明るいF1.5を実現していた。下の写真は後継製品として1949年に登場したLeitz Summarit 5cm F1.5である。



トロニエの魔鏡2
不遇の最速レンズ
Leitz XENON 5cm F1.5 and SUMMARIT 5cm F1.5 
1923年にErnemann(エルネマン)社のL.J.Bertele(ベルテレ)とA.Klughardt(クルーグハルト)が発明したErnostar(エルノスター)は世界最高速のレンズとして登場し、光学機器メーカーの各社に衝撃を与えた。1925年に映画用として登場したErnostarは何と開放絞りがF1.0と圧倒的な明るさを誇り、写真用レンズとしても1929年に実用的な画角を40度まで広げたF1.6のモデルが登場、さらにErnostarを大幅に改良した新型レンズのSonnar(ゾナー)F2を発表するなど、1930年代に起こる大口径レンズの開発競争に拍車を掛ける大きな出来事が起こっていた。1926年にErnemann社はBerteleもろともZeiss-Ikon(ツァイス・イコン)社の設立母体としてCarl Zeiss財団に吸収されている。Ernemannの技術を手中に収めたCarl Zeissが自社のカメラに超大口径レンズを搭載する日もそう遠くはなかった。Schneider(シュナイダー)社の首脳陣もこの事態を軽視するわけにはゆかず、1925年にXenon F2を開発したTronnier博士の設計チームに対抗製品となる新型レンズの開発を要請したのである。この新型レンズとは紛れもなく後のSummarit (ズマリット) 5cm F1.5へと改称されるガウス型レンズのLeitz Xenon (クセノン) 5cm F1.5である。
ガウス型レンズは高い収差補正能力を持つ反面、空気境界面の少ないErnostarやSonnarに対し、コントラストで不利な立場にあった。かつて、ガウス型レンズのOpic(1920年Taylor-Hobson社) がErnostarとのシェア争いに敗れ滅んだ経緯を繰り返さないためにはレンズの構成枚数を抑え、口径比でErnostarやSonnarを超える世界最高速の写真用レンズを開発する必要があり、Tronnierの設計チームはこのテーマに全知全能で取り組んだのである。
Schneider社の若いレンズ設計者A.W.Tronnier
の想像図.イラストレーター・Achaさんのスケッチ
Carl Zeissが発表したSonnar F2は3群6枚(9面構成)という驚異的な設計構成を持つレンズであった。それは、8面構成のErnostarよりも収差の補正効果を高めながら、空気とガラスの境界面を減らすことで、本来トレードオフの関係にあるコントラストと解像力の向上を同時に実現してしまったのである。Schneiderの首脳陣はSonnarの口径比が軽くF2を超えてしまったことに相当なプレッシャーを受ていたようである。首脳陣がTronnierに提示した当初の開発方針は6枚のレンズ構成で口径比F1.5を実現するという無理難題であった。仮にこの構成で明るいF1.5のレンズを実現したいならレンズエレメントを肉厚に設計し、かつ屈折面のカーブ(曲率)を大きくすることになるが、各エレメントからは大きな収差が発生する。6枚のレンズ構成では実用的な性能を得ることなど到底困難であり、後に開発方針は7枚の構成(5群7枚・12面)で屈折面のカーブを緩めるアプローチへと見直されている。
新型Xenonは構想から3年の時を経てついに完成した。ErnostarやSonnarに触発されることで生まれた無茶な経緯からも、このレンズの開発はTronnierがそれまで経験したことの無い、極めて難易度の高いミッションとなった。Berteleの発明したSonnarは設計開発に3200ページにも渡る膨大な量の光線追跡計算を要したが、TronnierのXenonは構成面がSonnarより更に2面も多かったのである。Tronnierは収差を徹底的にキャンセルする光学計算を日夜繰り返し、膨大な労力を費やすことで、製品として成立するギリギリの瀬戸際を見極めたのだろう。こうして1932年に完成した新型Xenonは、ダブルガウス型レンズとしては未踏のF1.5の明るさを実現することに成功したのだ。ところが、そこには口径比をF1.5まで高めたZeiss-Ikon社の新型Sonnarが立ちはだかっていたのである。
新型Sonnarの華々しいデビューによって、Xenon F1.5は活躍の機会を奪われてしまった。ようやく量産される機会を掴んだのは発表から4年後の事である。Sonnarを搭載したCONTAXへの対抗心に燃えるライバルのErnst Leitz(エルンスト・ライツ)社がLeica IIIaに搭載する大口径レンズとして、Xenonを指名したのである。こうして、Xenonは1936年からLeitzへのライセンス供給という形で世に出ることになった。しかし、Sonnarとの勝負は最初から見えており、あまり売れることはなかった[注1]。大口径ガウス型レンズがゾナー型レンズに対し、対等の立場を築くには、コーティング技術の普及と新種ガラスの登場が不可欠であり、当時はまだ機が熟していなかったの
左はLeitz Xenon 5cm F1.5(1932年設計/1936年登場)で右はLeitz Summarit 5cm F1.5(1949年登場)。両者を見比べると前群の各エレメントの厚みや曲率に改良のあとがみられ、Summaritの方が第2群が薄く、曲率(カーブ)も小さめに設計されている。レンズ構成は5群7枚であり、4群6枚のスタンダードなダブルガウスタイプの構成の後部に正の凸レンズを一枚追加し、屈折力(パワー)を補強することでF1.5の明るさを実現している






Leitz Xenon 5cm F1.5:フィルター径 41mm, 最短撮影距離 1m, 絞り値(大陸絞り) F1.5 /F1.6 /F2.2 /F3.2 /F4.5 /F6.3 /F9, 重量(実測) 276g, 絞り羽の枚数 6枚, 製造期間 1936-1950, 対応マウントはLeica L,  本品はシリアル番号426495から1938年製の後期モデルである。各エレメントには薄いブルーのコーティングが入っている。ちなみに前期モデル(1936-1937年製造)はノンコートでピントリングまわりのギザギザが2本(後期型は3本)となっている。レンズ名の由来は原子番号54のキセノン原子、あるいはこの原子の語源となったギリシャ語の「未知の」を意味するXenosと言われている

Leitz Summarit 5cm F1.5:フィルター径 41mm, 最短撮影距離 1m, 絞り値 F1.5-F16, 重量(実測) 320g, 絞り羽の枚数 15枚, 製造期間 1949-1957, 製造年1956年 , 製造本数 69000, 対応マウントはLeica L/Mの2種のみで本品はLeica M。レンズ名はラテン語の「最高の」を意味するSummaを由来としている
Leitz Xenonには1936年~1937年頃に生産された前期モデルと1938年から1950年まで生産された後期モデルがある。前期モデルはピントリングに滑り止めのギザギザが2本ありガラスはノンコート、後期モデルはギザギザが3本となり一部コーティングの施されたモデルが存在している。今回紹介する製品個体は1938年に製造された後期モデルで、硝子表面には薄いブルー系のコーティングが施されている。1949年になると光学系の一部に新種ガラスが導入され、絞り羽を閉じた際の開口部がより真円に近い形状になった。名称はXenonからSummaritへと変更されている。Xenonからの名称変更はSchneiderの保有していた特許が切れ、ライセンス契約が不要になったためと言われている。Summaritの初期モデルはXenonと同一設計であるという説もあり、Summaritの製品個体を丹念に調べて行くと、ある時期を境にしてコーティング色が変化していると言われている。また、Xenonのシリアル番号帯が刻印されたSummaritも存在するそうである(世界のライカレンズpart 4参照)。事実ならばXenonとSummaritの初期ロットは全く同一製品であり、ブランド名のリニューアルは設計の変更と無関係だったということになる。この部分には慎重な検証が必要である。なお、Summaritは一部にカナダのMidlandで製造された個体があり、そちらはフィルター枠にErnst Leitz Canada Ldt. Midlandと記されている。

注1・・・Xenon F1.5がシュナイダー社のカタログに初めて登場したのは1935年である。ただし、製造台帳を見る限り、レンズが生産されたのは1936年から1950年までである。総生産数は6190本という説を本やWEBなどで多く見かけるが、シュナイダーの台帳で数えると戦前(1936-1939年)だけで6505本が製造されたことになっている。開戦中は生産ラインがストップしていたが、1943年から生産を再開。ただし、多くても年間トータルで50本止まりの出荷数であった。一方、ライツの台帳によるとSummarit(1949-1957)はその10倍以上の69000本が製造されている。
 

レンズの入手
Leitz Xenonは2015年9月にヤフオクを介し練馬のスマートカメラから送料込みの即決価格60000円で落札購入した。状態の良い個体をリーズナブルな値段で入手するのに時間がかかり、トロニエの魔鏡シリーズは4年もストップしてしまった。でも、悪いことばかりではない。その間にSony A7が発売され、フルサイズセンサーでこのレンズの良さを充分に堪能できる時代が到来している。オークションにおける商品の解説は「超美品。目立つような傷はなくクモリも無い。コンディションは大変良好。絞りの開閉やピント機能も良好でヘリコイドはスムーズ。状態の良いXenonは少なくなってきているのでお見逃しなく」とのこと。リアキャップが付属していた。このレンズはガラス硝材がやわらかいようで、中古市場に出回っている個体は硝子表面にパラパラとキズのあるものが多い。生産数も少ないうえクモリの発生している個体も多いため、状態の良いレンズを見つけだすのは至難の業である。半信半疑で購入してみたところ届いた個体は前玉裏側の周辺部にメンテ液の拭き残しによる小さな汚れがあるのみで、かなり良好な状態であった。eBayでの中古相場はクモリのない個体で80000円~100000円程度で、キズがなく綺麗なら150000円程度で取引されている。届いた製品個体には薄いブルーのコーティングがあった。絞り指標が今とは異なり1.6, 2.2, 3.2, 4.5, 6.3, 9と変則的で、大昔の「大陸絞り」と呼ばれる面白い規格になっている。
Summaritの方は2011年2月にヤフオクを介して札幌の写真機店から落札購入した。このレンズもガラスがやわらかく痛みやすいようで、中古市場に出回っている個体のほぼ大半にクモリが発生している。前玉にパラパラと傷のある品が多く、状態の良いレンズを入手するのはやはり至難の業だ。私は最初からクモリ入りのレンズを安く入手し修理して使うつもりでいた。入手したレンズに対するオークション出品者の解説は「中玉に薄っすらとクモリのあるレンズ。カビや傷はなく、ヘリコイドリングの回転トルクは適正。状態の良い実用品はいかがでしょうか」とのこと。写真を見る限り外観は新品に近い優れた状態で、何よりも傷が無いとのことなので即購入を決めた。入札締め切り10秒前にに35000円でスナイプ入札を試みたところ、私以外には誰も入札しなかったため、出品時の最低価格32000円で手に入れることができた。届いた商品は確かに中玉1面に薄っすらとしたクモリがあり、撮影結果は白っぽかった。オークションの記述にはなかった軽度の小さく薄い傷が前玉に1つあったが、実写への影響は全く心配ないので、これで妥協することにした。ヤフオクでの国内中古相場は状態の良いもので60000円前後、ガラスにクモリや傷のある品では30000円前後となっている。本品は国内中古市場よりも海外市場の方が高値で取引されているようだ。eBayでは状態の良いものに1000ドルを超える値がつく。最近もアクセサリー付の新品同様品が2000ドルという高値で落札されていた。さて、レンズの方は後日メンテナンスに出したところ、クリーニングのみで綺麗になり素晴らしい状態で帰ってきた。傷も前玉周辺部に見られた前述の1本だけで他には拭き傷すらない。ズマリットとしては奇跡のコンディションである。
  
撮影テスト
XenonにせよSummaritにせよ、クモリや傷などガラスの表面に深刻なダメージを抱えている個体が多く、それが原因で描写に対する世評はあまり高くない。しかし、本来は性質の良いレンズであり、状態のよい個体には驚くほどの優れた描写力が備わっている。
大きな特徴としては、絞りを大きく開けた時に発生する美しいコマフレアと軟らかくなだらかな階調表現である。フレアが特に美しいのはピント部から僅かに外れた領域で、ハイライト部が薄い絹のようなベールを纏う。ただし、ピント部にはしっかりと解像力があるので精確に合焦させれば開放絞りでも緻密な結像が得られる。柔らかさの中に緻密さがあり、線の細い繊細で美しい描写を楽しむことができる。
一方、深く絞り込んでゆくとコマフレアが消失しシャープな描写へと豹変する。F2.2~F2.8あたりまで絞るとフレアは消失し、ピント面はスッキリとヌケの良い画質でコントラストや発色は良好になる。またアウトフォーカス部の像も良く整い、ややコマフレアを残存させた穏やかで安定感のあるボケ味となる。F4-F8まで絞るとアウトフォーカス部のコマも消滅しコントラストは更に向上、シャープネスな像が得られる。ただし、中間階調は依然として豊富で、なだらかなトーン変化による丁寧な質感表現が可能である。
ボケは開放でやや硬く、ポートレート域では背景がザワザワと煩くなることがあり2線ボケも出るが、近接域では球面収差の補正がアンダーに変化するため背後のボケ味は柔らかくなる。
注意しなければならない点はハレーション・コントロールとグルグルボケである。特にXenonは逆光に敏感で階調の安定性が弱く、条件が厳しいとコントラストが過度に下がり発色が濁り始める。コントラストの低下自体はライトなトーン描写を実現するための写真表現としてむしろ歓迎できるが、発色の濁りは軽やかなライトトーンと折り合わない事が多い。ただし、F2.2まで一段分絞れば解消される。この点についてはSummaritの方がハレーションに対する耐性が高く、ちょっとやそっとの逆光でも鮮やかな発色を維持でき、開放から写真として破たんのない安定した結果を吐く。また、この時代のダブルガウスレンズには、ほぼ例外なくグルグルボケが顕著に発生する。今回取り上げるXenonとSummaritも例外ではない。レンズの非点収差曲線を見る限りでは、F2よりも深く絞れば目立たないレベルにまで改善し、F2.8まで絞ればボケ味は常に穏やかで素直になる。もちろん効果的に使う分には全く問題ではない。


Leitz Xenon 5cm F1.5+ Sony A7
娘の七五三。アンティーク着物の晴れ着姿をトロニエ設計のLeitz Xenonで撮る・・・。なんて贅沢なことであろう。それにしても、Leitz Xenonは品のある開放描写で本当に良いレンズだ。
XENON @F1.5(開放), Sony A7(AWB):あらら。開放なのに、これは凄い・・・。予想以上の美しく繊細な開放描写である。緻密なピント部を薄い絹のベールのようなコマフレアが覆っている。ライバルのゾナーとは求める描写理念が全く異なる印象をうける。背後のボケ味はかなり特徴的である

XENON @F1.5(開放), Sony A7(AWB): 解像力は充分。素晴らしいレンズだ。前ボケは柔らかく拡散しフレアを纏っている
XENON @F2.2, Sony A7(AWB): ため息が出る。1938年にここまで凄いレンズが登場していた事が驚きなのである。少し絞ればボケは安定しグルグルボケは目立たなくなる

XENON @F1.5(開放), Sony A7(AWB):開放F1.5を積極的につかうべし!。しっとりとした質感を見事に表現できる。線の細い描写だ
XENON @F1.5(開放), Sony A7(AWB): こんどは低めのポジションから逆光を入れ、ハレーションを強めに加える。コマフレアとハレーションで辺りはモヤにつつまれて真っ白に。しかし、ちゃんと写真として成立しているところに、このレンズの懐の深さを感じる
XENON @F2.2, Sony A7(AWB):微妙な光の変化にも対応している
XENON @F3.2, Sony A7(AWB):絞るとコントラストが上がり発色も鮮やかになる。写りは現代的だ

 銀塩撮影
Camera  Bessa-T(Voigtlander by COSINA)
銀塩カラーネガFILM  AGFA VISTA PLUS 200 / KODAK GOLD 200 
XENON @F2.2, 銀塩ネガ(Agfa Vista plus 200): Agfaのフィルムとの相性はとてもいいみたいだ。少し絞ればコントラストは良好である
XENON @F2.2, 銀塩ネガ(Agfa Vista plus 200):
XENON @F3.2, 銀塩ネガ(Agfa Vista plus 200):

XENON @F1.5(開放), 銀塩ネガ(Kodak Gold 200): 開放ではコントラストが少し落ちるが許容範囲だ





Leitz Summarit 5cm F1.5+ Sony NEX-5
Xenonよりもコントラストは良好で発色も鮮やか。フレアの発生レベルはXenonよりも控えめだが、開放ではしっかりと出るので、ハイキーでとると美しい開放描写が得られる。ハレーションはXenonよりも出にくく逆光時でも発色が濁りにくい。作例を撮りためていた2011年頃はまだフルサイズセンサーのデジカメが登場していなかったのでAPS-C機での作例のみとなっている。いずれ機会があればレンズを買い戻し、本来の画角でレンズの写りを堪能してみたいと思う。
 
SUMMARIT@ F2.8, NEX-5 digital(AWB), ピント面の結像は緻密でコントラストも良好、階調変化はなだらかで心地よい。よいレンズではないか!
SUMMARIT @F1.5(開放), NEX-5 digital(AWB),  開放絞りでもピント部にはしっかりと芯があり、髪の毛の一本一本をきっちりと捉えている。解像力のある緻密な描写だ。衣服や頬の辺り(近フォーカス域)には極薄いコマフレアが発生し、美しい写真効果が得られている
SUMMARIT@F1.5 (開放), NEX-5 digital(AWB)  この時代のダブルガウス型レンズは、どれも力強いグルグルボケが出る。このレンズも例外ではない。ただし、F2まで絞ればかなり抑制され素直なボケになる。色のりは開放絞りから大変良好で力強い。F1.5の開放絞りでここまで緻密な描写なのだから、このレンズは大したものだ
ひとつ前の写真の一部を拡大したもの。ハイライト部の白髪が綺麗に滲んでいる。ちなみに被写体はいつもの婆ちゃん。今度、お茶をご馳走してくれることになった
SUMMARIT@F1.5 (開放), NEX-5 digital (AWB) Summaritはハイライト部の階調表現には粘りがないのか、屋外での撮影時には白トビを起こすことがしばしばあった。光を効果的に暴れさせるための表現だと思い、元気良く活用することをおすすめしたい
トロニエの前には、またしても巨人Carl Zeissが立ちはだかっていた。新型Xenonを生み出した彼の技術力が既に当時の世界最高水準に達していたことは、誇り高きライツがシュナイダーにライセンス契約を持ち掛けたことからも明らかであった。しかし、ベルテレの技術力は更にその上をゆくものであった。Sonnarという画期的なレンズを世に送り出した天才設計者ベルテレは後世にその名を轟かせることになる。この形勢を変えるには、それまでの正攻法な設計思想を捨て、常識に囚われない独創的なアイデアをもってレンズ設計に取り組む必要があった。
やがて、第二次世界大戦が勃発し、光学機器メーカーは生産活動をストップ。ドイツは敗戦しCarl Zeissは東西両ドイツの双方に分断されてしまう。戦時中のトロニエは写真用レンズの開発から離れ、ゲッチンゲンの子会社(ISCO)で航空偵察機用レンズや双眼鏡、照準器用の広角アイピースなど軍需品の生産を指揮していたと言われている。終戦間際の1944年にSchneider社を離れフリーとなり、Voigtländer(フォクトレンダー)社と契約を結んでいる。この間のブランクで彼はそれまでの写真レンズの描写設計に欠けていた新しい着想を得ることになる。トロニエは1947年にXenonとは設計の異なる超大口径レンズNokton (ノクトン)を発表[Noktonのスイス特許(1947)]、新型レンズでCarl Zeissに巻き返しを図るのである。

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謝辞
シリーズ1・2を作成するにあたり
ブリコラージュ工房NOCTOのスタッフ皆様方
台湾のCAPSさんから
多大なるご協力をいただきました。
深く御礼申し上げます。