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2014/10/23

Goerz Berlin DAGOR(ダゴール) 60mm F6.8 Rev.2

Dagorは古いデンマーク貴族の出身で27歳の数学者Emil von Hoegh(エミール・フォン・フーフ)[1865--1915]が1892年に設計した対称型レンズ(ダブル・アナスチグマート)である。HoeghはレンズのアイデアをGoerz社に売り込み、アイデアを採用したGoerzは翌1893年にDoppel-Anastigmat Series IIIの名称でレンズを発売している。このレンズは高性能だったので発売直後から飛ぶように売れ、現在に至るまで累計数十万本が出荷されたと推測されている。Dagorの大ヒットでGoerz社はドイツ最大級の大手光学機器メーカーへと大躍進を遂げている

ダゴール実写テスト Part 2
Goerz DAGOR 60mm F6.8

前エントリーで取り上げたDoppel-Protar(シリーズ7)はGoerz(ゲルツ)社の傑作レンズDagor (ダゴール)に対抗するためCarl Zeissが総力をあげて開発したレンズである。次回はいよいよDoppel-Protarを大判カメラでテストするが、その前にライバルのDagorにどれだけの実力が備わっていたのかを見ておきたくなった。いいタイミングなので焦点距離60mmのDagorを取り寄せ、デジタル撮影と銀塩フィルム撮影の双方からレンズの実写テストを行うことにした。Dagor 60mmは推奨イメージフォーマットが40mmのモデルに次いで小さく、カタログスペックによると35mm判よりやや大きく中判6x4.5未満となっている。フルサイズ機で用いるには、理想に近いモデルである。なお、Dagorについての詳細は本blogで過去にも取り上げているので、詳しくはそちらをご覧いただきたい。記事へのリンクはこちら
構成は2群6枚の対称型である。発売当時はF7.7であったが後に口径を広げF6.8とした。これ以上明るくはできないものの球面収差と色収差をきわめて良好に補正し、コマ収差、非点収差、歪みも良好に補正できるなど、欠点の少ないレンズである
Sony A7へのマウントにはM42-Sony EカメラマウントとM42ヘリコイドチューブ(25-55mm)を用いている。レンズに適合するフード(20mm径前後)が見当たらないので、北方屋のエルマー専用フード(19mm径)に簡単な細工をして用いている
入手の経緯
レンズは2014年9月にeBayを介し米国のコレクターから落札購入した。売り手には過去に4045件の取引履歴があり、落札者評価は100%ポジティブと優れたスコアがついていた。商品の解説は「レアなゲルツ・ダゴール60mm F6.8(グラフィック用シャッター)ボード付き」との触れ込みで「グレートプライスで出品している。優れた広角レンズであり、シャープネス、コントラスト、色再現性においてローデンストックのアポ・ロナーに匹敵する性能である。包括イメージフォーマットは大判4x5inchにギリギリ届かず、無限遠撮影時には四隅がケラれる。レンズの状態は素晴らしく、絞りの開閉はスムーズ、シャッターは全速正しく切れている。入手困難な小さな木箱(オリジナル)と2.5インチのグラフィック用ボードが付属している。この焦点距離のDAGORは滅多なことでは市場に出てこないのでお見逃し無く!」とのことである。これ以外に更に自己紹介があり、ついでに読んでみると「私は売買暦15年のコレクターで、これまで様々な撮影用機材を幅広く扱ってきた。専門は古い大判撮影用品である。一つ一つ丁寧に清掃し、私の経験と能力を最大限活かしたオークションの記述を心がけている。もし商品に満足しなかったり、あるいは記述との相違があるならば返品に応じる(到着から14日以内)。」とのことである。商品は当初350ドルの即決価格+送料45ドルで売り出されていた。値切り交渉を受け付けていたので、送料の分に相当する45ドル安くして欲しいと持ちかけたところOKとの返答。総額350ドルで私のものとなった。5日後に届いたレンズをチェックするとガラスの表面に油脂の汚れや指紋がタップリと付着しており、一瞬クモリがあるのではと不安になったが、丁寧に清掃したところガラスに問題は無く、拭き傷すらない極上品であった。
Goerz Dagor 60mm F6.8: 絞り羽 5 枚, フィルター径 20mm前後, 構成 2群6枚Dagor型, シリアルナンバー 766834(1945-1948年Goerz America製),  推奨イメージフォーマットは36mmx54mmで35mm判より大きく中判6x4.5未満[参考:Goerz American 1951 Catalog], Kodamaticシャッターに搭載, ステップアップリングとM42リバースリングを用いてマウント部をM42ネジに変換した



撮影テスト
設計は古いが銘玉と賞賛されてきただけのことはあり、やはりとんでもなく良く写るレンズである。階調描写はとてもなだらかで濃淡の微妙な変化をしっかりと捉え、とても雰囲気のある写真に仕上がる。ノンコートレンズであることを考慮し逆光時はハレーションの発生量に注意しなければならないが、うまく使いこなせればスッキリとヌケが良く、濁りの無い軽やかな発色である。収差的には大変優れており、開放でもハロや色にじみは全くみられず、コマも良好に補正されコントラストは良好である。35mm判カメラで使用する場合の解像力は私が過去にテストした焦点距離90mmや120mmのモデルよりも明らかに高く、緻密な描写表現が可能である。ただし、これは90mmや120mmのモデルが性能的に劣るという事ではなく、これらのレンズはより広いイメージサークルで最適な画質が得られるよう中央の解像力を落としても四隅の画質を重視しているからであり、大きなフィルムで用いれば60mmのモデルと同等の描写性能となっている。ボケは距離によらずよく整っておりグルグルボケや放射ボケなど像の乱れは全くみられない。逆光に弱いことと開放F値が暗いことを除けば、短所らしい短所の見当たらない大変優れたレンズである。

撮影機材
デジタル撮影 SONY A7
フィルム撮影(銀塩カラーネガ)FujiFilm Super X-tra400, Kodak Ultramax 400



F6.8(開放), sony A7(AWB): 階調はなだらかで濃淡の微妙な変化をしっかりと捉え、雰囲気のある写真になっている

F6.8(開放), sony A7(AWB):開放でもコマやハロはみられず、コントラストも良好。とてもいいレンズだ!!


F6.8(開放), Sony A7(AWB): 解像力は開放でもかなり高く、後ボケは四隅までたいへんよく整っている
F6.8(開放), 銀塩撮影(Fujicolor X-Tra400): 今度はフィルム撮影。やはりしっかり写る


F6.8(開放), 銀塩撮影(Kodak Ultramax 400): コントラストは良好。スッキリとヌケがよい写りだ
F6.8(開放), 銀塩撮影(Kodak Ultramax 400): うーん・・・。このレンズにコーティングは不要なのだろうか

やはり予感は的中した。焦点距離の短いDagorは35mm判カメラとの相性が良く、結像性能は良好で階調性能にも安定感がある。メーカーの推奨イメージフォーマットを守ることがどれだけ大事であるのかを強く実感することができた。機会があればフルサイズセンサーにジャストサイズのDagor 40mmもテストしてみたいのだが、このモデルは更に希少性が高く、中古市場に出回ることはまず無いと思われる。
日本にはDagorに心酔し、このレンズを数百本も収集しているコレクターがいると聞く。Dagorには人を惑わす何か特別な魅力があるのだろう。今回の実写テストを通して、このレンズに備わった素晴らしい性質の一端を垣間見ることができた。

2013/02/28

Boyer paris Beryl 90mm F6.8 and Saphir 《B》 100mm F4.5

 
パリを拠点に戦前から活躍していたレンズメーカーのBOYER(ポワイエ)社。同社の生産したレンズには宝石や鉱物の名が当てられることが多く、Saphir(サファイア/蒼玉)、Topaz(トパーズ/黄玉)、Perl(パール/真珠)、Beryl(ベリル/緑柱石)、Emeraude(エメラルド)、Rubis(ルビー)、Jade(ジェード/ひすい)、Zircon(ジルコン/ヒヤシンス鉱)、Opale(オパール)、Corail(サンゴ)、Onyx(カルセドニー)などがある。レンズを設計していたのはSuzanne Lévy-Bloch(スザンヌ・レビ-・ブロッホ) という名の女性エンジニアである。フランス!、宝石!!、女性設計士!!!。気分がワクワクと高揚してしまうのは私だけであろうか?

パリで生まれた宝石レンズ達
Boyer Beryl and Saphir 《B》

Boyer(ポワイエ)社は1895年にAntoinr Boyer(アントワーヌ・ポワイエ)という人物がフランスのパリに設立したレンズメーカーである。設立当初は従業員4名の小規模な会社であったが1925年に転機が訪れる。創業者のAndré Boyerが死去し、会社の経営権が息子のMarcel Boyer(マルセル・ポワイエ)に引き継がれたのである。ところがMarcelは経営を嫌がり、直ぐにBaille-Lemaire社・写真部門のチーフマネージャーAndré Lévy (アンドレ・レビー) [1890-1965]に会社を売却してしまった(1925年)。そして、新たな経営者となったAndréの妻こそが、その後40年に渡りBoyer社の主任レンズ設計士となるSuzanne(スザンヌ)その人である。
   Boyer社が生産したレンズは一般撮影用(スチル用/シネ用)をはじめ、写真製版用、引き伸ばし用(印画用)、複写用、プロジェクター用、オシロスコープ記録用、航空撮影用など多岐にわたる。レンズの設計構成もダブルガウス型、テッサー型、トリプレット型に加え、ペッツバール型、ダゴール型、プラズマート型、トポゴン・メトロゴン型、ヘリアー型などマニア心をくすぐるものが揃い、設計士Suzanneの趣味の広さを知ることができる・・・。いや、単に天真爛漫なうえ夫が経営者なので好き勝手し放題だったのかもしれない。きっとそうだ。

女性設計士Suzanne
Suzanne Lévy-Bloch(スザンヌ・レビ-・ブロッホ) [1894-1974]はパリで活動していたアルザス人建築家Paul Bloch(ポール・ブロッホ)の娘である。彼女は数学で学位を取り、シネマスコープの発明者として名高い天文学者Henri Chrétien(アンリ・クレティアン)に師事した。ちなみにP.Angenieux(ピエール・アンジェニュー)もHenriに師事したかつての同門生である。彼女はその後、Henriが創設に協力したパリの光学研究院(Institut d'optique théorique et appliquée)のエンジニアとなっている。夫のAndréが1925年にBoyer社を買い取り経営者につくと31歳で同社の設計士となり、その後はAndréと死別する1965年まで数多くのレンズ設計を手掛けている。彼女の孫娘Isabelle Lévy(イザベル・レビー)はSuzanneがフランスで最初の女性光学エンジニアであったと確信している。Isabelleは彼女の祖父母達(AndréとSuzanne)のことを回想し、祖父Andréは会社の経営、祖母Suzanneはレンズの設計に専念しながらも、2人が一体となって事業に取り組んでいたと述べている。Suzanneは会社にとって欠かせない存在でありながら、同時にLévy家の母として家事・育児をこなしていたわけだ。おそらくAndréはSuzanneの尻に敷かれていたに違いない。マニア心をくすぐるBoyer社のレンズ達は、こうした夫婦間の力関係によって生み出されたのではないだろうか。なお、1965年に経営者Andréが死去すると会社の運営は長男のRobert Lévy(ロバート・レビー)が引き継いでいる。

BOYER社のその後
1965年にBoyer社の経営はLévy家の長男Robertの手に引き継がれるが、会社は間もなく経営危機に陥り1970年代初頭に倒産している。ヨーロッパの写真工業は60年代から70年代にかけて衰退の一途を辿っており、Boyer社もその例外ではなかったのだ。倒産後、会社はいったん閉鎖されるが、その後フランスの光学機器メーカーCEDIS(セデス)社のオーナーM. Kiritsisによって買収され、レンズの生産はCEDIS-BOYER社のブランドとして復活する。Kiritsisという人物はBoyer社買収の数年前まで存続していた光学機器メーカーRoussel(ラッセル)社の前オーナーでもあった。CEDIS-BOYER社レンズの設計と組み立ての最終工程のみを行う事業規模の小さな会社であり、レンズエレメントなどの外注部品の製造はBoyer社時代の人脈に頼っていた。同社はその後10年間存続し、オーナーのKiritsisが死去した後、1982年に閉鎖されている。

Beryl 90mm F6.8: 重量(実測) 91g, 絞り羽 12枚, 絞り値 F6.8-F32, フィルター径 19mm, マウント M39/L39, レンズ構成 2群6枚(Dagor型), 真鍮製バーレルレンズ

Saphir 《B》 100mm F4.5: 重量(実測)210g, 絞り羽 18枚,絞り値 F4.5-F22, 構成4群6枚(Plasmat型),フィルター径 36mm, M39/L39マウント, 真鍮製バーレルレンズ。戦前の古いBoyer製レンズによくみられる鏡胴内の黒いコバの劣化が本レンズにもみられる。海外のマニア層の間では最近この現象をBoyeritisと呼び始めている(Schneideritisにかけた造語)
今回、私が入手したレンズはBOYER社の中でも比較的レアなモデルと言われるDAGORタイプ(2群6枚)のBERYL(ベリル) 90mm F6.8と、比較的入手しやすいPLASMATタイプ(4群6枚)のSAPHIR(サファイア) 《B》 100mm F4.5である。Boyer社のレンズはその大半が特許期限の切れた他社のレンズ構成を模範とする再設計品であり、Beryl 90mm F6.8も前エントリーで取り上げたGoerz社のDagor 90mm F6.8をお手本にSuzanneの手で再設計された改良レンズである。デットコピーではないと言い切れるのはBeryl 90mmのバックフォーカスがDagor 90mmのそれとはかなり異なるからである。また、Dagorは絞りに対する焦点移動(フォーカスシフト)がたいへん大きなレンズであるが、Berylではこの点がかなり改善されているという報告もあり、絞り込んで撮影する場合にも開放でピント合わせができるよう改良されている。Berylは色収差の補正が非常に優れているという報告もある。 レンズの名称はベリリウムを含む六角柱状の鉱物「緑柱石」から来ており、宝石のエメラルドはその一種として有名である。第二次世界大戦前の1939年までに少なくとも6種類のノンコート・モデル(焦点距離50mm, 85mm, 110mm, 135mm, 180mm, 210mm)が発売され、戦後になってからは1970年代に少なくとも11種類のモデル(85mm, 90mm, 100mm, 110mm, 135mm, 180mm, 210mm, 240mm, 250mm, 305mm, 355mm)が発売された。いずれもDagorと同じF6.8の口径比を持ち、前群を外した状態において後群のみで撮影することもできる。この場合には焦点距離が約2倍、開放絞り値はF13となる。なお、同社のレンズは1947年以降の製造ロットからガラス面にコーティングが施されるようになっている。Berylの姉妹レンズとしては近接撮影用に設計されたと思われる用途不明のBeryl S F7.7と、リプログラフィック用レンズとして供給されたEmeraude(エメラルド)F6.8があり、いずれも構成はDagorタイプである。Berylにはシンクロコンパーシャッターを搭載した製品個体もあるため、一般撮影用に設計されモデルなのであろう。
一方のSAPHIR 《B》は4群6枚の構成を持つPlasmat(プラズマート)型(空気層入りの変形DAGORともとれる)の引き伸ばし用レンズである。このタイプの構成も人気があり、光学機器メーカーの各社からレンズが供給されていた。良く知られたものとしてはSchneider社Compononがある。設計特許としては1903年にSchultz and Biller-beck社のE.Arbeitが開示したEuryplan(オイリプラン)が最初のようである。ちなみにSchultz and Biller-beck社は後にHugo Meyer社に買収され、Euryplanの設計特許はHugo Meyer社のルドルフ博士の手によってPlasmatの開発に再利用されている。レンズの名称はもちろん宝石のサファイアである。SaphirはBoyer社が最も好んで多用した宝石名であり、この名称を持つレンズのみGauss型、Tessar型、Plasmat型など光学系の構成が多岐にわたる。今回入手したレンズ名の末尾に《B》の記号がついているのは、TessarタイプのSaphirと識別するためであろう。《B》の表記があるものがPlasmat型で、無表記のものがTessar型またはGauss型となっている。引き伸ばし用レンズを意味しているわけでないことはTessarタイプのSaphirにも引き伸ばし用レンズが存在することから明らかである。第二次世界大戦前の1939年までに少なくとも6種類のノンコート・モデル(焦点距離85mm, 100mm, 110mm, 120mm, 135mm, 210mm)がF4.5の口径比で発売され、戦後は1970年代に口径比F3.5を持つ少なくとも9種類のモデル(焦点距離25mm, 35mm, 50mm, 60mm, 65mm, 75mm, 80mm, 85mm, 95mm)と、口径比F4.5を持つ少なくとも6種類のモデル(100mm, 105mm, 110mm, 135mm, 150mm, 210mm)、および300mm F5.6が発売された。戦後に発売されたモデルにはガラス面にコーティングが施されている。なお、このレンズにはSAPHIR 《BX》という名で1970年代に発売された後継製品が存在している。

参考文献:Dan Fromm (USA) & Eric Beltrando (France), "Optiques Boyer: A short history of the company with an incomplete catalog of its lenses", Sept. 2008

  
入手の経緯
今回取り上げるBeryl 90mm F6.8は2013年2月にeBayを介してチェコのカメラメイトから入手した。レンズは送料込みの150ドルで売り出されており、値切り交渉を受け付けていたので118ドルでどうかと強気に提案してみたところ私のものとなった。外観はペイントのハゲが目立っていたが、商品の状態については同ショップによる(A)ランクの格付けで、「クリーンオプティック」と強気の解説なので、ガラスの状態は良さそうであった。BerylはBoyer製レンズの中でも市場にあまり出回らない比較的珍しいモデルである。口径比が暗いうえにマウント部がM39/L39ネジになっていることから、引き伸ばし用レンズとして認識されていたのかもしれないが、とにかく安く売られていた。届いたレンズは撮影に影響のないレベルのホコリと極薄いクリーニングマークがあったが、状態は良好である。DAGORタイプにしては破格値で手に入れることができたわけだ。ニシシ・・・。
続いてSAPHIR 《B》 100mm F4.5は2013年2月にeBayを介してポーランドの大手中古業者から入手した。商品は「ガラスに傷、カビ、バルサム切れはなく、わずかに使用感あり」との解説で200ドルの即決価格で売られていた。この業者はレアな商品を多く取り扱うが商品の状態については博打的な要素が強いので、クモリについてはどうなのかを事前に問い合わせ「クモリはない」との返答をもらっておいた。値切り交渉を受け付けていたので165ドルでどうかと提案したところ私のものとなった。送料込の総額は190ドルである。しかし、届いた品はフロントガラスに肉眼で判るほどの明らかなクモリである。セラーに連絡を取り、写真を添え、「あんなに慎重に尋ねたのに何でクモリなのですか?私が返送代金を払い損をするんだから、ちゃんと説明してくださいね!」と弁明を要求しつつ、「返送料を加えた返金に応じるなら落札者フィードバックはネガティブにもニュートラルにもしませんよ」と逃げ道を与えることで返送料を加えた全額返金に応じさせた。相手に明確な手落ちがある場合にはeBayの取引規定(返品時の送料は落差者負担)を無視し出品者に返送料を要求してもよいというのが私の持論である。例えば全く異なる商品が送られて来た場合には出品者が返送料を支払うのが筋であろう。セラーに対して何も主張しなければ通常は取引規定に呑まれてしまうのだ。なお、クモリの影響を見るため1枚だけ部屋の雛人形を試写してみた。
 
マウント部の変換
Boyer社のレンズは一部の製品を除きヘリコイドの省かれているものが大半である。多くはマウント部がM39/L39ネジで供給されているので、M39-M42アダプターリングを介してM42フォーカッシング・ヘリコイドに搭載すれば、無改造のまま一眼レフカメラやミラーレス機で使用可能になる。

M39-M42リングアダプターを装着しマウントをM39/L39からM42に変換する。これでM42フォーカッシング・ヘリコイドに搭載できる

M42フォーカッシング・ヘリコイド(36-90mm)に搭載した様子。後列のSaphir《B》は返品したので、ここでは単なる飾りとして掲載している
M39-M42リングアダプターやM42フォーカッシング・ヘリコイド(36-90mm)はeBayから常時入手することができる。上の写真はBeryl 90mm F6.8をM42フォーカッシング・ヘリコイドに装着した例である。使用しているヘリコイドは高伸長タイプなので最短撮影距離は40cm程度となりマクロ撮影も可能だ。一方、遠方側の最長ピント部は無限遠を通り過ぎ若干のオーバーインフとなる。このままM42レンズとして使用することもできるし、マウントアダプターを介してNikon Fマウントのカメラで使用することも可能である。この場合は補正レンズを使わないで無限遠のフォーカスを拾うことができる。

撮影テスト
BerylはGoerz社の傑作レンズDagorを模範とするBoyer社の改良レンズである。ピント部の画質は四隅まで安定しており、Dagor 90mmの作例(こちら)で近接撮影時に見られた僅かな色収差もBeryl 90mmではほぼ完全に補正されている。Dagorともどもヌケの良いレンズなので、スッキリと写り、温調気味の鮮やかな発色である。
Dagorと言えばコーティング技術が実用化されていかった時代に空気境界面を徹底的に減らすことで内面反射光を抑さえ、アナスチグマートでありながら高い階調描写力を実現した画期的なレンズである。空気とガラスの境界面が僅か4面しかないという特異な設計構成であることに加え、ハロやコマが殆どないため、コントラストが高く、階調描写はとても鋭い。元々はコーティングに頼らなくても充分シャープに写るレンズ構成であるが、Berylの場合には1970年代のモデルチェンジで現代の技術水準に近い高性能なコーティングが施されている。このため、コントラストやシャープネスは異常に高く、シャドー部には驚くほど締りがある。しかし、その副作用として晴天時などで使用すると階調の硬化が進み、中間階調が奮わず黒潰れを頻発してしまう。この種の悩みは1970年代以降のテッサーやトリプレットにもみられる。こういう描写を焦げた目玉焼きなどにかけて「カリカリの描写」と呼ぶらしい。オールドレンズ愛好家達は階調描写のなだらかさや中間階調の豊富さに古典レンズならではの価値を見いだしているが、一方でシンプルな構成を持ちヌケの良い古典レンズに現代のコーティングを施すと、レンズの性質が反転し本来求められていた描写特性とは正反対の極めて鋭利な性質が表れてしまうのであろう。コントラストやシャープネスは単に高ければ良いというものではない。Berylはその事を私たちに教えてくれる模範的なレンズなのだ。なお、このレンズを晴天下で使用する場合はレンズフードを故意に外すなど、階調描写力の暴走にブレーキをかけるための特別な配慮が必要になってくる。
 

CAMERA: EOS 6D, AWB
LENS HOOD: 北方屋特性Elmar専用マイクロメタルフード
Beryl 90mm F6.8@F16+EOS 6D(AWB): 近接撮影でも高い解像力を維持している。このとおりスッキリとヌケの良いレンズだ
Beryl 90mm F4.5@F8+EOS6D(AWB): 少し絞るだけで解像力はこのとおりに高く、ピント部の画質は四隅まで安定している

Boyer Beryl 90mm F6.8@F6.8(開放)+EOS6D(AWB): コントラストが高く、開放絞りでもこれだけシャープに写る。ただし、日差しが強いとシャドー部が完全に黒潰れしてしまい、中間階調を省略したような描写に時々頭を抱えてしまう

Beryl 90mm F6.8@F8+EOS 6D(AWB): 発色はとても鮮やか。やや温調気味の傾向だ

Beryl 90mm F6.8@F6.8+EOS 6D(AWB): 後ボケはやや硬く距離によってはザワザワと煩くなることもある


Beryl 90mm F6.8@F6.8+EOS 6D(AWB): 前ボケはフワッとしていて悪くない印象だ
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下の作例はSaphir《B》でクモリの影響を見るために室内で試写した結果である。レンズ本来の実力ではないので参考程度にしてほしい。


Saphir《B》 100mm F4.5@F11+EOS 6D(AWB): クモリの影響で解像力はそれほど高くはないし、ヌケも今一つ。世評ではシャープな描写力を持つレンズとのことである。はやり返して正解
SAPHIRはBoyer社が最も好んで多用した宝石名である。設計士Suzanneはこの宝石に特別な思いを抱いていたのかもしれない。ちなみに世界4大宝石の中に同社のレンズ名として使用されなかったものが一つだけあり、宝石の王者ダイアモンドである。この宝石名が使用されなかったことには何か深い事情があったのかもしれない。

2013/01/22

GOERZ BERLIN, Doppel-Anastigmat DAGOR 90mm F6.8 and 120mm F6.8
ゲルツ ドッペル・アナスティグマート・シリーズIII(ダゴール)


まるで蒸気機関車の一部であるかのような2本の真鍮製レンズ。これらは1893年にドイツ帝国のGoerz(ゲルツ)社がDoppel Anastigmat Series III(ドッペル・アナスティグマート・シリーズIII)の名で世に送り出し記録的なヒット商品となったDagor(ダゴール)である。これまでに数十万本が生産され史上最も成功したレンズの一つと称えられている。Dagorの登場以来、写真用レンズの歴史は本格的なアナスティグマート時代に入っていった

アナスティグマート時代の幕開けを象徴する
ゲルツ社の傑作レンズ

難度の高い非点収差(アスチグマ/Astigma)を封じることで、ついにはサイデルの5収差全てに対する補正を実現した上級レンズのカテゴリーを昔はアナスティグマート(Anastigmat)と呼んでいた。現代のレンズも含め19世紀以降に登場した写真用レンズは、ほぼ全てがアナスティグマートである。この種のレンズとして黎明期に登場したものには1890年にCarl ZeissのRudolph(ルドルフ)が設計したProtar(プロター)や1893年に英国Cooke(クック)のTaylor(テイラー)が設計したTriplet(トリプレット)などがある。中でも特に高い人気を呼んだアナスティグマートが1893年に発売されたDAGOR(Doppel Anastigmat GOeRzの略)である。Dagorは登場後たちまち人気を博し、軍への納入を中心に4年間で3万本を売るという信じられない記録を打ち立てている。Goerz社はDagorのヒットで急成長を遂げ、1889年に僅か25名だった従業員の数は1901年に1000名、1914年には3000名にまで増え、第一次世界大戦中には12000名を突破している。レンズを設計したのは古いデンマーク貴族出身で27歳の数学者Emil von Hoegh(エミール・フォン・フーフ)[1865--1915]と呼ばれる人物である。Hoeghは独学でレンズの設計法を身につけ1892年にサイデルの5収差を全て補正できる新型レンズ(Dagor)のアイデアを考案した。彼はこのアイデアをはじめ大会社のCarl Zeissに売り込んだが取り合ってもらえなかったので、今度は創業6年目にあたるGoerz(ゲルツ)社に売り込んだのだ。同社の創設者Carl Paul Goerz(カール・ポール・ゲルツ)がHoeghの試作レンズをテストしたところ高性能だったので、すぐにレンズの特許をとり[3]、Hoeghを少し前に死去した設計主任Carl Moserの後任に抜擢したのである。実績もない若いHoeghの隠れた才能を見抜いたGoerzの洞察力は非常に優れたものであった。当時のGoerz社は前任者のMoserが設計したリンカイオスコープの製作に取り組んでいた。しかし、リンカイオスコープは旧来からのラピット・レクチリニア型レンズのコピーであり、ダルマイヤー社、シュタインハイル社、フォクトレンダー社などが先行商品を世に送り出していたため、後発のGoerz社が優位にたてる要素には乏しかった。そんな矢先に訪れたMoserの死去、新型レンズのアイデアを携えやってきたHoeghの加入、Dagorの記録的なヒットなど運命的な出来事が立て続けに起こり、Goerz社は事業規模を急速に拡大、ドイツ最大級の光学機器メーカーにまで成長したのである。

参考資料
[1] A History of the Photographic Lens(写真レンズの歴史), Kingslake(キングスレーク) 著
[2] ハヤタ・カメララボ 今月の一枚2012年12月:ロール・テナックス ダゴール
[3] Dagorの米国特許: Patent DE 74437(1892), U.S.Patent 528155(1894) Emil Von Hoegh, Carl Paul Goerz
[4] レンズ設計のすべて 辻定彦著  電波新聞社


Dagorの光学系(1892 Emil Von Hoegh)をトレースしたもの。設計構成は2群6枚の対称型で、左半分が前群、右半分が後群(カメラ側)となる。空気と硝子の境界面を僅か4面しか持たないという特異な構成のため内面反射光の蓄積が起こりにくく、更にハロやコマなどが殆ど出ないこともあり、戦前のノンコートレンズとしては抜群の高いコントラスト性能を実現している

ドッペル・アナスティグマート
ドッペルとはドイツ語のダブルに相当する語である。Dagorのレンズ構成が上図のように中央の絞り羽を挟んで対称の構造を持つ事を意味している。この種の対称型レンズにはコマ収差(M成分)、倍率色収差、歪曲収差が自動的に消滅するというアドバンテージがある。コンピュータによる設計法の無かった時代では、この性質を利用することが有効な設計手段の一つであった。アナスティグマートの登場まで一世を風靡していたフォクトレンダー社のラピット・レクチリニアも対称構造をもつレンズであり、Dagorはこのレンズの発展型と考えられている。Hoeghが対称型レンズの開発に熱中していたことは彼がGoerz社在籍中に設計したHypergon(ハイパーゴン)Doppel Anastigmat Series IB(Celorの原型)などのレンズ構成からも明らかである。
Kingslakeの著書にはDagorの設計手順の一部始終が掲載されており、Dagorが「サイデルの5収差」の全てを攻略したアナスティグマートであることを改めて確認することができる。設計法を要約すると、まず正負正の順に配置した3枚の貼り合わせレンズを用意し、その最外殻の曲率半径を非点収差が0になるように与える。次に内部の2枚の貼り合せ面の一つで球面収差を補正し、残る一つの面で像面湾曲を補正する。こうして出来る貼り合せレンズを2セット用意し絞り羽を挟んで対称に配置することで、残る収差(コマ収差、倍率色収差、歪曲収差)を自動消滅させるのである。収差表を見ると球面収差、軸上色収差、倍率色収差の補正効果は素晴らしく、非点収差、歪曲、コマ収差の補正レベルも良好である。中心解像力とコントラストが非常に高く、画角を広げても良好な画質が得られるなど、口径比が明るくできないことを除けば収差的には欠点のほぼない優秀なレンズであることがわかる(文献[4])。


Doppel Anastigmat Series III 120mm F6.8(推奨イメージフォーマット 3.5x4.5 inch): 真鍮製バーレルレンズ, フィルター径 28mm, 絞り羽 10枚構成, 絞り値 F6.8-F32, 光学系は2群6枚, シリアル番号からレンズの製造は19世紀末(1896-1899年頃)となる。希少価値の高い初期のレンズだ。この頃のレンズにはまだDagorの名が刻まれていない。レンズ名がDagorに改称されたのは1904年からである。市販の部品をいろいろ組み合わせマウント部をM42ネジに変換している
Dagor 90mm F6.8(推奨イメージフォーマット 3x3 inch): ダイアルコンパー型シャッターを搭載, フィルター径 20mm前後, 絞り羽 10枚 , 絞り値F6.8-F32, 光学系は2群6枚, シリアル番号からレンズの製造年は1915-1918年頃(第一次世界大戦中)であることがわかる

製品ラインナップ
Dagorは1892年に開発され、翌1893年にDoppel Anastigmat Series IIIの名で登場している。発売当初は口径比がF7.7であったが、後に焦点距離12インチ以下のモデルが全てF6.8へと変更され、名称の方も1904年からDagorへと変更されている。レンズは軍への納入を中心に売れまくり、発売から4年で3万本、累計でも数十万本が出荷された。Dagorの設計は広角から超望遠まであらゆる焦点距離に対応できる万能性を備えており、1913年のGoerz社のカタログには焦点距離の異なる19もの製品ラインナップが掲載されている。このうち広角レンズの焦点距離1+5/8インチ(約4cm)、2+3/8インチ(約6cm)、3インチ(約7.5cm)、3+1/2インチ(約9cm)の4製品については主にステレオカメラ向けの製品として市場供給された。一般撮影用レンズとして大判カメラ向けに供給されたモデルは焦点距離4+3/4インチ(約12cm)、6インチ(約15cm)、7インチ(約18cm)、8+1/4インチ(約21cm)、9+1/2インチ(約24cm)、10+3/4インチ(約27cm)、12インチ(約30cm)、およ14インチ(約35cm) F7.7、16+1/2インチ(約42cm) F7.7、19インチ(約48cm) F7.7、24インチ(61cm) F7.7、30インチ(76cm) F7.7、35インチ(約89cm) F7.7の13種である。また、Kodak製等の小型カメラ向けに焦点距離5インチ(13cm)と6+1/2インチ(約16.5cm)の2種も供給されている。ただし、焦点距離が78mm、80mm、83mmなどカタログには掲載されていない個体も数多く出荷されていた。焦点距離の規格が不徹底なのは光学系を組み上げるまで焦点距離がどうなるか判らなかったからで、Goerz社はレンズを組み上げ一定の性能基準をクリアした製品ロットに対して改めて一本一本の焦点距離を計測し、その結果を製品のスペックとしてレンズに表記していたのだ。なお、ステレオカメラ向けに供給されていた先の広角の4製品も1921年にGoerz社がRoll-Tenaxと呼ばれるロールフィルム式の中判カメラを発売したことで、一般撮影用レンズとして供給されるようになった。

入手の経緯
焦点距離90mmのDagorは2012年11月にeBayを介して米国カリフォルニアの個人出品者「ブラックス2」から落札購入した。この売主は販売実績が2737件で落札者評価が100%、ニュートラルの評価すら無いという好成績者である。扱っている商品は殆どが写真機材であった。商品の解説は「4x4inchのボードに搭載されていた小さなダゴール。焦点距離は3と1/2インチで絞り値はF6.8である。グレートコンディションだ。硝子は完全にクリアで傷や拭き傷はない。シャッターはすべての速度で正常に作動しハングアップはない。ただし、若干スロースピードになる事はあるかもしれない。たまにしか市場に出てこないとてもナイスなレンズだ。商品がこの記述と異なる場合には受け取り後14日以内であれば完全返金する。」とのこと。商品は85ドルのスタートで売り出され、私を含め6人が入札した。最大価格を233ドルに設定し、自動入札ソフトでスナイプ入札したところ201ドル(送料込みの総額では218ドル)で私のものとなった。届いた品は外観・ガラスとも経年を考えると素晴しい状態であり、強い光を通すと極軽いスポット状のヤケが2~3個見られる程度であった。Dagorはプライスリーダーのカメラメイトが長焦点のものを250ドル(送料込み)で売りだしているので、このあたりが中古相場なのであろう。ただし、焦点距離90mmのモデルは珍品なので、この値段で入手できたのはラッキーである。
続いて焦点距離120mmのDagorは2012年11月にオールドレンズ愛好家のL51さんからお借りした。L51さんは当初私に浮き世離れした写りが楽しめる別系統のレンズをすすめていた。今回お借りしたDagorに対しては「良く写りすぎてガッカリするかもしれない(笑)」とのことである。所持されているレンズ同様に、写りに対する価値感も人並み外れた持ち主のようだ。
焦点距離120mmのDagorはフランジが長いのでヘリコイドにマクロエクステンションチューブを継ぎ足している
DAGOR 90mmのフード問題
今回入手した2本のDagorはガラス面にコーティングが敷設されていないノンコート仕様のレンズであり、撮影時にはフードの装着が必須となる。Dagor 120mmはフィルター径が28mmなのでステップアップリングを介して市販のフードが装着可能であるが、Dagor 90mmの方はフィルター径が20㎜前後の特殊径となっているため、市販のフードやレンズキャップはおろかステップアップリングすら装着できない。そこで、北方屋が880円で販売しているエルマー専用の特製マイクロメタルフード(フィルター径19mm)を使用することにした。下の矢印で示すようにハサミで細長く切った薄いポリエチレン板をフィルターのネジ切りの部分に鉢巻きのように巻き付け1mmの隙間を埋めるのである。ポリエチレン板の末端は瞬間強力接着剤で留めている。ここで用いたポリエチレン版は商品の包装に使われていたものである。ちなみにクリアフォルダーのポリエチレン素材では厚みが足りなかった。

北方屋のエルマー50mm専用マイクロメタルフード(フィルター径19mm)。矢印のようにポリエチレン板を細長く巻き末端を瞬間協力接着剤で留めている。このようにしてDagor 90mmのフィルター径(おそらく20mm径)にピタリとフィットさせることができる
フードを2段重ねにした状態での装着例(写真・左)と3段重ねにした装着例(写真・中央)。ホームセンターで買える椅子の脚ゴム(内径21mm)をキャップにしている(写真・右)
北方屋のフードは焦点距離50mmのエルマーに合うよう8mmの深さで設計されているため、焦点距離90mmのDagorに対しては丈が短すぎる。そこで、このフードを2段に重ねて使用することにした(写真・左)。ちなみに3段重ねでもケラレは発生しない(写真・中央)。デザインを重視し2段にするか、光学性能を追及し3段にするかは悩みどころである。レンズキャップについては市販品の中にサイズの合うものが見当たらないため、ここではホームセンターで買える椅子の脚ゴム(内径21mm)を流用している(写真・右)。

細長いフードを用いてハレーションをカットする
Dagorのような中・大判撮影用に設計されたレンズは35mm判レンズよりも広いイメージサークルを持っている。このためフルサイズセンサーやAPS-Cセンサーなど小さなイメージフォーマットを持つデジタル一眼カメラに装着して用いると、撮像センサーに収まりきらないイメージ光(イメージサークルの外周部)がミラーボックス内で乱反射し、さらに内面反射光となって光学系の内部に蓄積することでレンズ本体の描写力を損ねてしまう。戦前のノンコートレンズともなれば内面反射光の影響は甚大で、ミラーボックスやヘリコイドユニットの内壁から反射した光が画像の中央部に酷いフレア塊を生み出すこともある。また、コーティングのある戦後のレンズにおいてもイメージフォーマットの合わない規格外のレンズをアダプターを介して用いると、シャープネスを損ねる結果になる。フレアの発生はイメージサークルの大きな中判用レンズ、さらには大判用レンズになるほど深刻である。レンズ本来の描写性能を維持するには純正フードでは不十分であり、細長いフードを用いたりレンズのフィルター部にステップダウンリングを装着するなど不要光を遮断(つまりイメージサークルの周辺部をトリミング)するための徹底した対策をとらなければならない。ヘリコイドユニット等の内壁に黒色の植毛やフェルトを貼っても一定の効果が得られるようだ。今回テストした2種類のDagorの場合、焦点距離90mmの方はイメージサークルが小さくフレアの発生量は僅かであったが、焦点距離120mmのDagorにはかなり悩まされた。このレンズには初めフィルター径55mmの中望遠レンズ用メタルフードを装着し使用していたが、画像中央には見事なまでのフレア塊が発生し、撮影に全く集中できなかった。オーナーのL51さんに相談したところ、長い(深い)フードを用いているだけでは効果は弱く、細いフードを用いる事が重要であるとのアドバイスを得た。そこで、eBayを徘徊し市販で手に入る細長い望用遠フードを探してみた。ところがレンズに合った細長いフードとやらがどこを探しても無い。Dagor 120mmにはフィルター径28mm程度のフードが必要なのである。手に入らないならば自分で造るしかないとトイレに籠もって考えていたが、しばらくして良いアイデアを思い付いた。手にしていたのはトイレットペーパーの芯である。芯の内側をつや消しブラックでペイントし細長いフードが完成。レンズに装着し試写してみたところフレア塊の発生を完全に封じることができた。コントラストも明らか向上し、レンズ本来の性能を引き出すことができるようになったのだ。よし、これで撮ろう!。

撮影テスト
Dagorは中・大判撮影用に設計されたレンズであるからフルサイズセンサーの一眼レフカメラやミラーレス機で使用する場合には細長いフードを装着し、徹底したハレ切り対策を施しておく必要がある。不要光をきちんとカットしたDagorはコントラストやシャープネスが高く、発色も良好で、現代の写真撮影にも十分に通用する優れた描写性能を発揮する。
Dagorは「アナスティグマート」を明示し、ユーザーに対して全ての収差が高いレベルで補正されていることを約束したレンズである。実際にレンズを使用してみると開放からハロと色収差は完全に抑えられておりスッキリとしたヌケの良い像が得られる。コマや非点収差もよく抑えられており、フルサイズフォーマットのカメラによる不完全な評価ではあるが、画質は四隅まで均一で像面湾曲や歪曲も全く目立たない。解像力についても十分なレベルをクリアしている。ただし、キッチリと写りすぎるので線の細い描写までは期待しない方が良い。今回入手した2本のDagorはガラス面にコーティングのないノンコート仕様のレンズである。このため逆光には弱く、撮影条件がシビアになるとフレアが発生し、発色も淡く軟調気味の写りになるが、2群構成という特異な設計である事や空気境界面同士が離れている事が内面反射光の過度な蓄積を抑え、この時代のノンコートレンズとしては異例ともいえる高いコントラスト性能を実現している。後ボケはやや硬くザワザワと騒がしくなることがあり、近接撮影時には2線ボケの傾向がみられることもあるが、像は良く整っておりグルグルボケや放射ボケは見られない。発色は概ねノーマルである。露出をアンダー気味にして色濃度を上げると、赤だけが異様なほど引き立って見えることがある。口径比がF6.8とやや暗い事を除けば大きな欠点はなく、120年前に設計されたレンズとはとても思えない素晴らしい描写力である。
2本のレンズを比較すると階調描写については焦点距離90mmのDagorの方が安定感がありコントラストやシャープネスは高い。これに対し焦点距離120mmのDagorは90mmのモデルに比べると軟調気味で発色も淡く、逆光時になると癒し系の性格をおびることがある。描写力が撮影条件に左右されやすく、コンディションが悪いとハレーションが盛大に出たりシャープネスが急に落ちたりと階調描写には安定感がない。解像力については肉眼でわかるほどの差は見られず、120mmのモデルの方が大口径であるにも関わらず、90mmのモデルより劣るようなことは全くなかった。Dagorの光学設計は広角から超望遠まで幅広い焦点距離に対応できる万能性を有する。焦点距離の変化に対して収差の補正効果を高いレベルに維持することのできる優れた性質を持っているのであろう。ちなみにDagorは絞りに対する焦点移動がたいへん大きなレンズであることが知られている。開放でピントを合わせても、絞り込むとピントが外れてしまう時があるのだ。ジャスピンを狙う場合には絞ったままピントを合わせるのが無難なようである。

Dagor 90mm F6.8@F6.8(開放), AWB(フード無しでの撮影): フードを装着しないまま半逆光の厳しい条件で撮影したためフレアが出ているが、それでもシャドー部には驚くほど締まりがあり、とてもシャープなレンズであることがわかる。戦前のノンコートのレンズとは思えない優れた逆光耐性である。やや軸上色収差が出ているようだ


Dagor 90mm F6.8@F6.8(開放): 以下の作例ではきちんとフードを装着している。90mmのDagorは逆光にもある程度は耐える。この程度の光源ならば全く問題はない

Doppel Anastigmat Series III (Dagor) 120mm F6.8@F6.8(AWB): 続いて120mmのDagorである。光量の多い条件下で使用するとコントラストが低下しやすく軟調気味の描写になる

Dagor 90mm F6.8@F6.8, AWB:  これに対し90mmのDagorは階調描写に安定感があり、光量の多い条件下でもコントラストや発色は、そこそこ良好である
Dagor 90mm F6.8@F6.8, AWB: こちらも90mmだが、先の写真よりはもう少し軟調気味だ
Doppel Anastigmat Series III (Dagor) 120mm F6.8@F6.8(AWB):   再び120mmのDagorである。少しアンダー気味に撮影し色濃度を上げると赤の発色だけが妙なほどに引き立つ結果となる。この発色傾向はインターネット上のDagorの作例にもみられる
Doppel Anastigmat Series III (Dagor) 120mm F6.8@F6.8(AWB):  階調表現は120mmのDagorの方が明らかに軟らかく、オールドレンズらしい淡い発色傾向である




Doppel Anastigmat Series III (Dagor) 120mm F6.8@F6.8(AWB): 有名な雑司が谷鬼子母神堂にある駄菓子屋さんでのショッピング。綿菓子とラムネを手にニンマリご機嫌のご様子で、娘にはお気に入りの場所となった。後で知って驚いたのだが、娘の祖母はこのお堂の氏子なのだそうだ。つまりは氏子の血を引いていたのである

Doppel Anastigmat Series III (Dagor) 120mm F6.8@F6.8(AWB): この作例では太く短いフードを装着し撮影ている。画面中央部にモヤーッとしたフレアが出てしまった(この作例はまだましな方)。細長いフードの効力を知ったのはこの直後である

Doppel Anastigmat Series III (Dagor) 120mm F6.8@F6.8: このとおり後ボケはやや硬く、距離によっては2線ボケになることもある。この傾向は焦点距離90mmのDagorにもみられる